【手のひら舞踏劇】

 天使のゆりかご

【その5】




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【第八話】


【逢魔が刻の出会い】


 ――木曜日/昼――


 ソラツオーベル邸、自家映写室。
 メイド達が設備の簡単な使い方をリカコに説明したり、カーテンを閉じたりする中、白亜とインテは『解毒薬』でもとのサイズに戻っていた。
「……お母様!」
「無事でよかったわ、白亜……!」
 しっかと抱き合う花風母娘。
 エリカは、ぎゅうと娘を抱き締めた。
「あなたに何かあったら……まずは、白亜をこんなことに巻き込んだ有家公斗さんをただではおかないつもりだったけど」
「え!?」
 ぎょっとする公斗をよそに、助け出せて本当によかった、とエリカは言った。
 一方、インテは飲み干した解毒薬の小瓶を眺める。
「これを公斗君に飲ませたら、中和されないかな?」
「混用はよした方がいいと思いますわよ。特に『縮小薬』は扱いのデリケートな薬ですから。へんに作用して、ミリ以下まで縮んだりしたら大変ですわ」
 リリィはそう言って小瓶を回収し、メイド達に渡した。
 ちょうど準備ができたらしく、リカコとランチーが有線ケーブルの端っこを持って戻ってくる。
「んじゃ、地下室爆破の犯人様の顔を拝むとしましょーか」
 メイド達が映写室の電気を消す。
 DVDデッキに有線で繋がれたランチーの記憶が、高解像度で映し出された。
 一週間ごとに動画がフォルダ分けされていたので、その中から問題の土曜日を含む先週を選択する。
 さっそく流れ始めた、公斗を椅子に縛って改造プランを開始するシーンは、白亜が貧血を起こしそうになったので慌ててカット。
「いやー、ほんとに全部まるっと見てたのね。ういやつ、ういやつ」
「おいリカコ、さっき俺の見えないとこで何かやってるシーンが……」
「気のせいよ」
 早回しを駆使して、問題のシーン。
 土曜日の夕方――ちょうど、逢魔が刻だと公斗が思っていた頃だ。
「……時間的に、私がお会いした時間ですわね」
 数分間、誰もいない地下室が映し出された後――爆発。
 テーブルに、これ見よがしに置かれた時限爆弾だった。
「ちょっとカットし過ぎだ。巻き戻せ」
「へいへいっと。人使い荒いわね、公斗」
「おまえにだけは言われたくねぇ……」
 一旦、土曜日の朝まで巻き戻し、今度は慎重に回していく。白亜はエリカに目隠しをされていた。
 改造プランが完了した直後、急に画像が乱れる。リリィ達が息を呑んだ。
「まだおふたりがいるのに犯人が!?」
「いや、これ私が振り回したせいなのよね」
「だ、誰に向かって振り回したのですか島さん! 有家さんですか? 有家さんなのですか!?」
 目隠しされた白亜が泣きそうな声で抗議するが、リカコはスルーした。
「さて、この後、公斗が部屋を出て、白亜ちゃんと遊園地デートに行くのよね」
「あら……わたしが認める前にデートですか、白亜」
 エリカが、すごく冷え切った声でつぶやいた。白亜が「ひっ」と息を呑む。
 ランチーの頭に乗った5センチの公斗が、気まずそうに白亜を見上げた。
「……もしかして、内緒で出てきてたのか?」
「有家さん!」
「あ、やば……っ!」
「……ふたりとも、あとでお話を聞かせてもらいますからね」
 エリカの笑顔が怖い。
 ぽんぽん、とリリィが彼女の肩を叩いた。
「まあまあ。若いうちは、私のように少しは奔放な方が――」
「乳牛さんは黙っていてくださる?」
「そうです。一緒にしないでください」
「……私は、かばったつもりだったのですわ」
 花風母娘に言われて、リリィはしゅんと落ち込んでしまった。心配そうな顔の下っ端メイドに頭をなでなでされている。
 一方、リカコはそんな外野(?)を無視してランチーの記憶を再生し続けていた。
「PM1:00。移動時間を計算して、公斗が遊園地に着いた頃ね……」
『はいれす。もうちょっとで、リカコしゃまが出ていくれす』
「そーだっけ?」
 公斗がいなくなった地下室では、リカコがいろんな薬品を混ぜたりしている光景が延々と映し出されていた。
 赤や青、緑。
 色とりどりの薬品が混ぜ合わされ、怪しげな煙がもくもくとあふれ返る。
 その光景を見ていた公斗や白亜、インテ、エリカ、リリィの目が、どんどん疑惑の眼差しでリカコを睨む。
「おい……まさか」
「島さん、自分で混ぜた爆発性の薬をうっかり放置していたのでは……」
「ありえるよね……」
「う、うそだッ! そんなわけないっ!」
 しかし時刻はPM1:37。リビングの電話が鳴ったのに気づいて、リカコは地下室を出て行ってしまった。
 むちゃむちゃ危なそうな噴煙まき散らす薬品を放置して。
 公斗がボソッと言った。
「……俺が小さくなって、白亜の電話を借りた時か。この数時間後の夕方に爆発するんだな?」
『リカコしゃまは、この後、爆発が起こるまで地下室に来ないれす』
「そ、そうよ……公斗のことが心配で、ずっと玄関で待ってたんだからね……!」
 恥ずかしそうに悪態をつくリカコに、公斗はハッとした。
「リカコ……そんなに俺を心配して……?」
「あ、当たり前じゃない……っ」
「……それはそうと、結局、自爆でいいんだな?」
「シャラーップ!! そんなわけないっつーの! この私を信じなさいよ!!」
 公斗をわしづかみにしてガクガク揺さぶるリカコの主張とは裏腹に、画面では、例の薬品が放った煙が地下室の天井付近に暗雲を生み出し、小規模な落雷をまき散らしていた。
 花風母娘とリリィが、いかにもジトッと湿った目で画面を睨み、インテはため息をついていた。
「ち、ちがうのよ! あれはホント、爆発するような薬じゃなかった(はず)!!」
「だってリチャコが玄関にいたなら、誰も侵入できないじゃん……」
「べ、ベランダから入ったかも知れないでしょ!? 作戦イン可能みたいなかんじで!」
「現代日本の民家でミッション・イ●ポッシブルする人がいたら、即通報ですわ……」
「なぁ、リカコ……とりあえず、この件だけはリリィに謝れ、な?」
「う……」
『むむむむむ! ついに、ついに決定的瞬間れすよー!』
 ランチーが、人工皮膚を貼り付けた華奢な腕で画面を指差した。
 全員が口をつぐみ、画面に視線を戻す。
 置き去りにされた薬が生む雷雲がどんどん肥大化し、落雷どころか、薬品の中が激しく輝き始めた。
 しかも、その中からホムンクルス的な、タコの足みたいなのが出てきた。
 もはやホラー映画じみてきた光景に、野次馬のように集まっていたソラツオーベル家のメイド達がお互いに抱き合ってガタガタ震えだす。
 しかし――
 タコ足に続いて何かが這い出す直前、地下室のドアが開いた。
 現れたのは……

「――マリ!?」

 白亜が息を呑んだ。
 黒いスーツケースを下げたマリは、地下室の惨状を目撃してギョッとした後、慌ててホウキで薬品をぶっ叩いて破壊し、這い出してきたタコっぽい怪物にピストルを撃ち込んで退治した。
 この時点で、メイド達からは拍手喝さいである。
 その後、ぜえぜえと肩で息をしていたマリは、地下室の書類棚を、次いで薬棚を軽く探った後、スーツケースの中から時限爆弾を取り出してテーブルに設置。
 即座に撤収していった。
 それから97分(超・早回しで3分弱)という半端な数字で、爆弾は炸裂。
 公斗は深く頷いた。
「世界は、救われたんだな」
「そうね……って、ちっがーう! なんで白亜ちゃんのお目付け役が私の地下室を爆破しちゃうのよ!」
 リカコが地団太を踏む。
 信じられない、と呆然としている白亜に代わり、インテが首を傾げる。
「半端な時間で爆発したってことは、遠隔操作とか?」
「俺やリカコを巻き込む気はなかったってことか。最初から持ってたし、タコの後始末のために爆破したわけでもないよな?」
「ええ。わたし達は、使用人に時限爆弾を常備させてはいません」
 エリカが真剣な顔で告げた。
「マリはわたし達の使用人です。損害については正式に、こちらで全面的に補償いたします」
「そういえば、マリさんがいないな……てっきり、車に残ってるんだと思ってたが」
「あなた達が来る時に使った車でしたら、この映写室に入る段階で、すでに無人だと報告がありましたわ」
 腕組みをしたリリィが、壁に背中を預けながらため息をついた。
「個人の未成年で『縮小薬』を開発するほどのサイエンティストなら、心当たりぐらい、あるのではありません?」
「多すぎて……でも、マリさんや白亜ちゃんに発明品を使ったことはないし……」
「正直さぁ、悪意じゃなくて普通に危険を感じて爆破しに来ただけって可能性もあるよね?」
「――でも、そんなことはどうでもいいのよ!」
 ランチーのおしりから通信ケーブルを引っこ抜く。
 乱暴にされて、思わず『あん』と可愛い声を上げるランチーには目もくれず、リカコは怒りに燃えていた。

「ランチーや地下室を爆破しただけじゃない……
 この私の超人計画パート3、超怪獣タランティラノまで殲滅するとは、許せないわ!!」

 居合わせた全員の目が点になる。
「まさかとは思うが……あの実験、成功だったのか?」
「当ッ然! 今まで何百、いや、何千の組み合わせを試して、やっと成功したと思ったらコレよ!」
「あの……わたくし、どちらにしても、マリは間違っていないような気がして来ました」
「なに言ってるの白亜ちゃん!! マリさんを突き止めて理由を吐かせるまで、私は絶対に止まらないわよ!」
 白亜の肩を引き寄せ、朝陽とは真逆の方向を向いて勝手に燃えるリカコに、誰もが頭を抱えてしまう。
 ただひとり、ランチーの頭に乗っている、公斗を除いては。
「…………」
『どうしたのれすか、公斗しゃま?』
「いや……何でもねーよ」
 視線だけを真上に向けて尋ねるランチーに、公斗はかぶりを振った。
 静かに顔を伏せる。
(……棚をあさったのは、薬が目的じゃなかったのか?)
 ――マリはあの時、薬品棚よりも、書類棚をずっと念入りにあさっていた。
 他のメンバーは特に意識していなかった、その姿に、公斗は奇妙な気がかりを感じていた。




 予想どおり、マリの消息はつかめなかった。
 リリィが手配した車で花風本邸に着くや否や、エリカの鶴の一声で使用人が大集合したが、マリは行方不明。
 使用人に持たされる無線機などを利用した捜索が開始され、公斗達は一旦、帰されることになった。
「ま、俺達がいても邪魔になるしな……」
 先日のリリィの襲撃以降、食堂に置きっぱなしにしてしまった発明品を保管しているという倉庫の外で、公斗はつぶやいた。
 倉庫の中では、リカコとランチーが発明品を回収ついでに整理しているが、公斗には何もすることがない。
「わたくしも同じです。マリを探したくても……マリの口から真相を聞きたくても、わたくしにはどうすることもできません」
 しょんぼり、白亜は顔を伏せた。
 公斗は周囲に使用人の目がないのをいいことに、おそるおそる、彼女の肩に手を伸ばす。
 その手がいつまで経っても肩を回らないことに気づいて、白亜は自分から体を傾けて、ポスンと身を預けた。
「うあっおう!?」
「……あんまり大声を出すと、お母様が飛んで来ますよ」
「あ、あぁ……」
 いつ体が縮むか解らない状況で必死に耐える公斗。
 リムジンに残って待っているインテとリリィはどうしているんだろう、と考えをそらしていた時――リカコが声を上げた。
「ない! ないわ、アレが! よりによって、アレが!!」
「な、ナイって、ナニが?」
『物体拡大砲のことれすー! ランチーの可愛い妹れすー!』
 倉庫中を引っ掻き回して再整理するリカコに代わって、ランチーが叫ぶ。
『試作品れすし、使うには特別な培養液が必要なのれす。悪用はされないれす、けど……ここの備品管理はひどいれす』
「まぁ。なまいきなチェーンソーさんですね」
 ぷぅと頬を膨らませる白亜。ランチーは『ふぇ、なんで怒るのれすか?』と首を傾げた。
 リカコは深呼吸レベルのため息を漏らし、肩をすくめた。
「……はー、仕方ないわ。マリさんが犯人なら、倉庫をいくら探しても、無駄かも知れないわね」
『れす……残念れす』
「公斗。地下室に帰って、作戦を立てるわよ」
「お、おう。そうだな」
 白亜の側から離れてしまう公斗。
「あ…」と寂しそうにつぶやいた白亜は、リカコ達と一緒に去っていく公斗の後ろ姿に、意を決して駆け寄った。
「あ、有家さん。わたくしも連れて行ってください!」
「え?」
「何も、できないとは思います。でも、お薬や道具を運んだりはできると思います。いえ、させてください!」
 言い出したら聞かない目で、白亜は公斗を見上げた。
 こうなったら断ることはできない。リカコを見ると、彼女は「私はいいけど?」と言う。
 公斗が頷くと、白亜は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
「あ、あぁ」
「じゃあ、あの乳牛メイドの車に戻りましょ」
 ロータリーで待っていたリリィとインテ(ついでにアーノルド達)のもとに戻ったものの、そこで問題が発生した。
「……ね」
 車に乗り込もうとした白亜の顔が青ざめる。
「ねずみ……」
「ちがうよ、この子達はハムスターだよ」
「ちちち近づけないでください!」
 悪意のないインテに悲鳴を上げ、後ずさる白亜。
 公斗の肩に乗ったアーノルドが絶望に暮れた。
「なんと。先日、朝食の席でも、リリィ君の屋敷でも、なんともなかったと言うのに」
「気づいてなかったとか、それどころじゃなかったせいだろ。屋敷からの帰りは白亜とエリカさんだけ、来た時の花風家の車だったしな。運転手はメイドになってたけど」
 ……結局。
 前列にはインテ、リカコ、背中に刃物とアームを格納したランチーの三人。
 後列にはリリィ、公斗、そしてインテの対角線上に白亜という三人が座ることになった。
「……うう、お手伝いすると決意した直後にこんな……自分が情けないです」
 と言いつつも生理的に苦手なものは苦手らしく、公斗にしがみついて隠れるようにしている白亜。
 ふるふると怯える小動物のようなか弱さに、ただでさえ白亜に一途な公斗の心拍数は急上昇していた。
 ついでに反対隣には、リリィが座っている。
 こっちはこっちで、自重しない爆乳がむにむにと公斗にタッチしていた。
「あん。狭いですわ」
「……な、なぁ。車を用意してくれたのは感謝するけどさ。なんで、わざわざ面倒ごとについて来たんだ?」
「私をメイド達の前で全裸にしてくれたことの、お礼が済んでいませんわ。リカコ様との話し合いも平行線ですし」
「平行って言うか、直角に真っ二つよね?」
「……それにしても、暑いですわねぇ」
 リリィは胸の谷間に指をかけて引っ張る。
 谷間から、むわっと熱気が昇った気がした。
「ふふ……公斗様は二度も、ココに閉じ込められたのですわ。いかがでした?」
「え? そ、そんなこと聞かれても……」
「なんなら……三度目を経験されても……よろしいのですわよ?」
 むにゅん、とリリィは公斗に胸をあてた。
 ボリュームのある胸が、公斗の腕の大部分に弾力を浴びせる。
 1センチの時に体験した、深さ10センチ以上の谷間が、ブラックホールのように視線を縫い付ける。
「下品なこと言わないでくださいっ!」
 キッとリリィを睨んだ白亜が、すぐさま公斗を自分側に引き寄せた。
「……あの……あの、有家さん。物足りないかも知れませんけど、全部、有家さんのものですから……」
「は、張り合わなくていいから。落ち付け、な?」
「負けたくないのです、これだけは」
 公斗には白亜の代わりはいないのだが、大事な公斗を取られまいとして、白亜は真剣だ。
 左右からおっぱいに迫られ、公斗は頭の中がぐらぐらしてきた。
 元素の周期表の知ってるとこを繰り返すのにも限界がある。
 とうとう、ひゅんっと音を立てて、公斗の背丈は10センチになってしまった。
「あら、かわいいですわね♪」
「む! あげません!」
 がしっと公斗の上半身をつかむリリィに、下半身を握り締める白亜。
 天国から一転、地獄に。
「いででででで! やめろ、ちぎれる!」
「……先に放した方の勝ちってよく聞くけど……このふたり、放しそうにないわね」
 リカコがひきつった笑みでつぶやく。
 結局、運転席側から小窓が開いてメイドが顔を出すまで、公斗は引っ張られ続けていた。
「リリィお嬢様。まもなく目的地に到着いたします」
「ご苦労さま。着いたら、その場で待っていてくださいな」
「かしこまりました」
 小窓が閉じる。
 ようやくリリィが手放したので白亜のひざに乗せられた公斗は、呼吸を整えながら言った。
「……今さらなんだけどな。おまえ、お嬢様なのにメイド服なのか?」
「よくぞ聞いてくださいました。それはもう、語れば長くなるのですわ――」
「どうせ、いちばん落ち着くからとか、そういう理由でしょう?」
 つんと白亜がそっぽを向いた。今までのできごと的に無理もないが、リリィにだけは露骨にキツい。
 リリィの目つきが険しくなる。
 今度は無言で睨み合いを始める令嬢ふたりをよそに、ランチーが窓の外を見た。
『もうすぐ、おうちれすー! しばらく放置した地下室の荒れっぷりが楽しみれすー!』
「いやなこと、さらっと言わないでくれる?」
「……あれ?」
 アーノルド達の鼻先をくすぐって遊んでいたインテが、首を傾げた。
 何かに怯えるように、彼らがそそくさと服の中にもぐり込んでしまったからだ。
 直後、車に強い衝撃が走った。
「きゃあ――っ!」
 耳障りな摩擦音とともにタイヤが急停止をかける。
 幸い、ケガひとつなかったが、車内はめちゃくちゃになってしまった。
「いったたた……」
『ほぇぇ、めのまえがパチパチするれす~』
「うぅ……だ、大丈夫でしたか、有家さん……」
「きゅう(すまない、私だ)」
「んきゃあああああああああ!!」
「あーッ、痛いわねー! いったい何なのよー!」
 若干一名、公斗だと思って抱いてたのがハムスターにすり替わっていて絶叫したが、リカコは構わず、まだ悶絶しているインテ達を押しのけてドアの外に出た。
 どこにでもある住宅街の、中心を貫く一本道。
 駅まで続く通路の向こうに沈む、夕陽を背負う形で、ひとり分の人影が立っていた。

「――おまえを。待っていた」

 白のフリルを多めにあしらった、赤とピンクのドレス。
 後頭部と胸元に飾られた、大きなリボン。
 端的に言えば、いかにもなゴシックロリータ調の出で立ち。
 骨董屋のビスクドールが動き出したかのような幼女は、こつ、と足音を立てて前に出た。
「おまえを。ちょうだい」
 宝石のようなヒスイ色の瞳が、じっとリカコを見つめる。
 リカコは、ばさぁっと白衣を広げた。
「ふ……また変なイロモノが出たわね。もてる女はツラいわ」
「……おまえじゃない。そっち」
 忌々しげに目を細めた幼女は、リカコの足元を指差す。
 急ブレーキの勢いで白亜の手からリカコの白衣に飛び込み、さっき広げた拍子に足元に転がった公斗がいた。
「え、いや……確かに、こびとは珍しいだろうけど、これも私がいてこそよ?」
「……問題ない。燃料は。一匹分で足りる」
 淡々と幼女はつぶやく。
 リカコは、はっと息を呑んだ。
「まさか、あんた……持ってるのね」
「…………」
「私の造った『物体拡大砲』……! あれを使うつもりなの!?」
 くす、と幼女は笑った。
 同時に、ようやく外に出ようとした白亜が叫ぶ。
「マリ!!」
「へ?」
 リカコは白亜の視線を追って背後を振り返る。
 いつの間にか、そこには黒服を着たマリが立っていた。
 ……手には、公斗をわしづかみにして。
「げ! 公斗!」
「くそっ、放してくれ、マリさん!」
「放してあげてください、マリ! どうして!?」
 白亜に涙ながらに訴えられ、マリは顔を伏せて、ゴスロリ幼女の方に向かった。
「……申し訳ございません、お嬢様」
「そんな……!」
「くす。悲しげな声を出すな。すぐに返す」
 マリが差し出した公斗を、幼女はしっかりと握り締めた。
 華奢な手とはいえ、15倍近い巨人の手に捕まっては、逃げようがない。
「くっ……!」
「……暴れると。ケガをするぞ」
 幼女は、眠たげに目を細めた無愛想な顔で警告した。
「私の名は。治々美雪芽。覚えなくてもよい」
 治々美雪芽(ちぢみ・ゆきめ)と名乗った幼女は、くわっと口を開けた。
 公斗の頭上に、雪芽の真っ赤な口の中と、二本だけ尖った牙が見える。
「く、食われる……!?」

 かぷ。

 容赦なく、雪芽は噛み付いた。
 どんな衝撃にも耐えられるはずの肌に、小さく穴が開く。雪芽の牙の先が、公斗に刺さっていた。
「ぐ……っ!?」
「…………」
 ちう、と雪芽は溶けたアイスをすするように吸い込んだ。
 体中の生気を抜き取られていく寒気……
 同時に、全身に溜まった何もかもを吸い出される、異様な快感が公斗を痺れさせた。
 ようやく口を開けた雪芽は、瞳を紅く染め、けふっと息をもらした。
「……ごちそうさま」
 生き血をすすられて5センチまで小さくなり、ぐったりしてしまった公斗を、ぽいと白亜に投げてよこす。
 白亜は公斗を抱き締めて泣き出した。
「……致死量は吸っていない。問題ない」
「そーいう問題じゃないのよね、うん」
 リカコとランチーが、ずいっと前に出た。マリが拳銃を向けて牽制しているが、お構いナシだ。
「その血、何に使うのか、教えてくれるわよね?」
「知らずとも。予想はできるだろう」
 雪芽は薄く微笑を浮かべた。
「……私達を止めたくば。おまえ達、6人だけで。治々美市ドームに来るがいい」
「治々美市ドームですって? あそこはまだ建設中のはずよ」
「タイムリミットは。明日の金曜日……夜の12時だ」
 それだけ言い残すと――
 雪芽とマリの姿は、忽然と消えた。
 残されたのは、リカコとランチーと、気を失ってしまった公斗の名を叫ぶ白亜と……
「……しぇー。何か、私達の出る幕ないってカンジだね」
「……一緒にしないでくださいます? 私はチャンスを窺っていただけですわ。こっそりと」
 雪芽がいる間、車から一歩も出なかったインテとリリィだった。
 運転席で震えているメイドは別として、雪芽の言う「おまえ達」は、六人しかいない。
『どうするのれすか、リカコしゃま……あれは、ボスキャラ臭がぷんぷんするれすよ?』
「……どーもこーもないわ。あいつら、物体拡大砲を起動する気よ」
 リカコは、いつになく真面目な顔でつぶやいた。
「超人の血で起動する、巨大化決戦用最終兵器……でも、自費でやると光熱費が掛かりすぎるからボツにしたのよ」
 そう小声で漏らしたリカコは、夕陽に向かって吼えた!

「行くわよ、みんな!
 あいつらから、実験施設を強奪――じゃなくて! 悪党どもの企みを阻止するのよ!!」

 ……言ってることは正論なのだが、なんかいまいち賛成しづらい空気になった。




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【第九話】


【潜入、治々美市ドーム】


 ――金曜日/朝――


 リカコの家――地上一階、リビング。
 公斗の改造が完了してから、今日でちょうど一週間になる。
 血をたっぷり吸われてしまった公斗も、ようやく動けるようになってきた。しかし、一晩も経ったのに、もとの大きさに戻れない。
「……ごめんなさい。有家さんが小さくなっている時ぐらいしか、わたくしが守ってあげられる時はないのに……」
「白亜のせいじゃない。俺が捕まったのが悪いんだ」
 吸血された後の5センチのまま、白亜の手のひらに乗せられた公斗は言った。
 盗聴防止のため、専用アンテナのケーブルをおしりに接続したランチーが、エリカの声でリカコに告げる。
『――マリの居場所が解りました。治々美市のほぼ中心……建造中の治々美市ドームれす』
「そうですか……ありがとうございます奥様」
 エリカの声で語尾が「れす」なせいで、聞いていたインテとリリィが腹を抱えて悶絶しているのをスルーして、リカコは続けた。
「その捜索、私達だけで引き受けさせていただけませんか?」
『え?』
「市が厳重管理している建物に対して、正式に手続きを踏むのは時間が掛かりますから」
 リカコは丁寧に続ける。
「それに、ドーム関係者が協力者なら、こっそり潜入するしかないと思います」
『……解りました。何かあったら、遠慮なく連絡が欲しいのれす。こちらでも無線機の位置をモニターしています。ノシ』
「ぶふっ」
「だめだよリリィさん笑ったら……ぷぷ」
「ありがとうございます、奥様。お嬢様は身を挺してお守りいたします」
 リカコがランチーの鼻をつっつくと、エリカとの通話が切れた。
 ランチー語でしゃべるエリカがツボに入ってしまったふたりは無視して、リカコは額の汗を拭った。
「ふー。これでこっそり忍び込めそうね」
『さすがはリカコしゃまれす! 敵の施設を利用した後、残った設備をこっそり押収するつもりなのれすね!?』
「ふっふっふっふ……そのとおり。このおそるべき世紀の科学者、リチャコ様を恐れるがいいわ!!」
『すごいのれす! カッコいいのれす! 天才れす! 外道のクズれすー!』
 白衣をド派手に広げて咆哮するリカコに、やんやと囃し立てるランチー。
 そこに、公斗を肩に乗せた白亜がやって来た。
「あの……正直、有家さんは残った方がいいと思うのですが」
「だめよ白亜ちゃん! そんなことしたら公斗を巨大化させられな…げふん! 戦力を分散するのは得策じゃないわ!」
「でしたら、わたくしの家にいれば…」
「マリさん以外にも敵の仲間が潜んでるかも知れないでしょ? それに、相手は6人で来いって言ったのよ」
 リカコはうんうんと頷いた。
「……それに、機会があれば白亜ちゃんも巨大化させて……いや何でもない」
「?」
「ともかく、忍び込む準備は済ませておいてね。夜になったら決行よ!」
 ぞくっと背筋に寒気を感じた白亜をごまかし、リカコは宣言した。




 そして――夜。

 治々美市の中心に位置するドームの前に、一同は集合した。
 外周部をぐるりと周るだけでも、かなりの時間が掛かる大きさだ。テントのような白い幕で覆われているため、内部が本当にドームなのかどうかも解らない。
 誰かしら通りすがることの多い市の中心で、通行人がひとりもいなくなるのを待ったため、もう結構な時間になっていた。
「……タイムリミットまで、あと2時間ってとこね」
 腕時計を見たリカコがつぶやき、『ご迷惑をおかけしております』と書かれた看板を見た。
「外側を一周して侵入ポイントを探すヒマはないわ。強行突破よ」
「え、しょ、正面から、ですか?」
「待て、リカコ。せめて、奥に入るまでは騒ぎにしたくない」
 どこかに飛んでいかないように、白亜の髪の毛を命綱代わりに結び付けられた公斗が、彼女の胸ポケットから意見した。
 ハムスターが見えないよう、白亜から少し距離をとったインテが首を傾げる。
「じゃ、どーするの?」
「リリィなら何とかできるだろ?」
 急に話を振られて、ドームの入り口を遠目に睨んでいたリリィが顔を上げた。
「私が? ……暗殺術なんて初歩しか知りませんわよ?」
『ふぇぇ、初歩だけ知ってることにびっくりれす』
「そうじゃなくて、警備に立ってるやつらに暗示をかけてくれ」
 公斗の作戦を理解したリリィは、ふふん、と鼻を鳴らした。
「そう、ですわねぇ……私としては、相手の計画者に取り入って、おいしい思いをするのもアリなのですが」
「おい! どっちの味方だよ!」
「うふふ……まぁ、構いませんわ。でかいだけのエサにはかからない主義ですの」
「それをあなたが言いますか、乳牛さん……」
 公斗の頭を人差し指でちょんちょんとなでて、ついでに白亜を睨んだリリィは、でかいバストを揺らしながらドームの入り口に付いて行った。
 特定の町でもなければ珍しい事この上ないメイド服に、たわわに実りきった爆乳がふたつ。目立ちまくる彼女の姿に、立っていた黒服の女性ふたりが振り向いた。
「なんだ? おまえは」
「ふふ、じつは今夜、取引の案件がございまして……」
 前に出てきた相手を、じっ、と見つめる。

 ア ン ナ イ シ ロ

「……はい。ご主人様」
「お、おい!?」
「あなたもですわ」
 背伸びするように腕を伸ばし、ぐい、と顔をこちらに向けさせる。

 ア ル ジ ノ モ ト ニ
 ア ン ナ イ シ ロ

「……はい。ご案内いたします」
「結構。あとでごほうびをあげますわ」
 ふらふらと施設の奥に向かって歩いていくふたりを確認し、公斗達に目配せする。
 辺りを確認したリカコを先頭に、リリィに追いついてくる。
「いやぁ、あんたもなかなかワルい女ねぇ」
「私と手を組んでくださる気になりました?」
「ま、今回の施設強奪がうまくいったら考えてあげなくもないわね」
「島さん! それはナシです!」
 白亜が思わず抗議の声を上げ、公斗が慌てて白亜の髪を引っ張った。
「だ、大丈夫だって、ありがとな。俺を引き渡す気はない……はずだから」
「わたくしは不安です……」
「私も催眠術とか覚えたいなー」
 ぞろぞろと、ふたりの黒服の後ろをついていく。
 中には誰も職員がおらず、靴音が響き渡るほど、シンと静まり返っていた。
「……おかしいと思いませんか、有家さん」
「……ああ。静か過ぎる」
「この治々美市ドームは現在、急ピッチで建設作業中のはずです。なのに、中に入っても騒音どころか、ひとの気配もありません」
 白亜の意見は、公斗の懸念とも一致していた。
「…………」
 ちら、とリリィはついてくる5人の様子を窺う。
 リカコとランチーは施設強奪後の計画を楽しげに語っているし、インテは不安げに周囲を見回してはいるものの、特に勘付いたこともなさそうだった。
 やがて先導する黒服のふたりが、十字路に差し掛かる。
 と――
 片方が左に、もう片方が右に行ってしまった。
「な、なんだ?」
「ちょっとー、どうなってんのよ! どゆこと!?」
「……施設内の地図を、わざと間違って記憶させている可能性がありますわね」
 リリィがポツリとつぶやく。
「暗示をかけられることの対策というより、スパイが紛れ込むのを防ぐために、そうしている場合もありますわ」
『おぉーなのれす! 本物の小悪党が言うと、すごい説得力なのれす!』
「ふふふ、もっとお褒めなさい」
「……でもさ。どっちかが合ってる可能性もないわけじゃないんだよね?」
 インテが言うと、しーん、と一向は静まり返った。
 左の通路。
 右の通路。
 そして、正面の通路。
 やがて――
「……立ち止まってても、ラチが明かないわ。時間もないことだし」
 リカコが沈黙を破った。
「ふたりずつ、三手に分かれるわよ! ランチー、ついて来なさい!」
『はいなのれす! 言い出しといて最初に選ぶズルイとこが素敵れす!』
 リカコとランチーが、とりあえず目に入った左の通路に走っていった。
「では、私はこちらにまいりますわね」
「あ、私もそっち行く!」
 一礼したリリィに続いて、インテとアーノルド達が、反対側の右の通路に進んでいく。
 ぽつん、と。
 取り残されたのは、白亜と、その胸ポケットに収まった公斗だった。
「……あれれ? 有家さん、この分け方、おかしくないですか……?」
「ごめんな……役立たずで」
「あ、いえ、そんなつもりじゃ……!」
 慌てて弁解した白亜は、ごくりと固唾を呑んだ。
 ポケットの上から、ぎゅっと公斗を自分の胸に押し当てる。
「うわ、は、白亜……?」
「……大丈夫です。わたくしはできます。有家さんさえいれば、何だってできます……」
 自分に言い聞かせるように目をつむって繰り返した白亜は、ポケットの中の携帯電話を確認してから、まっすぐ進んだ。




 ――左の通路――

「……はぁ。なんか、なーんもないわね。行けども行けども通路って、どういうことよ」
『そのうち、ぐるっと周ってみんなと合流するかもれす』
「普通にありえるわよ、それ」
 延々と続く通路を進みながら、リカコはため息をついた。
「どうせ血はとられたんだし、相手が使っちゃう前に『物体拡大砲』を取り返し! このドームの電気を使って公斗を巨大化させれば、超人時代の始まりよ!」
『れすー! とことん敵を利用するズルイとこも、さすがリカコしゃまれすー!』
「モエてキタ――! ……とはいえ、なーんか辛気臭いかんじよね、このドーム」
 急ピッチで外見だけ間に合わせたかのような治々美市ドーム。
 いかにも作り立てっぽく、装飾すらしていない白壁は、病院の壁を彷彿とさせる。
 まるでドーム自体が、外部と隔離するためだけに、とってつけた存在であるかのようだ。
「もっとこう、派手にさ……ズギャーン! ドバーン!! って展開は、ないのかしらね」
 さすがに少しばかり、気が滅入ってきたリカコだったが……
『……む! リカコしゃま、危ないれす!』
「え?」
 立ち止まった、その瞬間!

 ズギャーン!

 床が裂ける!

 ドバーン!!

 天井が砕ける!!
 床と天井をぶっ壊して現れたのは、四本足のガニ股で歩く、いかにもなかんじのロボット軍団だった。
 リカコの目が輝く。
「おおおおお!!!! これよ、これこれ! いかにも敵の本拠地っぽいわ!」
『れすー! やっつけるのれす! パワーをアームに!』
「いいですとも! やーっておしまい!」
 背中から電動ノコギリつきアームを展開したランチーが、突撃してマシンを破壊していく。
 出てきた側からまっぷたつにされてあえなく崩れるマシン達を乗り越えて、リカコはランチーの後を追いかける。
「いいわ、いいわよランチー! これこそ、この私、リチャコ様が求めるスペクタクルの序章…」
 ぼこっ、と足元の床が崩れた。
「……あれ?」
 立ち止まるリカコの足元の床が――抜ける。
「ぴゃ――――っ!?」
『り、リカコしゃまー!?』
 ランチーの悲鳴じみた声が、崩れた床下の深遠に響いた。




 ――右の通路――

 リリィとインテの進む通路には、張り紙や自動販売機など、職員の使いそうな設備が多かった。
 それでも誰とも遭遇しないあたり、徹底的に人払いされているらしい。ますます怪しかった。
「……インテ様は、公斗様とはどういったご関係ですの?」
 ぽつりとリリィがささやいた。
 一瞬、「へ?」と首を傾げたインテは、けらけらと楽しそうに笑う。
「ちがうよー、私はただの友達だよ。公斗君にはお嬢様ちゃんがいるしね」
「……ではなぜついて来たのです?」
「うん、まぁ……それはさ。話すと、長くなるんだけど……」
 振り向かずに尋ねるリリィに、インテは恥ずかしそうに頬を紅く染めた。
「初めて、自分から、私に協力したいって言ってくれたひとだから……」
「……そう、ですか」
 頷いたきり、何も語らなくなる。さすがに敵地で緊張しているのか、なんとなく話しかけづらかった。
「誰もいないね……」
「……はたして、そうでしょうか」
「え?」
「これだけの規模の施設ですわ。いない方が奇妙でしょう」
「そういうもん……なの?」
「そのくせ、まずい思想に毒された下っ端は、金では動かないものです。上の方は別ですけれど。……とにかく、厄介ですわ」
 いつになく真顔で言われてしまうと、ほとんど民間人のインテとしては不安になってしまう。
 きょろきょろと周囲を見回してみるが、誰の気配も感じられない。ただ、アーノルド達は妙に怖がって怯えていた。
「…………」
 やがて、自動販売機の前で、リリィは立ち止まった。あったかいコーヒーが並ぶ棚を見上げるリリィに、釣られてインテもそちらを見る。
「……おいしそうですわね」
「あれ? もしかして小銭とか持ってない? そっか、お嬢様なん――」
「いいえ」
 突然――
 インテのみぞおちに拳がめり込んだ。
「な……ん…で」
 手をひいたリリィが、フンと鼻を鳴らす。
「暗殺術も、かじったと言ったでしょう? 護身にしか使えない程度ですが」
「そう…じゃ、なくて……!」
 急所を突かれ、弱々しく崩れる。
 薄れる意識の中、どこに隠れていたのか、集まってくる黒服の男女。
 彼らとともに見下ろしてくるリリィは、つまらなさそうに言った。
「……この施設の主。取り入れば、本当においしそうですわ」




 ――正面の通路――

 まっすぐ進んだ白亜は、だんだんと照明が減って真っ暗になってしまった通路に、ぷるぷる震えていた。
 今にも泣いてしまいそうな彼女の姿は、大蛇の巣穴にうっかり迷い込んでしまった、哀れな子ウサギを連想させてしまう。
 ……もっとも、公斗の30倍は背丈があるし、怖くなるにつれて公斗を握り締めてくるのだが。
 小さくなった自分に今できることは、白亜を安心させるおまもりになること――と思って耐えていたが、さすがに中身を搾り出されそうになって声を上げる。
「ぐ、ぐぇ……白亜、悪い。さすがに苦しい……」
「あ! ご、ごめんなさい」
 ぱっと手を放す白亜。
 公斗は、しばらくぶりに新鮮な酸素を吸えた。
 と、その時。
 申し訳なさそうにしていた白亜が、正面の微かな光に気づいた。
「あれ……外の光でしょうか?」
「え?」
 白亜はまっすぐ、そこに向かう。
 運動場によくある観客席と、芝生が見えた。
 一気に駆け出し、廊下から外に飛び出す。
 ぐるりと観客席に囲まれた芝生の中心には、どこかで見覚えのある機械の筒が、山のようなガラクタの頂上に設置されていた。
 ガラクタの山に駆け寄り、見上げる。公斗はもちろん、白亜でも手が届かない高さだ。
「あれって……」
「確か、食堂でリカコがエリカさんに見せてたやつだ。物体…」
「――『物体拡大砲』と。言っていたそうだな」
 聞き覚えのある声とともに、ふわりとドレスを広げて、治々美雪芽は降り立った。
 その後ろには、マリの姿もある。
「私も。この女に。聞くまでは知らなかった」
「……っ!」
 背後に現れた雪芽達から距離をとろうと、白亜は後ずさる。
 だが、ガラクタに足をとられて、尻餅を突いてしまった。
「きゃっ!」
「お、お嬢様……!」
「……ここまで来たおまえ達は。光栄に思うといい」
 白亜に覆いかぶさる形で、ずいっと顔を近づけてくる雪芽。
「くそ、白亜に触るな!」
 ポケットから出て雪芽に反撃しようとした公斗は、逆に、雪芽にピンと指で弾かれてしまった。
「ッ…!」
「有家さん!」
「おまえ達は。歴史の変わる瞬間を。その目で見ることになる」
 相変わらず無愛想な雪芽は、ヒスイ色の瞳で、白亜と公斗を見つめた。

「超人の世界。
 平均身長……160メートルの時代が……始まる」




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【最終話】


【ヒトを超えた存在】


 ――金曜日/深夜――


 ――土曜日まで、あと57分――


「う……うぅん……」
 リカコは、全身に響く鈍い痛みに呻いた。
 ぼやけた視界に、同じく呻いているインテと、ふたりを不安そうに見守るランチーの姿が映った。
 同時に、周囲をぐるりと取り囲む、鉄の柵も。
「ここは……」
「――気がつきましたかな? かわいいお嬢さん達」
 下卑た男の声音がした。
 鉄の柵の向こうに、大きな執務机にどっかりと居座った、これまた大きな巨漢が、サイズの合ってないスーツに身を包んでいる。
 顔は明らかな野獣ヅラだった。
 幸い、縮小されているわけではないが、この鋼鉄の檻を用意させたのは、この巨漢で間違いなさそうだった。
「あんた、何のつもりよ……獣人」
「待ちなさい、誰がケダモノですと。誰が」
 意外と普通にツッコミを返してくる巨漢に、リカコとの間で奇妙な友情が芽生えそうになった瞬間――
 彼の後ろに控えている、爆乳メイドに気がついた。
「げ! あんた、まさか!」
「……何か?」
「何か? じゃないわよ! 裏切ったわね!」
 鉄格子にしがみついて喚き立てるリカコを見て、リリィは、ふっと鼻で笑った。
 巨漢が豪快に笑い出す。
「カァァァァァッハッハッハッハッツ!! そのとおり、彼女は私についたのです。そこのお嬢さんを手土産にねぇ?」
「……悪く思わないでくださいな、インテ様」
 リリィは、胸の谷間から抜き取ったクレジットカードを左右に振った。
「私は『商人』ですの。ソラツオーベル裏商会の利になるのなら、誰が相手だろうと関係ありませんわ」
「……」
 気落ちしすぎて、答える様子もないインテ。
 巨漢は立ち上がり、手元のリモコンを操作した。
「さて、お嬢さん達。君達は光栄です」
 背後のシャッターが上下に割れて、外の明かりが差し込んできた。
 いや、ちがう。天蓋を閉じたドームの内側だ。
 外界から隔離された空間に、広大な芝生。山と積まれたガラクタの山。
 その頂点に設置された『物体拡大砲』。
 天を仰ぐように、巨漢は両手を広げた。

「ついに、カギは揃った……
 この、治々美行人が、世界を変えるカギが!!」

 治々美行人(ちぢみ・ゆきひと)――
 巨漢の名を聞いたリカコとインテが、はっと目を見開いた。
「あんた、もしかして!」
「市の名前と同じって言われてる……市長さん!?」
「……いや、顔を見た時点で気づいてくださいよ。ニュース、見てますか?」
 心なしか寂しそうにつぶやいた治々美に、なぜか顔を赤くしたリリィが視線をそらす。
「……私としたことが……」
「知らないで私についたんですか、あなた……」
 地獄耳でリリィの小声をキャッチした治々美は、すぐに「まぁいいでしょう」と気を取り直した。
「この私の名を知らない者は、今夜を限りにいなくなります。お嬢さんの発明品のおかげでね」
「……あんたに、あれの使い方が解るもんですかってーの」
 あくまで強気を崩さないが、リカコも薄々、感づいていた。
 起動に必要な『超人の血』をピンポイントで狙ってきたこと。
 人間の代わりに、自立制御のロボットを護衛に配備していたこと。
 そして、何より……
『吸血するゴスロリ美少女』なんていう趣味と実益を兼ね備えたものを手駒に加えていること。
 もはや間違いない。
「カハハハハハ……気づいているようですね、島リカコさん」
「……ええ……あんたは……」

 私の同類だ。

「少し解体して、中を見させていただきましたが……いや、素晴らしい。感謝しますぞ」
 リカコ同様にマッド・サイエンティストな治々美は、手元のリモコンを操作する。
『物体拡大砲』が回転し、下方に狙いを定めた。




 頭上から、キリキリと機械が回転する音が聞こえる。
 白亜を追い詰めていた雪芽が、ふわっと距離をとった。
「……起動はしたが。フルパワーではないな。父上め。余興でもしろと仰せか」
 頭上の『物体拡大砲』から、七色の不可思議な光が放たれた。
 光に包まれた雪芽の体が、身にまとった衣装とともに、むくむくと、ぐんぐんと巨大化していく。
「あ……あ……」
 へなへなと腰を抜かしてしまう白亜。
 10倍――16メートルにもなった雪芽は、白亜をひとまたぎにしてしまいそうな巨人となっていた。
「……まずは。こんなものか。……まあいい。遊んでやろう」
「ひっ!」
「――やめろッ!」
 髪の毛のロープをほどいた公斗は、すばやく白亜の胸ポケットから飛び出した。
 伸ばしてきた雪芽の腕に飛び乗り、駆け上がる。
「……うるさいハエめ」
 雪芽が軽く細腕を振るうと、相対的にゴミのような公斗は、あっけなく吹き飛ばされてしまう――
 ――かと思いきや、ドレスのフリルにしがみついて、なんとか耐えた。
「白亜に手を出してみろ……おまえの耳の中で暴れてやる!」
「……ならば。その前に叩き潰すまでだ」
 腕のフリルに隠れた公斗の頭上に、巨大な手のひらが迫ってくる。
 バチン!
 蚊を叩き潰すようなしぐさで腕を叩く雪芽。その衝撃波だけでも公斗の全身を震わせる。
 16メートル、対、5センチメートル。
 換算すれば、1600センチメートル、対、5センチメートル。
 じつに、320倍もの体格差がある両者の戦いは、一方的だった。
 潰される直前、腕から飛んで腰のリボンに逃げる。しかし、それを読んでいた雪芽が腰の大きなリボンを手でばさばさ揺らすと、公斗は吹き飛ばされてしまった。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
 ぐるぐると宙を舞い、芝生のド真ん中に墜落する。
 あのリカコが『最強の盾』と言い切るだけあって、公斗にケガはなかった。
「……くそっ! どこまで吹っ飛ばされ――」
 ズシン
  ズシン
   ズシン
 地響きが近づいてきて、周囲が暗くなる。
 見上げる前に、公斗はその場を逃げた。
 ――ズドォン!!
 ついさっきまでいた場所を、いかにも西洋人形ふうの紅い靴が踏みつけた。
 相対的に、公斗は5ミリほどしかない。エリカの時と違い、雪芽には手加減が感じられなかった。
 踏み潰されたら、さすがに……。
「……しぶといな。小虫が」
 脚を上げて足元を確認した雪芽は、めざとく公斗を見つけて、冷たく言い捨てた。




「公斗が戦ってるの……?」
「ここからでは見えませんが、そうでしょうな」
 リカコの言葉に、くっくっと治々美は意地悪く笑った。
「あぁ、長かった……長かったです、ここまで!
 ……何人もの技術者を勧誘しては協力させ……いくつもの土地を買い占めては再計算し……ようやく、新時代の始まりにふさわしいドームを用意した!」
「!!」
 インテの体が、びくんと跳ね上がった。
「……あなた……あなたなの……? 私の……」
「ん?」
「私の……大事なものを奪ったのは……!」
 リカコを突き飛ばすように押しのけて、彼女は喚いた。
「教えてよ! 私の……私の……私のパパとママは、どこ!?」
「はて? お嬢さんの名前は?」
「八分寺!」
「あぁ……聞き覚えぐらいはある気がしますなぁ」
 ですが、と治々美はオーバーアクションで肩をすくめた。
「そんなことより、今は楽しみましょう。新しい時代の到来をね」
「教えて! 教えてよ! お願い……します……」
「ふーむ、強情ですなぁ。何か黙らせる名案はないものですか?」
 治々美はあごひげをさすりながら、傍らに控えさせたリリィを見た。
 押し黙ったリリィは、立ち尽くしてインテを見つめていた。
「ぬ……? どうかしましたか、リリィ君」
「……ふふ。何でもありませんわ、市長様。あのような小物は放っておきましょう」
 無作為なしぐさでおじぎをした拍子に、むぎゅっと豊満な胸が寄せられる。
 胸元に寄せられた谷間を見て、治々美はゴホンと咳払いした。
「そ、それもそう、ですな。では――」
「市長様。私からひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
 リモコンを手に取った治々美の手にそっと触れると、リリィはいたって無邪気な顔で小首を傾げた。
「マリ様を使って、リカコ様の地下室を爆破したのは、どうしてですの?」
「ふっ……君もまだまだ、だねぇ。同じものをすぐに造られては、困るからです」
「なるほど! さすが市長様ですわ!」
 リリィは目を輝かせて治々美を見上げる。
「あ、あのぅ。もうひとつ、聞いてよろしいですか?」
「ふふふ、いいですとも」
 上機嫌で頷く治々美に、リリィは自身の無知を恥じるかのように、おそるおそる、ささやいた。
「どうして……マリ様は、あなた様に味方したのですか?」




「有家さん……!」
「危険です、お嬢様! こちらに!」
 芝生の真ん中で踏みつけを連発する雪芽から隠れるように、ガラクタの山の影まで白亜を引きずっていくマリ。
 白亜は、かんしゃくを起こした子供のように暴れる。
「放して! 放しなさい、マリ! これは命令ですっ!」
「……お嬢様。そのご命令は聞けません」
 白亜を片手で押さえ込み、もう片方の手で、ポケットから薬品を染み込ませたガーゼを取り出す。
 闇雲にじたばた暴れて抵抗する白亜の口元に、そのガーゼを寄せる。
「お嬢様、申し訳ありませんが、眠っ――」
 がぶ。
 目の前に来た手に、白亜が噛み付いた。
 出し抜けに放たれた反撃に、マリの痛感神経が震え上がる。
「いッ……!」
「ふしゅー……ふしゅーっ!」
 か弱いながらも、すさまじい威圧感で睨まれ、白亜がエリカの血を濃く引いていることをマリは再び実感する。
 痛みのあまりガーゼもどこかに放り投げてしまったマリは、仕方なく白亜をその場に正座させた。
「わ、わかりました……お嬢様。あの場にお嬢様を行かせるわけにはいきませんが、その代わり」
 マリは少しためらってから、かぶりを振った。
「私が、あの男を連れて来ます。お嬢様、ご命令を」
「…………」
 ぎゅっと握り込まれた手を見つめた白亜は、静かに顔を伏せた。
「……マリ。わたくしは、あなたに聞きたいことがあります」
「え? お……お嬢様、今はそんな場合では」
「はい。本当は、有家さんが心配で心配で堪りません……けど! あなたに命令をするのなら、主として、先に知っておかなくちゃいけない!」
 白亜は、ばっと顔を上げてマリに詰め寄った。
「答えてください! どうして、島さんの地下室を爆破なんてしたのですか!?」
「っ!?」
 心底、驚いた様子でマリは跳び上がった。
 言うべきか、言うまいか――
 あきらかに動揺して視線を外そうとするが、正面から見つめてくる白亜の視線がそれを許さない。
 目を合わせ、絡み合った視線が、マリを捕らえていた。
「……私は」
 マリはとうとう、うなだれて口を割った。
「私は……臆病者なのです。お嬢様……」




「彼女は、厳密には私の味方ではないんですよ、リリィ君」
 治々美は、リリィのウェーブのかかった長い金髪に指を通しながら、下卑た笑みを浮かべた。
「君なら解るでしょう? 私も最初は、お嬢さんに『ご協力いただこうと』したんですよ」
「え? え、えぇ……」
 決まり悪げに視線を外すリリィの頬を、冷や汗が流れる。
 治々美はそんな反応も楽しむように声をひそめた。
「それをどこからか嗅ぎつけて、売り込んできたのが彼女です。お嬢さんに手を出さないように、と」
「まぁ……」
「今となっては、いい取引だったと思いますよ」
 強引な協力をさせなかったおかげで、リカコは無抵抗に研究を続けて完成させた。
「私としては、手段は問わないんですよ。たとえ、最強の超ロボットでも、無敵の怪キメラでも」
 治々美は手元のリモコンをいじり、別のボタンを押す。
 壁に穴が開いて、搭乗席と巨大な腕、頑丈な両脚がついたロボットが姿を現した。
「お嬢さんが私と同じ目的である以上、必ず私の求めるものを造ってくれる。だから待ったんです、マリ君の売り込みに乗ってね」




「……お嬢様。私は……ただの卑怯者です」
 マリは、白亜の手を放して、立ち上がろうとした。
 彼女の腕を、白亜がとっさにつかむ。
「まだです。わたくしには解りません」
「お嬢様、私は――」
「あなたがどうして、なぜ、島さんを守ろうとしたかです。それがいちばん、大事なことだと思います」
「……そ……それは」
「――悠長に。話している場合か?」
 ガラクタの山の向こうから、ゴスロリの巨人が姿を現した。
 雪芽は右手の親指と人差し指を、ぴたっと合わせており、そこに公斗がつままれているのを白亜は察する。
「あ、有家さん!」
「ふふ。ずいぶん手間取らせてくれたが。捕まえてしまえばこちらのもの」
 雪芽は、ぎゅっと指先に力を入れて公斗をつまむ。
 見た目には華奢で、か細い指の間で、捕まってしまった公斗の体が手も足も出せずにひねり潰されていく。
「有家さんを放しなさい! でないと……でないと、怒りますよ!」
「お嬢様!?」
「……ほう。面白い。試してもらおうか」
 ぐぐぐ、と雪芽の靴底が、白亜とマリの頭上に持ち上げられた。
「超人でもない貴様らが。踏み潰されずに耐えられるかな?」
「お嬢様! 逃げましょう!」
 逃げようとしない白亜を強引に引っ張って走り出すマリ。
 ズン! と10倍サイズの巨靴が芝生を踏み鳴らす。巨大な足跡が刻み込まれた。
「……ふふ。逃げろ。逃げろ」
 雪芽は、わざと足音を高く鳴らし、ふたりを追いかける。その指先には、公斗がまだつままれた状態だ。
 巨大な指の間に挟んで閉じ込めた彼を、雪芽はくりくりと無造作にすり潰して遊んでいる。
 今すぐに助け出したいが、ただでさえか弱い白亜は、巨人の雪芽から逃げ惑うことしかできない。
 マリは白亜の手を引いて、芝生を抜けてドームの中に戻ろうとしていた。
「……マリ……! 有家さんを見捨てる気ですか!?」
「あの男は無事です! ……信じてください、お嬢様!」
 マリの言葉に、白亜は揺れる。
 ずっと世話をしてくれた世話係。
 白亜の知らない間にリカコの地下室を爆破した犯人。
 危ないマシンで世界を変えてしまおうとしている敵の仲間。
 有家公斗を毛嫌いしているボディガード。
 ……でも、全部、白亜やリカコを思ってのこと。
「わ……わかりました!」
 マリと一緒に、ドームの廊下に駆け込もうとした――
 突然、目の前に肌色の壁ができた。
 しゃがみ込んだ雪芽が、片手で出口を塞いでしまったのだ。
「……残念だったな。逃がすものか」
「く……!」
 マリは白亜と一緒に、雪芽の死角になりそうな真下へ向かった。
 しゃがみ込んだ雪芽の脚を頭上に見ながら、おしりの方向に駆け抜ける。
 だが、目の前には分厚いゴスロリのドレスが芝生にぴたりと付いていた。障害物競走のネットのように。
「ふふ……飛んで火に入る。夏の虫か」
 前方側から、巨大な手が伸びてきて、白亜とマリをまとめてわしづかみにした。
「きゃああ!」
「く、放せ!」
「……マリ。おまえも愚かだ。やっと道具が揃った今になって。裏切るとは」
「今になったからだ! もう、貴様らに付いていても、リカコちゃん達に手を出さない保障はない!」
 マリの言葉に、にやり、と雪芽は薄気味の悪い微笑を浮かべた。
「……おまえは。父上の人間性を知っているな」




「さて、さて。もうすぐ、日が変わりますなぁ」
 搭乗席に治々美が乗り込むと、大型ロボットは機械音を上げながら立ち上がった。
 ごついアームから蒸気を噴き出し、不器用だが頑強な両脚で歩いてくる。
 縦幅よりも横幅が広い猫背型ロボットは、腕を伸ばして、リカコ達を閉じ込めた檻をつかんだ。
「うわわわわっ」
「な、なに!?」
『ちから持ちれすー!』
「カッハッハッハ! 今からあなた達を叩き潰してさしあげるのですよ!」
 ぐぎぎぎぎぎ、と檻が軋む。
 リカコが目を吊り上げる。
「あんた、ついさっきまで新時代を目撃させるとか言ってたでしょうがー!」
「気が変わったのですな」
「ドヤ顔で言うなっ! ……リリィちゃん、こいつクズよ! こいつと手を組んでもロクなことないわよ!」
『はぅ、でもロボットはカッコイイのれす……ランチーの子宮が、きゅんきゅん来ちゃうのれす』
「あんたは私が初めて作ったマシンなんだから腹部パーツなんかないわよ!」
 謎のネタを仕込んでくるリカコを無視して、治々美の操るマシンは檻を真上に掲げて歩き出した。
 窓の方に向かって。
「げ! ここから投げ飛ばす気!?」
「カハハハハハ! 気を失ったところを雪芽に踏み潰されてしまうといいですな!」
「あんたさっきからちょいちょい言ってること変わってんのよ! すっとこどっこい!」
『ランチーとお茶をして欲しいのれす』
「あんたはあんたでなに言ってんの!?」
 リカコが、敵のロボットにホの字になっているランチーにもツッコミを入れている一方で、インテはじっとリリィを見つめていた。
「……リリィさん」
「…………」
「……ね、ねえ。リチャコの薬に必要な材料……知ってる?」
 インテは自身の髪の毛を、ひと束つかんで見せた。
「私の――」
「そんな安っぽい買収になびくと思いますか、インテ様」
 リリィはため息まじりに、はっと鼻で笑ってみせた。
 やれやれと肩をすくめて見せる。
「商売人が興味を持つのは、まず第一に信頼できる商品ですわ。もしくは、現ナマ」
「そんな……」
「クズだと罵ってくださってもよろしいのですよ?」
 くすくすと微笑するリリィに、インテは悲しそうにかぶりを振った。
 瞳を潤ませて……
「……私とリリィさん……きっと、気が合うと思う……」
「勝手に思ってればいいですわ」
 リリィは、飽きたと言わんばかりにそっぽを向いた。
 ロボットは、ずしんずしんと窓に近づいていく。
「んきょおおおお! もう絶体絶命! なんか私、むしろ主人公っぽいわ!」
『え? ら、ランチーのみそしるを毎朝……は、はれんちなのれす!』
「あんた……こいつのロボットと何の会話してんのよ」
 ひとりで悶絶しているランチーに、自分を棚に上げて呆れ顔のリカコ。
 ついに、檻を真上に掲げたロボットは、窓の前に立った。
「カァァァァァァッハッハッハッハッツ!! それ、行きますぞ――」
 その時。
 ジリリリリン、と内線電話が鳴った。
 とたたたっと走ったリリィが、内線を手に取る。
 今お忙しいですわ、と言って電話を切った。
「……何でした?」
「いえ? 特に、お耳に入れることでもありませんわ」
 おすましして、リリィは治々美を見上げる。
「それより、この際ですわ。市長様のお嬢様を、もっと大きくしてしまってはいかがでしょう?」
「ふむ……確かに、それも一興ですかな」
 ロボットの動きを固定すると、治々美はリモコンを操作した。
『物体拡大砲』が、雪芽に狙いをつける。
 同時に、ドームの内縁部が、淡く発光し始めた。
 赤や黄色や緑や青に――
 それらの光は、ガラクタの山を通じて増幅され、『物体拡大砲』へと集約される。
 このドーム全体が、地脈、磁場をも計算に入れた、巨大なエネルギー増幅器。

「見るがいい! 私の名を世に刻む、女神の誕生を!!」

 ――治々美は、照射スイッチを押した。




 七色の光が、雪芽に当たる。
 淡い輝きに包まれた雪芽の体が、さらに大きくなり始めた。
「おお……いよいよか。父上」
 もはや興味もないと言いたげに、それまで手の中で握り締めてなぶっていた白亜とマリ、つまんでいた公斗を解放する。
 マリにかばわれた白亜は、芝生に転がってもさほどダメージがなかった。
「ま、マリ!」
「ぐ……平気です、お嬢様。あの男は?」
 白亜が周りを見ると、ぐったりした公斗が倒れていた。急いで這っていき、拾い上げる。
「あ、有家さん……!」
 320倍の巨人になぶり回されたダメージはさすがに大きく、公斗は痛む全身を軋ませて、白亜の手のひらで起き上がった。
「くっそ……あのゴスロリ女、好き放題しやがって……!」
「よかった、生きててくれて……!」
 ぎゅむっと抱き締められて、公斗はようやく白亜に抱っこされている状況に気づいた。
「わわ、待て待て! 縮んだらどうする!」
「あっ……」
「……本当に小さいな。近くで見ると」
 マリは呆れ気味に言ったが、不意に顔を伏せた。
「……申し訳ないことをした。貴様らには」
「へ? 俺と白亜のことか?」
「私がお嬢様を貴様呼ばわりするわけないだろーが! ……今はいい。あとで話す」
 マリの罵声を、白亜の手のひらにしがみついて耐える公斗。
 3人が見上げると、そこは……テントのように張られた、巨大なドレスの中だった。
 今や、白亜達の100倍にもなろうとしている雪芽。靴だけでも車よりも大きく、彼女と比較されたら、白亜など虫ケラのようだ。
 無論……白亜の手のひらに乗っている公斗など、雪芽にとっては、砂粒のような存在だろう。同じ超人でも、痛くもカユくもない。
 ズズン、と雪芽が足の位置を変えたので、白亜とマリは慌てて走り出した。
 ドレスの死角から出たため、雪芽の視界にも、足元を逃げる虫のような2人が入った。
 フフンと雪芽は鼻で笑う。
「本当に。小さいな。おまえ達を見上げていた頃が。うそのようだ」
 ズシン、と片足を白亜達の近くに踏み下ろす。慌てて方向を変える2人。雪芽は肩をすくめた。
「……弱すぎる。つまらないな。あとでまとめて踏み潰すか」
 むくむくと巨大化を続ける雪芽の頭が、ドームの天井に当たった。
「予定より早く感じる。まあいい。同じことだ」
 タマゴを破るように、雪芽は頭で、その天井を突き破る――
 ――直前で止まった。
「む?」
 雪芽が怪訝そうな顔で芝生を見下ろす。
 ガラクタの山が、ところどころ、オーバーヒートしていた。




「な、なに……? 止まった!?」
 ギャリギャリギャリ…と歯軋りにしては大きな音を聞きながら、治々美はリモコンを狂ったように押した。
 だが、『物体拡大砲』は、ぴくりともしない。
「……これは大変ですわ」
 ギャリギャリギャリ…と足音にしては大きな音を立てながら、リリィが後ずさった。
「もしかしたら、ドームのどこかにある電圧変換機の調整が狂わされてしまっていたのでは?」
「バカな!! あれは隠してあった! 誰がわざわざ、そんなことをすると――」
 振り向いた治々美は、ぎょっと目を丸くした。
 リリィが、相手を小ばかにするように、ぺろっと舌を出してみせる。
「……誰かが命令すれば、勝手に探すでしょう。おおかた、悪い女にでも操られたのでは?」
「あ、あの時か……!」
 八分寺インテを気絶させた時、隠れていた職員が彼女の周囲に集まった。
 彼らは強引に協力させた研究者と違い、ただの事務員だったが……。
 リリィは、ふふんと片目を閉じた。
「そんな。私はただ、殿方に色目を使っただけですわ」
「この私を裏切って……ただで済むと思っているんですか?」
 ギャリギャリギャリ…と嫌な音を立てながら治々美は怒鳴った。
「この私が改造して! 従順なメスウシに変えてさしあげましょう!」
「まぁ、怖い。か弱いメイドは退散いたします」
 そそくさと部屋を出て行こうとするリリィ。
「逃がすか!!」
 ロボットを振り向かせようとした途端。
 パキンと頭上で音がした。
「ぬ?」
 治々美が目を丸くする中、檻から飛び出してくるランチーとリカコ、そしてインテ。
 ランチーの背中で、一対の電動ノコギリが、ギャリギャリギャリ…と唸っていた。
「あんたの気がそれるのを! ずーっと待っていたわ!」
『れすー! ついさっきまでバッテリーあがっちゃってたことを全く匂わせないリカコしゃま、さすがれすー!』
「あんたそれ言っちゃダメでしょうが!」
「……リリィさん。信じてたよ」
 ひしっと抱きつこうとするインテを遠ざけ、リリィは顔を紅くした。
「べ、べつに……相手が取引に乗らなかった時の保険が暴発しただけですわ……」
「さっきの電話の内容、市長に教えてたらマズかったんじゃない?」
「ふん! め、目の前の現ナマより、商売できそうなカモが欲しかっただけですわ!」
 しっしっ! とインテを追いやるリリィ。
 2人をよそに、リカコはランチーの腕をつかんだ。
「ランチー、超変形! ハイパー! チェーンソー! フォオオオオム!」
『ああ、なんということれす! 愛し合う者同士が、敵味方に分かれて戦いあう……くぅっ!』
「いいからさっさと変形しなさいっつーの!」
 パーツが分離し、変形していくランチー。
 チェーンソーに変わっていく彼女を見て、治々美はもぬけの殻になった檻を横に捨て、リカコと対峙した。
「人間を改造したのではなく、純粋な兵器とは恐れ入る! ですが! このロボットは超合金装甲に加え、我が研究の末に完成した賢者の石、そしてオリハルコン! 高度に緻密に組み合わされた黄金比によって練りあわされた完全なる防御と、動力部に組み込まれた奇跡の永久機関! つまり完全なる矛と盾を併せ持つ、完全無比にして唯一無二の頂点に君臨するマシン・オブ・マシンで……」
『あ、後ろの排気口が弱いらしいれす』
「へえー。メカと会話する能力も役に立つわね」
 完全に変形を終えたチェーンソーを手に、リカコは白衣をたなびかせ、走る!
「こしゃくなぁっ!」
 ロボットの振り回す豪腕を掻い潜り、スライディングするようにして背後をとった。
 唯一、装甲のない箇所に、チェーンソーを突き立てる。
「ごっ――!?」
 内部の動力が破損し、ロボットの配線に異常な電熱が発生する。
 しかし、鉄壁の装甲は内部で生まれた熱や電気を逃がさない。
 痙攣したようにブルブルと激しく震え上がったロボットは、ボン、と弾けるような音を立てて跳躍した。
「カァァァァァァァアアアアアアアッ――――!?」
 誤作動によって高々と跳んだ巨体は、リカコの頭上を飛び越える形でガラスの窓を突き破り、ドーム中央の芝生へと墜落していった。




「ち。父上!?」
 何が起こったのか解らず狼狽していた雪芽は、いきなり窓を壊して飛び出してきた治々美とロボットに目を見開いた。
 執務机がある部屋に、怒りのこもった眼差しを向ける。リカコ達が同時にギクッとした。
「……おまえ達のしわざか。許さない。ひねり潰してやる」
 ズシンズシンと歩き出す雪芽に、リカコ達の悲鳴が聞こえた。
「リカコちゃん……!」
「リカコ! ……そうだ、白亜! 手伝ってくれ!」
 公斗は白亜の手のひらから、遠くの『物体拡大砲』を指差した。
「え? え? わ、わたくしが何を……」
「お嬢様、お早く!」
 混乱する白亜の腕をつかんで、マリが走り出す。
 ガラクタの山に駆け寄り、公斗を手にしたマリは、ガラクタをよじ登った。
『物体拡大砲』についていたリモコン用のアンテナをひきちぎる。
「使えそうか?」
「知らん、リカコに聞いてくれ! でも今は!」
「試してみるしかないな」
 マリは『物体拡大砲』の燃料充填箱のふたを外すと、中のカプセルを取り出した。
 雪芽が公斗から吸い取った血は、雪芽の巨大化に使われ、ほとんど残っていない。
 その時、遠くからリカコの声がした。
「このー! 放しなさいよ!!」
「そうはいかない。おまえは。父上の仇になった」
「まだ死んでないと思うけど!?」
 雪芽の指に、虫のようにつまみあげられて、じたばた暴れるリカコ。
 公斗とマリは顔を見合わせ、すぐに行動に移った。
 マリがカプセルのふたを開け、その中に公斗が飛び込む。
 ふたを閉める前に、公斗は叫んだ。
「……白亜! 今から、おまえを巨大化させる!」
「え? ええ!?」
「そのために少し無理するけど、何も心配するな。あの女を止めて、リカコを助けてくれ!」
 ガラクタの山を見上げている白亜は、小さく息を呑んだ。
 ……大切な存在が、手の届かない場所に行ってしまいそうな不安。
 少し離れただけなのに、白亜は嫌な予感が押さえ切れなかった。
「い、いやです……無茶って、何をするつもりですか? どうして……」
 ぐっと白亜は言葉に詰まった。
 ――どうして、島さんのために、そこまでするのですか。
 とっさに出てしまいそうになった言葉に、白亜は自分が最低だと思った。
 口ごもる理由が解った公斗は、顔を伏せる。
「……あいつは、他人じゃねーからだよ、白亜」
「え……?」
「友達でも、恋人でも、ただの協力関係ってわけでもない。あいつは……」
 公斗は顔を上げた。
「――俺の妹だ。忘れちまってるみたいだけどな」
「え……」
「マリさん、あと頼んだ」
 カプセルの中に引っ込んだ公斗ごと、マリは『物体拡大砲』にセットする。
 まだ使えそうな配線だけを繋ぎ直したマリは、手動で狙いを白亜に向けた。
 七色の光が、白亜の体を包み込む――。


「さて。どうしてくれよう?」
 リカコをつまみあげて、冷淡に思案する雪芽。
「やはり。虫ケラのように踏み潰し…」
 とんとん、と雪芽の肩が叩かれる。
 ムッと雪芽はなにげなく振り向いた。
「なんだ。私は忙しい……のに」
 雪芽の前には、すさまじく大きな――ドームの中で座り込んでもなお頭が天井についてしまう、白亜が、怒ったように雪芽を見下ろしていた。
「……よくも、有家さんや島さんに、いじわるしましたね。お返しです」
 ぽかんと立ち尽くす雪芽の腕をつかみ、軽くひねる。
「ひっ! 痛い!」
 雪芽は涙目になってリカコを放した。
 慌てて、リカコを手のひらで受け止める。
「ケガはないですか、島さん」
「う、うん……へーき」
「よかったです」
 にっこりと天使の笑みを浮かべた白亜は、這いつくばって逃げようとする雪芽に視線を向けた。
 普段なら、少し不機嫌に見える程度の顔でも可愛いが、今は大巨人である。
「逃がしません。お仕置きです」
 なまじ巨大な雪芽は逃げることもできず、白亜に再び腕をつかまれ、軽く――コキッとひねられた。
「あぶぇっ」
「……あっ。少し、やりすぎました?」
 泡を吹いて失神してしまった雪芽を芝生に転がした白亜は、ふぅ、と特大のため息をついた。




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【エピローグ】


 ――1ヶ月後――


 ――日曜日/昼――


 リカコが記憶をなくしたのは、数年前の実験事故。
 花風家の出資によって、この治々美市で開催されたロボット実験に、公斗とリカコは訪れていた。
 そこには花風家の関係者として、マリもパトロールを行っていた。
 だが、陳列されていたロボットの一体が暴走。
 マリの目の前で、ロボットに吹き飛ばされたリカコは、記憶を失ってしまったのだ。
「……じゃあ、もしかして、ときどき変なことを言うのも?」
「いや、あれはもとから」
 白亜の手のひらに乗って、公斗はツッコんだ。
 ちなみに、公斗は小さくなっていない。
 彼女の手のひらから見渡した世界は、とても見通しがよかった。
「ま、俺もリカコもすごく子供だったからな。マリさんの顔も忘れてたし、八分寺の両親が出席してたなんて知らなかったし」
「……そんなこと、ちっとも知りませんでした。わたくしのせいです。何かご協力したいのですけど……」
「いや、花風家は悪くないし」
「あの……リリィさんにお願いして、暗示療法を試していただくのは?」
「気持ちはありがたいけど、今までどおり、じっくり待つよ。あいつ、自分の両親は外国にいると思い込んでるしな」
 急に正しい記憶を押し付けても、混乱してしまうだろう。
 自然に思い出してくれるのを待つために、何年も前から、地下室つきの貸家が与えられているのだ。……他ならぬ花風家から。
 白亜はため息をついた。
「お母様って、本当に、顔に出さないのですね……ひどいです」
「俺も実際に会ったの初めてだったけどな。気を遣ってくれたんだろ」
「……わたくしに近づいたのも、その縁ですか?」
「ち、ちがう! それは全然別の話だ! だいたい、その辺のやり取りはまだガキの頃に大人同士が……!」
「ふふ。冗談ですよ」
 ぬっ、と白亜の可愛い唇が視界いっぱいに広がる。
 ――ぷるん、と。
 巨大な唇に、キスされてしまった。
「……は、白亜。大胆になった……?」
「うふふ。だって、わたくしからしないと、有家さんは唇に届きませんから」
 恥ずかしそうに頬を紅く染めた白亜は、いたずらっぽく公斗をつっついた。
 公斗の体が、少し小さくなってしまう。
「あ、ご、ごめんなさい。痛かったですか?」
「いや……大丈夫。体だけは丈夫だからな」
 申し訳なさそうな白亜に、公斗は笑う。
「それにさ、白亜。あいつはあいつで楽しそうなんだ。俺は満足だよ」
 白亜の手のひらから見下ろすと、そこには、輸送船から運び込まれた機材に大興奮のリカコとランチーがいた。
「うっほぉぉぉぉぉぉ! すっごーい、すっごいわ! さっすが天下の花風家!!」
『これで大海神ポセイドンが造れるのれすね! 七つの海はオレのモノれす!』
「あ、あのー……わたくしをもとに戻す方法も、お願いしますね」
 白亜がおそるおそる言うが、興奮しているリカコ達は気づかない。
 リカコはさっそくランチーに命令して、彼女が呼び出した四足ロボット達に機材を運ばせていった。
 なお、治々美市ドームから接収した四足のガードロボット達にとって、ランチーはどうやらアイドルのような存在らしく、ランチーの命令には逆らわなかった。
「いつになったら、戻れるのでしょう……」
 はぁ、と思わずため息をついてしまう白亜。
『物体拡大砲』で巨大化させられた白亜は、いまだに巨人のままだった。
 防御力だけは無敵だが、興奮すると小さくなってしまう公斗の特異体質もそのまま。
 とりあえず、巨人となった白亜が普通に生活できるだけの土地はあるのだが……
「……海のド真ん中です」
 白亜は、花風家が買い取った島とはいえ、孤島での生活を余儀なくされていたのだった。




「……まったく……ずいぶん派手に動いてくれますわ」
 中継の船を通じて、当たり障りのない部分だけテレビに流れる『リカコ島』の映像を見て、ソファにふんぞり返ったリリィはため息をついた。
 ここは、主のいなくなった治々美市ドームの執務室。
 正確には、新しい主のモノになった治々美市ドームの執務室。
「ま、ソラツオーベル裏商会の情報統制力を、甘く見ていただいては困りますわ」
 このぐらいの隠蔽は何とかなる。そう、リリィは踏んでいた。
 辺りに人の姿は見当たらないが、彼女は気にせず続ける。
「加えて……このドームは、市長様の失踪によって危うく行き場をなくすところでしたので、私どもで買い取らせていただきましたわ。混乱に乗じて、底値で買い叩いてしまいましたが」
 ふふん、とリリィは胸を張る。
 豊満なバストが、ぼいんと揺れて……その上に乗った虫のような男が、悲鳴を上げた。
「ふふ。まぁ、花風家のお嬢様が出る際に天蓋は壊してしまいましたが……市民の憩いの場ぐらいにはなるでしょう」
 クレジットカードをちらっと見たリリィは、こらえきれずに笑ってしまった。
「市長様から小切手でいただいた裏切り報酬5000万円、どさくさに紛れて回収した『物体拡大砲』、執務室に残っていた戦闘ロボット技術のデータロム、底値で手に入れた今後有益に使えそうな大型ドーム……あぁ、笑いが止まりませんわ!」
「……こ、こらぁ! もとに、戻せー!」
 胸の上で抗議した虫……もとい、1センチに縮小した治々美行人を、リリィは指先でひょいとつまみあげた。
 ぴーぴーと喚く彼を、リリィは胸の谷間に放り込む。
 リカコの作った『超人薬』が、体の強化、興奮時の縮小、永続効果があるのに対し、
 リリィの持っている『縮小薬』は、一時的にだが強制的に相手を小さくしてしまえる。そして何より、体を強化する作用が、『超人薬』と比べると圧倒的に弱い。
 それはつまり……簡単に潰れてしまう、ということだ。
「……黒は、より濃密な黒に塗り潰される。この一ヶ月、私のペットになって、よく解ったでしょう」
「や、やめろ、助けてくれ……頼む、金ならある。なぁ、そうだ、手を組んでも……」
「そろそろ頃合ですもの。私が今いちばん欲しいものは、あなたの悲鳴ですわ」
 リリィはそう言うと、谷間を広げていた手を放した。
 ぼよんと胸肉が弾んで密着する。微かに聞こえた金切り声は、すぐに聞こえなくなった。
 軽く胸を寄せて、クスッと微笑む。
「……やっぱり、私にはこちらが性に合っていますわ。証拠も残りませんし――」
 その時、ぷるるる、と私用の携帯電話が鳴った。
 少し驚いたリリィは、ふっと嬉しそうに表情を崩す。
「そうでした……いちばんの収穫は、気の合うパートナーですわね」




「――うん。解ってる、諦める気なんてないよ」
 花風家が買い取った孤島の片隅で、インテは固定電話を使っていた。
 どこの本土からも遠いので、携帯は繋がらないことが多いのだ。
 市長から解放されたインテの両親はリカコと一緒に研究をすることになったし、思い出の家を潰した治々美市長は退治されたわけだが、インテ(と、アーノルド達)の計画は終わらなかった。
 なにせ、リリィという仲間を見つけたのだ。
「そう、縮小薬をね……町の人達に……うん、うん」
「我々も客人を受け入れる準備をしておこう」
 思った以上に気が合ってしまったインテとリリィ(ついでにアーノルド達)は、『町中の人々を縮小して、昔の治々美市をミニチュアとして復活させる』計画を練り上げていた。
 ……が。
「ずいぶん楽しそうだな、貴様」
 背後からマリの声がしてインテは硬直した。
 じろっ、と怪訝な視線で睨まれ、冷や汗が背中を伝う。
「や……やだなー、マリさーん。怖い顔しちゃってー」
『そうですわ、かわいい顔が台無しですわ、マリ様ぁー』
「電話で顔が見えるか! そもそも! 貴様らにあだ名で呼ばれる筋合いはない!」
 かっとなって言い返したマリは、次の瞬間、ハッと我に返った。
 インテの視線が、まじまじとマリを見ている。
 ふと周囲を見回すと、リカコやランチー、白亜の手のひらに乗った公斗、手伝いに来ていたメイド達までもが、マリの方を見ていた。
『あだ名……?』
 電話口で、リリィがポツリとつぶやいた。
 頭上から覗き込んでいた白亜が、くすっ、と困ったように微笑する。
「今さら、ですけど。マリの本名は『マリア・ケアリー』ですよ」
「お嬢様それは!」
 慌てて白亜を止めようとするが、時すでに遅し。
 今になって明かされた真実に、公斗達から怒涛の驚愕が波を打って発生した。
「ま、マリア!?」
「うそ、ハーフだったんだ!」
「白亜ちゃんがいつも『マリ』って呼んでるから、てっきり本名だと思ってたわ……」
『本物のマリアしゃまれすかー!?』
「き、貴様ら、へんに騒ぐな! 私がマリアなら何か悪いのか!?」
 手を取り合って「きゃー」と歓声を上げるメイド達を、怒鳴って追い散らすマリ。そんな下界を、白亜は楽しそうに見下ろす。
 メイド達を散らしたマリは、涙目で白亜を見上げた。
「お、お嬢様。意地が悪いです……」
「ふふん。わたくしに黙って、勝手をした罰です」
 白亜は自慢げに言うと、そっとマリをなでた。
「……次からは、相談してくださいね。わたくしも、マリに頼ってもらえる、いい主を目指します」
「っ! ――はい。お嬢様」
 雷に打たれたように棒立ちになったマリは、黒服のひざが汚れるのも構わず、その場でひざまずいた。
 よしよしと白亜が小指の先でマリをなでていると、ズンズンと足音が近づいてきた。
 赤いゴスロリ服の雪芽だ。……すっかり怯えているが。
「は。白亜さま……紅茶が。入った……入りました」
「はい、よくできました。ありがとう、ユキ」
 白亜は、足元の研究施設を揺さぶらないよう、慎重に立ち上がった。
 雪芽が歩いただけでも大変だが、白亜はさらに彼女の3倍以上ある。へたに動けば、リカコの大目玉どころでは済まないだろう。
 立ち上がった白亜を見上げて、雪芽はビクッとすくみあがった。白亜は優しく彼女の頭をなでる。
 ふと、公斗と雪芽の目が合った。
「……今に。見ていろ」
「ほほぉ? おい、白亜、聞こえたか? こいつ――」
「まっ待て! 白亜さまにだけは……!」
 言いつけられそうになった雪芽は慌ててごまかそうとし、白亜に怒った目で見下ろされて、慌てて逃げていった。
 ドズンドズンと轟音が響く。
「ちょ、ちょっとー! 白亜ちゃん、しつけといてよー!」
「ごめんなさい。でも、けっこう可愛いのですよ」
「そりゃ白亜ちゃんから見ればそうでしょーけども!」
 抗議するリカコ達を踏み潰さないように、ひとまたぎで研究所ごと通り越した白亜は、島の中心に建てられた『小屋』を目指した。
 ほとんど白亜と雪芽が組み上げた『小さな』建物だが、公斗達にとっては、300倍サイズの白亜が住める巨大な神殿だ。
 今や、本当に地上を見下ろす天使となった白亜は、公斗とともに、その小屋に入っていった。

 超人と天使。

 ふたりきりに、なるために。








【――ひとまず、END】




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【登場人物の名前の意味】

【名前だけ、名作”縮みゆく人間”のパロディです】



・島リカコ(しま・りかこ)(リチャコ)
→原作者「リチャード・マシスン」から


・有家公斗(ありけ・こうと)
→主人公「スコット・ケアリー」から


・花風白亜(はなかぜ・はくあ)
→脇役「シルヴィア博士」から


・八分寺インテ(はちぶんじ・いんて)
→1日ごとのサイズ差「1/8インチ」から


・リリィ・ソラツオーベル
→(関係ない)


・マリ(マリア・ケアリー)
→原作者「リチャード・マシスン」の頭文字から
(ひとりだけネタかぶっている→なんやかんや→スパイという安直な発想)
(フルネームの「ケアリー」は主人公夫妻の名字から)


・ランチー
→女優「ランディ・スチュアート」から(代表的な出演作は「僕は戦争花嫁」)
(多用する『ズルイ』は、彼女の演じる主人公の妻「ルイズ・ケアリー」から)


・ジャック(リカコの飼ってるハツカネズミ)
・アーノルド(インテの飼ってるハムスター)
→映画監督「ジャック・アーノルド」から


・治々美行人(ちぢみ・ゆきひと)
→題名「縮みゆく人」から

10
・治々美雪芽(ちぢみ・ゆきめ)
→派生映画作品「縮みゆく女」から

11
・花風エリカ(はなかぜ・えりか)
→撮影監督「エリス・W・カーター」から(代表的な関連作は「決闘者」)
(関係ないけど、某カエル軍曹に登場する金持ち格闘ママは「西●桜華」)