編集 : 金縛られ



今日は人生で最悪の日だ。
今置かれている状況から自分は今、そう思った。


側から見れば別段何も変わらないように見えるだろう。
ただ単に棒立ちしているように見える。というか実際そうにしか見えない。
自分は別に棒立ちをしていたいと思ってはいなかった。
…ただこの体勢から動けないだけなのだ。
1ミリも身体を動かすことができない。
原因は目の前でクスクス笑っている彼女だ。
くそッ。
「貴方と私で魔力比べしてみませんか?」なんて誘いに乗らなければ良かった。




あの時の自分は調子に乗っていた。何しろ厄介な魔物を自分の力で封殺出来たのだから。

しかしそれに対する報奨金がやけに少なく、頑張った自分としてはちょっと不満があった。
覚えてろよあいつ…見るからに金を持ってそうなナリしておいて思いっきりケチりやがって…なんて思いつつ、自分は街を彷徨っていた。
アァ、あとほんの少しばかり褒美が増えていれば…通りの美味しそうな食べ物や面白そうな屋台を眺めつつ、ほけーっとしていると、自分の前にある少女が現れた。
さっき言ったあの彼女だ。
見た目はとても可愛らしくて、ついどきっとしてしまったりした。この時点で彼女の手中に落ちてしまっていたのだろうか…?もしそうだったら末恐ろしい。
…そうかもしれない。

彼女はどうやら自分の魔力を感じ取ったらしく、自分の力を試してみたい。一度魔力比べしてみませんか?というようなことを言ってきた。
普段の自分なら断っていたかもしれないが、今日の自分は残念ながらそうではなかった。
恨めしき過去の自分。

自分が了承すると、彼女は喜んで「じゃあ、私についてきてくださいっ」と言ってきた。
特に嫌がる理由もないので言われるままについて行ったのが、今現在いる彼女の家。
途中ちょっとした暗い道をいくつか曲がらされたが、迷いそう。というほどの距離ではなかった。
そうして最初に彼女の家を見た時の印象は(髄分と魔女っぽい感じの家だなぁ)という感じで、周辺の奇妙に曲がった老木や、古い煉瓦。壊れかけの風見鶏がいかにも『それっぽさ』を演出していた。
今時こんな風な魔女ハウスも珍しいな。そう思いながら家に上がった。

ちょっとした勝負をしたいと彼女は言ったのだが、それくらいならわざわざここまで来なくても良かったのでは…?というようなことを聞いたのだが、
それに対する満足いくような返事はなく、適当に誤魔化された。今思うと、この場所に移動してきて良かったと思う。
もし移動していなければ、大衆の面前で大恥を晒していたところだった。危ない危ない。…まぁ、人数がどうであれ恥は恥なのだけれど。

それから彼女と私の魔力比べが始まった。
ルールは簡単、相手に自分の力を思い知らせるだけ。負けた!と感じたら「負けました」などと言えばそこで終了。というものだった。
なんの公式なものでもない単なるお遊びだ。
それくらいがちょうどいいのだろう。その時自分はそう思ったのだが、残念ながらそれは大きな間違いだった。

彼女の3カウントで魔力比べが始まった。
十分に勝てると思っていたので、別段全力は出さずに、8割くらいの力を出していればいいだろう。などと考えていた。
そう考えているうちにおかしいことに気づいた。
無意識のうちに身体が全く動かせなくなっていたのである。
強固な金縛りにかかってしまったかのように、どれだけ力を入れてもピクリともしない。
身体を見回してみても、特にこれといった外傷はない。
まさか…?そう思った瞬間、クスクス笑いが聞こえ出した。もちろん目の前にいるあの女の子の声だ。
未だ唯一動かせた顔を正面に向けると、満足そうな笑みを浮かべながら丸椅子に腰掛けて足をぱたぱたしている彼女が見えた。

どれだけ力を、魔力を注ぎ込んでも動く気配のない自分の身体に焦りを覚え、今すぐ降参しようと口を開こうとした。
…したのだが…

ほんの少し開いた口からは空気しか吐き出されず、全くもって言葉といった言葉を発することができなかった。
先ほどまで動かせていた顔も今の向きのまま、ピッタリと固定されてしまっていた。


焦りが最高潮に達した私をクスクス嘲笑いながら、彼女がゆっくり近づいてきた。私の横に回り、
「どうしたんですか?」「何もしないんですか?」そう耳元に向かって囁いてくる。
姿が全く見えない状態で声だけが聞こえる。もう少し自由が効いていればゴクリ、と無意識にも唾を飲み込んでいただろう。
それにしても、自分が何も出来なくなっているのを知っているのに、この態度…

何か自分が手遅れな気がして、脳裏に暗い階段を転げ落ちていく自分がよぎった。

今、私は彼女に命を握られている…

先ほどまでの回想の間も、今の私は彼女からしつこくバカにされていた。
一切の自由がきかない身体を触られ、耳元に吐息を吹きかけられ…
他のことを考えて逃避しなければすでに精神的に殺されてしまっていてもおかしくない苛めっぷり。
死の恐怖と性的興奮が同時に押し寄せてくる生き地獄。
いきさつを回想することで、完全にこの現状から逃避していたはずなのに、囁かれた「かわいい…♡」の一言でゾクッときてしまい、
再び自分を恨んだ。しかも身体的に変化が一切ないはずなのにその動揺を見抜かれ、可愛がるという方式で延々苛められた。

30分か、1時間か…自分にとっては永遠にも感じられた時間が過ぎたであろう時。

「降参しないんですか…♡」

彼女はそう言ったのだが、彼女のせいで口を聞けないどころか一切の身動きができない自分は、何も返事が出来なかった。
ただ瞬きだけしか出来ない私の分かりきった無言を愉しみ、彼女は

「じゃあ、まだいけますよね…♡」

と、言い放った。その言葉を聞いて、自分はこれから起こるであろう何らかにただ恐怖することしかできなかった。
このまま放置するだけで自分を始末できるというのに、この女は何を考えているのか。
全く想像が及ばなかった。

何が起こるか分からず目を固く閉じ、何が起きてもいいように覚悟を決めた。
しかし、閉じたまましばらく待ってみたのだが、何も起こる気配がなかった。
それを不気味に思い、目をゆっくり開けてみた。
前まで彼女が座っていた椅子がどこか大きくなったように感じた。いや、椅子だけじゃない。視界に映る全てが大きくなっていた。
自分の身体に何が起こっているのか気がついたその時、固定され切った私の視界に、彼女が入ってきた。自分よりも背の高くなった、彼女が。

「あはっ、やっと目を開けてくれたんですね?…気づきました?ふふっ、なかなか降参してくれないから…これから貴方が降参するまで、どんどんちっちゃくしていこうかなーって思っちゃいました♡」

何もリアクションが出来ない自分を嘲るように、ゆっくり言い聞かせるように彼女は話を続けた。

「降参するまでどこまでも小さくしてあげますからね…♡ どこまでもどこまでも…私の靴よりもちっちゃくなって…靴底にも満たなくなって…靴底さえも見上げきれない大きさにまでちっちゃくなっても…♡」

そう彼女が言い続ける間もじわじわと縮小は止まることなく、気づけば彼女の背丈の半分ほどに縮んでしまっていた。

「魔力も身長も私に劣っちゃうなんて…かわいそう♡」

しゃがんで頭を撫でてくる。この時既に、彼女に対する無力感しか今の自分にはなくなっていた。
身体が動かせないと、自分の負けを伝えないと。私は永遠に縮められてしまう。身体が自由に動かせるようになって、逃げようとしても今の体格差では自分が必死に走ったところで彼女のゆったりとした歩行に勝てはしない…
…もし、もし彼女に飽きられてしまったら…
そうなったら瞬間的に限界まで縮められてしまうかもしれない。それかそのまま放置して行ってしまうかもしれない…

どうあがいたとしても、彼女の気まぐれだった。


身体が小さくなるにつれて、彼女の足音が生み出す衝撃がだんだんと脅威をもってくる。
最初は気にもしなかった彼女の靴が、どんどんと近づいてくる。
絶望的な想像をしている間にも縮小は続き、気がつくと靴と同じくらいになってしまっていた。
…おそらく、だんだんと縮めるというのは建前で、実際は彼女の気分によるものが大きいのだろう。
自分と同じサイズの靴がずしんずしんと辺りをふみ鳴らす。
本来ならば転んでいてもおかしくないほどの衝撃に何度も見舞われた。
しかしそれでも足は地面を離れることはなく、一度も倒れることはなかった。
そのため転ぶことで分散させられていたはずの衝撃さえもモロに受けてしまう地獄を味わわされた。
靴裏を見せつけるようにかざされた時は、一瞬恐怖で意識が飛びそうになってしまった。

靴を踏み下ろされるごとに、靴裏を見せつけられるごとに巨大化していくそれらに対し、私は恐怖を通り越して畏怖の念を抱き始めていた。
彼女が話す言葉も、だんだんと低く、ゆっくりとなっていき、自分が人間でない下等な虫のような生物みたくなっていくような感覚を覚えた。
彼女には逆らえない。このまま延々と嬲り殺しにされるだけだ。

気がつけばもう靴底すらも視界に収まらなくなっていた。

一回一回の衝撃が先程までの比にもならなくなり、爆発のようなそれは、私が微生物になろうとしているということを知らしめているように思われた。

『〜〜♪』

鼻歌らしい爆音が、空から降り注いできた。
真正面からの衝撃と空からの爆撃。両方が私の身体を限界までズタボロにした。

神様と化したその少女に、私はせめてもの安らかな死を願ってしまっていた。ここまでくると現実逃避も意味がない。全てを諦めて、なすがままを受け入れるほかなかった。

靴底にも満たなくなってしばらくした後、私の身体は地面に倒れこんだ。さっきまで地面に貼り付けられていたはずの足裏が、スッと取れたのだ。
いや、足裏だけではない。全身が自由に動けるようになっていた。


「おーい!降参だー!助けてくれー!」
私は必死にあの茶色の巨大な塔に向かって叫んだ。しかし女神は微塵も気づく素振りを見せず、巨大すぎて理解もできない大きさの丸椅子に腰かけたまま。
私は、数十分前よりも遥かに勢力を増した巨塔の落下の衝撃に塵のように吹き飛ばされた。

「降参です!私の負けでーす!」

祈るように同じ言葉を繰り返す。

助けてくださいっ!

助けてくださ…

だんだんと希望を失って、言葉が弱くなっていく。
その間も女神は巨大化を続け、私は更に縮小していった。

助けて…
助け…

その時だった。

ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…!
ズガッシャアアアアアアアン……!!

女神が丸椅子から立ち上がったのだろうか、今までの比ではない衝撃に襲われ、身体がバラバラになりそうになった。

ボロボロになりながらも見上げると、天が全て肌色に覆い尽くされていた。
どうやら女神の顔らしいが、それを顔と認識することは到底出来そうにない。あまりに巨大すぎて、顔の1パーツを捉えることで必死だった。

あっ…あっ…!
私は、死にものぐるいで叫んだことが通じたのかと思い、再び女神に向かって呼びかけた。
ここでーす!!
ここにいまーす!!!

助けてー!!
おーい…

……いいいいいいぃぃぃぃぃぅぅぅぅううううううぅぅぅぅぅぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁ
んんんんんんんんんんぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいぃぃぃぃぁ
ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ…

女神の声は、最早微生物となった自分には理解できない言葉を発した。

そして。

天上にそびえていた女神も、 何もかもが突然目の前から消失した。
自分がどこにいるのかすらもわからない。だが、落ちていく感覚だけはした。