「ティナとラーラ」について

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1 : 笛地静恵 : ID:BvLBjn1A
「ジャニスとパム」を連想させる、純然たる巨大少女の破壊物です。
スカトロがあります。ご注意申し上げます。

ご覧のように未完です。
が、このあと二人は、どうなってしまうのでしょうか?
いろいろと想像できる作品です。

互いの魅力に目ざめて、レスビアンの関係にならないだろうか?

同じように未知の原因で巨大化した、少年達二人に出会ったら?

ラーラの最悪の予感が、現実になったら?

どうぞお楽しみください。

2 : Pz : ID:w6dgNJfM
破壊系の傑作、ありがとうございます。
巨大少女からの視点で固定されている書き方ですが
大変に迫力あります。
突然巨大化、戸惑いながらも強大な力に酔いしれてゆく
二人の少女。
スカは不得手なのですが、地下街の出入り口から
噴水のように噴出す巨大女性のおしっこは、面白かったです。
破壊系は、やらせることも似通ってきますが
大家の作品は迫力があり、するすると読むことが出来ます。
創作意欲がわいてきました。
その前にホムペ製作だー。
面倒なリー。


3 : 笛地静恵 : ID:IrAbrvvA
Pzさまへ。
お読みいただきありがとうございます。

巨人視点に固定。
小人視点を入れれば、単純に倍以上の長さになるでしょう。
しかし、この迫力が、出ないかもしれません。

「おしっこ噴水」は、笛地も大好きな場面。

自然に、すらすらと読めるというのは、旨いということでしょうね。
翻訳が創作の刺激になってくれれば、これほど嬉しいことはありません。

新しいHPの誕生を楽しみにしています。
破壊系GTSと、巨大カップル物の新たな牙城。

笛地も創作、翻訳の新作で協力するつもりでいます。


4 : Pz : ID:uKvGdDeU
>>小人視点を入れれば、単純に倍以上の長さになるでしょう.
ごもっとも。長くなって終わりが見えなくなります。
しかしながら、物語に厚みがつくことと、
巨大な肉体の与える恐怖感を演出するには最適だと思います。

>>しかし、この迫力が、出ないかもしれません。
これは作家の腕次第だと思います。
大家であれば、問題ないと思いますが
あまり長いと読む人が疲れるかも。

>>笛地も創作、翻訳の新作で協力するつもりでいます。
ううう。暫くは他力本願でいかないと、開店休業状態になりそうです。
申し訳ありませんが、あてにしています。(情けなや)



5 : みどうれい : ID:kze6Y7Os
こんにちは、笛地静恵さん。新作「ティナとラーラ」楽しく読ませていただきました。
巨人の力を手に入れた女性が好きなようにする、私のファンタジーです。
もっと続きそうなのに終わっているのが残念です。
こういう話が好きなので(長くなりますが)小人視点を入れた話にしてもよかったと思いました。

>和製英語という、英語圏に通用しない語句を、
>あえて使用するべきかと言う点に、疑問を抱いています。意識的に修正しなかった初めての体験です。いかがでしょうか?
自分なりの翻訳をされるのは、いいことだと思います。

ラーラは「大柄の筋肉質の体躯に巨乳の持主」って
(日本の女の子にはあまりいないタイプ)いかにも外国的女性ですね。

彼女は自分の事を「俺」と読んでいますね。
全くの余談ですが、日本語の一人称は(私・俺・僕・我・あっし・拙者・みども・あたい・わちき・おいら)と
たくさんあるのに、英語は「I」だけなのでしょうか? 日本語は語彙が豊富かなとも思います。

笛地さん、翻訳お疲れ様でした。

6 : 笛地静恵 : ID:XXALNqnk
みどうれいさまへ。
この作品に、小人視点を入れて書きなおすのも、楽しそうです。
>彼女は自分の事を「俺」と読んでいますね。
笛地は、その作品世界が、自分の心の中に入って、想像の世界で生き直せないと一行も訳せません。
訳そうと思い立ったの時には、ラーラは「俺」と言っていました。
>英語は「I」だけなのでしょうか?
「I」だけですね。絶対的存在。日本語の一人称が、周囲との関係で決定される、相対的な存在であるのと対照的。
>日本語は語彙が豊富かなとも思います。
その国の文化によって、相違がありますね。
たとえば、アメリカ人は表情が豊富。
「笑う」と言う意味の動詞だけで、ある辞書では16種類ありました。
訳す時には頭が痛いです。自己流なので。





7 : みどうれい : ID:kze6Y7Os
>>英語は「I」だけなのでしょうか?
>「I」だけですね。絶対的存在。
なるほど、日本の一人称「僕」は下僕(しもべ)という意味もあります、
子供が自分を「僕」とよく言っていますが、(子供は親の世話になっているから)
「僕」には対等またはそれ以下の人という意味があるのでしょうか、

しかしアメリカは子供でも自分はいつでも「I」絶対的存在、ある意味アメリカらしいとも言えます。

>「笑う」と言う意味の動詞だけで、ある辞書では16種類ありました。
笑いにつきましては、日本は「侘び・寂び」の文化だから難しいかもしれませんが、
日本人もアメリカの「笑いの文化」を見習ってもいいのかもしれませんね。
あ、雑談になってすみません。

8 : 笛地静恵 : ID:XXALNqnk
>「僕」には対等またはそれ以下の人という意味があるのでしょうか? 
ありますね。「下僕」と言う言葉があるように、召使いのこと。
そこから、「しもべ」。
安政の大獄で死罪となった吉田松陰が、日記や手紙で、「僕は」と書くとき、天や家族のしもべとしての謙譲の念がこめられているのがわかります。
笛地が、尊敬する日本人のひとりです。
「親思ふ心にまさる親心けふのおとずれいかにきくらむ」
辞世の歌。「けふ=今日」は、死刑の日。
そのときに、親の心中を心配する息子。まさに「僕」だと思うのです。

>日本人もアメリカの「笑いの文化」を見習ってもいいのかもしれませんね。
温帯モンスーン気候にある日本は、「水の文化」でしょうか?
転じて『涙の文化」かもしれません。
ある辞書には、「雨」を表現する語彙が、260種類以上、掲載されています。
「驟雨」「粉糠雨」「天気雨」等々。
生活の中で、接することが多いものには、言葉も増えていくようですね。
笑いが増えれば、笑いの語彙も、増えてくれるでしょう。





9 : みどうれい : ID:kze6Y7Os
「語彙とGTS」について
全くの余談なのですが、アメリカのGTS小説は(質はともかく)数において日本より多いように思います。
もちろん、人口が多いから当たり前なのですが、もしかしたらGTS文化はアメリカ的なのかもしれません。

たとえばアメリカは
①「僕」という自分をしもべとする「謙譲の念」が無い。
②笑いの文化がある。(ちなみに海外GTSは小人に対する自分の圧倒的優位から笑っている描写が多い?)
③アメリカは「涙の文化」ではない。(無敵のGTSに涙は似合わない?)

まぁ、かなり説明に無理があるかもしれませんが、
・自分「I」が絶対的存在だと思っている(自分のしたいようにする?)
という一点のみにおいても、アメリカの方がGTS文化を受け入れやすいのかもしれません。
皆様、雑談ごめんなさい。

10 : 笛地静恵 : ID:PwuPmijQ
逆の可能性として。
①「僕」という自分をしもべとする「謙譲の念」があるので、マゾヒズムの方向からの妄想がしやすい。
②関西の笑いの文化が活用できる。たとえば、関西芸人のボケとツッコミのしゃべくり漫才の芸。吉本興業が東京のTVに進出できたことで、日本全国に広まっている。ここから、笑いのGTS小説が作れないか?
③無敵のGTSではない、敗北のGTS像の想像が可能。涙を流すGTSも素敵です。

遠慮なく雑談してください。
刺激を受けています。
必ず、お答えします。
それ独自の価値という物が、あると思います。
人間が、雑草と呼ぶ草は、森の生態系の維持のためには、絶対に必要。
小さな雑草と、松や杉の大木の価値は、自然から見ると等価。
正面からの大議論と、生活の中での思いつきに、上下や貴賎は存在しないと思っています。
不要な方は、もともと読んでいないと思います。

11 : 笛地静恵 : ID:PwuPmijQ
Pzさまへ。
>暫くは他力本願でいかないと、開店休業状態になりそうです。
いろいろとあるので。協力、御約束。
巨大カップル物は、難しいです。
女子高生のお姉さんに街中で強制的に、ねっとりとしたSEXの手ほどきを受けてしまう、恥しがり屋の男子中学生。
二人とも、百倍の体格でという話があります。
ゲイターの『エンパイアシリーズ』の『ニュース』という作品の翻訳が、そろそろ完成。
ヘディンのメガGTS物の短編。(めちゃくちゃしていますが。)


12 : Pz : ID:gr230/tU
ムー。
永遠と書き込んでいたら、20行までしか
書き込めなかった。
笛地サン、当てにしてますー。
ついでに、「涙の文化」はアメリカにないないけれど、
涙を流す人々はいつの時代にもアメリカにはいたのでは?
「ジョニーの凱旋」がアメリカ軍歌中で一番好きです。



13 : 笛地静恵 : ID:jpr16X2I
そういえば?
この掲示板の20行ルールは、どうしてなのだろう?
ここには投稿をされないため?
不思議。

湿った「涙の文化」がないゆえに。
たとえば、ハリウッド映画。
大衆の涙腺を刺激する、いわゆる「お涙ちょうだい映画」を、臆面もなく制作。
台本を何度も改稿する。したたかな計算の産物。
ただし、現在も、戦争を強いられている国家ゆえに。
戦争映画、軍歌、ルポルタージュ等々の乾いた「怒りの文化」の表現の充実は、平和ボケの日本の比ではありませんね。
「涙」に流して安易にごまかさない、「怒り」の追求の姿勢は、見習いたいと思っています。




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