このお話はフィクションです。実在する団体や人物とはきっと関係がございませんのでよろしくご了解ください。大切なのでもう一度いいます。実在する団体や人物とは、あまり、関係がございません。

事務総長の決断
by JUNKMAN

今日も国連安全保障理事会は紛糾した。
各国の代表は好きなことを好きなだけ言い散らかし、話をまとめようとするつもりは一切ない。
いや、自国のエゴイズムを押し通すために話を敢えてまとめさせないことが連中の目的なのだ。
・・・
そんなとき、リーダーシップを発揮すべきなのが国連事務総長なのだが
・・・
・・・
彼には何もできなかった。
・・・
なぜならば、彼は無能だったからだ。
各国の首脳たちを唸らせる政策立案能力はなく、手玉に取る老獪な調整能力もなく、もちろん黙らせるようなカリスマ性など微塵もない。
列強が好き勝手に振る舞う様を、指を銜えて眺めながら、じっと耐えるだけが彼の仕事であった。
そんな風采の上がらない彼を、周囲は「史上最低最悪の無能事務総長」と蔑んだ。
もちろん、この悪口は彼の耳にも入っていた。

「・・・だからといって、わたしに何ができるっていうんだ?」

そうだ、有能も無能もない。
国連事務総長なんて、ただのお飾りだ。
実質的な権限なんて、実は何もないのだ。
事務総長は自分で自分に言い聞かせていた。
だから、もはや怒りも焦燥もない。
・・・
会議が終わると、事務総長はそそくさと自分の執務室に引き籠った。
一人になりたかった。
そんな彼の背中を、たまたま廊下を通りかかったお掃除のおばちゃんたちまでが蔑み笑っていた。

*****

「・・・どうせ事務総長なんか、いてもいなくても同じなんだ。だったらここ(=執務室)に籠ってアニメでも見てる方がましだよ。三次元のリアルワールドなんて大っ嫌いだ。やっぱ二次元最高だよ・・・」

などと意味不明な独語をぶつぶつ唱えながら、事務総長はスイッチを入れた。
お気に入りのロリアニメ鑑賞タイムである。
何と情けない!と責めるのは酷である。
これだけが彼の癒しの時間だったのだ。もしかしたら共感できる読者もいるんじゃないの?
というわけで一人っきりのお楽しみタイムの始まり始まり、と思っていたら・・・

「・・・あれ?」

お馴染みの萌えキャラたちを押しのけて、紫色のふわふわパーマヘアに黒縁の大きなロイド眼鏡をかけた見慣れない萌えキャラがモニターの中央に現れて、ペコリとアジア風にお辞儀をした。

「・・・国際連合の事務総長さまでいらっしゃいますね?」

顔を上げた紫の髪の萌えキャラは、なんとモニター越しに事務総長に話しかけてくる。

このプログラムって、インタラクティブになってるの?
アニメに向かってカッコつけても仕方がないが、事務総長はこほんと咳払いしてから答えた。

「・・・た、確かにわたしは、国際連合の事務総長だが・・・」

「いま、ちょっとよろしかったでしょうか?」

「う、うむ、わ、わたしは公務で多忙な国際連合事務総長ではあるが・・・ま、ちょっとだけなら・・・いいよ。」

多忙も何も会議で相手にしてもらえないので執務室に引き籠ってアニメでも観ようと思っていたところだが、そのまま正直には答えられないし、かといって「多忙だ」なんて答えちゃったらここでプログラムが終わっちゃうかもしれないしなあ・・・

「それではモニター越しというのも失礼でございますのでちょっとお邪魔させていただきます。」

「!!!」

次の瞬間、モニターの中の萌えキャラがすっと消えると、その背後、すなわち事務総長がふんぞり返る執務室の机の真ん前に若い女性が立っていた。

「な、なんだ君は?と、と、扉を開けるときはノックぐらいしたまえ!!」

思いっきり意表を突かれた事務総長は怒声を上げた。
あのモニターの中の萌えアニメをリアルに三次元化したかのような紫色の髪のメガネっ娘は、驚く事務総長の前に立っても顔色一つ変えない。
「扉は開けませんでしたので、ノックは省略させていただきました。」

事務総長は首を捻りながら詰問した。

「扉を開けずにどうやってこの部屋に入ってきたというのだね?」

「はい、空間の座標軸をこの部屋に合わせただけでございます。」

「?」

・・・
なんだ?
何を言ってるんだこいつは?
・・・
しげしげと女性を見つめ直す。
年のころは20代前半くらい。
アジア風のあっさりめの顔立ちながら肌は透き通るほど白い。
不自然なほど鮮やかな紫色のパーマヘアは、両肩につくかつかないかくらいの長さ。
黒縁のロイド眼鏡の奥に見える瞳は黒褐色。
身体のサイズはアジア人としても標準からやや小柄くらいで細め。
ただ、バストはちゃんと人並みにある。
ミスコン系というよりはアイドル上がりというかやや控えめなグラビア系の美女である。
襟が立ってるのに胸元は大きく開いたボディラインきっちりのワンピースしかもパンチラ思いっきり上等なミニスカート、ブーツ、手袋の全てがメタルホワイトでコーディネートされており、一見するとまるでレースクイーンのような装いだ。
・・・
???
・・・
さっぱりわけわからん
わけわからんけど、でもまあ、見た目は結構好みだし・・・悪い気はしないな。

「・・・君、名前は?」

「はい、パープルと申します。」

「国籍はどこだね?」

「国籍はございません。そもそもわたくしはアンドロイドでございますので戸籍というものとは無縁なのです。」

「安堂ロイド?」

「その変換はちょっと・・・」

「じゃ、未来から来たとでもいうのか?」

「いえ、未来というのはあくまでも時間軸が固定された場合に限定される概念でして、わたくしたちの科学レベルではあまり意味がございません。空間に関して申し上げればわたしは通常この惑星から29076153光年ほど離れた恒星系で活動しております・・・」

「・・・」

さすがに調子を合わせてやるのもくたびれてきた。確か今朝この国連本部に登庁した時にはまだ朝風が冷たかったはずだ。そんなに陽気が進んだわけでもないのにこの有様か・・・可哀想に。

「・・・君、どうやってここにたどり着いたのかは知らないが、こんなところでうろうろしているのが守衛にばれたら捕まってしまうぞ。悪いことは言わん。ここは静かに帰りたまえ。」

「そうは参りません」

パープルと名乗った女性は強く頭を振ると逆に事務総長に向けて身を乗り出してきた。

「まだ用件が終わっておりませんから」

「用件?」

「はい。国際連合の事務総長さまはこの惑星で最も偉いお方でございますね?」

「ん、い、いいや、まあね」

思わずニンマリしてしまった。
最近はお掃除のおばちゃんたちにまで馬鹿にされっぱなしだから、こういうストレートなヨイショは心に響くなあ・・・

「・・・調査によりますと貴方個人は上昇志向が強いだけのきわめて無能な人物で、品格もこの惑星の基準ですこぶる下劣ということでございますが、そんな貴方でも国際連合事務総長の職は務まり、そして務めているからにはこの惑星を代表する人物であるといって差し支えないと承っております。」

「君、守衛を呼ぶぞ!」

持ち上げられておいて一気に叩き落とされた事務総長は思いっきり声を荒げた。

「呼んでも返答はないと思いますが・・・」

それでもパープルは平然としている。

「ふざけるのもいい加減にしたまえ!」

ブチ切れた事務総長はついに机の下の非常事態ボタンを押した。次の瞬間に扉を荒々しく開けて強面の守衛たちがなだれ込んでくるはずが
・・・
・・・
誰も入ってこない。

「・・・ど、どうしたんだ、これは?・・・もしかして、君・・・テロリストか?あらかじめ守衛を殺害しておいたのか?」

「滅相もございません。ただこちらの時空間を少しだけ操作させていただきましたので、この惑星の科学力では外部から侵入して来ることは不可能かと。」

「・・・」

いよいよわけがわからない。
これって、もしかして本当に異星からの侵略なのか?
・・・
いやいや、そんなはずはない。俺がちょっと疲れているだけだ。
事務総長が黙って首を横に振っていると、パープルと名乗った謎の女は表情を変えないまま言葉を続けた。

「それでは、用件を申し上げても宜しいでしょうか?」

「・・・」

事務総長は苦虫を噛み潰しながら黙って頷いた。これはきっと悪い夢なのだろう。ならば醒めるまで付き合ってやるしかあるまい。

「実は、事務総長さまにご通知いたしたいと存じまして。」

「通知?」

「左様でございます。」

「どのような用件を?」

「はい、実はわたくしのお仕えする旦那様には目の中に入れても痛くないほど可愛がっておられるお嬢様がおいでになりまして・・・」

「・・・」

「で、そのお嬢様がこのたびこの惑星を所有なさることになりました。」

「はあ?」

「ですから皆さまの飼い主となられるわけですね。」

「ちょ・・・ちょ、待てよ!」

「またキムタクさんのネタですか?」

「そういう問題じゃない!この地球を所有するなんて、誰がそんなことを勝手に決めたんだ?!」

「勝手ではございません。ちゃんと旦那様が1700コスモ・ルーブル支払って銀河連邦からこのあたりの恒星系一帯の権利を正規にお買い求めになり、そのうえでお嬢様の12歳のお誕生日のプレゼントに・・・」

「なんだと?」

バン!バン!バン!
怒りのあまり事務総長は掌を机に叩きつけた。

「そんな大切なことをこの地球の住民には何の断りもなしに決めたのかっ?!」

「はい?」

今度はパープルが両目を見開いて驚きの表情を見せた。

「・・・この惑星に棲息しておられる方々は進化途上種でいらっしゃいますので、許可とかおっしゃられましてもちょっと・・・」

「進化途上種?」

「はい、平たく言えば下等生物という意味でございます。」

事務総長は再び机をバンバン叩きながら怒りをあらわにした。

「そのいいざまは何だ?われわれは下等生物だから承諾をもらう必要がないとでもいうのか?」

「はい、おっしゃる通りでございます。ただ、でもいきなりお嬢様の持ちものにされてしまうと皆様も驚かれるのではないかと思いまして、わたくしからあらかじめご通知を、と・・・」

「ダメだダメだ!!!この惑星の主権はわれわれ人類にある!!!勝手なことをするな!!!異星人になんか、この地球は指一本触れさせないぞ!!!」

「・・・」

パープルが眼を見開いたまま黙りこくって動かなくなった。
・・・
・・・
・・・
ややあって、一回大きく瞬きをしてから、パープルは再び口を開いた。

「・・・申し訳ございませんでした。わたくしたちアンドロイドは非論理的思考パターンの解析が苦手でございまして、平たく言えばバカバカしいことをいわれると理解するのに時間がかかるのです。この惑星に指一本触れるも触れないもみなお嬢様がお決めになることで、こちらに棲息なさっている進化途上種のみなさまにはそんなこと決める権利も実力もないのに何を根拠にそんなことをおっしゃっているのだろう?と解析に手間取ってしまいました。具体的な方法があったわけではないのですね。はい、やはりお相手が知性に劣る点を考慮に入れて非ロジックモードを強化してまいるべきでした。わたくしのミスでございます。お見苦しい点がありましたことをお詫び申し上げます。」

パープルは申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。丁寧に謝っているようで客観的にはいよいよ喧嘩を売っているようにしか見えない。
事務総長はこれ以上言い争いを続けても虚しいと悟った。

「・・・パープルくんとやら、申し訳ないが今日はこのまま引き取ってくれんか?」

「そうですか。わかりました。それではこれで失礼いたします。ではまた」

パープルはその場で再び深々と頭を下げると、忽然とその場から姿を消した。
次の瞬間、守衛たちが事務総長執務室に勢いよくなだれ込んできた。

「事務総長!何か異変でも?」

「・・・いや、何もないよ。」

事務総長は小刻みに首をぷるぷると振りながら言葉を続けた。

「今は何もないよ・・・でも・・・これから先は、ちょっとわからんかなあ・・・」

*****

その翌日
東京・永田町
・・・

「・・・内閣総理大臣、矢部信三くん!」

議長に呼ばれて矢部首相が衆議院本会議の演壇に昇った。これから所信表明演説を行うのである。
手元の資料をちらりと見やってから矢部首相は視線を上げ、会議場を埋め尽くす代議士たちに向かって甲高い第一声を発した。

「・・・えー」

・・・
・・・
矢部首相の演説はそこで終わってしまった。
・・・
それどころではない。
衆人環視の中で、矢部首相の姿自体がいきなり消えてしまったのである。
そしてその代わりに、ついさっきまで矢部首相が立っていた位置に現れたのは一人の美少女だ。
年のころは10~12歳くらい。
身長150㎝弱。小柄で細身の華奢な身体。
肩甲骨の下あたりにまで届く漆黒さらさらのストレートヘアを真っ赤なリボンでまとめ、薄いピンク色のワンピースは肩にパットが入って膝丈くらいまでふんわりとフレアーギャザースカートが広がっている。足元は純白のハイソックスとシルバーメタルのパンプス。
切れ長の目元が涼しげな美少女である。
誰もが呆気にとられて見守る中、当の美少女は機嫌よくにこにこ笑いながらマイクを自分の背の高さに調整すると、おもむろに挨拶を始めた。

「・・・こんにちは。今日からわたしがみんなの飼い主です。可愛がってあげるから良い子にしてね♡」

会場がざわざわとどよめく。
さすがにSPたちが飛び出してきた。

「お嬢ちゃん。ここは君のような小さな子供の来るところではないよ。」

「・・・」

謎の美少女は小首を傾げた。

「・・・わたしのこと、小さい、って言った?」

「ああ、言ったとも。当たり前だろう。でもそんなことはどうでもよい。そこをどきなさい。」

「・・・ぷっ」

我慢しきれない、とでもいうように謎の美少女は大きな声をあげて笑い始めた。

「きゃはははははははは、わたしのこと、『小さい』だって。このおじさんたちが、わたしのことを『小さい』って言ったわ。ばっかみたい。きゃははははははははははは」

演壇を拳で叩きながら笑い転げる謎の美少女に、業を煮やしたSPが手をかけた。

「?」

少女に触れることはできる。
ところが、こんな小柄な少女なのに、屈強なSPが手をかけても微動だにしない。
押しても引いてもびくともしないのだ。
試しに数人がかりでやってみたけれど結果は全く変わらない。
ようやく笑い終わった謎の美少女は、蔑むような目つきで周囲のSPたちを睨み付けた。

「・・・おじさんたち、うざいからもうそばに寄らないでちょうだい。」

それでももちろんSPは引き下がろうとしない。
美少女はやれやれという表情をしながら片手で軽く薙ぎ払った。

「!」

この軽い一振りだけでSPたちはまるで発泡スチロール製の人形であるかのように周囲に吹っ飛ばさされてしまった。
なんという怪力だ・・・
謎の美少女は口をへの字に曲げる。

「・・・失礼しちゃうわ。これだから野蛮な下等生物は嫌なのよ。」

これは流石に緊急事態である。早くこの少女を排除して矢部首相の安否を確認しなければならない。SPのチーフは異例の決断をした。

「みなさん、その場に伏せてください!」

慌てて議場の代議士たちが机の下に身を隠す。
これを確認すると、チーフは大声で命令した。

「ファイアー!!!」

謎の美少女の立つ演壇を扇形に取り囲んだSPたちが一斉に発砲した。
ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ
きゃああああああああああ
うわああああああああああ
衆議院本会議場内に響き渡る銃声と悲鳴、怒号
もくもくと立ち込める硝煙
・・・
・・・
この阿鼻叫喚が一段落し、硝煙が晴れると・・・しかし少女は平然とした表情のままでその場に立っていた。
雨あられと撃ち込んだはずの銃弾は、すべてその足元近くに落ちている。
・・・
銃撃すらも全く効いていない
・・・
・・・
愕然とするSPや代議士たちには目もくれず、謎の美少女は天を仰いだ。

「・・・あーあ、ここならみんなに挨拶できると思ったのになあ。邪魔してばっかりで悪い子ね。しかたないわ。やっぱり自分で注目を集める場を作らないとダメ、ってことね。」

謎の美少女は、衆議院本会議場の演壇の上で背筋を伸ばして、大きく息を吸い込んだ。
ピカッ
その身体が青白く輝く
そして
・・・
ぐんぐん伸びていった。

*****

「・・・あちらが国会議事堂でございまーす。向かって右手が参議院、左手が衆議院、そして中央部のタワーは高さが33メートル。完成時にはわが国で最も高い建物であったとのことですございまーす。」

バスガイドさんに解説してもらうまま、東京見物にやってきたJA観光のじーさんばーさんたちは一斉に車窓の外を注目した。
みなさんお馴染み御影石製の白亜の殿堂にしてわが国の立法府である国会議事堂である。
パシャパシャパシャ
じーさんばーさんたちは一斉に写真を撮り始めた。

「あーれま、おじいさん、あーれが国会議事堂だとか。」

「立派な建物だのう。さすが東京だのう。おらの村の役場より立派だのう。」

ぐらぐらぐら
そのとき、足元が小刻みに震えた。
バスガイドさんの表情が曇る。
すると、遠くに見える衆議院本会議場の屋根に亀裂が入った。
ぴきぴきぴきぴき
・・・
どかああああああああん

「きゃああああああああ」

バスガイドさんが悲鳴を上げて座り込んだ。
亀裂の入った衆議院本会議場の屋根を突き破って巨大な少女が現れたのだ。

「きゃあ!きゃあ!きゃあ!」

「あーれま、おじいさん、国会が壊れちまっただーよ。」

「派手なことだのう。さすが東京だのう。おらの村では見たことないのう。」

衆議院本会議場を突き破って現れた黒髪の少女は、立ち上がると中央のタワーよりもちょっとだけ背が高い。
特撮映画から抜け出てきたかのような巨人である。
バスガイドさんは完全にパニックに陥ってしまった。

「きゃあ!きゃあ!きゃあ!」

その一方で、ここに至ってもまだJA観光のじーさんばーさんは冷静である。

「あーれま、おじいさん、まーず可愛げなお嬢ちゃんだーよ。」

「しっかしでっけえ娘っ子だのう。さすが東京だのう。おらの村にはいないのう。」

*****

「ふう、とりあえずこのくらいまで大きくなっておけばいいかしら。」

巨大化した謎の美少女は、肩についた瓦礫をぽんぽんと払い落とすと、国会議事堂の正面に向かって胸を張って自己紹介を始めた。

「こんにちわあ!わたしが今日からみんなの飼い主になるんだよお!可愛がってあげるね♡」

ウゥー、ウゥー、ウゥー、ウゥー、ウゥー、ウゥー・・・
たちまち警視庁や麹町警察署あたりから数十台のパトカーが駆け付けた。
ジュラルミンの盾を構えた機動隊員たちも駆け寄ってくる。
見上げれば既に横田基地からスクランブルしてきたと思われる戦闘機がぐるぐると上空を旋回中。
さすがにこの早さで戦車が展開できるはずもないが、それ以外はまあ東宝映画や円谷プロダクションなどで毎度おなじみの対怪獣包囲網の完成だ。

「撃て!撃て!撃て!」

「ま、待ってください。巨大だけど女の子ですよ。可愛い女の子ですよ。怪獣じゃないんですよ。」

「怪獣も同然だ!撃てええええ!!!」

ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ
ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ

使い古されたパロディにも窺えるようにJUNKMAN的にはもはや古典芸能の域に達した警察/機動隊/自衛隊による無駄な抵抗の様式美である。
案の定、巨大化した謎の美少女は痛そうなそぶりも見せない。
それもそのはず、雨あられと降り注ぐ銃弾・砲弾は、みなこの巨大美少女に接触した瞬間に真下に落ちてしまうのだ。
その身体に埋まり込むわけでも刺さり込むわけでもなく、跳ね返されるわけでもなく、かといって爆発するわけでもなく、そのまますとんと力なく足元に落ちてしまう。
いや、厳密にいえば全く爆発していないわけでもなさそうだが、その威力は不自然なほどに減弱している。
???
わけがわからないが、これではダメージを与えることができないのは当然だ。
確かに何のダメージもないのだが、しかしその謎の巨大美少女は口をへの字に曲げてご機嫌斜めである。

「・・・もう!あんたたちはさっきからわたしがお話ししようとすると邪魔してばっかり!」

大きく息を吸い込むと、盛んに銃撃してくる警官隊たちに向けて、右手の人差し指を差し向けた。

「・・・懲らしめてあげる」

指の向いた先の警官隊の一角がレモン色に輝き始めた。

「?」

「あ・・・ああ」

「・・・うわああああああああああああ!!!」

警官隊のレモン色の輝きが向けられた謎の美少女の指先に吸い寄せられる。
するとその警官隊は徐々に輝きを失いながら縮小し始めた。
しゅるしゅるしゅるしゅるしゅるしゅる・・・

「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・」

「ふん!」

謎の巨大美少女は得意そうに鼻を鳴らしながら人差し指を警官隊の一角に、そしてその隣の一角に、更にまたその隣の一角にと向けていく。
そのたびに対象となった警官隊はレモン色に輝き始め、そしてその輝きを指に奪い取られて縮小していった。
縮小された警官隊はいずれも身長1㎝くらいの無残なこびと部隊にされてしまった。

「・・・ふふふ、おじさんたち、さっきわたしのこと『小さい』って言ってたでしょ?こんどは自分たちが惨めなこびとどころか、もっともーっと惨めな極小こびとになり下がっちゃったわね。どう?そこまで小さくなった気分はいかが?」

「!」

「もうわたしはおじさんたちには何もしないけどね。ま、勝手に罰を受ければ良いと思うわ。」

「?」

この謎の少女の言葉の意味はすぐにわかった。
国会議事堂が破壊されてから永田町は大パニックである。
瓦礫の下敷きになった国会議員たちは別として、界隈に勤務するOLたちが血相変えて逃げまくっているのだ。

「きゃあああ、助けてええええ!」

「うわっ・・・や、やめろ!止まれ!止まるんだ!!!」

1/100に縮小されてしまった警官隊など、慌てて逃げるOLたちの眼中には入らない。
大声で制止したところで聞く耳持ってももらえない。
かといって、一般市民である彼女らに警官隊が発砲するわけにもいかない。
いや、たとえ発砲したところで1/100のこびと部隊の銃撃では100倍サイズの巨大なOLたちを足止めすることなどできるはずもなかった。

「きゃあ!きゃあ!きゃあ!」

「やめろ!!止まれ!!頼む!!止まってくれえええええええ!!!」

「うわああああああああああああああ」

ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ
・・・
・・・
・・・
叫びも虚しく、縮小されてこびと部隊となってしまった元警官隊は、謎の巨大美少女と戦うどころか逃げ惑う普通のOLたちの足元でミンチになってしまった。
市民を守るための警官隊のはずが、守るべき対象であるか弱い一般市民によって踏み潰されてしまったのである。

「ふ、いい気味ね。」

謎の巨大美少女はこの様子を高い視点からにやにや笑いながら眺めていた。

「・・・でも、この大きさじゃ、またあんな感じのおじさんたちが邪魔しに来ちゃうなあ・・・」

謎の少女はちょっと腕組みをして考え込んでから、自分に言い聞かせるように小さく頷いた。

「・・・よし。じゃ、もうちょっと大きくなろう。」

腕組みをしたまま目を瞑って神経を集中する。
その姿が青白く輝き、そして伸びていった。
ぐぐ
ぐぐぐぐ
ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ
ぐぐぐ

・・・
身長150mほどに巨大化した謎の美少女は、満足そうに頷くと、廃墟と化した国会議事堂を後にして地響きを立てながら六本木方面へと歩き始めた。

*****

国会議事堂前でバスが使い物にならなくなったので、JA観光のじーさんばーさんは仕方なくとぼとぼと六本木通りを渋谷に向かって歩いていた。いくら年寄りとはいえ農作業で鍛えただけあって歩くのは得意である。
六本木交差点に差し掛かったころ、正面やや左手に一際目立つ建物群が見えてきた。
六本木ヒルズである。

「あーれま、おじいさん、こんなところにも立派な建物があるだーよ。」

「洒落とるのう。さすが東京だのう。おらの村の雑貨屋より栄えとるのう。」

ずうううううん
ずううううううううううううん
ずうううううううううううううううううううううううん
背後から迫ってきた地響きがJA観光のじーさんばーさんを跨ぎ越してその六本木ヒルズに向かう。
もちろん、それは再巨大化した謎の美少女だった。
じーさんばーさんは腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

「・・・おやおやおじいさん、あのでっかいお嬢ちゃんが、もっとでっかくなっちまっただーよ。」

「いやいや不思議なことだのう。さすが東京だのう。おらの村では見たことねえのう。」

*****

「・・・あれえ、こんな建物があるんだ・・・」

謎の美少女は六本木ヒルズ森タワーの正面で立ち止まった。
近くに寄って背比べしてみる。
サバ読んでも150mしかない彼女では高さ238mもある森タワーとは勝負にもならない。

「・・・あーあ、癪にさわるわ。もっと大きくなっておけば良かったかしら?」

ちょっと口を尖らせてみたものの、思い直して首を小さく左右に振った。

「それじゃ芸がなさすぎ。こうしましょ。」

謎の巨大美少女は一歩退くと、森タワーに右手の人差し指を向けた。
たちまち森タワーがレモン色に輝く。
そのレモン色の輝きが少女の人差し指に吸収されると、ビルはしゅるしゅると小さくなっていった。レモン色の輝きが完全に消えて縮小過程が終了したとき、あの威容を誇っていた六本木ヒルズ森タワーは元の1/10の大きさ、すなわち高さ23.8mになっていた。

「うん、このくらいがちょうどいいわ。これ以上小さくすると遊びにくいからね。」

身長150m弱。地球人の100倍サイズに巨大化していた謎の美少女にとって、1/10に縮小化したビルは1/1000サイズである。
森タワービルの高さは、謎の美少女が履いているメタルシルバーのパンプスのサイズとちょうど同じくらいになった。
しゃがみ込んで、実質的に高さ23.8cmの小さな玩具になり下がった森タワーに手を伸ばす。
むんず
ばきばきばき、ぼき
このサイズなら片手で握って基礎から引っこ抜くことなどわけもない。
六本木ヒルズ森タワービルをまるごと握りしめ、さらさらの黒髪を片手でかき上げながら謎の巨大美少女は立ち上がった。
その中に閉じ込められた人々は、絶叫をあげながら窓の外を見る。
視野一杯に広がるあどけない少女、得意そうに笑っている少女は、彼らから見れば1000倍サイズの超大巨人だった。

*****

「ほらほら、おじさんたち、出てきなさいよ、早く、早くう。」

謎の巨大美少女は、握りしめた森タワーをもう片方の掌の上に翳す。
それでも恐れをなしたビル内の人々はなかなかビルから出てこようとしない。

「どうしたの?聞こえないの?それともお手伝いが必要?ほらほら」

握りしめた森タワーを荒々しく振る。
中から絶え間なく聞こえていた絶叫のトーンがまた1レベル上がった。

*****

「ぐわあああああああああ」

森タワー内部の某外資系投資銀行グループオフィスでは、センスのいいスーツを着込んだバンカーやトレーダー、ディーラーたちが頭を抱えこんで右往左往していた。
地震大国日本でも経験したことのないレベルの揺れである。
何しろ小刻みに左右60°くらい振られていくのだ。
立っていられないどころか机、椅子、棚、モニター、もちろん書類などが宙を舞い、それに打ちつけられたり下敷きになったりして動けなくなった者も数多かった。
しかしそれでも大多数は、打撲やかすり傷こそ負いながらも、壁際や柱の陰などでこの気違いじみた揺れに歯を食いしばって耐えていた。

「ほらほらほら、早く外に出てきなさいよ!」

窓の外から可愛らしい、しかし暴力的に強大な、女の子の声が響いてくる。
この森タワーを片手で握りしめている大巨人の声だ。
誰がそんな声に従ってわざわざ危険に溢れた屋外になど出て行くものか。
彼らはメチャクチャになったオフィスの中で、じっと膝を抱え、息を潜めて小さくなっていた。

「ふうん、じゃ、もっと派手に遊んじゃうよ。」

オフィス内の小刻みな揺れが止まった。
彼らがほっと一息ついたのもつかの間、建物全体が体感的に100mほどフリーフォールして、90°傾いたまま虚空に急停止した。

「うわああああああああああああ」

再び彼らの身体が机や棚や書類などと共に宙に舞い、90°傾いて下面になった壁に叩きつけられる。
恐怖はこれで終わりではなかった。

「じゃあみんな、頑張ってね。今度の揺れは大きいわよ♡」

オフィスが再び揺れ始めた。
しかし今度の揺れはさっきまでとは種類が異なっている。
下面になった壁に向かって強烈なGがかかったまま、オフィス全体がゆっくりと大きく傾きながら上昇していく。
ある程度の高さに達すると、今度は反対方向に傾きながら下降をはじめ、そして最低点を過ぎるとまた上昇を始める。
この繰り返しだ。
身体や家具などが宙に舞うことはないが、そのかわり下面や側面へのGがきつく、社員たちは机や棚もろとも左右にずるずる引きずられて気が遠くなりそうになった。
それでも壁や柱に押し付けられた者はまだましだった。
運悪く窓枠に押し付けられた者は砕け散ったガラスもろとも遠心力によって容赦なく建物外へと放り出されていった。
この運動はだんだん激しさを増してくる。
最低部に達した時のスピードが上がり、そして左右に振れた最高部がどんどん高くなっていくのだ。
・・・
・・・
何なんだ、この振り子のような運動は?
いったいこの森タワーに何が起こっているのだ?

*****

オフィス内の社員たちが訝しむのは当然だった。
森タワーはその通り振り子にされていたのである。
謎の巨大美少女はポケットから細い紐を取り出して森タワーの中ほどに結わいつけ、紐のもう片方の端を摘まんで悠々と目の前にぶら下げたのだ。
中に閉じ込められた人々には正確に状況が窺い知れないまま、この少女は六本木に威容を誇った森タワーをちょっと大きめなヨーヨー、あるいは夜店の水風船のように扱っている。
まさに玩具としていたのだ。
もちろんただ静かにぶら下げているだけではない。
ぶらぶらと左右に揺らし始める。
はじめはゆっくり、そのうちだんだんと勢いよく、振れ幅が広がっていく。
そして最後には、振り子運動が回転運動に変わった。
少女が摘まんだ紐の端を中心にして、森タワービルを大きくぐるぐると大車輪のように回し始めたのだ。
ビルの中の絶叫がひときわ高くこだまする。
謎の巨大美少女の漆黒の瞳は、サディスティックな喜びできらきら輝いていた。

*****

・・・
・・・
気がついた時には回転も揺れも止まっていた。
・・・
随分と人数は減ってしまったが、残された者はみんなメチャクチャになったオフィス内でぐったりとして横になっている。
頭や胴体から激しく血を流している者もいる。
彼らはただぐったりとして休んでいるだけではないのだろう。
だって手足や、場合によっては首から上が欠けている者もいたからだ。

「・・・もういいでしょ?さ、楽しいお遊びもおしまい。さすがにそろそろ出てきなさい。これは命令よ!」

建物の外から、相変わらずお気楽な少女の声が聞こえる。
これだけの犠牲者を出しておいてお遊びはないだろ?
それに、出て行こうにももう身体が言うことをきかないよ。
彼らは立ち上がることができず、その場に突っ伏したまま謎の巨大美少女の命令を結果的にやり過ごしていた。
・・・
・・・
甘かった。

「・・・出てこないの?そう・・・わたしの言うことが聞けないの?」

外から響いてくる声が少し険を帯びてきた。

「じゃあ、こうするよ。」

めき
・・・
めきめき
めきめきめきめき
・・・
オフィスの四方の壁に亀裂が入ってきた。
彼らはその意味するところを直ちに理解した。

「あ、あ、あの巨人、このビルを握り潰すつもりだ!」

「どうする?逃げ場はないぞ!」

「う、うわ、このままじゃオフィスごとぺしゃんこに潰されちまう!!!」

めきめきめきめきめきめき
壁の亀裂はみるみる大きくなっていく。
もはや一刻の猶予もない。
彼らは疲れ切った身体に鞭打って、破れた窓や崩れた壁の隙間などから我先にと建物の外に飛び出した。
そこが地上何メートルの高地であるか、この際は知ったことではない。
座していれば、それは確実な死を待つことになる。
逆に、身体の自由が利かず屋外へ飛び出すことができないと判断した人々は、その瞬間に生への執着を失った。

*****

そのフリーフォールは実際のところは何秒にもわたったわけではあるまい。
しかし高層ビルの窓から空中に飛びだすというあり得ない選択をした彼らにとって、温かくて柔らかな肌色の地面に到着するまでのそのわずかな時間が永遠に続くかのような長い時間に感じられたのも無理はあるまい。
実際に、バンカーの一人はこの間に走馬灯のように巡る自分の人生を回顧した。
どさり、と、着地して、初めて我に返ったのだ。
意外なことに、重い傷は負っていなかった。
それは僥倖であったらしい。
彼の周囲にはそのままじっと動かなかったり、関節がおかしな方向に曲がってうめき声をあげていたりする者も大勢いたのだ。
彼の勤務していた外資系投資銀行の社員だけではない。
IT企業、法律事務所、広告代理店、マスコミなどの花形オフィスで人生を謳歌していた勝ち組エリートたちが、焦燥しきった表情で倒れ込んでいた。
ここはどこか?
状況を見れば、考えてみるまでもないことだった。

「・・・やっと出てきたわね。遅すぎだけど、ま、いっか。」

雷鳴のように轟く少女の声。
その主が上空から自分たちを見下ろしている。
空いっぱいに広がるほど巨大だ。
その傍らに片手で握りしめている森タワービルと比べると、そのバカバカしいほどの巨大さがよくわかる。
あのちょぼっとした口を大きく開いたら、森タワーをそのまま銜え込むことだてできそうだ。
それほどにも巨大なのに、でもまだあどけなさすらも伺える。
女ではない、まだ少女だ。
そんな年端もいかない少女が、切れ長の眼にいっぱいの嘲りを込めて、自分たちを見下ろしている。
とても人間を見る目ではない。

「じゃ、ここまでにしましょ。」

謎の巨大美少女は、もはや既にほとんど残骸と化していた森タワービルを握る手に、もう少し、力を・・・加えた。
ぐしゃ!
・・・
・・・
一瞬で、本当に一瞬で、タワーの中層階に相当する部分のほとんどが握りつぶされ、両端にあたる高層階と低層階は、中に取り残されていた人々もろとも瓦礫をはらはらと振りまきながら地表に墜ちていった。
当の巨大美少女本人は顔色一つ変えていない。
その気になれば、彼女はいつでもこうやって簡単に握り潰すことができたのだ。
彼らがこうやって反対の掌の上に立っていられるのは、ただの彼女の気まぐれだったのだ。

「・・・見た?」

謎の巨大美少女は高慢に鼻を鳴らしながら掌の上の人々に説教し始めた。

「おじさんたちこの惑星の原住民はね、アリンコ未満の惨めなこびとなの。小さくて、弱くて、そのうえおバカな最低のこびと。わかる?わかったら飼い主のわたしに土下座してお願いしなさい。優しく飼ってくださいって、ね。ほらほら、ちゃんと大きな声を出してお願いするのよ。」

・・・
・・・
誰も声を出さない。
・・・
いや、出せないという方が正確か。
・・・
・・・
我々を「この惑星の原住民」呼ばわりするこの少女は、どうやら地球外生命体らしい。
つまり異星人だ。
でもそれは現時点では大きな問題ではない。
大の大人が、何百人もまとめて女の子の掌に乗せられている。
しかも社会の勝ち組で他人に頭を下げるなんて考えもしなかった彼らが「優しく飼ってください」とお願いするよう強要される。
そんな現実が、現実として受け止められなかった。
・・・
しかし、しかし、目の前で繰り広げられるこの光景
この少女と自分たちのありえないようなサイズの差
これらをまざまざと見せつけられては反抗しようという勇気も湧いてはこない。
・・・
・・・
俺たちは社会の勝利者じゃなかったのか?
それとも女の子に命乞いするような最低最弱のこびとなのか?
どっちが本当の俺たちなんだ?
・・・
にわかに気持ちの整理なんかつくわけがない。
彼らには、ただ金縛りにあったかのようにその場に固まっているしか選択肢がなかった。
・・・
・・・
・・・
謎の巨大美少女はこの様子を見ても取り立てて不機嫌にはならなかった。

「どうしたの?・・・もしかして悔しいの?普通の文明人に飼ってもらうのがそんなに悔しいの?ぷっ・・・」

「・・・」

「さすがに下等生物のバカさ加減は只者じゃないわね。」

普通の文明人?
下等生物?
・・・
もしかして、この巨大な少女は自分こそが文明人で、俺たちは下等生物だと言いたいのか?
・・・
・・・
それはあまりに勝手な言い草だ。
そもそも地球は俺たちの惑星だ。
お前は侵略者じゃないか!
しかもまだ判断力もなさそうな子供だろ?
正義は俺たちにある!
異星人の勝手にはさせないぞ!
彼らの怒りが少し湧き上がってきたことを見透かしたかのように、謎の巨大美少女は言葉を続けた。

「・・・ねえ、現実を見てご覧なさいよ。目を逸らさないでね。おじさんたちは、いま、普通の文明人の女の子の掌の上に乗せされているのよ。いい大人が何百人も集まって、女の子の掌の上で震えてるってどーよ?虫なの?ゴミなの?それ以下なの?・・・そう、それ以下よね。虫けら以下のこびとよね。いまさら悔しがってる場合じゃないでしょ?」

「く・・・」

「しかもさ、デフォルトがそんなに小さいのに、科学が遅れてるからそれ以上大きくなることもできないんでしょ?ってことは、一生そんなに小さいまま?・・・ぷっ、恥ずかしい!大人になっても文明人の女の子に指でぷちって潰されちゃうくらいのチビなんだ。女の子の足の指すら遥かに見上げなきゃならないほどのチビなんだ。どれだけ惨めなの?どれだけ下等なの?きゃははははは♡」

謎の巨大美少女は掌の上空に息のかかるほど顔を近づけて彼らを嘲り笑い飛ばした。
その笑い声の暴風圧で数十人が掌から吹き飛ばされて遥か地上へと落下していった。
残ったものは掌の上に這いつくばって、巨大少女からの蔑みの視線を体いっぱいに浴びながらがたがたと震えている。
さっき少しだけ湧き上がってきた彼らの怒りとプライドは木端微塵に粉砕され、今はこの巨大な美少女に対する恐怖と畏怖と劣等感だけが彼らを押し包んでいた。

「あはは、は、は、あんまりバカだから握りつぶしちゃおうかと思ったけど、手が汚れるからやめとくわ。」

そう言うと、巨大美少女はしゃがみ込んで掌を地面におろした。
その上に残されていた生存者たちは我先にと指の隙間から地面に滑り降り、そして半狂乱になって駆け出した。
巨大美少女は立ち上がりながらその姿を改めて笑い飛ばした。

「あはは、そんなに慌ててもどうせすぐには遠くに逃げられないでしょ?だって、あんたたちそんなに小さいんじゃない。」

その声に思わず振り返って、逃げていた者たちは足を止めた。
・・・
へなへなとその場に座り込む。
その通りだ。
彼女の言うとおりだ。
必死になって走ったつもりでも、俺たちはまだ彼女の足元から全然離れていない。
彼女は、まだ実際には俺たちの真上にいる。
真上に聳え立って、俺たちをにやにや笑いながら見下ろしている。
・・・
大きさが違い過ぎる。
どれだけ遠くまで走って逃げたつもりでも、こんなに巨大な彼女なら、わずか一歩で俺たちに追いついて、こともなく踏み潰してしまうだろう。
・・・
走っても無駄だ
逃げても無駄なんだ
・・・
・・・

「ほうら、そうやって足元から巨大なわたしを見上げて敬っていればいいのよ。自分たちの小ささを思い知ればいいのよ。踏み潰さないでおいてあげるから・・・しばらくはね。」

彼らはその場にへたり込んで、小高い丘くらいのサイズのパンプスと、そこから永遠に上空に続いているかのような長い長い脚を見上げた。
それ以上の高みはドーム状のスカートに阻まれてもはや望むこともできない。
彼女は俺たちとは生きている次元が違うのだ。

「うふふ、真下から見上げたらわたしがあんまり大きいんでびっくりしてるんでしょ?残念でした。わたしはその気になればもっともっと大きくなることもできるんだよ。だって文明人だからね。ふふ。ん?ちょっとだけ見せてあげようか?んふふふふふ」

謎の巨大美少女は両手を腰に当てて胸を張る。そして得意そうに顎をしゃくり上げながら目を瞑った。
・・・
ピカッ
その巨大な身体が三たび青白く輝く
ぐぐぐ
ぐぐぐぐぐぐ
ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ
ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ
小高い丘のようなサイズだったシルバーメタルのパンプスがぐんぐん膨らんで、周囲の建物や車や人などをブルドーザーのように容赦なく呑み込んでいく。

「うわあああああああああああああ」

「逃げろおおおおおおおおおおおお」

人々の逃げる速度よりパンプスの膨張する速度の方が速い。しかも増していく重量の分だけ地面に沈み込みながら膨張していくため、人や車はアリ地獄に墜ちるかのようにその靴底に向かって捉えられていく。
確かに約束通り踏み潰さないでおいてくれたのかもしれないが、しかし、靴底に呑み込まれてぐしゃぐしゃに潰されていくことには何の変わりもなかった。
それはもはや森タワービルごと縮小された人々だけではなかった。
地球人の100倍サイズから始まって、1000倍、そして10000倍と巨大化していく謎の美少女の影響は、もはや六本木に留まらなかったからだ。
その左足だけで六本木の中心部ほとんどを埋め尽くされたばかりか先端は麻布十番にまで達し、踏み出した反対の右足は渋谷駅の東口側一帯を一歩でクレーターにした。
突然降ってわいたような天変地異に群衆が絶叫を上げて逃げ惑う。
そんな足元のパニックを謎の巨大美少女は高らかに笑いとばした。

「きゃははははははは、ああ、いい気分・・・でも今日はこのくらいにしといてあげるわ。お楽しみはまだまだこれからだからね。もっともっと大きくなったわたしと楽しく遊べるように、ちゃんとみんなで準備しておいてね。じゃあ、また来るわよ。バイバイ♡」

謎の超巨大美少女は上機嫌にウインクすると、次の瞬間には姿を消してしまった。
・・・
・・・
・・・
・・・
瓦礫で埋めつくされながらも辛うじて靴底に沈むことは避けられた六本木交差点
その瓦礫の海の下から埃まみれになりつつも自力で這いずり出てきたJA観光のじーさんばーさんは、謎の巨大美少女が消えた虚空を見上げて呆然とした。

「・・・あーれま、おじいさん、あのでっかいでっかいお嬢ちゃんが、消えちまっただーよ。」

「びっくらこいたのう。東京もぼろぼろになっちまったのう。そろそろ村に帰るべえかのう・・・」

*****

東京の大惨事は瞬く間に世界中に知れ渡ることになった。
国会と内閣を同時に失った政府はもちろん完全な機能停止である。
それだけでなく、決して狭くはない国土の中の首都東京、しかもそのほんの一部が破壊されただけで、なんとこの国の政治経済文化の全てがストップしてしまったのだ。
その一部始終をテレビは冷酷かつ面白半分に各国に配信した。
ニューヨーク国連本部の執務室内でも、事務総長は再び訪れたパープルと並んでこの有様を眺めていた。

「・・・申すまでもないとは存じますが、こちらがうちのお嬢様でございます。」

「やっぱりね」

「で、通知はこの惑星の皆様に行き渡ってまいったでしょうか?」

「通知なんかしてないよ。」

「は?」

「だから通知なんかしてないよ!こんなことがまさか本当に起こるなんて、思っていなかったんだよ!」

「そうですか。それは残念でございました。」

「・・・残念?」

事務総長は眼鏡をかけ直しながらパープルを睨み付けた。

「これが残念で済む問題か?どれだけ被害が出ていると思っているんだ?何人が命を落としたと思っているんだ?」

「はい、現時点確認された死亡者は37631名でございます。その他に意識不明の重体が5276人、行方不明者は44528人でして、そのほとんどは近い未来に死亡者に移行すると見込まれます。」

パープルは平然と犠牲者の数を具体的かつ正確にそらんじてみせた。申し訳ないとか、可哀想とか、そういった感情は微塵も感じられない。事務総長はむっとした。

「・・・君ねえ、人が大勢死んでいるんだよ。そのお嬢様とやらが罪もない人々を大量殺戮しちゃったんだよ。そんなこと許されるはずがないだろ?」

「はい?」

パープルはまた危うく一時機能停止しそうになりながら、ここは踏みとどまって会話を続ける。

「許されるも何もこの惑星はお嬢様の所有物なのですから、そこに棲息しておられる進化途上種の皆様も当然お嬢様の所有物でございます。許すとか許さないとかを決定するのはもちろんお嬢様自身でございまして、そこに進化途上種の皆様自身が口を挟むことの方がナンセンスとしか・・・」

「わたしは安全保障理事会に言ってくる。」

これ以上続けても理解しあうことは不可能だ。
事務総長は会話を早々に切り上げ、まだ何か言いたそうなパープルを執務室に残したままそそくさと会議室に向かった。

*****

国連安全保障理事会は今日も大荒れだ。
いや、安保理が大荒れなのはいつも通りだが、今日は特別に違う事情もある。
なんと、各国が国連大使ではなく元首級の大物を参加させているのだ。
無理もない。
地球は強大な異星人に侵略されようとしている。
各国が協力し、本気になって対策を立てなければ地球人は滅ぼされてしまうのだ。
事務総長は緊張に打ち震えながら会議の口火を切った。

「・・・えええ、本日は、ご多忙のところ、各国の元首級要人の皆様を、おお、この国連安全保障理事会に、ええ、お招きして、その・・・」

「ヘーイ、事務総長、ソンナツマラナイ前置キハモウイイデース」

事務総長の話を遮ったのは西半球にある超大国のバート・フリーマン大統領である。

「今日ハ、シッカリト実務的ナ話シ合イヲシナケレバナリマセーン」

「ええ、ですが、まあ、その、まず、手始めに・・・」

「黙ルヨロシ!要スルニ、役立タタズハ引ッ込ンデイロトイウコトアル!」

東アジアの大国の蔡頌傑主席は居丈高に言い放つ。事務総長は首をすくめて黙りこくった。

「ソレデハ単刀直入ニ、皆サンノ、意見ガ聞キタイデース」

いつの間にか事務総長は無視されて、フリーマン大統領が会議を仕切り始めてしまった。
極度に寡黙な北方の軍事大国のセルゲイ・ウラジノフ大統領が、軽く右手を挙げ、苦虫を噛み潰した表情で何かぼそぼそと意見を述べはじめた。

「・・・・・」

・・・
・・・
だめだ
声が小さくてどうしても聞き取れない。
だが強面のウラジノフ大統領に聞き返すことなんて、怖くて誰にもできない。

「・・・・・!」

ウラジノフ大統領はどうやら話し終わったらしい。
異常に鋭い眼光で周囲をじろりと眺め渡す。
・・・
・・・
会議室内は重苦しい沈黙が押し包まれた。
これ
聞き返したら
・・・
ホントに怒られるな
・・・
・・・
・・・
いたたまれなくなった空気を破るように、欧州の文化大国のジュベール・ドゥバイエ大統領がセルゲイ・ウラジノフ大統領に向かってニコリと笑いかけた。

「・・・セルゲイ、ソレハツマリ、『異星人デアロウト我々ガ核デ攻撃スレバ倒セル』トイウコトダネ?」

・・・
・・・
ウラジノフ大統領は、苦虫を噛み潰した表情のまま
・・・
黙って
・・・
こくりと頷いた。
・・・
・・・
ほうっ
会議室内に安堵の溜息がもれる。
さすがは権謀術数渦巻くどろどろのヨーロッパ外交に慣れ親しんだドゥバイエ大統領である。ウラジノフ大統領の考えそうなことを正確に読み取って代弁してくれたのだ。

「僕モセルゲイノ意見ニ賛成ダネ。地球ガ簡単ニ異星人ノモノニナラナイコトヲ、見セツケテヤラナイトネ。」

「我モ賛成アル」

しゃんしゃんと話がまとまりかけた。
このままでは各国の連合軍が一斉にお嬢様に向かって核ミサイルを撃ち込むことになるだろう。
会議の隅っこにはじき出されていた事務総長は慌てて発言を求めた。

「み、皆さん、そんな勇ましいことをおっしゃいますが、し、しかし、相手は我々より科学力が進んだ異星人ですよ!・・・か、勝てないんじゃないですか?」

「戦ウ前ニ負ケルコトバカリ考エルノハ弱虫デース」

「し、しかし、負けたらこの地球は、地球人は、滅んでしまうんですよ!」

「・・・・・!」

「・・・セルゲイ、ソレハツマリ、『異星人ニ降参スルクライナラ誇リヲ持ッテ滅ンダ方ガマシダ!』トイウコトダネ?」

「いやいやいや滅んではいけない。滅んだら元も子もないではありませんか!」

「事務総長サン、誇リハトテモ大切デース。我々ハ、奴隷ニ身ヲ堕トシテマデ生キ延ビヨウトハ思イマセーン。」

「そもそもそんなに大量の核兵器を使用したら、それだけで酷い環境破壊になるんじゃ・・・」

「ドウセアノ異星人ハ次モ小日本ニ現レルアル。ナラバ無問題アル。」

「・・・・・」

「セルゲイ、君ハ『事務総長ハ邪魔』ト言イイタイノダネ?」

「そ、そんな!」

「黙ルヨロシ!!!弱虫ノ役立タタズノ出ル幕デハナイアル!!!」

*****

結局いつものように誰も事務総長の意見なんか聞いてくれないまま、安全保障理事会は30分の休憩に入った。
失意の事務総長は首をうな垂れながら執務室に戻る。
そこにはパープルが待っていた。

「事務総長さま、お疲れさまでございます。」

「あ、ああ・・・」

椅子にへたり込むと、事務総長はパープルに愚痴り始めた。

「・・・たいへんなことになりそうだよ。各国が共同してお嬢様に挑みかかる気まんまんだ。」

「それはお嬢様にとっては朗報でございますね。」

パープルの反応は意外だった。

「お嬢様は心根のお優しい方でいらっしゃいますから、何もしてこない相手に一方的な弱いもの苛めをするのは心中楽しからぬものであろうとお察し申し上げておりました。でも理不尽に刃向ってきていただければ今度は心置きなくぐしゃぐしゃに踏みにじってしまっても大丈夫でございましょう。」

事務総長は口を尖らせる。

「そんなこというけどね、君、凄い量の核兵器を撃ち込む予定なんだぜ。お嬢様だって無事では済まんよ。それにお嬢様云々より先に、そんな大量の核兵器を使っちゃったらそれだけでこの地球がズタボロになってしまうかもしれん・・・」

「その心配はございません」

パープルは人差し指を立てて首を振った。

「お嬢様はエネルギーリザーバーをご使用中だからでございます。」

「エネルギーリザーバー?」

「はい」

それからパープルは丁寧にエネルギーリザーバーの解説をしてくれたのだが、しかしもちろん愚劣な頭脳しか持ち合わせていない事務総長にこれを完全に理解することは不可能だった。
まあ大ざっぱにいえば、お嬢様の身体にはエネルギーの保管袋みたいなもの、すなわちエネルギーリザーバーが装着されていて、外界からお嬢様に向かうエネルギーは全て速やかにその保管袋に収納されてしまう。一方、お嬢様は自分自身やリザーバーの中のエネルギーを直接相手に向かって発することができる、ということらしい。
この収納したエネルギーはお嬢様の意志で力や熱に変えられるだけでなくe=mc2に基づいて質量に転換することも可能であると・・・

「・・・最近はお嬢様もエネルギーリザーバーの運用がお上手になりまして、ご自身への利用ばかりでなく、離れた対象物に照準を絞ってリザーバーのエネルギーを照射したり、あるいは対象物からエネルギーを奪ってリザーバーに貯め込んだりするような上級者の技術も身につけられたのですよ。」

「ああ・・・」

愚鈍な事務総長にもやっとおぼろげに理解できてきた。

「・・・それでお嬢様に加わる全ての攻撃は触れた瞬間に全てのエネルギーをリザーバーに奪われて無力化されてしまうんだね。」

「はい」

「そしてお嬢様はリザーバーのエネルギーを質量に換えることで自由に大きくなれる。また、狙いを定めた相手からエネルギーを奪うことによってその対象物を小さくできる・・・」

「ま、概ねそんなところでございます。」

「ふう・・・で、お嬢様のそのエネルギーリザーバーとやらの保管袋には、いったいどのくらいまでのエネルギーが収納できるんだね?」

「はい。お嬢様はまだお子様でございますし、今回の訪問先のことを考えてもあまり大きなものは不要かと考えまして、お持ちのリザーバーにはこの惑星の所属する恒星1個分の質量程度しか収まりません。」

「・・・」

ということはつまり、太陽の質量程度までのエネルギーに相当する攻撃なら全てそのままリザーバーに収納されてしまってお嬢様には全く無効ということだ。
当たり前のことであるが、地球上の全核兵器を全部使用したところで太陽の質量に相当するエネルギーにはまるで及ばない。
そしてその一方で当のお嬢様は太陽の質量くらいにまで巨大化することも可能なのだ・・・

「そんなわけでこの惑星のみなさまがいくら核攻撃をなさっても大丈夫でございます。エネルギーがリザーバーから溢れだすことはありませんのでお嬢様は無傷でございますし、とばっちりでこの惑星が損壊することも考えられないわけでございます。ただ・・・」

「ただ?」

「興に乗ったお嬢様がこの惑星を損壊されてしまうかもしれませんけど・・・」

事務総長は頭を抱え込んだ。
・・・
パープルの話は真実だろう。
ダメだ。
全く勝てる見込みはない。

「・・・事務総長さま、どうかなさいましたか?」

さすがにパープルにも事務総長の落胆の様子が感じ取れたらしい。

「パープルくん、わたしはこの惑星の国際連合の事務総長だ。」

「はい、確かにその通りでございますが・・・それが何か?」

「いくらその決定権は我々にない、とはいえ、やはりこの人類を滅亡させたくはないのだよ。」

「・・・」

「そのために、お嬢様に刃向う攻撃は、しない方が・・・いいのかな?」

冷静を装いながら、パープルの眼が僅かにきらりと光った。
もちろん無能な事務総長にその微妙な表情の変化を読みとることはできない。

「・・・はい、お嬢様も無抵抗の進化途上種を一方的に虐めるようなことは、なさらないかもしれない、かと・・・」

「ならば肚は決まった。」

事務総長は大きく息を吸い込んだ。

「もう休憩時間も終わりだ。安保理事会に行ってくる。」

*****

「ソレデハ会議ヲ再開シマース」

すっかり議長気取りのフリーマン大統領が開会を宣言する。本来は議長を務めるはずの事務総長は片隅で小さくなっているが、誰もそれを不自然と思わないところが悲しい。

「異星人ニ対シテ核攻撃ヲ加エルトイウ皆サンノ合意ハ整イマシタ。次ニ具体的ナ作戦ヲ・・・」

「・・・い、異議あり!」

隅っこに追いやられていた事務総長はこわごわと右手を挙げて立ち上がった。

「い、異星人に向かって、か、核攻撃を開始するという意見は・・・さ、さ、賛成できません。」

「マタカ・・・オマエ、ウルサイアルヨ。黙ルヨロシ!」

「・・・い、いや・・・黙りません!!!」

事務総長は蔡主席に向かって、小刻みに震えながら抗弁した。

「わ、わたしは国際連合事務総長です。この地球、そして地球人の安全と繁栄を守る最高責任者は、こ、このわたしです。このわたしの意見を受け容れられない者は、ただちにこの国連安全保障理事会の場から、で、で、出て行ってください!!!」

「!」

呆気にとられて黙りこくってしまった蔡主席に代わって、フリーマン大統領が言葉を続けた。

「シカーシ事務総長、ワタシタチ、核攻撃ヲ行ウト、先ホド話シ合イデ決メマーシタ。話シ合イデ決メタコト守ル、コレ民主主義デハナイデ・・・」

「甘い!!!」

事務総長はフリーマン大統領の丁寧な反論をも遮った。

「みなさんは所詮、大国の代表、大国の論理の代弁者です。大国だから勝って当たり前、勝者のメンタリティしか持っていない・・・だから負けるということのリアリティがわからず、屈辱の下で生き延びるくらいなら死んだ方がましだとか、考えてしまうのです。」

「ソレハオカシイデスカ?」

「地球上のほとんどの人々はそう考えません。なぜならば、地球上のほとんどの人々は、決して勝者になることがない負け組だからです。だから、勝者である大国の代表の意見ばかり押し通すことは決して民主的であると思いません。」

「ソレハ詭弁アルヨ!」

事務総長は蔡主席の批難を無視してフリーマン大統領に語り続けた。

「・・・フリーマン大統領、失礼ですが貴方のご先祖は黒人奴隷でしょ?奴隷貿易でアフリカから売られて来たんでしょ?」

「オー、人種差別イケマセーン」

「差別も何も事実でしょ?その奴隷だった貴方のご先祖様が屈辱を避けて死を選んでいたら、貴方はいま存在しないんですよ。」

「・・・」

「わたしたちはあの異星人に比べたら弱者です。そうです、わたしたちは弱者になったのです。弱者の戦い方は、おそらく強者の立場に慣れたみなさんにはおわかりにならないでしょう。弱者の最大の抵抗とは、生き残ることです。誇りとか、矜持とか、そんなことに拘っている場合ではありません。歯を食いしばって生き残り、そして子孫たちにチャンスが巡ってくるのを待つのです。フリーマン大統領、あなたの遠いご先祖様がそうなさったように。」

・・・
・・・
・・・
いつもの風采の上がらないダメオヤジっぷりとはうって変わった事務総長の演説に会議室内は静まり返った。彼がこの職に就任して以来、初めての出来事だった。

「・・・事務総長サン、ゴ意見ハヨークワカリマシタ。」

「ありがとうございます。」

「ソレデ、具体的ニハ、ドウスレバ良イトオ考エデースカ?」

「・・・わ、わたしが・・・交渉してみます。」

会議室内がざわめいた。

「ジ、事務総長サン、アナータハアノ異星人ト接触スル手段ヲオ持チナノデースカ?」

「あては・・・あります。」

会議室内がもう一度大きくざわめいた。

「ですから、その、交渉を・・・まず、わたしに任せていただけないでしょうか?」

・・・
・・・
・・・

「・・・ドーデスカ皆サン、マズハコノ事務総長サンノ、オ手並ミヲ拝見スルトイウコトデ?」

「・・・・・」

「セルゲイ、ソレハ君モ『事務総長ノ交渉ヲ認メル』トイウコトダネ?」

「ミ、皆ガソウイウナラ、我モソレデ良イアル。」

「あ、ありがとうございます。」

事務総長は立ち上がって深々と頭を下げると、青ざめた表情で会議室を後にした。

*****

執務室に戻ると、そこにはまだ律儀にパープルが待っていた。

「・・・パープルくん、それではわたしを案内してくれたまえ。」

「案内・・・と、おっしゃいますと・・・お嬢様のもとへでございますか?」

「もちろんだとも。」

事務総長は神経質そうに頷いた。

「わたしは、地球人を代表して、そのお嬢様と交渉しなければならない。」

パープルは即座に頷いた。

「承りました。」

*****

次の瞬間、事務総長は暗闇の中に立っていた。
暖かく、ほのかに甘い女の子の香りがする。
よくわからないが、きっとお嬢様は近くにいると確信できた。

「・・・ここは、どこかね?・・・お嬢様は、お嬢様はいらっしゃるのかね?」

きっと隣で立っているであろうパープルに問いかけてみた。
ところが、それに答えたのはパープルの声ではなかった。

「わたしなら、ここにいるわ」

未成熟な少女の声だ。
上からともなく、下からともなく、かといって左右前後のいずれでもなく、事務総長の身体全体をほんわりと押し包むような、幼い、しかし圧倒的に力強い少女の声だ。

「お・・・お嬢様で、い、い、いらっしゃいますか?」

事務総長は引きつった大声で問い返す。答はすぐに帰ってきた。

「おじさんがそう呼びたいならそう呼んでもいいわ。あ、あとおじさんの声は良く聞こえてるから、そんなに頑張って大声出さなくてもいいわよ。」

お嬢様だ。
わたしはお嬢様の面前にいる。
事務総長は口を一文字に閉めると、その場に四つん這いになって、地面に額を3回も擦り付けて土下座した。そしてその場に立ち上がると、また四つん這いに戻って額を3回叩き付ける。そして、立って、四つん這いになって額を3回叩き付ける。同じことを3×3回繰り返したのだ。

「・・・どうしたの?おじさん、なにしてるの?」

お嬢様の不思議そうな声が響き渡る。
やはり、こんな暗闇の中でも、お嬢様にはわたしの一挙手一投足が見えているのだ。

「・・・これは、心からの懇願の仕草でございます。」

「?」

「お嬢様、後生でございます。何卒、何卒、わたしたち地球人をお赦しください。そして地球人類が生き延びることをご許可ください。お願いでございます。お願いでございます。このとおり、お願いでございます!」

「・・・あなたは、わたしと交渉するためにここにやって来たのではないの?」

「いいえ、交渉など滅相もございません。ただひたすらお嬢様に懇願するために参ったのでございます。このとおりです。何卒、何卒お願い申し上げます!」

事務総長は土下座の姿勢のまま米つきバッタのように頭を下げ続ける。

「・・・ふーん」

パッ、と周囲が明るくなった。
土下座していた事務総長は頭を上げ、あらためて周囲をゆっくりと見回した。
・・・
やはり、そうか
・・・
・・・
そこはお嬢様のお部屋だった。
ピンク色と金色を主体にコーディネイトされた寝具やキャビネット、衣裳棚、鏡台。
その一つ一つが山脈のように巨大である。
そう、もちろん、その部屋の主であるお嬢様自身も含めて。
そして事務総長が這いつくばっていたこの硬い床の正体は、爪、だった。
超巨大なお嬢様の鼻先に突き出された、お嬢様自身の右手の小指の爪先だった。

「・・・おじさんは、この惑星の下等生物どものなかでは随分ましな部類ね。さすがはいちばん偉いポジションに就いている指導者だわ。」

お嬢様は鼻先の爪の上で震え上がっている事務総長に向かって話し始めた。

「わたしね、もしかしたらおじさんはこの惑星を代表してわたしと交渉に、いや、それどころか下手したらわたしを説得しに来たつもりなんじゃないか?と疑ってたのよ。」

「え・・・い、いや・・・」

「でも、そんなことなかった。おじさんはちゃんと上下関係を弁えてて立派だわ。そもそも、それも含めておじさんは真面目に生き延びよう、生き抜こう、という姿勢を顕わにしてるところがいいのよ。」

「・・・」

「パープルが用意してくれた資料によると、おじさんたちの民族って、この惑星の中で生き延びるために、裏切りも、騙し討ちも、屁理屈も、媚びへつらいも、なんでも平気でやってのけてきたそうね。」

「・・・」

「そしてそれを正当化するための捏造やら隠滅やらでたらめなプロパガンダやらも日常から熱心に取り組んでいたというじゃない。」

「・・・」

「素晴らしいわ。ちゃんと自分が生き残ること、のし上がることに対して素直で真摯な態度を貫いている。他の民族みたいに、やれ正直さとか、潔さとか、道徳とか、矜持とか、そんな後付けの勝手な綺麗ごとで自分たちを飾りたて、言い訳を美徳であるかのように思い込んでいる卑怯者たちとはモノが違うわ。自らこの惑星で最も優秀な民族と称しているだけのことはあるわね。」

「・・・あ、ありがとう、ございます」

「おじさん自身もちゃんとその民族の善いところを受け継いでいるわ。だって史上最悪最低の無能事務総長って馬鹿にされながらも、いちばんだいじな自己保身には熱心で、それに成功してきたんだもんね。とても立派よ。」

「は、はあ・・・」

「そこまでわかってるおじさんがこの惑星の指導者なんだから、何も問題はないんじゃないの?みんなおじさんがいまそうやっているように、わたしの足元にひれ伏して、額を擦り付けて、『何でも言うことをききます!奴隷にもなります!玩具にしていただいても結構です!』って言いながら命乞いすればいいじゃない。」

「は、はあ・・・そ、それが・・・そうもいかないのです。各国のリーダーたちは、必ずしもわたしのような意見に賛同しておるわけではありません。むしろ・・・畏れ多くもお嬢様に刃向おう、全力で攻撃を試みてみよう、とする声の方が有力なのです、はい。」

「?」

お嬢様は首を捻って考え込む。

「うーん、確かにパープルも同様な報告をしていたわ。でもわたしには理解できないの。この惑星程度の原始的な攻撃がわたしに無効だってことを、そりゃ理解できないお馬鹿さんだっているでしょ。だって下等生物なんだからね。でも、この惑星を代表する最高指導者であるおじさんは、ちゃんとそれが間違いだってわかってるじゃないの。じゃあ問題ないでしょ?だって、この惑星の下等生物たちは、指導者であるおじさんの決定に従うんでしょ?」

「いや、各国にはそれぞれ主権というものがありまして、それは国際連合の決定よりも尊重されます。ですから、結局は其々の国の指導者の決定に基づいて実際の施策がなさるのです。」

「え?」

お嬢様は目を丸くした。

「ということは、この惑星には施策の最終決定者が複数いるってこと?」

「はい。力の差こそありますが、基本的には国の数だけ、すなわち200人近くはいるかと・・・」

「はあ?」

お嬢様は口をあんぐり開けて呆れかえった。

「施策の最終決定者が複数いるってことは、その方針が合致しないときには争いが起こるってことでしょ?ましてやそれが200人近くもいるなら、常にどこかで争いが起こってるはずよね?つまりこの惑星に棲息してる原住民たちは戦争がしたいわけ?そんなに殺し合いが好きなの?馬鹿なの?死ぬの?下等なの?そうか、下等生物だったわね、納得。」

事務総長は、お嬢様の一人ボケツッコミに突込み返すこともできず、土下座の姿勢のまま身体を震わせていた。
間近で見るお嬢様の身体の巨大さに圧倒されていたからばかりではない。
実際にそのロジックに反論できなかったのだ。
身体こそ巨大であるが見た目はまだ子供のお嬢様が、地球人の大人には誰も指摘できなかったような真実をこともなげに突いてくる。
・・・
もしかしたら、われわれ地球人とこのお嬢様との最大の差とは、身体の大きさではなく、科学力でもなく、実は物事を合理的に判断する能力だったのではないだろうか・・・
・・・
・・・

「まあ、あんたたち下等生物の足りないオツムなら、そんなバカバカしいシステムを作っても仕方ないのかもしれないかな。文明人と同様に考えたわたしが甘かったみたい。でも・・・」

「でも?」

「いくらオツムの足りない生物とはいっても、それぞれの政府を率いているリーダークラスはいくらかましなんでしょ?おじさんがそのリーダーたちを叱ってあげればいいんじゃないの?」

「それが・・・」

事務総長は土下座の姿勢のまま説明した。

「・・・各国のリーダーにしても、自分一人の意見でものが決められるわけではありません。」

「え?」

「それぞれの国の政権は、国民の支持のもとに成立しています。すなわち、国民の多数、多くの場合は過半数の支持が得られなければ政権は崩壊してしまうのです。」

「・・・」

「ですから、政権担当者も好きなように政策を進めるわけにはいきません。大衆の支持を見極めた上で、大丈夫なようならその政策を実行する、支持が得られないようなら考え直す、という舵取りが・・・」

「・・・ぷっ」

お嬢様が我慢できずに吹き出した。

「・・・ぷっ、ぷはっ、ぶははは、ぶははははははははははははははは」

お嬢様の笑い声の凄まじい風圧に吹き飛ばされそうになって爪先に必死で貼り付きながら、事務総長は不満そうに聞き返した。

「お・・・お嬢様・・・な、何で、そのように急にお笑いに・・・」

「これが笑わずにいられると思う?」

お嬢様は笑い過ぎて涙目になりながら答えた。

「だってこの惑星の指導者は、大衆から選ばれて、その意向を常に伺い、それを反映させながら政策を進めているんでしょ?」

「はい、それをこの惑星では民主主義と・・・」

「ねえねえ、指導者は、賢い者が選ばれるんでしょ?」

「は?・・・ま、まあ基本的にはそうですが・・・」

「ということは、選ばれなかった者は選ばれた者よりも基本的には優れていないんだ。」

「は?」

「ましてや立候補もできない大衆など、まるで愚劣ってことよね?」

「はあ・・・」

「ということは、おじさんたちのいうその『民主主義』って、この惑星の中ではまだましなレベルの知性を持ってるはずの指導者が、わざわざ最低限の能力しかない大衆に決定権を委ねて、よりアホな施策しかできないように手足を縛られるシステム、ってことになるじゃない!もともと知的レベルの足りない生物が、更にその中でもダメな方へ、ダメな方へとなびいていくようにできてるなんて・・・」

「あ・・・い、いや、しかし」

「最高だわ!最高よ、おじさん!」

お嬢様はすっかり上機嫌になった。

「素晴らしい!さっきはバカにしてごめん!謝るわ。おじさんたちこの惑星の原住民は、わたしが想定していたレベルを遥かに超える大バカちん、というか、エンターテイナーだったんだわ!やっぱお笑いは天然に限るわね。惑星に棲息する種全体が身体を張ってありえないような自爆ギャグをかましてくれるなんて、凄い!これは凄い!ほんとうに凄い!文明人にはとても真似できないわ。」

「は、はあ・・・」

「・・・わたし、やめる。」

「へ?」

「こんなに凄いギャグをやってくれる天然下等生物が棲息している惑星には、文明人の手なんか入れたらもったいないわ。」

「と、おっしゃいますと?」

「もうあの惑星には行かない。遠くから見ているだけにする。その方がよっぽど面白そう。」

「え?・・・で、ではわたしたち地球人は?」

「今までどおりにやってちょうだい。ええ、頼むから今までと全く同じように、まるで文明人であるかのように、この惑星の支配者であるかのように、思う存分振る舞ってちょうだい。くふふ、楽しみだわ。どんなギャグを見せてくれることかしら・・・」

*****

地球には平和が戻っていた。
お嬢様はもう二度と地表に降り立つことなく、どこか別の次元から地球を毎日興味深く眺めておられる。
もちろん、その内部に干渉することはない。
自然を、人間を、あるがままに眺めて楽しんでおられる。
その超絶したバカっぷりを鑑賞しながら七転八倒して笑い転げておられる。
お嬢様にとってはこの上ないエンターテインメントなのだ。
そう、今日もお嬢様は地球人たちには決して窺い知れない未知の時空から、持ち主として、この抱腹絶倒な地球という惑星を、そこに棲息して我が物顔に振る舞っている地球人という愚かな下等生物を、笑い過ぎて涙目になりながら観察しておられるのだ。
・・・
・・・
お嬢様も自らおっしゃっておられたように、ギャグは天然が最強である。
だから、地球人にお嬢様の存在を感づかせてはならなかった。
そこでお嬢様は時間をちょっと巻き戻し、お嬢様が地表に降り立った痕跡すらも消してしまった。
したがってお嬢様によって破壊された物はなく、殺された人もいない。
それどころか、地球上の全ての人々の記憶や認識からも、お嬢様の存在がきれいさっぱりなくなってしまったのだ。
・・・
・・・
ただ一人の例外、事務総長を除いて
・・・

*****

「お嬢様にはお礼を言っておいてくれたまえ。心から感謝している。この通りだ。」

またしてもふらりと執務室に現れたパープルに向かって、事務総長は深々と頭を垂れた。

「承りました、事務総長さま」

パープルもお辞儀する。

「わたくしも事務総長さまにお礼を申し上げなければなりません。」

「お礼?」

「はい、今回の件で、旦那様がたいそうお喜びなのでございます。」

お嬢様の力をもってすれば地球程度の惑星をメチャメチャにして遊ぶことなど朝飯前である。
それはお嬢様に限らずお嬢様の惑星の女の子なら誰でもそうだ。
ところが、そこで敢えて弱いもの虐めをせず、ぐっと堪えて、愚かな進化途上種たちを温かい目で見守る。
この工程こそが、少女がレディへ、そして未来の母親へと成長していくための糧になるのだ。
親たちが年頃の娘たちに進化途上種の棲息する惑星を買い与えるのはこのような背景があるからだ。
もちろん、そんなことを知らない幼い娘たちは、まず惑星をメチャメチャにしてしまう。
そうしたら親は次の惑星を買い与える。
それも破壊したらまた次の惑星。
それでもだめならその次の惑星。
この広い宇宙に進化途上種の棲息する惑星など無数にある。ただの安価な消耗品だ。
そうして娘たちは惑星を消費してうちに、ある日、自ら気づいて惑星を見守るだけのレディに育っていく。
その日の訪れを、親たちは粘り強く待っているのだ。

「・・・実のところ、お嬢様が旦那様から買っていただいた惑星はこの地球が5つめでございます。」

「ほう。で、その前の4つは?」

「いずれもすぐにメチャメチャに壊してしまわれました。」

「!!!」

「致し方ないのでございますよ。お嬢様もまだ幼くしていらっしゃいましたので。」

「・・・」

「ところがこの5つめの惑星、地球を、お嬢様はついに暖かく見守っていこうと決心なさったのでございます。この立派なご成長ぶりを旦那様がいたくお喜びになりまして、わたくしもお褒めにあずかりました。」

「そうか・・・」

事務総長はちょっと合点のいった表情でパープルを見つめ返した。

「・・・そういう意図があったから、君は、いろいろとわたしの行動を手伝ってくれたのだね?」

「・・・そのような側面がございましたことも、確かに否定はいたしません。はい、わたくしには嘘をつく機能が搭載されておりませんので。」

「そうか。はは、そうだよな。」

乾いた笑いを浮かべた事務総長に向かって、パープルはちょっと頬を膨らませながら詰め寄った。

「しかし、決してそれだけではございませんよ」

「ん?」

パープルは少しはにかんだ表情で下を向いた。

「わたくし、事務総長さまの鮮やかなお手並みに・・・感銘いたしました。」

「感銘した、って・・・君にはそんな機能もついているのかね?」

「わたくしに搭載されていないのはウソをつく機能くらいでございます。」

きっぱり言い放つと、パープルは一歩前に進んで事務総長にぴたりと寄り添った。

「ど、どうしたのだね、パープルくん?」

「はっきり申し上げて、この惑星に棲息する生命体の皆様を救ったのは事務総長さまの功績でございます。」

「ん、んー・・・まあ、君にそう言ってもらえるのは嬉しいが、でも、この事件のことはもう他に誰も覚えちゃおらんのだよ。」

事務総長は少しさびしそうに笑った。
お嬢様との会談に成功した後、皮肉にも事態は全く以前の状態、すなわち誰もが彼を「史上最低最悪の無能な事務総長」と蔑み無視する状態へと立ち戻ってしまったのだ。

「・・・ま、それも仕方がない。この一件がわたしの胸の内にあれば、それはわたしにとっては自信になる。だから、わたしさえこの顛末を覚えていられればそれでいいんだ。なあ、パープルくん?」

「・・・」

パープルは相槌を打つことができなかった。
パープルの機能の限界が、それを許さなかったのだ。
思わず視線を泳がせる。
幸い、無能な事務総長にはこのパープルの狼狽が意味するところは読めていなかった。
・・・
・・・
その報われない結末を読めないという無能さは、彼にとってむしろ幸せなことなのかもしれない。
しかし、それにしても、パープルにはこの惑星を救った立役者が不憫でならなかった。
彼は、彼が救ったこの惑星の原住民の全てから最低最悪の無能と罵られ、蔑まれ、無視されて、今後も感謝や尊敬を受けることはない。
・・・
そんな彼に、何か報いてあげられるものはないかしら?
・・・
・・・
膨大な演算を繰り広げたパープルの電子頭脳は、一つの答えを導き出した。

「・・・事務総長さま」

「なんだね?」

「わたくしは、事務総長さまの勇気あるお姿に、限りのない敬愛と、信頼と、そして、わたくしの語彙には存在しないそれらを超えるポジティブな情感を抱くに至りました。」

「敬愛や信頼を超えるポジティブな情感?」

「こういうことでございます。」

いうなりパープルは事務総長の貧相な身体に抱きつくと、その右の頬に、チュッ、と、キスをした。

「な、な、な、何をするんだね!」

パープルは事務総長にしなだれかかったまま、目を閉じて、答えた。

「申し訳ございません。言語で説明することが困難な情感は、行動で示すのが最も妥当かと判断いたしました。」

「そ・・・そんな、まさか、君がそんな情感を抱くとは・・・」

「わたくしの気持ちであると同時に、この惑星に棲息されている全ての皆様のお気持ちでもあります。皆様に代わって、わたくしがその情感を行動でお示しいたしました。事務総長様、ほんとうに、ほんとうに、有難うございました・・・」

・・・
・・・
・・・

*****

「失礼しますよ!」

ノックをしてもいつまでも返事がないので、お掃除のおばちゃんたちは躊躇なくドアを開けて事務総長執務室内に踏み込んだ。

ZZZZZZZ

事務総長は執務デスクに突っ伏したまま鼻提灯を膨らませてる。

「あらあら、事務総長さんはお昼寝中かい・・・いいご身分だねえ。じゃ、勝手にお掃除を始めさせてもらいますか。」

ZZZZZZZ

机に突っ伏してだらしなく涎を垂らしながら、しかもなんだか薄気味悪くにたにたと笑いながら、事務総長は惰眠をむさぼっている。
おそらく何か心地よい夢でも見ているのだろう。
ほら、その証拠にその前のつけっぱなしのモニター画面には萌え萌えのロリアニメが・・・

「・・・いい年こいて恥ずかしいね。現実世界であまりにも役立たずだから、夢の中では大活躍でもしてるつもりなのかね?」

舌打ちしながらおばちゃんたちはそのまま執務室内のお掃除を始める。
クリーナーをかけて、
散らかった書類をまとめて、
そして改めて居眠り中の事務総長の横顔を覗き込むと・・・

「・・・あれ?」

その右頬に、鮮やかなピンク色のキスマークがついている。

「もう、しようがないねえ、この無能事務総長は!」

お掃除のおばちゃんは舌打ちしながら机の上を片付けていく。
その目の前のモニターの中では、紫色の髪をした眼鏡っ娘の萌えキャラが、丁寧に深々とお辞儀をしていた。

事務総長の決断・終