空は高く青く広く、真南に昇りきった太陽からは陽光が刺されとばかりに降り注いでくる。
 耳を澄ますと、海鳥の泣き声が遠くから聞こえてきた。
 視線を横に向ければ海の青と空の青が交じり合った水平線。現在地・倉本市、橋元海岸。
 視線を下に向ける。一粒一粒まで熱を孕んだ砂——ではなく、人肌のぬくもりがそこにあった。
「……やれやれ」
 手にしたモップをバケツに突っ込む。中身が飛び散るが、まあ気にしない。
「和馬、終わった〜?」
 俺への問いかけは前方数十メートル向こうから聞こえてきた。
「そう簡単に終わるか馬鹿。自分の大きさを考えて言わんか!」
 足元にモップを投げつけた。
 現在地・倉本市、橋元海岸。に寝そべった、身長158メートルに成長した幼馴染み・倉本 ひかりの
背中の上。
 遊泳地の砂浜を窮屈そうに占領しているその肢体。ひかりの水着作成にあたり、資金を提供した
倉本市はビキニ水着は経済性から見た場合、最も有効であるということを学んだ。繊維業界も喜んだ。何故かお父さんお兄ちゃんも喜んだ。

 サンオイルを満載したバケツとモップとともにひかりの背中に文字通り放り出されて1時間。
 校庭よりも広そうな背中の五分の一もオイルは塗れていなかった。
 ——そもそもガスタンクの爆発に巻き込まれても無傷だった女に紫外線が効くのかどうか疑問が
残るのだが。とりあえず、今のところはオイルを塗った部分とまだ塗っていない部分に太陽光による差は見えない。
 そもそもなぜに俺が、こいつの背中にオイルを塗らねばならないのかと考える。
 考えるついでに視線をひかりの足首の方に回す。ちなみに現在地は背中の真ん中辺り。俺の前方にはしばらく
ひかりの腰が続き、十数メートル先からは大きく地面が盛り上がっている。ひかりの尻である。
 ビキニに包まれ、晴天の下、整った形を惜しげもなく披露している。ビキニ布地の微妙な歪曲がああ地球は
丸いのだと教えてくれる。
 そこから生えた両足は長々と砂浜を占領している。寝ている状態の足の高さですら街灯よりも相当高い。
 足首の先にある足は、片足だけで25mプールより大きいことが実証されている。その指一本でも何人かが
手をつないでひと囲みできるサイズだったはずだ。
 今度は視線をひかりの頭の方に向ける。体格的には華奢といっていい体格なのだろうが、サイズ的に見るとその
言葉はまったく似合わないものなのだと思わされる。
 ビキニ紐の背中への食い込みが、この水着はわずかにキツそうだという印象を与えてくる。
ひょっとしたらまだ身体か胸が大きくなっているのかもしれない。
 そしてひかりの頭がある。かつてつむじを見下ろして話したその頭は、現在長さ24m、幅16mになっている。
 寝そべった状態で校舎の屋上にいる俺を見下ろせるような巨大さに成長した幼馴染みか。
「まったくなに食ってやがるんだこいつは?」
「ん〜? なんか言った?」
 ついつい口を出た疑問にひかりが反応した——何故か耳はいいんだよな、こいつ。実に不思議だ。
「なんもいってねえよ。空耳だろ?」
「ん〜。確かに聞こえたんだけどなあ」
「きっとあれだ。大宇宙の意思って奴だ。もしくは若年性痴呆だな」
 空を指差し、頭を指差し俺は言う。
「ひょっとして馬鹿にしてる?」
「いいや。でも俺の言ってることが理解できないならお前を馬鹿といわざるを得ないだろうな」
「む〜……」
 身体が大きくなったところで言い合いの強さが変わるわけでなし。目下勝率は9割5分を下回ったことはない。
「和馬はチビっちゃいんだからもっと頑張らないとオイル塗り終わらないよー」
 『チビっちゃい』
 かつて小学校の頃、当時身長が平均を大きく下回っていた時代にひかりに対して多用してい
た言葉だ。
 小馬鹿にしたようなニュアンスを伝える発音を入れるのがコツなのだが、ひかりは俺にチビっちゃいと
言われ続けてきたことで完全にその発音をラーニングしていた。世が世なら青魔導師になれたかも
しれない……随分でっかい青魔導師だな。塔の攻略や攻城に大活躍しそうである。
 負け惜しみなのだと分かりつつもなんか腹が立ったので、とりあえず足裏で思いっきり背中を蹴り飛ばしてやった。
ほんのわずかに足が沈み込み、弾力・体温が伝わってくる。そのままぐりぐりと足を動かす。目的はひかりの
背中の蹂躙。手加減なしにひかりの背中(のごくごく一部)を踏みにじる。
「……? え? ごめん。なんかやってる?」
 ——このアマ。分かっていたことではあるもののこうまで効果がないと少し悲しい。
 「なんにもやってねえよ!」
 俺はモップを手に取った。
 かくも不毛なオイル塗りなんてとっとと止めて砂浜へ行って灼けた砂を踏みたいのだが、なにしろライフセイバー
常駐の監視台よりも高い場所にある背中の上に今俺はいるわけで。
 ひかりいわく「サンオイルを塗り終わったらおろしてあげる」とのこと。随分ありがたいことだ。
 今度隙を見て靴下に穴を開けてやろうと心に決め、今は自由のために手を動かすことにした。黙々と。黙々。黙々。
「ねえ和馬?」
 黙々。
「和馬?」
 黙々。
「和馬? いるんでしょ? そこに」
 その通り。左右の肩甲骨の真ん中くらいに俺はいる……ひかりのスケールでは「重さ」で俺を認識できない
んだろうか? 黙々。
 ひかりの声に真剣さが加わる。
「和馬? ひょっとして落ちちゃった?」
 予想外の展開だがちょうどいい。心配させてやろうと思い、ここでも返事をしない。
「……」
 うつぶせで寝ている状態から、おそるおそるゆっくりとひかりの首が背中の方に向いてくる。
 それに伴い、ひかりの背中が、ゆっくりと、傾斜して……
 状況を理解した俺はビキニの胸当てを背中で留めている帯にしがみつこうとしたが、
わずかに遅かった。傾斜してゆくひかりの背中を、ウォータースライダーはだしの勢いで俺は滑り落ちる。
 帯をつかもうとした手は虚しく中を掴み、俺が黙々とオイルを塗ったヌメヌメさを肌で感じながら滑り落ちてゆく。
 俺の胸が腹が下半身が、ひかりの背中の肌と擦れあいながら落ちてゆく——胸への刺激が割と気持ちよかったのは秘密だ。
 ノンストップで、ウェストの裏側辺りにある背中のくぼみまで一気に俺は滑り落ちた。
「和馬? 本当にいないの?」
 首を後ろに向けたはいいが自分の背中なんてそう簡単に見えるもんではない。ひかりはまだ俺を捕捉していなかった。
 このままだと膝立ちになって地面に俺が落ちていないか探しかねない。
 いまその体勢になられると、俺はひかりの背中から落ちてしまうことになる。実に本末転倒だ。
「ここにいる! いるから動くな! フリーズ。フリィィズ!」
 ひかりの頭に向かって叫んだ。
「……え? う、うん」
 ひかりの動きが止まる……背中の傾斜を保ったままで。
「悪い。動いていい。いいからさっきまでの姿勢に戻ってくれ。そしたらもう動くな」
 背中の傾きが元に戻っていく。さっきまで俺が立っていた部分——肩甲骨の間——は結構向こうにあった。
 ——これだけ移動してもひかりの背中の上なのか。新鮮な感覚に驚いた。
「とりあえずは和馬が落ちてなくてよかったよかった。でも、返事くらいしてよね」
 じゃあ乗せるな馬鹿。穴を開ける靴下は二足にしようと決めた。


 一時間後。
 30分前に背中のオイル塗りを終わらせた俺は、なぜか仰向けになったひかりの腹の上にいた。
 ようやくオイル塗りを終わらせた俺にひかりは笑顔で言い放ったのだった。
「今度はお腹の方もお願い」
 当然俺は拒否権を発動しようとしたが、ひかりのニ本の指にさえ抵抗することはできずに腹の
上に放り出されてしまったのだった。世ろn……人の意見を力で抹殺できる日がいつまでも続くと
思うなよこの野郎。
 背中に比べて脂肪分の多い腹上は、ぷにぷにしていて踏んでて結構気持ちいい。この踏み心地は金を
とれるんじゃないかと思った。歩いてて楽しいので、モップかけも軽快に進んでいるのだが、
「あんまりじろじろ見るなこの野郎」
 この体勢は、さっきまでとは違いひかりが見ようと思えばいつでも俺を見ることのできる姿勢だった腹ただしい。
 ひかりはさっきからなにやら嬉しそうに俺の一挙一投足を全部見ていた。
「だってちゃんとやってるか気になるじゃない」
「そんなに人が信用できないなら自分でやればいいだろ」
「いいの! 私はやって欲しいの!」
 ……? やけに早口になって反論するもんだ。心なしか頬もわずかに赤い気がする。
「それに……えっと」
 なんだ?
「ううん。なんでもない。えー、あー、ほらあれよ、私の身体の上でちょこちょこ動く和馬ってなんか可愛いなって」
 ……可愛い言われてもなぁ。だが、不思議に悪い気はしなかった。雰囲気とか、仕草とか、そういう
もののせいかもしれない。
 ついでにひかりの腹の上からひかりの顔を見ると、胸の膨らみをよく観察できるからかもしれない。
 ——体格の割には大きいんだよな。
「ちょ、ちょっと、どこ見てんのよ!」
 俺の視界を壁が遮った。ひかりの手の平だ。電柱よりも高くガードレールより幅広な大きさの手の平が
勢いよく降ってきたのだった。危うく潰されそうになったのだが、もし潰されていたらそれは腹上死って
ことになったのだろうか?
 潰されはしなかったものの衝撃の反動でくぼみに——ひかりのへそに挟まった。
 ……このくぼみでさえ風呂桶にもなりそうな深さだった。
 へそにはまった俺がもがくと
「く、くすぐったいって、やめ、やめて……プ、フフ……」
「揺らすな。出れないだろ」
 どうやら急所だったらしい。忘れないでおこう。
 面白いので、あえて出ないでへその中でもがいてみる。おお、笑いをこらえてるのが振動で分かった。
 絶対忘れないでおこう。
 その後、しっかりと鎖骨までオイルを塗り終わった(胸は塗らせてもらえなかった)。
「よし、終わったぞ。一刻も早く俺を解放しろ」
 解放はされなかった。さて、捕虜の扱いについて文句をいうのはどこだったかなと。

 現在、俺はひかりの太股に挟まれている。
 曰く「ペナルティ」らしいが「どれに対しての?」と訊かなかった自分を誉めたい。恐らくは
三日前の件だと思うのだがこういう時は下手につつかない方がいい。
 俺の身体の左右は片方だけでもビルより太い太ももによって抑えつけられていた。
 ビルより太いといっても大根足というわけではなく、すらりと伸びている脚だ。身体との比率で
言うならば、細め。ついでにいうとビルより柔らかい。独特の弾力性を持っている。
 俺がもがいてもびくともしない。ビルもどうにかできない俺がビルの外壁を大幅に擦り落としても
傷一つつかなかったひかりの太ももに抗おうなどとは間違っていたのだろうか。
 下のほうを見るとビルの屋上よりも高い位置からの眺めだったりする。
 そしてさっきから描写がビルに依存している気がした。
 巨大ではあるが、肌は繊細だ。トランクスタイプの海パンだけをつけた俺の全身にシルクのような
肌触りが伝わり、それ以上滑り落ちない程度の圧力がかけられてくる。
 肌が擦れる感覚とひかりの熱が心地いい。これならもし俺がビルをどうにかできたとしても
逃げなかったかもしれない。
 大分岸が遠くなってきた。ひかりは俺をももに挟んだまま沖のほうへ沖のほうへと歩いていた。
 俺を太ももに挟んでいるので膝から下だけで歩いているようなかたちになっている。
 現在海面はひかりのすねあたりまで達していた。水深20mを越えているだろうか。
 巨大な脚が大波小波ををざぶざぶざぶざぶ掻き分けて進んでいく。ものともしていない。すねあたり
までしかない水深を考えれば当然ではあるが、ひかりにとって指の先から第一関節までのサイズ程度
しかない俺から見ると迫力のある光景だ。
 ひかり自身は近くを船が通っていないか注意しながら歩んでいる。ただ歩いただけの余波で転覆した
のでは船が哀れすぎる。俺への注意が散漫にならないことを祈るだけだ。
 仮に俺を抑える力が弱まってこの高さから落ちれば、下が水とはいえ致命的であるし、ひかりの歩みに
よってうねりが激しい海に落ちれば浮いてくるのも難しい。
 ほとんど力も必要なしに人間をももに挟んだ状態に保ち、太ももからすねまでの高さだけで人が落ちたら
死ぬような大きさを持っているのが俺の幼馴染みなのだと、改めて認識した。
 沖へ近付くにつれ、段々と水面が近づいてきた。海がひかりの脚にかき回され、大きなうねりを見せている。比較するもの
がないので分かりにくいがあの渦ひとつで漁船の二つ三つは楽に飲み込めるはずだ。
 更に水面が近づいてきた。ひかりの膝は既に完全に水中に没している。なんだか「ペナルティ」とやらの
意図が見えてきた。ひかりの歩みが止まる。海面は俺の下、数メートルまで迫っていた。
 間。
「沈む?」
 即答。
「沈まない!」
 絶対こいつはいまいい笑顔をしてやがると思う。ゆっくりと、右足が前に踏み出される。ゆっくりと、
水面が迫ってくる。
「ちょっと、やめろ馬鹿!」
「馬鹿って、誰が?」
 左足が前に踏み出される。更に水面が迫る。下手に出たほうがいいのだろうか? 認めたくはないが相手の力は
圧倒的だ。しばし考える。
「お願いします。止めて下さいひかりさん」
「ん〜、どうしよっかな〜♪」
「止・め・ろ!バ 止・め・ろ!ー 止・め・ろ!カ」
 しっかり二歩分、沖へ向かって脚が動いた。しまった。どこかで本音が漏れていたらしい。しぶきが身体に
かかった。
 ここに来て選択肢は二つあるらしい。恥か死か。迷わず言った。
「やめないと後でひどいぞ、もう一度だけ言ってやる。やめろ馬鹿!」
 盛大な水しぶき。ひかりが膝を曲げたのだった。

 海面が俺の遥か上にあったのは憶えてる。



「……目、覚めた?」
 意識が戻ると、ひかりが俺を覗き込んでいるのが分かった。
 フラッシュバックしたのは最後の記憶。ももに挟まれたまま入水。
 現在俺は、砂浜に座っているひかりの太ももの上に寝かされているらしかった——こういうのも膝まくらと
いってもいいのだろうか?
「気を失うとまでは思わなかった……ごめんなさい」
「気をつけろ馬鹿。お前を収容できる刑務所なんてどこにもないんだから」
 お互いに苦笑。
 海の向こう。水平線には夕陽が沈みつつある。何気なしにそれを見つめていると、上から声が降ってきた。
「……和馬は絶対下手に出ないんだね」
「お前相手に下手に出る必要がないからな」
「…………ありがと」
「礼をいうようなことじゃないだろ。気にするな」
 今までどおり接する。突然身長158mになった幼馴染みに対して、俺が出来るのはこれくらいしかないのだし。
「でもありがとう」
「礼は言わないでいいってば」
 ようやくひかりは黙ってくれた。
 夕陽は沈んでいく。明日も変わらず登るために。
 この関係は明日も続くのだろうかと思ったが、少なくとも俺は続けようと思う。
 夕陽は完全に沈み、俺はそろそろ太ももからおろして欲しいと思うのであった。