——神は六日かけて創られたものを
  まとめて袋に放り込みたもうた。『創世伝』より



 燃えさかる村。黒い外殻を赤く照らし、巨大昆虫——ケラと呼ばれる——の群れが踊り狂う。全身に付着した肉片と朱の混じった液体はなんの……誰のものか。
 ケラの他に動くものはない。関節の擦れる音と、なにかを食む音だけが響く。
 と、別の物音。炎に照らされる場所から隠れるようにしていた少女にケラの一匹が気付く。脚を小刻みに動かし、しかし矢の速さで近付いてゆくと、恐怖に張りつかれたかのように少女は動けず、声を出すこともできず、目を閉じることさえできない。
 少女の前にケラがたちふさがる。
 触覚が少女を嘗めると、ケラは小刻みに歯を鳴らし、前腕を持ち上げた。鎧さえ一撃する前腕が少女に振り下ろされる。
 「破片」が宙に舞った。
「ギィィィイ!」
 ケラが叫ぶ。
 「破片」が音を立てて落ちた。
「ぁ……あ……」
 少女は、か細い声をやっと出した。
 「破片」は、最前振り上げられたケラの前腕の形をしていた。
 少女とケラの間に翻るマント。そこには剣士が立っていて、剣の先でケラを指していた。
 仲間の悲鳴を聞き、他のケラがこちらに注意を向ける。群れをなし、波のように押し寄せてきた。十を超える黒い瞳に、震える少女と剣を構え直す剣士が映っている。



 そして時が経っていく。
 袋の内壁へ隙間なく海と陸地が張りついている世界。
 袋の世界バルドラード。
 閉じられているといっても、一つの生の間に全部を見て廻るにはあまりにも大きい世界。
 閉じられた世界の外側にも同じような世界が広がっていて、そこではでっかいトカゲが歩きまわっているという話(袋外空洞説)もあるが実にトンデモ。
 世界の中心に浮遊して回転する、半分に太陽半分には月をはめ込んだ球の照らす部分こそ世界のすべて。

 袋の崩壊を望み、戦渦を巻き起こした混沌の大蜘蛛が倒され、十年が過ぎていた。
 カリフア大陸の南。広がる大森林を背にして建物がある。大小いくつかの建物を、白亜の塀が囲んでいる。
 冒険者の学校と呼ばれていた。
 再び大蜘蛛のようなものが現れることを憂慮した賢者がつくりあげた、冒険者を育成するための学校。築八年。
 先だっての戦いで、蜘蛛の軍勢に対し諸国は主導権をめぐって争い戦力を出し惜しみし延々と確執を持ち越し、結果支配圏を半減させた。
 迫り来る蜘蛛に対して、どの国よりも遍歴の戦士たちが果敢に戦った。
 あの時、幼い自分を守り一歩も引かなかった冒険者の剣士。
 その背中を追いかけるように、コレット・メイプルリーフは冒険者の学校へ入学していた。
「コレット・メイプルリーフ……人間、職業は……道具遣い、と。レベルは……」
 小さく復唱しながら、エルフの血が混じってそうな耳の長い事務員さんが書類を指差し確認していく。
 コレットと呼ばれた少女は、こわばりながらも作業を見守っている。
「はいOK。万事抜かりなし」
 書類から目をあげ、事務員のお姉さんはにっこり微笑んだ。
「冒険者の学校へようこそ、新入生」
 コレットの表情が、陽にとけるように緩む。端を揃えて返された入学書類を、嬉しそうに胸にかかえる。
「それじゃああとは……オートローラーか。いいのが貰えるように祈ってるよ」
 見送り際、耳の長いお姉さんは親指まで立ててくれた。
「あ、ありがとうございます!」
 コレットは、マップを見ながらオートローラーの部屋に向かった。


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 部屋というより広間。ドラゴンの群れが宴会をひらけそう。高さは二階分、6メートルもあるだろうか。
「うわー……」
 口から意味のある言葉が出てこない。無理もない。部屋の中には、コレットにとって生まれてはじめて見るもののほうが多かった。
 人間やリザードマンのような比較的数の多い種族から、ドラコニアン、バッタ人間のような稀少種族までがごちゃりといる。
 それぞれが好き勝手な装備をして佇んでいる。
 床壁天井に隙間なく彫り込まれた、不思議な模様。
 薄明かりの中に見える模様が蠢いているように見え、コレットは目をこすった。改めて見直すと模様はじりとも動かない。
「気ノセイ気ノセイ、ウフフフフ」
 背中の壁から声がした。
 背中を伝う汗を感じつつ、コレットは壁を離れた。
 部屋の中央に、まるで主のように堂々と腰を据えているものが見える。
「あれが、オートローラー……」
 ようやく意味のあることばをひとつ、コレットが呟いた。
 以前、魔道具関係の本で見たことがある。
 一説には、神が袋にすべてを詰め込んだ時に紛れこんだ神具の一種であるという。これにより神は完全にしてうっかりさんであるという認識が広まっている。
 全自動スキル付与回転機。
 バルバラード世界に数台しか存在しておらず、冒険者の学校の名を広めるに最も役立っている設備だ。
 外見はレバーと回転板が目立つ立方体。
 コレットがしげしげ見ていると、剣を背負った人間がオートローラーの下部に設けられた差込み口へ、意を決したように入学書類を挟んだ。同じようにすることを躊躇していた周りから声があがる。
「おお」
「やったぞ」
 オートローラーが低くうなり、書類は吸い込まれていった。
 装置の上につけられたランプが明るく点滅する。回転板が、勢いよく回り出した。
 回転板の中を、いくつもの言葉が上から下へ読めない速さで走り抜けていく。
 小刻みな駆動音が、テンポを増しながら鳴り響く。
 ローラーは部屋にあるほとんどの視線を集めている。次第に、回転が鈍っていく。ゆっくりに、なっていく。止まる。文字を見る。
『攻撃回数+1』
 熱した鉄板に水滴を垂らす。瞬時に沸騰する勢いで盛りあがった。
 吸い込まれた時と同じように書類が吐き出されても、剣士はまだ呆然と立っていた。
 攻撃回数+1。非常に得難いスキルである。無理やりつけると背中から腕がもう一本生えてきたりする。
 それが呼び水となり、俺も私も我モとオートローラーの前に行列ができあがる。
 祈るように画面を見上げる冒険者のルーキー達。オートローラーは次々入学祝いを与えていく。
「まるで死にたてだぜ!」
 白さ百年分を得たスケルトンが拳を握り、
「天佑か」
 一食で三日持つ遅消化能力を手に入れた忍び装束が抑揚もなくつぶやき、
「………………」
 水上歩行を与えられたリザードマンが、ただ宙を見上げて立っていた。
 ローラーから遠くにいたので並ぶに出遅れたコレットは、そんな一喜一憂を後ろから見ていた。「でっかいホビットですか?」と間違えられたこともある自分の体格に、眼前のおしあいへしあいの中へ分け入っていく自信を持っていなかった。
「ウワ、凄い人数……こういうの見てると、なにか、ドバーッとなぎ払いたくなる衝動がむらむらと……」
 後ろから声。近い。
 振り返ったコレットは、少女を見た。自分に話しかけてきたわけではないらしい。目は人波を見たまま、唇が人がゴミのようだと動いた。
 ——メイジ?
 三角ハットをかぶり、筋肉のついてない腕でブ厚い魔道書を大儀そうに抱えていた。表紙の赤色から考えるに、攻撃呪文の魔道書だと見るものに見当をつけさせるが、
「それ……『召炎の基本』の初版本?」
「およ、分かるの? ひょっとしてあなたもメイジ?」
「いや、わたしは道具遣いだから……初版本だけ背表紙の字体が違うんだよね、それ」
 メイジの瞳が、驚いたように大きくなる。そんなの自分も知らなかった。
「初版だと、後になって削除された魔法とか載ってるんだよね」
「そうそう。『火炎放射』を基本に入れないでどうすんのって感じよね。汚物を消毒〜☆ができないし。分かってない。全然分かってない」
 わたしも分かんないとコレットは思う。
「道具遣いってやっぱりあれ? 店を開いて大儲けとか狙ってるの?」
 より創造的な商人。道具遣いのイメージは、一般にそうなる。
 道具を効果数割増しで使うことができる他、加工と鑑定能力に優れ、熟練すると簡単な魔法の効果をアイテムに付与することもできる。
 パンからワラ人形まで関われる道具遣いが店を開くことは、街の発展に欠かせない。
「わたし、軒並みパラメータ低くって……でも、道具遣いだけはなんとか適正あったから」
 恥ずかしそうにコレット。
「ふ、ふーん……苦労したんだね」
 うなずき、口を開き、まごつくコレット。
「えっと……」
 メイジの少女は自分を指差し、
「ああゴメン。カデナ。カデナ・ビーグル」
 続いてコレットに手のひらを向け促す。
「あ、わたしはコレット・メイプルリーフ」
 カデナは握手を求めてきた。
「よろしくコレット。我が学友」
 コレットが手を握り返し、会話が始まった。すぐに笑い声が混じりはじめる。



「ひのふのみの……大猟大漁。今年もこんだけ集まったか」
 校長室。貼り札(ノックしてね)の向こう側。
 執務机に積まれた崩れそうな紙の山。入学書類の控え分。
 魔法使い魔法使いしてる服装の老人が座っていた。
 校長にして大賢者、フリード・ガルガンチュアは書類を斜め読みしていく。一秒に三枚は読んでいる。
 十年前の戦いには既に齢七十を越えていた老体だが、蜘蛛の軍勢が大幹部、八本の脚の二本までを倒した実力者である。
 いかなる敵にも怯まず、ゴーレムで果敢に関節技を仕掛ける姿は味方を勇気づけ、関節技の神様として敵を畏れさせた。
 本棚には、世界で最も高価な類の魔道書がズラリと並んでいる。学校をつくる資金に蔵書の大半を売り払ったが、それでもなお残った本には一冊で家が建つほどの価値があった。
 休みなく書類をチェックしていくフリード。
「むっ、これは……」
 スペルマスターの称号を持つ彼の視線が、書類に鋭く止まる。その瞳は真剣そのもので……
「ハイエルフ♀十七才……しかもアーチャー」
「おお、こっちにはホビット♀十四才……身長136センチのシーフとな」
 冒険者の学校は、再び混沌の大蜘蛛のようなものが現れることを憂慮しつくられた学校である。その為に、これまでは大金を積まなければ使えなかったオートローラーの使用条件を大きく引き下げ、利益を得ていた各方面の反感を買うことまでしている。
「おお、こっちには白鳥有翼種……と思ったらなんだ男か残念。……それにしてもええのうええのう。今年も楽しめそうじゃ」
 冒険者の学校は、再び混沌の大蜘蛛のようなものが現れることを憂慮しつくられた学校である。
「獣人とな……ワンかニャンか。それが問題じゃが……」
 そのはずである。不意に、大賢者フリード・ガルガンチュアの眼光が鋭くなる。危なかったと額を拭う。
「キツネという線もあったか……尻尾が、こう……」
 手で宙にラインを描く。
 振動と、破壊音。
 宙を切り裂く速さで机の下に手を隠すフリード。ビクビクと、辺りに誰もいないことを確認する。
「なんじゃい、驚かしおって」
 寿命が縮まったわいとひとりごち、窓から音のした方を覗くフリード。
「……こりゃあ驚いた」
 屋根から、少女の頭が飛び出ていた。



 やねがあおい。
 コレットの頭は天井を突き破り、肩から上が屋根の上に飛び出していた。立っている。腰の高さは巨人族の頭の高さよりなお大きいだろう。
 じょうきょうがよくわからない。
 覚えているのは、自分の前にオートローラーを回したカデナが『詠唱時間1割ダウン』を得たのを一緒に喜び、自分の書類をオートローラーに飲み込ませたこと。
 ローラーは他の人が回す時よりゆっくり回るように見え、周りの音がふた周り小さくなって聞こえたのを覚えてる。
 止まったローラーに浮き出ていた文字の意味が分からなかったのも覚えていて、それ以上は覚えていない。
 口をあけたまんま、カデナもコレット(とおぼしき巨体)を見上げている。
 柱にも思える脚が二本、上へ向かって伸びている。履き物というより家具とよべそうな大きさの靴が二つあって、足首にさえ腕が回りそうにない。膝がこちらの目線より高い場所にある。スカートの揺らめきはカーテンが揺れているようで……
「野郎は離れた離れた」
 カデナはシッシした。周りの女生徒も協力してくれた。
 戦士系を前に出し、弓、魔法……間接攻撃できる職業を十字砲火を考えながら配置する。
 オートローラーから、コレットの入学書類が吐き出される。手にとって見るカデナ。
 獲得スキルの欄には、こう書かれていた『巨体化』
「ふぅむ、これは……」
 校長室にいたはずのフリードが、いつの間にかカデナたちの後ろに立っていた。
 女生徒の驚きを意に介さず、フリードはコレットを見上げている。眉が動く。
 千年以上の歴史の中、数回しか付与されたことがないという稀少スキル・巨体化。はじめて見る現象に、老齢の賢者はいまだ衰えない好奇心を隠そうともせず口を開く。
「うむ……白!」
 ジジイは、脚と脚の間を見上げていた。続いて肌へ手を伸ばそうとする。
「……野郎は離れてなさいって」
 カデナが魔導書を開く。"ファイアボール"の詠唱をはじめる。弓を引く音が聞こえる。隣でも、その隣でも……
「いったでしょうが!」
 結論:アフロ。本年度最初の急患として、校長が保健室へ運ばれていく。



 そして三ヶ月が過ぎた。
 町への街道。草原と道と草原があって、草原に少女が座り込んでいる。
 道を馬車が走ってくる。少女に近付くにつれ、随分小さい馬車のように思えてくる。体育座りしている少女の顎より低いところに馬の頭があった。人を乗せるべき馬車が、体積で一人の少女に負けている。
 馬が小さいのではなかった。少女が大きかった。身長台でも座高を測れない少女。コレットが立ち上がるなら、足の下を馬車が通過することもできるだろう。
 馬はコレットに怯えることもなく走っていく。漆黒の車をひきながら、道に沿って南へと。
 コレットは自分に怯えない馬を疑問に思う。が、基本的に自分は馬に怯えられるものといつの間にか考えていることに気付かされてむしろ落ち込んだ。うなだれた。
 どこの馬か聞いてみるくらいはしてもよかったかなと思う。でも、たしか、あれ? 馬を操る御者の人が——
「ウッス」
 声がかけられる。そちらを見ると、クワを担いだ人と馬がコレットを見上げている。
「あ、フラットさんとウッズ。こんにちは」
 おうよ、と自然体で返す農夫の人——フラットさん。馬——ウッズにコレットの手が伸び、頭とアゴを交互に撫でる。まるきり猫扱いである。
 ウッズも馴れるまで結構手間がかかったが、いまはこうやって持ち上げても大人しくしてくれる。ニンジンをぶらさげれば、追って膝の上まで乗ってくる。
「商売の調子はどうだい?」
 フラットが問いかける。
「よくありませんー。さっぱりですー」
 ウッズを軽々持ち上げたままコレット。
「……そうかい。お金に困ったらまた頼むよ。バイト代奮発するから」
「お願いしますー……多分近いうちに」
 コレットは何度か、畑仕事のアルバイトをしていた。牛馬も使わず切り株を引き抜き、岩をひょいひょい拾い集めて捨てにいく。庭作業感覚で進められていく作業。
 畑仕事というか開墾作業だった。
「ところでコレットちゃんは戦士なんかに転職しないのかい? 相当のものになるでしょ」
 コレットの心がトゲでつつかれる。何度となく訊かれた、しかも胸を張って答えられない質問だ。
「その、わたしは身体が大きくなっただけで、それと戦士の技術とか身につけれるかどうかは別の問題で、適正はてんでなくって、大きくなっても所詮わたしっていうか、その……」
 話しながらうつむいていくコレット。知らず知らず、ウッズを握る手に力が入っていた。ウッズは一馬力を出して暴れるが、ビクとも動かない。
「コレットちゃん、うちのウッズが口から泡吹いて嫌がってる、凄い嫌がってる! 降ろしてあげて!」
「あ、すいません」
 ウッズを放すコレット。座るコレットの胸の高さから落下したウッズは、地面を揺らし着地する。
 フラットはなだめるようにウッズの背を撫でる。
「……野菜と一緒だ。焦らず、やることを一つ一つやっていくのが一番なんだよ。天気を見て雨が降ってるときは無理に出る必要はないし……ああもう、うまくいえないわ。畑にいなければ村の入り口に立ってるから、用事があったら声をかけてくんな」
 励ましてくれているのだと分かった。
「あ、ありがとうございます」
 フラットの趣味は村の入り口に立ち、話しかけられたら地名を教えることである。広く社会的に認められた趣味で、十人集まれば一人は愛好者がいるという。
 フラットは、村の方へ歩いていった。
「焦らず、一つ一つ……」
 周りを見る。手を伸ばす。
 両手には、大きな石——というか立派な岩——が握られている。
「加工して……火打ち石に」
 互いをぶつけると、火花が飛び散った。
「あぅう、こんなのしかできないー」
 目と同じ幅の涙を流しながらコレットは嘆く。
 木々から棒人形の原型を削りだし、蝋を翼に仕立てる。そういった加工は、道具遣いの得意とするものである。
 しかし、いまのコレットの力に耐えうる原材料はそうそうあるものではなかった。
 ないことはないが、安くはない。元手を稼ぐのにも売るものを調達できない悪循環。
 今日の授業は、丸一日郊外実習。ある者は道場へ、ある者はダンジョンへと向かい、それぞれ己の技を磨く。
 コレットは街道での路上販売実演中。昼を過ぎ、目立った売り上げとくになし。
 二百年ぶりにスキル巨大化を得たものとして、自分の知名度は高まってきているらしい。なにもした覚えはないが、とにかく目立つゆえ。
 もう少し——できれば街の風景にとけこむことができるまでに馴染めれば、商店で見習いやるなり人通りの多いところで露天を出すこともできる。
 時間をかけて、人口の多い方へ方へと座る場所を移していく予定だったが道のりはまだ遠かった。
「もし、娘!」
「は、はい!」
 横から声。向き直ると、鎧兜に盾と剣を身につけた騎士が立っていた。装備には装飾が施され、どうやらどこぞの貴族らしい。
 騎士はコレットの手にした岩をしげしげ見つめ、、
「そのどこから見ても投石機用の岩石を屋敷までまとめて運んで欲しいのだが、いくらになる? いい腕をして……これ、なぜ泣く娘? ……火打ち石?」
 あたりはしだいに薄暗くなってゆく。
 とりあえず、売れました。



 南へ向けて馬車が走る。
「……もう少しか。久しぶりだな」
 暗さを増していく周囲。しかし、馬車の速さは一向に衰えず、むしろ速まっているようにも見えた。
 蹄音がほとんど聞こえない。追い越されてはじめて気付くだろう。二頭の馬にひかれ進む車部分は漆黒。
 まるで、夜を駆ける黒い風。
 また、御者が乗っていない。にも関わらず、馬の脚は規則正しく走り続ける。歯車じみた無機質さ。
 馬の腹は裂かれ、中には植物の蔦が詰め込まれていることに気付いたものはどれだけいたか。
 暗い車内には、赤い光点が二つ。
「待っていろ。前のようにはいかない。今度こそ」
 光点が、弓なりに歪む。
「クク、ククククク」
 馬車の速さが、更に増す。進む先には、大森林が広がっている。



「聞いた?」
「聞いたって、なにを?」
「東の森で、モリノークマサーンが出たらしいよ?」
「ああ、聞いた聞いた……東の森だけじゃなく、危なくなってきてるよね、最近。出てくるモンスターもなんか、凶暴になってきてるっていうか」
 モリノークマサーンとは、強行偵察型クマである。意外に強い。
「やっぱり、なにかよくないことが起こるんじゃないかって」
 霜のような静寂。
 廊下を歩いていると聞こえてきた会話。
「……物騒なことで」
 夜。冒険者の学校。宿舎の廊下。カデナは中庭に向かって歩いていた。
 歩を止めずに考える。確かに最近物騒だ。
 本来は別の場所に生息するはずのモンスターが、思わぬところに出現することも多くなった。
 自分から人間に近寄らないモンスターが、狂ったように攻撃を仕掛けてきたりする。
 なにかに脅えているようにも見えた。
 そういえば、渡り鳥を見ていない。
 ——胸の中に氷のようなつっかえが生じる
 本当になにかが起こっているというのだろうか。考えるほどに不安の種が育っていく。
 コの字になった宿舎の中庭へカデナは出た。こういう気分で月を見ると、影が横切りそうな気がしてきていけない。
 月の光が届かない暗がりから、なにかがじっとこちらを伺っている気がする。
 ——我ながらなに考えてるんだか。
 もっと楽しいことを考えるようにしなくては。
 そう。あれは傑作だった。先週コレットにかけられた言葉「やたらでっかいホビットですか?」目が、丸くなっていた。
 ニヤニヤしてるうち、目的の場所についていた。
「でっかいホビットさんのおうちに到着ー」
 中庭の隅に設けられた巨大なテント。中に家が丸々入るほどの大きさ。慣れた動きで入り口の布をめくりあげる。
「コレットー、いるー?」
 迫る足の裏。いた。いままさに、パジャマズボンへ脚を足を通そうとしているコレットが。
「ウワカデナ、早く閉めて閉めて……ニヤニヤしてないで閉めてってば!」
「わたし一人分の隙間くらいじゃなにも見えないって」
「そ、それならバサバサさせるのを止めてよ」
 ゴン。
 慌ててズボンをあげ、背筋を伸ばしたコレットは天井に頭をぶつける。テント全体がゆさりと揺れる。
 飽きない娘だことと思いながら、カデナは入り口を閉じた。座り、狭そうにしながらもコレットはパジャマの上を身につけていく。
 ボタンを止めていくコレットを——友人をカデナは見上げる。はじめて話したときは同じくらいの高さだった目線が、いまは跳ねても。届かない。
「いいじゃない少しくらい見られたって。減るもんじゃないんだし」
「カデナはまた人ごとだと思ってそんなことをいうし。それに、できれば減らしたいよ」
 コレットは、自分とカデナの身体を見比べるようにいう。肩。胸。腰。脚……同じ部分とはにわかに思えないほど縮尺が違う。
「あーごめんごめん。お姉さんが悪かったってば」
 手の延長戦がコレットの頭に届くような場所に手を伸ばし、頭を撫でるように手を動かすカデナ。
「よしよし」
 コレットの表情が柔らかくなるタイミングを見計らって、
「それでさ、今日もお願いしたいんだけど、いい?」
「あ、うんもちろん」
 コレットは手を広げ、カデナの前に置く。
「助かるわぁ。頼りになるのはコレットだけよ、ウン」
 腰から道具袋を外し、逆さまにするカデナ。コレットの手のひらに、ごちゃりと道具が流れ落ちる。
 ふわりと両手で包み込むと、息のかかる距離まで持ち上げ、道具へ話しかけるように口を動かす。
「"鑑定"」
 手に青白い光がともる。一瞬で強まった光は、時間をかけて弱まっていく。道具の一つ一つに目を巡らしていたコレットは、光が消えてから頷いた。カデナの前に道具を並べ、鑑定結果を伝えていく。
「これが軽傷の治癒薬で、こっちが細身の剣だけど呪われてるみたい……。そっちは耐冷のアミュレットで……」
 ランプの灯が揺れる。
「ハー、今日もロクな収穫はなしか」
「こればっかりは運だから仕方ないよ」
 コレットが慰める。
 鑑定結果を聞き終わったカデナが嘆息。やれやれとリンゴを取り出し一口かじる。
「あ、ちょっと待って……多分、それ、魔法のリンゴ……」
「へ……」
 カデナは、リンゴについた歯形を見た。
「ちょ、もうちょい早くいいなさいってばこの子は!」
「カ、カデナが鑑定させてくれなかったんじゃない。わたし悪くないってば」
「だってお腹が減ってたんだから仕方ないでしょよ。魔法のリンゴなんていままで拾ったことなかったし!」
 不毛であることを認めるまで、五分以上かかった。
「もういいもん。その内魔法のリンゴだろうがカレーパンだろうが拾いまくってやるもん。あー美味しい」
 モグモグと口を動かすカデナ。芯だけになった魔法のリンゴ。
「うん、うん。それがいいと思うよ」
 リンゴの芯を見つめるカデナ。
「もうちょい深い階まで潜れればいいアイテム拾えるんだろうけどねー。最近モンスターが凶暴になっちゃってさあ」
「……え? そうなの?」
「そうなの。村とか町に向かうときに遭ったりしない?」
 コレットは首を振る。人間のよく通る道はモンスターが少ないとはいえ、運がいい娘だとカデナは思う。でなければ巨体化引いたりしないかもしれないと一人納得する。
「コレットはダンジョン潜れないしフィールドクエストもしないからわかんないかもしんないけどさ。大変よー。聞いた話だけど、今日なんか東の森にモリノークマサーンが……」
 空気が震える。角笛の音。正門の方向。短・短・長の繰り返し。
「敵襲・救援・求ム……ウソォ!?」



「こなべにゆでてたべちゃうぞ」
 正門前。侵入者は意外な相手だった。
 秩序の側に属する緑の幻獣。大自然の力を身に宿した森の王。
 しかし、正門を蹴破って突入してきたその姿に理性を感じることはできない。
「あの目、あの歌……正気を失ってるね。森の王が、なんたること……」
 第一発見者——夜警についていたジャックオランタンがつぶやいた。カボチャが汗をかいている。
 この種族は、顔の中に光を宿し暗闇での感知能力がズバ抜けて高くなっている。チームの指揮をとっていた。
 彼のチームは四人。三人が倒れているのを見ることができた。倒せる相手でないと、防御重視で戦っていたのに。
 鳴らした角笛のおかげで、生徒たちが続々集まりつつある。二十人はいるだろうか。
 ——さすがにこれだけ集まれば。
 数で攻める。
「タイミングを合わせて攻撃開始。気を失わせるだけで十分」
 ジャックオランタンの指が光る。動かすと、夜空に文字が書かれていく。
 3,2,1.
 0が弾けると、光の粒子になって辺りを照らし出す。
 侵入者の姿が照らし出され、そこへ飛び道具が殺到した。
 侵入者は、二足の足でずんぐり立っていた。かつては若葉のごとき緑色をしていた毛皮は、いまや紫がかった黒になり果てていた。腹は黄とピンクのストライプ。額には赤い四角。その左右からは、黄色い突起が伸びている。
 『森の王』ガヒャピンは、ぐるりと瞳を回転させた。
 一斉に放たれた大量の攻撃は、突撃する壁のようにも見えた。
 ガヒャピンは佇み動かない。その姿は、圧倒されているように見えたかもしれない。
 しかし、攻撃はなにひとつガヒャピンにダメージを与えることはなかった。
 マジックミサイルをはじめとした魔法は、あと指一本の距離というところまで突き進む。が、森の王を包むように赤い玉が浮き上がり、弾かれてしまうのだった。
 絶対魔法防御。森の王は伊達ではなかった。いかなる魔法も受けつけない防御障壁をガヒャピンは発動させていた。
 実弾攻撃——放たれた矢は、全てガヒャピンの腕に握られている。地面に刺さった矢の林に、ガヒャピンのシルエットに合わせた穴があいている。
 誰もが思った。
 んなアホな。
「撃ちかたやめ! 直接戦闘に切り替えるぞ! 袋の外までぶっとばしてやれ」
 弾雨が駄目なら剣林。
 別の呪文が次々詠唱される。
 腕力強化反応強化防御強化。強化された戦士系生徒がガヒャピンへ攻め寄せる。左右と、後方へも。
 バリバリ戦士してるアイアンリザードマンが、ボディブローに崩れ落ちた。弓矢も跳ね返す自慢のウロコが、ローブほどの役に立っていない。
 死角を音もなく走る忍者が脊髄を狙うが、後ろも見ずに放たれた肘打ちに飛ばされる。拳を握ったまま、槍の一撃を指の間で受け止める。
 かつて東方でクロオビの称号を得たこともあるガヒャピンが足を動かし、拳を放つたびに誰かが吹っ飛び、空気が唸り草が舞う。
「陣形を立て直して一斉にかかれ!」
 包囲の欠けた部分を補うと、ガヒャピンへ放たれる一斉攻撃。
 前後左右上下からの同時攻撃。いかに対応しても絶対に死角から攻撃が飛んでくる攻撃を前に、ガヒャピンの脳裏に閃光が走る。
「見えた。そこおッ!」
 ガヒャピンは後ろへ跳んだ。まるで弾丸。四肢を折りたたみ、相手に晒す面積を最小に抑えている。
 剣と剣の間。包囲網の隙間を縫う、針に糸を通すような精緻極まる軌道。進路上に二人いたが、両方吹き飛ばされた。
「噴ッ!」
 足で溝を穿ちつつ着地しつつ、間髪おかず気弾を放つ森の王。
 ストライプ模様の腹。その中心から、メガ粒子気弾が拡散放射される。ガヒャピンのいた場所に密集していた生徒たちは、ひとたまりもなく打たれ吹っ飛ばされていった。倒れて、動かない。
 ガヒャピンはなにかつぶやいている。
「お、ちる……空が、落ちる」
 光の中、黒い体色が映える。首から上だけぐるりと動き、くぼんだ目が視線を向ける。
「落とすのは、君たち?」
 動き出した。
 I式絶対魔法防御と拡散メガ粒子気弾。盾と矛を兼ね備えた緑の守護者レベル300ちょっとが、妙な姿勢で歩を進めてくる。
 後ろに控えていた補助系生徒の足がすくむ。
「駄、駄目だ。勝てない……」
 魔法攻撃は通用せず、接近戦でも歯が立たない。
 なす術が、ない。
「パパとママにおやすみもいわないで寝るなんて、悪い子ばっか」
 夜が光った。
 淡い光の粒子が無数に現れる。倒れ動かない生徒たちへ、漂うように近づき包み込んでいく。集まった粒子は、生徒の身体へ染みむように吸収されていく。
 回復魔法特有の現象だ。だが、効果域が広すぎる。普通は傷を負った箇所を包む。一人の全身を包むことができれば一流と呼ばれている。
 このような、空間ごと対象にして一度に十数人を治癒するような魔法など、どれだけの力があればできるのか。
 ピクリとも動かなかった身体からうめき声が発せられると、ゆっくり動き出した。
 彼らは見た。治癒魔法を使用した、恐るべき使い手を。
「"回復の奇跡"おはよう。まだまだ戦え生徒どもー」
 いつも絶やさない笑顔。事務員のお姉さんが立っていた。エルフ耳が、ぴこぴこ上下に動く。
 なんであなたがとみんな思うが、お姉さんの持つワンドを見て黙る。レリーフは黄金の一角獣。最高位の術者の証。
 辺りを包んでいた光が薄まっていく。倒れていた生徒たちはほぼ全回復していた。
 お姉さんは、慈母のような笑みをたたえて辺りを見渡した。
「死んでから休め前線豚ども。お休みには早すぎる」
 輝くような笑顔で、回復魔法も使える事務員のお姉さんはいい放つ。
「いわれた通りにしなさい。あなたたちが汚水のゾウリムシに勝っているのはそれだけなんだから」
 ニコニコ。
「オーガっすねアンタ!」
「黙れ。豚のようにイエスマムとだけ繰り返しいえばいい」
 ホワワ〜ン。
 紙を一枚、ひらひら取り出すお姉さん。
「あと、見事仕留めたらデート券一枚進呈しちゃうぞ」
 パンパカパーン。
「エンジェル!」
 倒れ伏していた戦士たちが一斉に立ち上がる。同時に得物を掲げ、空に穴が開きそうな雄叫びをあげた。
 満足そうにうなずくと、お姉さんは楽しそうにガヒャピンを指差した。
「ドブネズミにしてはいい鳴き声だ。ヤッチマイナー」
 麦畑を吹き抜ける風のように、波になってつっこんでった。
 悲鳴。絶叫。悲鳴。悲鳴。
「"回復の奇跡"」
 悲鳴。悲鳴悲鳴。絶叫悲鳴。
「"回復の奇跡"」
 ……沈黙。
 死屍累々。ガヒャピンだけがファイティングポーズをとっていた。
「も、駄目ッス……」
 ガヒャピンに再度接近戦を挑んだ誰もが、心を折られるまで痛めつけられていた。身体の傷は癒えても心が癒えていない。いま、誰も立ち上がろうとしない。
 ガヒャピンが、蒸気機関のような息を吐き出した。
「んー。あらあらあら」
 やっぱり荷が重かったか。まあ分かってたけど。でも楽しかったからいいや。というニュアンスを含んでいう。
 お姉さんは、場に現れて治癒魔法を使うとすぐ生徒を一人お使いに出していた。
「戦闘教官誰か呼んできて。なるべく夜の方が強いやつ——私じゃちょっと火力が足りないから。その間の時間は稼ぐから」
 そろそろ来る頃だと思う。戦闘教官なら誰が来ても回復しながら戦えば追い返すくらいできるだろう。
 来ていないかと後ろをちらりと見て、前を見ると、踏まれていた。
 森の王の立っていたところには、大木のような足が生えていた。
 振り下ろされた足の持ち主は、人間・女・史上最大(サイズ)の道具遣い。コレット・メイプルリーフは、息を切らせながら、おどおどしながら、周囲を見下ろす。
「傷薬いっぱい持ってきたけど、大丈夫ですか? ……どうか、しました?」
 そこにいる全員が、コレットの靴を食い入るように見る。ドリルのような視線。
 空気を察したコレットは、極めてそうっと足をどける。靴底の形に地面が凹んでいて、へこみの中央にはガヒャピンがうつぶせで埋まっている。像のように動かない。
 歓声。 侵入者が撃退された旨の角笛が鳴り響く。
 経験値が+三万され、コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。少し大きくなった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。少し大きくなった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。少し大きくなった。コレットのレベルがあがった。コレットのレベルがあがった。
「あーコレットちゃん、こっちこっちー」
 事務員のお姉さんがコレットを手招き。そういえばこの人はなんて名前なんだろうと思いながら、コレットは歩み寄る。
 かがむコレット。膝の高さに差しだされた紙を受け取った。
「はい、デート券」
「???」

 なんと じむいんのおねえさんとのデートけんを てにいれた。

 裏を見る。ちっちゃい文字で、なんか書いていた。
※こっちの気が向いた時のみ有効。
 これじゃあんまり意味がないと思う。
 あと、なんて名前なんだろう。
「……あれ、ここは誰だい?」
 なんと ガヒャピンがおきあがり こちらをみている。
 毛皮の色は本来の緑に戻っていた。額についていたアンテナもいまは粉々に割れていた。
 両手首に7個ずつあったエネルギーボールの数が、半分になっていた。
 察するに、これは勇気と力の源であり持ち主の危機に際し予備生命力を放出したのであろうということは容易に推察できるかもしれない。
 首の後ろを押さえながら、自然の代弁者は口を開く。
「で、君たちはどこなんだい? なんでこんなに体が痛いんだい?」
 コレットに遅れてカデナがかけつけ、正気を取り戻したガヒャピンに経緯が説明されるなか、とりあえずコレットは大きかった。
 その様子を、じっとフクロウが見ていた。片目が妙にぎょろりと大きい。



「……フン」
 闇に声。声の主は、目を押さえている。手の下の眼窩は空洞。なにもおさまっていない。
「生き残ったか。本当に貴方は……面白くない」
 計算違いだ。冒険者の学校に単身で攻撃を仕掛け、生き残るとは思っていなかった。
 いや、確かに斃れたと思った。
 フクロウと共有した視界。ガヒャピンのエネルギーボールを見る。
 森の王が生まれる時、あらかじめついているそれは、大地からの贈り物とされている。
 手首についた、エネルギーボールの数が減っている。どうやら、あれのおかげで助かったらしい。そういう効果もあったのか。
 ——そんなことは知らなかった。
「なんで、貴方ばかりがいつも!」
 力がこもり、息が荒くなる。
「でも——」
 ふっと弛緩する。
「でも大丈夫。次は、確実に仕留めてみせますよ、兄上。見ていてください」
 後ろを仰ぐ。大森林の中核——樹齢数千年の古代樹が、そびえ立っている。
「見ていてください——母上」
 葉が、ざわめいた。



「すぐに、行かなきゃ」
 経緯を聞くと、ガヒャピンはすぐさま大森林へとって返そうとした。
「このままじゃ、誰にもよくないことになる。止めないと」
 よろけつつ、歩こうとする。
「森の王」
 振り向かない。
「……。お詫びには、後であらためて来るよ」
 三歩も歩かず膝をつく。ガヒャピンの後ろには、膝がくの字してるお姉さん。
「膝かっくんで倒れるほどダメージが抜けきっていないじゃないですか。気でも触れましたか? 森の王」
 お姉さんの問いに、ガヒャピンは答えない。
「森の王?」
「……もう、王じゃない」
 言葉の意味が広がるには、時間が必要だった。
「森の王が、変わったということか」
「じゃあ、最近モンスターが凶暴になってたのも」
 ガヒャピンは苦々しくうなずいた。
「止めなきゃ……クゥッ」
 立ち上がろうとする途中、糸がきれたように倒れてしまった。動かない。呼吸はしていて、気を失ったようだった。
 コレットの足下に、お姉さんとカデナが集まってくる。
「森の王を一撃で戦闘不能にするなんて、コレットちゃん凄いわね。あれじゃしばらく戦えないわよ。んー、立派な脚」
「え?」
「戦士の適正がないっていうだけで、腕力体力なんかのパラメータだけ見れば溢れそうなくらいですからね、この娘。一回のレベルアップで私たちの十回分くらい成長してるんじゃないんですか?」
「え? え?」
「まあ。コレットちゃんってば、強くて頼もしいわぁ」
「え? え? え?」
 半泣きだった。
「それにしても……なにが起こってるんだか。王が変わったということだけど」
 誰からということもなく、大森林を見る。
 モンスターにとって、棲む区域の王の影響は馬鹿にできない。混沌の大蜘蛛が、各地の王と配下の魔物をすげ替えようとした由縁である。
 最近、ガヒャピンの影響下では弱体化していた種が強力になり、他所からはより凶悪な種が流れてきている。それを警戒し、元々からいたモンスターも狂暴さを増している。
 よくないことが起こりそうだった。
 忍者生徒がいう。
「大森林の王が変わるなど……もっと早く気付くべきでござった」
「そうよ、愚図」
 ウフフ。
 一応言っておくと、王が変わるということはそうあるものではない。一週間に一人、世界のどこかで変わるものといわれている。
「放っておいて、いいのかね。このままだと、人里が襲われたりするんじゃないか?」
「前の王がおかしくなるくらいだ……ありえない話じゃないな」
 誰かの言葉に、コレットの身がこわばる。
「——駄目。そんなの、駄目」
 自分を抱きしめていた。絶対、駄目。もう、あんなことは繰り返してはいけない。
「それじゃあ、どうなってるやら様子見に行ってみようか」
 お姉さんが元気よくいった。
「森の王が変わったっていうなら、顔くらい見ておかないと。というか普通は挨拶回りくらい来るわよねえ」
 そういう風にできている。のかどうか、分からない。
「夜だし、こういう時は少人数の方が都合いいわね。ゆっくりパーティー編成してる時間もめんどくさいし……打撃と回復はコレットちゃんと私でいいとして、魔法攻撃用にカデナちゃんついてきて。さっき、魔法使ってないでしょ?」
「はい。大丈夫です」
「それじゃあ、誰かガヒャピンを医務室へ運んであげて。あと、ジジイ兼校長に報告を」
 てきぱきと指示を出すお姉さん。
 一部始終を見ていたフクロウが、夜空へ飛び立つ。月へ向かって、羽ばたいた。



 大森林。
 馬とか鹿とか。少なくない数の動物たちが、木々の間を縫って逃げていく。後ろから進んでくるモノから逃げるために。
 後ろから、巨大な影がぬっと現れた。
「そんなに逃げなくてもいいのに……」
 木々をかき分けかき分け、コレットは進んでいた。頬がふくれ気味だ。そんなに一生懸命逃げられると、面白くない。
 木に手をかける。しなってできた隙間に、身体を押し込んで進んでいく。
 しかし、たまに幹が折れる。特別力を入れたわけでもないのに。手を見るが、見た目は見慣れた手でしかない。
「……えい」
 木にかけた手を試しに上へずらして見ると、根の部分から浮き上がった感触……こっそり元に戻す。
 地面までの距離も、大きくなってる気がするし、カデナが一回り小さくなってる気がする——背が、更に伸びたのだろうか。
 時たま、服に枝が引っかかるが常に枝が負けて折れる。服にはほころびもついていなかった。
 ガヒャピンを倒し一気にレベルアップしたコレットは、高まったパラメータに全然なれていなかった。
 むしろ、動物たちの判断は正しいといえた。
 動物に混じって、ちらほらとモンスターも逃げていく。時たま物陰からコレットを伺う様子はあるが、コレットが近付くと逃げていく。
 誰かがいっていた。
 遠目に見れば守ってあげたくなるタイプだけど、近付いてみるととりあえず困る。
 大森林に入ってからかなり奥まで進んできたが、一度も戦闘にはなっていなかった。
 左と右の肩に、カデナとお姉さんが座っている。
 ——この娘がモンスターに遭わなかったわけ分かったわ……
 高さ一メートル超の横顔を見ながら、カデナは思った。一歩踏み出すごとに、風景が大きく後ろへ流れてゆく。
 ひょっとして自分がついて来る意味はなかったかもしれない。お姉さんを見ると、寝ていた。気持ちはよく分かる。
 ここまで深く進んだら普通感じるはずの緊張感が、まったく感じられなかった。
 下を見る。高い。コレットから見た自分は、ここから見える膝くらいに自分の頭があるのだろうか。
 コレットの脚が前へ前へと進むのを見ているうちに、逃げていくのを見下ろすうちに、自分が大きくなったような気がした。空想の中で、自分をコレットサイズにまで大きくしてみる。

 ——豪華な室内。胸を張って立ってる自分。ベッド、絨毯、椅子……この部屋は、わたしの大きさを基準に作ってある。わたしが大きいと思わせるより、自分が小さいと思わせた方が楽しいから。わたしの足首より胴体が細いこびと達が、巨大な靴を運んできた。片方につき三人がかり。一足を運ぶのに六人。戯れに靴のつま先を押さえてみると、それ以上進むことができなくなる。もがくのを見ているうち、唇の端があがってくる。見下ろされながら。うやうやしく足下に置かれる靴。すぐには履かない。平伏するこびとの上で、見せびらかすように足裏を揺らす。私からこびとが見えなくなる場所でわざと停めて、こびとが見上げても分からないようにしてあげる見てるだろうか、見てないのだろうか…………見てる。足裏に感じる視線に、足指が震えそうになる。衝動的に、踏みつけたくなった。——靴を履く。焦らすように、見せつけるように。ゆっくりと差し込んでいく。つま先が入り、足の甲が滑らかに滑っていき、かかとが収まる。感触を確かめ、こびとをまたいで歩き出す。三人がかりで運ばれてきた靴を、軽々と持ち上げてみせる。

 背中にゾクリときた。おお? なんかいいかもしれない。
 どうでもいいがかなりにやけている。
 と、つまずきでもしたかコレットがよろめく。揺れる肩。落ちそうになるカデナ。
 咄嗟に手を伸ばす。掴めるものを探す。にやけたままデスマスクになってたまるか。
「アッ……」
 声を出したのはコレットだった。カデナは、コレットの耳たぶを掴んでいる……柔らかい。もてあますくらい大きい。
 思わず揉みほぐす。
「ちょ、カデナ、やめて……」
「あ、ああ、ごめんごめん。揉めば大きくなるんじゃないかと思って」
「大きくしないでいいの……アッ」
 反対の肩を見るコレット。お姉さんが、耳たぶを揉んでいた。時折軽く爪を立てる、甘噛みの動き。フッと、耳に息を吹きかけた。
「やめ、やめてください……」
「あら、残念」
 お姉さん止める。カデナ始める。コレット左肩に抗議する。カデナやめる。お姉さん始める。コレット右肩に抗議する。繰り返す。繰り返す。
「ところでコレットちゃんは、目が回ったりしない人なの?」
「誰のせいですか!」
 ついにコレットは耳たぶを押さえてしまった。
「怒らない怒らない。私は耳たぶないから、珍しかったんだよ」
 お姉さんはとがった耳を動かした。耳たぶと呼べるようなものはついていない。
「ね、カデナちゃん」
「え……あ、はあ」
 歯切れの悪い返事をカデナは返した。顔を隠すように、三角帽子を深くかぶり直す。
「……カデナ?」
「…………隙あり」
 カデナは、コレットの頬をひっぱっている。引けば引いた分だけ伸びそうな感触。
「おお、伸びる伸びる」
「ひたひ、ひゃめてカデナ」
 お姉さんも、気付かれないようにそーっと手を頬へ伸ばす。
「我ら四天王クマ」
「王の命令クマ」
「ここから先はクマー」
「通さないクマよ」
「固すぎず、柔すぎず、もっちりとコシがあって、うーん。いいほっぺだわ」
 両側からほっぺをひっぱられるコレット。
 コレットに立ちはだかる四匹が、堂々と名乗りをあげる。
「ツキノワグマーン」
「アライグマーン」
「ヒグマーン」
「パンダ」
 ポーズをつけて、いざ尋常に勝負といった。
「ひゃめて、ひたひー」
 コレットは遊ばれている。四天王は無視されている。
「無視されてるクマ」
「寂しいクマー」
「攻撃しちゃうっていうのはどうクマ?」
「それは頭いいクマ」
「二人ともひゃめてー」
 クマー。クマ四匹は、縦一列になって突撃した。足へ四連続で体当たり。同じ場所を狙い、威力は倍増!
「やったクマ!」
「参ったといえば、許してやらないこともないクマ」
「もうセリフがないクマー」
「クマー」
 クマとコレットははじめて目があった。
「ク」
「マ」
「ー」
「?」
「痛いー」
 コレットはすねを押さえた。しゃがんでくる威圧感に耐えられず、クマは後ずさる。
「急に攻撃してくるなんて、なんて卑怯なクマなの!?」
 肩から次々に“火炎放射”が放たれ、クマ四匹が逃げまどう。高いところからの攻撃に、どうすることもできない。
「逃げるクマー」
「後ろに前進クマ」
「戦略的撤退クマー」
「とんずらクマー」
 スタコラ サッササノサ。
 走りだすと、みるみる距離が開いていく。クマは、三秒で五十メートル走ることができるという。
 届かない距離になっても、“火炎放射”は三回噴いた。
「コレット、追いかけて! 獲物が逃げる!」
 しかし、地の利を知って木々の間を走るクマに対し、コレットは前を拓きながら進んでいく。
 追いつくのは難しい。説明すると、キーキーいいつつカデナは諦めた。
「コレットちゃん、回復いる?」
 お姉さんがいう。
「あ……大丈夫です。しびれもとれてきたし」
 クマの突撃を四回受け止めたすねは、しびれただけだった。
「そう。じゃ、経験値いる?」
「はい?」

 はい⇔肯定。

「そうこなくっちゃ。実はさっきから気になってたことがあるのよ」
「はい?」
「んー。コレットちゃん。返事は一回でよろしい。分かった?」
 お姉さんは、コレットの肌へ手のひらを押し当てた。吸い付けるように、隙間なく。
「後で返してもらうけど、大サービスであげれるだけあげちゃう」
 手が光る。
「“経験値移動”ていうスキルでね、経験値を貸すことができるのよ。私のレベルは255だから……奮発して、250レベル分の経験値あげちゃう」
 コレットの中へ、凄い勢いで流し込まれていくものがある……
「わたしのレベルは5になるから、しっかり守ってね」
 コレットの身体が、少しずつ、少しずつ、拡がっていく。



「エェーーーーーッ!」
 大音量が森を震わせる。驚いた鳥の群れが飛び立つが、蝿にしか見えない。すねより上が、森から出ている。
 膨大な経験値を飲み込んで、コレットはさっきよりさらに十倍の大きさに巨大化していた。
 ここまで大きくなると、もう足下を森とは思えない。
 さっきまでは人の頭が膝の高さだったけど、いまは木よりも高いところに膝がある。
「レベルアップの後大きくなってた気がしたから面白いことになりそう思ってたんだけど、こんなに立派になるなんてお姉さん思わなかったわぁ」
 お姉さんの手はコレットの頬に当てていたのに、今では首に手が当たっている。さっきまで遊んでいた耳たぶは、手の届かない高さに揺れていた。
「ちょっと、大きすぎ……」
 カデナはいう。隣の肩に乗っていたお姉さんが、距離が開いて見えなくなってしまった。
 頭だけで、いままでの身長より大きい。肩から伸びる腕は、塔のような太さをしている。巨体を踏みしめる足に比べ、木がのきなみ弱々しく頼りなく見える。
 こんな状態ではこちらの言葉がコレットに聞こえるのかしらと考えたが、あれだけ大きい耳なんだから大丈夫に違いないと思った。
「も、元に戻してくださいー」
「しばらくは無理」
「そんなー」
 やっぱり大丈夫らしい。
「あっ、クマだ」
 地面を見ていたカデナがいう。
 (コレットの肩から見て)少し離れたところに、四匹並んだシルエット。夜なので、細かい表情までは分からない。ただ呆けるように、こちらを見て立っていた。
「コレット、クマ、クマ! そこ! 捕まえて!」
「そうねえ。訊きたいこともあるし、捕まえてみてコレットちゃん……元に戻りたかったらね」
「えぅ……はいー」
 コレットは、クマに向けて歩き出した。立っていた場所には、船の大きさの足跡が残っている。
 なるべく木を踏まないように、都合よく開けた場所に足を降ろしながら歩いてゆく。
「木より高いところに足が持ち上がってるクマー」
「身長は、足をあげる高さの何倍クマ。大きすぎるクマ」
「クマたちが体当たりしたのと同じ足には思えないクマ」
「一歩しか進んでないのに、距離が詰まりすぎクマ」
 クマは、自分たちが見つかっているとは気付いていなかった。
 頭上を手のひらに覆われてから気付く。
「「「「ク、クマー」」」」
 四匹がかりで、指五本に抵抗することもできなかった。指へ果敢にベアハッグを仕掛けたが、腕が回らない。そのまま持ち上げられる。
「クマは、クマはコアラじゃないクマー」
 握られた。握り拳一つに、クマ四匹が収まっている。顔だけは出ていたが、それより下は飲み込まれていた。もがく。
「ビ、ビクともしないクマ」
「負けちゃ駄目クマ」
「みんなでタイミングを合わせて全力を出すクマよ」
「1,2の3,クマー!」
 クマ四匹が、一斉に体をよじらせる。
「お、ちょっと緩んだクマ」
「クマハハハ、ケモノの底力思い知ったかクマ。この調子でいくクマ」
「でも、このまま脱出して……どうするクマ?」
「落ちたら死ぬから、このでっかいお嬢さんの服の中へ逃げ込めばいいクマ。クマは天才クマ」
「あ、コレット。クマの締め付けが緩んでるわよ、手を抜かないでしっかり掴んでなさい」
「う、うん……」
「「「「クマァァァアアアア!!!!」」」」
 わずかに力をいれたコレット。クマが絶叫する。体中の骨からなんかやな音が鳴った。
「ご、ごめんなさい」
 再び緩めるが、クマはぐったりして動かない。
「よし。それじゃ、コレットちゃん動かないでね。カデナちゃんも来る? クマの尋問」
「行きます行きます」
 お姉さんとカデナが、コレットの腕を歩いて渡っていく。肩から手首まで。十分な道幅と、少し長い距離。
 お姉さんとカデナは、親指人差し指でつくった円のふちに立っている。円からは、クマが四匹顔を出している。
 お姉さんがクマの前にしゃがみこむ。絶やさない笑顔。
「さて、女の子にも敵わない非力なクマちゃんたちには知ってることを洗いざらい吐いてもらっちゃおうかな」
「クマー。勝ったと思うなクマ」
「そうクマそうクマー」
「四天王をなめないで欲しいクマ」
「絶対なにも話さな——」
 お姉さんは、表情を変えずクマにツバを吐きかけた。
「カデナちゃん」
 指を弾くお姉さん。
 “ファイアーボール”が、クマの顔をかすめて飛んでいった。毛皮が、ちりちり焦げる。
「コレットちゃん、元に戻りたかったら締め付け強めて」
 躊躇うような間をはさんだものの、コレットのこぶしがきゅっと小さくなる。指関節を鳴らす音を凄くしたやつが響き渡る。
「「「「クマァァァアアアア!!!!」」」」
「あ、ご、ごめんなさ……」
「謝ってもいいから緩めないで」
「ごめんなさい!」
「「「「クマァァァアアアア!!!!」」」」
 ぐったりしたクマに、お姉さんは変わらない笑顔を向ける。懐から、ナイフを取り出した。
「くまのいって、結構高く売れるのよね」
 ニッコリ。
「クククマー。ぜひとも許して欲しいクマ」
「エトに、エトに入れてやるから従えいわれたクマよー」
「王は、古代樹のところにいるクマ」
「やくそうは多めに持って、念のためセーブしてから行った方がいいクマ」
「…………」
 コレットはやや呆れるが、
「知ってるのは本当にそれだけ?」
「嘘だったら(ナイフで頬を叩く)。ウフフ。じゃ、あとはゴールド出してもらおうかしら。とりあえず、持ってるの全部」
「……はぁ? 寝言? それだけで解放してあげるわけないでしょ? これっぽちじゃ、この高さから解放するしかできないわねえ。地面へ真っ逆さま」
「地面に降ろして欲しかったら別料金で、売れそうな道具も渡してもらわなきゃねえ。ウフフフ」
「最後には何回か跳ねてもうらうから、隠しても無駄よ。毛皮だけは残してあげるから感謝しなさい」
 お姉さんとカデナは、実に生き生きとクマさんと会話を楽しんでいた。
「カデナちゃん、才能あるわね。若い頃を思い出すわぁ」
「ありがとうございます。嬉しいです」
「クマー。お前ら絶対盗賊か商人の方が似合ってるクマー」
「やめてクマ痛いクマ。クマはなにもいってないクマ」
「……連帯責任? クマが口答えしたら別のクマを罰する?」
「ひでえクマー。前世は絶対デーモンロードクマー」
 隣のクマが、ブ厚い魔法書で殴られて血を吹く。吐いた血しぶきが、風に乗って遠くへ飛んでいく。
 風が、吹きはじめていた。高いところの風は強い。コレットはびくともしないが、カデナがよろめいた。
「カデナ、危ない!」
 コレットが素早く手を伸ばす。落ちそうになるカデナを支え、風に対して壁を作った。
 カデナは落ちなかったが、いつもかぶっている三角帽子がとばされ宙を舞う。
 それまで帽子が押さえていた髪が風に弄ばれ、横に流れる。露わになるカデナの耳。
 カデナの耳は、長かった。
「あ……」
 必死に髪を押さえ、耳を隠す。帽子は、コレットが捕まえつまんでいてくれた。
「……あんがと」
 帽子を受け取り、かぶり直す。いつもより深くかぶったようで、表情はつばに隠れて読み取ることができない。
「……その、えっと、見た、よね?」
 おずおずと、普段の勝ち気さからは考えられない口調でカデナはいう。うつむいているようだった。
「え……うん」
「……。うん。私ね、ハーフエルフ、なんだ」
 リザードマンのように、個体数が多い種族は自分たちの集落に行けば多数派になれる。ハーフエルフは、どこにいっても少数派だった。
 絶対数の少ないハーフエルフは、エルフからも人間からも疎まれることが少なくない。「雑種」と呼ばれることもある。
「……隠してて、ごめん」
 コレットは優しく首を振る。自分の気持ちを見渡して、同情から来る気持ちがないらしいことを嬉しく思った。
 カデナはカデナ。私の友達だ。こちらを見た顔を見て、カデナもこんな顔をするんだと思った。子犬のように潤んだ瞳へ、自分の気持ちを伝えようと、口を開く。
「やっぱりか」
 ニコニコ。ピコピコ。
 笑顔のお姉さんが、耳を動かしながらいった。
「同じハーフエルフだから、なんとなく気付いてたわよ」
「お姉さん……」
「いったでしょ? 昔を思い出すって。自分がハーフエルフなのを隠して、帽子をかぶって……」
「お姉さんも、その」
 ハーフエルフであることに負い目を感じていたの? いつも笑っていて、暇があれば耳を動かしてる姿からは、信じられなかった。
「どうやって、そんな風に、なれたんですか?」
「んーとね。そんな立派なもんじゃないわよ。いまだって、エルフも人間も大嫌いだし」
 ウフフ。
「——無理に笑うんじゃないの。笑えるものを見つけるの。なるべく一杯。あとは、それをいつでも思い出せるようにすればいいの。簡単よ?」
 笑みを浮かべながら、お姉さんはいった。
「ああ、人間は嫌いいったけど、コレットちゃんは好きよ? 他人とは違う意味、理解してるでしょ?」
 コレットを見るお姉さんを見るカデナ。
「……はい! ありがとうございました!」
「お姉さんは難しいことを考えて疲れました。今度購買でなにかおごりなさい」
 カデナは、目標を見つけたと思った。見えないところで目元を拭う。コレットへ向き直った。
「そういえばコレット、さっきはなにをいいかけたの? 聞かせて」
 目をそらすコレット。
「え、あーうー、改めていうのは恥ずかしいね」
「聞かせて」
 こんなに恥ずかしいことをいうのだ。ちょっと仕返ししてやろうとコレットは思う。
「……カデナはカデナだもん。人間でもハーフエルフでも、盗賊でも商人でもデーモンロードでもカデナは友達だよ」
 カデナの目が細まった。
「……ありがとう。馬鹿。こっちだって、ホビットでも、コレットの身長がさらに十倍あっても友達よ」
「お姉さんは恥ずかしい台詞を聞いて悶絶しそうです。今度購買でなにかおごってあげる」
「いい話クマー」
「泣けるクマー」
「ところでそろそろ放して欲しいクマー」
「よければ協力するクマー」
 クマはまだ握られていた。
 見つめ合ってるコレットとカデナの横で、お姉さんの首がぐるりと横に回る。ニコニコ。
「帰れ」



 それからさらに奥へ進んだ。コレットたちは、森の王がいるという場所までたどり着いた。
 更に大きくなったコレットの行く手を阻むものはなく、比類ない歩幅であっという間だった。
 大森林の中心。古代樹と呼ばれる樹が生えている。驚くべきことにコレットよりやや高い。
 樹齢数千年。神話の時代から生存し続ける、世界に数本しかない大木に対峙するコレット。視線は、根元に向いている。
 緑色の男が立っていた。
 そこへ、フクロウが飛んでいく。肩にとまった。片方の目が妙に大きい。男は、大きい方の目を抉り出した。緑色の視神経。
 抉った目を自分の眼窩へはめ込む男。しばらく押さえ手を放すと、はめ込まれた眼球はぎょろりと動いてみせた。
「ずっと見させてもらったよ。お見事ですぞ。私が新しい森の王。ムックァだよ」
 男は、慇懃に礼をした。
 フクロウが肩から落ちる。既に——おそらくはだいぶ前に——死んでいた。中には、蔦が隙間なく詰まっている。
「君たちが来た理由は分かっているが、安心して欲しい。私には人間を襲う気はない。ガヒャピンを渡してくれれば、いい関係が築けるだろう。えっと……」
「事務員のお姉さん」
「君たちが来た理由は分かっているが、安心して欲しい。私には人間を襲う気はない。ガヒャピンを渡してくれれば、いい関係が築けるだろう。事務員のお姉さん」
 お姉さんが答える。
「……ガヒャピンにこちらを攻撃させておいて、いい関係もないんじゃないかな?」
「ああ、そうか……どうも、彼のことになると論理的思考ができなくて困る。戦闘偏重に造られたからだろうか」
 ムックァは抑えた声で、唸るように笑った。
「だがねこれは本当だ。人間を襲う気はない。——人間だけを、襲う気はない」
 細い蔓が、ムックァから伸びている。気付かれないよう迂回しながら、コレットの後ろへとつながっていく。
「差別せず、すべての種を平等に襲わせてもらう。世界を、我々植物で埋め尽くす。そうしなければならない理由がある……眠れ!」
 話しながらも伸びていった蔓は、コレットの身体を登り、カデナとお姉さんにまで達していた。
 蔦から、分泌液が染み出した。肌から、直接吸収されていく。
「…………」
 しまったと思うこともできず、三人の意識が闇に落ちる。蔦が、体内へ侵入しようと這いまわる。目が、濁っていく。



 ——見慣れた風景が燃えていく。知らない声が、ギチギチと笑っている。知ってる人は、血まみれだったりはんぶんしかなかったりで誰も動かない。
 コレットと、自分の名前を呼んでくれた人ももういない。
 震えが止まらない。歯の根が鳴らないようにするのが精一杯で、村は燃えているのにとても寒く感じて、自分を抱きしめる。抱きしめられる相手は、他に残っていなかった。
 少しでも、この場から離れようとする——小枝が折れた。ケラの無表情な複眼が、じっとこちらを見た。



 ——どこにでもある人間の村。どこでもそうであるように、子供達が輪になって遊んでいる。どの顔も、楽しそうに笑っていた。
 離れて見ていた少女が、勇気を振り絞って自分も入れてといってみる。
 異邦人を見るような視線が、一斉に向けられる。
「……ハーフエルフはだめ」
「母ちゃんが、カデナは“バケモノ”だから遊んじゃだめだって」
 石が投げられる。次々と。
「痛い、痛いよ。やめて……」
「泣いてるぞ。バケモノでも泣くんだな。やーい、やーい」



「————」
 ママが最後にいった言葉は、私の名前だった。抱きしめてくれているママの背中に、斧が刺さっている。
 泣き叫んだと思う。強盗は、パパとママが必死につくりあげた家を物色し、シケてやがるの一言で締めくくると私を娼館に売った。
「七七番、ご指名だよ」
 パパとママの残してくれたものは、名前だけになってしまった。なのに、ここでは名前を呼ばれた記憶がない。時と場合で使い分ける名前はあったが、本当の名前で呼ばれたことは、ない。
 自分の値段が、ハーフエルフということで安いのも知っている。随分長いこと、笑っていない。



「そこまでだ!」
 緑の疾風が駆け抜けた。ムックァから伸びた蔦が、ズタズタに引き裂かれる。



 ——振り下ろされた前腕は、剣士に切り落とされた。ケラが、一斉に押し寄せる。
 剣士はコレットの前に線を引くと、ここから出るなとだけいった。
 ケラの攻撃は、ただの一度も線を越えることはなかった。



「いたいっていってんでしょうが! 止めなさいよバカ!」
 石を投げ返す。
 ……帰り道。もう絶対、頼まれたって遊んでやるもんかと思う。確かに自分は泣いたが、三人泣かせた。トリプルスコアだ。
 断じて負けてないと思う。



 ——昨日、とてもいいことを思いついた。私の名前は、パパとママと私だけの秘密にしよう。心の奥の宝石箱に入れて、たまに眺めるものにしよう。
 すごく素敵なことに思えた。
「なんだ姉ちゃん、笑えるんじゃねえか。可愛いぜ……なんて名前だったっけ?」
 隣で寝ている男の声。——思わず鏡台を見る。



 コレット、カデナ、お姉さんの意識が戻る。
「大丈夫かい? ……下がってて欲しい。アイツとの決着は、僕がつけたい」
 蔦を引き裂いた緑の疾風は、コレットの肩で腕組みして立っている。
「クク、ククク。そちらから来てくれるとは丁度いい。兄上」
「トゥッ!」
 コレットの肩から飛び降りムックァの正面に着地すると、ガヒャピンは一分の隙もない構えを見せた。
「森の王? どうやってここに……」
 カデナは見た。ガヒャピンの手首には、エネルギーボールが一つも残っていない。
「おやおや、これでようやく私と同じですね、兄上ぇ」
 ムックァは嬉しそうに自分の手を見せる。そこにエネルギーボールはない。
「森の王……兄上って、一体」
「説明させてもらうね」
 カデナの問いに答えたのはガヒャピンだ。
「大森林の王は、二百年周期で古代樹から生み出される世襲制」
「新しい森の王が生まれれば、古い森の王は古代樹へ還るが定め」
 ガヒャピンとムックァは、交互に言をつむぐ。
「でも弟は……ムックァは違う。混沌の大蜘蛛の侵略に、危機を感じた母上——古代樹が臨時に生み出した、戦闘能力だけを重要視した森の王」
「そう。ゆえに私は大地の恵みを、エネルギーボールを持っていない」
「本来は蜘蛛が倒れた後、役目を終えたムックァは古代樹へ還るはずだった。森の王を短い周期に産んだ反動で、力が衰えていた母上を救うためにも」
「だがね兄上、私は不完全な生命のまま消える気になれなかったのだよ。戦うために造られたのなら、自我などない方が楽だったのに! 恨みます! 母上!!」
「…………」
 ガヒャピンはおし黙る。
「私のようなものが再び生み出されないよう、第二の蜘蛛が現れないよう、植物で世界を埋め尽くす必要があるのですよ!」
「それが謀反の理由か!」
「言葉を尽くしても兄上には分かるまい! 今度は勝ってみせる!」
 古代樹の枝から、無数のなにかが翔び立った。ワイバーン!
 翼をひろげ、ゆっくり降りてくるワイバーンの大編隊。全ての体内が蔦に浸食されている。
「——————!!」
 声帯を侵されているのか、口は開けど声は出ない。大量のワイバーンが一斉に声のない叫びをあげる。しかし確かにそれは咆哮だった。空気が震え、威圧感が吹き付けてくる。
「止めてみせる!」
 ガヒャピンが跳んだ。ムックァは全身から蔦を生み出し迎え撃つ。
 蔦ワイバーンの群れは、コレットにも殺到した。
「本当なら学校まで引き返すところなんだけど、ちょっとそういう空気じゃないわねえ」
 お姉さんの投げ縄が縄ワイバーンの首に掛かる。そのまま縄を操り、空中で別の個体に激突させた。
 縄が持って行かれそうになって、手を放す。端はコレットに結びつけているので大丈夫。
「“火炎放射”」
 もつれた蔦ワイバーンを炎が包む。からまり、燃えながら墜落していった。
「植物だけあってよく燃えるわ。もう一発!」
 詠唱するカデナの死角から迫る蔦ワイバーン。
 気流を乱し、コレットの手が航路を遮った。突然空中に現れた壁——手の甲に激突した蔦ワイバーンは首が変な方向に曲がる。そのまま落ちていったが、途中で体勢を整えると飛び続ける。首はだらりと下がったままだ。
「えっと、えっと……」
 カデナとお姉さんを守りながら、コレットはどうしようと思う。守りやすいように、二人には固まってもらった。上に手をドームのように広げ、後ろから攻撃が来ないようにする。手は、二人を覆ってまだまだ余裕がある。
 ところでさっきから肌のあちこちがチクチクする。蔦ワイバーンが噛んでいるのだ。痛くはないが、くすぐったい。服越しの攻撃は、感覚することもできない。現在のコレット守備力・伝説の鎧数百個分。
 とりあえず近くの蔦ワイバーンを摘んでみた。蝶をつかむように、羽を合わせてみる。
 ……竜は体をよじるだけで、それ以上のことはできないようだった。現在のコレットちから・熟練戦士数千人分。
 次に、腰の道具袋をあけて竜を入れてみる。蓋をしてしばらく様子を見ても、出てこれる様子はなかった。
「これなら」
 コレットは、次々ワイバーンを捕まえていく。現在のコレットぶくろ・ワイバーンが百匹入る。



 ムックァから放たれる蔦を徒手空拳で切り裂きながら、ガヒャピンは縦横に走る。
 蔦を避け跳躍すると、空中で体をひねり木の幹へ着地。膝の屈伸で蹴り上げる。地面と水平に高速で跳べば、みるみる詰まるムックァへの距離。
 ガヒャピンの進む先の地面から蔦が一気に生える。格子状に絡まり、ガヒャピンの突撃を止めさらに捕獲しようと待ちかまえる。
 ガヒャピンは足を地面に振り下ろした。地面へ垂直に突き刺さる足。無理やり勢いを殺すと、手刀一閃。一気に蔦をなぎ払う。
 その間に、蔦に自分を運ばせ移動しているムックァ。せっかく詰まった距離が、また開いてしまった。
 ガヒャピンは、自分の間合いに入ることができずにいた。
「さすがにやりますね、兄上。まだ本調子じゃないんでしょう?」
 ガヒャピンを、体の中から蔦で操ることはできない。だが、蔦に捕まれば強力な催眠効果がある分泌液を流し込まれることになる。先日は隙をつかれた。
 蔦がより集まる。八本一組の巨大な蔦が、鎌首を持ち上げる。しなり、打ちすえようと放たれた。
「チャレンジ!」
 ガヒャピンは手刀で切り払うが、八本中七本を切ったところで手の勢いが完全に殺されてしまう。
 残った一本が、ガヒャピンの体を狙って伸びる。足が消えた。キック。破裂音がして、蔦が弾けとぶ。
 八本組の蔦は、更にもう一本迫ってきていた。何度でも迎撃すべく構えるガヒャピン。
「散れ!」
 ムックァの声で蔦はばらける。ガヒャピンの眼前で分散し、包むように拡がり進む蔦。
「クッ!」
 たまらず後ろに跳ぶ。ムックァの目が細まった。ガヒャピンの後ろからはワイバーンが口をあけて迫撃している。
「クマー!」
「話は聞かせてもらったクマ」
「よくも騙しやがったなクマ」
「やっつけるクマー」
 クマが突っ込んできて、蔦ワイバーンに次々体当たる。ワイバーンは、木にぶつかるまで慣性した。
「これがクマたちの実力クマー」
「あのデンドロでかいホビットの娘さんが変だっただけクマね」
「そうクマそうクマ」
「この調子でエト入りを目指すクマー」
 クマー。土煙をあげて、クマがムックァへ突っ走る。
 縦一列になって突撃。蔦が唸りをあげて伸び、先頭のクマを放り投げる。
「クマー」
 先頭が蔦に投げられても、残り三匹のクマが突っ走る。距離が詰まる。
「クママー」
 二番目が蔦に投げられても、残り二匹のクマが突っ走る。距離が更に詰まる。
「クマママー」
 三番目が蔦に投げられても、残ったクマが突っ走る。もうムックァへ届く!
「クママママー」
 四番目がムックァに投げられる。五番目に並んでいたガヒャピンが、ムックァに肉薄した。
「……兄上ぇ!」
「許せ!」
 拳は、ムックァの中心を確かに捉えた。
 吹き飛ぶムックァ。体から伸びていた蔦が、次々ちぎれていく。
「まだまだぁ!」
 とばされながらもムックァから大量の蔦が新たに生える。その数これまでの倍以上。蔦は次々地面へ突き立つと、ムックァの体を固定した。
 蔦に支えられ、ムックァは高くからガヒャピンを見下ろした。
「こしゃくな真似をする……だが、もう同じ手は……な、ガ……ァアアアア!」
 ガヒャピンの拳が当たったところから、煙が吹き出していた。
 根本から先端へ、蔦が、順にしおれ枯れていく。
「なにを……一体なにをした、兄上ぇ!」
「……森の王には、代々伝わる技がある」
「なにをいって……」
「葉緑素を暴走させ、拳にのせて射ち込んだ。打ち込まれた悪性の葉緑素は、体内の葉緑素を浸食しながら爆発的に増殖……その過程で、すべてのエネルギーを食い尽くす。誰にも、止めることはできない」
「…………なぜ……な、ぜ」
「蔦に打ち込んでも切り離してしまうだろう。本体に打ち込む必要があった」
「そんな、こと、は……」
 聞いていない。自分は、森の王に伝わる技があるということを知らなかった。自分は、自分は……なんだったというのだ。
「……すまない」
 ガヒャピンも、ムックァの言葉の意味は分かっている。——できれば使いたくなかった。弟の気持ちを知ってからはなおのこと。だが、使わなければ、負けていた。
「……あに、う。え………………母上」
 ムックァが枯れていく。
 空から、蔦ワイバーンが、次々と落ちてくる。ムックァが、こときれた証拠だった。
「……すまない」
 ムックァだった蔦の塊に、もう一度ガヒャピンは謝る。
 ガヒャピンの拳からも煙が出ていた。この技は、使ったものの体さえ蝕む。一年は、使い物にならないだろう。
「……」
 役目を終えたら消えるはずだった命は、他の生き方を選ぶことができなかった。
 ムックァへ手を差しこむガヒャピン。無言で手を抜きとると、緑の水晶を掴んでいる。
 ガヒャピンは、古代樹にひざまずいた。
「母上……弟の“種”を、お返しします」
 捧げられた水晶が光り、浮き上がると古代樹へ吸い込まれていった。
 ——ドクン。
 古代樹が鳴動した。全体が淡い光を帯びる。
「母上……力が、力が戻ったのですか母上」
 ——ガヒャピンと、冒険者の皆さん、ありがとうございます。
 古代樹を包む光が、人型になってゆく。
 肌が緑の女性の姿。腰より下が埋まっているが、それでもコレットより大きい。
「ドライアド……」
 木の精霊の名前を、カデナはつぶやいた。精霊の、閉じていた目が開く。
 ——Pちゃんと、お呼びください。
 よく見ると、Pの髪留めをはめていた。
 ——なにもできませんでしたが、全て見ていました。この度は、私の浅慮からこのようなことになってしまい、本当に申し訳ありません。……ムックァにも、悪いことをしてしまいました。
「自分にも、至らない点がありました。弟の気持ちを、もっと早く理解するべきでした。……母上、ムックァは——」
 ——分かっています。次の森の王として、生まれ変わらせましょう。
「おぉ……また会うときが、楽しみです」
 ——皆さんにも、改めてお礼をいわせて頂きます。この森は、以降皆さんを傷つけることがないでしょう。
「照れるクマー」
「それほどじゃないクマ」
「ついでにエトにもして欲しいクマー」
「あとさっき奪われたゴールドも返して欲しいクマ」
 古代樹から、クマに向かって金ダライが落ちてくる。——いい音がした。体は地面に打ち込まれ、頭だけ出ている。仲良く気を失っていた。
 クマには目もくれず、Pちゃんはコレットに微笑んだ。
 ——お礼の品を差し上げたいのですが、なにがよろしいでしょうか? 大地のオーブでよろしければ、千年前に漬けこんだのがいい感じにできあがってるかと思いますが。
「大地のオーブ!?」
 コレットの声が裏返る。
 ——魔法のリンゴと魔法のメロンと魔法のバナナの詰め合わせもありますが。おかげさまで大変ご好評を頂いております。
「え、本当に?」
 カデナの瞳が輝く。
「待って二人とも」
 お姉さんが二人を制す。
「それじゃあ、間をとってPちゃんとのデート券ください」
 ——いいんですか?
 ——よくない。
 コレットとカデナはお姉さんを見る。目で訴えかける。お姉さんは二人の顔を見て、大きく深くうなずいた。
「いいんです。ください。あげたら、急に惜しくなっちゃって」
 ガッカリ。
 ——……はい。分かりました。私なんかでよければ——
 古代樹の葉が三枚、それぞれの上へ降ってくる。

 なんと Pちゃんの デートけんを てにいれた。

 デート券と書かれていた。有効期限が八百年先になっているのがなんとも気が長い。
 ——森のあるところなら、地脈をたどっていくことができますのでよろしくお願いします。
 そんなこといわれてもどうしよう。
 とりあえずしまおう。コレットが道具袋を開けたら、蔦ワイバーンの死体がいっぱい入ってた。

持ち物
a)——————————
b)——————————
c)——————————
d)——————————
e)1つのじむいんのおねえさんとのデートけん
f)14つのワイバーンの死体

 蔦の飛び出た眼窩とコレットの視線が交差する。アゴに収まりきらない舌が、べろりとはみ出していた。
「ひゃぁぁあ」
 ——クスクス。
 Pちゃんは声を抑えて笑う。
 ——失礼。その、可愛かったもので。貸して頂けますか?
 手を差しだすPちゃん。「これを?」と道具袋を指さすコレット。頷くPちゃん。
 おずおずと、蔦ワイバーンをPちゃんの手に移しかえるコレット。Pちゃんの手に乗ると、ワイバーンというかただのトカゲに見えた。
 しばらくすると、十四匹のワイバーンがPちゃんの手に積み重なっている。
 ——それでは。
 Pちゃんは目を閉じた。
 ……Pちゃんの肌へワイバーンが沈んでいく。泥へ沈むように、ズブズブと。
 手の厚みよりずっと高く積み上げられていた山を苦もなく飲み込むと、肌にはなんの痕跡も残っていない。
 ——土に還しました。彼らもまた、新たな生命の礎になってくれるでしょう。
「なんでクマたちの首から下が埋まってるクマー?」
「フグ毒にあたった覚えはないクマー」
「このままじゃ土に還っちゃうクマー。助けて欲しいクマー」
「ギブミーチョコレートベアー」
 ——本当にありがとうございました。あなた方の踏む土が、豊かでありますように。
 Pちゃんの姿が薄れはじめた。
「無視されてるクマー」
「 無視されてるクマー」
「  無視されてるクマー」
「   無視されてるクマー」
「「「「無視されてるクマー」」」」
 輪唱しやがった。
 Pちゃんの額に、十字の血管が浮き上がる。人差し指と中指を親指で押さえる特大のデコピンをつくると、クマの前に降ろす。
 Pちゃんのデコピンに比べると、クマの頭はごま粒のようである。
 ……弾いた。
 ひとかたまりのまま、辺りの地面ごと空高く飛んでいくクマ四匹。
「クマー!」
「我ながら新種のモンスターみたいクマ」
「この展開は光ると思うクマ?」
「光るものなんじゃないクマ?」
 キラーン。
 光った。
 クマが埋まっていた部分をたいらに直しつつ、なにごともなくPちゃんは頭を下げた。
 ——それでは、また。帰り道は、わたしの子供達をなるべく踏まないようにお願いしますね?
 Pちゃんは、笑みを浮かべたまま薄れていった。コレットの後ろで、木が左右に分かれ道を造る。
「今度のチャレンジは大変だったよ。みんなのおかげだ、ありがとう」
 帰り道。ガヒャピンに見送られ、コレットが歩く。
 古代樹の葉が、さわさわ鳴った。
 コレットの通ったあとを、森が動いて消していく。カデナは、コレットの首によりかかって寝てしまっていた。
 月が終わりかけ、朝日が差しこんだ。太陽と月が半々の球。
「あの……お姉さん」
「なに、コレットちゃん」
「そろそろ、元に戻してくれると嬉しいんですけど」
「いいじゃない。むしろ二、三日このまま過ごしてみない?」
「いやですよう」
「うーん。じゃあ妥協。コレットちゃんが学園を見下ろして、こんにちはおちびさんたちっていったら元に戻すってことでどう?」
「えー……それもちょっと」
「もう。ゴチャゴチャいうと戻さないから!」
「そ、そんなー」
 ……結局いわされました。リテイク四回(ポーズがなってない。途中でどもらない。声が小さい。感情がこもっていない)。



 閉幕。