はじめに: 18歳未満の方はこの物語をお読みにならないで下さい。また、前半がたる
いという読者の皆様は、そこをすっ飛ばして後半だけ読めば美味しくいただけるように
なっております。なお、この物語を無断に転載、改ざん、外国語翻訳したりする著作権
侵害行為は行わないで下さい。ちなみに筆者は栃木県出身ではありません。日光・鬼
怒川や宇都宮には行ったこともありますが、記憶はあやふやです。地理的な記述等が
事実と食い違っている可能性がありますが、そこはフィクションということで大目に見て
やってください。 

筆者さらに追記:
 この物語を書いた時点から6年が経過しました。さすがに古くなっているので、このた
びは現在の視点で見直して少し手を加えてみたりもしました。
 しかし・・・この時点で既に石川亜沙美さんに注目していた不肖JUNKMANはやはり
先見の明が(以下省略)。というか時代がやっとJUNKMANに追いつ(以下省略)。

仮面をはずすと
by JUNKMAN

 吾妻橋が隅田川の朝霧に煙る。粋の似合う街・ここ浅草は、東京に有って明らかに
別の時代が流れている。
「ごめええん!待ったあ?」
そんな都会が忘れてしまったのどかな気配を破って、一人の少女が東武浅草駅にか
け込んできた。コンコースには既に2人の少女が待っている。
「茜ちゃん、やっぱり遅刻ね。」
「ごめんなさい・・・都営浅草線からここまでこんなに遠いとは思わなかったのよ。」
「ふふふ。それにどうしてそんな服装なの?」
「え?」
慌ててブラウスとミニスカートという自分の服装を確かめる。待っていた2人はジーンズ
にTシャツ、スニーカーの軽装である。
「この恰好じゃ、まずいかしら?」
「まずいってことはないと思うけど。」
「パンプスじゃ歩きにくいかしら?」
「うーん、山歩きするわけじゃないけどね。」
「・・・か、帰った方がいいかしら?」
ミニスカートの小柄な少女は泣き出しそうな表情になった。
「ああ、茜ちゃん、そんな泣かなくったって、」
「もう、ほんとに弱気で内気で引っ込み思案なんだから。」
「その服装でもいいわよ。ほら、発車時刻までもうあんまり余裕がないわ。さ、行きまし
ょ。」
「・・・う、うん。」
駆けてきた少女・織田茜と、待っていたその同級生・小泉杏奈、東九条志都美の3人
は、小走りにエスカレーターを駆け上がって東武日光線発車ホームへと向かった。

*****

 世界の最果て埼玉県の、そのまた向こうに広がる暗黒大陸・栃木県。昼なお暗き大
樹海には魑魅魍魎が跳梁し、住民は理解不可能な謎の言語を操るという。そんな人
外魔境をひた走る東武日光線スペーシア号に揺られて、茜、杏奈、志都美の3人はい
ったいどこへ行こうというのだろう?
「うわあ、雄大な大自然!」
「眩しいほど綺麗な緑ね。」
「人が住んでないって偉大だわ。」
「栃木なんかに来たのは久しぶり!」
「あれ?茜ちゃん、前にも栃木に来たことがあるの?」
「子供の頃はね。家族で一緒に、鬼怒川温泉に行ったことがあるわ。」
「すっごおい。じゃ、今日の案内役は茜ちゃんに決定!」
「あ、待ってよお、昔のことだからもう全然覚えてないわ。それに今では随分変わっちゃ
ったと思うし。」
 そう、彼女たち高校の同級生3人組は、日曜日を利用して日光・鬼怒川に遊びに行
くのである。
 日光・鬼怒川?
 女子高生が?
 そんな馬鹿な!!
 ・・・っていわないで下さい。結構楽しめるんですよこれが。

*****

 鬼怒川温泉駅で下車したあと、3人は東武バスに乗り換えて「東武ワールドスクウェ
ア」に行くことにした。茜はちょっぴり不満だった。時間が限られているので、できれば
まず「日光江戸村」に行き、忍者屋敷のかっこいいJACのお兄さんを鑑賞したり、印篭
をかざした黄門様の前で土下座しながらへへえ!とかそういうことをして遊びたかった
のだ。だが志都美がどうしても「東武ワールドスクウェア」に行くといって譲らないのであ
る。杏奈はともかく、引っ込み思案な茜は自分の希望など口にする勇気はなかった。
ちなみに趣味はデータベース作りである。
「ぜーったい楽しいわよ。1/25スケールの建物に囲まれれば、あなたも私もガリバー気
分!なんてね。」
「志都美ちゃん、大きくなりたい願望でもあるの?」
茜がおずおずと尋ねた。
「そういうわけじゃないわよ。実際に巨大化したらたいへんなことばかりだと思うわ。食べ
てくためには毎日土方のアルバイトでもしなきゃならないだろうし・・・」
「それはいやね。」
「周りが小さくなればいいんじゃないの?」
「あはは、そんな都合のいいわけにはいかないわよ。」
そうこうしているうちに、左手に大きな門が見えてきた。東武ワールドスクウェアの入り口
である。

 *****

「うわあ、良くできてるわねえ!」
最初に声を出したのは、それまで沈黙していた杏奈だった。
「まるで本物そっくり。」
ウェルカムスクウェアを右手に曲がると、東京駅や国会議事堂、東京ドーム、代々木競
技場なんていう見慣れた建物がずらりと並んでいる。これがみんな正確に1/25サイズ
なのだ。ガリバー気分、とはいかないかもしれないけど、確かに変な気分である。
「特撮スタジオみたいね。」
杏奈が感心しながら呟いた。
「それどころかほんとに特撮映画を撮った人もいるらしいわよ。」
どこから仕入れてきたのか、志都美が妙な情報を披露する。
「ここって塀で囲まれただけの屋外でしょ。しかも周りに民家もないから夜になったら真
っ暗なのよ。」
「ふんふん」
「それで闇に乗じて深夜にここに忍び込み、国会議事堂だかのあたりで着ぐるみを着
て暴れ回り、個人製作の怪獣映画を撮った強者がいるんですって。」
「あはははは。それだったら女優さんを連れていけばGTS映画も撮れるってわけね。」
「そうね。でも見つかったらすごく怒られるわよ。」
それでもやろうっていう勇気のある人は、いないでしょうかねえ・・・
「まあ確かに良くできていることはできてるんだけど・・・それだけね。」
「ちょっと芸がないなあ、」
「やっぱりテーマパークは参加型でなくっちゃ、ねえ、茜ちゃん。」
「・・・・・」
「茜ちゃん、」
「・・・・・」
「茜ちゃん、どうしたの?」
「・・あ、ああ・・え?何?なんのこと?」
「やだあ、全然わたしたちの話を聞いてなかったのね。」
「もう、失礼しちゃうわ、あははははは」
「あははははは」
「・・あ、あは、あはは・・・」
 それどころではない。
 茜は不思議な昂揚感に捉えられ、他の事が考えられなくなっていた。
 なんだろう?
 この妙な胸の高鳴りは?
 茜の目の前には、1/25サイズの成田空港が広がっている。飛行機なんてラジコンの
玩具みたいだ。
 そして、あそこにも、ここにも、6〜7センチくらいのこびとがいっぱい。
 茜はその中に飛び込んでいきたい衝動にかられていた。
 この1/25サイズの世界で、自分だけが圧倒的な大きさと力を持っていたら、それはど
んな気分だろう。
 わたしが一人で悠然と歩く足元を、無数のこびとたちが死にもの狂いで逃げていく。
 ああ、想像しただけでため息が出ちゃうわ。
 この興奮は・・・
 この興奮は・・・
 なんだか、ひとりエッチしてるときみたい。
 抑えようとしても抑えられない、うずくような衝動。
 いけないと思うんだけど、でもあらがえない誘惑。
 そうよ、実際に、何だかあそこが熱くなってきちゃった。
 信じられないわ。
 だって日頃のわたしは虫一匹殺せないほどだっていうのに。
 いつも集団の片隅で小さくなっているっていうのに。
 でも、心の奥ではこんなに力や大きさに対する憧れがあったんだわ。
 ちっとも気がつかなかった・・・
「ほら、茜ちゃん、いつまでそこでぼーっとしてるの?」
「次へ行くわよ。」
「・・え?、あ、あ、待ってえ!」
 ようやく正気に戻った茜は、先に行く杏奈と志都美の後を追いかけ、アメリカゾーンへ
と駆け出した。

*****

 3人はエンパイアーステートビルの前にさしかかった。
 大きい!
 1/25サイズの模型でも、流石にエンパイアーステートビルともなればそっくり返って
見上げるほどだ。茜がさっきまで感じていた不思議な気分も少し和らいでしまった。
「大きいわねえ、エンパイアーステートビルって。」
「本物は380メートルもあるんですって。」
「じゃあ、ミニチュアになっても大きいわけだ。」
「ニューヨーク、行ってみたいなあ。」
 ちょうどそのとき、塀を乗り越えて一匹の野生のおサルが東武ワールドスクウェアの敷
地の中に侵入してきた。
 おサルは係員の追手をかわし素早く逃げ回る。
 突然始まった鬼ごっこに、園内のあちこちから嬌声が上がった。
「あ!見て見て!おサルよ!」
「ふん。珍しくもないわ。だってここは栃木県なのよ。」
 確かに魔境栃木県の山あいには野生のおサルがうじゃうじゃ棲息しているのである。
 そうこうしているうちに侵入してきたおサルは3人の足元を駆け抜けると、するするとエ
ンパイアーステートビルの上に登ってしまった。これではもう係員も手が出せない。
「あははははは」
「エンパイアーステートビルに登ってしまったわ。」
「まるでキングコングね。」
 場内から一斉に笑い声が上がった。これはちょっとできすぎのサービスである。
 おサルはエンパイアーステートビルのてっぺんから、集まってきた人混みを悠々と眺
め渡している。
「何をきょろきょろしてるのかなあ?」
「逃げ道でも探してるんじゃないの?」
「あはははは・・・あれ?」
きょろきょろしていたおサルが、茜の顔を見つけてぎょっとしたような表情をみせた。
「なあに、あのおサル?」
「茜ちゃんの顔を見てるわよ。」
「気に入ってもらえたんじゃないの?おサルに?」
「やだあ、やめてよ!」
おサルはなお茜のふくれっつらを、じいいいっと穴の空くほど見つめてくる。気味が悪
い。
「ほんとに茜ちゃんに興味あるみたい。」
「お嫁さんに欲しがってたりして。」
「やめて!おサルのお嫁さんになっちゃ、織田茜の名がすたるわ。」
 茜はまたまた泣きそうな顔になった。
 このとき、おサルの目がきらりと光った。

*****

「う、うっきー!茜殿でござるな?」
「!」
茜は動転した。話しかけてきたのは・・・おサルである。
「!・・・どうして?どうして、おサルがしゃべるの?しかも、どうしてわたしの名前まで知
ってるの?」
おサルはするするとエンパイアーステイトビルから降りて、茜の前に歩み寄ると、ぴょこ
りと挨拶した。
「それがしは神様のお使いでござる。」
「神様!?あの全知全能の!?」
「いや、確かに神様は神様なんだけど、全知全能とはいえないでござるな。なにしろ担
当は日光・鬼怒川に限られておるのでござるから。」
「日光・鬼怒川担当の神様?どうしてそんな限定つき権限の神様なの?」
「どうしてって」
おサルは頭をかきかき説明した。
「日本の神様は、八百万(やおよろず)のシステムをとっているので、担当が細々と分か
れておるのでござるよ。」
「世界の趨勢は一神教なんでしょ。ビッグバンでもやってグローバルスタンダードに合
わせたら?」
「うき!そんな『グローバルスタンダード』の名を借りた『アメリカンスタンダード』に迎合
してちゃいかんでござるよ。縦割り行政は良きにつけ悪しきにつけ日本の伝統的な個
性でござる!」
「ふ、ふうん・・・」
茜は曖昧に相槌をうった。
「それで、その日光・鬼怒川担当の神様が私になにか用事なの?」
おサルはこっくりと頷いて、手にした紐を引っ張った。すると、おお、いつの間にか頭上
に吊されていたくす玉が割れ、紙吹雪が舞い、鳩が飛び立っていくではないか!
「な、な、何よこれ?」
「うっきい。貴殿は日光・鬼怒川の発展に尽くしてくれたってことで、神様はいたくお慶
びなのでござる。そこでこのたびめでたく日光・鬼怒川特別功労賞を進呈することにな
ったのでござる。」
「はあ?」
そんなにわたし日光・鬼怒川の発展に貢献したかなあ?小さい頃、家族で来たことが
あっただけなのになあ。
「人違いじゃない?わたし、そんな貢献らしい貢献はしてないし、」
「いやいやご謙遜を」
「それにここのところしばらくご無沙汰だったわ。」
「それでござる。」
おサルは神妙な面持ちで茜に一歩近づいた。
「実は神様はそこをたいへんに気に病んでおられるのでござる。そこでこの特別功労
賞をきっかけに、再びまた貴殿に以前のようにこの日光・鬼怒川のために一つお骨折
りいただけないかと思っているのでござるよ。」
「骨を折る?怖いことや危ないことはいやよ。」
「うきい。もちろんただで、ということではござらん。」
おサルは、大中小3つの玉手箱のようなものを取り出した。
「なあに?それ?」
「これは特別功労賞の副賞でござる。ご当地にちなんで、『日光江戸村コース』『日光ウ
エスタン村コース』『東武ワールドスクウェアコース』から一つだけ選べることになってお
るのでござる。」
「ええ?そんなのじゃなくって、湯西川温泉ペアで一泊ご招待券とかってないの?」
「ううむ、渋い。鬼怒川温泉でなくて湯西川温泉を選ぶ辺り通でござるな。されど本日
の選択肢はこの3つだけしかないのでござる。さあ、どーれだ?どーれだ?どおおお
おーれだ?」
おサルは司会の関口宏よろしく言葉巧みに場を盛り上げる・・・って、なんだかなあ・・・
「じゃ、これでいいわ。」
茜はいちばん小さな玉手箱を手に取った。
「え?いいのでござるか?ほんとうにそれでいいのでござるか?」
「いいわよ。」
どうせどれもくだらないものでしょ?それにこういう場合、いちばん小さな箱にいちばん
良い物が入ってる可能性が高いのよ。
「あーあ、残念でござった。」
「何が残念なのよ。」
「残りの2つを開けてみればわかるでござる。」
おサルはいちばん小さな玉手箱を茜に渡してから、大きな玉手箱を開けてみせた。
「ほおれ、これが『日光江戸村コース』でござる。」
「なあんだ、ただのネックレスじゃない。」
「ただのネックレスではないでござるよ。この首輪をかければ好きな時代にとぶことがで
きるのでござる。江戸時代にもひとっとび。今様にいえばタイムトラベルでござるかな。」
「タ、タイムトラベル?」
「残念でした。選ばなかったんだから、これはお蔵入りでござる。」
次におサルは中くらいの大きさの玉手箱を開けた。中にはブレスレットが入っていた。
「これが『日光ウエスタン村コース』でござる。この腕輪をはめれば世界中好きなところ
にとぶことができるのでござる。アメリカ西部にもひとっとび。」
「テレポーテーション!」
「そうそう、逃した魚は大きかったでござるな。はい、これもお蔵入り。」
ああ、なんてもったいないことをしたの!
「じゃ、こ、これはなにができるの?」
茜は自分の手にした小さな玉手箱をおサルに指し示した。
「まあ、開けてみるでござる。」
茜はこっくりと頷いて、玉手箱を開けてみた。中には・・・古いデザインの小さな指環が
入っていた。
「・・・指環?」
「うきい。そうでござるな。さしあたって、小指くらいにはめるのが適当でござろう。」
茜はまた頷いて、指環を自分の左の小指にはめてみた。気分は・・・何にも変わらな
い。
「これで、これでわたしは何ができるの?」
「うきい。自分にはなんにもできないでござる。」
「ええ?」
何にもできないの?じゃ、ただの趣味の悪いアクセサリー?そんなのやだわ。
「じゃ、いらない!」
茜は落胆して指環を外そうとした。あれ?だけど、きっちりはまって外れない!
「あれ、こ、これ、きっちりはまって外れないわ。」
なおも力づくで外そうとする。指がちぎれそうだ。でも外れない。おサルが慌てて割っ
て入ってきた。
「た、短気を起こしてはいかんでござる。」
「だって、何にもできないくせにセンス悪いんだもん、この指環。」
「なにもできないわけではござらん。自分に対しては何もできないだけでござる。」
「へ?」
茜は指環を抜こうとする手の力をゆるめた。ということは・・・
「自分以外に対してだったら何かできるの?」
「もちろんでござる。」
おサルは神妙な顔で頷いた。茜は勢い込んでおサルに尋ねた。
「それで、それで何ができるの?」
「まあ、たいしたことではござらぬが、」
おサルはもったいぶって、こほんと一つ咳払いをした。
「『東武ワールドスクウェア』にちなんで、好きなものをなんでも小さくすることができるの
でござる。」
「なんでも小さく?!」
「そう。街ごと小さくすれば、どこでも手軽に東武ワールドスクウェア状態になるのでござ
るが・・・あんまり実用的とはいえないでござるなあ。」
「!!」
茜は言葉を失った。好きなものを何でも小さくすることができる。どこでも手軽に東武ワ
ールドスクウェア状態になる。それって・・それって・・・・茜は、さっき成田空港前で抱い
た妄想を思い起こしながら恍惚とした。
「こんなつまらないものでござるが、お気に召していただけたでござるか?」
「・え?・・ええ、ええ、とっても気に入ったわ。有りがとう。じゃ、」
「うき!ちょ、ちょっと待つでござる。肝心のこれからの日光・鬼怒川への・・・」
おサルは慌てて茜を押し止めた。そうか、タダってわけじゃないのよね。日光・鬼怒川
への貢献か。以前は貢献してたっていうなら、子供の時みたいに時々遊びに来れば
良いってだけかな。なら、お安いご用よ。
「わかった。わかったわよ。確かに、しばらくご無沙汰してたけど、じゃ、これからはまた
よろしく!」
「おお!それはたいへんに有りがたいでござる!神様もさぞかしお慶びでござろう!」
どういたしまして、って言おうと思ったら、にっこり笑ったおサルの顔が急にぐにゃりとひ
しゃげた。そして周囲の風景がぐるぐる廻り始めると、ふいに暗くなった。

*****

「茜ちゃん、茜ちゃん!」
「茜ちゃん、大丈夫?」
目を開けたら、杏奈ちゃんと志都美ちゃんが心配そうに覗き込んでいた。あれ?いつ
の間にかベッドの上に寝ている。どうして?
「ここは、どこ?」
わたしは、誰?とは聞かなかったけどね。
「あ、茜ちゃん、目が覚めた?」
「良かったあ。」
杏奈ちゃんと志都美ちゃんがほっと一息ついた。
「ここは東武ワールドスクウェアの医務室よ。」
「茜ちゃんったら、おサルとにらめっこしてるうちにひっくり返っちゃったんだから。」
「相変わらず弱虫なんだから。」
「それで慌ててここに連れてきたのよ。」
そうか、じゃ、あれは夢だったのか。妙になまなましい変な夢だったなあ。茜は納得しな
がらふと左手の小指を見た。
 !
 指環だ。
 あのおサルがくれた「東武ワールドスクウェアコース」の指環だ。ということは・・・
 いや、まさか。何でも好きなものを小さくするなんて、そんなことができるわけない。で
きるわけないわよ。
 だけど・・・
 万が一ってこともあるから、確認してみようかしら。
 茜は杏奈と志都美の目を盗んで、枕元に置いてあった体温計をそっと握りしめた。
 そっと心の中で念じる。
 ・・・
 小さくなれ!
「?」
 信じられないことが起こった。
 手の中の体温計の感触がするすると小さくなってしまった。
 おそるおそる手の中を覗き込む。
 目を凝らして見なければわからない。
 だが、そこに見えたゴマ粒のようなものは・・・まぎれもなく長さが3ミリほどに縮小され
た体温計だった。
「!!!」 
 夢ではない。
 あの神様のお使いのおサルと逢っていたのは夢ではなかったのだ。
 茜は愕然とした。
 顔色の変わった茜を見て、杏奈と志都美が再び心配そうに尋ねてきた。
「大丈夫?茜ちゃん、顔色悪いわよ。」
「う、うん。もう大丈夫よ。心配しないで。」
「そうかしら・・・あれ?茜ちゃん、その左手の小指、指環なんてしてたっけ?」
「え?、あ、あ、ちょっとね。」
「うーん、なんか茜ちゃんの趣味とはちょっと違うような気がするけど。」
そのとき白衣を着たお医者さんらしき人が入室してきた。
「あ、目が覚めましたか。」
お医者さんは手早く茜を診察すると、にっこり微笑んだ。
「もう大丈夫でしょう。軽い貧血でしたね。」
杏奈と志都美が胸をなで下ろした。
「ああ良かった。」
「良かったわね、茜ちゃん。」
「・・・う、うん」
「ところで失礼ですが、」
そこで再びお医者さんが眼鏡をかけなおしながら尋ねてきた。
「タレントの小田茜さんですか?」
「え?」
一呼吸置いて、杏奈と志都美は大声で笑い始めた。お医者さんは当惑したみたい。
「あはははは、あは、あは、ああ、ごめんなさい。あんまりおかしくって。」
「あ、あれ?僕、何か見当はずれのこと言ったかな?」
「あ、あはは、確かに彼女の名前はオダ茜ですけど。」
「一字違いで織田茜なんですよ。」
「え?じゃ、人違いか。それはたいへん申し訳ない。」
「い、いえ、いいんです。」
今度は茜がはにかみながら答えた。
「良く間違えられるんです。」
「名前だけじゃなく、見た目もちょっと似てるでしょ。」
脇から志都美が口を挟んだ。
「わ、わたしあんなに下顎がしゃくれてないわよ!」
「あはは、でも茜ちゃん、よく似てるって。」
「そんなことない!」
「あはははははは・・・・・・・」

*****

 ここは奥日光の奥の奥のそのまた奧。
 訪れる人もない深い山奥に、ひっそりと小さな祠が建っていた。
 そこに息せききって飛び込んだのは例のおサルである。
 祠の中には白装束の老人が悠然と佇んでいた。
「はあ、はあ、神様、ついに首尾良くことが運んだでござる。」
「ん?なんのことじゃ?」
神様と呼ばれた老人は、真っ白なあご髭を撫でながら、おサルにもの憂げな視線を送
った。おサルは更にたたみかける。
「小田茜殿でござるよ、小田茜殿。」
「なに?小田茜殿とな?」
神様の顔色が変わった。
「逢えたのか?小田茜殿に?」
「はい。確かに逢えましてござる。」
「まさか、名前の良く似た別人とか、そんなことはないじゃろうな?」
「いやいや。はっきり『オダ茜』と申しておったでござる。」
はいはい、そういうオチだったんですね。あ、ご都合主義だって責めないでくださいよ。
筆者も十分に反省はしておるのです。ともかく、そんなオチとはつゆ知らぬ神様はもろ
に興奮し始めたのだった。
「して、して、首尾はいかように?」
「ばっちりでござる。手筈どおり、3つのお宝から1つだけ選択ということで、小田茜殿は
『東武ワールドスクウェアコース』を選ばれてござる。」
「お、おおう『東武ワールドスクウェアコース』とな?ということは・・・」
「さよう、復帰のご意志は十分におありでござる。『確かに、しばらくご無沙汰してたけど、
じゃ、これからはまたよろしく!』とおっしゃっておいででござった。」
「お、おおう、おおう」
神様は、はらはらと涙を落とした。
「おおう、おおう、大切なお宝を捧げたかいがあったというものじゃ。これでまた小田茜
殿が東武ワールドスクウェアのイメージキャラクターに復帰してくれるのならのお。おお
う、おおう」
「神様、良うございましたな。」
「おおうおおう、しかしかえすがえすもあの後の人間どもの仕打ちがひどかった。」
神様の目が急に怒りでらんらんと燃え始めた。
「小田茜殿が降りたと思ったら、2代目マスコットガールがいきなり栗原小巻じゃもんな
あ。」
「あれにはど肝を抜かれたでござる。」
「どう考えてもマスコットガールとは思えん。ありゃマスコット老婆じゃ。」
「うきい、それはちょっと言い過ぎかと・・・」
「人間どものやることはわからん。さーっぱりわからん。」
「人間界でも非難の声はあったでござるよ。JUNKMAN殿など敢然と東武鉄道ボイコッ
ト運動に乗り出したようでござったが、」
「何の効果もなかったようじゃの。」
極力JRを使うようにしたんですけどね。無念でした。
「だが、ワシの祟りはそんなものではないぞ。メインバンクの拓銀を破綻させてやったわ
い。ほっほっほ、ざまあみろ東武鉄道。」
神様は悪代官のようににんまりと笑う。おサルはおそるおそる尋ねた。
「でも神様、考えてみれば栗原小巻殿だって十分にきれいな方かと思うでござる
が・・・」
「なあにをいうか!!」
途端に神様は青筋立てて怒り始めた。
「年齢というものがあるじゃろう。よそ様にお出しできるおなごとは10歳から20歳まで。
100歩譲っても22歳までじゃ。23歳を過ぎたおなごは人前に顔を出してはならん。く
わばらくわばら。」
「10歳というのは早すぎるような・・・」
「そんなことはない。良い例が後藤久美子じゃ。ゴクミも『テレビの国のアリス』に出てた
頃はただ者ではなかったぞ。ああ、あのビデオがレンタル期間限定作品だったというこ
とにもっと早く気づいておればのお・・」
「ダビングしておけたでござるな。」
「そうそう。一生の不覚じゃった。ともあれ、あの頃はこれは歴史を変えるおなごが現れ
たと思ったものじゃ。それがどうじゃ。その後は年々黒くなる一方。挙げ句の果てには
アレジなんかとくっつきおって、今やもう見るかげもないわい!!」
凄い剣幕だ。おサルはたじたじとして話題を変えることにした。
「し、しかし小田茜殿もこのところぱっとしないでござるなあ。イメージガールをやってた
足利銀行は拓銀に負けず劣らず不良債権の山。経営破綻一歩手前でムーディーズ
の格付けが落ちる落ちる。本人の景気の悪さに拍車をかけているでござる。」
筆者注:既に破綻しましたね。
「うむ、確かになあ。そこをいくと同じオスカープロモーションでも石川亜沙美殿がイメ
ージガールをやっとる静岡銀行は安定した経営ぶりじゃ。」
「石川亜沙美殿!いいでござるなあ。 可愛い顔で意表を突く178センチの長身!」
「なんてったって『石川亜里沙』のモデルじゃからな。」
「うき?そうでござるか?その割に細かなキャラクター設定が合ってないような・・・」
「あれは『女神』がHP掲載用にリライトされたときに変わってしまったのじゃ。もともとの
ヒロインの名前は『石川麻美』で『静岡出身のソフトボールが得意なショートカットの長
身少女』ってなふうに設定されておったのじゃよ。」
「まんまでござるな。」
「その後、読者の好みに迎合してああなってしまったんじゃ。巨大化する前のヒロイン
は長身の方が良いか小柄な方が良いか、好みの分かれるところでのお。それよりも何
よりも、この世界、ともかく巨乳好きが多いのじゃよ。」
「うきい。そうでござったか。これは貴重な裏話でござるな。」
「いやいや世の中の巨乳好きには困ったものじゃ。漢のロマンは貧乳イタイケ少女と決
まっておろうに。」
「そ、そうでござるかな?」
「日本が世界に誇る貧乳イタイケ少女の星は原田知世殿じゃった。いつまでたっても
胸は成長せず、その甲斐あってかスキャンダルのスの字もない。永遠の大和撫子じゃ
な。松嶋菜々子ごときと一緒にしてはならぬぞ。」
「しかし見方を変えればそれは負け犬一直線ともいえるように思うでござるが・・・」
「ま、それはそれで人生じゃろ。」
しかし20年間輝きが消えないんですから原田知世さんは凄いです。現役の女子高生
と原田知世さんから同時にお願いされたらどっちを選べば良いだろうか?なんて考え
るとJUNKMANは悩んで悩んで夜も眠れません。ちなみに3Pという答は却下。
「まあ、長身美少女以外の話題をふってもナニじゃから、話を石川亜沙美殿に戻すと、
最近のテレビでの活躍はめざましいものがあってまことにメデタイメデタイ。」
「活躍?活躍って、あの『奥様は魔女』での凄まじい大根ぶりがでござるか?」
「大根もあそこまで極めると、もはや誰にも真似できない立派な芸風じゃぞ。それにもと
もと視聴者は石川亜沙美殿に演技力なんてこれっぽっちも期待しておらんと思うが。」
「うききき、それはそうでござるな。石川亜沙美殿の場合、ただ突っ立っているのが一番
でござる。」
「そうそう。なんてったって原田泰造を見下ろしておるからのう。身長逆サバがバレバレ
じゃ。」
「うき?178センチは逆サバでござるか?」
「間違いなく182センチはある。ワシの目に狂いはない。」
神様は自信たっぷりに頷いた。おサルは感心して話題を掘り下げる。
「神様はいつ頃から石川亜沙美殿に着目していたのでござる?」
「ほっほっほ。ワシは1990年に石川亜沙美殿が第4回国民的美少女コンテストでベス
トモデル賞をとったときから注目しておったのじゃ。」
「うっきー。」
「当時中学校に入ったばかりの亜沙美殿は初々しい容姿でのう。生い先見えてそれは
もう楽しみじゃった。」
「あんたは光源氏でござるか。」
「ほっとけ。ちなみにこのときのグランプリ受賞者が栃木県真岡市在住の当時まだ小学
生じゃった小田茜ちゃんなのじゃ。奇遇じゃのう、ほっほっほ。」
「マニアでござるな。でも最近はなんつったって河村めぐみ殿でござろう。河村めぐみ
殿さえ芸能界入りすれば・・・」
「おおう!!おおう!!河村めぐみ殿!!河村めぐみ殿!!萌え萌えじゃ!!」
神様は興奮して立ち上がった。
「おおう!!おおう!!」
「そろそろ190センチの大台に届いたころでござるかなあ?」
「おおう!!おおう!!河村めぐみ殿なら中島はるみ殿が果たせなかった長身美少女
スーパーアイドルの夢を実現できるに違いない!!」
「その『中島はるみ』殿って誰でござる?」
神様は横目でおサルに侮蔑の視線を送ると、薄ら笑いを浮かべながら再びゆっくりと
腰をおろした。
「ふん、未熟者めが。中島はるみ殿といえば1980年代前半に178センチの身長を4セ
ンチ低い方にサバ読みながらアイドル歌手を目指したたわけものじゃ。同姓同名の姉
妹でモデルやってた方ではないぞ。」
「うき!それで売れたのでござるか?」
「愚か者!アイドル界では169センチの大沢逸美が鶴光のオールナイトニッポンで『デ
カ女』と罵倒されておった時代じゃぞ。」
「え?でも当時既にマッハ文朱や和田アキ子が芸能界にいたのでは・・・」
「ああいうイロモノは論外じゃ。ともかくそんな時代に178センチをアイドルとして売り出
そうなんて無謀以外のなにものでもないわい。」
「ということは・・・」
「全く泣かず飛ばずじゃったな。ロングだった髪を切って、丸顔には似合わないショート
にしたのも失敗じゃった。変な色気を出さずにCMモデル一本でいけば良かったもの
をのお。将来性あったのに・・・」
「うきい」
「本人にも責任の一端はあったのじゃ。せっかく営業さんがもらってきた『高1コース』の
インタビューで、『嫌いなものはなんですか?』『電車です。』『どうしてですか?』『知ら
ないおじさんたちがわたしを見上げて「うひゃあ、でかいなあ」なんて言うからです。』な
あんて言い放ちおって。」
「うきききき。知らないおじさんたちが電車の中で178センチの女子高生アイドルを見上
げて『うひゃあ、でかいなあ』でござるか。場面を想像するとけっこうなおかずになりそう
でござる。」
「確かにご馳走にはなったがの。じゃが、アイドルを目指そうっておなごがこれはまずい
じゃろう。結局、歌はデビュー曲の『シャンプー』だけで終わってしまって、その後は順
当にファッションモデルに落ちついてしまったわい。一時期引退しておったが、また最
近モデルの仕事を再開したらしいのお。」
「うきい、そうでござったか。」
「じゃがな、当時は良いこともあったのじゃぞ。」
神様の目がきらりと光った。
「トーラスレコード設立第一号の歌手じゃったので、それなりに宣伝にも力が入ってお
っての。各レコード店の前に中島はるみ殿本人の等身大の立て看板が飾ってあった
のじゃ。これがもうでかいでかい・・・」
神様とおサルの長身美少女談義は、そのままいつ果てるともなく夜の白々と明けるま
で続いたとか。

*****

 3人は予定を早めに切り上げて家路につくことにした。茜の体調が不安だったからで
ある。だが、茜は体調よりも、気分が高揚して収まりがつかなくなっていた。考えること
は・・常に左の小指である。
 これからどうしよう?
 これからわたしはこの指環を使って何をしよう?
 大きな能力を手に入れたにも関わらず、生来の内気が邪魔をして、茜の思考はもん
もんと同じ問いを自分に問い続けていた。
 ・・・・・・
 我慢しきれなくなった。
 電車の中で茜はさりげなく志都美と杏奈に問いかけてみた。
「ねえねえ、例えばね、もし、自由に物を小さくすることができたら、どうする?」
「何を寝ぼけたこといってるの?そんなことできるわけないじゃない。」
「例えば、例えばの話よ。」
「そうねえ、わたしなら男の子を小さくしてこびとにしちゃおうかな」
志都美がにたりと笑いながら答えた。
「そして玩具にして遊んじゃうの。こびとはきゃあきゃあいって怖がるんだろうなあ。そう
だ、へへへ、お兄ちゃんなんかこびとにしてみたりしてね。それでもって部屋の中でこ
っそりえっちなことしたりして。」
「なんてこというのよ志都美ちゃん!」
杏奈が眉をつり上げて怒りだした。
「そんなことしたら可哀想じゃない。こびとだってちゃんとした人間でしょ。玩具にするな
んてひどいわ!」
「・・・そ、そうよね。」
 茜もこわごわと杏奈に同調した。
 そうだ、そんなひどいことできるわけない。
 できることとやっていいことは違うわ。
 だが志都美は笑いながら杏奈に切り返す。
「そんなこといって、杏奈ちゃんだって実際にこびとを捕まえたら、玩具にして遊んじゃ
うんじゃないの?みんなそうだと思うけどなあ。どう?こびとになったうちのお兄ちゃん
をいじめちゃうなんて?」
「絶対しない!そんなこと絶対にしないわ!!わたしにはできないわよ!!」
杏奈がムキになって否定していると、通りかかったセーラー服のごつい少女が背後か
ら会話に割ってはいってきた。
「どえっへっへっへ!あなたたち、甘いわねえ。」
振り向くと、身長180センチ以上は有りそうな、ぎょろ眼で、色黒く、全身うっすらと毛深
くて筋肉質、で胸だけはやたらにでかいという、女装した武蔵丸みたいな女子高生が
立っていた。枢斬暗頓子(こんな漢字だったかな?)も真っ青である。
「あなたはだあれ?」
茜が尋ねると、武蔵丸風の女子高生は野太い声で名乗った。
「わたしは擬我子(ぎがこ)。 」
「擬我子 ちゃん?」
「知ってる?」
「聞いたことないわねえ。」
「どえっへっへっへ。ところであなたたち、こびとを捕まえたらどうするかって相談してた
んでしょ?」
ちょっと違うかもしれないけど、3人は擬我子の勢いに押されて思わず頷いた。擬我子
は分厚い唇を曲げてにやりと笑った。
「玩具にして遊ぶだけ?発想が貧弱ねえ。」
「ひ、貧弱で悪かったわねえ。じゃ、あなたならどうするのよ、武蔵ま、じゃなかった擬我
子ちゃん?」
志都美が気色ばんで尋ねた。
「することはたくさんあるわ。」
擬我子は得意そうに説明を始めた。
「まず、基本は踏み。ともかく踏んで踏んで踏みにじるの。でもって、逃げる奴はつまみ
上げて指先でぷっちん。お尻潰しも当然。おっぱい潰しも悪くないわ。」
擬我子はスイカほどもある自分の乳房を両手でゆっさゆっさと揺すってみせた。バスト
142センチ、というところだろうか。大迫力である。こういうのは美少女がするといいのか
もしれないが、なにしろ武蔵ま、じゃなかった擬我子では・・・
「わ、わかったわ。もういいわよ擬我子ちゃん。」
「なんだか他のお客さんにも迷惑になってるみたいだし。」
 確かに車両の中の一般乗客たちが、見て見ぬふりをしながらも眉をひそめている。
見たくないよな、擬我子のおっぱいゆさゆさなんて。
 だけど本人は自信たっぷりだ。
「どえっへっへ、そんなことないわよ。ほら、わたしって、ちょっと見た目が可愛いでしょ。
だから周りのお客さんもとても喜んで・・・」
 通路の反対側の乗客が九尾狐弁当を吐き出していた。
 向こう側では子供がひきつけを起こしている。
 もう野放しにはできない。しっかり者の杏奈が止めに入った。
「わかった、わかったわよ擬我子ちゃん。そ、それで、他には何かないの?」
「どえっへっへ、次はこれよ。」
擬我子は持っていた袋の中からポップコーンをつまみ出し、空中に放り投げるとぱくり
と食べてしまった。
「もむもむもむ」
「ぎ、擬我子ちゃん!」
「た、食べちゃうの?こびとを?」
「もむもむ、もっちろん。」
「きゃあああ!!」
「まるで窓香ちゃんね。」
「どえっへっへっへ。でもまだこれで終わりじゃないのよ。」
擬我子はポップコーンを床にざあっとばらまくと、その上に跨って、両手でスカートたく
し上げながらしゃがみ込んだ。
「ぎ、ぎ、擬我子ちゃん、なにするの?」
「そのポーズは、ま、ま、まさか・・・」
「そうよ。」
擬我子は高笑いした。
「どえっへっへっへっへへ。お腹がいっぱいになったら、次はこびとを集めてそのうえ
にぶりぶりとう○ちを・・・」
「きゃあああああああ」
 さすがに杏奈も志都美も耐えきれなくなって悲鳴を上げた。周囲の乗客たちも顔色
を変えている。そんな中、擬我子本人だけがけろりとしている。
「どえっへっへっへ。それでいよいよ次がお待ちかね・・・」
「もう止めて!」
懇願する杏奈と志都美に押し切られ、擬我子は渋々立ち上がった。
「残念ねえ。これからがいいところだったのに。」
「もうたくさんよ。はい、ありがとうございました。じゃ。さよなら!!」
 杏奈と志都美は2人がかりで擬我子の背中を押しやった。
 擬我子は納得できない表情のまま、床に散乱したポップコーンを拾い集めると、こと
もなげにこれを口の中に放り入れながら立ち去っていった。車中に新たな戦慄が走っ
た。
 車両の扉をがっちり閉めてから、杏奈と志都美は大きくため息をつき直した。電車は
速度を落とし始めている。
「ふうう、なんだったのかしら、あの娘?」
「ただの変態でしょ。」
 2人は顔を見合わせてかぶりを振った。
 同意を求めて茜にも視線を送る。
 茜は弾かれたように眼を見開いているばかりであった。
「・・・・!!」
「茜ちゃん、茜ちゃん、どうしたの?」
「・・・・・」
「茜ちゃん、茜ちゃん、どうしたの?」
「・・・・・」
「今日の茜ちゃんはほんとに変よ。」
「・・・・・」
 答えるどころではなかった。
 擬我子の下品な妄想が、茜の欲望に火をつけていた。
 それが下品であれば下品であるほど、幾重にも張り巡らされた自我の殻を突き抜け
て、茜の抑制をずたずたに切り裂き、原初的な願望を煽り立てていた。
 そう、そんなことだって、やる気になれば今のわたしにはできるのだ。
 そうだ、とてつもなく大きな可能性が、今のわたしにはあるのだ。
 ・・・・・・
 やってみたい。
 いろんなことを、実際にやってみたい。
 熱い衝動がこみ上げ、茜の股間はじんわりと滲み始めた。
 ・・・・・・
 自分の力を試したい。
 今すぐに試したい。
 できるなら・・・なぜやらないの?
 ・・・・・・
 ・・・もう我慢できない。
 茜は禁断の扉のノブに手をかけた。
「わ、わたし、急用を思い出したわ。こ、ここで降りるから。じゃあ、またね!」
「ちょ、ちょっと、茜ちゃん!」
「待って!どうしたのよ?」
2人の声を背中に聞きながら、茜はちょうど電車が到着した新栃木駅のホームに飛び
出すと、反対側に止まっていた東武宇都宮線普通列車にかけ込んだ。

*****

 東武宇都宮駅を降りると、ぷうんとニンニク臭い匂いがした。餃子だ。宇都宮は餃子
の消費量日本一という普通なら隠したくなるような事実を誇る妙な街である。実際、JR
宇都宮駅前にはこれを記念した焼き餃子の石像が建っているのだ。全くもって何をか
いわんやのセンスであるが、地元民には特に違和感もないという。
 茜が宇都宮を選んだのにさしたる理由はなかった。ただ、宇都宮はいちばん近くの
都市だった。そして、茜はもう一時の我慢もできなくなっていた。それだけだった。
 東武宇都宮駅前から周囲をきょろきょろと見渡す。宇都宮には土地カンがない。この
指環の力を試すには、どこがいちばん効果的だろう?
「あそこだ。」
茜は一人で頷くと、呼吸を整えながら、右手のオリオン通りをJR宇都宮駅方向に歩き
始めた。
 もう日曜日の夕方も近く、オリオン通りは家路につく人々で溢れ返っている。茜の歩
行もしばしば雑踏に遮られ、あちこちで立ち往生を余儀なくされた。
「・・・ここで・・・いいわね。」
上野楽器店の前で、茜は大きく息をつき、左手の小指を見つめた。これに呼応して、
指環が怪しくきらりと輝いた。

*****

「今日は人出が多いねえ。」
「お天気のいい日曜日でしたからね。」
2人連れの巡査が、西武デパートの前を巡回していた。これだけ買い物客が多いと、
万引きや引ったくりの1つや2つも起こりそうなものだが、今日に限って何の騒ぎもなか
った。あとちょっとで5時になれば勤務も交代。平和な一日だったなあ。
「どうだい?今日は帰りに泉町で一杯?」
「え?いいんすか?日曜日でしょ。奥さんがお宅で待ってるんじゃあ」
「いいってことよ。今日は気分がいいんだ。こんな何事もない日がずっと続いてくれれ
ば・・・」
 そのとき、ふと街頭のイルミネーションが消え、各店舗から騒々しく流れていた音楽や
呼び込みの音が途切れた。
「ん?停電かな?」
きゃあああああああ!!次の瞬間、オリオン通りから悲鳴が聞こえた。
「な、なんだ?」
「行ってみましょう。」
振り返ってすぐに、2人はわざわざ現場へ行ってみるまでもないことを知った。大通りに
向かって逃げてくる群衆の背後でばきばきばきという不気味な破壊音が轟くと、オリオ
ン通りのアーケードをぶち破って、巨大な人間の姿が現れたのだ。
「う、うわああ、何だあれは!!」
「きょ、巨人です。し、しかも、少女です。巨大な少女です!!」

*****

 身体についた建物の残骸を片手ではらい落としながら、茜は胸を張って周囲を見渡
した。足元のアーケードから、大勢のこびとたちが大通りに向かって逃げていく。こびと
たちの身長は6〜7センチというところであろうか。自分たちが縮小されたことをしらない
このこびとたちは、茜を見て巨人が現れたとでも思っているのだろう。まあ、無理もない。
茜自身も、この新しい世界では、自分が無敵の巨人になったような気分に浸っていた。
身近なところにある大きな建物、例えば目の前の西武デパートも、もう肩の辺りにしか
届かない。アーケードを突き破ったときも、少しも痛くはなかった。建物はみんな薄っぺ
らな卵の殻でできているようなものだ。こんなもの、いくら壊してみたところで痛くも痒く
もない。
「あはは、ガリバー気分ね。」
縮尺は東武ワールドスクウェアと同じであるが、気分の良さは比べものにならない。何
しろここのこびとたちは、皆、自分で動き、大声をあげながら逃げていくのだ。茜はまた
股間が熱くなった。
「うふふ。さあて、じゃ、次はこびとを使って遊じゃおうかな。」
茜は膝元の建物を無雑作に蹴散らしながら、群衆で溢れかえる大通りに向かった。

*****

「だ、だめです。市外は全くどこも応答しません!」
巨大少女が出現した途端に宇都宮市一帯は停電になり、電話回線は途切れた。それ
どころか、無線通信すらも繋がらないという。
「ど、どいういうことだ!?」
「わかりません!周波数、というか波長が変わってしまったみたいで・・・」
「そんな馬鹿な!」
「いや実際、」
「もういい!!」
宇都宮警察署長は吐き捨てた。
「これ以上そんなことに手間をとっている場合ではない。こっちから連絡をとることは諦
めよう。だがこれだけの騒動だ。すぐに政府も気がつくに違いない。」
そして署長は、署内に集結した警察官一同を睨みわたした。
「全員出動だ!自衛隊の支援が到着するまで、我々で可能な限り、あの巨大少女の
進行を食い止めるのだ。」
「はい!!」
「それから、」
署長は通信担当者を振り返った。
「栃木県警の機動部隊に連絡を取ってくれたまえ。」
「機動隊ですか?」
「そうだ。」
署長はゆっくりと頷いた。
「この状況での自衛隊の出動には法的な問題がある。おそらくすぐには動けないだろう。
こんなこともあろうかと、栃木県警では治安維持用に機動隊の武装を強化していたの
だよ。」
「ど、どうして?」
「オウムだ。」
「え?」
「オウムが武器を持って日光の山中に立て籠もったっていうタレコミがあった。そんな事
件の場合、自衛隊の応援は期待できない。サヨクが騒ぐからな。だから自力で連中に
渡り合えるよう、極秘で機動隊の装備を増強したのだ。」

*****

 宇都宮の繁華街の作りは単純である。大通りとそれに並行する小路が2〜3本、それ
もJR宇都宮駅から東武宇都宮駅までの1キロ内外が賑わっているだけである。逆に言
えば、この狭い領域には常に大勢の人や車が溢れているのだ。 
 とはいえ、これほど大勢の群衆が殺到することは、通常は考えられないことだった。
難を逃れようとする人々は、広いスペースを求めて、建物から大通りへと飛び出してく
る。続々と飛び出してくる。しかしもはや芋を洗う状況の大通りには、人々が自由に逃
げるスペースなどなかったのだ。大通りは阿鼻叫喚の巷と化した。
 この様子を上から眺める茜にとって、その有様はただの滑稽な見世物にしか過ぎな
かった。
 いやいや、お楽しみはこれからである。
 両手で西武デパートを破壊しながら大通りの前に達すると、茜は足元の群衆に呼び
かけた。
「さあて、こびとのみなさん。これから茜はこの小さな通りを歩こうと思うんだけど・・・」
茜は笑いながら、おもむろに片足を群衆の頭上にさし挙げた。
「どいてくれないとみんなを踏んづけちゃうかもしれないわ。困ったわねえ。でも、どか
ない方が悪いのよ。じゃ、いきまあす。」
絶叫が上がる中、茜は右足を通りに向けて踏み出した。こびとの群衆は死に物狂いで
降りてくる足から逃げる。
 ずううううううん。
 間一髪、茜の右足のパンプスは、同心円上に広がった人波の空白地帯に着地した。
「あらあら、上手に逃げられたわねえ。じゃ、次はどうかしら?」
間髪入れず、巨大な左のパンプスが群衆を襲う。こびとたちは再び逃げる。
 ずうううううん。
 ずうううううん。
 ずうううううん。
だが、ドライバーを失った乗用車は逃げることができなかった。
 ずううううん、めきめきめきめき。
 乗り捨てられた車が、哀れ茜のパンプスの靴底で、金属のプレス音を立てながらぺし
ゃんこのスクラップになった。
「あらら。車を踏み潰しちゃったわ。ふう。」
 思いがけない感触だった。
 自分の足の下で、頑丈な自動車がたわいもなく潰れていく。
 ちょっと踏み込んだだけでぺしゃんこに潰れていく。
 この世界での自分の巨大さ、自分の圧倒的な強さを、ひしひしと自覚した。
 息が荒くなった。
「ふう。ここって駐車禁止でしょ?こんなところに止めておく方が悪いのよ。うふふ。そん
な悪い車は、わたしがみんな始末してあげるわ。」
 茜は上気した顔を眼下に向け、手当たり次第に自動車を踏み潰し始めた。
 こびとたちは右へ左へと逃げまどう。
 その動きは茜の意識には入らない。
 巨大な左右のパンプスは、小気味よい音を立てながら、乗り捨ててある自動車を次
から次へと金属スクラップに改造していった。 
 ずううううううん、めきめきめきめき。
 ずううううううん、めきめきめきめき。
 ずううううううん、めきめきめきめき。
 ずううううううん、めきめきめきめき、ぐしゃ。
 ・・・・・・
 ぐしゃ?
 耳慣れない音が混じった。
 靴底を確認してみる。
 赤い染みだ。
 足跡はどうなっているだろう?
 茜はしゃがみ込んで、いま自分が作った新鮮な足跡を覗き込んでみた。
 足跡の縁に意外なものがあった。
 それは肩から上が平らに潰されたこびとの死体だった。
 逃げ遅れたのだ。
 心臓は無傷だったのだろうか。両側の頚動脈からぴゅうぴゅうと血液をほとばしらせ
ている。
 これは、これは・・・
 ・・・・・・
 不思議だ・・・
 何の罪の意識も覚えない。
 真っ赤な動脈血を噴き上げるその小さな遺体を見ながら、茜は「水芸」という古典的
な出し物を想像していた。
 そうだ。
 これだって同じエンターテインメントだ。
 この街は、茜が用意した、茜のための世界なのだ。
 気分がますます昂揚してくる。
 薄皮一枚残っていた茜の抑制が、いまや完全に払い取りのけられた。
 この街に属するものは、全て茜をエンターテインするために存在しているのだ。
 それならば、彼らの演出に応えてあげなくては。
「みなさん、ごめんなさい。わたし、失礼なことをしていたわ。こんなものを着けていては
いけないわね。わたしが直接お相手してあげなくちゃ。」
 いうなり茜はパンプスとルーズソックスを素早く脱ぎ捨てた。
 大通りに茜の生足がそびえ立つ。
「はい、それじゃ改めて、いくわよお、うふふふふふ」
今度は群衆の頭上に茜の巨大な素足が翳される。綺麗なピンク色の足底が、こびとた
ちの視界の中で大きく、大きく、大きくなった。
「!!!」
 こびとたちは理解した。
 今度の標的はもう乗り捨ててある車などではない。
 自分たち自身だ。
 絶叫がこだまする中、愛らしい、しかし小型トラックサイズの生足が、群衆の最も殺到
する中心にゆっくりと踏み降ろされた。
 ずううううううん、ぼきばき、ぐしゃ。
「ぎゃああああああああああ!!!」
 体重をかけるに連れて、足底に折り紙細工を踏みつけたような軽い抵抗が生じ、そ
れがふっと消えた瞬間、足元が赤くなって生温い液体が飛び散った。
 全体重をのせた後は、完全な静寂が残った。
 足の縁から3〜4人のこびとたちの潰れたかけらが滲み出してくる。
 こびとの上に足を踏み降ろすという単純な行為が、これほどにもいろいろな表情を持
っていたとは驚きだ。
 良かった。
 やはり繊細な感覚を楽しむなら素足に越したことはない。
「ううん、なかなかねえ。これはいいわ。」
茜はうっとりしながらもう片方の足を振り上げた。
 ずううううううん、ぼきばき、ぐしゃ。
 ずううううううん、ぼきばき、ぐしゃ。
 ずううううううん、ぼきばき、ぐしゃ。
 ずううううううん、ぼきばき、ぐしゃ。
無敵の茜の進行を止めるものは何もない。あちこちに無惨な潰死体の山を築きながら、
茜の楽しいお散歩は続いた。

*****

 大通りにほど近い栃木県庁知事執務室では、宇都宮署と栃木県警の緊急合同会議
が開かれていた。
「希望を捨ててはいけません。」
発言したのは栃木県警機動部隊の隊長である。
「我々の装備は決して十分とはいえません。ただ、あの巨大少女の進行を食い止めて、
自衛隊が到着するまでの時間を稼ぐことぐらい、やってやれないことはないはずで
す。」
「大丈夫かね?相手はあんなに大きいんだよ。それに」
県知事の不安そうな言葉を遮って、勇猛果敢な隊長は続けた。
「大きいとはいってもただの少女です。怖じ気付いていてははじまりません。大丈夫か
どうかはともかく、それが使命なら我々は遂行します。」
彼は一礼して執務室から退室した。その後を追うように、警察・機動隊関係者も一斉に
出ていった。独り残された県知事は、窓から見える巨大少女をぼんやり見つめながら
呟いた。
「希望を捨てるな、か・・・あの男なら、なんとかしてくれるかもしれん。」

*****

 ずううううううん、ぼきばき、ぐしゃ。
 大通りには、いつ止むとも知れない殺戮の嵐が吹き荒れていた。凶暴な素足は、あ
たりかまわずうなりを上げて群衆に襲いかかった。人々はただ頭を抱えて逃げ回るば
かりであった。
「け、警察は何をしているんだ?」
「早く、早くこの事態を打開してくれ!」
 そう叫ぶ彼らにも、この巨大少女が警察の手に負えるような相手ではないことは心中
十分に理解できていた。
 ああ、誰か、誰か助けてくれる人はいないのか・・・
 ぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱん
 そのとき銃声が響いた。
 こびとたちを踏み潰すのに熱中していた茜は、驚いてその方向を注視する。
 重装備に身を固めた栃木県警機動部隊だった。
 通常の機動隊とは異なり、全員が火器で武装している。
 日光山中のオウム騒動が、こんなところで役立つとは思わなかった。
「おっとっと。おもちゃの兵隊の登場ね。」
 茜はこびとたちを踏みつけるのを止め、興味深そうに機動隊を見下ろした。
 機動隊員は素早く茜の足元を2重3重に取り囲み、バリケードを作成した。ようやく茜
の踝に達するほどのバリケードにどれほどの意味があるのかはわからないが、ともかく
これで準備は完了である。
「おまえは完全に包囲された。」
隊長がハンドマイクを使って呼びかけてきた。
「無駄な抵抗は止めて、即座にわれわれに降伏しなさい。」
「無駄な抵抗?」
茜は思わず吹き出してしまった。
「ぷははははは。よくわからないなあ。それって、例えばこういうこと?」
右足を上げ、おもむろに機動隊のバリケードの真上に降ろした。
 ずううううううん、ばきばきばき、ぐしゃ。
バリケードはあっけなく崩れ、逃げ遅れた機動隊員が下敷きになった。 
「こんな感じでいい?」
茜は後ずさりする隊長ににっこりと笑いかけた。いかん。ひるんでいる場合ではない。
「撃て!撃て!」
 ぱんぱんぱんぱんぱんぱんぱん
「いたた!」
 意外なことに、ヤブ蚊が刺すような痛みがあった。
「いいぞ!効いているぞ!そのまま行け!」
「はい!」
 機動隊員は茜の素足に向かって雨あられと銃弾を撃ち込む。
 茜の足は、四方八方からのちくちくした不快感に苛まれた。
「よ、よくもやったわね。」
 茜は足元を取り囲む機動隊を睨みつけた。
 こびとの分際でわたしに抵抗するとは何事か。
 しかも、ヤブ蚊が刺すほどの軽い痛みとはいえ、その抵抗にある程度の効果があっ
たことが耐えきれないほどの屈辱だった。
「わたしを怒らせたらどういうことになるか、思い知らせてやるわ!」
茜は左手を彼らの上にかざした。
「もっと小さくなれ!」
 機動隊の見上げる上空で、小指の指輪が輝き始めた。

*****

 機動隊員たちの視界が揺らめき始める。
 そして、頭上の小指の輝きが、上へ、上へと昇っていく。
 上へ昇っていく?
 それはいったいどういうことだ?
「あっ!!」
「ま、また巨大化している・・・」
「まずい。た、退却!退却!」
思わず退却を始めた機動隊の肩越しに映るのは、既に身長300メートルを超えた茜の
姿であった。
「うわああああ!!」
「あはははは。どう?アリみたいに小さくなった気分は?」
遥か頭上から大声が轟いた。
「急げ!退却だ!退却だ!」
機動隊は必死で逃げる。その周囲がさっと暗くなった。
 どすうううううん!
 凄い地響きだ。
 彼らはひとり残らずもんどりうった。
 潰されたのか?
 ・・・いや、違う。
 そのかわり、目の前に肌色の壁が現れていた。
 慌てて壁の現れた上空を見る。壁の上には腕が繋がっていた。
 と、いうことは・・・
「これは手のひらだ・・・」
 機動隊員たちの退路を遮ったのは、長さ40メートル、幅25メートルに及ぶ巨大な手
のひらだったのだ。
 だめだ。退路を変えよう。
 振り返る。
 そこへ上空からもう一枚の巨大な手のひらが振り下ろされた。
「うわああああああああ!!」
 圧倒的な力と、それが巻き起こす風圧によって、隊員たちは目前に立ちはだかって
いた手のひらに押しつけられた。手のひらは柔らかく衝撃を吸収しながら、素早く彼ら
を押し包む。そして、そのままぐんぐん上昇し始めた。
 昇りつめたところで、ぱっと視界が明るくなった。巨大少女が握っていた手を開いた
のだ。
「あ、あわわ・・・」
 そして隊員たちは、すぐ目の前で不敵に微笑む巨大な茜の顔面に対峙したのであ
る。
 地上300メートル。
 もはや逃げる場所はない。
 この近さからでは、隊員たちの眼に映る茜の姿は、より一層巨大で、威圧感に満ち満
ちていた。
「うふふふふ、捕まえた。」
巨大少女が口を開いた。その声の音量で、隊員たちの頭は割れそうになった。
「ふん。こんなおちびのくせに、よくもまあわたしに逆らうつもりになったわね。」
怯む機動隊員たちを隊長が鼓舞した。
「攻撃だ!希望を捨てるな!我々の使命を全うするぞ!この至近距離から攻撃
だ!!」
「は、はい!」
気を取り直して、一斉に射撃を再開する。ぱんぱんぱんぱんぱん。
「あらあら、何やってるのかしら?さっぱり感じないわよ。」
 ダメだ。全然効かない。
 この世界は茜にとってもはや小さくなりすぎたのだ。
 茜は鼻先でせせら笑った。
「でもどうしてもまだ刃向かってみたいっていうんなら、チャンスをあげてもいいわ。」
目の高さにあった手のひらが、少しだけ下に降り、唇の前で停止した。
「おとぎ話だと、一寸法師はうまくやったわよね。」
 いきなり、唇がばっくりと開いた。
 驚く間もなく手のひらが無情に傾いて、隊員たちはさらさらと家一軒分ほどもある真っ
暗な口腔スペースに放り込まれた。
「あなたたちはうまくできるかしら?」
・・・ごっくり。

*****

「うわあああああああ・・・」
 機動隊はまっ逆さまに茜の食道粘膜を伝い落ちていった。
 ぬるぬるして掴まるところはない。
 ほとんど自由落下に近いスピードで、彼らは咽頭から胃に到達した。
「み、みんな怪我はないか?」
「大丈夫であります。」
 誰かが懐中電灯をつけた。
 薄暗がりの中に隊員たち一人一人の顔がぼおっと浮かぶ。
「ここで踏みとどまれたのは不幸中の幸いだ。なんとか脱出する方策を探ろう。」
 隊員たちは頷いた。
 さすが隊長だ。どんな状況下にあっても希望を捨てない。
 この人についていけば大丈夫だ。
「とりあえず、我々の任務を遂行しよう。我々は宇都宮市民の安全を守るために、自衛
隊の支援があるまで、全力を持ってこの巨大少女に対さなければならない。幸か不幸
か我々はいま彼女の消化管内にいる。そして我々はまだ火器を手にしている。ここか
ら巨大少女を攻撃することは可能だ。」
 全員がこっくりと頷いた。
 まだ士気は落ちていないぞ。
「酸素が持つ限り、巨大少女を内部から攻撃する。いいな。」
「はい!」
 素早く全員が四方に散って、それぞれの目前に拡がるピンク色の胃粘膜に銃の照準
を合わせた。
「よし。攻撃開始!」
 ぱんぱんぱんぱんぱん
 一斉に隊員の銃が火を吹く。
 ぱんぱんぱんぱんぱん
 ざっと見たところ、取り立てたダメージは与えられなかった。
 分厚い胃粘膜がクッションになって、弾丸の衝撃を吸収してしまうのである。
「た、隊長・・」
 一人の隊員が不安そうに駆け寄ってきた。
「うろたえるな。1度や2度の銃撃ではだめかもしれない。だが、」
「い、いや、そうではなくて・・・」
 その男は額を手で拭いながら続けた。
「あ、熱、熱いであります!」
「そんなことはないだろう。生温いじゃないか。」
「し、しかし」
 いわれてみれば、確かに肌を露出した部分がひりひりとするようにも思われる。
 そのとき、幽門部で濡れネズミになりながら射撃を続けていた隊員の一人が叫び声
を上げた。
「うわ、た、隊長、あ、足が!!!」
 声をたてた隊員の足元を見て、隊長は息をのみこんだ。
 胃液にとっぷりと浸かった膝下が、どろどろと溶けはじめている。
「!!」
 そうだ。これは胃酸だ。強力な化学攻撃だ。
「き、危険だ!!攻撃止め!全員できるだけ高いところに避難!!」
「はい!」
全員直ちに攻撃を中止して、襞壁沿いに上へ上へと避難し始める。
「急げ!胃酸が満ちてきたぞ!」
「はい!」
 ぐらん、ぐらん
 胃壁が大きく身震いを始める。
 消化管の蠕動運動だ。
「うわあああああ!!」
 誰かが手を滑らせた。
「うわあああああ・・・・」
 そのままぬるぬるとした胃壁を伝い落ちていく。
「・・・ぎゃあああああああ、助けてくれえええええええ!!!」
 断末魔の叫びと共に、その男は幽門部に溜まった胃液の海に呑み込まれていった。
 片手だけが水面の上でもがき苦しむ。
 それも、ほどなく水面下に没していった。
「・・・・・・」
「振り返るな!進め!ともかく一歩でも上に向かって進むんだ!」
「はい!」
「うぎゃ!!」
 また別の誰かが小さな悲鳴を上げた。
 隊長は上を向いたまま問いかける。
「どうした?」
「うぁい、ゆうい、うぁいうぁうぁうぁいぇいやいや・・・」
「何を言っているかわからんぞ、もうちょっとはっきり」
 振り返って、背筋が凍った。
 その男の顔面はとろりと溶けて始めている。
「うゆううぃうぃうぉようううぇうぃうぉ・・・・」
 顔面に胃酸の直撃を受けたらしい。
 苦しそうに何かを訴えようとしている。
 だが半分以上崩壊した口腔からは、満足に言葉を漏らすこともできない。
 そうこうしているうちに、ただれた肉が頭蓋骨からぽたりぽたりと滴り落ちてきた。
「うわああ!」
 また別の隊員が悲鳴をあげた。
 自分が這い進んでいる胃壁から急にジェットのような胃酸が吹き出して、その男の顔
面を直撃したのだ。
 みるみるうちに皮膚がただれ、頬筋が溶け、眼球がぼろりと落ちた。
「うわあ!」
「ぎゃあ!」
「うぎゃあ!」
 次々と隊員たちが至近距離から胃酸のジェットの直撃を受ける。
 彼らは一様に顔面を両手で被い、バランスを崩して下方の胃酸だまりに落ちていっ
た。
「急げ!もっともっと上に逃げるんだ!」
「ダメです。もう、いたるところから胃酸が噴き出してきます。」 
「弱音を吐いてどうする!最後まで、希望を捨てるな!」
 激を飛ばす隊長の真正面の胃壁が、急になま暖かい粘液のジェットを噴き出した。
 かわす間もない。
 新鮮なpH1の胃酸が隊長の顔面を直撃する。
「ぐわああああああああ」
 頭を抱えながら、どこまでも、どこまでも、もんどりうって滑り落ちた。
 どぷううん。
 生暖かな液体溜まりだ。
 周囲にはかつて部下であった白骨のかけらがぷかぷか浮いている。
 そうか・・・
 これが胃酸の海か・・・
 ・・・・・・
 もう逃げても始まらない。
 既に全身でたっぷりとこの強酸を吸い込んでしまったからだ。
 ・・・・・・
 観念して脱力する。
 ・・・・・・
 全身が焼け付くように熱かったのは、はじめの1〜2分だけだった。
 視界は既に失われていた。
 次第に四肢の感覚も薄れ、柔らかな雲の上に乗っているような気分になった。
 ・・・・・・
 安らかだ。
 自分の身体が解きほぐされて、限りなく薄く拡がり、周囲に同化していく・・・
 ・・・・・・
 こうして自分は生まれ変わるのか・・・
 ・・・・・・
 なあんだ。
 希望なんか、いつまでも抱いている必要はなかったんだ。
 こんなにいい気分なのだったら、もっと早く消化されていれば良かった。

*****

「あは、あはは、あはははは」
茜はお腹をさすりながら高笑いした。
「なかなかおとぎ話のようにうまくはいかないものね。」
眼下の宇都宮市街を見下ろす。
「さて、じゃ、邪魔者はいなくなったことだし、遊びの続きを始めようかな。」
茜は改めて足を振り上げた。こびとたちは逃げ回る。その上空から更にパワーアップし
た生足が襲いかかる。
 ずううううううううん。
破壊力もけた外れに増していた。もう茜の膝に届く建物もない。
 ずううううううううん。
偉容を誇った東武デパートすら、一撃で粉々になった。
 ずううううううううん。
「あはははは。もろいもろい。」
茜は上機嫌で足元を見渡した。既に半ば廃墟と化した街のそこここから、小指の先ほ
どしかないこびとたちが、絶望の表情を満面に浮かべ、上空にそびえる脚を見上げて
いた。
 ところが、絶望とは、まだまだこのような状態を指すものではなかったのである。
「あは、あはは、いい気味だわ。うふふ、でも、まだまだよ。あなたたち、もっともっと小さ
くしてやるわ。」
茜の口元に悪魔の笑みがこぼれると、左手小指の指環がみたび怪しく輝いた。
 上空を見つめる宇都宮市民たちの視野が、おぞましくもぐにゃぐにゃと歪み始めた。

*****

 それはまさに世界の終末の地獄絵だった。
 そびえ立っていた2本の脚が、更にどんどん、どんどん、天に向かって伸びていく。
 そしてそれを地表で受けとめる2つの素足も、すさまじい突風を巻き起こして周囲の
建物をなぎ倒しながら、ぐんぐん拡張してきた。
 逃げる間もなく、数千人の市民が拡大した茜の足の下敷きになっていく。
 そう、呑み込まれていくという表現が的確だろう。
 この難を危うくのがれた人々が見上げる視線の先は、もう既に茜のすらりとした下腿
ではなくなっていた。
 それはあまりの高みに上り詰めてしまったのだ。
 今、彼らの視界を占拠するものは、とてつもなく巨大化した素足の、それもほんの足
底部に近い一部だけである。
 少し汗ばんだ足から、もわあんと臭い匂いが漂い、宇都宮の街を被いつくした。
 なにしろ市民が見上げる足指一本の高さですら既に200メートルはあり、更になお巨
大化しているのだ。
 破壊を受ける前であっても、宇都宮にはこれに匹敵する高さの建物はなかったの
だ。
 そんなとき、ふいに市民たちを威圧していた巨大な素足の片方が上空に去り、やが
て轟音と共に地平線の彼方に着地した。
 すぐさま、もう片方の巨大な足も、反対側の彼方に消えていった。
「うわあああああああああ!!」
「きゃあああああああああ!!」
 その後、上空から急に宇都宮市民たちの眼に飛び込んできたものは、信じられない
ほどの巨大少女になった茜の姿であった。
「うわあああああああああ!!」
「きゃあああああああああ!!」
 巨大化した茜は、両手を腰にあて、宇都宮全体を跨ぎながら、悠々と上から覗き込ん
でいた。
 市民たちの上空のどこまでも、どこまでも、遥かに高く脚が伸びていた。
 想像を絶する高さでその2本の脚は合流し、その前上方に形の良い胸が、そしてそ
の更に先には勝ち誇った笑顔があった。
 信じられない大きさだ。
 これでも腰を屈めているのだ。
 もう周囲に比較になるものがないので推定は難しい。
 だが、身長にして十数万メートルはあるに違いない。
 これでは、もう自衛隊どころか、米軍の支援が到着しても歯が立たないだろう。
 不可能な大きさだ。
 嘘に違いない。
 ・・・が、現実にその巨大な体躯の全貌が、上空にあますところなく仰ぎ見られるの
だ。
 眼を開ければ、認めたくなくてもこの現実が突きつけられるのだ。
 これだけ巨大な身体なのに、その姿が雲で遮られることがないのは不思議であり、そ
れは同時に残酷でもあった。

*****

 茜が縮小した宇都宮市中心部半径5キロメートルの領域は、いまこの足元にある半
径5センチメートルの円盤になってしまった。
「あはははははは。こんなに小さくしちゃった。みんなもごみみたいなちび人間になっ
ちゃったわねえ。さあ、どうする?それでもまだ茜に刃向かってみる?うふふ。でも何が
できるかしら?あなたたちから見たら、わたしはもう山よりも遥かに大きいわよ。あはは
はははは。」
茜は跪き、両手をついて、顔を宇都宮市街に息のかかるほどまで近づけた。
「ちび人間はどうしているかな?近くからよーく見てみましょ。」

*****

「ごおおおおおおおおおお!!!」
 突然、天上から大地を揺らす雷鳴のような声が轟いた。そのあまりの音量に、市民た
ちはみな両手で耳を塞いだ。
 内容はとても聞き取れない。
 だが、それがこの巨大少女の発した嘲りの声であることは容易に想像できた。 
 実際に・・・ほら、上空から、巨大化した少女の顔が、少女の笑顔が、凍りつく地表に
向けて、ゆっくりと降りてきた。
 降りて来るにつれ、地上に近づくにつれ、その途方もない大きさが明らかになる。
 これは既に生物が可能な大きさではない。
 この少女の顔は、直径が20キロメートル以上もあるのではないか?
 悪戯っぽく輝く眼が、整った鼻筋が、笑みをたたえた唇が、その一つ一つのパーツ
がみな街の1ブロックよりも大きいのだ。
 もはや自分たちは彼女の前では微生物レベルになってしまった。
 いくら力を合わせて闘ったところで、彼女に一矢を報いるどころか、気づいてもらうこ
とすらできないだろう。
 真っ暗なほんとうの絶望が街を押し包み、人々は怖ろしさを超えた虚無感にとりつか
れて、その場にへたり込んだ。

*****

 思いきり顔を近づけてみても、ちび人間なんてとても見つけることはできなかった。
 無理もない。
 建物ですら砂糖粒のようにしか見えないのだ。
 彼らはもう何の力も価値もない微生物だ。
 ここにわたしが片手を降ろすだけで全滅してしまうだろう。
 いや、このまま息をふっと吹きかけるだけでも、跡形もなく消し飛ばされてしまうに違
いない。
「それじゃもったいないわね。」
茜は上体を起こして、右手の人差し指をそっと街の中心部に突き立てた。

*****

 最初に地表を襲撃したのは直径1キロ、長さ10キロほどの巨大な肉柱だった。
 運悪く落下点の半径500メートルにいた人々は、逃げる間もなくその下敷きとなって、
深さ1キロにも及ぶクレーターの奥底へと消えていった。
 落下点の外にいた人々も、その激しい衝撃で地面に投げ飛ばされた。
 呆然と上空を見上げる。
 肉柱に続いて、逃げる意欲すら起こさないほど圧倒的に巨大な手が、視野を一杯に
占拠していた。
 再び耳をつんざく嘲笑が轟く。突風が吹き荒れて、多くの人や車が空中高く飛ばさ
れた。
 やがて轟音が止み、巨大な手が上空に去ると、その上の真っ白かった空が、するりと
肌色になった。

*****

 指先には何の抵抗も感じられなかった。
 柔らかい粘土に指を突き立てるような感触だった。実際に、指を離してみると、くっき
りと小さな指型が残っていた。
 このちっぽけな指型が、ちび人間たちにどのくらいのインパクトを与えたのだろう?
「うふふふふふ。おーい、ちび人間君たち、元気かな?わたしの指はどうだった?まあ、
指っていっても、いまの君たちにとっては山のように大きいんだろうけどね。うふふふふ
ふ。」
 何の返答も聞こえない。
 聞こえるはずがない。
 この街の人間たちは、もはやミクロンの単位の微生物だ。
 それでも、彼らが生きている気配は感じられた。
 頭上に君臨する茜の姿を見上げる数十万のミクロの視線が感じられた。
 屈辱にまみれ恐怖におののく数十万のミクロの視線が感じられた。
 茜の慈悲にすがるしかない数十万のミクロの視線が感じられた。
 ・・・・・・
 茜の股間が激しく疼いた。
「ああああん、もう、ダメ」
 茜はミニスカートをたくし上げてその真上にしゃがみ込み、真っ白なパンティーをずり
おろすと、自分の秘所にそっと人差し指を忍ばせた。

*****

 ぬぷり。
 上空に花開いた全長5キロメートルの形の良い女陰が、さっき地上を襲った長さ10キ
ロメートルの人差し指をうまそうにべろりと呑み込んだ。
 ぐちゅん。ぐちゅん。ぐちゅん。ぐちゅん。
 淫靡な音を轟かせ、巨大な指は花唇に出入りを繰り返す。
 巨大少女がいま何を行っているのか、もはや誰の目にも明らかだった。
 ぐちゅん。ぐちゅん。ぐちゅん。ぐちゅん。
 宇都宮市は、上空から霧のように降り注ぐ甘酸っぱい恥臭に包まれた。

*****

 茜の恍惚とした意識は、既に自らの律しうる限界を離れていた。
 はあ、わたしの一人えっちを、こんな至近距離から、何十万人ものちび人間たちが見
上げているのだ。はあ、手も足も出せずに見上げているのだ。はあ、はあ、どう?いい
眺めでしょ?はあ、悔しい?止めさせたい?はあ、はあ、できるものならやってごらんな
さい。あなたたちは、ただの微生物よ。はあ、わたしがまとめて指一本で潰せるほど、は
あ、無意味で無力なちびなのよ。うふふふふ。あはははははは。
 茜は自分の痴態を成すすべもなく見上げるこびとたちの心中を想像した。
 この卑猥な光景を、真上に見上げているのだ。
 巨大なわたしを見上げているのだ。
 手も足も出せず見上げているのだ。
 歯ぎしりしながら見上げているのだ。
 自分たちの無力さを呪いつつ見上げているのだ。
 あははははは、
 どうだ。
 わたしの力を思い知ったか。
 自分たちの弱さを思い知ったか。
 あははははははは
 あはははははははははははははははははは
 あはははははははははははははははははははははははははははははははは
「あああああああああああああああああああ」
 茜の脊髄がスパークした。

*****

 ぐちゅん。ぐちゅん。ぐちゅん。ぐちゅん。
 こびとたちは頭上で繰り広げられる巨大な自慰行為を見上げていた。
 湿った重い音が上空からこだまする。
 両手で耳を塞いでも、力ずくで脳髄に押し入ってくる。
 ぐちゅん。ぐちゅん。ぐちゅ。ぐちゅ。
 そのスピードが徐々に、徐々に増してきた。
 ぐちゅ。ぐちゅ。ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅ。
 頂点は近い。
 それが何をもたらすのか、この時点で予測できる者はいなかった。
「な、何だあれは?!!!」
 都市サイズの花唇に出入りする直径1キロメートルの巨大な指の周囲に、ぬめぬめと
輝くものが滲み出してきた。
 糸を引いて落ちてくる。
 真下の自分たちに向かって落ちてくる。そ
 の先端は、優に直径が300メートルを超える球になっている。
「まずい!落ちてくる!」
「逃げろ!」
 落下点の人々は争って逃げ始めた。
 しかし、巨大な水滴の落下スピードは、こびとの逃げ足などとは比べものにならない。
 びちゃあああああああああん!!
 直径300メートルの粘液塊が、ロビンソン百貨店の真上に炸裂した。
 建物が粉々になって飛び散った次の瞬間、大地に粘液の海が拡がった。
 たちどころに数百人がのみこまれた。
「ぎゃああああああ!!!」
 断末魔の叫びがこだまする。
 鼻の曲がるような恥臭が立ちこめた。
 逃げるこびとたちは上空を見上げる。
 第2、第3の粘液塊が、容赦なく地上に襲いかかった。
 びちゃあああああああああん!!
 びちゃあああああああああん!!
 びちゃあああああああああん!!
 びちゃあああああああああん!!
 びちゃあああああああああん!!
 上空数キロメートルの高さから落ちてくる直径300メートルの粘液塊。
 これに直撃されては何ものとてひとたまりもない。
 だが直接叩き潰された人々の方が幸せだったかもしれない。
 大地にたたきつけられた後、急速に周囲に拡がって人々を襲う愛液。
 このなま暖かい津波にのみ込まれて溺死する屈辱は、如何に絶望的な状況にあるこ
びとたちといえど受容できるものではなかった。
「ぎゃああああああ!!!」
「うわああああああ!!!」
「助けてくれえええええええ!!!」
「嫌だあああ!!!こんな終わり方は嫌だあああああ!!!」
 人々の胸の裂けるような叫びも、決して天に届くことはない。
 いや、むしろそれをあざ笑うかのように、膨大な量の愛液は、こびとたちの頭上に、こ
れでもか、これでもかと絶え間なく降り続く。
 びちゃあああああああああん!!
 びちゃあああああああああん!!
 びちゃあああああああああん!!
 びちゃあああああああああん!!
 びちゃあああああああああん!!
「ぐわああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
そして、ついに大空を埋め尽くす漆黒の闇が降臨し、全ての存在を呑み込んだ。

*****

 我に返ったとき、茜は宇都宮市の真上に大股を広げ膝をついていた。
 下を見る。
 かつては市街であった直径10センチの領域は、頭上で繰り広げられた茜の恥ずか
しい遊びの結果ぐしょぐしょにされた挙げ句、陰部で完全に押し潰されていた。
 もう動くものの気配はない。
 ・・・・・・
 ちょっと度が過ぎたようだ。
「うふふ。でも、いいわ。もう、十分に楽しませてもらったから。」
 着衣をなおしながら立ち上がった。
 真下を見下ろす。
 思わず笑みがこぼれた。
 かつては宇都宮市街であった直径10センチの汚いシミを、右足でぐりぐりと踏みにじ
る。
 念入りに踏みにじる。
 足を取りのけてみた。
 ほうら、もう跡形もない。
 数十万人の市民の犠牲が出たものの、これで証拠は未来永劫に渡って完全に隠滅
されたのだ。
 「うふふふふ」
 茜は大きく伸びをした。
「はああ、すっきりした。大満足!!」
 もちろん茜のいう「大満足」とは、「今日のところは」という意味である。
 だって・・・これはただの始まりにしか過ぎないのだから。

仮面をはずすと・前編 終