四、ゆかりの襲来

「だらしないなぁ…何で、あれだけのことでそんな風になるのよ。」
 やや馬鹿にしたような調子で言うユキに北沢は疲弊し切った声で反論するのが精一杯だった。
「あれだけって…。仕方ないだろう、お前と違って心臓に毛が生えているわけじゃないんだから。」
「…随分な言い草ね。」
「昔からよく言われていたろ?穏かな僕とガサツなお前…『静と動の二人』って。」
「初耳…。ていうか、こんな平日の早くから観覧車に乗っているような人、普通いないよ?」
「僕だって乗りたくないけど、ベンチで休みたいって言ったらお前が…」
「駄目だよ、勿体ない!折角のフリーパスなのに!」
「…お前、金出してないじゃないか…。大体…何でのっけからジェットコースターなんだよ…それも三回も立て続けに。」
「ウルトラジェットコースターだよ、ウ・ル・ト・ラ。そんぼそこらのジェットコースターと一緒にしてもらっちゃ困るよっ。ていうかここであれに乗らなかったら何しにきたのか分からないよ。他はただのこじんまりした一遊園地なんだからさ。それにしても…さっすが平日の朝一って感じだよね。普段なら一時間待ちとか当たり前なのに。だから本当はもう後三回くらい乗っておきたかったんだけどね?」
本当に嬉々とした表情で語るユキに、北沢は心底ぐったりして言う。
「勘弁してくれよ…。いいか?そもそもヒトというのは地に足をつけて生きているものなんだ。だから、あんな物凄い速度で一気に高いところから落ちたり、四角い箱に入れられてこんな高さまで持ち上げられたりするような非日常的な刺激は、勿論不要なものであるし、当然忌避すべきことなんだよ。」
そう言いつつ、やや疎ましそうな眼差しで自分達を釣り上げている鉄製の小部屋を見回す。
「あ、そういえば…高所恐怖症だったんだっけ?相変わらずなんだね。」
そう、故に彼は観覧車に乗るのも嫌だったのである。それでも、これが園内で最も緩やかな動きをする乗り物である以上、休むことを許さないユキをどうにか説得して、やっと勝ち得た束の間の、しかし貴重な休息時間であることに他ならない。
「…そう簡単には治らないよ。多分一生モノだろうさ。」
なるべく外を、とりわけ下だけは見ないように心がけながら北沢は言う。
「そんなことないよ。何事も根性と訓練だって。じゃあ良い機会だから今日は吐くまで…」
「絶対に御免だね。」
即座拒否。
「というか…別に無理に克服しなくても良いことだろう?」
「うーん…でも、何かと不便じゃない?」
「例えば?」
「んー…飛行機に乗れない!」
「外さえ見なければ問題ない。」
「じゃあガラス張りのエレベーターに乗れない!」
「…乗らなくて良い。」
「高級高層マンションに住めない!」
「木造平屋で良い。」
「…ほら、お先真っ暗!」
「………別に治らなくてもちっとも構わないな。」
「…そう…かなぁ…。」
そこで二人の会話は一旦途切れた。何にしてもこの様子ではユキに閉園まで引っ張りまわされるに違いない。長い長い一日となりそうである。北沢はこの先の自身の行く末を憂いて深く溜め息つく。と、そこで肝心なことを思い出して顔を上げた。
「あ…それで、どうだった?」
「うん、楽しかったよ?」
即答するユキ。
「………いや、そうじゃなくて肝心の…。」
それを聞くと、ユキは一瞬困ったような顔をして、少し済まなさそうに申し開きをした。
「あ、えっと…それがその…実はまだ…なんだ…えへへ。」
「おい…。『えへへ』…じゃない…。」
「うん…なんていうか…思いのほかガードが固くってさ…。」
「…お前、自信あったんじゃないのか?」
「ごめん、ごめん、でも近日中に必ず…ね?」
「きっとだぞ。」
「うん。」
と一度は頷いてからユキはすぐに言う。
「…けどさ、本当はこんな面倒なことなんてしないで、直接ってのが一番なんだよねぇ、やっぱり…。」
「今更お前がそれを言うか…。」
「ま、まぁ確かにあたしが言い出したことなんだけどさ。」
「…でも、正直それは難しいよ。何しろ話そうにも、なかなか話が続かないって言うか…そもそも話が始まらないって言うか…。すぐ俯いていまうしね。やっぱり嫌われているのかな?」
「ん…そんなことはないと思うけど。まぁ特別内気なのは確かかなぁ…。この前も…」
と、そのときユキの言葉を遮って、北沢が遠くの方を指さながら言った。
「おい…ユキ、あれ…。」
「ん…何?…どうし……ぇ?…………ええええええええええええええええええええ!?」
ユキも彼の示す方に何の気なしに目を向けたが、余りにあり得ない光景に思わず大声が出る。
「声が大きいよ…お前…。でもその反応からするに僕だけの幻覚というわけではないらしいな。それで何に見える?」
「…な、何でそんなに冷静なのよ!?」
「いや、全然冷静じゃないよ。で、何に見える…?」
「物凄くおっきなゆかりちゃん…。」
「…だよな?」
「ど、どうなってるの…?」
「さぁ…?『噂をすれば影』ってやつかな?」
「あのね…。」

 黒髪を肩より少し上で切り揃えた少女。小柄な体躯にサイズが合っていないのか、手の甲を隠す長めの袖のセーターがそのあどけなさを際立たせている。尤も今の彼女はお世辞にも『小さい』などとは言えないのだが。とはいえ遊園地の敷地の少し外に佇む制服姿の少女は、紛れもなく二人が日頃見慣れたゆかりそのものだった。ただ、いつもどこか下を向いているイメージがあるその顔は、今は自信に満ちて、活き活きとしているような印象を受ける。彼女はゆっくりと顔を動かし、園内を見回していたようだったが、少し困ったような顔をして何某(なにがし)か、考える素振りを見せる。それからおもむろに少し足を開くと、両手をメガフォンのようにして口元にあてがい、一つ大きく息を吸い込いこんでから、おそらく可能な限りに声を張り上げて叫んだ。
「北沢さぁん、どっこですかぁ!!」
それは間違いなく二人の知るゆかりの声だった。とは言えやはり違和感は大きい。彼女の途方も無い巨大さもさることながら、普段の彼女がそんな風に叫ぶというのを一度とて見たことがない、というのもその大きな一因であるのかもしれない。声は遊園地敷地全体に遍く(あまねく)響き渡る。勿論彼らが乗っている観覧車もまた例外ではなく、あまりの声量にゴンドラの窓ガラスが…というよりゴンドラ全体がビリビリと震えた。
「…呼ばれてるね?」
「ああ、呼ばれているな…。」
ちょうどその頃、二人のゴンドラは観覧車の最頂点に達したところだった。が、それでも彼女の目線の方がずっと高いように思われる。ゴンドラから一望できる園内は、突然の巨人の来襲に騒然となっていたが、それでも時間帯的に人が少なかったことは不幸中の幸いか。とは言え、ゆかりは意識的にか無意識か、その巨大な靴で入園ゲートを塞ぐ形で立っているものだから、逃げるにも逃げられず、不安げに彼女を見上げるばかりである。
 そんな人々をよそにゆかりは両手を腰に当てて暫く佇んでいたが、北沢が見当たらないことが気に入らなかったのか、どこかむっとしたような顔をして再び声を上げた。
「ユキちゃんも一緒なんでしょう?隠れたって無駄なんだからぁ。観念して出てきなさぁいー!」
「何か…怒っているのかな?」
「怒っているようにも見えるな…。」
ユキの言葉に応えた北沢は付け加える。
「しかし…出て来いって言われてもな…。」
見たくもない下に何気なく視線を向ければ、係員が慌てふためきながら持ち場を離れていくのが目に入る。
「なぁ…観覧車ってさ…確か外からじゃないと扉、開けられないよな…?」
「うん、たぶん…。でも、係員さん職務放棄…しちゃったね…」
如何ともし難い状況に最早苦笑いを浮かべるより他ない二人が見守る中、巨大なゆかりはおもむろにその足を持ち上げたのだった。


五、ゆかりの逡巡

 『ファン・ポート』海を埋め立てて人工的に島を作り、その上に建設された海上の楽園。さぞ広大なのだろうと想像していたゆかりは些か拍子抜けしていた。思いのほか狭い。敷地面積はせいぜい学校の体育館程で、そこに点々とおもちゃでも散らかしたような、そんな印象を受ける。はてさて目的の北沢をどうやって見つけようか。広さに関しては大して問題はないのだが、やはり探し物(人)の大きさを考えれば些か骨は折れそうである。が、考えを巡らすこと数秒、結論はすぐに出た。しらみつぶしにすればいい。実際この遊園地、端から端まで縦断したところで一分程度しかからないのだろうから。
 そう思い立ち、早速向こう脛ほどの高さしかないゲートを完全に無視して、跨ぎ超す形で敷地内に足を踏み入れたわけなのだが、その瞬間にあちらこちらから悲鳴や泣き声、恐怖や怒号の声が上がり、ゆかりは思わずびくりとした。
「うぅ…何よ…?」
相手は取るに足らない小さな存在である、そう認識しているつもりなのに何故かたじろいでしまう。特に小さな子供の泣き声や助けを求める悲鳴には、自分が責め苛まれている様なそんな気分になり、何だか申し訳なくなってくる。
「むぅー…わ、わかったよぅ…。」
何が分かったのかは定かではないが、彼女は不服そうな声で小さく呟き、不承不承という様子ながらも足元に気をつけながら入園ゲートの脇へと寄って道を空けた。それから園内に向かってなるべく優しい口調を心がけつつ呼びかける。
「えっと…わたしはあなた達に何かをするつもりはありませんー。でも、これからもしかすると危険な目に合わせちゃうかもしれないし、わたしを怖がっている人もいるみたいなのでー…」
そこで一旦区切り、視線を泳がせて適当なものを見つけて言葉を続ける。
「外の駐車場にでも避難してはどうですかー?少しの間なら待っていてあげても良いですよー?」
その言葉で僅かながら混乱は収束したように見取れた。ただ、どうやら素直に呼びかけに応じようというわけでもないらしく、半信半疑状態とでも言えばいいのだろうか。どうすべきかと言う具合に互いに顔を見合わせる者や、戸惑いに満ちた瞳でこちらを見上げてくる者ばかりで、全く行動に移す気配が見えない。いっそ係員でもとっ掴まえて指揮でも取らせた方が早いかもしれない。…別にそこまでしてやる義理もないのだけれども。と、そんなことを考えていると、視界を下から上へと色とりどりの小さな球体が、幾つもふわふわと通過していった。それが風船であることに気づき、ゆかりが足下に目をやると、三十歳位の一人の男が腕を組み、物言いたげな顔で見上げているのが目に入った。なるほど、風船は注意を引くためのものだったのか。風体からするに警邏(けいら)員といった感じである。
「今の話は本当なのか?」
ゆかりの視線が向けられたことを受け、男は唐突に口を開いた。
「本当に俺達を逃がしてくれると言うのか?」
その口調にはあまりにぶっきらぼうで、遠慮も無く、妙に偉そうに、まるで上からものを言うようなものだったから、どこか気圧されてしまって思わず丁寧言葉になってしまう。
「え?あ、はい、勿論本当ですよ?」
そしてその彼女の態度が男を図に乗らせてしまったのか、心なしか彼はますます語調を強いものにして畳み掛けるように問うてきた。
「ふん、そうか。しかし、駐車場へ行くとすればあんたの足元を通らなければならない。そうだな?」
「ええ、まぁそう…ですね。」
「それで大丈夫なのか?」
「大丈夫…って何がですか…?」
「突然暴れたりしないのか?油断させて人を集めておいて踏み潰すつもりじゃないのか?」
「………随分と酷い…言われようですね…。」
唸るように抗議するゆかり。折角小さな人々を気遣ってかなり譲歩しているつもりなのに、そのような物言いをされたのだからいい気がしないのは当然である。
「だが誰もがそれを心配しているのだ。」
しかし男はその態度を改める積もりは無いらしい。
「…じゃあ…どうしろと言うんですか…?」
「全員の避難が終わるまで敷地から遠く離れて、後ろでも向いていて貰いたいね!」
男はまるでそうすることがさも当然であるかのように、強い調子でそう締めた。
「そう………。あなたの言いたいことはよくわかりました。」
ゆかりは彼の態度に怒りを覚えつつも敢えて静かに言う。
「そうか、ならばすぐに…」
その言葉に男は満足そうな表情を浮かべた。
「でもイヤ。」
が、その刹那一転してゆかりはその不快感を露骨にし、間髪入れずにキッパリと言い放つ。確かに早いこと北沢を捜したいわけで、ただただ怯えられるばかりと言うよりは、こうして話に応じてくれる方が状況の進展もあって良い。が、何故彼はここまで大きな態度をしているのだろう。一体何様のつもりなのだろう。彼女の雰囲気が急変したこと、そしてはっきりと自身の提言を拒否されたことに男は驚きつつも、何とか反論すべく口を開こうとする。しかし彼女はそれを許さず言葉を続けた。
「あのさ…自分の立場、分かってる…?」
おもむろにゆかりは膝の力を抜くと、重力に任せる形で崩れ落ちるように両膝をついた、前のめりに、彼の視界に覆い被さるように。地面へとついた掌は人差し指と中指で彼を前後から挟み込むような格好である。
「例えば…ね…?」
ほんの少し唇の端を上げて意地悪な笑みを浮かべつつ、自分の指の間で唖然とするばかりの男を覗き込み、ゆったりと話し掛ける。
「自分の部屋に一匹のアリくんが迷い込んできたとするでしょ?」
男の目の前に置いた人差し指をほんの少しだけ彼の方へと迫らせる。
「な、何を…。」
男は圧倒されて後退りするも、背中に何かが当たり慌てて振り向く。そしてすぐにそれもまた彼女の指であることを理解しすると小さな悲鳴が漏れる。
「ひ…!?」
そんな彼の狼狽などお構いなしに、むしろ嘲笑う様に言葉を続けるゆかり。
「そのアリくんをね…優しく摘んで逃がしてあげるのも、ティッシュで潰してゴミ箱に捨てちゃうのも、全部(ぜーんぶ)わたしの気持ち一つなんだよ?勿論…いることにすら気付かないで踏み潰しちゃうことだってあるけど。どっちにしてもアリくんには選択権なんてないんだからね?」
そこでゆかりは一呼吸を置き、冷たい視線と共に囁く様に問いかける。
「理解できたかな、アリくん?」
「……………。」
今や言葉一つ発することすら出来ない男。肩で大きく息をし、脂汗を滲ませ、先程の勢いもすっかり消え失せてしまった彼の表情には恐怖と共にどこか諦めの様相が見て取れる。一見強がって対等に抗議をして見せても、結局自身の言行一つで、こんなにもうろたえ、恐れ、大人しくなってしまうのか。その反応にすっかり機嫌を直し、気分的にも余裕を取り戻したゆかりは、やや口調を軽いものにして提案する。
「んー…じゃあ、これならどうかな?」
膝はついたままでゆっくりと上体を起こし、伴って地から離した手は、もう片方の手と共に背の後ろへと回し、組んで見せる。
「どう?少しは安心できる?」
「あ…ああ…。」
ゆかりが体勢を退いたことで、まともに陽光が当たり眩しそうな顔をする男。その表情は戸惑いに満ちているも、こちらの気配の変化を感じ取ったのか瞳には安堵の色が浮かんでいる。本当に自身の些細な変化に大きく影響されるらしい。ゆかりはそれをおかしく思いつつ、諭すように説明する。
「わたしはね、別に怪獣ではないし、悪魔でもないの。だから、本当にあなた達に危害を加える積りはないんだよ?だけど、わたしにも都合があるからあなたの言いなりにはならない。…これ以上まだ何か注文を付けようというのなら、わたしだってもう知らないよ?」
「わ、わかった…信じるよ。…済まない…見た感じまだ中学生くらいだし、素直で大人しそうだったから…強く言ったら聞いてくれるかと思った…。」
男がしおらしく言う。
「どうにかして全員を無事に逃がしたいという気持ちもあって、ついあんな言い方をしてしまったんだ…。悪かったよ。だから頼む、皆が避難する時間をくれないか?」
第一印象こそ悪かったものの、こうして普通に頼まれればゆかりとしても心持ちは随分と変わる。
「うんうん、素直でよろしい。」
ゆかりは頷いて微笑むと、柔らかい口調で言ってやった。
「いいよ、もう気にしていないから。じゃ、暫くこうしていてあげるから、あなたはみんなを誘導してあげて。」

 そうして警邏員達の指導の元に避難が始まると、ゆかりは先の宣言通り、大人しく膝を付いて手を後ろに組んだままでその様子を上から静観していた。…暫くは。
「ぁ…!」
急に小さく声をあげるとおもむろに手を伸ばしたのは半分弱の人達の非難が終わった頃だった。それに気づき、移動をしていた人々の波に一斉に動揺が走るも、ゆかりは全くそれを気にすることなく、ある男へと手をまっすぐ伸ばしていく。その男を中心にして動揺はすぐにパニックへとなり人の動きは不規則になる。
「うわぁぁっ!?」
特にそのターゲットとなった哀れな男は訳も分からず、狂ったように必死に逃げ惑うも所詮は無駄な足掻き。あっという間に彼女の指に捉えられ高々と空へと連れ去られてしまう。そんな彼を問答無用で目の前まで釣り上げて、しげしげと観察していたゆかりだったが、やがて小さく息を一つつくと、いかにも残念そうにひとりごちた。
「んー…もしかしたらと思ったんだけどなぁ…。」
上から見ていて、どことなく北沢に似ているような気がしたのである。と、そこで多くの視線に気づき辺りを見渡すと、そこにいる誰もが足を止めて不安げな顔で見上げているではないか。恐らく彼女の次の行動を見定める為に。
「あ、あはは。ごめんね。ちょっと気になることがあったんだけど…わたしの勘違いだったみたい。うん、気にしないでね。」
慌てて彼を地面へと解放した上で軽い調子で弁明しつつ、再び後ろで手を組んで見せるゆかり。が、今の彼女の行動を目の当たりにしては、その行為もまるで安心の要因にはならないように思われる。実際その後も、期待の眼差しを以て天高く摘み上げられた人が失意の溜め息と共に地へと解放される、そんなことが三度、四度と繰り返されたわけだが、特に誰かが危害を加えられたわけではないということもあり、異議を申し立てることのできる勇者など当然居るはずもなく、やっとのことで園内の人々の避難が『あらかた』完了したのはそれから一時間程後だった。