「はい、それでは皆さん準備はいいですか?」
 2キロ×2キロのグラウンドの中央に私たち候補者は横列で並んでいる。
 教官が一人一人の顔を確認し異常がないことを確認すると、最初にいったことををもう一度繰り返す。
「あなた達の中で、現総理大臣笹森首相より大きくなることができる人が居たならば、明日から彼女は総理大臣になるでしょう」
 私はチラッと足元を見た。グラウンドの中央、私たちの並んでいる地面の下には、巨大な足型が二つ並んでいる。
 サイズでいえば30メートル。身長200メートルの現総理の足跡。二年前、彼女がここではじめて巨大化したときの記念に型として残しているものと聞いている。
「はい、それでははじめてください」
 教官の声。私は内心ため息をつき、目を閉じると胸の前で手のひらを絡みあわせた。
 事前に飲んだ錠剤と精神とが複雑に作用しあい、身体がそれに対応して大きくなったりあるいはそのままだったり。説明は半分くらい聞き流していたがたしかそんな内容だった、気がする。
 ——別にこんなことしたくないのになあ。
 総理大臣なんてならなくてもいい。むしろなりたくない。もうじき教育実習だって控えている。
 こんな試験へ勝手に私の名前で応募した沙代子の顔を思い出すたびに、そのおでこにデコピンをしたくなる。
 そもそもなぜ試験前にいちいち白ビキニなんて着なくてはならないのか。ミスコンではないだろう。理論上は無限に伸びる新素材? なら胸の部分が少しきつい理由を説明して欲しい。……少しハミでてるし。いや、そりゃあ平均より結構大きいほうだけど。ムカムカムカ。
 そして暑い。異常気象め。絶対30度を越えている。こういう日はチョコレートパフェが食べたい。甘味館のひとつ1500円するやつを。ハーヴェストとチョコレートの混ざり合ってる部分を口に含んで舌の上で転がしたい。そうだ、沙代子の奴におごらせよう。それがいい。そして対面に座った沙代子の隙を見てデコピンをしてやるのだ。
 ……なんか足元のほうが騒がしい。そういえばもう5分は経ってるはずだ。目を開けてもいいだろう。どうせ私みたいなやる気のなさと考えでは身体が大きくなってもいるわけないだろうしつまり総理なんてなれっこないし、目を開けて「やっぱり駄目だったか〜」っていって舌を出して笑って帰ろう。

 目を開けた。
 なにもなかった。耳鳴りのしそうな静けさ。
 草原が地平線まで広がっている。
「………………?」
 足元からなにかピーチクパーチク聞こえてくる。
 そちらを見ると、1センチの大きさもないような小人が数人、自分を見上げてなにかを叫んでいる。
 嫌な予感を感じつつ、そーっと足をどけてみた。現総理の残した30メートルの足跡は、私の土踏まずの下に完全に隠れていた。
「ウソ…………」
 舌は出さなかったが、開いた口は広がらなかった。

 身長2キロメートルの総理大臣の任期が始まった。

 2ヶ月後。
 首都。数百メートルの超高層ビルが乱立する中心部に、不釣合いと不自然を足して割ったようなものがある。脚の高さだけでどんなビルより高い超巨大な椅子。赤いシートと金色の外枠で装飾された、テレビで見る王様が座っているような豪勢なものだ。
 そしてそれに座る身長2キロの女の子。肩にかけられたタスキには『第98代目内閣総理大臣』と、一文字の縦横がおよそ70メートルの大きさで女の子の身分が書かれている。
 白ビキニに身を包み、肩から幅百メートルのタスキをおろしたその姿はミスコン優勝者そのものだが立派な(そして歴代最大の)内閣総理大臣だ。
 座っても頭の高さは1キロを余裕で越えるその姿は、半径数十キロの範囲から見ることができた。


「総理、総理!」
 耳の奥につけられたインカムから秘書の内藤さんの声がする。
「あ、なんでしょうか?」
 国会議事堂は私の足元にあるが、総理になってから一度も入ったことはない。手のひらに乗るような建物に入る方法なんてないので、当然といえば当然なのだけど。
 国会議事堂の中からの声がインカム越しに聞こえてくる。
「ビル解体のお仕事です。総理の右手、800メートルくらい——失礼しました。総理の感覚で言えば60センチ程度行ったところに服を着た猫の看板をつけたビルがあるじゃないですか?」
 内藤さんがいっている場所に目を凝らす。……虫眼鏡が欲しくなった。
「ちっちゃくて見えませんよう」
「あるんですよ。どうにかしましょう。とにかくですね、そのビルをどけて公園をつくることになりました。今からスタッフが合図を出しますので、そのビルの解体作業をお願いします」
「はぁ……」
 しばらく待っていると、さっき目を凝らした辺りの一角が赤ランプで点灯を始めた。なるほど。その辺りを中心にさらに目を凝らすと、かろうじて猫と判別できる看板を屋上に乗せたビルを確認できた。10階建て。40メートルといったところだろう。
 私とビルとの間の距離。800メートルは椅子から身を乗り出して手を伸ばせば余裕で足りた。前かがみな姿勢のため胸の谷間が強調されるのが気になる。早めに終わらせよう。
 人差し指をビルの屋上に、乗せてほんの少しだけ力を垂直に入れた。
 包装材のプチプチを潰すよりもあっけなくビルはくしゃっと潰れる。特に抵抗も感じず、指先が3センチほど沈み込んだというような感覚しか感じなかった。
 ——実際には、その場所はクレーターになっていたのだけれど。
「ご苦労様です総理。次のお仕事です。I湾でタンカーが座礁して油が流れ出てるので、タンカーの引き上げと油処理の補助をお願いします」
「はぁい」
 これは総理の仕事なのだろうかと思わされることもある。
 今年の夏には総理の力を利用した新しい発電所が完成するとか。この手回し発電機で理論上は100万世帯分の電力を供給できるらしい。
「……」
 複雑な思いが頭をよぎる。でも自分がやれば他の人がやるのに比べてあっけなさすぎるほど簡単にこういった作業は終わるのだし、そういうものなのだと弟98代内閣総理大臣の私は思うようにすることにした。
 おっかなびっくりI湾までいって(慣れない頃は色々と壊して大変だった。レインボウブリッジはまだ直っていない)、波を立てないようそっと海に足をつけてしゃがみこむ。
 近くにあった灯台は、比べるまでもなく私の小指より短いし細かった。
 わき腹を空に見せて横転していた、メダカのような大きさの某国タンカーを壊れないようにそっと摘み上げ、陸の上においた。これで油はもう海に流れ出ない。
 左手で枠を作り油がそれ以上拡散するのを防ぎ、私が一歩で来た距離を何分かかけて進んできた作業船がその枠の中で油を片付けるのを見ていた。ちょこまかと船上を動き回ってるのが分かる。がんばれがんばれ。作業員の人がたまにこちらを見上げて手を振ってくれたので、笑顔で返した。
 以前同じような作業をしていたときはうっかり枠を作っていた手を動かしたらできた波で作業船をひっくりかえしてしまったので、今回は手を動かさないように注意する。
 転覆した船から放り出された作業員の人を、潰さないようそっと差し出した指先に捕まってもらってことなきを得たことを思い出した。
 そしてその週の週刊大衆誌の見出し。『総理、タワーにつまづいてコケる。首都圏の被害甚大』を思い出した。決して再びドジを踏むわけにはいかない。
『総理、某国大使を掌上からくしゃみで吹き飛ばす。大使重症』『総理、日照権問題で訴訟を起こされる。個人としては世界初』『カメラは見た。総理(胸)が戦車主砲を弾力で跳ね返す瞬間』
 思い出さないようにしようとすればするほど、頭の中がこれまでの思い出で埋まっていく——影に隠れて不正はできないなあ。
 加えてそういった見出しに併せて乗る写真は、私はグラビアアイドルですかといいたくなるようなポーズのものばかりだ。大勢に見られるのは段々と慣れてきたつもりだったがそういうことをされるとやっぱり恥ずかしい。
 ジャンボ機が座ってる私の胸の前を飛んでいくのもなんか恥ずかしい。意図的なものを感じる。外人が窓の外の私の胸を見て「オー フジヤマ!」とか叫んでるらしいし。
「あーもー、今度増税してやるんだからあ!」
 右手を握り締めながらいってやった。
 ぐしゃり。
 変な感覚。右手は地面の上、海岸においていた。そっと手を開くと私の手は土を握り締めており、海岸線を見るとまるで私がそこから土をむしり取りでもしたかのようにこぶしの形に地面がなくなっていた。
 突然開いた巨大な空白に、海の水がナイアガラの滝のように勢いよく流れ込みはじめる。
「えーっと」
 とりあえず手の中の土を脇においてみたら、タンカーが何十隻かあったら運べるかなあくらいの量の土だった。
『総理、海岸線を書き換える』
 後で聞いた話だと、地層も何層かまとめて握っていたらしい。
 ナウマンゾウの化石がでてきたとかでてこなかったとか。

 最近の夢は、沙代子におもいっきりデコピンをすること。そう、おもいっきり。
 ああ、遥かなり教育実習。