翌日。
朝のHRで僕は開いた口が塞がらなくなったので、仕方なく肘を突き手の上に顎を乗せて冷静に対処した。
でないと開いた口から奇怪な声が漏れだしていただろう。
「転入生を紹介します。はい自己紹介」
「黒瀬ななこです。よろしくお願いします」
なにそれ聞いてない。
というかモデルが花弓さんだろ!年齢詐称ぎわ……
「じゃあ、黒瀬さんの席は……」
「ここでいいです」
そう言ってななこは僕の右斜め後ろに立ち尽くす。教室中がポカーンと呆気に取られた。
「いいわけないだろ」
ようやく僕が突っ込む。
「しかしマスターの……」
「っ!!マスターって言うな!」
しかし時既に遅く、僕=マスターの図式は教室内で完成してしまっていた。
ヒソヒソと僕に視線が集まりつつ冷めた会話が広がっていく。そしてそれは美瑚のところにまでしっかりと届いていて、僕が見ると静かにブチ切れているのが分かった。
一応離れて席が決まったものの、HRが終わると右隣の女子が自主的にななこと交代するという。
「いや、待って!そこまでしなくていいから!」
「いいのいいの。私と黒瀬さんの仲だから。春日井君は黙ってて」
今日転校してきた子との間に何があるとそんな仲が芽生えるのだろうか?
しかも前から知ってる、のとはワケが違う。何せななこが生まれたのは文字通り昨日なのだから。
だが、黙ってて、とまで言われたら何も言えない。後半がとても冷ややかに聞こえたのは僕の被害妄想なのだろうか?
「おはようございます。マスター」
そんな僕の気持ちなんか知らずに、ななこは呑気に挨拶をかましてくる。
そしてそれに答える前に美瑚がななこに突撃していた。
「黒瀬さん……!?」
美瑚の顔はにこやかに笑っているが、声は低くドスが利いている。
「光穂(強調)と!!どういうような関係で!?」
ストレートだった。教室中がHR後の小休憩だと言うのに静まりかえる。
「あ――」
「光穂は黙ってて!!」
一言すら喋らせてもらえない。
やめろ!マジでやめろ!頼むから言うな!やめてくれ!
僕の必死のアイコンタクトにななこが大きく頷く。だがあの顔は全く分かっていない顔だ!
「我が主です。そのためだけに私が居ます。それ以上に何か?」
「なんでそういうことを言うかな!?」
思わず頭を抱える。
「光穂!!!どういうことよ!!!」
知らんがな……
「今まで一緒に過ごしてきたけど!全然聞いてないわよ!!」
こっちも聞いてないの。大体ななこに会ったのは昨日だしねー。
はやし立てる者、遠巻きでヒソヒソする者、近くで何も言わずにニヤニヤする者、etc etc……
美瑚も周りの声や状況が頭に入っておらず、普段なら絶対に言わないようなことまで言い出す。
僕の右側にななこが、左側で美瑚が、二人の視線が頭の上で対峙。美瑚お前自分の席へ戻れ。
HR後の小休憩だったのが幸いだった。教室のドアが開いてすぐに先生が入ってくる。(僕だけ)異様に気まずい雰囲気の中に救いの手が……
授業担当の先生じゃない?
「1時間目自習なー。急用だからプリントも何もないけど騒ぐなよー」
終わった……
僕は再び頭を抱える。
頭の上では再び言い合いが始まった……
「あなたいつから光穂の周りに居着くようになったのよ!?」
「生まれたときからです」
嘘は言っていない。確かに嘘じゃないが、言葉が足りないだろ!
だがそれを補足すると色々とアレだ。
「光穂!私そんなの聞いてない!」
美瑚が必死になって僕を責めてくる。
「あー、んー……あれだ。美瑚も色々知ってるワケじゃないだろ?」
「知ってるもん!!」
色々上げていく。
「誕生日は7月27日でしょ。好きなものは甘いもの全般。嫌いなものは無いけど苦手なものは熱いもの、猫舌だから。前に1回あっついコーヒーを出したら怒られた。私と志保が作るケーキとかお菓子が好き。よく家に持って帰っておじさんにも喜ばれてる。小さい頃――」
「おま!ちょ!そんなことは言わなくていいから!」
「なるほど覚えました」
「覚えなくていい!!」
「そうよ!今更覚えたって遅いのよ!」
「遅いと何か悪いのでしょうか?」
まあ、悪くはないか。
「それにその程度のことで一々自慢されても困ります」
挑発されても困ります。
「何よ!じゃあ光穂が小さい頃作りたての味噌汁が飲めずに氷を入れてたことも知ってるの!?」
「お前!それは!」
教室中が爆笑の渦に包まれる。
「今は大分マシになったんだけど、そのことを冷やかしたら十日ほど口聞いてくれなかったりしたんだから!」
恐らく耳まで真っ赤になっていただろう。大爆笑の中、必死に美瑚をなだめる。これ以上暴露されたら堪らない。
「いいから!美瑚!そんなこと!教え!なくて!いいから!」
言い方を変えてみた。美瑚もハッとしてそれ以上喋るのを止める。その隙に今度はななこの方にも釘を刺しておく。
「一応授業中だから、ななこさんもこれ以上美瑚を挑発しないで」
「ちょっと!!」
「え?何?」
美瑚が超反応する。何か言っただろうか?
「なんで黒瀬さんのこと名前で呼んでるのよ!?」
「……いや、お前のことも名前で呼んでるだろ」
「私はいいの!」
意味が分からない。
「だから!光穂は!このヒトと!どういう関係なの!?」
「…………」
言えない。言えるワケがない。だってこの方、ヒトじゃないんだもん。
「言えないの!?」
「えーと……だから、その……あー……そのね?」
「先ほども言った通り、マスターは私の主です。そのことに誇りも持っています。貴方みたいにマスターを困らせているだけのヒトではないのです」
「なんですってえええ!!!」
美瑚の怒りに火がついたのが分かる。もう止まらない。
「うるさい!お前等!!」
美瑚が何かを言い掛けたその時、教室のドアが開いて先生が顔を見せた。
「隣で授業やってるんだから静かに自習してろ!!」
蜘蛛の子を散らすように僕の周りから人が引いていく。
「美瑚、お前もとりあえず席に戻れよ」
「っ!……これで終わりじゃないからね!」
僕とななこに捨て台詞を残して、美瑚も自分の席へ戻っていく。
全員が席に着いたの見て先生は大きく頷き、もう騒ぐなよ、と静かに言ってからドアを閉める。
僕は大きくため息を吐いた。
 
 
そして昼休み。
ここまでの休憩時間、ひたすら言い合いを続ける二人をなだめ続けて逃げられなかったので、後生だからトイレに行かせてくれと言って部室に逃げ込む。
そして速攻で花弓に電話した。文句の一つでも言わないと気が済まない。
「もしもし!?花弓さん!?ななこさんが転入してきてるんだけど!?僕何も聞いてないんだけど!?」
「言ってないよ?朝決めたから」
そんな朝決めたからって、すぐ転入とかできるのか?
「ちなみにななこと繋がってるからね」
「まじで……」
「幼なじみだとか言い張るあの女の子のこと、後で聞かせてね」
………………帰りたくない……
心底そう思った。後から後から問題が増えてきて頭痛までしてくる。
ところが考える時間は少なく、カギを掛けた部室の前の廊下が騒がしくなってきた。
「光穂!居るんでしょ!?開けたらどうなの!?」
「マスター。マスターの後を付け回すこの女の排除命令をいただきたいのですが」
どうやら見つかったらしい。
「ほら来たよ!どーすんの!?」
「知らない。じゃね」
そう言って花弓は無責任に電話を切ってしまった。
もうイヤだ……帰りたい……帰りたくない……
どうする……?このまま能力使って逃げるか?
でもななこさん知ってるしなあ……無理か……
素直に開けることにした。
カギを外した瞬間にドアが勢いよく開き、二人が必死に入ってくる。
「光穂!学食行くわよ!」
「マスター、お弁当を用意していますので一緒に食べましょう」
二人が無理な注文を言う。
大体美瑚。お前普段全く誘わないくせにな!こんなときだけ張り合ってんじゃないっての。
「学食の作りたて暖かご飯の方が――」
「日本の手作り弁当は冷めても美味しいという常識を覆したもので――」
ぎゃーぎゃーと言い合いを始めた。もう本当に頭が痛い。
「ストップ!ストップ!ストーップ!!」
「なによ……」
「なにか……」
「美瑚、お前普段誘わないくせに何をそんなに張り合ってるんだ」
「…………」
「ななこさんも、僕も一応父親から昼食代貰ってるから別に構わないんで」
「じゃ!学食ね!!ほら言ったでしょー!!」
「…………」
美瑚が勝ち誇ったようにななこに言う。しかしななこは聞いていないかのように、じいっと僕を見ていた。
すると携帯に着信が。ちょっと待って、と言って見てみるとそこには花弓の名前。イヤな予感がしてくる……
「……もしもし?」
「光穂くん!?私が頑張って作ったのよ!?私の手作り弁当が食べられないって言うの!?断るって言うの!?」
……もう勘弁してくれ……
「せっかく二人お揃いの弁当にしたのに……」
見ればななこも自分の分を持っている。都合三人前作ったのか……
「……食べてくれないと、これからそっち行くから……」
「!!?ちょ!……あ……」
不気味な言葉を最後に呟いて、花弓からの電話は切れる。
ななこは今の会話の内容を知っているのだろう。にこにこしながら僕を見ていた。
「どうしたの?」
携帯を持ったまま固まって動かない僕を不思議そうに美瑚が見てくる。
「早く行こうよ」
「美瑚……」
「うん?」
「悪いけど、偉い人からの指令で学食は無しになった」
「はあ!?なんで!?」
「ほら?言ったでしょう?」
今度はななこが勝ち誇ったかのように言う。
「ちょっと!どういうことよそれ!」
「いや、その、な?脅しに屈して……」
「何なのよ!説明しなさいよ!」
声のトーンからして、弁当を食べなければ花弓は必ず来るだろう。そうなったらもう手がつけられない。収集がつかない。
「……私は……光穂と一緒にご飯が食べたいだけなのに……」
美瑚が俯いて泣きそうな声で呟く。
「じゃあ食堂で弁当食べたらいいんじゃないかな!?みんな仲良く!」
「あぁ?何言っちゃってんの?仲良くなんて出来るわけないでしょう?」
携帯着信。
「食堂行ったら行くから」
通話終了。
………………もうどうしろと……
「いいわよ!ふん!そんなに学食行きたくないならこっちにだって考えがあるんですからね!!」
そう言って美瑚は自分の携帯を取り出す。
「もしもし千秋ちゃん!?大至急昼ご飯買ってきて!二人分!超特急で!」
パシリ……だと……?
「二人で仲良くお昼ご飯なんて、絶対にさせないんだからね……!」
美瑚が気迫を込めて言う。思わず圧倒されてしまった。
そして部室のドアが再び勢いよく開かれる。
「はい先輩!来ましたよ!」
速っ!
おい、しかも美瑚の奴、場所言ってないのに部室まで来たぞ!?
「ついに私と一緒にお昼ご飯を食べて――なんでお前が居るんだよ」
前半と後半で声の質が全く違うという芸を見せて、美瑚の後輩の桃原千秋が現れた。
「ありがと千秋ちゃん。はいこれお金」
「ちょっと先輩!二人分って私のじゃ……」
「違うわよ」
「ぐぐぐぐ……」
なんでこっちを睨むんだよ……
これじゃ逆恨みもいいところだ。ななこはななこで狭い机の上に、勝手にお弁当を広げている。
「はいマスター、どうぞ。あーん」
いや、自分で食べれるから。
「はい光穂、お弁当とお茶」
なんで無理矢理持たせにくるの?
「絶対に許さないからな!!」
僕別に悪くないよね!?
三度、部室のドアが勢いよく開かれて千秋が駆けだして行った。捨て台詞というより、呪いの言葉みたいなものを呟きながら。
「購買で買った弁当なんかより手作りのほうが美味しいに決まっているでしょうに」
「冷えても美味しい云々はあなたの言葉でしょ!もう忘れたの!?しかもこっちはまだ暖かいんだからね!」
「マスター、愛情の代わりに添加物が入ったものなんて食べなくてもいいです」
「だー!もう!!」
うんざりしながら昼食を二人前食べ、午後は動かずに過ごした。
動けずに過ごした。
 
 
放課後。
「担任の先生が部活に入れと仰ったので、マスターと同じ部活に入ることにしました」
それは分かった。
「こいつが光穂と同じ部活に入るとかほざくから私も入ることにしたわ」
なんか意味あるのか?
「先輩がクラブ辞めたからお前が居るけど入ってやる」
帰ってくれ……
三者三様の入部希望理由を聞く。残念だがこの部に拒否権は無い。
僕が部長を勤める写真部は、人数だけは多い。が、部員は全て幽霊である。俗に言う、帰宅部専用みたいな感じだ。
この部は代々2年生が部長を勤めるとこになっているのだが、僕はその部長特権を生かして部室棟隅の道具置き場兼部室を半私物化している。
そして今日、新たに新入部員が三名。
「よし、じゃあ帰るか」
「え?何もしないの?」
美瑚の疑問ももっともだ。しかしこれには色々と理由がある。
「写真部が活動してるのを見たことあるか?」
「……ない」
「んじゃなんで部室まであるんだよ。お前学校の貴重な部屋を私物化してるんじゃないだろうな?」
先輩を先輩と思わぬ発言をさっきから繰り返す千秋。前から気付いていたが、コイツは僕のことが嫌いらしい。
「お前はこれが部室と呼べるのか?」
部室棟の隅の隅。小さな部屋に窓が一枚。それ以外の壁は全て棚になっていて、その全てに他の部の備品が詰まってある。
棚に入りきらない分は床に置いてあり、今日お弁当を広げた小さな机の上まで占領してあった。
椅子はパイプ椅子が5、6個。普段は畳んで片づけてあるが、今日は四人も座っているので狭苦しいことこの上ない。
ごちゃごちゃとした雑然とした部屋なのだが、これでも綺麗になったのだ。
「写真部の主な活動を教えてやろう」
そう言って僕は立ち上がり、座っている三人を見回す。
「これら備品の管理整頓。今のところ全部把握しているのは僕だけ。先生もよく来る。前の日くらいから予約してくれればすぐに掘り出せるけど、急に言われるとちょっと困る。家捜しするくらいに見つけられないときも多々ある。これ手伝ってくれるのか?」
千秋はNoと首を振り、美瑚の顔は歪み、ななこに至っては物も言わなくなった。
「体育祭文化祭のときは忙しい。むしろ終わってからが一番忙しい。平時は先生がよく来る。一日平均2、3件。今日は少なくて1件。もう掘り出して机の上に置いてある」
そう言って指さすと三人とも机の上の美術用品を見る。
「これでも私物化してると?」
千秋は何も言わずにそっぽを向いた。
「では私が」
そう言ってななこが挙手。
「掃除は得意です。お任せください」
まあ、元々お掃除ロボットだもんねー。
「私もやるわよ!!」
美瑚も張り合って手を挙げる。
「お前、整理とか片づけ苦手だろ……」
「そんなこと無いもん!」
「嘘付け、自分の部屋見てからモノ言え」
実際、美瑚の家事手伝いの領分は炊事であり、掃除洗濯は若干苦手の部類に入る。反対に妹の志保は、料理がイマイチで掃除洗濯をてきぱきとこなす。
「き、昨日はちょっと……そ、その光穂が急に家に来たから!」
「っ!マスター!?」
「先輩!こんなのを!?」
「お前はひたすら失礼だな」
携帯着信。
「どういうことよ!?」
「ごめん、後で説明します」
通話終了。
昼過ぎからもうずっとこの調子だった。美瑚が何かを言う度に花弓から電話が掛かってくる。花弓さん、ホントに大学行ってんのか?
「普段はもっと綺麗に片づいてるの」
「志保がやってくれてるんだろうに」
「あ、そうだ!志保も呼べば楽になるよ」
「貴方が居る意味は無くなりますけどね」
「何よ……」
「何か……」
バチバチと火花を散らしながら睨み合う二人。ことあるごとに対立する二人にも最早慣れつつあった。ちなみに千秋は僕にメンチを切っている。
「あー!もう!気にくわない!!そんなに整理がしたければ一人でずっとしてればいいじゃない!!光穂!帰るわよ!」
「いや、まだ美術部が取りに来てないから……」
さっきに帰るかと言ったのは建前で、本音は心底帰りたくない。花弓の追求から逃れられる気がしない。
予定では「帰るか。あ、でもまだ仕事残ってるから先に帰っといて」と3人とも追い出すつもりだったのだが、あっさり失敗に終わった。
「じゃあ先輩!こんな奴放っておいて一緒に帰りましょうよ!どっかに寄り道でも――」
「帰りたければ一人で帰れば?」
美瑚に全く相手にされないので悲しくなったのだろう、千秋は両手で顔を覆ってシクシクしだした。
「大体千秋は何で私に付きまとうのよ……?」
お前、パシリにしといてそれは無いだろう……
少し千秋が可哀相に思えてくる。が、次の千秋の言葉で全てが吹き飛んでしまった。
「先輩をこんな奴に盗られるのはイヤなんです!!!」
立ち上がってもの凄い気迫で言い切る千秋。
ななこが盛大に吹き出した。僕と美瑚は二人で呆れかえっている。
しかし千秋は全く意に介せず続ける。
「先輩を魔の手から救いたいだけなんです!!」
ななこは俯いて爆笑しだした。お腹を抱えて笑いながら千秋に質問する。
「え?何?あなた、この女のことが好きなの?」
「先輩と私は深く愛し合っているんです!!!」
美瑚は無言で否定しているが、千秋は見向きもせずにななこに熱く語り始めた。
「女同士の愛情ってあるんですよ!そう、それこそが純愛とも呼ぶべきものなんです。
汚れなき、純粋無垢な、相手に捧げるだけの愛……」
千秋は窓辺でうっとりしつつ、左手を胸に当て、右手を斜め上に掲げ、明後日の方向を見つめながら、おかしなことを言い始める。
「この世で一番愛しい人とは同姓がいい。裏切ることなく、ずっと親友として側に居られるから…………
そう思っていた時期が私にもありました。でも現代っていいですよね!百合やら薔薇やらが咲き乱れてて!!」
咲いてもないし乱れてもないよ。
美瑚は青ざめた表情で、ななこはひたすら爆笑して、僕は呆然として千秋を見つめる。ここまでトチ狂ってるとは思っていなかった。
「だから!!」
思いっきり僕を睨みつける。
「先輩をお前になんか渡さない!!」
「どうでもいいし興味もねえよ!!」
「なんですってえええ!!!」
何故か美瑚が過剰反応した。そして僕の後ろに回り込んでチョークスリーパーを掛けてくる。
「マスター!!」
今度はななこが美瑚の後ろに回って、同じようにチョークスリーパー。
「うぐぐぐぐ……」
美瑚の腕をタップするも締め付けは一向に緩まない。
さらに動けない僕に千秋が追い打ち(トドメ)を掛けてきた。
「チャンス!!」
熊も一撃、とまで噂されるマッハキックが鳩尾に突き刺さる。
「ふぐっ…………」
悶絶。
同時に美瑚の締め付けも緩み、僕は床に倒れ込んだ。
すると、さらに僕の目の前に美瑚が倒れてくる。どうやらななこが締め落としたらしい。
見慣れた幼なじみの顔が、あまり見たくはない表情で目の前に転がっている。
「ちょ!先輩!あなた!なんてことするのよ!!」
「それはお互い様でしょう?」
今度は千秋とななこでにらみ合いを始めた。
「先輩の仇……この恨み晴らさでおくべきか……!」
「真の敵は貴方のようですね・・…!」
ドッタンバッタンと暴れ出す二人。あぁ……部室が……整理が……
止めてくれ、の声も出ず、最早諦めるしか無かった。
「ちーす!美術部でーす!頼んでいたものを取りにうおわあ!!」
部屋の惨状を見て美術部員が悲鳴を上げる。そしてそれと同時に二人のバトルも終わりを告げた。
二人が暴れていた時間こそ短かったものの、部屋が散らかるには十分で……
もう少し早く来てくれていたら……
そう思って僕はため息を吐いた。
 
 
「はぁ……」
私は大学へ行く途中でため息を吐いた。
エリに車で送ってもらったほうがアイツに見つからなくて安全なのだが、それをすると理由を言わなければならなくなる。
エリや比美香、それに光穂くんに嘘は言いたくなかった。言いたくなくなった。
いつか言わなければいけない時がくる。が、それまでは隠しておきたい。
それにゆっくりと歩いて大学へ行くのが好きだった。
今、私が、この時代に、居る。そう実感できた。
しかし今日の私は超絶に沈んでいる。そしてその原因は昨日の光穂にある。
学校が終わった光穂を呼び出し、美瑚のことを問いつめてみたものの、幼なじみで神社の巫女さんということくらいしか分からなかった。上手くはぐらかされた気がする。
結構突っ込んで聞いていたら比美香とエリがヒソヒソ話をしているのが聞こえてきた。
「そんなに気になるのなら光穂ちゃんに繋げばいいのにね」
「そしたら私生活なんて丸わかりですのにね」
光穂も聞こえていたのだろう。黙り込んでサーと青ざめるのが傍目にも分かった。そこで初めてやりすぎたと実感する。
「わ、私だって!四六時中怪人状態で居るわけにはいかないのよ!」
「じゃ、じゃあななこさんは?」
「ななこは私に似せて作ったから繋ぎやすいの。さらに光穂くんの失敗を生かして、ななことは通常状態でも繋げるようになってるの」
「流石花弓様!転んでもただでは起きない」
「比美香?転ばせたのは誰かしら?」
「ごめんなさい!」
「そ、それに、その……」
私は思わず目を反らしてしまう。
「光穂君と繋ぐのは、恥ずかしくて……」
「…………」
「…………」
「…………」
「と、とにかく光穂くん!?そんなことは絶対にしないからね!!」
「え?……あー、はぁ……」
光穂の曖昧な返事を聞いて、これは信じて貰えてないと実感。
不味い……どうしよう……どうしよう……このままだと……
その後は光穂を信じさせるのに苦労した。
「……はあーあ……」
本日何度目かも分からないため息が出る。
「おっはよー!花弓!」
そんな私の悩みなんか吹き飛ばすような声がした。私は声の主の方を見て挨拶を返す。
「あー、おはよう、瑛子」
私は瑛子が追いついてくるのを待ってから、二人で並んで歩き出した。
「どうしたー?暗いぞー?」
瑛子が私をのぞき込んでくる。
「んー、まあねー……」
「昨日まではウキウキしてたのになー?」
「ちょっと色々あってね……」
そうすると瑛子は、ハハァ、と分かったような顔をして冷やかしてきた。
「さては……男絡みだな?」
「ち!違うわよ!」
「あー、あやしー」
私は瑛子の目を直視出来ずに俯いた。顔が真っ赤になっているのが鏡を見なくてもわかる。
「よしよし、ちょっと言ってみなさい。お姉さんが相談に乗って上げるから」
そう言って勝手に肩を組まれ、私を揺すってくる瑛子。俯いている私の視界の端で、瑛子の馬鹿みたいな巨乳が揺れて実にウザい。
「このー!!」
我慢できなかった。
「ちぎってやろうかー!!」
瑛子の胸をひっ掴み思いっきり引っ張る。
「痛い痛い!なにすんの!」
「瑛子なんかに私の悩みなんて分かりませんよーだ!」
「なんですって!?」
「悔しかったら彼氏でも作って紹介してみなさい!」
「…………」
瑛子の目元が暗くなったのが分かった。
「ふ……ふふふ……」
……あれ……雲行きが……
私は思わず後ずさる。
「花弓ー!」
「キャー!」
追いかけてくる瑛子から私は必死に逃げた。
 
と、今日のことを思い出しながら帰宅する。
「ただいまー」
玄関を開けて中に入ると光穂の靴が揃えて置いてあった。
あ、来てる……
それだけで華やかな気持ちになれる。
どこかな?
応接間からエリと光穂の声が聞こえた。
「ただいまー」
私は応接間の扉を開け、そしてそのまま固まった。
半裸のエリが脱いだ服を胸に寄せて前だけ隠し、そのむき出しの背中に光穂が触れていた。
「………………」
「………………」
「………………」
どさり、と鞄が落ちる。
「何してんのー!!」
二人に突進してエリを突き飛ばし、光穂に泣きついてポカポカと彼を殴る。
「きゃあ!」
「ばかばかー!!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいって!エリさん、怪我してるんですよ!?」
「え?」
光穂に指摘され、涙ぐんだ目でエリを見てみると、確かにエリは怪我をしていた。
背中や首に湿布が貼ってあり、所々ガーゼも見える。
さっき光穂が背中を触っていたように見えたのは湿布を貼っていたのだろう。
「イタタタタタ……酷いですよ花弓様……」
「あれ?どうしたのよそれ」
「町で魔法少女に合って、やられたそうです」
しかめっ面で痛そうにそこら中をさすっているエリに代わって、目の前の光穂が答える。
「水色にやられたんですよう……」
聞けば仕事帰りに単独行動の水色を発見。正々堂々と勝負を挑んだらしいが負けたらしい。
「で、這々の体で家にたどり着いたら光穂ちゃんとななこが居たので、こうして看病してもらってたワケです」
「そんなの!光穂くんじゃなくて、ななこに看病してもらえば良かったじゃない!」
何も光穂がエリの背中をさすらなければいけない理由がないだろう。
「ななこ!ななこはどこに居るの!?」
通常状態で繋いだままにできる、と言っても24時間常時はキツい。
「ななこさんは薬が足りないと言って買い出しに出ました」
「なんで光穂くんが買いに行かないのよ!」
「いや、言いました!言ったんですよ?でも……」
「でも!?」
「マスターを雑用に使わせる訳にはいかない、とか言って……」
「………………」
 
と、昨日のことを思い出しながらため息を吐く。
「はあ……」
時は昼過ぎ昼食後。大学のカフェテラスでコーヒーを飲みながら、私は物思いに耽っていた。
せっかくの午後の時間が台無しである。
エリもエリだけど、光穂くんも光穂くんよ!
いくら怪我してたって……は……は……はだ、裸は……ダメー!!
私は一人で目を瞑り、イヤイヤするように頭を思いっきり振る。
それからハッと気付いて慌てて周りを見回した。目立つところで目立つことは避けなけねばならない。
アイツもまさか私が真っ昼間からこんな大学のテラスでコーヒーを飲んでいるなんて思いもしないだろうが、それでもすぐ近くまで来ているのを肌で感じる。
見つかった時に私はどうするのか?
どちらを選ぶのか?
初めはそれを考えていたのだが、ネガティブな思考が巡り巡って昨日のことを思い出していたのだ。
応接間のドアを開けたときの光景がすぐ頭に浮かぶ。
背中側で前を隠していたといっても、見ちゃいけないところは見えるだろうし、光穂も男の子なので気になるだろうし。
それを抜いてもエリのモノは大きいのだ。エリが気付いていないだけでハミ出ていた部分もあるだろう。ふとした動作でチラッと見えたところもあるだろう。
それを……それを……
かれこれ一時間は続けていたと言うのだ!
なんで!?
どうして!?
なんでななこはもっと早く帰って来れなかったの!?
どうしてエリは勝てもしないのに勝負なんかしたの!?
なんで光穂くんが残って看病なんかしていたの!?
どうして光穂くんが呼び出しもしてないのに来ていたの!?
なんで!?どうして!?こんなときだけ!?
「はあーあ……」
本日何度目かも分からないため息が出る。
「お?花弓、もう食べ終わったの?」
底抜けに明るい声がした。この声は瑛子だろう。
私は瑛子の方を向いて返事を返す。
「うん、今食べ終わったとこ」
「……今日もなんか暗そうだけど?」
「そうなのよもう。ちょっと聞いてよ」
そう言うと瑛子は私の正面に座った。
「何かあったの?」
「あのね」
私は昨日のことを話し出す。が、全部言ってしまうと私がバカみたいだし、魔法少女云々は伏せておかないといけない。
「私の知り合いっていうか友達っていうか、姉妹じゃないんだけど、姉みたいな人が居るんだけどね?その人が不良に絡まれて怪我して帰ってきたのよ」
「え?それ傷害じゃん。警察警察」
「んー、でも、話を聞いてみた感じ、こっちも悪いみたいだからねー」
むしろ勝てない相手に正々堂々と挑んだエリが悪いだろう。
「てゆーか最近物騒なのよ」
「ホントホント。私も昨日絡まれたしさー」
「え?瑛子も?」
「うん。返り討ちにしたけど」
「……アンタ強すぎるのよ。だから男寄ってこないんじゃないの?」
「…………」
瑛子は俯いてしまった。
実際、瑛子に生半可な武力は通じない。どこかの道場の師範代だとか言っていた記憶があるが、それにしても強すぎる。
本人はおしとやかに振る舞っているつもりらしいが、言葉の端々から剛胆さが現れているような気がした。
「少なくともこの大学でアンタの強さを知らない人は居ないわよ?」
「ふ……ふふふ……」
……あれ?このパターンになるの?
冷や汗が私の背を伝って流れ落ちるのが分かった。
そして勢いよく顔を上げた瑛子と目が合う。最早笑っていなかった。
「許っさない!!」
「きゃー」
追いかけてくる瑛子から私は必死に逃げた。
 
と、今日のことを思い出しながら帰宅する。
「ただいまー」
玄関を開けて中に入ると光穂の靴が揃えて置いてあった。
あ、来てる……
それだけで華やかな気持ちになれる。
どこかな?
応接間から比美香と光穂の声が聞こえた。
「ただいまー」
私は応接間の扉を開け、そしてそのまま固まった。
スカートを上まで捲り上げた比美香と、そのむき出しの両足を観察するように触っている光穂がいた。
「………………」
「………………」
「………………」
どさり、と鞄が落ちる。
「何してんのー!!」
今度は二人を突き飛ばし、光穂に馬乗りになってボコボコと彼を殴る。
「きゃあ!」
「この!このお!」
「ちょ!ちょっと!マジで止めてくださいって!比美香の奴、怪我してるんですよ!!」
「……え?」
殴る手を止め、突き飛ばした比美香の方を見ると、確かに比美香は怪我をしていた。
手は包帯で指の先までグルグルになっており、足も痛々しいほどに切り傷擦り傷が蔓延していた。
さっき光穂が足を観察するように見ていたのは消毒していたのだろう。薬瓶とガーゼが転がっている。
「イタタタタタ……花弓様、どうしてこんな……」
「え?何?貴方こそどうしたのよ?」
「町で魔法少女に合って、やられたそうです」
涙ぐみながらフーフーと傷を吹いている比美香に代わって、下にいる光穂が答える。
「水色にやられましたあ!」
「え?昨日の今日で?」
「そうですう!」
聞けば学校帰りに単独行動の水色を発見。エリの仇、と奇襲をかけたらしいが返り討ちにされたらしい。
「で、足を引きずりながら歩いていたら光穂ちゃんに会って、それでおんぶして貰って帰ってきたんです」
「お、おんぶ!?」
私もして貰ったことないのに!?
「帰ってきても誰もいないし、比美香は手が痛くて自分で出来ないって言うし、仕方ないので僕が消毒していたんですよ……仕方なくですよ!?仕方なく!」
何故か、仕方なく、を強調する光穂。
すると比美香がムッとした顔で反論する。
「光穂ちゃんもお湯で傷口拭いてくれた時、ヤケに念入りに拭いてくれたくせに」
「おい!おま!」
「太股拭いてくれた時とか一瞬止まってたりしましたよ!花弓様!」
「嘘!嘘だから!これ全部嘘!」
必死に否定する光穂を、私は虚ろな表情で睨みつける。
「どうして……」
「え?」
「どうしてそんなことを光穂くんがしないといけないのよ!」
「だって……他に誰も居なかったし……?」
「ななこ!ななこは?ななこが一緒に居たはずでしょ!!」
ななこはいつも光穂にくっついているはず。ななこが居れば光穂が比美香をおんぶすることも無かったし、足を拭いたり消毒したりすることも無かったはず!
さらに昨日ななこによく言い聞かせたから、こういう場合は光穂にも手伝って貰って雑用のほうを押しつけてもいいと理解しているはずだ。
「ななこさんは……」
そこで光穂が言いよどむ。見れば比美香も曖昧な顔をしていた。
「ななこさんは美瑚の挑戦を受けて立つ、とか言ってまだ帰ってきません」
「………………」
 
と、昨日のことを思い出しながらため息を吐く。
「はあ……」
午後最後の講義の途中で、私は物思いに耽っていた。
時計の針はもうすぐこの講義が終わることを教えてくれている。
比美香も比美香だけど、光穂くんも光穂くんよ!
しかも昨日の今日で、よ!もう昨日のことだけど!!
自分で自分にツッコミを入れていたら世話がない。
いくら手が使えないからって……足を……足を……足なんか拭いちゃイヤー!!
私は両手で顔を覆い隠し、目の前には無いあの光景を否定する。
最早講義の話なんて耳には届いていない。
この程度の内容なら聞かなくても分かるのだが、話を聞きながらゆっくりと復習をするのも面白いのだ。それがアイツに見つかる危険がありながらも大学へ入った理由なのだから。
私が知っている当たり前のことが当たり前では無かった時代。私の知っていることがまだ何も知られていない時代。
例えこの先が違っても、今のこの時代から学べるものがあるだろう。
しかし今は、否、今日は全く学べている気がしなかった。
比美香はスカートを上まで捲っていたので、当然アレは見えているだろうし、太股を拭いたとか言ってたからもしかしたら触れてたりして……
しかも太股は念入りに拭いていたとか言ってたし、比美香のことだから光穂くんをからかって太股で手を挟んだりしてそうだし……
考えれば考えるほど、嫌な映像ばかりが頭に浮かぶ。
手を怪我してるからって、その手の怪我の治療も光穂くんがやったってことでしょ?
指の先まで丁寧に包帯が巻かれていたし、腕や脇の近くにガーゼが張ってあったのも光穂が手当てしたのだろう。
そんなの……そんなの……
二人だけそんなのズルい!!
私も光穂くんに手当てとか心配とかしてもらいたい!
もっと光穂くんに構ってもらいたい!
エリは半裸で触らせてたし、比美香はスカートを捲っていたけど、私にはそんなの出来っこない!
何?ダメなの?それだとダメなの?私も脱がなきゃダメなの!?
もー!もー!二人とも色々危なすぎるのよ!!
「はあーあ……」
今日何度目かも分からないため息が出る。
それと同時に講義が終わり、近くにいた瑛子が声を掛けてきた。
「どーした?最近ため息多いぞ?」
「あー、瑛子ー、聞いてよもー」
今日も今日とて瑛子にグチを聞いてもらう。
「昨日もさー、今度は妹みたいに可愛がってる子が怪我してきてさー」
「今度は妹?やっぱりまた不良?」
「うん」
「……やっぱさー、警察に届けたほうが……」
「や、昨日のはこっちが悪いみたいよ?」
「え?妹さん、不良に絡みに行ったの?」
絡みに、というか奇襲したらしいけど黙っとこう……
「うん、正義感が強くてねー」
そういうことにしておこう。
「ふーん……しかしまぁ、不良ってそんなに居るんだねぇ……」
「最近物騒すぎるのよ……」
「なんか怪人とかも出るらしいしねぇ……」
「!!」
思わずギクリとしてしまった。
まさかいきなりそんな言葉が瑛子の口から出てくるとは……
コッソリと瑛子の様子を伺うが、こっちの反応には気付かなかったようで、呑気に怪人を叩いている。
「なーにが怪人だっつーの!バカみたいなことやってんじゃないわよ。ねえ?そう思わない?」
ねえ、とか言われても、こっちは本気なのだ……
でないと…………
腹いせに私は魔法少女の方を責めてみる。
「でも魔法少女もいるんでしょ?」
「!!」
「今時魔法少女ってどうなのよ……しかも大人っぽいって言うし。年考えてからやれって話よねえ?」
瑛子の方なんか見もせずに言いたいことを全部言い切ってやる。
お陰でちょっとスッキリした。
「ふ……ふふふ……・」
が、瑛子は違ったようだ。
というか何で?何でこのパターンになっちゃうの?
雰囲気がおかしくなった瑛子と目が合う。その瞬間、瑛子は何も言わずに飛びかかってきた。
「…………」
「きゃー」
追いかけてくる瑛子から私は必死に逃げた。
 
と、今日のことを思い出しながら帰宅する。
瑛子に追いかけ回されていたら案外遅くなった。
隠れて瑛子が諦めるのを待とうと思っていたのだが、気付けば辺りは暗くなり始めており、当の瑛子もとっくに帰っていたようだ。
全く、ずっと隠れてて損したわよ……
心の中でボヤきながら玄関のドアを開ける。
「ただいまー」
入ると玄関に光穂の靴が。
あ、今日も来てるんだ……
軽くなった足取りで中に上がり、応接間のドアノブを掴んで一瞬止まる。
まさかねー……今日も、なんてねー……
「ただいまー」
応接間のドアを開け、私は固まった。
比美香とエリがソファに寝ころび、半裸で抱き合っていた。
どさり、と鞄が落ちる。
「……なにやってんの……?」
昨日一昨日のようなダメージは無いものの、それでも衝撃のシーンだった。
比美香とエリが慌てて否定しだす。
「いや!その!あの!」
「べ、別に何もやましいことはしてないですよ!?」
半裸で抱き合っていてやましいことが無いはず無いのだが、光穂が居ないのがせめてもの救いか。
「あ……待って……動かないで……」
「出てきちゃダメですよう……」
急に二人とも俯いて小声で何か言い出し、モゾモゾイチャイチャしだす。
「???」
私は怪訝な顔をして二人に近づいた。そんな私に目もくれず、比美香もエリも自分の胸元を見ながら悩ましげな声を上げている。
「だから……ダメ……」
「花弓様に……見つかっちゃいますよう……」
「ぷはー!死ぬっつーの!!」
「あん……」
「だから……」
私の見ている目の前で、比美香とエリの胸の隙間から怪人状態の光穂くんが這い出てきた。
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
今見たモノを、今見ているモノを信じられずに、私は言葉を無くす。そして比美香とエリの二人も私と同じように黙り込んでしまった。
光穂くんは余程苦しかったのか、しばらく肩で息をしていたが、二人の反応がおかしいのに気付いて上を見上げ、そして私と目が合った。
「っ!!!」
空気が固まるのが分かる。
時間って本当に止まるんだな、というのが後日聞いた光穂くんの感想だった。
 
 
光穂くんのばかー!
は、無かった。
何してんのー!
も、無かった。
代わりに花弓が静かに泣き始める。
弾かれたように後ろに飛び退き、右手で口元を抑え、涙をポロポロとこぼし始めた。
そして花弓の涙を起点に比美香もエリも飛び起きて乱れていた服装を正し、背筋を伸ばしてソファに座り直す。
「どうせ!……どうせ!今日も!水色にやられたって言うんでしょ!!」
二人は無言でコクコクと頷いた。二人の間でソファの上に立ち尽くしている僕のところにまで、頷いている振動が伝わってくる。
「光穂ちゃんの能力借りてゆっくり休めたから、お礼に二人で癒してあげてたところで――」
「そういうのは言わなくていいから!!」
比美香の言葉を思いっきり遮る。
「うー!うー!」
両手で口を抑えて必死に嗚咽を堪えている花弓だったが、耐えきれずに応接間の床にぺたりと座り込んでしまった。
「なんで!?なんで私だけ!?」
「はい!花弓様!はいどうぞ!」
エリが僕をかっさらって花弓の手に握らせる。そして比美香と二人で花弓を両側からなだめ始めたが、それでも花弓は泣きやまない。
それどころか素っ頓狂なことを叫びだした。
「わ、私も!水色に負けてくる!!」
両手で僕を握りしめ、涙目で僕を見つめている。ポロポロと涙をこぼす花弓の顔の近くで、僕は両手を振りながら必死でなだめた。
「はあ!?ちょっと?花弓さん?何言ってるんですか?」
「私も光穂くんに看病してもらうのー!!」
「こ、これ以上仕事を増やさないでくださいよ!」
「私たちのは仕事だったの!?」
「所詮ビジネスライクだった訳ですね……」
僕の言葉に比美香とエリまでもがトチ狂ったことを言い出す始末。
「違!だから!……あーもう!言わなくても分かるだろう!」
「仕事でもいいからー!光穂くんに看病してもらうのー!心配してもらうのー!」
「お願いですから花弓さん!お願いだからこれ以上手を煩わせないでください!」
「……エリちゃん……私たちは凄く手の焼ける女だったみたいよ……」
「比美香!お前!分かってて言ってるだろ!!」
「ごめんなさいね。良かれと思ってやったことが迷惑になっていただなんて……」
「エリさんもこれ以上喋らないでください!」
「……仕事ですら……仕事以下に……光穂くんが私のこと嫌いになったー!!」
「なってませんし、そんなこと言ってませんよ!!」
話せば話すほど、時間が経てば経つほど余計にややこしくなってくる現状に僕は叫ばずにはいられなかった。
「だー!もう!!ちょっとくらい落ち着いて話を聞けー!!」
 
 
最近の学校は疲れる。
正確に言えば、学校内の人間関係に疲れる。
ななこ対美瑚、に加え千秋までもが僕に絡んでくる。
さらに言えば先日の花弓の嫉妬にも手を焼いた。まあ、これは学校内の出来事ではないのだが。
…………が、今日は休みだー!!
布団の中で手足を伸ばし、惰眠を貪ることを決定する。
一応起きて父と朝食を取り、仕事へ見送ってからの二度寝。これでもう邪魔するものは誰も居ない。一人家の中でぬくぬくと寝ることにする。
以前なら家の掃除なり部屋の片づけなり色々していたのだが、今日は休もう。休んで鋭気を養おう。
そんな自分勝手なことを考えながらうとうとしていると、何か遠くで音が聞こえた気がした。
眠い目を開けて耳を澄ませる。
……?……なんだろう……?
だが、それっきり何も聞こえてこない。強いて言えば家の外で鳥が鳴いているだけだった。
寝ぼけていたのだろうか?開いていた瞼が徐々に重くなっていく。
もっかい寝よう……と、そう思ったとき今度ははっきりと聞こえた。
ピンポン、と玄関のチャイムの音が鳴る。誰かが来たらしい。
携帯で時間を見ると時刻は10時。最後に見たのは9時過ぎだったので、1時間近くうとうとしていたことになる。
「あー、もう……」
誰に、とは無しに悪態を吐いて布団から這い出し、寝ぼけ眼で玄関のドアを開ける。
美瑚が居た。
「おはよー。遊びに来たよー」
「……来なくていいよ」
「失礼な」
「……お前、神社は?」
「今日は休みなの」
神社に休みは無いだろう。いつもなら休みの日の午前中は境内全体の掃き掃除に追われているはずだ。何度か手伝わされたことがあるから知っている。
とりあえず頭を掻きながら家の中に入れ、眠いんですよ、とアピールしながら気だるそうに応対する。
「あー……もっかい寝るから適当に帰ってくれ」
「え?何?まだ寝ぼけてんの?」
手土産らしき紙袋を台所の机の上に置き、部屋まで戻ろうとする僕の後ろを付いてくる美瑚。
「……マジ眠いんだけど……」
「もう10時過ぎてるよ?」
「まだ10時だよ」
お約束の言い合い。部屋の前まで来て、僕はようやく観念した。大きく伸びをして目を覚ます。
「はあーあ!…………全く……」
「おはよ、目、覚めた?」
「御陰様でね!」
部屋に入ってドアを閉めようとすると、美瑚まで入って来ようとしているので慌てて止めた。
「え?入ってくんの?」
「え?入れてくれないの?」
「……着替えるんだけど」
「知ってるよ」
「じゃあ入ってくるなよ!」
「私のは見たくせに!」
「アレはお前のせいだ!それに見せてやる義理はない!」
無理矢理閉め出す。
特に抵抗もしなかったので、美瑚も冗談で言っているんだろう。それが分かるくらいには付き合いが長い。
「着替えるなら出かけられる服装にしておいてよー」
部屋の外から美瑚が勝手なことを言い出した。
「……なんでだよ」
「え?これから遊びに行くし」
「勝手に行けよ」
「光穂も行くし」
「…………」
何で勝手に決めてるんだ?決まってるんだ?意味が分からない。
ジーパンとTシャツを着るが、靴下は履かないでおく。一応抵抗してみせるつもりだった。
そしてドアを開けて待っていた美瑚を部屋に入れ、縫いだものを纏めてひっ掴み、洗濯機へと放り込んでスイッチON。部屋に戻ると美瑚がくつろいでいた。
「どこ行くー?どこ行きたいー?」
「……マジで出かけるの……?」
「家でくすぶってても仕方ないじゃない?」
「つっても、この田舎のどこに遊べるところがあるんだよ」
「何でもいいから出かけようよー。歩きながら決めたらいいじゃん」
何故かは知らないが、今日の美瑚はやや強引だった。
「何でそんなに出かけたがるんだよ」
「別に何もないけどさー、黒瀬さんが来たら嫌だし?」
「……何度も言うけど、別に張り合っても仕方無いだろ」
「違うもん。あの子が突っかかってくるだけだもん」
「いや、違うだろ……」
「何でもいいからとにかく行こうよ!買い出し以外だと久しぶりでしょ?というかこの前スッポカしたんだから、四の五の言わずに付き合いなさい!」
それを言われると反論できない。
「あーもう」
諦めて靴下を履く。
僕が動いたのを見て、気の早い美瑚は立ち上がって先に部屋を出た。
「光穂は何か欲しいモノとか見たいモノとかある?」
「んー、別にない、か。美瑚は?」
「うんとね、買わないけど服が見たい……何よその顔」
露骨に表情に出てしまったようだ。
「文句なら聞くわよ?」
「女の買いもしない買い物にひたすら付き合わされるのは勘弁願いたい」
「いいでしょー、たまにはー」
「よく買い出しに付き合ってるけどな!」
そう軽口を叩きながら玄関まで降りて行って靴を履く。玄関のドアを開けると真正面にななこが居た。
「……え?……あれ?」
「おはようございますマスター」
学校の制服とは違い、普段着(なのだろうか?)のメイド服を着ている。
僕が固まって玄関を塞いでいたので、美瑚に後ろから押し出された。
「光穂どうしたのよ。早く出て…………何でアンタが居るのよ」
美瑚の声のトーンが一気に低くなる。そしてななこの方も美瑚に気付き、目を見開かせた。
「っ!!それはこちらのセリフですね……」
早くも一触即発の空気になる。
「どうしてアンタが光穂の家を知ってるのよ!」
「メイドですから。マスターの家くらいは当然です」
「メイド服なんか着てバカなんじゃないの?」
「貴方には関係のないことでしょう?」
「そうね!じゃあ私が光穂の家で何していたかも関係ないわね!」
どんどん雰囲気が悪化していく。これはヤバい。僕は慌てて二人の間に割って入り会話を遮る。
「ちょ、ちょっと待って!」
二人の敵意を含んだ睨みつけるような視線が僕に突き刺さった。
「ななこさん?先ず一つ確認したいことが……」
「はい、何でしょう?」
「ななこさんが此処に居るってことは……」
最後まで言わなくても察してくれたようだ。
「ええ。もちろん見ています」
じゃあ電話が来るな……変なことは言わないようにしないと……
意味の分かっていない美瑚が怪訝そうな顔でこちらを見ている。
「それはそうと、何故この女がマスターの家に居るのです?」
先ほど美瑚が挑発した問いだ。美瑚は言わないだろうが聞かれているのは僕だから答えない訳にはいくまい。でないと花弓から電話が来る。
「あー、それはー」
「これから光穂とデートだから誘いにきたのよ!」
「っ!おい!!」
「……マスター?」
「いや!ちが!これは!」
携帯着信。
「どういうことよ!」
「説明するんで切りますよ!」
通話終了。
「??」
美瑚が不思議そうな顔をしているが相手にしていられない。というか原因はお前なんだからな!
「デートなんて一言も言ってないだろ!」
「違うの?」
「違うだろ!単に買い物に行くだけであって――」
「マスター、それはデートとどう違うんですか?」
「…………」
……どう違うんだろう……
「そもそも美瑚とは別に付き合ってないし……」
「っ!!!何よそれ!!」
いきなり美瑚が怒り出す。
「え?何が?」
「私のことはどうでも良かったの!?」
「え?え?」
言っている意味が分からない。怒っている意味が分からない。
「今までもよく買い物に付き合ってくれてたじゃない!」
「いや、それはただの買い出しで、僕はただの荷物持ち要員だったし」
「何が違うのよ!?」
「デートと何が違うのか、ってことか?」
仮にあの買い出しをデートだったとすると……
「え?何?美瑚、お前、もしかして……」
「ち!違うわよバカ!!」
「だよなー」
「ちっ!……死ねー!!」
「…………」
死ねとまで言われてしまった。
「何よ!付き合ってなかったらデートしちゃいけないの!?」
「付き合ってなかったらデートとは言わないんじゃないのか?」
「…………」
今度は美瑚が黙り込んでしまう。果たして一体どうなんだろうか?
一応花弓の方も分かってくれたのか、電話は掛かってこない。ななこが一人でふんふんと頷いているので、恐らく花弓と話をしているのだろう。
「わかりました」
ななこが顔を上げる。
「マスターがデートをするというのなら、私もそれに同行しましょう」
「何でよ!!」
美瑚が噛みつく。
「貴方がマスターをデートするというのなら、私にはそれを邪魔する責務があるからです」
こうして、今日は三人でお出かけすることになったのだ。
 
 
疲れる……
事あるごとに何かと対立する二人。そして鳴り止まない電話。
僕は、非常に、疲れ切っていた。
目が合うだけで言い合いに発展するので、自然と僕を真ん中にして三人並んで歩くことになる。
状況だけ見れば両手に花なのだが、その花はトゲどころか毒を含んでいるだろう。口に出したら怒られること確実なので言わないが。
駅に着くまでずっと言い合い。この時点で既に辟易している。
電車に乗ってもずっと言い合い。二駅先の隣の市まで行く時間がとてつもなく長く感じられた。
お昼がまだだったので、ファミレスに入ってメニューを決めたら二人で貶し合い。僕のメニューまで二人で別々に決めようとしてくる。
服を見ると言っていたので店に入ると自慢合戦と貶し合い。ちなみにななこを誉めたらその服を買ったので、美瑚も張り合って選んだ服を買っていた。美瑚が似合うかどうか聞いてきたのは言うまでもない。
店を出てからもずっと言い合い貶し合い。周囲の目とか気にならないのだろうか?
正直、もの凄く、疲れる。
そして、かつて無いほど長く感じられた一日も日が落ちてきて夕暮れ時。
帰りの電車から降りて駅から出るとななこに一本の電話が入った。
「もしもし?」
「ななこちゃん!?助けて!!」
隣を歩いている僕には電話の相手の声も聞こえる。あの声は比美香だ。
「どうなされました?」
「魔法少女黄色と遭遇してピンチなの!エリちゃん頑張ってるけど負けそうで……」
「分かりました、すぐ行きます。場所はどちらでしょうか?」
「えとね、駅からすぐ近くの――ああ!水色!!」
ボコーン、という音が電話からと一つ向こうの通りから同時に聞こえてくる。そして音がした方を見てみると、黒い煙が上がっていた。
「あそこですね。分かりました。すぐに行けます」
「お願い!早く来て!!きゃあああ!」
比美香の悲鳴を最後に電話が切れた。
「マスターも手伝っていただけるでしょうか?」
「それは分かってるけど……」
僕は美瑚の方を振り返る。
ななこの電話など興味も無さそうで、向こうの通りから立ち上る煙を見ていた。
「……あれ、説得してからで……」
「それだと……」
「僕とななこさんが一緒に離れたら、絶対に着いてきますよ?」
「それもそうですね」
ななこが深く頷く。そして花弓の了承も取れたのだろう。
「じゃあ先に行きます」
そう言って走って行くななこを見送ってから、美瑚に説明をする。が、なんと言っていいのやら……
「あー、美瑚?」
「何?アイツ、帰ったの?やったー!」
あからさまに喜ぶ美瑚。
「喜ぶのはまだ早い」
「ん?なんで?」
「んー、あー……これから多分、美瑚に電話がある」
「なんの?」
「多分……桃原さんからじゃないかな?怪人が出てきて負けそうだから助けてって」
「なんで?どういうことよ?」
美瑚が怪訝な顔をこちらに向ける。
「怪人……?光穂はここにいるから……この前見た二人だったら瑛子さんが居なくても千秋ちゃん一人でなんとかなると思うし……それに瑛子さんは私たちが変身したら呼ばなくても来てくれるよ?」
ということは、その瑛子さんは感知タイプか。怪人感知じゃなくて仲間感知タイプ。
そうこうしていると美瑚の携帯に着信。千秋ちゃんだ、と呟いて美瑚が電話に出る。
「先輩!助けて!」
「千秋ちゃん?」
側に居る僕にも通話の内容が聞こえてきた。
「駅のすぐ近くで怪人が出たんです!最初は私一人でも何とかなるかな、と思ってたんですけど、そしたら変なメイドが出てきて!それが物凄く強くって!」
「瑛子さんは?瑛子さんは来てくれないの?」
「それが、瑛子さんが押されてるんです!」
「なんですって!?」
「とにかく!すぐに来てください!待ってます!」
と、そこで電話は切れたようだ。
「……」
「な?言っただろ?」
美瑚は僕の顔を見て考え事をしていたが、やがて一つの結論に達したらしい。
「あ!」
あちゃー、気付いちゃったかー……
「そういうことなのね!」
意気込んで自分の結論を言い切る。
「あの黒瀬さん、光穂と同じ怪人なんでしょ」
当たらずとも遠からず、といったところか。流石にメイドロボだというのは見抜けないだろう。
「美瑚にしてはイイ線いってるじゃないか」
「それで光穂の周りに急に居着き始めたのね」
そっちか……
まあ今の戦闘に加勢しに行ったのは言わなくても分かるか……
「とりあえず、僕も行かなきゃならないし。美瑚もだろ?」
「うん」
「じゃーまー、行くかー」
大きく伸びをしながら、ななこが走って行った方、一つ向こうの通りを目指して歩き出す。
「あ、光穂……」
美瑚が遠慮がちに僕を呼び止めた。
「ん?」
振り向いた僕に、俯きながら言いにくそうに言葉を続ける。
「その、私が言うのも何だけど……気をつけてね?」
「………………」
一瞬、呆気に取られた後、おかしくなって笑いがこみ上げてくる。
「くくっ……ふふっ……はははっ!」
「……何よ」
「あー、そうだな。気をつけるよ。まあ、お互い様だけど」
「そうね」
美瑚も可笑しくなったのか、くすくすと笑った。
「じゃ、僕、こっちから行くから」
「うん。私はあっち側を通るね」
笑いながら手を振って美瑚と分かれる。
「また後で」
「うん。また後でね」
 
 
通りに出ると、ちょっと向こうの方でななこが水色と戦闘中だった。
エリと比美香は黄色とにらみ合いを続けており、ギャラリーは巻き込まれるのを恐れて結構離れたところから見ている。ななこが銃を乱射しているので近寄れないのだ。
幸い隠れられるところは多々あったので、近場でさっさと変身して比美香に気付いてもらい回収してもらう。
比美香の視線が僕に移った瞬間、黄色がダッシュで攻撃を仕掛けてきたのだが、比美香の能力『神にも見えざる手』で上手いこと躓いてくれた。
半ば反則みたいな能力だが、本人にしか効果がないので集団戦だとあまり意味がないらしい。それでも今みたいなちょっとしたことが後々になって侮れなくなるのだろう。
ななこと水色の方も一段落着いたのか、ななこがバック転で跳んできた。
「ななこさん大丈夫?」
「マスター……見苦しいところをお見せしました」
肩で息をしている。余程激しい戦闘だったのだろう。見れば水色も同様のようで、向こうで片膝を突き黄色に気遣われていた。
「流石に手強いですね。残弾が心細いですが、マスターが居ればもう大丈夫です。一気にカタをつけます」
「向こうもそのつもりみたいよ」
エリの言葉に相手側を見れば、美瑚ピンクが登場していた。
美瑚も僕の姿を探していたらしく、調度目が合う。その僕が比美香からななこに手渡されるのを見ると、美瑚の表情が見る見る内に険しくなった。
あそこまで分かりやすいのも滅多に居ないよなあ……
などと思っていると、水色が立ち上がって戦闘姿勢を取り、黄色と美瑚もその後に続いた。
「来ますね……マスター?」
「うん。準備はいいよ。むしろ来ない内に早く。今度は松で」
「承知致しました。いただきます」
「はい………………はい?」
ななこがおかしなことを言ったが、美瑚達の方をずっと見ていたので反応が遅れた。
振り向いた時には既に目の前までななこの大きく開いた口が迫っている。
「は?」
素っ頓狂な声が出たのを最後に、ななこの舌に包まれた。
ピンク色の口内が見えたのを最後に、ななこの口に含まれた。
唇で胸を挟まれ、そのままあむあむと口内に引き摺り込まれる。まだ外に出ていた両手でななこの唇を掴み、必死に抵抗したが全くあらがえなかった。
狭い口内でうごめくななこの舌が僕を捕らえて逃がさない。『滑り』を良くするために僕の体を舐め回す。
「……ん……ふぅ……」
目の前の暗闇、喉の奥からななこの息と悩ましげな声が一緒に漏れてくる。くちゅくちゅと僕を舐め回す音も一緒に、それを一番近くで、本人のななこよりも近くで聞いた。
未だななこの唇の外に突き出している自由な両足をバタバタさせるが、一向に吐き出してくれない。それどころかななこが少し上を向いただけでズルズルと喉の奥へと落とし込まれていく。
膝を曲げてそれ以上落ちないように引っかかろうとしたが、無情にもななこは指でいとも簡単に外してしまった。
何とかして吐き出してもらおうと暴れたが逆らえない。とうとう数回に分けてななこに飲み込まれる。
「……んぐっ、んぐっ……んぐうっ、んごっくん」
飲み込まれる音を全身で感じながら、僕は意識も丸ごとななこに飲み込まれたのだった。
 
 
「……え?……ちょっとあれ……なにやってんの……?」
千秋が何か言っているけど聞こえない。
「……食べ……た?」
瑛子が答えているけど理解できない。
「……うそ……」
私は回らない頭でずっとその光景を見ていた。
光穂が、ななこに、食べられた。
上半身を咥え込んだとおもったら、見る見る内に足まで口の中に吸い込まれていく。バタバタと暴れていたが、全く意に介していないようだった。
仲間の二人も、若干引きながらすぐ隣でそれをずっと見ている。なんと言って止めたらいいか迷っているようでもあった。
ななこは目を瞑り、眉を顰め、しかめっ面で苦しそうに光穂を飲み込む。ごっくん、という音まで聞こえてくる気がした。そして、ふー、と一息吐いた後、苦しくなったのかドンドンと胸を叩いている。
「…………」
「…………」
「…………」
千秋も瑛子も、もちろん私も、最早声すら出ない。
今叩いているあの辺りに光穂が居るのだろう。助けを求めて中で暴れているのだろう。
助けなきゃ、という考えが真っ先に頭に上り、次いでそれが怒りに塗り替えられる。
「――――――!!!!!!」
声にならない叫び声を上げて、私は光の矢をつがえる。
アイツがどうなろうと関係ない!後ろにいる見物人がどうなろうと関係ない!今すぐ、光穂を助けなきゃ!
「美瑚!?待って!」
「先輩!それだと!」
瑛子と千秋の制止も聞かずに、私は矢を放った。
ピンク色の矢が無数に、一直線にななこに向かって飛び、爆発した。
 
 
「あー、びっくりしたー」
左側に抱えられている比美香が言う。
「……私……死んだかと……」
右側に抱えられているエリが言う。
光が放たれるや否や、ななこは二人を抱えて逃げ出したのだ。
ちなみに僕が目覚めたのはついさっき。もう一つ言うと、どこかに置いていたのだろう買ったばかりの服もちゃっかり回収済みだった。
気が付くと二人を両脇に抱えて跳んでいた。相変わらず身体は動かないが、目線や感触はななこと共有されている。
「マスター、ご無事ですか?」
おかげさまで
声は出ないがななこには伝わっている。ななこは大きく頷いた。
二人を抱えながら、ななこは信じられないスピードを跳躍力で家まで帰る。花弓がドアを開けて出迎えてくれていたので、素早く中に入って玄関でハアハア。
「おかえり。おつかれ」
「……ただいま……戻りました……」
流石のななこも言葉が途切れ途切れになっていた。
「私、生きた心地がしなかった……」
「まさか追いつかれていたりしませんよね……?」
比美香が青い顔で、エリが心配そうに外の様子を伺う。エリにしてみれば自分の家なので当然だろう。
「ところでさ、光穂くん?」
そんな三者三様の皆を順番に見つめた後、花弓が質問してきた。僕はすぐにななこに代わってもらう。
「はい?」
「ななこに乗るのを、どうして時間延ばしてからにしなかったの?」
「……あ」
今、気付いた。指摘されてようやく気付いた。詰めが甘いなー。
「そしたらもっとゆっくり味わえたのに……」
そっちか!
そういえばこの人、ななこと繋がってたんだった……
「花弓様!花弓様!光穂ちゃん、美味しかったですか?」
「比美香、お前そんなこと聞くなよ」
しかし花弓はというと、ほう、と息を吐いてうっとりとしながらこう答える。
「……極上でした」
 
 
「ほんとにほんとに心配したんだからね!」
「ごめんごめん」
「追いかけようとしたら千秋ちゃんに止められるし」
あー、それで追いかけて来なかったのか。
「本当にもう大丈夫なの?」
「大丈夫だって」
「ほんと?」
「うん」
「はあ……良かったー」
電話の向こうで安堵の息。
「じゃあ、遅いからまた明日な」
「うん」
「明日、学校へ行ってもななこさんに普通にしろよ?」
「…………」
「しろよ!?」
「……自信ない……」
「じゃあ今日見たことは忘れて」
「無理」
「………………あー、まあ、とにかく、普通にいつも通りにすること。分かった?」
「………………あ!」
「なんだよ」
「私にも同じことさせてくれたらできるかも」
「ふっざけんな」
一方的に電話を切ってやる。が、すぐにまた掛かってきた。
「ごめん、怒らないで」
「じゃあ頑張れ。ひたすら頑張れ」
「……んー、分かった。やってみる」
「うん。じゃあまた明日な。おやすみ、美瑚」
「うん、おやすみ。光穂」
 
 
「あー、もう嫌だなー、学校行くの……」
「……何その引き籠もり発言……」
僕はエリの家の応接間で、比美香相手にグチっていた。日頃の鬱憤を全て聞いてもらうつもりで。
花弓は大学、エリは仕事。ななこは美瑚と仁義無き対決に出かけた。
美瑚にななこの正体がバレてからというもの、対決の頻度が多くなった気がする。どんな対決をしているのか気にはなるが、二人とも絶対に教えてくれなかった。
花弓に聞いても知らぬ存ぜぬで教えてくれないが、怪我とかしてこないし八つ当たりもされたりしないから別に良いだろう。放っておいても。
ただ、校内や周りに人が居るときに言い合いをされるのは勘弁願いたい。
頭の上でひたすらガチャガチャと言い合った挙げ句、「ねえ!?」とか振られても分からないっつーの。
大体話なんか聞いていないし、どちらか一方の肩を持てばもう片方から責められる。美瑚の肩を持てば電話も飛んでくるというオマケ付き。
気のない返事なんかするともう大変。「話聞いて無かったの!?」と両方から責められるし電話もくる。
「あーもー、怠いなー、学校行くの……」
「……そんなに酷いの?」
「今度こっそり録音してこようか?」
「あ、それ面白そう!でも怒られそう」
「それもそうかー」
「いいじゃん、両手に花で。あ、花弓様もだから両手どころか花に囲まれてるじゃん」
「花にも色々あってだな……」
「綺麗な花にはトゲがある、ってやつ?」
「トゲどころか毒の花だなー」
「うーわ!今のはひっどい!」
「ごめん、今の無し」
「花弓様に言いつけてやろーっと」
「マジでやめて。マジで忘れて」
二人でひとしきり笑う。少しだけ気分が晴れた。やはりストレスはため込むものじゃないな。誰かに聞いてもらうだけで楽になる。
「………………」
しばらく僕の話を聞いていて何か思うところがあったのか、比美香は何か考え込んでいるようだった。視線を外し首を捻っていたが、やがて僕にその内容を切り出した。
「あのさ?」
「うん?」
「そんなに学校行くのが嫌ならさ」
「うん」
「一日だけでも私の学校へ来てみない?」
「はあ?」
何をどう考えればそういう結論に達するのだろうか?それに確か、比美香の高校は女子校だったはず。行くも何も、先ず入れる訳がない。
「校門で止められるって」
「大丈夫。隠して通れば問題ないから」
隠して……?
「……まさか」
「うん、まさか」
「小さくなって隠れてろ、と?」
「うん」
そこまでして女子校に潜入する意味があるのだろうか?
イヤ、僕も健全な男子なので興味がないと言えば嘘になるし、ワクワクするかしないかで問われればワクワクする。
「いや、でもそこまでしなくても……」
「いいじゃん、気分転換に」
「家で寝てたほうがよっぽど……」
「それだと押し掛けられるよ?」
「あー……」
それはもう既に証明済みである。
「行こうよ、おいでよ」
「でもなー」
「女の子紹介してあげるよ」
「小さいままでそんなことするつもりか?」
「大丈夫。お持ち帰り厳禁だから」
「大体、信じて貰えないっての」
「怪人捕まえた、って言えばいいんじゃない?」
「嫌だ。絶対に嫌だ」
「えー、行こうよー。おいでよー」
「ええー……」
しつこく食い下がる比美香に、僕は疑問を覚えた。
そこでちょっと考えてみる。何故そこまで誘うのか。
もしかして僕の能力目当てか?
「……比美香、さ……何か時間足りなかったりする?」
聞いてみる。
「うん、ご明察。さっすがー」
あっさり白状した。
「選択授業で美術を選んでるんだけどね?その課題が終わらないの」
「そんなの、持って帰ってくればいいじゃん」
「持ち出し厳禁な上に、放課後は忙しいじゃない?」
まあ確かに、放課後は花弓の呼び出しなどで忙しいことが多い。今日みたいに、暇だからとグチる時間があるのは珍しいことなのだ。ましてそれを予想するのなんて無理に等しい。
「だからお願い!時間延ばして!」
「別にそれはいいんだけど、リスクが高すぎなじゃないかな?」
「…………でないとさっきのこと花弓様にチクるから……」
「おい……」
 
 
放課後。
昼休みに課題を済ませておけ、とあれほど言ったのに比美香が学校に来ていきなり僕のことを見せびらかすので、結局放課後になってしまった。
昼休みにやっておいたほうがディレイを消費しやすかったんだけどなぁ。それこそ放っておいても勝手に切れる。
比美香はこそこそと美術室に入り込み、誰も見ていないのを確認してドアを締めて鍵を掛ける。
「よし!ちゃっちゃとやっちゃうよー!」
「昼休みだと、もう帰れてたんだけどなー」
「文句を言わない。女の子に囲まれて嬉しかったでしょ?」
「怖かったっつーの!」
実際に怖かった。あのテンションは無い。
休み時間の度に比美香の周りに人垣ができて、僕がその中心で何かをする度に黄色い歓声が上がる。さらに比美香が「いいよ」と言うもんだから、掴まれ揉まれ弄くられ……
正直、全く休まる時間など無かった。
挙げ句の果てに授業中まで比美香のお守りをさせられる。これじゃ美瑚対ななこの方が体力的にマシだったのかも知れない。あっちは最低限、授業中は静かなことが保証されるのだから。
とりあえず、二度と引き受けまいと心に刻み込む。
「……で?どれくらい延ばすの?」
人差し指を顎に当て、天井を見ながら考え込む比美香。
「んー……2、3時間欲しいかも……」
ということは、1分200倍くらいか?
課題の絵を持ってきたり、水を汲んだりと用意をしている比美香に言う。
「じゃあ、1分200倍でいい?」
「それってどれくらい?」
「自分で計算しろよ……3時間20分」
「あ、それでお願いします」
そうして準備が完了。比美香が絵の前に座り、そのスカートの上で彼女を見上げながら最終確認をする。
「用意できた?」
「うん」
「鍵掛けた?」
「バッチリ」
「手伝わないよ?」
「期待してない」
「……先に言っておくけど、リミットオーバーで200分の1になるから」
「あ、そうか。忘れてた」
「まあ、それは別にいいけど……じゃ、いくよー」
「あ、待って!時間が分かるように、秒針が12のところにきたらお願い」
「はいはい」
比美香の言うとおり、時計の秒針を12に合わせてから発動。1分200倍。比美香と二人で、この世界の時間軸から外れる。
ここまで延ばすのは初めてのことだったが、別に大したことは無かった。反作用の時に無理矢理抑えつけられ、身体全体が締め上げられるように感じる程度。変身したりするときには感じられない感覚だが、特に苦しいとか痛いとかいうことは無い。
無い、が、まあ、あまり多用しないほうがいいのかも……
『いつも』よりさらに小さい世界。
狭かったスカートの上が広大な平原になり、ちょっと上にあった比美香の顔が見上げるほどの真上に感じる。エリやななこ程ではないが形のいい胸が圧迫感を持って僕を見下ろしていた。
『いつも』と違う、さらに小さな世界。
下からのぞき込むように見上げているとそれが実感できる。
比美香の顔が、比美香の腕が、比美香の手が、比美香の胸が、そして足下にある比美香の太股でさえ、脅迫に近い圧迫感を放っていた。
「かわいー!!」
頭の上から落ちてくる、比美香の第一声がそれだった。
逃げる間もなく摘み上げられ、よく見えるようにだろう、顔の前まで持って行かれる。
服を摘まれているので痛くはないが、引っ張られている上に足下がおぼつかない。落とされたら、と思うと冷や汗が吹き出てくる。
吸い込まれるんじゃないか、と思うほどの大きな目で僕を見つめ、「かわーかわー」と連呼する比美香。
正面だけじゃなく、横も背も見られてクルクルさせられる。何だかヘンな気分になってくるが、逆に言えばそういう余裕も出てきたということだろう。
「とりあえず降ろせよ。怖いから」
文句を言うと素直に掌の中に降ろしてくれた。
落とさないように、とでも気を使って受けるように手を丸めているのだろうが、こっちとしては今にも握り潰されるのではないかという強迫観念にとらわれる。時折動く指がいきなり襲い掛かって来そうで怖い。
比美香は相変わらずキャーキャー言いながら携帯を取り出し、呑気に僕の写真を撮り始めた。最早何を言っても聞かないだろう。
うんざりしながら比美香を見上げていたのだが、やがて満足したのか携帯を片づけ、ふう、と一息吐いていた。
比美香の吐息が僕に吹き付けて転びそうになる。そしてそれを見た比美香の目がまたキラキラと輝き出すが、そろそろこの辺で現実に引き戻してやらなければならない。やることをやらなければ時間を延ばした意味がない。
「そろそろやったほうが良いんじゃないかね?」
「そうですね……」
妙に肌ツヤが良くなったように見えるのは気のせいだろうか?
「これからちょっと寝るからハンカチでも貸してよ」
「別にいいけど……」
そう言って比美香は僕を摘み上げ、ブラウスのボタンを片手で器用に外す。
「私の胸の間も空いてるけど?」
小悪魔チックに笑ってチラリ。
形のいい白い胸と白いブラ。そしてそれと対をなす暗い三角の穴。
放り込まれたら揉みくちゃにされるだろうというのが脳裏に浮かぶ。
唾を飲み、ニヤニヤする比美香を見て、それからもう一度胸を見下ろしてから、やっぱり首を横に振った。
「……止めとく……」
「返事おそーい!光穂ちゃんやらしー!」
「どうでもいいからハンカチ貸せ!」
「あー!真っ赤っかになってるー!かわいー!」
冷やかしてくれながらも、ハンカチを出す比美香。
ハンカチを四つに畳んで膝の上に置き、その上に僕を降ろす。
「イヤ、机の上でいいんだけど……」
「私がヤダだからそこで」
「…………」
「嫌なら自分で持って行けば?」
無理なことを言う。
諦めて四つ折りの角を一枚だけ上げてもらい、その中へ潜り込んだ。
「終わったら起こして」
「あい」
「後、先に言っとくけど、寝てるとこ見なくていいから」
「…………」
「返事は?」
「知らない」
「……おい」
そっぽを向く比美香に諦めて寝転がると、そっと上からハンカチを掛けてくれる。ハンカチの中に完全に潜り込んでいるので、若干息苦しいこと以外は中々快適だった。
加えて比美香のポケットに長いこと入っていたからか、ここが比美香の膝の上だからか、ポカポカとして寝るには調度良い。
変身するときに、寝やすい服装にしておけば良かった……
そんなことを考えながら、僕は目を閉じた。
 
 
集中集中……
癒し。
集中集中……
癒し。
さっきからそれの繰り返しである。
膝の上のハンカチの中が気になって気になって仕方ないのだが、彼の存在を感じているだけで時間がどんどん過ぎていく。
ので、彼を見る時間を、残りの時間を何とかして増やそうと必死で課題を仕上げた。かつて無い程の作業効率と速度だったと自負できる。今度からも借りよう。
「よしっ!完成!!」
描き上げた絵を見つめ、一人で頷く。所々塗りが甘い気もするが、別にいいだろう。そんなことよりも大切なことが後に控えているのだから。
私は時計を見る。秒針は45秒を指していた。残りは15秒。
「ということは……」
計算をする。50分くらいある訳か……
結構余ってしまった、が、コレはコレでいいよね!
片づけなんか後でいい!余った時間はボーナスタイム!
「では……」
膝の上のハンカチを見下ろし、私は両手を合わせた。
「堪能させていただきます」
そしてハンカチを手に取ろうとして、ふと思い留まった。
動かすと起きてしまうかも知れない。さっきにハンカチをめくった時も起きてきたし……
でも!私にはコレがある……
変身!そして発動!『神にも見えざる手』!!
自分の関わった物、人、事象。全てが自分に都合良く動いてくれる能力。
出目は操作出来ないし、戦闘でも自分にしか働かないので仲間の助けにもならないけど、それでも一人の時には便利な能力なのだ。
「これで良し、と」
ハンカチを少々動かしたくらいじゃ起きないし、もし起きても上手く誤魔化せられる自信がある。それに変身したと言っても服装は制服のままだし、最早何も言うことはない。
私はそっとハンカチを手に取り、ゆっくりとめくって見る。
彼はぐっすりと眠っていた。
「うふふ……」
見ているだけで顔がにやけてくるのが分かる。
私だけの、今の私だけの、可愛い可愛い光穂ちゃん。さらに時間までもが私に味方してくれている。今の私は最強だった。
「あああ……かわいい……」
見ているだけで興奮してくるのが分かる。頬が上気してくるのが分かる。息が荒くなってくるのが分かる。
「ううーん……」
私の手の中で、ハンカチの中で彼が寝返りを打った。
「ああん!もう!」
一挙手一投足がツボにハマる。もぞもぞと小さく動く度に体の中が熱を持ってくる。
私は携帯を取り出してパシャパシャと写真を撮り、ハンカチを動かして角度を変えてまた写真。寝苦しいのか、頻繁にコロコロするので動画も撮る。
普段携帯のカメラなんて使わないけど、今日だけで容量が埋まってしまいそうだった。
見つめるだけ、ニヤニヤするだけ、写真を撮るだけで時間が過ぎていく。
ほのぼのと癒されながら、ふと時計を見ると秒針は55秒を回り残り4秒程になっていた。
「うそ!?もう!?まだ何もしてないのに!?」
あれだけ写真やら動画やらを撮っていたのは棚に上げておく。
どうしよう……なにしよう……
絵を仕上げていたときには色々と思い浮かんできたのだが、いざやるとなると綺麗さっぱり抜け落ちていた。
どうしよう!なにしよう!時間がー!やっぱり足りない!
という考えと、
小さいなー、可愛いなー、1センチ無いくらいかなー、
という考えがせめぎ合い、そうして一つの結論が出てしまった。
「……一口……サイズ……?」
すっぽりと口の中に収まってしまうかも、一飲みに出来てしまうかも、という考えに至ってしまう。
「だめだめ!流石にそれは!ななこちゃんじゃないんだし……」
最後の良心が必死に抵抗するも、動き出した欲望と焦りだした思考の両方は止められなかった。
そしてさらにこの間の光景、その後の花弓の言葉が私に拍車をかける。
「極上でした」
口の中で涎が沸いてくるのが分かる。
思わず唇を舐めてしまう。
それだけでは飽きたらず、口内を舌で必死にねぶる。
お腹までもが彼を欲しいを訴えてきた。
じっと彼を見つめる。ぐっすりと眠っていた。
少し手を揺すってみる。起きる気配すらない。
膨らみだした欲望は収まらない。
ゴクリ、と涎を飲み込み、予行練習をする。
彼を見つめ、口の中に想像し、嫌がる彼を舐め回す。
ペロリ、と唇を舐め、迎える準備をする。
寝苦しそうにしてはいるが、起きる気配は全く無い。
チラリ、と時計を見て、時間を計算する。
残り時間は多くは無いが、それでも事を済ませてしまうには十分だった。
理性も良心も最早吹っ飛び、欲望と悪魔が頭の中で囁いている。
私は最後に大きく息を吸って、大きく息を吐き、心の中で彼に謝った。
ごめんね……いただきます……
熱っぽく目を細め、啄むように唇を突き出し、ゆっくりと彼に近づいていく。姿はすぐに見えなくなり、それでも唇が狙いを外すことは無かった。
あむ、と彼に襲い掛かる。
もう起きているかも知れない。パニックになっているかも知れない。
でも怪人状態だから大丈夫だよね?私も変身してる事だし大丈夫だよね?
ちゅう……じゅう……
と、彼を吸う唇の音が聞こえてくる。
ちゅるん……じゅれる……
と、彼を舐める舌の音が聞こえてくる。
私の唇に押し潰されて必死に暴れているのが分かった。
私の涎を浴びてせき込んでいるのが分かった。
何かを叫んでいる気もするが、私の耳には届かない。
必死に逃げようとしているが、私の唇は逃がさない。
ハンカチはすぐに涎でベトベトになり、手の上まで湿ってくる。
それでも私は彼を貪り続けた。
こんなことをしているのがバレたら、花弓に全殺しにされるかも知れない。あの美瑚とかいう女の子に八つ裂きにされるかも知れない。
でも今は私の時間。私のモノ。私の獲物。絶対に、逃がさない。逃がしてあげない。
あむあむ、と何よりも深いキスの愛撫。
ちゅうちゅう、と強く貪欲に彼を吸う。
じゅるれる、と艶めかしい音をさせて彼を舐める。
思いつくままに思いつく限りのことをして、そして私は彼を中に迎え入れた。
押し出していた舌を戻すだけで、簡単に中に入ってくる。
唇で優しく啄み、ゆっくりと数回に分けて中に招待する。
口蓋に押しつけて何度もカレをねぶり、涎を含ませて何度もカレを舐め、そうして溜まった涎を一気に喉の奥へを流し込んだ。
私の嚥下音に一瞬ピクリと固まるが、それからまた這い蹲って舌の上でパタパタと暴れ出す。が、カチカチと歯を鳴らすだけですぐに大人しくなった。
カレは最早食べ物だった。
私の口の中に入った時から。私の唇に襲われた時から。
いや、私があの結論を出してしまった時から既に、生きのいい飲み込まれるだけの食べ物。
食べ物の声なんて聞こえない。
食べ物が暴れていても知らない。
食べ物の気持ちなんて分かりっこない。
くちゅくちゅ、といやらしい音を鳴らし、カレの味に染まった涎を飲み込む。
ゴクリ、と私が嚥下音を鳴らす度に、カレが舌の上でビクッとするのがよく分かった。
くちゅくちゅ……んぐっ……
じゅるぴちゅる……こくっ……
この音にカレを挟んだら終わりだ。
もっとずっとこのまま吸っていたい、吸い尽くしてしまいたいという考えが、たった一度の悦楽に浸りたいという嗜虐的な欲求に押され始める。
口の中のカレは諦めているのか、力尽きてきたのか、あまり動かなくなっていた。私に舐め回されるだけの、私が慰められるだけの、私の快楽のための獲物。
溜まった涎を何度も飲み込み、十二分にカレを味わい堪能したところで、私は欲求に押し負ける。
つー、と舌の上をカレが滑っていく。
どうされるのか悟ったカレが焦って再びじたばたし始めた。が、口の中の流れは、私の意志は止まらない。
ゆっくりと、ゆっくりと、喉の奥へと押し込んでいく……
じたばたしてももう遅い。もう止まらない。後は……
目を瞑り、軽く上を向いて喉に触れ、私は口の奥のカレの悲鳴に耳を澄ませた。
私が我慢のできる限界まで、カレの悪足掻きが感じられる限界まで、喉の奥へと押し込み、
最後に、ゴクッ、と大きく喉を鳴らした。
たった一度だけ、私の喉が上下に動く。
カレの悲鳴さえも一緒に、私が飲み込んでしまった。
その瞬間、体の中心から脳天の上まで突き抜けるような快感が私を襲う。
閉じた視界の先でカレの姿が目に浮かんだ。
触れた指先の奥でカレが落ちていった。
澄ませた耳にカレの悲鳴だけが残った。
しばらくの間、私はあまりの恍惚に耽る。あまりの快感にぶるぶると震える体を抱きしめる。
私はそのまま大きく息を吐いた。
私の口の中に、彼は、もう居ない。
 
 
落ちていく……
生きている肉に包まれて、身動きも出来ないまま、奥へ奥へと落ちていく。
ゴクリ、という嚥下音を全身で聞いたのはつい先ほどだったが、落ちていく感触、流される感覚はいつまで経っても終わらない気さえした。
最後に残った、僅か一握りの冷静な部分が僕にこう告げる。
もう、逃げられない。諦めろというのが理不尽なくらいの絶望感。
そして唐突に少し広いところへと押し出される。
黒の色も見えない暗闇の中、どくんどくんと脈打つ音がすぐ近くにある。
体が熱い。
周りが熱い。
吐いた息の音さえも闇の奥へと吸い込まれていく。
気の狂いそうな状況と現実に、最後に残っていた冷静な部分が吹き飛ばされた。
あ……
声が出る。
あ……あ……
頭を抱える。
あ……あ……ああ……
髪の毛を掻き毟る。
――――――――――!!!!!!!!!!!!
どこから出ているのかすら分からない悲鳴が溢れるが、大きく脈打つ心音に全てかき消された。
――――――――――!!!!!!!!!!!!
指が髪を掻き毟り、爪が地肌に食い込む。染みるような激痛は爪の痛みだけではないだろう。
――――――――――!!!!!!!!!!!!
耳には届かない悲鳴が全て出きり、絶望に打ち拉がれて倒れ込む。
ごぼり、と溺れる音が聞こえ、そして意識諸共水の底へと沈んでいった。
 
 
時計の秒針が12をまわる。時間が速く流れ出す。
私は口を閉じて舌を動かし続け、彼の残り香を探すように口内をまさぐっていた。
未だ快感の余韻は消えず、悦楽の残りに身を任せる。が、それも少しずつ薄れていき、私は火照った頬が冷めるのを感じていた。
窓の外の音が耳に入る。もやが掛かっていた頭の中が少しずつ動き出す。
私は何をしたのか。彼をどうしたのか。
冷たい血が頭の中を巡る。冷え切った汗が背中から吹き出る。
彼はどこに居るのか。これからどうなっていくのか。
上気していた頬が真っ青になるのを感じた。
慌てて美術室に据えられた流し台へと駆け寄る。そして指を口の奥へと突っ込み、喉の奥をかき回した。
不快感が喉の奥からわき上がり、えずいて涙が出る。が、胃袋は肝心の彼を返してくれない。
どんどん、と思いっきりお腹を叩いても、喉の奥から出てくるのは自分のあえぎ声だけ。
半ばパニックに陥りながら、頭を下げて体を曲げ、下から突き上げるように思いっきりお腹を叩いた。するとお腹の中がぐるりと反転し、次の瞬間中のモノが一気にこみ上げてくる。
反射的に口を閉じてしまったが、すぐに耐えきれなくなり流しへとぶちまけた。
あまり見たくはないものが、聞きたくない音と一緒に口から出てくる。
えずき、せき込み、涙に滲んだ目で、吐瀉物の中に居るはずの彼を探す。
………………居ない。
涙を拭い、必死に目を凝らすが、そこに彼の姿は無かった。
うそ…………
慌ててお腹をさする。
まだ、中に……?
そしてようやく口の中の違和感に気付いた。
舌の裏と歯茎の隙間、その柔らかい部分に何か小さなモノが引っかかっている。
すぐに舌ですくい上げ、恐る恐る指でそっと摘み取った。そしてぐったりとして動かない彼の姿を見て安堵するも、すぐに別の不安要素が沸き上がってくる。
まさか……
「ねえ!ちょっと!光穂ちゃん!?起きてよ!!」
動かない。
指で軽く弾いたり摘んだりするが、全く動かない。
「うそ……」
頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなった。
息をしているか確かめようにも、小さすぎて分からないのだ。
どうしようどうしよう、とパニックになりながらも、私には見つめることしか出来ない。
しかしその見つめる先で、小さな体が一瞬だけピクリと動いた。
「あ!今!」
声を張り上げる。
「光穂ちゃん!大丈夫!?光穂ちゃん!?」
私の声が届いたのか、今度は大きくせき込み始めた。
よかった……
ようやく安堵のため息が出る。
「けほっ、けほっ……あー……」
「ごめんね、大丈夫?」
「んー……まあ、一応?」
「ほんと、ごめん。つい夢中になっちゃって……」
「あー、もう。ボトボトだー……」
「アハハ……ごめんね……」
私の唾液にまみれた光穂を見ても乾いた笑いしか出てこない。素直に謝るしかない。
「お前、一体何やったんだよ……」
「…………え?」
「ほらこれ、ボトボトだろー。なんか変な臭いするしー」
「………………??」
え?何?何言ってるの?
頭の周りに疑問符を浮かべる私だが、光穂は全く気付いていないようだった。
「これ、絵の具の水こぼしただろー」
「…………」
もしかして……覚えてない……?忘れてる……?
「えーっと……光穂ちゃん?」
「うん?」
確認する。
「もしかして、今まで寝てたの?」
「あったり前だろ!起こしてくれないんだから!」
怒られた。
怒られた、が私は内心ガッツポーズをする。
これは覚えてない。完全に忘れてる。
そうよ!先に変身しておいたから!
「しっかし、起こすにしてもこれは酷いぞ……」
「ほんとにごめんね。ちょっとこぼしちゃって」
「ちょっとじゃないだろこれ」
「はい!すみません!」
素直に謝っておく。余計な詮索をされても困るし。
「あーもう!冷たい!!」
「もしかしてパンツまで濡れてる?」
「御陰様でな!!」
いつも通りを装い、冷やかすのも忘れない。
内心はヒヤヒヤしているが、流石は『神にも見えざる手』。このままさっきの事は忘れておいてもらおう。あの記憶は闇に葬ってもらおう。
「……で?課題は?できた?」
仏頂面とあからさまに不機嫌な声で聞いてくる。
「うん。ありがとう。御陰様で」
「じゃあさっさと帰ろうよ!」
「分かった。すぐ片づけちゃうね」
使った道具をてきぱきと片づけ、流し台の処理を穏便に終わらせ、完成した絵を提出用の机の上に置く。
それをずっと見ていた光穂だが、すぐに冷えてきたようで寒そうに体を縮こまらせていた。
「あー、やばい……風邪ひきそう……」
「私が暖めて上げるよ!人肌で!」
そう言って返事も聞かずに摘み上げ、有無を言わさず胸の隙間へと押し込む。
慌てた彼が文句を言っていたが、私は聞こえないフリをして服のボタンを留めてしまった。
ボロを出す前に仕舞っておこう。さっさと帰って忘れてもらおう。
そして私は帰途へとついた。
 
 
「たっだいまー!!」
服の向こうからヤケに元気な比美香の声が聞こえてくる。
結局何を言っても出してもらえなかったので、早々に諦めて身を任せていた。
「おかえりー。遅かったのねー」
花弓の声も聞こえる。
「ちょっと放課後に用事がありましてー」
ふーん、と花弓の気のない返事。
「ところでさ、多分知らないと思うんだけど、光穂くん知らない?ななこが今日は学校に来なかったし家にも居なかった、って言うんだけど」
「光穂ちゃんならー……」
目の前の服がゴソゴソと動く。
「ここに!」
比美香がブラウスのボタンを外し、ぐいっと胸元を広げた。
急に明かりが入ってきて眩しさに目を細める。そして目が慣れてくると花弓が僕をのぞき込んでいるのが見えた。
「…………」
「…………」
目が合った。
「な!……な!……」
花弓の声が震えているが、まあ当然だろう。
「何でそんなところに!!」
「話せば長くなるんですけどー」
話なんか聞かずに、花弓は比美香に掴み掛かる。が、比美香は調子よくヒョイと避けてしまった。
「課題の提出期限が迫っていたので、光穂ちゃんに都合してもらったんですよー。帰り際に間違ってズブ濡れにしちゃったら、寒い!暖めて!って言うもんで仕方なくここに……」
「違うだろ!!」
思いっきり否定する。
「ちょっと!比美香!返しなさい!!」
しかし花弓は全く聞いていないようだった。
「はい。どーぞ、花弓様」
「ああ、もう。こんなに小さくなっちゃって……あれ?小さすぎない?」
「あー、200倍まで延ばしたので、リミットオーバーでこの大きさに……」
「花弓様!花弓様!小さい光穂ちゃんの写真、一杯ありますよ!」
「おま!いつの間に!」
「寝てる間にだけど?」
当然、とでも言うような返事に僕は何も言い返せなくなる。
花弓は花弓で比美香の携帯に見入っていた。
「比美香!これ、私の携帯にも送って!」
「いいですよー。動画もありますよー」
「見たい!見る!見せて!」
「えーっと……はい、どうぞ!」
きゃーきゃーと騒ぐ二人を後目に、僕は花弓の手の上で額を抑えた。
全く、今日は本当に疲れた。
 
 
「はい、じゃあ光穂ちゃん、荷物持ちお願いね」
「あいさー」
エリの言葉におどけて敬礼をする。
今日はエリの車で、隣の市の百貨店まで買い物に来ていた。何でも棚を増やしたいらしいので、荷物持ちを頼まれたのだ。
本当ならななこが同行するはずだったのだが、花弓に大学まで呼び出されて居ない、とのことなので代わりに僕が荷物持ちの役目を仰せつかったのだった。
百貨店に着く前に喫茶店に寄り、コーヒーをケーキを奢ってもらったので、その分は働かないといけない。自分の分は自分で、とエリに言ったのだが、「こういうのは年上の人間にさせなさいな」と言われて何も出来なかった。
「その分後でしっかりと働いてもらうから。後、皆には内緒だよ?」
片目を閉じて悪戯っぽく笑うエリ。でもまあ花弓にバレれば嫉妬されるだろうし、比美香は冷やかしにくるだろうし、内緒にしておいて損なことは無いはずだ。
どういうのを買うかは事前に決めていたので、買い物自体はすぐに終わった。サイズも用途も決まっていたので、目当てのものを見つけたら後はスムーズに決まる。
この辺は美瑚とは違うところだろうか?美瑚なら計画性も無しに誘いに来て、何も買えずにもう一度行くことになるはずだ。
両手に組立前の棚を抱えて、エリと二人で車まで戻る。
「悪いけど、これ置いたらついでに晩ご飯のおかずとか比美香ちゃんへのおみやげとかも買いたいから、もうちょっと付き合ってね」
「いいですよ」
「光穂ちゃんのも買ってあげるから」
「いやいや、それはいいですって」
「いいの、いいの。気になったのがあったら遠慮せずに言ってね」
何故だかエリは上機嫌だった。再三しつこく勧めてくるので、ペットボトルのジュースだけ買ってもらう。
そして買い物を全部済ませてから車に戻り、百貨店を出たところでエリがこう言った。
「ごめんね。もう一軒付き合ってほしいんだけど、時間ある?」
「いいですよー。今日も暇なんで」
別に断る理由はない。
断る理由は無いが、着いたのが女性モノのランジェリーショップなら話は別だ。駐車場に車を留め、店の前まで来て僕は固まった。
「えっと……ここに入れ、と?」
「何もそこまで言わないわ」
「……なんか妙にウキウキしてますね?」
さっきから感じていた疑問をここで口にする。
「あら、分かっちゃった?」
エリは両手で頬を挟み、恥ずかしそうにクネクネしだした。
「この店、大きいサイズでも可愛いのが置いてあるのよ」
もしかしなくても、此処へ来るのが本当の目的だったりするのだろうか?
「あー、それで最初はななこさんを誘っていたんですね」
「正解!」
ノリノリで人差し指を立てる。
エリは本当に嬉しそうにしていた。でないと一々僕を店の前まで連れて来たりはしないだろう。車で待たせておけば良いだけだ。自慢したかったのだろうか?
ただ、ななこを連れてきていて、もし花弓と繋がった状態のままだったら、帰った時に悲惨なことになりそうだ。
「とりあえず、此処で待っていてくれる?おみやげ買ってきてあげるから」
「要りませんよ!!」
この店でおみやげというのなら、当然下着のことだろう。しかし僕は歴とした男だ。
クスクスと笑いながら店に入っていくエリを見送る。
「エリさんがこんなに僕をからかいにくるのは珍しいよなー。余程楽しみだったのかー」
誰にともなく呟きながら入り口の前の街灯にもたれ掛かり、手持ちぶさたに携帯をいじったり、周りをきょろきょろしたりする。
正直、待つなら車で待っていたかったが、車のキーはエリが持っているし、キーを借りようにもこの店に入るのには勇気が要る。というか無理。
諦めて仕方なく店の前で大人しく待つことにした。
が、長い。
遅い。
そして、退屈。
前に美瑚とななこと三人で買い物に行ったときも長かったが、あのときは感想を聞かれまくったので退屈さを感じる暇が無かった。
だが、今日は一人。そしてノリノリのエリは中々出てこない。
……暇だ……このままどこかへぶらぶらしに行ってもいいだろうか?
買い物が終わったら携帯に連絡してくれればいいし……
先にメールで断っておくか……
そう考えて携帯でメールを打つ。
ちょっとその辺をぶらぶらしてきます。買い物が終わったら電話でもください。
メールを送信して窓越しにエリを見ていると、メールに気付いたようで携帯を見ていた。それから窓の外に居る僕に向かって手を振る。これは了解の返事だろう。勝手に解釈する。
「さて、行くか」
携帯をポケットに突っ込んだところで初めて気付いた。
一人の女の子が、すぐ側でじっと僕のことを見上げている。年は小学校低学年くらいだろうか。迷子なのかよく分からないが、一人でじいっと僕を見つめている。
話しかけようか否か迷っていると、その女の子の方から話しかけてきた。
「お兄ちゃん、悪い人でしょ」
「……は?」
最初は何を言ったのか理解できなかった。何も言えずに何を言ったのか考え込んでいると、女の子はさらに続ける。
「お兄ちゃんは悪い人だよ。だってアイツの気配がするもん」
何を言っているのか分からない。からかわれているだけなのだろうか?大体、アイツって誰のことだ?
少々パニくりながら考え込んでいると、女の子は近寄ってきて僕の手に触れた。
「へえー?結構スゴいの持ってるんだ」
「何が?さっきから何を言ってるの?」
女の子はそれに答えず、さらに質問してくる。
「ねえ、アイツの居場所教えてよ。知ってるんでしょ?今どこに居るの?」
教えるも何も、アイツが誰なのか分からなければ答えようがない。
「えーっと、その……アイツって誰のこと?」
「……白々しい……」
女の子が吐き捨てるように言った。
「黒瀬よ!黒瀬花弓!」
「花弓さん?」
「ほら知ってるじゃない!教えてよ、アイツが今どこに居るのか!」
この子は花弓を知っている?でもアイツ呼ばわりだし。教えて良いのだろうか?
大体この子が何なんだ?人を悪人呼ばわりするし。
まあ怪人なんてモノをやってる手前、善人と呼ばれるのも筋違いな気もする。でも今は変身してないし、やっぱり悪人扱いは酷い。
「教えてくれないの?」
しびれを切らしたように女の子が言う。
「教えてくれないのなら……」
「ちょっと待って。大体君は一体――」
「私?私は椛沢あみ。アイツの……知り合いよ」
知り合いというには言葉の端々に敵意が感じられる。
「で?教えてくれるの?くれないの?」
教えても良いのだろうか?しかしどこか怪しい雰囲気がする。
花弓さんに連絡して聞いてからでも遅くはない、か?
そういえばエリさんはこの子の事を知っているのだろうか?知っていればそれでいいし、知らなければ花弓さんに聞いてからにしたほうが……
「教えてくれないのね」
色々と考えていると女の子がぽつりと呟く。
「じゃあ、こっちにも考えがあるんだから!」
そう言って僕を睨みつける。
「お兄ちゃんのそのチカラ、借りるよ!」
次の瞬間、僕は小さくなっていた。
 
 
私の目の前で、見ている正に目の前で、光穂が消えた。
暇だからぶらぶらしてくる、というメールを寄越してきたので、了承のつもりで彼に手を振る。
すると目の前に居た知らない女の子を何か話し始めたようだった。
迷子だろうか、と思っていると女の子が彼の手に触れる。そして二言三言何か言ったかと思うと、私が見ている目の前で、光穂が消えた。
見間違いなどでは無い。目を離していた訳ではない。
目の前。私の見ている、その視界の中で、光穂の姿がかき消える。
「……え?」
思わず固まった。
何今の?光穂ちゃんは?
女の子の方もしばらく立っていたが、一瞬しゃがんだと思うと次の瞬間にはもう居なくなっていた。
おかしい。
絶対に何かがおかしい。
光穂が急に消えるのがおかしい。移動するのならともかく、消えるなんて。
女の子の動きがおかしい。立っていたと思ったら次の瞬間しゃがんでいて、そしてすぐに消えてしまう。
おかしい。いくら何でも速すぎる。
「これって……まるで、光穂ちゃんの能力?」
でもそれだと光穂が使う説明がつかない。
無意味にこんな場所で使う訳がない。知らない女の子なんかに見せるはずがない。
それとも知り合いだったのだろうか?余計に無いか……
なんで?一体どういうこと?
胸の奥がざわざわする。
嫌な予感がする。
私は手に持っていた商品を戻して店を出た。名残惜しいがそれどころじゃない。
辺りを見回しても二人の姿は無かった。
彼が立って居た街灯の側の地面を見ても、彼を見つけることは出来なかった。
 
 
断言する。
僕は能力を使っていない。
が、実際に僕の体は小さくなっていた。
「どうして?」
上を向いた瞬間、僕はあみにさらわれる。しかもそれがあり得ないスピードだった。まるで僕の能力を使ったかのように。
だが、僕が加速していないのはおかしいし、大体使ってなんかいない。
先ず、変身無しで能力を使うのはリスクが高すぎる。
変身してこそ身体能力が向上しているので、小さい世界でも少々大丈夫なのだが、変身していない状態で小さくなると身体の強度に不安が残る。そして当然、ディレイ中は変身もできない。
あみの手に捕まる。抵抗したが逃げ出せない。
周りの景色がスゴいスピードで流れていくのは、あみが移動しているからだろう。
どこに連れて行く気だ?というか、どうしてこうなった?
疑問はいくつも沸いてくるが、一つとして解けない。
そして何も分からないまま、気が付けばどこか建物の中に入っていて、ある部屋の机の上に降ろされた。木造の建物で相当古いらしく、周りの壁や机まで年期が入っている。
あみは机の前に座ってめまぐるしく動きながら僕を見下ろしていた。
これは、この動きは明らかに『アルティメットミニッツ』だ。使っている間は他人からこう見えているのだろう。
でも何故?この子も使えるのか?それなら何故僕が小さく?
原因を考える。こうなる直前のことを思い出す。
あみはあの時、力を借りる、と言った。
ということは僕の能力が勝手に使われたのか?そんなことが可能なのか?
可能だとするとこの子は一体何者なのか?ただ者では無いのは確かか。
色々と考えていると、急にあみの動きが鈍くなった。どうやら終わったらしい。そうか、もう1分経つのか。
「あー、やっと終わったみたい」
あみが待ちくたびれたかのように言う。
「とりあえず限界まで使ってみたんだけど、これ退屈だよ」
「何なんだ一体!お前は何をしたんだ!」
「何?知りたいの?」
あみは仄暗い笑いを浮かべる。
「先に質問したのはこっちなんだけどな。いいよ、教えてあげる。その代わり、お兄ちゃんにもアイツの居場所教えてもらうよ」
そう言ってあみは説明しだした。
「私の能力は名付けて『スティール』。お兄ちゃんみたいな他人の能力を奪えるの。しかも反作用みたいなデメリットは全て相手に行って、私は効果だけ得ることができるの。
条件は相手に直に触れること。安心して?奪うって言っても借りるみたいなものだから」
それでか。その能力で『アルティメットミニッツ』を奪って使い、その反作用だけ僕に来たのか。
使用者があみだから、僕の時間は延びなかったのだろう。
「他には?何か聞きたいこととかあるの?どうせ最後なんだから何でも教えてあげるよ」
笑顔で何か気になる事を言う。
「……最後?」
「そ、最後でしょ?」
あみがにこりと笑った。
「私が聞きたいことを聞いたら終わり。お兄ちゃんに用は無いから。その後は、分かるよね?」
顔がひきつる。
これは……不味い……
「私は優しいから何でも答えてあげるよ。お兄ちゃんも最後の時間が来るのを、出来るだけ先送りにしたいでしょ?」
笑顔で恐ろしいことを言う。しかもその目に嘘は無かった。
「あ、逃げようなんて考えないでね?その反作用がいつまでなのか知らないけど、私の『スティール』は触れただけで使えるんだから」
分かった。この笑顔は余裕の笑みだ。圧倒的優位に立っているとの自覚がある顔だ。
自分の能力を教えたのも、その発動条件まで教えたのも、全てその余裕があったからか。
慢心、とも言える絶対的余裕。でもこちらには裏をかく切り札が無い。
どうしよう……
助けを呼ぼうにもさせてくれないだろうし、エリは買い物中で気付いてくれたかどうかも怪しい。それに気付いていたとして、この見知らぬ場所まで手がかり無しでたどり着けるのだろうか?
不味い。
非常に、不味い。
手詰まり、か……?
「どうしたの?もう聞きたいこと無いの?なら次は、お兄ちゃんが教えてくれるよね?」
あみがズイっと身を乗り出してくる。机の上にいる僕にのしかかるように、覆い被さるように。
視界一杯にあみの姿が広がる。視界があみの顔と身体で覆われる。
あみの腕で囲われているので逃げ場はない。思わず腰が抜けてへたり込んでしまった。
「ねえ?」
あみの大きな口が開き、言葉と息が落ちてくる。
「アイツの居場所はどこ?」
不味い、やばい、どうしよう!
大体何でコイツは花弓さんを知っているんだ!?
ふと頭に上った疑問。それを時間を稼ぐのに使う。
「ど、どうして、か、かゆ、黒瀬さんを?」
腰が抜けて、言葉も上手く出てこない。
そんな僕が面白かったのか、サディスティックな笑みを浮かべてあみは言った。
「私はアイツを見つけなきゃいけないの。任務だから」
「に、任務?」
場違いな言葉だ。
「そう、アイツを見つけて報告するのが私の任務」
あみはさっきの姿勢のまま、僕の真上から告げる。
「どうしてそんな……?」
「アイツはこの時代にいちゃいけない人間だからよ」
また大層な答えが返ってきた。
僕が何も言えずに驚いていると、その反応にあみが意外さを覚えたようだった。
「え?何?お兄ちゃん、知らないの?アイツの仲間のくせに?」
バカにしたように言う。
「なんだアイツ、何にも言ってないんだ」
「……な……何を?」
「アイツはこの時代よりずっと先の未来から逃げてきたんだよ?私はアイツを追いかけてきたんだけど、この辺で見失っちゃったから探してたの。で、ようやく見つけた手掛かりがお兄ちゃんって訳。分かった?」
分からない。
未来?ずっと先の未来から来た?花弓が?
そんなこと、一言も言ってなかった。聞いたこともない。
そして気付く。花弓の何を知っているのか、と。
以前、一度突っ込んで聞いたときははぐらかされた。疑問に思わなかった訳ではないが、何か理由でもあるんだろうと思って深く考えなかった。
そして花弓のあの技術力。僕が知っている現代の技術の最先端なんて高が知れているだろうが、花弓のそれは最先端なんて大きく上回っている。
あれは未来から来たからだ、と言われると納得もできた。
さらにこの椛沢あみという女の子が、怪人になることによって身についた能力について知っていることにも得心が行く。追ってきた、というからにはこの子も花弓と同じ未来から来たのだろう。
もしかすると花弓の居たという未来では、こういうような特殊能力は普通のことなのかも知れない。
「だからさ」
あみが言う。ささやくように言う。
「あんな奴のこと、大事に隠してても意味がないよ」
僕はあみを見上げた。その大きすぎる瞳と僕の視線が交錯する。
「教えてよ、アイツの居場所」
花弓の、居場所を……
エリの家を、教え……る?
「あみー!あみー?」
誰かがあみの名を呼んでいるのが聞こえた。
「あ!忘れてた!」
あみが立ち上がって時計を見ている。
僕もハッと気付いた。何を言おうとしていたんだ?
あみは慌てて部屋を出て行こうとして、そしてまた戻ってきた。
「逃げられないようにしとかなきゃね」
そう言って机の上に置いてあったセロテープを使い、僕を無造作に机の上に貼り付ける。それだけで僕の身動きは取れなくなった。
「すぐに戻ってくるから。それまでに言えるようになっておいてよ」
それだけ言ってパタパタと部屋を出て行く。
よく考えれば最後通告されていたんだった。花弓のことをバラしてもどのみち……
とりあえず、ここから逃げよう。
一生懸命にもがくが抜け出せない。情けないことに、セロテープで机に貼られたくらいで動けなくなっている。
怪人状態ならなんとかなったかも知れないが、今の状態では無理だ。腕を動かすのもままならない。
それでも何とかして抜け出そうと必死にもがく。全身フル稼働で抜け出そうと試みるが無理だった。
そうこうしているとあみが戻ってくる。本当にすぐだった。
そしていとも簡単にテープを剥がす。本当に無力なんだな、と実感できた。
「じゃあ聞くよ?アイツの居場所は?」
「…………」
僕は答えない。
「……ふーん?言わないつもりなんだ?」
どんっ、と机を叩くようにしてあみが右手を置く。衝撃で僕の身体が浮いた。
「一応言っておくけど、早めに言っちゃったほうが楽だよ?」
そう言って人差し指を伸ばしてくる。僕の身体より大きな子供の指。僕は逃げようとしたが、あっさりと机の上に抑え込まれてしまった。
そしてそのままあみはグリグリと押し付けてくる。ミシミシと骨が軋み、肺の空気が一気に絞り出された。
「!!!!!!」
「痛い?痛いの?私、軽く抑えてるだけだよ?」
ぐっ、ぐっ、と机に押し付けられる。その度に口から声にならない悲鳴が漏れ出た。
何度か気が遠くなりかけたが、断続的に抑えつけられることで意識を呼び戻される。
「そろそろいいかな?」
僕の背中から指が離れていった。
「これで教えてくれるよね?お兄ちゃん?」
はあはあと息を整えるのに必死で喋ることすらままならない。
ところがそれをあみは答える気がないと判断したようだった。
「教えてくれないの?じゃあ今度はねー……」
僕を仰向けに転がし、もう一度人差し指を降ろしてきた。今度は爪を立てて!巨大な指が、分厚い爪が、逃げられない僕のお腹を圧迫する。
「!!!!!!」
このまま爪で千切られてしまうんじゃないかというくらいの激痛が僕を襲った。
「早く言ったほうがいいよ?私がまだ優しいうちに」
これのどこが優しいというのだろうか?明らかに殺しにきている。
指を左右に動かし、本当に爪で身体を二つに切ろうとしているようだった。
「まだ言わないの?強情だなあ」
指を離し、今度は右腕。圧力から解放されて、大の字に脱力した右腕をあみに人差し指が襲った。
ビキリ、と嫌な音がして、全身に激痛が走る。
「!!!!」
声にならない声で叫びながら、左手でやたらめったらにあみの指を叩く。その指が離れていっても、僕の右腕は動かなかった。
「あー、ごめんね?でもお兄ちゃんが教えてくれないのが悪いんだよ?」
激痛に耐えながら右腕を庇うようにしてうずくまる。その僕の周りをあみが指でトントンと叩き始めた。
「すぐに教えてくれたひと思いにしてあげたのにー。どうせ最後なんだからさ?苦しんだりしたくないでしょ?もう教えてよ」
あみが机を打つ度に衝撃で僕の体が宙に浮く。そして落ちる度に体に激痛が走った。
「もー、ほんとに――」
あみが何か言い掛けて止まった。
激痛に苛まれる頭で不思議に思って見上げてみると、何か部屋の外の方を気にしている。
……?何だ?
疑問に思っていると、部屋のドアが勢いよく開く音がした。
「やっと見つけた!!」
エリの声が響く。
 
 
市街地から少し離れたところにある、小さな古い教会。その一室にさっきの女の子が居た。
「やっと見つけた!!」
思わず私は叫ぶ。女の子は振り返って机の上の何かをさっと隠し持った。
しかし私は見逃さない。そして確信する。あれは光穂だ。
部屋に押し入って静かにドアを閉める。既に変身してあるので、これで密室が完成。私の能力、『女主人の裏部屋』の条件は整った。
「その手の中に居る子、返してもらうわよ」
私は威圧をかけながら女の子に近寄る。女の子は私を睨みつけながらじりじりと後ずさった。
「仲間がいたのね……」
「そうよ。その子を助けに来たの」
「だから喋らなかったのね……私が甘かったのね……」
「何のことかは知らないけど、その子は返してもらうから」
「嫌よ!私まだ聞いてないことがあるんだから!」
「じゃあ無理にでも!!」
私は鞭を取り出す。鞭と言っても教鞭のような短いものだが、子供にお灸を据えるにはこれでいいだろう。
それを持って一気に女の子に詰め寄り、光穂を握りしめているその腕を打った。
「痛っ!」
思わず開いた掌。そこからこぼれ落ちるように落下する光穂をすくい上げて彼の安否を確認する。
「うぐっ!」
私の手の平に落ちた時に悲鳴を上げた。どうやら右腕のようだが、庇うようにして私を見上げる。
「……エリさん……」
「ごめんね?大丈夫?私がもっと早く来ていたら……」
そして私は女の子を睨みつけた。
「これは、ちょっとおイタが過ぎるわよ?」
打たれた腕を押さえながら、悔しそうに歯噛みをする女の子。既に部屋の隅まで後ずさっている。
「エリさん、僕はいいから早く花弓さんに……」
「逃がさない!」
光穂が何かを言い掛け、私がそれに気を取られた瞬間に女の子が両手を広げて私に突進してきた。
「あれは!」
光穂が叫ぶ前に私は鞭で女の子の両手を打つ。
「ああっ!!」
女の子の悲鳴。でも私はそれくらいじゃ許さない。
両手を胸で抱えるようにしにてうずくまる女の子に、私は鞭を突きつける。
「勝手に動かない。次は三回打つわよ?」
「ううぅ!」
これだけしても女の子はまだ私を睨みつけてきた。
「アイツの手掛かり……絶対に逃がさないんだから……」
「アイツ?」
誰のことだろう?私は目を細める。
「黒瀬花弓よ!知ってるんでしょう!?教えてよ!!」
女の子が私に向かって吠えた。
「エリさん!」
掌の中の光穂が叫び、首を横に振っている。私は小さく頷いた。
彼がこうまでして守ったものを私が軽く言う訳にはいかない。
「知っているわ。でも教える訳が無いでしょう?」
女の子が歯噛みする。
「絶対に……逃がさない……」
女の子が呟くのと同時に、部屋の外の廊下を誰かが駆けてくる音が聞こえてきた。
「シルヴィー!助けて!」
「あみ!大丈夫!?」
叫び声と一緒に部屋のドアが勢いよく開き、銀髪のシスターが現れた。先ほどこの教会に乱入したときに、後ろから襲い掛かって気絶させてきた女性だ。
彼女は部屋の隅でうずくまる女の子を見て、そして思いっきり私を睨みつける。
「やってくれたなお前……」
静かに沸き上がってくるような声。
「私ばかりかあみまで!」
部屋に入ってきて後ろ手でドアを閉める。
「絶対に、許さん……!」
逃がさないように、の思慮だろうが私には好都合だった。ご丁寧に鍵まで掛け、ドアの前に陣取って身構える。
「軍を抜けて半年、まさかここまで鈍るとはね……だが!もう気は抜かん!!」
並々なら気迫がビシビシと伝わってくる。ただのシスターではない。一線を画する迫力があった。
「エリさん……」
「分かってる」
光穂も同じように思ったようで、心配そうに私を見上げてくる。
だが、鍵まで掛かっている密室で負ける気はない。あの水色相手でも圧倒できる自信があるが、早く帰って光穂を看て上げたい。庇っている腕を放っておいていいことはないだろう。
「ごめんね。ちょっとだけ我慢してね」
そう言って私は光穂を胸元に押し込んだ。
「すぐ済ませるから」
大分疲労が溜まっているのか、普段なら何か言うはずなのに今日は文句も言わなかった。そしてそのことがまた少し私を苛立たせる。
「あみ、下がってて……覚悟しろよお前」
スカートを破りスリットを作るシスター・シルヴィー。
私も負けじと睨み返す。
「貴方じゃ足りないわ。お灸を据えるのはこれからよ」
二人に向かって言い放ち、鞭を片づけて身構える。
数瞬の睨み合いの後、シルヴィーが一足で間合いを詰めてきた。
流石に速い、が今の私に対応できない速さは無い。
ワンツーを右手一本で受け流し、わき腹を狙いに来た右膝を、左足を上げて蹴りの出所を潰す。
そして今度は私から前に踏み込み、左肩をシルヴィーの両腕の間にねじ込んで体当たりを入れる。姿勢が姿勢なので力は入らないが、間合いを開けるには十分。
たたらを踏んで下がるシルヴィーに追い打ちの後ろ蹴り。
決まりはしなかったものの受け止めきれず、シルヴィーはガードした体勢のまま吹っ飛ばされて後ろのドアに叩きつけられた。
「ぐっはっ!」
「シルヴィー!!」
肺の空気が漏れる声にあみの悲鳴が重なる。今の私は普通の筋力も相当底上げされているのだ。相手が誰であれ、人一人蹴り飛ばせるくらいの力は十分にある。
あみがシルヴィーに駆け寄った隙に、私は背を向けて窓を開けた。
「ぐっ!待てっ!」
窓枠に右足を掛けたまま振り返り、壁に手を付いてようやく立っているシルヴィーに向けて言い放つ。
「追いかけて来たければ来ればいいわ。でも次はそれくらいじゃ済まさないわよ」
実際は外で戦って勝てるかどうかも怪しいが、一応脅しをかけておく。
「…………シルバー、シルバー・ガリウスだ!覚えておけ!」
少し考えて名乗る彼女に、私も少しだけ考えて名乗ることにした。
「……エリ・ミラーよ。もう二度と会いたくないわ」
怪人状態で名乗っても意味があるのか少し疑問ではある。
そして私は窓から飛び降りた。二階ほどの高さなので変身している私にとっては大したことではない。
全速力で車まで駆け戻り、エンジンを掛けっぱなしにしていた愛車のアクセルを思いっきり踏み込んだ。
「もう少しだから、もう少しだけ我慢してね……」
胸の隙間に光穂の存在を感じながら、私は半ば自分に言い聞かせるように呟いた。
 
 
体が熱い。熱を持っている。
特に右腕が熱い。ズキズキと痛む。
そして頭痛も酷い。熱と痛みで吐きそうになってくるが、ここで吐く訳にはいかないだろう。
エリの服の中に押し込まれたが文句を言う気力も無かった。エリが助けに来てくれたことで張り詰めていた気力が一気に緩む。
熱でぼうっとする頭で、あの椛沢あみとかいう女の子のことを考える。
花弓を未来人だと言い、未来から逃げてきたのを追いかけて来たと言った。
花弓さんはあの子のことを知っているんだろうか……
熱で呆けた頭なので上手く回らない。
ズキズキ痛む右腕と耳から入ってくるエリの心音が重なった。
ドクン、ドクン、と繰り返す音を聞いていると、いつの間にか眠ってしまったようだった。
「花弓様!!」
というエリの悲鳴にも近い声で目が覚める。
帰ってきたのか……
「おかえり、遅かったじゃない。どうしたの?」
花弓の呑気な声がエリの服の向こうから聞こえた。
「それが!ごめんなさい!!」
エリは謝ってから僕を服の中から取り出す。
「みつ、ほ?くん!?どうしたの!?」
エリの手の中で倒れて動けずにいる僕を見て、花弓が血相を変えて悲鳴を上げた。
「どうしたの!?一体どういうことなのよ!エリ!?」
「その!あの!」
エリを問い詰めても説明は無理だろう。エリは助けてくれただけで、どうしてこうなったかは知らないからだ。
「花弓さん……」
「大丈夫!?光穂くん!?早く手当てを!ななこ!ななこ!!」
叫ぶように花弓がななこを呼ぶと、慌ててななこが走ってきた。一緒に晩ご飯の支度でもしていたのか、比美香も寄ってくる。
「マスター!?」
「光穂ちゃん!?」
「花弓さん!」
皆の心配をよそに、僕は大声で花弓を呼んだ。
「椛沢あみ、っていう女の子、あの子は一体……」
自分でも上手く口に出来ない疑問。分からないことが多すぎる。
が、しかし、花弓の反応は予想外だった。
「どうして……その名前が……」
よろけるようにして後ろへ数歩下がり、ソファに躓いて崩れるよに座り込む。
「??……花弓様?」
「まさか……見つかっ……た?」
比美香の不思議そうな声も聞こえていなさそうだった。
焦点の合わない目で何かぶつぶつ言いながら考え事をしていたが、やがて顔を上げて順番に皆を見回す。
それから小刻みに首を横に振って、
「嫌……違う……そんなこと……しな……」
と小声で呟くと弾かれたように立ち上がって応接間を出て行ってしまった。
「花弓様!」
一応、比美香が後を追いかけて出て行く。それに気を取り直してななこが僕を見た。
「マスター、私が看ますので、一度元に戻ってもらえますか?」
僕は何も言わずに首を横に振る。あみに勝手に『アルティメットミニッツ』を使われてからまだディレイを消費しきっていない。
「ななこさん、今何時?」
「18時20分ですけど?」
エリにメールを送った時に見た時間が夕方5時半くらい。その後すぐだったから、7時10分を回らないと元には戻れない。
「後50分くらい経たないと無理なんだ……」
「そんな……」
ななこの悲痛な声がして、そこへ比美香もしょぼくれて戻ってくる。
「花弓様、ちょっと一人にしてほしいんだって……エリちゃん!どうしてこんなことになったの!?」
半ば怒っているのか、少し強めの口調でエリを責める比美香。
「それが……あんまり私にも分からないんだけど……」
ななこにも睨まれて、エリがまたおろおろし出す。
「比美香、エリさんは悪くないから……全然悪くないから……」
「光穂ちゃん……」
エリ一人を責めるのは間違っている。エリは全く悪くないのだから。
「エリさんが助けに来てくれたんだから……でないと今頃は……」
腕だけでは済んでいないだろう。
「あれ?光穂ちゃん、もしかして変身していないのに能力使ったの?」
僕の大きさで気付いたのか、今更な疑問を比美香がしてきた。
僕は何も言わずにただ頷く。
「しかしどうしてこんな無理をなされたんです?せめて変身してからだとここまでは……」
ななこの言う通りだが、そんな間など無かったのだ。
「それも後で説明するから……」
そう言って僕は眠るように目を閉じた。