――そこは、薄暗い場所だった。
藤椎(とうつい)商店街にある狭い路地の先。
少し高めの塀に囲まれた空間があった。
本来行き止まりでしかないそこは、今では不良の溜まり場と化していた。

「ぎゃははははっ!」

知性を感じさせない下卑た声が響く。
そこには12人の男たちがいた。
髪を染めた者、たばこを吸っている者、ピアスをしてる者、腕に刺青がある者、etc.
俗に『不良』と呼ばれる者たちだった。

そも、当初この場所にいたのは2,3人だった。
それから噂を聞きつけてか、ならず者だった奴らが集まってきた。
出会って早々に殴り合うこともあれば、あっさりと打ち解けあったこともある。

………………………………………………………………………………………………………………

彼らの共通点は、自分の欲望を剥き出しにした結果、他人や社会から爪弾きにされた点だった。

ただ髪を染めてみたい、ピアスをしてみたい。
たばこや刺繍はマズいにしても、この二つなんて可愛らしいものだ。
実際問題、ちょっと髪を染めたりアクセサリーを身に着けたりするだけで学業に支障はない。

よく大人は「学業に対する態度が悪いから」などと宣う。
髪を染めていなくても、授業中寝てばかりの学生と。
髪を染めていても、テストで高得点を取ろうと勉強している学生。
果たして、どちらが「不良」なのだろうか。
そう考えると、大人がいうその態度とやらは授業中に限定されるべきではないか。

これはほんの些細な一例だ。
そしてそんな綺麗事の御託を並べる大人たちに反発した結果が、このコミュニティだった。

………………………………………………………………………………………………………………

壁際に立っている男が小さく欠伸する。
片手で携帯を弄り、もう片方はポケットに入れている。
最近加入したばかりであるにも関わらず、堂々とした態度だった。

彼はこんなコミュニティの中では比較的まともだ。
髪を染めてるわけでも、ピアスやたばこもしてないし、入れ墨や刺繍なんてもってのほか。
仲間に何度かやってみないかと誘われたが、それすらも頑なに断り続けている。
新入りのくせに、と文句を言われても彼は気にしていなかった。

では、なぜ彼がこの溜まり場にいるのか。

………………………………………………………………………………………………………………

「(潜り込んだはいいけど、いつまで続ければいいんだよ)」

俺は携帯を見て何度目かの嘆息をこぼした。
画面には「新着メールなし」と表示されたままのメールボックスが開かれていた。
それを確認して苛立ちとがっかり感が心に渦巻く。

ここにいる理由、それは「バイトだから」だ。
ついこないだ、やっていた短期バイトが満了したので新しいバイト先を探しているときのことだった。
間違ってクリックしてしまった広告に書かれていた求人情報に目を奪われたのだ。

『ただ現地に行って数日過ごしてもらうだけで、50万円支給!』

超絶怪しいブラックバイトだと一目でわかった。
さらにその応募条件を見ていくと――。

『体力に自信がある方』
『メンタリティの強い方』
『仕事内容を口外しない方』

この条件が必須項目に入っているのだから、どれだけ怪しいのかわかるだろう。
いやむしろ怪しいどころか危ないまである。
下手したら人殺し関連だろう。
893さんが経営する会社かもしれないとすら思った。

備考欄に「万が一の場合は補償金付与」とか、「特別報酬が出るかも!?」とか。
様々な謳い文句が書いてあった。
前項には「万が一があるのかよ、あっちゃダメだろ!?」とツッコんだし。
後項の「特別報酬=ご褒美」には小躍りしたくなるほど嬉しいものだが、しかし同時にやばい状況に陥る可能性を示唆しているようにも思える。

おまけに、潜入してからもう一週間が経とうとしており、その間の連絡は一本もなし。
騙された感が沸々と込み上げてくる。

「(なんで、こんなバイトに申し込んだんだろう……)」

携帯電話の画面から目を離し、小さな空を仰ぎながら過去の自分を激しく責めた。
申し込んだときの理由は単純明快。
高校生にとって、「50万円」がひどく魅力的だったから。この一点に尽きる。
しかも肉体労働をさせられるわけでもなく、ただ現地で過ごせばいいだけ。
牢屋に入って寝るだけのバイト、なんていうのもこの世にはあるらしいが、それと似たものだと思っていた。

貧乏くじ引きたいです!
なんでそう宣言してクリックしてしまったのか、と恨み言をぶつけたい気分だった。

何度目かになる溜め息をつく。
すると携帯のバイブが鳴った。
期待を込めた目で見ると、新着メールが一通届いていた。

『もうすぐ担当者が着きます。少々お待ちください』

開いたメールの文面を見て、口からは解放感に満ちた吐息がこぼれた。

「(ようやくか……)」

と、文章がまだあることに気付いてスクロールする。
そして続く文に眉をひそめた。

『なお、始まったらすぐに避難してくださいますよう、お願い申し上げます』

この一文が添えられた意図を理解しようと注視する。

これはどういう意図だろうか。
そもそも不明な点は2つある。
1つは「何が起こるか明記されていない」点。
もう1つは「避難しなければならないことが発生し、巻き込まれる危険性がある」点だ。

「(やっぱこのバイトやめておいた方が良かったかなー…)」

『避難』というからには良くないことが起こると察した俺は、小さく肩を落とした。
おそらく目の前に鏡があれば、裕福から貧乏へと一転した資産家みたいな、げんなりとした顔になっているに違いない。

「なんだ、さっきから百面相して。彼女からメールか?」

近く座っていた男が声をかけてくる。
どうやら見られていたらしい。
俺は面倒なことにならぬよう、「なんでもねぇよ」と返して携帯をポケットにしまった。

けれど、災難というものは唐突に、また連鎖的に起こるものだ。
男とのやり取りが聞こえたらしい別の奴がこちらを見てにやりと笑った後、声高に叫んだ。

「おい、こいつ彼女がいるらしいぞ!」
「なっにいいいぃぃっ!?
「……はぁ」

避けたかった面倒ごとに直面して、溜め息を隠すことも億劫だった。
その間に、騒いでいたアホどもが詰め寄ってくる。

「おまっ、彼女なんていたのかよ!?」
「根暗のくせに!」
「クール男の時代はもう過ぎてんだよ!」
「その情報の出どころ詳しく」
「てか、クールじゃなくてただ俺らの輪に入れなかっただけでしょ」
「なにそれ臆病なだけかよ」
「社会不適合者」
「そこまで言わなくていいんじゃないか!?」

――……余談だが、アホどもを追い払うのに15分以上かかった。
口を開けば言葉転がし続けるって女子かお前ら、と言いたくなったが、言ったら悪化しそうだったのでやめておいた。

……………………………………………………………………………………………………………………

それから約1時間もの時が過ぎる。
やかましい光景を彩っていた奴らはまた思いつくままにバカ騒ぎに夢中になり、俺もまた携帯弄りに戻っていた。
やっていることと言えば、ゲームをやってはメールボックスを開き。
ネットで検索してはメールボックスを開き、白い鳩マークのSNSを開いてはメール(以下略

というか「もうすぐ」って書いてあったよな?
1時間経ってんだけど! 感覚おかしいんじゃないの!?

内心でそんなことを噎び泣く。
そしてやっぱこんなバイト止めておいた方がよかった、と後悔に戻る。

――そんな時だった、足音が聞こえたのは。

期待なんてなかった。
ようやく来たか、と苛立ちが胸中を暴れまわる。
しかしそれを表情に出さないよう、必死に取り繕いながら俺は顔を上げた。

その傍にいた不良もまた、徐々に大きくなってくるその音に気付いて入り口を見つめた。
1人、また1人と気付いてはそちらへと顔を向ける。
招かれざる客の来訪に、彼らの表情は険しかった。
居場所を失いたくないが故の警戒だった。

だが、やがて姿を見せた来訪者を見て、彼らは警戒を解いた。
やってきたのは若い、如何にも非力な女性だったからである。

ウェーブがかかった褐色の髪の毛を背中まで伸ばしている。
薄く化粧を塗った顔、ピアスをした耳。首元にはネックレスがあった。
襟が広めのカットソーを着ているせいか、鎖骨と谷間が見え隠れしていた。
そのトップスを平均より少し大きめな胸が押し上げており、男たちの視線はすぐさまそこに行った。

けれど女性は嫌悪せず、むしろ見せつけるように胸を張って微笑を湛えている。
二桁を超える男を前にしても臆した様子を見せないその態度に、不良たちは違和感を覚えなかった。
むしろ、だらしなく鼻の下を伸ばしているまである。
笑顔。たったそれだけで彼女は彼らの頬を緩ませたのだ。

こいつらの表情を見てると、警戒を「解いた」のはではなく、「解かされた」のではないか。
視界に映る彼女が事前に連絡を寄越した担当である可能性を捨てきれない俺は、なぜかそう思った。
かくゆう俺も、その容姿と堂々とした振る舞いに見惚れてしまっていた。
もし人心掌握が目的だったとしたら、素晴らしい人選だと絶賛するくらい。

誰か探しているのか、女性がきょろきょろと不良たちの顔に忙しなく視線を巡らせる。
調子にのった不良の一人が下心満載の笑みで手を振ったが、スルーされて落ち込んでいた。
その様はまさに滑稽だったので小さく鼻で笑う。

と、女性の視線が不意に止まった。
彼女はまっすぐ俺を捉えていた。
とりあえず、目礼しておく。

「……………………ふふっ♪」

するとそれまでの微笑とは違う、探し物を見つけたような嬉々とした笑みを浮かべた。
おまけにこちらに向かって小さく手をひらひらと振ってくる始末。
その明らかに「あなたに会いに来ました」的な態度は勘弁してほしい。
おかげさまで、無関心な対応を貫きたかった俺は不良たちから、羨望・怨嗟・殺意などがこもった視線の集中砲火を向けられることになった。

俺は眉間にしわを作りながら女を観察する。
大人びてる印象があるから、おそらく大学生かOLだろう。
だからこそ、この女性が本当に担当なのか、わからなくなってしまう。
もしかしたら、ただ迷い込んだだけの一般女性なのかもしれない。
そんな思考が脳裏を掠めた。

「お姉さん綺麗だねぇ!」

早々に特攻していく奴が一人。
あいつに続けと言わんばかりに他の不良も彼女に近づいていく。

「どうしたの? 迷子?」
「ダメだよ、こんなとこに来ちゃ」

彼らは一様に軽薄な笑みを浮かべている。
下心に満ちた奴らは彼女の胸に遠慮ない視線を向けていた。
勉強とかにはやる気を見せないのに、こういう時にヤル気を見せるのは男だからか。

彼女が困ったように笑って身をよじる度、豊かな乳房は揺れ、シャンプーか香水かわからない甘い香りが振り撒かれる。
中心にいる彼女は視覚的、嗅覚的に彼らを誘惑する蝶。
そしてその周囲にいる不良たちは群がっているクモに見えた。

そこまで考えて、普通逆じゃないかと、自分の思考に苦笑する。
本来であれば、クモが中心であり、その周囲は獲物のはずだろうと。

――と、考えていたら唐突に違和感を覚えた。
蝶に群がるクモ、クモの巣に引っかかった獲物。
どちらが正しいのだろうか。

「よければこれから一緒に遊ばない?」
「えぇ?」
「カフェにでも行かない?」
「連絡先教えてよ。愚痴でもなんでも聞くからさ」
「おまっ、抜け駆けかよ!」

普通、こんな大勢の男に囲まれたら女性は怯え戸惑うだろう。
何をされるかわからない、ただ単純に怖い。
そんな感情が顔の表情や体の震えに表れる。

しかし、彼女はどうだろうか。
微笑を湛えたまま、その場に佇んでおり、震えている様子もない。
かけられる言葉は真っ当に取り合わず、さり気なく肩を抱こうとする手や握ろうと伸びてくる手は適当にあしらっている。
如何にも、こういう手合いには慣れている対処的行動だった。

ちらっとこちらに目を向けてくる。
彼女と目が合った瞬間、背筋に寒気が走った。
男たちの胸を鷲掴みにする笑みが、ひどく恐ろしいものに見えたのだ。

周囲にいる彼らは特に気にした様子もなく、彼女の気を引こうと誘い文句を言い続けている。
下心が相変わらずかくれんぼしてる言葉で。
彼女の視線は既に俺から外れ、また不良たちからの誘いをひらりひらりと躱している。
成熟しきっていない可愛らしさと成熟しかけている色っぽい笑みを浮かべたまま。

視線が交差した際に感じた怖気は気のせいだったのだろうか、と俺は小さく首を傾げる。
もはや、どちらがクモなのか判断がつかなくなっていた。

それでも俺は、さっきまで以上に彼女を見つめ続けていた。

…………………………………………………………………………………………………

それから僅かな時間が過ぎる。

男たちは必死に彼女を口説き続けていた。
その姿はもう、口説く自身に酔っているかのようだ。
併せて、同性の中でも自分を一番に選んでほしいという競争心が芽吹いているのか、だんだん苛烈さを増しつつある。

それに対し、女性もいい加減うんざりとした顔で周囲の男たちを睥睨していた。
時間が経てば経つほど冷え切っていく視線。
それでも構わず、彼らは一人の女性へ美辞麗句を飾り立てていた。

この内外での温度差、どこかのお伽噺に似た光景だな。
頭の片隅でそんなことを思いながら、俺は小さく溜め息を吐いた。
こればかりは流石に、少女に同情するしかなかったからだ。
同性の俺ですら、加速していくこの口説き大会に辟易とするくらいだから。

「あー、もう……ほんっとウザい」

遂に痺れを切らした彼女の言葉に一同は静まり返る。
その隙に、女性はポケットから筒状のものを取り出し、地面に叩きつけた。