346プロダクションに近年新設されたアイドル事業部は様々な方面に展開し、いまや多くの人気アイドルを抱える大手事務所へと成長した。
それに伴いプロデューサー1人の担当するアイドルも増え、ここのところ激務が続いていた。
本社ビルで行われる早朝の会議を済ませ、休む暇なく営業資料作りのため自らの事務所へ戻ることとなった。
事務所のドアを軽くノックしてドアノブを回す。
所属アイドルが多くなったこともあり、いつも賑やかで活気に溢れる事務所だが今日は静まり返っていた。
たまたまスケジュールが重なって全員が営業か休日となっていたようだ。
誰もいないのか…と独りごちて自身の事務机に鞄を下ろす。
アイドルたちの元気な挨拶が聞けないのは寂しさを感じるが、疲れが溜まっており、あまり彼女らに構ってあげられないことを考えると好都合かもしれない。
椅子に深く腰掛け、少しため息をつく。
資料を取り出すために鞄をまさぐっているとコトッ、という音が聞こえた。
「はい、プロデューサーさん。まゆの手作りコーヒーです♪」
隣にはいつのまにか担当アイドルの一人である佐久間まゆが立っており、机の上には淹れたてと思われるコーヒーが注がれたカップアンドソーサーが置かれていた。
「まゆ…いつからここに?」
「まゆはいつでもプロデューサーさんのお側に…なんて♪」
答えになってないが細かいことを気にするほど元気ではなかったので、気遣いに感謝してカップに口をつけることにした。
「…美味しい」
そう言葉を漏らすと、トレーをギュッと持ってこちらを見ていたまゆは、パッとひときわ明るい笑顔を見せた。
「実はこの間、あいさんからドリップのコツを教えてもらったんです。プロデューサーさんのために…って伝えたら『プロデューサーくんは実に良いアイドルは持ったものだな』なんて快く引き受けてくださって…とても素敵な方でしたぁ♪」
トレーを抱えながら嬉しそうに語るまゆを見ているとこちらも自然と笑顔になってくる。
「あっ…笑ってくれましたぁ♪プロデューサーさん、最近お疲れみたいでまゆも心配で心配で…」
その言葉を聞いてハッとした。
「人から見てもわかるくらい疲れていたか…アイドルに心配をかけさせるようじゃプロデューサー失格だな…」
眉間を抑えながらそう言うとまゆは慌てて、
「そんなことありません!プロデューサーさんがまゆたちのために頑張っていることは、事務所のみんながわかってますから…」
と、フォローをしてくれた。
オロオロしながら言葉を続けるまゆを見て、最近は多忙を理由にアイドル一人一人の顔をしっかりと見ていなかったことに気がついた。
きっと事務所のアイドル全員が疲れ切った自分を見兼ねていただろうし、その中でもまゆは特に気が気でなかったのであろう。
(きちんとアイドルとコミュニケーションを取ることもプロデューサーの仕事だというのに…)
そんなことを考えながら、やおら立ち上がりまゆの頭を優しく撫でる。
驚いたような顔でまゆがこちらを見つめてくる。
「プロデューサーさん…?」
どうして急に撫でられたのか理解できず、ぽかんと口を開けながらも少し顔を赤らめている。
「最近ちゃんと会話できてなかったから、まゆに寂しい思いをさせてしまったと思ってな…」
「プロデューサーさんがそう思ってくれるだけで、まゆは幸せです…!」
一層明るい笑顔の彼女を見ていると、プロデューサーという仕事に就いて本当に良かったと痛感する。
それとともに、ある決心を固めた。
「よし、その埋め合わせ…というわけではないけど、今日は一日まゆに付き合うよ。」
「ほんとに!?…けど、いいんですか?お仕事をしに戻ってきたんじゃ…」
「さして時間のかかるものでもないし…何より俺のせいでまゆが仕事に身が入らない方が、プロデューサーとして問題だしな。」
「そんなにまゆのことを思ってくれてるなんて…!わかりました、プロデューサーさん♪」
そう言うと、人差し指を唇に当てながら、何をしようか考え始めた。
「プロデューサーさんとお買い物…だと、余計プロデューサーさんを疲れさせてしまうかもしれないし…。事務所で何かできること…。」
ぶつぶつと独り言を言いながら思索にふけっていると、
「そうだ!」
急に何かを思いついたように手をポンと叩き、事務所の端っこへ駆けていった。
そしてそこに置いてあった段ボールから何かを取り出して戻ってきた。
「これで一緒に遊びませんかぁ?」
「これは…」
まゆが差し出してきたのはヘッドセット型の…所謂VRゲームと呼ばれる類のものだった。
正直そういうものには疎いのかと思っていたので、少し意外に感じた。
「まゆもゲームとか結構する方なのか?最新式のゲームを持ってくるなんて…」
「いえ、これは紗南ちゃんが置いていったもので…」
まゆによると、事務所のゲーマーアイドル・三好紗南が遊んでいるのを見ていたら、ゲームの面白さを力説されたようだ。
ゲーム機はみんなに遊んでもらうために紗南が事務所に多数置いているようで、本人曰く『ファンのみんなだけじゃなくて、いろんな人にゲームの面白さを伝えなきゃね!大人も子供も、アイドルも!』らしい。
「…それで、最近のゲームはまるで現実みたいなリアルさで遊べるって聞いて…これなら外に行かずにプロデューサーさんとデートの気分が味わえると思って♪」
本体に添えられたソフトを見ると、どうやら実際の地形や建物を再現したサンドボックスタイプのゲームのようだ。
見たことも聞いたこともない制作会社なのが気になったが、急かすようなまゆの視線に気づき、そんな疑問を解消する間も無く、慌ててプレイし始めることとなった。
✳︎
「おお…これがVRってやつなのか…」
ゲームを起動すると、自分の立っている場所を中心に街が広がっていった。
ここは事務所の前だろうか。周囲の建物だけでなく雑踏や車通り、風や匂いに至るまでが再現されており、しばらくプレイすれば現実だと錯覚してしまうだろう。
「どういう仕組みなんだ、これ…」
一通り操作確認を終え、ふとそんなことを考えていると、まゆの声が隣から聞こえてきた。
「すごいです…!デート気分くらいなら…って思ってましたけど、これなら本当にデートができちゃいそう…!」
まゆは初めての経験に目を輝かせ、くるくると回りながら辺りを確認している。
(まあ、本人は楽しんでるみたいだし、無粋なことは考えるべきではないか。)
これ以上深く考えるのはやめて、とりあえず行き先を決めることにした。
「えっと…プロデューサーさん、地図とか持ってませんかぁ?」
「ああ、それなら確か…まずメニュー画面を開いて…」
自分の操作も再確認しつつ教えていると、まゆがあることに気がついた。
「これは何でしょう…?」
「え?」
まゆはメニューの一番下にあるシークバーのようなものを指差して、尋ねてきた。
こちら側のメニューにはそんなものは表示されておらず、項目の部分にも何も書かれていないため、さっぱりわからなかった。
「少しいじってみたらどうだ?何か変化があればわかるかもしれないし。」
「じゃあ…」
まゆが人差し指で左端にあったバーを少し右にずらすと…
「きゃっ!?」
急に体が巨大化し、バランスを崩したまゆは尻餅をついてしまった。
ドンっと音がして、わずかに地面が揺れた。
元の10倍ほどの大きさになって困惑しているまゆへ駆け寄った。
「まゆ!大丈夫か?」
「は、はい…。プロデューサーさんこそお怪我は…」
上体を起こし、そう言いかけたところで、まゆは口を開けたままこちらをぽーっと見つめながら黙ってしまった。
「ま、まゆ?どうしたんだ?どこか痛いのか?」
そう声をかけていると、突然自分の体と同じくらいの大きさがある右手に掴まれて、まゆの顔の前まで持ち上げられた。
「うわっ!?」
「今のプロデューサーさん…お人形さんみたいでとっても可愛いですよぉ…♡」
左手を頬に当てながらうっとりとした表情を浮かべるまゆ。
少し力を入れて押してみても、まゆの白魚のような指はビクともしない。
「ちっちゃいプロデューサーさんから伝わる感触…くすぐったくて、癖になっちゃいそう…♡」
両手を使ってもがいても、まゆは一切意に介していないようだ。
「ま、まゆ、少し手を緩めてくれないか?ちょっと苦しいかな…」
そう言うとまゆはハッと我に返り、慌てて両手を受け皿のようにして、その上に乗せてくれた。
「ごめんなさいプロデューサーさん…まゆ…まゆ…」
涙を浮かべながら言葉にならない謝罪を繰り返すまゆ。
その光景は見ていてとてもいたたまれなくなってくる。
「そんなに気にしないでくれ!別に怪我をした訳でもないし!ほら!」
精一杯大きく身振り手振りをして、ぴんぴんしていることをアピールしてみる。
「…プロデューサーさんは優しいですね…」
何度かそのようなやり取りをして少し元気を取り戻したのか、まゆは溢れる涙を抑えながらも、笑顔を見せてくれた。
「今日は一緒に遊ぶんだろ?泣いてたらせっかくのゲームも楽しくなくなるぞ?」
もうひと押しと思い、そう言ってみると、本来の目的を思い出してくれたようで、どうにか落ち着かせることができた。
「ありがとうございますプロデューサーさん…」
「それじゃあとりあえず元の大きさに戻ろうか。」
「あ、そうですね…あら?」
まゆはメニュー画面を開いたまま、首をかしげた。
「まゆ、どうした?」
「ええと…その、もう左に戻っちゃってて…」
要領を得なかったのでメニューを覗き込んでみると、先程右にずらしたはずのバーが最初の位置まで戻っていた。
「ど、どうしましょうプロデューサーさん…」
再びおろおろとして、こちらに助けを求めるような目を向けるまゆ。
「落ち着いてくれ、まゆ。他に元に戻る方法があるかもしれないし、ゲームなんだから最悪一度中断すればどうとでも…」
そうまゆに話していると、遮るようにカメラのシャッター音が聞こえてきた。
「な、なんですかぁ…!この人たち…」
恐らくはNPCだろうか、ゴタゴタしているうちに周囲に人だかりができていたようで、物珍しそうに携帯をこちらに向けている。
本当の人ではないとわかってはいても、自分のアイドルが好奇の視線に晒されるのは耐え難く、この状況から一刻も早く脱したかった。
「まゆ!とにかく人目のつかないところへ!」
「は、はい!」
そう言うとまゆは俺を優しく両手で包んで野次馬を飛び越え、ワンピースを翻しながら駆け出した。
✳︎
「はぁ…はぁ…」
逃げ出してから数分が経ったが、街中には10倍の大きさになったまゆが人目につかないような場所は見つからず、あちこちを行ったり来たりしている。
まゆの手に揺られていると、まゆの体から鼓動がどんどん大きくなるのが聞こえ、手が汗ばんでいるのを感じる。
この状況をなんとかする方法を考えていると、まゆが急に立ち止まった。
「…!プ、プロデューサーさん…」
まゆに呼びかけられ、何が起こったのか指の間から確認すると、前方に警察隊と思われるNPCが立ちふさがっていた。
それぞれがシールドを構え、銃口をこちらに向け今にも撃たんと緊迫した雰囲気が伝わってくる。
「ど、どうしましょう…」
まゆがこちらを覗き込みながら心底不安そうな顔をしている。
「ゲームを中断させれば…」
そう思い、メニューを開くがどこにも見つからない。
そうこうしているうちに警察隊が前進し、まゆの方へと迫ってきた。
「早くしないと……そうだ!」
先程のまゆのメニューを思い出し、まゆに向かって叫んだ。
「まゆ!さっきのバーをもっと右へ動かすんだ!」
「わ、わかりました…!」
慌てながらも、バーに指をかける。
「えいっ!」
1回目よりも大きく右にずらすと、まゆの体が爆発的に大きくなる。
「きゃっ…」
一瞬で視点が周辺のビルより遥かに高くなり、遠くまで見渡せるようになった。
今のまゆはいつもの1000倍ほどの大きさであろうか、手のひらはグラウンドのように広くなり、スカイツリーすらも眼下に見える。
「さっきの人たちは…?」
まゆがしゃがみこんで足元を確認すると、ごま粒のような大きさの人々がまゆの靴に群がっていた。
何か攻撃をしているようだが、まゆは何も感じていないようだった。
「…プロデューサーさん、この人たちって本当の人間じゃないんですよね?」
「ん?…ああ、プログラムされただけのキャラクターだろうな。」
「じゃあ…」
ぽつりとそう言うと、まゆはしゃがんだ状態のまま人差し指を靴の周りへと下ろした。
何人かのNPCが手応えもなく指に潰されて消滅した。
周囲にいた他のNPCたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出している。
「プロデューサーさんとの世界は…誰にも邪魔はさせないから…」
無表情で足元を見下ろしながら立ち上がると、片足を残っているNPCの頭上に持っていった。
「あなたたち…邪魔。」
躊躇なくその足が踏み下ろされ、NPCは1人残らず下敷きとなり全滅した。
元読者モデルであるまゆの華奢な足に対して、数十人の人間は無力だった。
ただのゲームとはいえ、鬼気迫るまゆの言葉と行動には背筋に冷たいものが走った。
近頃は他のアイドルとも親しくしており、あまり見られなくなったまゆの一面を目の当たりにすると、もし自分に向けられたら…と想像してしまいゾッとする。
「さあ、これでもう大丈夫ですよ♪」
さっきまでの見るものを凍りつかせるような表情から一転、いつものまゆに戻り満面の笑顔を掌の上の自分に向けてきた。
「…?…あっ!もしかしてどこか具合が…」
「ああ、いや大丈夫、ありがとうまゆ。」
少し昔を思い出してぼんやりとしてしまっていた。
1000倍も大きさに差がついてしまい、もはやまゆからはNPCと同様に点くらいにしか見えないかと思ったがちゃんとこちらの表情まで把握できているようだ。ゲームの仕様なのか、はたまたまゆの強い想いの為せる技はわからないが…。
「さて、これからどうしようか。」
ひとまず状況は平静さを取り戻し、周囲のビルを押しつぶしながらぺたんと座り込んだまゆの手のひらの上から声をかける。
10倍になった時と同じくバーは左へと戻ってしまい、小さくなることはできないようだった。
状況は悪化したが、それに対してまゆはニコニコとして上機嫌そうだ。
「やけに嬉しそうだな?」
「プロデューサーさんを守ってあげることができたから…♪まゆのこと、ちゃんと見ててくれましたか?」
「ああ、もちろん…」
なるほど、と思いながら頭を掻く。目を瞑りたくなるような光景ではあったが、しっかりと脳裏に焼き付いている。
「それに…ほら、見てください♪」
そう言うとまゆは手を目線と同じ高さまで持っていく。
まゆにとってはゆっくりと手を動かしただけであろうが、こちらにとっては100m単位で足場が上昇し、まゆとの大きさと感覚の違いを実感する。
バランスを崩しながら周囲を見渡してみると、遥か遠くまで遮るものはなく辺りの景色が一望できた。
座り込んだ状態でもまゆを超える建造物はなく、少し動くだけで近くの建物は音を立てて崩れている。
今のまゆは存在するだけで脅威であった。
「この大きさなら、プロデューサーさんの望むところ、どんな場所でも2人で行けますよぉ♪」
しかし当の本人はのほほんとして、足元のことなどまるで気にしていないようだった。
ゲームを中断させる方法がわからないのは気がかりではあるが、最悪の場合でも事務所ならば外部の誰かが異変に気づいてくれるだろうし危険な事態にはならないだろう。
そう考えて、今はまゆを不安にさせるよりは状況を楽しんだ方が良いと踏んだ。
「そうだな…まゆはどこか行きたい場所はあるか?」
「まゆの好みはプロデューサーさんの好みですから…プロデューサーさんとならどこでもいいですよぉ♪」
「うーん…じゃあまゆの地元、仙台の方に行ってみようか。今の大きさなら数分で着くだろうし。」
「はいっ♪甘いハネムーンですね…♪」
元気に返事をするとまゆは立ち上がり、北の方へと歩き出した。
✳︎
ずしんずしんと音を立てながら平野を歩くまゆ。
1530mのまゆの歩みを妨げることのできる物体は存在せず、まゆは前方ではなく自身の手のひらをずっと満面の笑顔で見つめていた。
「プロデューサーさん、まゆの手の居心地はどうですかぁ?」
まゆの手は地上から1km程上空であり、本来なら少し肌寒く感じるのであろうが、足元から直に感じるまゆの体温でぽかぽかとしている。
なるべく揺れないように気を遣ってゆっくりと歩いてくれているのもあって、まるでロッキングチェアのような気持ち良さがある。
「ああ、まゆのおかげで快適だよ。」
「うふふっ、嬉しいです♪」
たわいもない会話を繰り広げている一方、見向きもされないまゆの足元では一歩ごとに数百mの範囲が更地になっているが、そんな大災害など露知らずほのぼのとした空気が流れていた。
あまりにものどかすぎるので横になって日向ぼっこでもしようか、などと考えていたとき、まゆの声がその平和な雰囲気を切り裂いた。
「プロデューサーさん危ないっ!」
乗っている手とは逆の、もう一方の腕が太陽を遮る。
その直後、爆発音が響き渡った。
まゆの腕に何かがぶつかったようで、袖の表面からパラパラと砕け散った物体が落ちている。
「まゆ!大丈夫か!?」
「まゆは平気です…!それよりもプロデューサーさん、お怪我は?」
「こっちもなんともないよ、ありがとうまゆ。」
まゆは、よかった…と胸をなでおろしたような表情をすると、今度は上空をキッと見上げた。
「あれですね…プロデューサーさんを傷つけようとしたのは…」
まゆが見上げた先を見ると、遥か上空を小さな点が動き回っていた。
おそらくまゆのことを危険だと判断した自衛隊か何かが戦闘機を飛ばしたのだろう。
今の大きさのまゆでも全く手が届かないような高さからこちらの様子を伺うように旋回している。
まゆに攻撃は効かないと踏んで、手の上にいる自分に攻撃目標を定めているのかもしれない。
「…安心してください、プロデューサーさんはまゆが絶対に…絶対に守ります…」
何か意を決したように言葉を強めるまゆ。
そしてそう言うと同時にメニューへと手をかける。
「ま、まゆ…?」
「プロデューサーさんに手を出すなんて…」
ボソッと呟きながら指先でバーを躊躇いなく動かした。
「うわっ!」
まゆが大きくなったことで足場である手も広がり、より高くへと視点が上がっていく。
もはや周囲は見渡す限りがまゆの掌で、肌色の大地が続いている。
わずかな皺にさえ体が入ってしまいそうだ。
落ちないように四つん這いになって、様子を伺う。
さっきまで上空を飛んでいたはずの戦闘機はまゆの巨大化とその風圧に巻き込まれ、すでに数機まで減っていた。
「プロデューサーさんとの時間を邪魔したらどうなるか、教えてあげます…」
そう言いながらゆっくりと手で戦闘機を追いかけるまゆ。
音速以上の速さで飛んでいる戦闘機でさえ、まゆの手から逃げる事は叶わず、くしゃりと潰された。
他の戦闘機も一矢報いようとまゆの顔を攻撃しているが、まゆの肌は傷一つ付いていないようだった。
「もうっ…アイドルのお肌を傷つけようとする悪い虫はこの子ですかぁ?」
飛び回る戦闘機をあっさりとつまむと、そのまま指の圧に耐えられずに潰れてしまった。
そうこうしているうちに一機まで数を減らした戦闘機が逃げていくのが見えた。
「逃がしませんよぉ…」
ズゥン…ズゥン…と街を踏み潰し、山を踏み潰し、数歩歩いただけであっという間に手の届く距離まで詰め寄る。
「えいっ♪」
まゆが人差し指で軽くつつくと戦闘機は粉々になって墜落した。
自衛隊と格闘するまゆが何だか少し楽しそうに見えたのは気のせいだろうか…。
「ふう、今ので全部みたいですね。もう安心ですよぉ♪」
笑顔を向けられるとこんな大きさであってもただの女の子であることを再認識する。
「うふふ…♪まゆ、プロデューサーさんのためだったらいくらでも強くなれます♪」
「それは頼もしいな…」
冗談には聞こえないほどに、あまりにも強大なまゆを前にたじたじになってしまう。
「さあハネムーンの続き、しっぽりと参りましょう…うふ♪」
10000倍の大きさとなったまゆが再び歩みを進める。
この大きさでは東京から仙台まで30mしかなく、本来なら険しい山脈も足首程度の高さだったので軽く跨いであっという間にまゆの故郷、仙台に到着した。
「さあ到着しましたよ♪とってもちっちゃくてミニチュアみたい…♪」
都市のすぐそばで立ち止まり、街がまゆの影に包まれた。
まゆは屈みこんで街中を覗き込む。
km単位の大きさがあるまゆの顔に上空から見下ろされている状況で、住民たちの悲鳴が響き渡る。
「…なんだか歓迎されないみたいですねぇ…」
2000m以上の靴が一歩でも街に踏み入れば数万というNPCが犠牲となるであろう。
「せっかくのプロデューサーさんと2人っきりなのに、どこへ言っても邪魔ばかり…。ごめんなさいプロデューサーさん…まゆがおっきくなったばっかりに…」
しょんぼりとした顔をして謝るまゆ。
「最初にバーをいじるように言ったのはこっちの方だし、そんな落ち込まないでくれ。それに、まゆのおかげでこのゲームを楽しめてるよ。」
「プロデューサーさん…」
その時まゆはハッと閃いた顔をした。
「ゲーム…ゲームの世界ならプロデューサーさんとまゆだけの世界にすることもできちゃう…?」
どうやらまゆは、リアルの代わりにゲームで遊ぶということが当初の目的だったために、「ゲームでしか楽しめないことをする」という発想がすっぽ抜けていたようだ。
「できないことはないだろうけど…どうやって?」
「それは…うふふっ♪元の大きさに戻れないなら…♪」
サッとメニューを出し、いつものバーを右にグイッと動かした。
『こうすればいいんです♪』
先程までとは比べ物にならない大きさまで巨大化したまゆ。
もはや手のひらの溝は渓谷と呼べるほどに大きくなり、それがどこまでも続いている。
そして空を見上げれば、まゆの顔と星空が広がっていた。
雲は靴底のあたりを漂い、まゆの体のほとんどは宇宙に飛び出している。
靴は片方だけでも太平洋と日本海に跨って、複数の県を踏み潰しながら存在しており、日本は完全に分断されていた。
富士山ですら土踏まずの下に収まってしまうだろう。
横になれば日本列島と同じくらいの大きさはありそうだった。
『地球が丸く見えますね…♪』
まゆは世界中を見渡せるほどに、そして世界中のどこからでも見えるほどに大きかった。
『…あら?』
それゆえに世界中の国という国が全力を以ってまゆへと攻撃を仕掛けていた。
足のあたりが何度も激しく点滅している。
『うふふ…くすぐったい…♪』
攻撃だとわかっているのかどうかは定かではないが、まゆは口元を指で押さえながらくすくすと笑うだけだった。
『ごめんなさい、この世界のみなさん…♪まゆのための、エキストラになってください♪』
そしてさらにバーを右へと動かす。
次の瞬間にはまゆの体は宇宙空間へふわりと浮き上がり、地球は片手に収まるほど小さくなっていた。
小さな水晶のような地球をたおやかに口元へ手繰り寄せ、にこりと一度微笑むと、
『ふ〜〜っ…♪』
可愛らしく、耳に息を吹きかけるように優しく息を送り込むと、地球はまゆの吐息に包み込まれNPCの反応は完全に途絶えた。
『さあ、これでもう邪魔する人はいませんよぉ♪デートの続きをしましょうか♪うふふふふ…♪』
もはや自分はまゆのどこにいるのかも分からない。周囲を見渡してもまゆの肌ばかり、柔らかな匂いに包まれてまぶたの裏までまゆだけに支配されるようだった。
…でもまあ、まゆが楽しいのならばそれでいいのかもしれない。
そしてまゆは星空へハネムーンに旅立った。
✴︎
「んん…」
目が醒めると自分は事務所のソファーの上で座っていた。
いつのまにか眠ってしまったのだろうか、机の上には冷たくなったコーヒーが残って、事務所の外を見やるとすっかり夜の帳が下りていた。
「お目覚めですかぁ?」
いつもの大きさのまゆが隣に腰掛けてきた。
膝にそっと置かれている手を見つめるとなんだか鼓動が早くなるのを感じた。
プレイしていたはずのゲームは忽然と消えており、全て白昼夢だったのかとも考えていると、まゆが見透かしたようにくすっと笑う。
「…さっきのことが夢でも現実でもいいんです。まゆは、プロデューサーさんの隣でアイドルをしているだけで、毎日が夢のようですから…」
その幸せそうな顔を見ていると自分も夢か現かなどどうでもよくなってきた。
机に置かれた花瓶の上では、赤いブーゲンビリアの花が美しく咲き誇っていた。
✴︎
「…頼まれていたデータが取れたわ」
仄暗い部屋の中で2つの人影が動く。
「おお、マキノか。恩に着るよ。」
ヘッドセット型のゲーム機を受け渡す。
「それにしてもゲームまで作るなんて、その技術、私の諜報にも役立ててもらいたいわね。」
「フッフッフッ、天才に不可能はないのだ!…と言いたいところだが、プログラムには少しイズミにも手伝ってもらった。あとで彼女にも礼を言っておいてくれ。」
「わかったわ。ところでこのデータ、一体何に使うのかしら。あなたが欲しがりそうには見えないけれど。」
「…正直なところ、私にも暇を持て余したマッドな化学者が何をしでかすかわからないものでな。」
「そう…彼女の行動は科学でも論理でも測れないのね…度し難いわ…」