[T.K.B.C.]_02

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   る可能性があります。18歳未満の者が以下の文章を認識することを禁止します。
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 俺は、二人の少女に見下ろされていた。地面に寝てはいたが、この狂った距離感の理由
がそこにあるとは思えなかった。震える体をなんとか制し立ち上がってみたものの、やは
り距離感に影響は無かった。
 目の前には焦げ茶色の壁があった。ローファーの壁だった。そこから紺色の靴下に包ま
れた逞しい肉の塔がそびえ立っていた。遥か上空で、テントのようなプリーツスカートが
そよ風に踊っていた。視点のせいもあって、中身は丸見えになっていた。スカートに邪魔
をされて、胴体は確認できなかった。スカート越しに俺を覗き込む、あどけないショート
カットの少女の顔しか確認できなかった。
 左手には、同じくらいの大きさをした長髪の少女が、手でスカートを押さえながらこち
らを見下ろしていた。二人とも身長が地元で一番大きいマンションの、2倍以上はあるよ
うに見えた。

この少女達も、つい先ほどまでは自分よりかなり小さい背丈をしていたはずだ。わけがわ
からなかった。

 見上げていると、天井が降ってきた。突然の出来事に腰を抜かし、俺はごつごつとした
地面に尻餅をついた。

「うわあ」

 一瞬何が起こったのか分からなかった。先程まで天へ向かって伸びていた足が、それぞ
れの膝を中心に折りたたまれているのを見て、ショートカットの少女がしゃがんだことを
理解した。腰が抜けてしまって、逃げることはおろか、立ち上がることさえできなかった。

 辺りに甘ったるい香りが充満し始めた。スカートが作るドームが、思春期の少女特有の
体臭を完全には逃がさず、俺のいる方向へと溢れさせているのだ。恐怖と芳香が、思考能
力を急激に低下させていた。

 天を仰いだままの俺の視界を、少女の体が埋め尽くしていた。とてつもなく大きな顔が、
弾力がありそうな太ももの間から俺を覗き込んでいた。少女の顔は幼さが残ると言うより、
はっきり言って幼いと感じた。いわゆる童顔で、おそらく同じ大きさだったなら可愛らし
くも思えるのだろうが、ここまで大きさに差があると異形としか思えない。

 蛇に睨まれた蛙のごとく、微動だにすることができなかった。巨大な少女はそんな俺を、
世界中のどこを探しても見つからないような、モンスターサイズの黒真珠の奥からじっと
見つめていた。とても深い瞳だ。見つめ返している内に、なんだか吸い込まれてしまいそ
うな気がしてきた。

 こんな大女が実在するだろうか。それも二人もである。真夏の白昼夢であることを祈っ
た。

 そうだ、夢に違いない。いや、夏の暑さで頭がやられてしまったに違いない。病院に連
絡しなくては……。

「すっごーい!」

 不意に、ショートカットの少女が口を開いた。

 薄紅色の唇の間から、とてつもない音量の叫びが発せられた。咄嗟に両手で耳を塞いだ
が、それが無意味なほどの轟音だった。俺を現実に呼び戻すには十分すぎるほどの威力を
持っていた。

「本当に小さくなっちゃった!」

 俺の胴より遥かに太い人差し指で俺を差し、目をきらきらさせながら少女が言った。第
一声には劣るものの、やはり凄まじい音量だった。

「こら、沙織、大声を出したから、お兄さんがびっくりしちゃってるじゃない」

 ロングヘアの少女が落ち着いた口調で注意すると、沙織と呼ばれたショートカットの少
女は、しまったとでも言わんばかりに両手で口を押さえた。こんな仕草は漫画やドラマく
らいでしか見たことがなかった。実際に目の前でされるとこんなにも腹立たしい仕草だっ
たとは。

「小人さんの前では静かにしないとね」

「ごめんね。でも本当にちっちゃくなっちゃったから、びっくりしたんだもん」

 振り向いて反論する沙織は、より幼く感じられた。

 沙織は“小さくなった”と言った。加えて、長髪の少女の“カフェ・オレのパックより
も”という言葉を思い出す。背後に目をやる。そこには濡れた、こげ茶色の壁が存在した。
これはおそらく、つい先ほどまで俺が啜っていた、カフェ・オレの紙パックなのだろう。
いくつかのヒントから導き出された結論だった。

 どうやら……本当に小さくなってしまったようだ。大きさは紙パックの大きさから逆算
して4cm前後といったところだろう。2m6cmの体が4cm前後になったということ
は、大体50分の1のサイズになった計算だ。相対的な話をすると、彼女達が50倍の大
きさになったということでもある。現在のクラスメイトからも巨人と呼ばれることの多い
俺だったが、目の前にいる巨人達の身長には全く敵わなかった。

「私が沙織に嘘をつくと思う?」

 ロングヘアの少女は制服の胸ポケットから、小さな銀色の物体を取り出した。その銃ら
しきものの先端が、太陽の光を浴びて鈍い輝きを放っていた。あれで俺は縮められてしま
ったのだろう。にわかに信じがたいことだが、状況証拠としては十分過ぎた。

「真希がそれで小さくしたんだよね?」

 興奮冷め遣らぬ様子の沙織に、長髪の少女、真希はこくこくと頷いた。それから、何か
に気付いたらしく、しゃがんでいる沙織の肩を指先で軽くノックした。

「沙織、立った方が良いよ」

「うん? なんで?」

 沙織は一瞬振り向いたものの、すぐに視線を俺へ戻して目を離さない。どうやら俺とい
う小人に夢中になっているらしい。

「そんな風にしゃがんでいたら、お兄さんに見られちゃうじゃない」

「何を?」

「何って……下着しかないでしょ」

 真希が呆れるように言った。そう言われて、俺は目の前の巨大な膨らみに目を向けてし
まった。淡いピンク色をしたショーツに包まれた、女性特有の柔らかそうな股間の肉が、
両の太ももの筋肉に押し出されている。暑さに汗ばんでいるのか、下着の皺が寄りそうな
部分にいくつかの薄い染みが作られていた。

「あっ、やだっ」

 真希に言われてから数秒を経て状況を把握したらしく、沙織は慌てて立ち上がった。辺
りに強烈な風が吹いた。沙織の体があった部分に向かって空気が流れ込んだのだ。

「もう……もっと早く言ってよぉ」

 頭がとてつもなく高い位置にあるのでよくわからないが、沙織はおそらく赤面している
ことだろう。

「私だって今気が付いたんだもの。それにしても、沙織の下着を見るなんていやらしい小
人さんね。お仕置きしてあげたら?」

 ……お仕置きとな。
不可抗力とはいえ、下着を見てしまったことは事実だ。それも数秒間、割とじっくりと。

「お仕置きかぁ。どうしようかなぁ」

「踏み付けちゃうとか」

 真希はとんでもないことを言い出した。目の前のローファーは横幅だけでも乗用車を丸
ごと飲み込めそうなサイズである。こんなものに踏みつけられたら……いや、体に圧し掛
かるのは靴だけの重量ではない。靴が支えている沙織の体重まで含めたら、ただ押し潰さ
れるだけでは済まず、原型をも留めぬ肉塊へと変わり果ててしまうだろう。例え沙織が何
の力を込めなかったとしても……。

「えぇ? だめだよぅ。そんなことしたら死んじゃうよ」

 意外なことに、被害者であるはずの沙織が庇ってくれた。小さくなってしまった俺にと
っては、まさに天の助けだった。

「大丈夫。見た目は小さくなってるけど、本来の体よりずっと丈夫になっているの。実際
何人も踏んでいるけど、それで死んだ人はまだいないわ」

「そうなんだぁ。でもでも、踏んだりしたら可哀相だよ? きっと、すーっごく重いと思
うよ? 死んじゃうーってなるよ?」

 真希がさらっと恐ろしいことを言った気もしたが、それよりも沙織の台詞に自分が踏ま
れた時の様子を想像してぞっとしてしまった。

「まあね……でも、沙織がしないっていうのなら私がやるよ? 私の可愛い沙織の下着を
見るなんて許せないもの。ふふ……」

「やめようよぅ。真希はそんな意地悪したらだめぇ」

 悪戯っぽく笑いながら言う真希を沙織が半分怒りながら制止した。

「わかった、わかったってば。怒ると可愛い顔が台無しよ。で、お仕置きはどうするの?」

「も、もうお仕置きは良いってばぁ。それよりこのお兄さんはどうしよう? このまま置
いていっちゃだめだよね……?」

 そうだ。俺はどうなるんだろうか。
 できれば元に戻してもらいたいところだが、彼女たちの立場を考えたら俺に何らかの口
封じを行わなければまずいだろう。あまり都合の良い処分は期待できなかった。

「うーん……踏み潰すのがだめだとなると、目に見えなくなるくらいまで縮めて証拠隠滅
しちゃうのが良いかしら……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 ある程度覚悟はしていたが、やはりこうして死の宣告をされるとショックを受ける。肉
眼で確認できなくなるような大きさになっては、この公園から脱出することさえままなら
ないだろう。昆虫の餌になるどころか、それまでに日光で干上がってしまう可能性さえ考
えられる。

「私は沙織と相談しているんです」

 強い口調でそう言われて、俺はそれ以上何も話すことができなくなってしまった。

 しかし、なんだろう。この真希という少女は俺を人間として見ていない気がする。小さ
くされているにしても度が過ぎるというか、それが当たり前であるかのような振る舞い。
まるで要らなくなった玩具のような扱いを受けている。ついさっき“それで死んだ人はま
だいない”と言っていたが、他の手段では既に何人も葬り去っているという意味で言った
可能性もある。

 目の前の、沙織の靴に目をやった。ローファーだけでこのサイズだ。ここから聳え立つ
脚がどれだけの歩幅を生み出すのか、全く想像もつかない。このサイズ差では逃げ出して
もすぐ捕まってしまうのは目に見えているし、大人しく諦めて人生を終えるしかないのだ
ろうか。


02. —— 頭がおかしくなるくらい、とても暑い日のことだった。 ——    了


                                   03に続く