元服



 村に産まれる娘は、少しだけ特殊な成長をする。
産まれてすぐから、三歳を頂点として五歳までの間にほぼ大人の体つきとなる。
身長に関しては、十五歳を前にして一旦成長を終える。
元服の後に大きく成長をし、初産で最後の成長をし、一生そのままとなる。
元服の時に与えられる物が、その成長を大きく左右するといって過言ではない。

 竜天女様に血を頂いたなら、それは非常に幸運と言える。
とはいえ、全ての者がその血の恩恵に預かれる訳ではない。
多くの者はその身体を健康にし、力を増強するにとどまる。
それだけでも有難い事ではあるのだが、稀にその身体を大きく成長させる事がある。
今の村長、お雪とおみつ、この二人が今この村でその恩恵を受けた女衆である。

 巨大な影が二つ、その真ん中に大きな影が一つ、大きく手を振って見送ってくれていた。
何度か振り返り、笑顔で手を振り返す。
巨大な影が坂を下ることで見えなくなった頃、俺は笑顔で大粒の涙を零していた。
もう二度とここへは帰って来れないと確信をしていたからだ。
優しい母、美しい姉、素晴らしい村長様、その応援に応える事は出来ない貧相な体。
一歳に未たらぬ姪にすら、勝てない俺が大きく育った娘達の相手になる訳がなかった。

 八人の娘達は可愛く、優しく育っていた。
今日、十八人の十五歳になる男達が、その八人の娘達に立ち向かって行くのだ。
到底一人として勝てる筈はない、ただ俺はこの日に向けて少々小細工を仕掛けた。
そしてその行為に深く反省をしている。
純真無垢な娘達を洗脳紛いな行為で、俺を勝たせる様にとした事を。
その行動をはじめて三ヶ月もしないうちに、俺は良心が痛み、たまらずに改心した。

 それからというもの、昨日の夕方まで娘達を本当に大事にし、心で詫びてきた。
ただ、七人の娘達には俺の最後のお願いをした。
出来うるなら、十七人のか弱き男達を助けてやってくれと。
ただ一人、その事を伝えられない娘がいた、さなえである。
真っ直ぐな性格は、不正を嫌い、真面目一徹ではあるが、心根は優しく美しい娘だ。
八人の娘の中でも、その身長は一際大きく溢れる力を持て余していた。

 なんだかんだ言いながら、俺は最後まで不正をしようとしていた。
俺よりも小さな体で片手でも捩じ伏せられそうな十七人の男達。
彼等を生き延びさせようと画策していたのだ。
それこそ、いつどこでその命を散らせるか分からぬが、元服だけでも成就させてやりたい。
俺はもう既に十分な体験をしてきている、彼らはまだほとんど何も知らない。
この世にある快感も苦痛も、まだたいして知りもしないのだ。

 十七人の男達にも言い含める事がある。
もし生き延びたいのなら、己の誓いを娘にたてろと。
俺たちの元服の儀式は、娘達との奉納相撲である。
山の頂上、祠の前で竜天女様に見て頂くのだ。
そのさなかに小手先の策を弄しようというのだ、ただでは済むとは思わない。
それでも何とか多くの仲間が助かるのなら、それを試さない手はないと思った。
”一生を懸けて、お前のことを大事にする” 組み合った時に耳元で囁けと。
俺と姉ちゃんの姿を見ていた娘達は、それがどういった意味かを理解できるだろう。
小さな俺が大きな姉ちゃんにした事は、娘達にとって驚くべき事だったのだ。

 十二年の後に、自分達が元服をする時に助けてくれる男達がいる。
その事を十分理解出来るだけの知恵はある、皆、賢い娘たちだ。
さなえだけはそういった事を、赦せない性格なのはわかっているし、自分で抑制するだろう。
多分心配はない、だからこそ俺一人の犠牲で全てを上手くいかせられそうなのだ。
過去に相撲で一人の娘だけで全てを勝ちきってしまった事があった。
それ以降、勝ち負けは別に、何人目かで交代をする事となっている。
相手の順番を決めるのは男の側で、男は自分達の順番も決める事ができる。
それ位の条件を付けても一切有利とはならない。
ただ、相手になる娘を選べるだけであった。

 俺が一番最初に企んだのは、この条件で手懐けた娘とあたり勝ちを譲らせるものだった。
それも今となっては恥ずかしい思いでしかない、純真な娘達を見て自分の汚さを知った。
それ以降は優しさを育てる様に、娘達と接してきた、そして皆が優しい娘と育っている。
その娘達に汚れを擦り付ける様な気持ちで、今日の事にあたるのだがもう迷いはない。
ひ弱な男達は、ほとんど見た事もない奴もいる、外に出ることもままならないのだ。
今を生き残っても、あっという間に散る命かもしれない、それでも娘達の為になるのなら…

 娘達の順番を決める時が来た、俺が代表で申し出る。
「背の高さの順で、低い者から先に御出まし下さい」娘達は神の使いであった。
山の麓に集まった男達は、ふぅふぅ言いながら頂上を目指す。
昼前に着けば上出来だろう、へたばった奴に肩を貸してやりながら頂上を目指す。
娘達は山の反対側から俺の希望の順番を聞き、一人ずつ褌を付けてたたたっと走って登る。
息を切らせる事も無く、頂上まであっさりと走りきり湧き出す水を一口ずつ飲む。
この水は湖に流れ込み、その湖から四方に流れ落ち川となり、四つの村へと流れていく。
川の水を飲むだけでも、力が湧くという御神水で、湖で飲めば疲労回復身体頑強と言われる。
湧き出す物ならば気分高揚肉体強化剛力無双となれるとされていた。
もともと無敵の娘達が、である。

 当然俺達が飲んでも咎められる事はない。
ただそれを飲んで効きすぎて死んでしまう者もいる。
強力な効能に体がついて行かないのだ、せいぜい霊力の薄まった下流の川の水で精一杯だ。
それでも無いよりはましと、皆が竹の水筒に川の水を汲んで首から下げている。
それも山を登りきる前に全て飲み尽くして、疲労困憊の状況で頂上に着く体たらくだ。
去年の元服では、六人の男が生き残らせてもらえた、二十八人のうちで六人だ。
相手の娘は六人と少なかった為に最後の一人ずつ、六人が見逃して貰えたと言ってよかった。

 今年の元服は少なくとも八人は戻って来るだろうと予想されていた。
その八人の中には俺が一番に挙げられていた、姉ちゃんも母ちゃんもそう信じていた。
俺の小細工を見透かしていたからそう思うのも仕方がない。
村長様もそう信じているようだった。
とにもかくにも、俺の狙い通りに進む事を祈るだけであった。

 娘達は早々に祠の前でお祈りを済ませ、力水を飲み準備万端で待っていた。
にこにこと笑い、きゃっきゃと嬉しそうに騒ぐ娘達、男達の運命を握っているとは見えない。
当然、娘達はこの後負けた男がどうなるかは知らされてはいない。
軽い罰でも与えられて、山を降りてくる程度にしか思ってはいない。
そういう風に教えられている事もあり、真実を知らないのだ。
ここで負けた男は、千人に一人も帰っては来れない事を。

 頂上についた俺は、四人程の水筒を集め湖の水を少しだけ汲んだ。
そこに川の下流の水を継ぎ足して、薄めて飲めるようにし皆に少しずつ分け与えた。
湖の水も男にとっては猛毒で、薄める事で何とか飲めるようになった。
その効果も薄まるが、男達にとってはまだ強すぎるかもしれなかった。
様子を見ていてなんとかなった事に安堵を覚えた。
疲労に青ざめていた男達が、明るい顔色に戻り少し気分が高揚しているようだった。
ただそこで浮かれて娘達に勝てるなどと勘違いされても困る。
相手が本気を出せば、張り手一発であの世まで飛ばされてしまうのだ。

 娘達は取り組みの順に土俵の向うにずらりと並んで座っている。
背の高さという申し出をちゃんと聴き、並んでいる事に少し安心した。
こちらも俺が順番を決めて土俵の前に座らせてゆく。
どの男を見ても俺にすら適いそうにない、ひ弱そうな男達であった。
俺達は前もって儀式の執り行い方を教わっていた。
一番最初に土俵へ上がる者と、一番最後に上がる物が一緒に上がり祝詞を上げる。
その後に、最後の者が土俵を降り、最初の物が土下座をし娘に土俵に上がって頂く。
大きな声で土下座をしたまま御願いをし、聞き入れて頂くまで続ける。
これにも決まりがあり、一度目は聞き流さねばならない、御出ましは容易くない。

 二度目、三度目でゆっくりと立ち上がり土俵の外に立って待つ。
その姿を見て男は大きくお礼を述べ、もう一度土下座をする。
その男を見下ろして土俵へと入り、土下座をする男の上に塩を撒く。
男は塩に清められてやっと立ち上がる事を許される。
その後は普通に相撲の立会となる、しかしこの後は娘に決まり事がある。
男がしっかりと組み合うまでは立ち上がってはいけない、当然手をだしてもいけない。
普通なら、これで男の勝ちは揺るがない物となるのだが、そうはいかない。

 しゃがんだままの不安定な体勢の娘に、全力でぶつかろうとゆらりともしない。
大きな体にしがみつき、まわしに手を回す事も出来ずに娘が十を数えるまで足掻く。
娘は男がしがみついた瞬間から十を数えれば、自由に動いても良い。
その間に娘を倒せるなら生き残れるのだ、だがまずそれは望めない。
急げば百数えられそうな時間で十を数える娘達はその後にゆっくりと立ち上がる。
首に纏わり付いたままなら、引っ掴んで引きはがし、土俵に叩きつける。
ぽたりと離れたならば、大きは平手がその胸を押し潰し土俵の上から転がり落ちる。
足がぶんと振り出されて、両足をあっさりと刈られ、その場で一回転し土俵に叩きつけられる。
過去に何度もあった取り組みの例である。

 娘がしゃがみこみ、最初の男も震えながらしゃがみこむ。
俺の言った事を上手く言えればなんとかなる、一番手のおはるは特に優しい娘だ。
俺を好いてくれていて、奉納相撲を勝たせてくれるとまで言っていた。
さぁ、おはるに誓うんだ、お前の生涯を捧げると、おはるにはそれだけの値打ちがある。
震える男が胆を据えたのか、ぐいっと立ち上がりおはるの首にしがみついた。
「い~ちぃ、に~いぃ、さ~んっ…」
おはるが数え始めると同時に、男はしがみついたまま耳元へと近づいて何かを言った。
「し~いぃ、ご~おぉ、…」
そこまで数えるとおはるは顔を赤くしてぺたりとしゃがみ込んだ。

 その様子を見て皆が驚く。
一番驚いているのはおはるだったが、赤い顔は俺と姉ちゃんの事を思い出しての事だろう。
あの時の羨ましそうな顔は今でも忘れられない。
そのまま続けて二人目が土俵に上がり土下座をする。
ぽぅっとしたおはるは塩を巻くのに力を入れ過ぎて、男の後ろへと撒いてしまった。
その様子にけらけらと笑う娘達、おはるはさらに頬を赤らめている。

 三人目と取り組みを終えたおはるは、名残惜しそうに土俵を降りた。
三人に負けたというのにとても嬉しそうであった。
娘の二人目はゆみ、土下座で御出ましを願う男は必死で声を張り上げている。
ゆみは二人に負けて土俵を降りた、その表情は明るくはにかんでいた。
七人目のはなが十七人目の男に負けたとき、大きな怒声が頂上に響きわたった。
「おまえら、何を手を抜いておる! 誰一人勝てぬとは、おかしいだろう!」
それは真っ直ぐな性格のさなえの怒りであった。

 負けた上ににやにやと嬉しそうな仲間が許せなかったのだ。
それに皆、土俵をなかなか降りたがらない。
自分の相手は後たったの一人となっているのだ、自分なら纏めて倒してやったのに。
皆が負けても嬉しそうなのが許せない、そして後ろで何か企んでいる奴がいる。
そんな企を持って大事な神事を汚すものが許せないのだ。
大きな体を怒りに震わせて仁王立ちのさなえに、はなは驚き恐る恐る土俵を降りた。

 最後に残った俺が土俵に上がり、土下座をし本日の取り納めの祝詞を上げる。
その後に、最後に残った娘へ丁寧に御出ましを願う。
一度目の御願いの途中に、地響きを立てて足が土俵を踏みしめた。
ぱらぱらと土が背中に降りかかる程、土俵に足を突き立てる。
さなえの怒りは頂点に達している、段取りなどを忘れるほどに。
ずばしぃっ、叩き付けられる塩が背中に刺さるかと思った。

 俺はさっさと立ち上がり、最後の取り組みまで御相手して頂いた礼を述べる。
仁王立ちで怒りに顔を真っ赤にしたさなえの耳には届いてはいない。
俺はさなえにぺこりとおじぎをし先にしゃがみ込んだ。
それを見下ろしていたさなえもゆっくりとしゃがみ出す。
七尺六寸の大きな体は怒りに震えたままで、俺を覆い被せるようにしゃがんでいる。
「なんでじゃ、辰兄ぃ、なんでこんな小細工を…」
頭上から震える様な小さな声が俺を押さえつける様に漏れ聞こえた。

 俺はすっと立ち上がりさなえの首にゆっくりと腕をかけた。
「いち、に、さん、」
素早く数えるさなえの耳元で手短に囁く。
「しぃ、ごっ」
「さなえ、すまん、俺が悪い、皆を助けたかった」
「ろく、なな、はち」
「お前の事が好きじゃった、いや、皆が好きじゃった」
「き、ゅ、うぅ、じ、ゆぅ…」
「お前らを騙してた俺を許してくれ、お前の手でけりをつけてくれ」
「う!」

 すっくと立ち上がったさなえの首に俺はしがみついた。
足は地面から離れぶらぶらと揺れていた。
ぐいっと大きな手で腕を掴まれて引き剥がされた。
さなえは腕を掴んだまま俺をじっと睨みつける、次の瞬間大きな手の平が俺を張った。
それは軽く平手で張った物だったが、俺は頭を持って行かれるかと言う衝撃であった。
くらくらする頭でさなえの顔を見て驚いた。
その両目からは大粒の涙がこぼれていた。

 「辰兄ぃ、わしを最後にしたのなら、なんで最後まで残った」
さなえは俺と取り組みをしたくなかったのだ。
自分の性格上、わざと負ける事など出来る訳がないと知っていてなぜあたったのかと。
「わしも辰兄ぃが好きじゃ、それでもわしは負けるわけにはいかん」
今度は軽く手の甲ではたかれた、それは意識を刈り取られそうになる程の物だった。
「誰一人、男に勝てんなど、天女様が許してくれんわ…」
そうだ、俺は天女様にまで小細工を弄しているのだ、厳罰は覚悟している。

 「さ、な、え… おまえが、勝てば、えぇ… 俺を、打ち倒せ…」
「なんで… なんでわしにそんな役目を…」
「おまえ、は、真っ直ぐで、優しい、良い娘、苦しめとうは… なかったが…」
「苦しいよぅ、辛いよぅ… 勝つ事がこんなに悲しいなんて思わなかったよぅ…」
「す、まん、さなえ、おまえが、良い子のお前が、好きじゃ」
「辰兄ぃのあほぅ!」
俺をその場に投げ捨ててさなえは土俵を走り降りてどこかへといってしまった。

 元服の義は終わった。
男達は娘と共に山を降りてゆく。
さなえは一人、泣きながらどこへ行ったのだろう。
俺は土俵の上に倒れたまま動くことも出来ずにいた。
さなえの力はそれ程までに大きく強いものであった。
夕暮れは空の色をくるくると変え、紫と朱色の混じった美しい物に変わった。
姉ちゃん、ごめんよ、母ちゃん、ごめんよ、俺、元服できなかった…
多分こうなるって薄々感じていたんだ、姉ちゃんの元服から三年、
悔いの無い様に生きてきたつもりだ、ごめんよ、許しておくれ。
皆、俺の分も長生きしておくれ…