8. 世界の果て

二人はその後、夢のような時間を過ごした。いくつもの街、いくつもの国、いくつもの大陸が彼女たちの遊びの餌食となった。二人は世界を2週分くらい歩き回ったが、それでも魔神の姿を見つけることはできなかった。

そして二人は、『世界の果て』へとやってきた。
なだらかな傾斜を描いていた海底は、その先からどんどん急斜面となっていき、最後には垂直に切り立ったガケとなり、海水はそこへ向かって斜面を滑り落ちていった。
「わたくし、この世界はまんまるな球形をしていると聞いていましたのに・・・」
「姫、それは古い学説ですよ。最新の研究では、この世界は球を上下から潰したような、真ん中が膨らんだ円盤型をしているんです。」
「そうでしたの。」
姫はゆっくりと、その崖へと近づいていく。その奥底は、夜空と同じく真っ黒な闇に包まれていた。
「あぶないですよ。その先に、底があるのかどうかもわかりませんし・・・」
「そうね。・・・でも、わたくしの知らないものがあるなんて許せませんわ。」
「姫・・・」
「それに・・・実をいいますと、わたくし、少々この世界に飽いてしまいましたの。」
実際、最近では、姫は召喚士の十分の一くらいの大きさでその肩に乗り、あれこれ指図するだけで色々破壊するのはもっぱら召喚士の役目となっていた。
「ねぇ・・・」
姫は世界のフチで召喚士に向き直り、手を差し出しながら言った。
「わたくしと一緒に来てくださらない?あなたと一緒なら、たとえ何もなく、無限に落ち続けることになったとしても、寂しくはないわ。」
召喚士はその手を取り、
「もちろん、姫だけに楽しい思いはさせませんよ。」
と答えた。

世界のフチに立った二人は、手をつなぎ合わせたまま、『その先』へと大きく飛び込んでいった。
すぐさま二人は向かい合って両手をつなぎ合わせると、落下しながら大地の裏側を見上げた。一緒に隣を落ちてきていた海水は、細かい霧となって霧散し、その向こう側が見えたが、世界の裏側は真っ暗で、よく見えなかった。そのうち、二人は大地の作り出す影の中に入ってしまった。あたりは真っ暗となり、たがいの顔が、星明りに淡く照らし出されていた。

永劫とも思えるような、一瞬だったかもしれないような、不思議な時間が過ぎていった。
ふいに二人は地面に着地した。激しい衝撃があったはずだが、魔神の肉体はこともなく耐えていた。
「ここは?」
「世界の・・・底・・・でしょうか?」
二人はあたりを見回す。周囲は上空に見える『世界』の影になっており、真っ暗であった。だが、遥か彼方・・・その影の外・・・には、薄い橙色の大地が見えた。その先に・・・同じ薄橙色の5本の巨大な柱がそびえ立っているのを見て・・・召喚士はここがどこかを直感した。
「姫・・・・ここは・・・ここは・・・」
「まって、召喚士・・・わたくしもなんとなくわかってきたわ・・・」
そう言って、姫はしゃがんで、足元の地面を撫でた。かすかな暖かさと弾力が感じられた。
「ということは・・・こちら側に・・・」
そう言って姫は、薄橙色の・・・肌色とは認めたくない・・・柱と逆方向を向いた。そしてそちら側の空をようく目を凝らしてみた。姫の認識が変わったことで、頭の中のスイッチが切り替わり、それまで目で見えていたが認識できなかったもの、視界に入ってはいたが頭が受け入れていなかったものが視えてきた。
それは、さんざん探し求めていた、最初の魔神の、とてつもなく巨大な顔であった。とてつもなく巨大な魔神が、とてつもなく巨大な手の上に『世界』を浮かべ、そこからこぼれ落ちてきた自分たちをとてつもなく巨大な顔を近づけて、とてつもなく真剣に見つめていたのだ。
『神の世界へようこそ。』
二人の頭のなかに、魔神の声が響いた。

突如現れた、いや、彼女たちが生まれる以前からここに存在していた魔神に、姫はおくすることなく問いかけた。
「あなたが魔神・・・初代の魔神ね。ここが神の世界とは、どういうことかしら?あなたはここで何をしているの?」
矢継ぎ早に繰り出された質問に、魔神は眉一つ動かさずに答える。
『そう、私はあなた達が魔神と呼んでいた存在。そして、ここは元の世界と異なる規則が支配する、神の世界。わたしはここで、もう月日を数えることもやめてしまったほど長い間、神として世界を見守ってきた。』
「世界を見守る?あれだけ好き勝手に地上を破壊していたあなたが?どういう心境の変化でして?」
姫は予想外の言葉を聞いて、目を丸くしながら尋ねた。
『私は・・・望んで神になっているのではない。私は、罰としてここで神をやっている。』
「罰?世界を破壊したことの罰ですか?」
今度は召喚士が尋ねる。
『多くの命を奪いすぎた罰として、だ。今の私はこの手の上の世界に直接触れることはできない。神はこの世界を破壊することはできない。私はただ、天候を間接的に操ったり、こぼれ落ちた水を湧き水として戻したりするのみ。』
「ふ~ん・・・この手を握ってしまえば、簡単に壊せそうな気もしますが・・・」
召喚士は自分のいる周りを見回しながら言った。
『手をにぎることはできても、世界を破壊することはできない。それは、全てに優先される、ここの決まりだ。』
「・・・よくわかりませんが、それが神の力なのでしょうか・・・」
召喚士は無理やり納得した。
「ところで、あなたはどうしてそんな罰を受けることになったのかしら?」
『少し話は長くなる・・・。あの日、私は世界の半分ほどの大きさとなって世界から飛び出した。そして宇宙でさらに大きくなり、真ん丸だったこの世界を、この胸に挟み込んだ。そして、世界が今のように平らに潰れた瞬間、私の前から世界が消えた。そして、私の頭に神の声が響いた。もう私に自由にはさせない、と。この宇宙に芽生えた貴重な命の光を絶やさせはしない、と。再び私の目の前に世界が現れたとき、私は世界に触れることができなくなっていた。そして私は、世界を見守る神の役目を押し付けられ、人々が再び復興し、栄えるのを見守り続けてきた。』
そこで魔神はいったん言葉を切った。
「そうしてわたくし達が生まれて、また世界を元の木阿弥にしちゃったってとこかしら?」
『そう。だけどそれでいい。なぜなら、私の罰にも期限があるから。その期限は、「私が奪った命の数よりも、より多くの命を奪う者が現れるまで、」だから。』
「あ!」
「それってつまり・・・」
『そう、おめでとう。あなた方が新しい神。次の殺戮者が現れるまで、あなた方二人がこの世界を導くことになった。』
「それで!十分な数の人が増えるように、天候を操ったり、乾ききってしまわないように水を戻したり・・・」
「そのとおり。」
不意に声が聞こえてはっとなると、姫と召喚士の前に、同じくらいの大きさの魔神が、片手に青い円盤を浮かべて立っていた。いや、三人とも宙に浮いていた。さっきまでの重力は、魔神の手の引力によって作り出されていた疑似的な重力だったのだ。
「私は一人だったけれど、あなた達は二人なのだから、寂しくはないでしょう。」
そう言って、二人に向かって世界を差し出した。姫と召喚士は、拒否することもできず、そちらに手を差し出す。すると、青い円盤はすすすとこちらの手のひらの方へ移動し、一定の距離を置いて静止した。
「ああ・・・これでやっと・・・解放される・・・」
すがすがしい顔で呟くと、魔神の姿は薄くなり、その存在は消えていった。
姫と召喚士は、たがいにたがいの顔と手のひらの世界とに交互に目をやった。
「私達が・・・神様?」
「この世界を・・・見守るですって?」
そう言うと、姫は、ぐっと手を開いて浮かぶ世界に掴みかかった。
「あら?」
だが、世界はその指と指の間をするりと避けていった。
「なんなのかしら、これ?」
姫は何度も世界に掴みかかるが、その周囲に視えない、つるつるの膜が貼っているかのように、ある一定以上近づけようとすると、ぬるり、と世界が動いて捕まえることができなかった。
「ぷっ。」
「なにかしら!」
「いえいえ・・・あの話を聞いても、おとなしく神さまをやる気もないのが、姫らしいというか、なんというか。」
「あたりまえですわ。こんなちっぽけな『世界』なんて、くしゃくしゃにしてぽ~い、ですわ!」
姫はなんとか世界を捕まえようと悪戦苦闘し・・・ついに両の手のひらの間に、相変わらず一定の距離は開いたままだが、なんとか保持することに成功した。だが、このまま手の間隔を狭めていくと、またするりと逃げられてしまうだろう。
「ねぇ。」
姫はいたずらっぽく召喚士に言った。
「あなたの胸を借りられるかしら?」
「わたしの?・・・どうぞ。」
そう言って召喚士は姫の方に胸を張った。
「ありがとう。」
そう言うと、姫は召喚士の胸の谷間に世界を持って行き、自分の胸もそこに近づけた。
「こうやっておっぱいで四方を囲み、手で上下にフタをするの。」
「なるほど。逃げ道をなくすのですね。」
「そして、このまま挟み込めば・・・」
そういって、二人は胸と胸を合わせた。
逃げ場をなくした『世界』は・・・二人の胸の隙間で、小さくなっていった。いや、二人がどんどん大きくなっているのだ。二人の胸が世界に近づくと、二人は巨大化し、世界と胸の隙間も広くなる。二人の胸と胸の間隔が半分になれば、二人の大きさは2倍になり、その隙間も2倍になる・・・つまり、二人は永遠に、胸と胸をくっつけて世界を破壊することができず、二人は無限に巨大化し続けるのだった。



エピローグ?

時は大・魔法蒸気時代を迎えていた。都市には天にも届かんばかりのビルディングが立ち並び、人々はアパルトメントと呼ばれる集合住宅に押し込まれていた。都市と都市との間は網目のように張り巡らされた魔法蒸気鉄道が行き交い、人と物の大量輸送が行われていた。田園部では、魔法耕運機による農作物の大規模一括生産が行われ、都市部の大人口の胃袋を十分以上に満たしていた。また、その空にも魔法蒸気飛行船がいくつも飛び交い、大陸間の人々の往来を活発化していた。
世界は、光と闇の双子の女神を信奉するジェメリ教団を中心に、女神のお告げにより政治、経済が動かされていた。
その日、リズは大司教の前で頭を垂れていた。今日は、首都魔法学校を卒業したリズの、就職先が決まる日だった。
「リズよ。そなたに宣託が下った。」
「はい、大司教さま。」
魔法学校の卒業生達は、女神の託宣に沿って配属が決まる。
「昨晩、女神さま方が私の枕元に立ち、こう告げた。『時は満ちた。今こそ失われし召喚魔法を復活させる時』と。そなたに命ずる。大図書館の封印書庫を開き、召喚魔法の極意を習得せよ。」
「はい。拝命いたしました。このリズ。必ずや女神様の御心を叶えてみせましょう。」
聖堂を出たリズは、それまでの静々とした歩き方からうって変わって、スカートが乱れるのも構わず大股でのっしのっしと歩き始めた。
「あ~あ、最悪・・・なんでボクが召喚魔法なんて、聞いたこともない、化石みたいな魔法の研究をしなきゃいけないんだ~。」
そう愚痴って彼女は空を見上げた。
多数のビルディングが強固に空に向かってそびえ立ち、リズを見下ろしていた。
「あ~・・・ムカツク。あんなビルなんて、飛行船から見てるときは、ひと踏みでグシャって潰せそうなのにな~・・・」
そんなことを夢想しながら、彼女は自宅への道を歩いていった。
その夢がやがて正夢になるとも知らずに。

ひみつのふたり END