久美子の落とし物

「ありがとうございました。あら?こちらからも…ありがとうございました。」
3回目の改装を終えた球場の外で、観戦し終えたお客様に挨拶をする久美子。
久美子スタジアムをホーム球場とする、いつもは弱小のチームも、久美子の登場に珍しく大勝し、上機嫌の久美子。中腰になり、球場を後にする人たちに手を振っている。
「また応援よろしくお願いします。…え?…毎回はちょっと…」
球場外に設置されたマイクから久美子の耳に付けられているイヤホンに声が送られる。
内容は「毎試合、応援に来てくれねぇか?」と、熱心なファンからの声だった。
現在、久美子が球場を訪れた時のチームの勝率は100%。久美子が応援に来ると、この弱小チームは"必ず"勝てるのである。
それもそのはず、相手チームは「まさか自分たちのチームが久美子が応援しているチームを負かしたなんて事になったら…」と、完全に戦意を消失。片やホームのチームは「もし、ここで無様に負けてしまったら…何が起こるか…」と、必死で勝ちにいく。
結果は言わずもがな、である。
久美子も毎試合、見に来たいのが本音である。
しかし、久美子がこの球場に来るには、球場周辺の道路は封鎖。久美子が足を下ろす用に整地された場所も駐車場として貸し出されている。
事前に、【久美子が来るので、駐車場は使用不可】と、告知していなければ何百台いう車は久美子の足元でスクラップになってしまうだろう。
周辺住民にも告知が必要だ。それでなくても、まるで小山のような巨大なブラが町の郊外に鎮座しているのである。久美子が軽く足を下ろしただけでとんでもない被害が出るのだ。
…まぁ、久美子スタジアムのおかげで街が潤っているので文句は言えないが。
それに耕一郎の会社から保険として莫大な資金も受け取っている。
形式上は持ちつ持たれつ、なのである。



「ふぅ。一通り、終わったかしら。」
ごった返していた球場外も久美子目当てのまばらな観客と関係者しかいなくなった。
『おーい。そろそろ帰ろうかー?』
夫の声がイヤホンから聞こえてきた。
「そうね。そろそろ暗くなるし、帰ろうかしら。」
暗くなると、足置き場の位置がわかりづらくなるため、なるべく明るい内に帰宅するのが当たり前になっていた。
『じゃ、俺はヘリで先に行くから。足元に注意してな。』
球場脇のヘリポートから飛び立つ耕一郎が乗ったヘリに手を振る久美子。
「…足元に注意して、か。」
街中に久美子の歩幅に合わせ、点々と続く足置き場。なるべく、そっと足を置きながら歩いていく。
「(あと、ちょっとで自由ね。)」
街を出ると、ほぼ山間なので足の置き場所は自由である。あとはただ一直線に自分の家を目指すだけだ。
「よいしょ…っと。」
ーーー
久美子が歩いている様子を慣れた様子で見守る周辺住民。
先ほど、足を置いたときに久美子の顔辺りから何か小さい光るものが落ちた。
「?」
キラキラと輝きながら、久美子の体の脇を落ちていくもの。久美子自身は気づくことなく、足を運んでいく。
【ヒュゥゥゥゥゥ…】
ちょうど、真下にあった道路上に落ちてくるその小さな落とし物。
【ィィィィィィ…】
地面に近づく程、大きさを増しているように見える。風を切り裂く音がどんどん大きくなる。
【ズッッッッ…シーーーーン!!!!】
それは凄まじい轟音をあげ、道路の真ん中に落下した。
もうもうを立ち込める砂埃が消えると、そこには巨大なイヤリングが鎮座していた。
しかし、久美子は気がつくことなく、長大な歩幅であっという間に去っていってしまった。
ーーー
久美子が落とした"小さな"イヤリング。
遠目から見れば、真珠をあしらったとてもエレガントなイヤリングだ。
だが、あの身長4649mの久美子が身につけているものである。
その擬似真珠だけでも高さ45m、金具の部分も含めると全長60mぐらいあるだろう。
それがオフィス街の道路の真ん中に落ちてきたのだ。
偶然、潰された建物はなく、ちょうど4車線道路の真ん中に鎮座するイヤリング。
しかし、周辺の建物はその衝撃でガラスは砕け散り、"小さな"イヤリングのおかげで地盤沈下が起き、軽く傾いてしまっている。



ーーー
「よーし!こっちはOKだ!」
「こっちもいいぞ!」
作業着姿の男たちの大声が昼間のオフィス街に響く。巨大なクレーンや牽引車が何台も集まって、轟音を響かせている。
かくして、イヤリング撤去作業が始まった。
…が。
「だめだ!持ち上がらない!!」
「おーい!オーバーヒートだ!至急、来てくれー!」
びくともしない"小さな"落とし物に大型重機が悲鳴をあげている。
「(これを"身につけている"…か。)」
現場監督は、超巨大客船でも見ることがないような碇のような金具部分を見上げた。
「おい。連絡はどうなってんだ?久美子さんに話は行ったのか?」
監督は同じようにこの碇を見上げている背広姿の男の肩を掴む。
「あ、はい…一応、電話、メール、伝言など使える手段は使ったんですけど…一向に返事が無く…」
ハンカチで汗を拭き、手帳を広げる背広姿の男。
「…あぁん!?直接、行く。っていう手段をまだ、使ってねーじゃねぇーか!」
背広の胸ぐらを掴む監督。部下たちは慌てて止めに入る。
「そ、それは勘弁してください!!…じゃ!また電話してみますー!それではー!」
隙を見て走り去る背広姿の男。
「ちっ…逃げやがったか…。…おーい!もう1回、やり直すぞー!」
ーーー



ーーー
「あら?イヤリングが一つ無いわ?」
久美子はアクセサリー箱の中身を整理していた。耕一郎からプレゼントされたお気に入りのイヤリングが一つ無くなっている。
「あれ…ん…?」
鏡台の中や下を見ても、落ちている気配がない。
「どっかの隙間に落っこちちゃったかな?」
隙間を覗き込むが暗くて、よく見えない。
「う~ん…いつもなら耕一郎さんがいるのに…」
この狭い隙間ですら10mの広さがある。久美子の落とし物は大抵、ここで発見される場合が多い。しかし、耕一郎は出張中である。帰るのは明日だ。
「仕方ない…明日にでも見てもらおう。」
ーーー



ーーー
「あなたーおかえりー。」
いつものように山の頂を越えてやってくるヘリを手のひらに迎え入れる。
「く、久美子!お前、落とし物をしていないか!?」
ただいま、より先に夫の必死な声がイヤホンを通して、聞こえてきた。
「あら?よく知ってるのね~。そうなのよ。多分、いつもの隙間かと思うんだけど…さっそく見てくださる?」
そのまま家に入っていこうとする久美子。
「ち、違うんだ!」
「…?」
ーーー
【ズゥン…ズゥン…】
リズミカルな振動が街を揺らしている。
【ズゥゥゥン…ズゥゥゥゥゥン…】
どんどん近づいてきている。それを現すかのように一体が日陰になっていく。
普段は過ぎ去っていくだけのこの地域。今回はこの地域に止まった。
『ほら!あそこだよ!』
耕一郎の声がイヤホンに届く。赤いパトランプが光っている所に目を落とす久美子。
「あらー!こんな所に落としてたのね!」
しゃがみこむ久美子。
久美子のお尻が下りてくると同時に空気が押され、久美子の下に位置する街に強風が吹き荒れる。
道路上に落ちている小さなイヤリングを手にする久美子。
「あなたからのプレゼントをこんな所に落とすなんて…ごめんなさいね…」
ヘリに乗っている耕一郎に話しかける。
「いや…いいんだよ。それよりも早く帰ろう。」
久美子の体により、日陰になっている街を見ながら、話す耕一郎。
「そうね!久しぶりの我が家ですものね!」
轟音を轟かせながら、帰って行く久美子。
「(ふぅ…まさかイヤリング一つでこんな大惨事になるとは…事業に成功してなかったら恐ろしいことになっていたな…。)」
街の中心部に出来た大きな穴を見ながら、家へと飛び去っていった。
ーーー
「おーい!来たぞー!」
ビルの屋上に上った現場監督、背広姿の男、作業着姿の厳つい男たちが集まってくる。
「「おぉ…」」
山を一跨ぎにし、普段着のような格好の久美子が現れると、歓声のようなため息が漏れた。
「ヘリからの合図がありました!」
無線機を持った男が大声をあげる。
「おーし!じゃ、スイッチ…オン!」
監督がボタンを押すと、イヤリングの回りを囲むように設置されたパトランプが一斉に光り出す。
それに気づいた久美子が脚を折り、腰を下ろしてくる。
吹き荒れる強風に各々、注意しながら上空を見ると、巨大な手が降りてきていた。
「「おおぉぉ…!!」」
巨大な指先がイヤリングを摘むと、あっさりと上空に持ち上げられていく。大きな手を比べるとなんと小さなことだろう。やはりこれは久美子にとって"小さな"イヤリングなのだ。
その小さなイヤリングが持ち上がっていくその様子に歓声をあげる男たち。
上空で何やら、話すとあっという間に久美子は去っていった。
「すげぇな…」
あとに残されたのは、巨大な穴。ここにあのイヤリングが収まっていたのだ。
そう思うと久美子にとって、自分達がいかに小さいのかがはっきりとわかる。
「…穴、埋めなきゃな。」
現場監督がポツリと呟く。

…それも後日、久美子の指先一つで解決してしまうのだが…。