「にしても、よくあんなに小さくなって平気ですね」
「1/16や1/50なら既に慣れましたから」
「ご、ごじゅうぶんのいち……」
「それでも、扉の下を通るにはまだ大きい方です」


01:不思議な関係


あれからというもの、IAさんはよく私の部屋へと来るようになった。
決まって数センチの小さな身体で、ただ居るだけ。
変と言えば変だ。

どうしてIAさんは小さいまま私の部屋に居るんだろう?
そもそも、どうやって私の部屋に入っているんだろう?


……。…………。
悩んでいたって仕方ない、いっそ本人に聞いてしまおう。

ベッドの足、ドアの近くのコンセントの下、タンスの陰。
ぐるりと部屋を見渡してIAさんを探す。
視線が一周した先、机の横に置いてあるゴミ箱の陰に居た。

「IAさん」
なるべく小さめの、落ち着いた声で話しかける。
正直、小さくなったことがある身としては、そっとしておいた方が良い気がしなくもない。
こうして話しかけると改めてそう思ってしまうほど、今のIAさんは小さかった。
親指より小さなIAさんが私の方を見上げて、廊下に立たされる生徒のように呟く。
「やっぱり、お邪魔ですか?」
「いえ、その……どうして私の部屋に居るのかな……、って」

ちょっと長い空白の後、IAさんはあきらめるかのように喋った。
「私もよく分からないです」
「……よく分からないんですか」
分からないのにわざわざ小さくなるなんて、変な話だ。
ただ、ポツリと出たIAさんの一言で納得した。
「おそらく、『そこにエベレストがあるから』が一番似ている状態だと思います」

何故エベレストに登るのか?
そこにエベレストがあるから。
有名な登山家が言ったという言葉だ。

私がここに居て、私に会えれば手段は何でもいい。
だからIAさんは小さくなってまで私の部屋に居るんだ。


……。…………。
何はともあれ、部屋に居る友達が全裸なのはなんとかしたい。



02:アンドロイド


「小さくならなくても、わざわざ追い出したりしませんよ」
そう言ってみたのだが。
「お心遣いは無用です、小さくなりたくてなってます」
そう言われてしまった。

無理に言っても仕方ない。
しばらく小さなIAさんを気付いていないフリをしていたら、
一つ、不思議なことに気付いてしまった。

小さくなって私の家に居るのに、IAさんは何も食べていない。

隠れて何か食べているとも思えないし、
無理をして我慢しているのならあまりにも身体に悪いはず。

そう思って、小さなIAさんに卵焼きを焼いてみた。
「せめて何か食べてくれないと、倒れちゃいますよ」
手掴みできそうなくらいに冷まして、低めのお皿に乗せて渡してみる。
……でも、あきらかにIAさんよりも卵焼きの方が大きい。

「心配いりません。まだ数日は動けますので」
一糸纏わぬ姿で腕を組みながら、まるで業務連絡のように淡々と言われた。
「そうは言われても心配なものは心配ですよ……」
どうしたものか。
卵焼きとIAさんを見ながら考えていると、突拍子もない言葉が耳に飛び込んできた。


「生身の人間なら持たないですが、私なら予備動力で動けます」
「生身の人間なら?」
思わずオウム返しに聞いてしまった。

「本当に大切な人にしか伝えてはいけない決まりなのですが」
IAさんはそう前置きして、しばらく考えるような沈黙の後、ぽつりと呟いた。
「私は、人間じゃないです」

「えっ……と」
思わず小さなIAさんをまじまじと見つめてしまう。
さらさらとした髪、柔らかな肌、きれいな瞳。
どこからどう見ても、人間としか思えない。

見つめる私の視線に応えるかのように、目を合わせてIAさんは言う。
「正式な名前とは違いますけど、人型ロボットなのです」
「それは、アンドロイド、みたいな……」
大きさで言えば私の方が大きいはずなのに、
気が付けばIAさんから軽く距離を取るように後退りしかけていた。

IAさんが人間じゃなくて、アンドロイド?
ついこの前、"そういうこと"をした友達が、人間ですらなかった。
じゃあ、あの時触れた暖かさや柔らかさは一体?

あれやこれやと考えて困惑してしまう私から、
ふい、とIAさんは視線を逸らす。
「信じてもらえない、みたいですか」
「あまりにも突拍子が無くて……」

少しの間、ロード画面のような沈黙が流れた後、
IAさんは頬に手を当てて呟く。

「センパイには信じてほしいですから、明日、私がロボットだということを実演します」



03:彼女の視点


次の日、家の前で等身大のIAさんが待っていた。
大きな箱を持ったまま、顔色一つ変えずに立っている。

「何ですか、それ」
通販会社のロゴが描かれている大きなダンボール箱。
IAさんがその中から取り出したのは、ゴーグル型のディスプレイだった。
「ヘッドマウントディスプレイです。HMDとも言います。
 これで私の見ている映像をセンパイに見てもらおうと思います」

そんなの無理じゃないか、と心の中の私が否定している。
とは言え、付けもしないで否定するのもIAさんに失礼だ。
IAさんに教えてもらいながら、ゆっくりとHMDを頭に付ける。


「最初はベッドの方を向いておきます。じゃあ始めますね」
そう言いおわると、目の前のディスプレイが映像を映し出した。
とてもよく見慣れた自分のベッドが見える。

周りを見渡そうとして首を動かすと、妙な遅れを感じた。
どうしてだろうと思いながらも、ぐるぐると視線を動かしてみる。
「動作不良ですか?」
「いえ、カメラの動きが遅れるなぁと思って」
「センパイの頭の動きを検知して私の頭を動かしていますから、
 どうしても遅延が起こってしまうのだと思います」

じんわりと、IAさんがアンドロイドだと言う事実が頭に染みこむ。
ポリゴンモデルとは思えないほど、さっき見ていた景色そのもので、
ぐるりと振り返れば、そこにはHMDを付けた私が居たからだ。

「慣れてきたようですから、動いてみましょうか。
 左手のコントローラーにあるアナログスティックを触ったら、その方向に動きます」

まるでゲームのチュートリアルのようなセリフが、ヘッドホンの向こうから聞こえてきた。
恐る恐る左手のアナログスティックを前に倒すと、視界が一歩前へと進む。
視界の端に見える私が大きなゴーグルとヘッドホンを付けてコントローラーを触っている。
近未来というよりも、シュールな光景だった。

友達をラジコンのように遠隔操作して部屋の中を歩かせていると、不意にIAさんが喋りだした。
「私がアンドロイドだ、と信じてもらえましたか」
「……しっかりと」


「じゃあ、これも使いましょう」
そう言ってIAさんはキッチンスケールを取り出した。
IAさんの視点で見ているから、まるで身体が勝手に動いている気分だ。
「センパイ、ご希望の大きさはありますか」
「これって、私も縮んだ視点になる……んですよね?」
「なります」
「なら、控えめにお願いします」
控えめに、そう言ったはずなのに、
左手首のキッチンスケールの数値はどんどん小さくなって、1/16を示していた。



04:私を見上げる


お互いが手を伸ばせば握手できそうな距離。
それが、音も無くじわりじわりと遠のいていく。
キッチンスケールを使った時の、あの身体の熱を感じないまま、
視点だけがするりするりと小さくなっていって。

ただただ真正面を向いているIAさんの視界からは、
私のお腹も、腰すらも見えなくなってしまった。

「まだ操作しますか?」
小さくなりきって、一呼吸の間を置いてIAさんが聞いてきた。
そうだった。
思えば私は、友達を自分の好きなように歩かせていたんだ。

「今更ですけど、他の人に動かされて嫌じゃないんですか?」
そう言った私の声が、ヘッドホン越しに聞こえてきた。
……IAさんにはこんな風に聞こえているんだ。
抑え目の声量で言ったはずなのに、私の声はとてもよく聞こえた。

「センパイ以外なら嫌です」
「わ、私ならいいんですか……」
好きだからこそ、なのだろうか。
ここまで来ると愛が重いような気もする。


本人が嫌がってない、と心の中で自分に言い聞かせながら、
左手に持ったコントローラーを操作して、目の前の私へとIAさんを近づけていく。

周りの家具やフローリングを見ていたし、
キッチンスケールに表示された1/16という数値も見ていたけれど、
今のIAさんは私の想像以上に小さくて、
立っている私の足首に届くか届かないかというほどの背丈だった。

自分自身の片足を上げて、ゆっくりと後ろへ下がる。
膝を曲げて、腰を下ろして、ゆっくりとカーペットの上に座る。
そんな何気ない動作も、小さなIAさんの視点からは巨体の大移動だった。

座り込んだ私のすぐそばへと近づいて、私は私を見上げる。
ブロック塀のような太ももの先に、ビルのように高い上半身が続いていて、
何をされても簡単には抗えないような、そんな圧力すら感じる光景。

コントローラーを持っていない右手を伸ばせば、その親指一本で視界を覆ってしまえそうで。
その人差し指をゆっくりと背中へ回せば、簡単に持ち上げられてしまえそうで。
IAさんの視点を通して、IAさんの小ささを確かめていく。


ふらりふらりと右手を漂わせていると、
「触ってくれないのですか」
IAさんがどこか不満そうな声音でぽつりと呟いた。

「加減ができなくて、ぷちっと潰しちゃうかもしれませんよ」
わざと右手を顔の前に出しながら、脅かすように答える。

「なら、私の方から触れれば潰れる心配はしなくていいですよね」
そう言いながらIAさんは私の右手に近づいて、そっと頬を寄せた。



05:夢のあと


付けていたゴーグルとヘッドホンを外すと、いつもの私の視点が戻ってきた。
視線を動かせば、変わらず小さなIAさんが私を見上げている。

今まで何回か小さくなったことがあったとはいえ、
1/16になったIAさんの視点から見える景色は何もかもが巨大だった。
しかもその上、その"巨大"の中に私自身が居たなんて、
改めてすごく不思議な体験をしていたのだと思った。

ゴーグルをテーブルの上にそっと置きながら、気になっていたことを聞く。
「IAさんがアンドロイド……ロボットなのはとてもよく分かりました。
 でも、髪も肌も人間としか思えませんし、それに心臓だって動いてますよね……」


「身体の大半が生体部品で、基本的には人間と同じく心臓で動きます。
 人間に混ざって行動するものである以上、人間であると認識された方が良いので」

テーブルの上で三角座りをしながら、IAさんは淡々と話し始める。
自分自身は人間の感情を学習する為に作られたものであること。
本来であれば異性との恋愛が達成すべき目的であること。
いつの間にか同性の私に対しての感情が大きくなっていたこと。

一通り話し終えると、IAさんは立ち上がってテーブルから飛び降りた。
冷たいフローリングの上を歩く小さな姿。
私には、その後姿にかける言葉が見つからなかった。


長い、長い沈黙の後、
こちらに背中を向けたままIAさんは元の大きさへと戻っていく。
白い髪が後ろへと流れながらこちらを向いたIAさんは、
哀しいような嬉しいような、複雑な顔をしていた。

「IAさん」
呼ぶわけでもなく、ただ口から零れ落ちた声。
「ゆかり、センパイ……」
戸惑いがちに、釣られて口から漏れ出た声。


同じことを考えていたら嬉しいな、
そう思いながら言った言葉は、とてもきれいに重なった。
「「さっきの続き、しませんか」」