縮転世界


 大都市を跡形もなく踏み躙ってから数日。
学校から帰宅していた里奈はまた欲求不満に陥っていた。

「はぁ……。この前やったばかりなのに、どうしてこう、ムラムラしちゃうのかな。
 ここのところ、どうもペースが上がってきているし……」

 なんだか最近、ちょっとやそっとじゃ満足できない身体になってしまったのは気のせいだろうか。
原因はたぶん、寒い日が続くからというのももちろんあるだろうけど、
何より街を壊すことにこの上ない快感を覚えてちゃったからなのだろうなぁ。
今はもう、他のどんな楽しい遊びもそれに比べれば色あせて見えてしまっている。
 一応、欲望のままに街を壊せないこともないというか、やろうと思えばいくらでもできるけど、
そうすると街の方がすぐに枯渇してしまうことは想像に難くない。
何せ、街には限りがあるのだから。特に、大都市ともなると数百ほどしかなかったはず。
そう考えると、次から次へと簡単に消費してしまう訳にはいかないところ。
 でも、このままでは勉強が身に入らないし……。でも、後先考えないと後悔してしまいそうだし……。
せめて、もうちょっと街が多ければ。宇宙にきらめく星々の十分の一でもいいから。
 窓越しに夜空を眺めながら、悩ましげな表情を浮かべること暫し。
 里奈はふと、ある考えが思いついた。

「……そうだ、どこか別な星の街を持ってこれないかな」

 あの星々……は恒星だったっけ。
でも、目には見えないけど、それに連なっているだろう惑星の中には
きっとこの星と同じく人間が住み、文明が築かれた星が幾つもあるはず。
そこの街をいつものように縮め、転送することができれば……。
 もし思い通りにいけば、これからはどれだけ街を消費しても問題がない。
それこそ、星の数だけ街があることになるのだから。
それどころか、国や大陸、惑星そのものだっておもちゃにしてしまえる……。
 もちろん、上手くいく保証はないけれど、やってみないことには始まらない。
 思い立ったが吉日、精神を集中させて、指をパチンと鳴らせば、
部屋の床にはいつもと同じように街が敷き詰められていた。

「……うん、大成功。見たところ、この星の街じゃないみたいだし」

 第一印象は、地球よりもちょっと文明の進んだ近未来都市といったところ。
膝丈くらいの超高層ビルがニョキニョキ生え、中には腰以上のものまである。
窓の配置や足元の住宅らしき低層の建物群から見るに、縮尺はたぶんいつもとそう変わらないだろうから、
それらの高さは数百から千メートル近くにもなりそう。
ビルの谷間には空飛ぶ車のようなものが飛び交い、地上でも小人らしき生物がひしめき合っている。
 突然こんなに巨大な女の子が現れて、みんなさぞかし驚いちゃっているかな。
悲鳴や叫び声、事故の音が街の至るところから絶え間なく聞こえてくる。
 まだ何もしてないのに、私が近くにいるだけで大騒ぎ。
いつものことながら、哀れで滑稽な小人たちにクスッと笑えてしまう。
文明の進んだ異星人とはいえ、やっぱりただのちっぽけな小人には変わりないみたい。
 でも、本当のお楽しみはこれから。

「その前に、もっと小さくしちゃって……」

 今の大きさでも悪くはないものの、少々高すぎる建物が多くて労力が要りそうなのと、
せっかく別な星の街も持ってこれることが分かったので、
どうせなら楽に、心置きなく一度にまとめて弄んじゃおうと、
もう一度指を鳴らせば、先程の街がさらに小さくなって現れた。
ついでに、近隣の街や村、山脈なども伴って。

「ふふ、随分と小さくなっちゃったね。私の足とどっちが大きいかな」

 もはや影も形もなくなった小人は言うに及ばず、超高層ビル群も今や砂粒のような大きさ。
縦長に広がった街全体でようやく足といい勝負かもしれない。
試しにタイツを履いた足を街の真上にかざしてみれば、
街の方が少々小さかったみたいで、すっぽりと足の下に隠れてしまった。

「私の足の勝ち~。それじゃ、負けた貴方たちは罰として踏み潰してあげるね」

 もちろん、街の方が大きくても適当に理由をつけて踏みつけるつもりだったけれど。
 そして、私は足をゆっくりと振り下ろした。



 太陽系から数万光年離れた銀河系内の一惑星。
 地球人と同じ姿形をした異星人が地球よりも高度な科学文明を築き上げ、
超々高層ビルや超高層ビルが惑星全土に何十万と屹立し、エアカーも中流階級以上ながら普及するなど、
空も次第に狭くなりつつあったこの星の一地方都市において、異変は予兆なく訪れた。
 一瞬のうちに青空がまるで室内のような昼光色に置き換わり、
同時に街の四方や空までが壁のようなものに囲まれてしまっていたのだ。
 そして、街の傍らには見慣れない服装をした少女が笑顔で立っていた。
えんじ色の大きなリボンを結った他は飾り気の無い質素な紺色の上下に、すらりとした脚は黒い布地に包まれている――。
それだけで済むなら事態は今一つ深刻ではなかったかもしれない。
だが、彼女は街のあらゆるものよりも大きかったのだ。
街の中心部にそびえ立つ、地球の単位にして八百メートル弱の市庁舎でさえ彼女の半分ほどの高さしかない。
この街で一番の建物でこれなのだから、他の建物など比べるべくもなかった。
二万人が滞住する四百メートル級の超高層タワーマンションも彼女の下腿までの高さとそれ以下の太さであり、
ましてや高層以下の大半の建築物など踝を頭上に見上げなければならないほど。
建物よりもさらに小さな人間など、何十人と束になったところで漆黒に覆われた足の小指一本の大きさにさえ届きそうもなかった。
 あまりの突然で突拍子もない事態に、市民の多くは超巨大な少女を唖然として見上げ、
驚きのあまり気を失う者、気が触れる者、車を運転中に気を取られて衝突事故を起こす者も少なくなかった。
 果たして彼女は何者で、何をしようというのか。そもそも、ここは一体どこなのか。
 混乱からわずかに立ち直った人々がそんな疑問を抱き始めた頃、
しかし次の瞬間、これまで以上に目を疑う光景が彼らの目に飛び込んできた。
ただでさえ超々高層ビルよりも巨大な少女が、もはや全身を拝むことも出来ないほど大きくなったのだ。
いや、もしかしたら我々の方が小さくなってしまったのかもしれない。
街の周囲にあった壁や天井らしきものも、遥か彼方に霞みながらもより膨張した姿を誇示しており、
もはや自分たちが微生物以下の存在と化してしまったのかと錯覚させられる。
 実際、里奈の能力からしてその通りであったものの、そんなことなど露知らない市民たちは大半が
さらに巨大化した少女の姿を見て慄然とするばかりであった。
 ともかくも、さっきまでは彼女の腰丈くらいはあった市庁舎でさえ、もはや爪先ほどの高さもなくなってしまっている。
ただでさえ人知を超越した大きさだったのに、この神々しいまでに圧倒的なスケールに至っては、
街中のあらゆる人工物など小石ほどの大きさ、存在感もなかった。
あるいは街全体でようやく彼女の足のサイズと比べ得るだろうか。
 幾人かの比較的冷静さを保った市民が彼我の大きさをそのように分析していると、
しかし、人々の目の前から忽然とその片足が姿を消し、同時に街全体が薄暗くなった。
恐る恐る頭上を見上げてみれば、街の上空に黒々とした巨大な物体が鎮座している。
 これは、やはり彼女の足なのか……。
周囲の状況が見えない以上確証はないが、大きさといい、色・形といい、それ以外のものなど考えられなかった。
 しかし、そうだとするとなんの目的で街の上に足をかざしたというのか。
 ひょっとしたら彼女も同じ事を考えたのかもしれない。
この街は東西を山脈に挟まれているため南北に市街地が広がっており、
巨大すぎる彼女が比較対象として用いるには適度な長さと幅といったところか。
ここからでは実際どちらが大きいのかは窺えないが、いずれにせよ、単にそれだけで済むとは思えない。
このまま、街の上空で大きさ比べするのに飽き足らず、あの巨大な足を踏み下ろせば……。
殲滅。そんな恐ろしい言葉が脳裏をよぎる。
破壊の意思の有無にかかわらず、全長十キロは優に超えるであろう物体が落ちてくれば、
その下にあるものなど超高層ビルだろうが何だろうが一溜まりもない。
数百万の市民ごと、全て押し潰れるだけだ。恐らく、一分の厚みも残らないほどに。
なんと破滅的で残酷な運命だろうか。頼む、どうかただの思い過ごしであってくれ。
 だが、不幸にも彼らの予感は的中した。
 少女は何やら聞き慣れない言葉を喋った後、ゆっくりと足を下ろしてきたのだ。
いや、あまりの巨大さ故、見かけは緩慢なものに見えたが、
実際のところその速さは時速一万キロに達するほどであった。
 街の中心部から見ればどこまでも続くような巨大な足裏から身を守ろうと多くの人々は本能的に身を屈め、あるいは走りだし、
少数の勇敢な者はレーザー銃を手に無謀な攻撃を試みたが、全てが無意味であった。
 少女が足を踏み下ろし始めてから数秒後には市庁舎の尖塔部分が足裏に触れ、
そのコンマ一秒後には超高層・低層問わず街のあらゆる建物が押し潰れ、エアカーが叩き落され、全市民が抹殺されていた。
かつて核戦争があった時代の名残である、地下数百メートルに掘られたシェルターも圧倒的質量の前に何の役にも立たず、
地上が崩壊するのとほぼ同時に圧縮され、元あった場所の十倍ほどの深さにまで沈み込まされていた。



 ずん。軽く踏みしめただけで、街は足の下に消えてしまった。
チクチクとか、サクサクとか、そんな感触も何もなく、ただ足が地面に着いたという事実があるだけ。
でも、それだけで街一つがあっけなく、簡単に消滅してしまったのだ。
 一応、確認のため足を軽く上げてみれば、
先程まで街があった場所には街の痕跡など何一つ残ってなく、
代わりにくっきりとした足跡がそこに刻まれていた。
 きっと、何十万かそれ以上の小人たちが住み、暮らしていた平和な街が、
私の一歩で、一瞬にして全てが押し潰れてしまったに違いない。
大量破壊兵器に勝るとも劣らない大破壊、大虐殺と、それをもたらしたのが自分の足であるという落差に、
悲劇を遥かに通り越して、あまりに滑稽で、喜劇に思えてくる。少なくとも私にとっては。
 でも、これはまだほんの始まり。これから何十、何百回と同じことを繰り返して、最後は――。
 そんなことを考えつつ、もう一度足を踏み下ろして街の跡地をぐりぐり踏み躙ってから、私は次の一歩を踏み出した。

 ずん、ずん。床に大きく広がった地図の上を私は歩き回っていく。
でも、よく見れば地図は平面ではなく多少立体的で、もっと言えば、
そこには街があり、人々が住んでいる本物の土地だったりする。
もっとも、街とはいえ足の大きさにも満たないところなど、たいていは一踏みで壊滅。
狙いを付けなくても、どこか適当な場所に足を下ろすだけで街は半壊し、幾つもの村々が消滅していく。
標高数千メートルはありそうな山々だって、簡単に捻り潰してしまえるどころか、体重を少しかけてやれば窪地に早変わり。
 傍から見ればただ歩いているだけにしか見えないかもしれないけど、それでも私の気分は爽快。
この一歩で何万、何十万の建物や、そのさらに何倍、何十倍の小人たちを踏み潰しちゃったとか、
そんな想像をするだけでゾクゾクしてきちゃう。

「あはは、もう何百万人踏み潰しちゃったかな。ううん、それ以上かも」

 そう笑いつつ、また一つの街を爪先で抉り取り、土砂や瓦礫、残骸、小人たちを混ぜ合わせながら隣にあった湖を埋め立て、
あるいは山脈を軽く触れるように蹴るだけで突き崩して、麓の街を逆に埋めていく。
 さらに、そうして地形を大きく変えつつ何十歩か歩いたところで、
一息つこうと一番高い山めがけて腰掛ければ、ずぶずぶとお尻が沈んでいくのが感じられた。
きっと、山も周辺の街々も、ぺっちゃんこになってしまったことだろう。
 足に踏み潰されるのと、お尻の下敷きになるのと、この星の小人たちはどっちが嬉しいのかな。
体育座りのように両膝を立てて座りながら、ふとそんなことを考えてみる。
それとも、タイツ越しじゃ嫌? でも、寒いんだから許してね。
それに、これはこれで好きな人はいるかもしれないし。
もっとも、いずれにしても、小人たちは温もりや匂い、感触を確かめる時間もなく、一瞬で潰れちゃうんだろうけど。
ちょっとかわいそうかな。でも、見方によっては、運よく潰されずに済むよりは幸せかもしれない。
衝撃で吹き飛ばされて苦しみながら逝くよりは、一思いに楽になれるのだから。
  そうして小人たちの運命に思いを馳せながら、座ったまま足を伸ばして踏まれずに残っていた土地を爪先で撫で、
あるいはお尻をぐりぐりと擦りつけていけば、立ち上がって床を見渡した時、もはや辺りは完全に茶けてしまっていた。

「ふふ、綺麗サッパリしちゃったね。でも、まだまだ終わらないよ」

 街がなくなったらまた別な街を持ってくればいい。
これまでと違って、もう数を気にする必要はないのだから。
ついでに、大きさもちょっと変えて……。
 そうして指を鳴らせば、小人や建物の死滅した土地が消え、新たな土地と街が、さらに小さくなって現れた。
今やたいていの街は足の小指以下の大きさしかなく、地面の起伏も恐らく一センチに満たないほど。
相対的に、今の私は身長一千キロ以上あるのかもしれない。
確か、本州の長さが約千三百キロだったから、それと同じくらいの大きさなのかな。
そうすると、ただ寝そべるだけで本州と同じくらいの長さ、面積の土地が一度に私の身体の下敷きになるということ。
もちろん、そこには数千万人、ひょっとしたらそれ以上の小人たちが住んでいるわけで。
ごろごろ寝転がった日には、それだけで星の人口の何割かが消えてしまいそう。
横になる事自体、ちょっとあっけないし、制服が汚れちゃうのでやらないけれど。
 とりあえず、立ちっぱなしなのもあれなので、
少し歩き回ろうと足を適当な場所に下ろすだけで、街が一度に何十と消えていく。
山も、川も、海も関係ない。全部まとめて踏み沈めるだけ。
 もはや小人の居場所などどこにもなかった。



 世界に破滅が訪れようとしていた。
突然、ある地方の上空が陰ったかと思うと、次の瞬間、一帯は何か恐ろしく巨大な黒い物体に押し潰され、
星全体を揺さぶるような激震、高さ数百キロにもなる地殻津波が広がるよりも早く、
その数瞬の後には別な地方がまた同じようにして消滅していく。
 あまりに早く急な事態に、多くの住人は異変に気づく前にミクロレベルまで圧縮され、
異変に気づいた者も何が起こっているのか思考を巡らす前に永遠に意識が途切れた。
 宇宙からの攻撃にも対応できる強力な軍隊も、巨大地震にもびくともしない無数の摩天楼も、
一瞬で、一緒くたに消滅し、後には直撃を受けた場所だけで長径二千数百キロ、短径数百キロ、深さも数十キロという、
巨大隕石によるクレーターに匹敵するか、あるいはその何倍も深大な窪地だけが残される。
とある小国などは首都を含む中央部を中心に蹂躙されたため、一撃で国土も国民も何も残らず圧縮され、
大国であっても十数箇所もクレーターにされれば、地殻津波を待たずして滅亡した。
 果たして、これ程までの大破壊、殲滅劇がたった一人の少女の仕業によるものだとは何人が想像出来たであろうか。
 人々は少女を意識することもなく、少女に意識されることもなく、
ごく当然のように数百万から数千万単位で街や国共々滅びゆく運命でしかなかった。



 もう何十歩と踏みしめ、またお尻や太ももで敷き潰し、挟み潰したことだろうか。
 そうして二メートル四方の狭く、本当はその十万倍、百万倍くらいありそうな広大な面積をまた全て土色に変えたところで、
里奈は両足を伸ばして座り込みながら、満足気に両手を大きく伸ばす。

「うーん、すっきりしたー」

 さぞかし気持ちよさそうに、弾んだ声を上げながら顔を綻ばせる里奈。
 遠いどこかの惑星では既に十数億人が犠牲になっていたが、
名実ともに微生物以下の存在となった異星人などどれだけ潰そうが関係なかった。
 それどころか、ちょっと申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、最後の仕上げに取り掛かる。

「ふふ、こんなに遊んでおいてなんだけど、実はもう一つやっておきかったことがあるの。それはね……」

 そうして指を鳴らせば、両脚の間に直径十センチほどの球体が転がった。

「星を弄んでみたかったの」

 既に一部分が切り取られたように四角く茶け、大地の割れ目からはマントルが露出しているなど、
元の綺麗な青と緑が失われつつあった惑星を、里奈はそう言って容赦なく両足裏で挟み込んでいく。
 タイツ越しに、感触を確かめるように、初めは優しく撫で回し……といっても地表を全て剥ぎ取って、
十数億人が死滅させられていたとはいえまだ数百億はいた惑星の全住民を殲滅し、
衛星軌道上の宇宙ステーションや宇宙艦隊も意識することなく叩き潰しておいてから、
全面がドロドロに赤茶けた星を次第に力を込めて締めつけていけば、
やがて星は歪み、粉々に砕け、その破片も残さず挟み潰されることで消滅した。

「んふ、名も知らないちっぽけな星だったけど、とても楽しかったよ。ありがとね」

 こうして目一杯満足したところで、里奈は勉強を再開したのだった。



 ……ひとまず今日のところは。


おしまい