屋敷の床は赤絨毯が敷かれていて、そこにぽそぽそと、大小二つの足音が響いていた。 
「その体だと歩くの大変だね?」
 ゆっくりと歩きながら、ムギは小走りに後をつける僕に言う。犬の散歩に見えなくもない。
「大丈夫だよ」
 男の子だねー、とムギ。後ろに手を組んで、ちょこちょこと走る僕を振り返り見る。
もう日没の頃合いだ。斜陽に染まる廊下を、僕たちは歩く。
 歩く。
 歩く。
 ……歩く。
「というか、部屋、多くない?」僕は言った。
「……私もそう思うよ」
  すでに回った部屋は二十をくだらない。それも、応接間、大広間、部屋、客室、食。およそ三人が住むには広すぎる。どう考えても大規模ホテルなみに広いし、何より移動が面倒すぎる。
「私たちのためにご主人が色々用意してくれたんだけどね、増えすぎちゃってさ」
「なるほど」ちっとも納得できなかったけど、頷いておく。
「でもほらさ、私たち基本三人なのにこんなに広いとさ」
 ……却って寂しくなるのだろう。だたっ広い場所に三人ばかしは、たしかに辛い。
「まあ、見たことないけどお客さんとかはいるらしいからねー。多分そのためなんだと思うんだけど」
「お客さん?」
「私たちには見えないけどね」
「幽霊じゃないかっ」
 なんか嫌なことを聞いた。
 テクテクとムギの背中をついていく。さっきのメイド姿と違い今は私服のようで、柔らかな肩出しニットがふわふわと揺れた。小麦色の背中がチラッと見えて、なぜかドキドキする。柔らかな背中の盛り上がりの間を縦線がスッと走っていて、そのままホットパンツの中に消えていった。
 ゆったりと歩くムギについていくために僕は半ば小走りでついていくのだけれど、額のあたりでふりふりと揺れるムギのお尻が頭上に見えて、どきどきしてしまう。
 と、ふと見上げると、ホットパンツの上あたりに何か見えている。
(……紐?)
「ムギ、何これ」それに触れると
「ひぅっ」
 ムギの肩がびくっと震えた。
「え」
「ちょっとさあ」
 じとーっとムギがみてくる。こんな顔もするんだなと思っていると、先ほど触ったものがスルスルと伸びてきて僕の首をキュッと締めた。
「ダメだよ突然触っちゃ。髪と尻尾は勝手に触ると女の子に嫌われるよ」
「ご、ごめん」知らなかった。
「極端に敏感ってわけじゃないんだけどね」
 そんなにきになるなら、触ってみる? とムギは言う。
 スルスルと解いた尻尾を目の前でゆらゆらと揺らした。
「じゃあお言葉に甘えて」
 両手でそっと掴む。ムギが息を飲む。
「っ……ってあれ? 思ったよりなんともないな」
「そんなものなの?」
 まーねといってムギが頭を撫でる。僕はというと、思いの外良い手触りに夢中になっていた。
「……好きだね」
「うん」とてもとても滑らかな触り心地だった。
「すごくいい。ずっと触ってたい」そういって頬を寄せる。
 クスッと、彼女が笑った。
「なんか、本当に私のペットみたい」
 自分のしっぽに包まるこびとを、彼女は微笑ましそうに見下ろしている。
「かわいいなあ」脇の下に潜らせた尻尾で、僕を持ち上げる。目の前には、彼女のたっぷりとした胸が広がった。
「あんまり可愛いことすると、可愛すぎて食べちゃうよ?」
 あーっとムギが口を開く。やはり猫なのか、ちょっと鋭い犬歯がのぞく。
 僕の額がちょうど口の前にあって、パンでもかじる様にして食べられないこともないサイズ感。
 柔らかく朱色の舌がペロッと唇を舐める。歯並びの良い牙の奥、喉の方から尚あーっという声が漏れてきて
「カプ」
「って、痛い痛い痛い!!」本当に齧ってきた。
「あぁ、痛かった?」あっけらかんとムギが言う。
「あ、安心して。私に食人癖ないから。もし食べて欲しいっていうなら、まあ君なら頑張るけど」
「それはちょっと」正直、ムギになら食べられるのもやぶさかではないかもしれないけれど、死んでしまうのはやっぱりいやだ。
「でも君なら美味しいかもね」
 そう言って彼女が笑う。
またもあーっと口を開いて僕を揶揄う。いたずら好きなのか、じゃれているのか。また齧られたらたまったものではないので、そのかわいらしい顔を押し戻す。
 すべすべとした肌に触れる。
 そして、ちょっと滑って唇に指が届くと、
「アム」食まれた。
「やめっ」
「へへ」
「ちょ……、ぅ」
 ……やっぱり柔らかいなと思った。ムギの舌のことだ。ふんわり唇に包まれ、二の腕は硬い歯に触れていたけれど、その奥は溶けたように柔らかく暖かかった。それが脈動するように僕の指を撫で、「あーむ」といって掌を、腕を食む。くすぐるように掌をヌルヌルと撫でると、ムギは口を開けた。人懐っこく目を緩めて、へへっと笑う。指先と唇の端から唾液が伸びて、垂れて、落ちた。
「これなら痛くないでしょ」スリスリと僕に頬を寄せながらムギが言った。
 どぎまぎしながら、てらてらと濡れた腕を見る。薄く歯形がついていた。
 ポッケからハンカチを出すと、彼女は僕の腕をぬぐってくれた。
「やっぱり私も猫だなー。弱いモノ見るとイジメたくなっちゃうよ」
そういって、またひとしきり頬を寄せるとムギは僕を足元に下ろした。
「……あ、一応これ、恥ずかしいからほかの子には秘密ね?」 
 バラしたら咬んじゃうから、といって再び自由人は足を進める。
 胸がドキドキしているけれど、僕もそれに続く。
 辺りはすっかり暮れだして、ガス灯なのか、柔らかな燈火が煌いていた。
 振り返ると、さっきまでいたところはずっと遠くにあって、尚も先は遠い。
 彼女のしっぽを追いかけてずっと小走りの僕はすっかり僕は汗ばみ、喉がカラカラになっていた。
 ちょっと休憩しよう。そうムギに言おうとした、そのとき。
「そうそう」
 唐突にムギは切り出した。
「まあさ、忘れちゃいなよ」
「?」
「ここに来る前、嫌なこと、あったんでしょ?」
 ちょっと驚いて、目を白黒させながらも僕は頷いた。
「まあ。でも大丈夫だよ。もう、大丈夫」
 それは良かったと呟いて、彼女は続ける。
「ご主人もさ、凄い人なんだけど、かえって理解されなかったらしいんだよね。だから、寂しそうだったキミのこと、ほっとけなかったんだよ」
「寂しそう……?」
「そう。キミ、助けを求めることも諦めたような目、してたよ」
「そうなの?」思いもしなかったことだ。
「そうでもなきゃ、あれだけ何でもできる人がさ、わざわざ私たち使って捕まえさせたりしないでしょ? いつもは迷い込んだ人がいても、自然な形で帰しちゃうよ」
 彼女は淡々と続ける。
「私ってさ、最初からご主人と一緒にいたんだ。だから他の子よりもちょっとわかるっていうか。スズもいい子なんだけど、その分少し弱いんだ。そこらへんちょっと君たち似てるかなって」
 灯りに照らされて、ムギの影が長く伸びる。僕は彼女を見上げた。とても、とても大きかった。
「ムギはすごいね」
 そう? とムギが言う。小麦色の小さな肩ごしに振り返って僕を見た。
 日焼けしたような肌にほとんど白髪に見える髪がサラサラとかかって、可愛らしい横顔を作る。
 なんとなく感謝したい気持ちになった。
 助けられた気持ちになったのだ。同時に、どこか依存したくなる気持ちも芽生えた。
 けれど、それよりも先に言わなきゃいけないことがある。
 それは喫緊の問題で、伝えないと多分気づいてもらえないことだ。
 思わず僕はいった。
「そんなことよりもさ、一つ良い?」
「ん、どした?」
「つ、つかれた……」
 途端、その場にへたり込む。
 流れをぶち壊したけれど、正直限界だった。
 およそ彼女の三倍の距離を、小走りで走り続けたのだ。いや、そもそもミニチュアの町を全速力で走っていたために、幾ら何でも体力が持たなかった。
「あー、ごめんごめん」
 ムギは例のごとく涼やかに言った。


§
「こっちが図書館でー」
「こっちが客室でー」
「あとここから森につながる道があってー」
 ムギの案内する声。一人で歩くと絶対に迷子になってしまうような館の中を、足音が響く。
 一つだけ。
「……」
 ムギの胸に抱かれた小人が顔を真っ赤にして腕にしがみついていた。

「歩くために、元の大きさとは言わないから少し大きくして」という僕の要求は「可愛くない」というムギの一言の元に却下された。
 小さければ可愛いとも思えないのだけれど、ムギにとっては違うのだろう。受け付けられなかった。
 それどころか、小さくして持ち運ぶなどと言う始末だ。忘れていたけれど、彼女たちも魔法は使える。僕を縮めることなど、造作もない。
 これ以上小さくされるのはなんとなく不安だった。けれどこの自由人は意に介さない。なにごとも経験だよ、といって僕に手をかざしたのだった。……シュルシュルと縮みながら褐色の膝に取り付いて「やめてっ、お願いだからやめてっ」と哀訴するのはなかなか強烈な体験だった。徐々に膨らむムギの健康そうな膝小僧が頭上に伸びていくのを見た時は、思わず涙さえ滲んだ。
 さすがに哀れに思ったのかはたまた別の理由があるのか、四十センチほどの大きさに留めてくれてはいる。
 そして、「仕方ないなー」とムギは僕を尻尾で持ち上げ、その胸に抱いたのだった。
 ……ここだけの話だけれど、ムギは三人の中では見た限り一番大きい。巨乳とさえ言ってよい。そんな存在感のある膨らみが、歩くたび両耳のそばで揺れていて本当に生きた心地がしない。ムギが身をよじれば、パンパンに綿の詰まった高級クッションのようなモノが僕の頬に触れて、その度クラクラと目の前が怪しくなる。わざとやっているのだろうか。そうかもしれない。けれど、どちらかを考える余裕はもう僕にはなかった。
「よいしょ」と僕を抱き直す。すると、このクッションの膨らみが僕の肘あたりを圧迫するので、僕は自分の肘を懸命に抱いていた。気を遣っているのではない。僕だって男子だから、正直歓迎したいところ。だから理由はひとえに、そうしないとどうかなりそうだったからだ。
「それでこっちが二つ目の図書室でー」
 もうとうに覚えることを忘れてしまった解説を、彼女は再開する
「こっちが、……って」
 急に声が止むので恐る恐る見上げると、真下の僕を目の下半分で見下ろすムギと目があった。
「……君さ、優しいよね」ポツリ呟く。
 一瞬どう言う意味か考えて、僕は暴れた。からかわれているのだ。このままではどんな目に合うかわからない。
 もう、彼女の顔も見れないくらいに僕は動転していた。子供な自分が憎い。そんな思いも込めて、僕はもがいた。
 けれど、キュッと彼女が腕を絞めると、幼児並みもない僕の力など造作もなく封じられてしまう。そうして、けらけらと笑うムギに連れ去られていくのだった。


§
「それで最後に、ここが浴室。やっと終わった!」ムギが手を上げ歓声を上げた。自由落下して僕はムギの足元に這いつくばる。
 ムギの足にしな垂れかかる様に仰向けになると、ホットパンツに隠れて彼女の顔は見えなかった。
「……随分疲れてるね」そんな僕を見下ろしムギは言う。当然だ。人と密着してるだけでも暑いのに、全身を「挟まれ」るような状態で腕にしがみつき、心身ともに困憊だった。
「大丈夫?」といって足先で僕を突く 。僕はされるがままだ。生地の薄いルームシューズが、ぴったりとつま先のラインを浮き上がらせていた。
「ほら、立って」
 そう言って、腕の代わりに足を差し出す。小さいはずの女の子の親指。けれど今では人の顔ほどもある大きな指。
それを両手でつかんで、立ち上がろうとする。矢先。
「えい」
くすりと笑ったムギは足指で僕を押し倒す。僅かな叫びも、ムギの足に遮られて消えた。
「ええ、それで倒れちゃうの?」足の向こうで彼女が苦笑する。けれどそれも足裏に阻まれて見えない。というより、上半身が完全にふさがれている。
「……私の足から抜け出せる?」それは無理な話だった。力は全くかけられていないけれど、立っている分だけ脚の重さはかかっているし、何より両手を肩から封じられている。実際のところ、少しも動けなくて僕はパニックだった。彼女が足をのける。
「キミ、弱いね?」彼女の姿が見えた。下から見上げるムギの脚はどこまでもどこまでも伸びていって、ホットパンツの中に消えていく。さらにその上にいくと胸元でニットが柔らかく膨らんでいて、遠く遠くからムギの顔が僕を見下ろしていた。
「40センチくらいしかないからね」
「さっきなんか十センチもなかったけどね」足先で僕の頬をぺちぺちと叩く。寝そべる僕の顎を、撫でたりもした。不思議と悪い気はしなかった。
「そんなに小っちゃいと、弱いね。女の子に踏まれて動けないなんて、びっくりするくらい」男のものに比べて幅の狭い小さな足が、僕の胴体を覆ってギュウっとのしかかった。踵の丸い膨らみや足指の間の引っ込みといった起伏が、ぴっとりと張り付くストッキングに浮き上がるのを感じた。僕はそれだけで動けない。
「小っちゃいからね。いいんだよ、弱くても」と言いながら、ムギはぺちぺちと足指で頬を叩く。
「でも、そんなに小っちゃいと鼠にかじられちゃうよ。風に飛ばされてどこかに行っちゃうかもしれない。もしかしたら間違えて踏みつぶされちゃうかもね? でも、キミ自分のことも守れない。だって小っちゃいもん」そう言うと、そばに跪きつま先立ちになる。ストッキングに黒く染まる太ももが、僕の前に現れた。
「でも私たちが守ってあげるからさ」そういって笑いかける。
 よろよろと立ち上がる。代謝の良い少女の熱にあてられて、もう汗だくだ。
「さ、これで案内はおしまい」
 自由行動のお時間です、と彼女は宣言した。
「じゃあ、ここで汗流していっていいかな」
「どうぞどうぞ」
 なんとなくほっとして、僕は浴室を覗き込む。他と違わず、ここも豪奢な造りで胸が弾む。
 と、僕の背後でムギが言った。
「あ、でもここ、お湯も明かりも私たちがいないと動かないよ?」
「マジで?」
 思わず素で答える。聞けば、このお屋敷自体がミカゲの力でできているせいだという。彼女たちは当然、不自由しないのだろう。
 じゃあ、お湯を溜めておいてもらおう、と思ったところで、彼女は僕の手を引いて浴室に進んでいく。
「まあ、仕方ないし洗ってあげるよ。体」
 そういってムギは笑った。