はじめに: 18歳未満の方はお読みにならないで下さい。また、この物語を無断で転載、
改ざん、外国語翻訳したりする著作権侵害行為は行わないで下さい。なお、このお話
は未完成です。続きを書きたい方はどうぞご自由に。

仮面をはずすと その2
by JUNKMAN

 ぐぐぐぐぐぐぐぐぐ
 とある秋の日、平和な午後3時の仙台の街を不気味な振動が襲った。
「地震か?」
「停電しちまった。」
人々は途方に暮れて建物から飛び出してきた。
「やれやれ、そんなに大揺れにはならなかったなあ。」
「でも、なんか、日が翳ったみたいだぞ。」
「うわあ!!あ、あれはなんだ?!」
指さす方には、巨大な2本の白い柱が上空に向かって悠然とそびえ立っていた。
「ル・・ルーズソックス?」
「あ、脚だ、巨大な脚だ・・・」
「巨人だあああああ!!!」
それは身長が300メートルを超える巨大な女子高生だった。
「うふふふふ、仙台のみなさん、こんにちわ。」
巨大な女子高生は口元に悪戯っぽい笑みをためながら、足元のこびとたちを見下ろし
た。
「みんな、わたしの大きさに驚いた?うふふ。わたしはちょー大きな巨人の女の子でえ
す。」
もちろん本当は茜が巨人なのではなく、この仙台の街が1/200に縮小されたのだ。遥
かに茜を見上げるこびとの市民たちにはそんな事情はわかろうはずもないが。
「みなさんはとても小さいので、この街ごとわたしの玩具になることになりました。はい、
異論がある人。」
茜は鼻先でふっと笑った。見上げる市民たちの背筋が凍り付いた。
「言い遅れましたが、いうことをきかない人はこうなります。」
巨大な脚の片方が高々と上空に舞い上がる。真っ黒なローファーの靴底が陽光を受
けてぎらりと輝いた。
「よいしょっと」
ずううううううううん
巨大な黒いローファーの振り下ろされた地点にあったJR仙台駅は、たちまち粉々にな
って砕け散った。
「まあ、ざっとこんなものです。どうですか?みなさんわたしの玩具になりますか?はい、
玩具になりたい人はその場に手をついてわたしにお願いしなさい。」
市民一同はあらん限りの絶叫をあげ、蜘蛛の子を散らすように駆け出した。
「あらら、素直じゃないのね。じゃ、約束通り踏みつぶすしかないかしら。」
茜は両膝に手を当てて、逃げるこびとたちを威嚇するように少し腰を落とした。
「まあ、せいぜい一所懸命逃げてみればいいわ。でもあなたたちなんかアリンコみたい
なものだから、わたしのちょー大股から逃げられるわけないけどね。くくく。あ、そうそう」
茜は腰を落としたままスカートの裾を挑発的にたくしあげてみせた。
「みんなと一緒にえっちな遊びをしようと思って、ほうら、もうノーパンなのよ、わたし。ね
え、ちょっと覗き上げて見たら?せっかくのサービスなんだから、うふふふふ、うふふふ
ふふふ」

*****

「何?今度は仙台がまるごと消滅したって?」
警視庁特別捜査本部は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
「宇都宮に始まって、静岡、長野、水戸と来て今度は仙台かよ。」
「いったいどうなってるんだ?」
「しかもどうして東日本の都市ばかりなんでしょうかね?」
「もしかしたら関西ぢんが嫌いなんじゃないかな・・・」
「それはあるな。なにしろ関西ぢんときたらやれ『純粋な悪意』だの『冷徹な批評』だの
って無断で他人の悪口ばっかり。」
「まあ、悪口に許可を得るやつもいないけど。」
「でもさ、あれじゃ友達なくすよねえ。」
「そうでもないぜ。最近はゲームソフト作りで活躍中。」
「うんうん、人気沸騰だよ。売り出したと思ったら、たちどころに売り切れるんだから。」
「ああ、俺もしつけてもらいたかったなあ。」
「そんなくだらない詮索をしてる場合じゃない!!」
本部長が立ち上がって机を両手で叩いた。
「生存者は?生存者はいないのかね?」
「はあ、それが・・・一人だけ・・」
電話の受話器を置いた刑事が蒼ざめた表情で向き直る。
「まさかまたあの女子高生か?」
「・・・はい」
特別捜査本部に声にならないため息が漏れた。
「どう考えても偶然とは思えんな。」
腕組みをして黙って聞いていた諏芝刑事がゆっくり立ち上がった。
「もう一度、彼女をじっくり調べてみる必要がある。」
「しかし」
取り囲む部下の刑事の一人が声をかける。
「今まで何回取り調べをしてもわからなかったじゃないですか。本人も『記憶がない』っ
ていうだけだし。」
「しかしこれだけ同じ様な事件が続けばもう偶然のはずがないだろう。彼女に必ず原因
の一端がある。」
「原因の一端っていったって、あんな女子高生に何ができるっていうんですか?何か
超常現象を引き起こす力があるとでもいうのですか?」
「・・・」
「本人に任意出頭を求めても今までと何も変わりはしないでしょ。」
「そ、それなら彼女の自宅をあたってみれば・・・」
「捜査令状が取れやしませんよ。因果関係を証明する証拠は何もないんですから。」
「う、ううむ」
諏芝刑事は腹立たしげに腕を組むと、再びどっかりと椅子に身を沈めた。

*****

 仙台発14:55名古屋空港行きJAS462便は、定時に5分遅れて太平洋の上空に離
陸した。この5分の遅れが乗客乗務員の運命を大きく変えることなど、この時点で誰が
想像しえようか。異変は、その後ほどなく感知された。
「おかしいな」
「どうしました?機長?」
機長は首をひねりながら操縦桿を引いている。
「もうかなりの高度に到達したはずだと思うんだけどね。でもなかなか水平飛行に移れ
ない。」
「ああ、そういえばそうですね。」
もうかれこれ30分も上昇を続けているはずだ。だが確かに眼前の雲海は途切れない。
何より、時折襲う気流の乱れはまだ高度が不十分であることの証拠である。
「おかしいですね。」
「ちょっと羽田の管制塔に聞いてみてくれ。下手したら降りた方がいいかもしれん。」
「わかりました。」
副操縦士は既にかなり近付いているはずの羽田空港に連絡を取ってみる。
「・・・だめです。応答ありません。」
「なに?じゃ、成田はどうだ?」
「成田どころか、入間や横田もだめです。」
「どうなってるんだ。」
機長の表情がみるみる険しくなった。現在地が確認できない。通信機器がいかれてし
まったらしいのだ。どうやって目的地に着けばいいのだろう。
「燃料はあとどのくらいある?」
「そうですね・・・あと2時間、ぎりぎりもたせて2時間10分くらいはフライトできるでしょう
か。」
「2時間10分か。じゃ、17時45分までにはランディングしなきゃならないな。」
言葉にならない嫌な予感が機長の胸をよぎった。操縦桿を握る手がじわっと汗ばん
だ。

*****

 緑深い奥日光の渓谷にこだまする青天の霹靂。
「たわけもの!!!どこが『小田茜』じゃ!!!一字違いの他人だったではない
か!!!」
下野新聞の号外を握りしめてかんかんに怒っている神様の前で、おサルは両手で頭
を抱え平身低頭である。
「だからあれほどいったではないか!!!」
「うきい、まさかあんなに名前や顔まで似ている他人がいたとは思いもよらなかったでご
ざる。」
「あんな部外者に大事なお宝をくすね取られおってからに!!しかも宇都宮、静岡、
長野、水戸、仙台と、もうやりたい放題やっとるではないかっ!!」
頭からもうもうと湯気が吹き出している。
「まあワシは管轄外の都市がいくつ消滅したところで知ったこっちゃないが、これでは
いつまでたっても小田茜殿が東武ワールドスクウェアのイメージキャラクターに復帰し
てくれんわい。そもそもその後に東武ワールドスクウェアのイメージキャラクターになっ
たのが誰だか知っとるか?」
「?」
「キャイーンじゃキャイーン。」
「キャイーン?キャイーンって、あのバラエティに出てる・・・」
「そうじゃウド鈴木ともう一人は、ええと、ええと、眼鏡かけた地味な奴、名前なんていっ
たっけ・・・?」
「天野ひろゆき殿でござろう。」
「それじゃ。そのお笑いコンビ。なんと男じゃとほほほほ」
「うきい、あんまりでござるな。」
「全くもって神を冒涜するにもほどがあるわ、ぷんぷん。」
神様の怒りの対象が人間たちに移っていったのは好都合。おサルは抜け目なく会話
を繋げる。
「ところで神様」
「なんじゃ?」
「あの『東武ワールドスクウェアコース』のお宝でござるが、あれはなんとしても取り返さ
ねばならぬでござるな。」
「あたりまえじゃ。このままでは次の神無月会議で出雲に行ったとき、天照大神にこて
んぱんに怒られてしまうわい。」
「天照大神様は口うるさいのでござるか?」
「口うるさいどころの騒ぎではないぞ。年がら年中きれまくっておるわい。ちりちりの髪を
紫に染め上げて、家事もせんとロックンロール三昧。就職活動で忙しいワシに小雀の
おしめ換えから炊事洗濯まであらかたさせちゃうなんてあんまりじゃよねえ。まあ就職
活動の甲斐あって今ではワシも安定した収入が得られるようになったのじゃが、家事を
やってもらえん状況には変わりがなく、そうこうしているうちに小雀2号まで生まれてき
おってもー大変じゃ。」
「うーむ、途中から論旨がずれてきたようでござるが、ま、何にせよいろいろあった6年
間でござったな。」
「愚痴のひとつも言いたくはなるわい。なにしろ最近はえっちひとつ思い通りにさせてく
れんのじゃぞ。あれほど騎上位は好きじゃないっていっておるのになあ。ワシはなんと
いっても獣のようにバックから・・・」
「こらこら!いくらなんでも赤裸々すぎるでござる!そんな究極の内輪ネタでページを
浪費するくらいなら『東武ワールドスクウェアコース』の奪還計画を考えるべきでござる
ぞ。」
「そうであったな。で、なんぞ良いアイディアでもあるか?」
「もちろんでござる。」
おサルは真剣な表情をして神様ににじり寄った。
「『日光江戸村コース』を使うのでござるよ。」
「なに?」
おサルは自信たっぷりにこめかみに指を立てた。
「頭は使いようでござる。『日光江戸村コース』を使って織田茜殿が『東武ワールドスク
ウェアコース』を選択した時点まで時間遡行するのでござるよ。」
「ふむふむ、それで?」
「そこで織田茜殿に『日光江戸村コース』の素晴らしさを話して、『東武ワールドスクウェ
アコース』と交換してもらうのでござる。ほれ、名案でござろう、うきききき」
「なあるほど。」
神様は権藤元横浜監督得意のポーズでふむふむと頷く。おサルは得意そうににやりと
笑った。そのとき・・・
「たわけものおおおおおお!!!」
突然神様は烈火のごとく怒り始めた。
「時間遡行して過去を改ざんしてはならんというのはSFの基本中の基本じゃろう
が!!タイムパラドックスを起こしたらわけわからんわやくちゃになるだけじゃ!!」
「い、いや、それは古典的なSF解釈でござって、実際に変化する未来は新たに出来
てくるパラレルワールドに属すのだから現実的にはタイムパラドックスは起らないので
は・・・」
「そんな伏線になる予定だった解釈でさらりと言い訳しおって!ならこの次元宇宙から
時間遡行しても何の問題解決にもならんではないか!!!」
頭から湯気もうもうである。
「だいたい百歩譲って時間遡行して過去を改ざんできるとしても、お前が東武ワールド
スクウェアの中であの小娘に声をかけなければいいというだけじゃろが。わざわざ面倒
な物々交換する必要があるか?」
「おお!その手がござったか。」
おサルは感心してぽんと手を打つ。
「なあにが『おお!その手がござったか』じゃ!!!このたわけものめがあああ
あ!!!」
怒った神様、ついにおサルを腹這いにして往年の長州力もかくやとばかりにサソリ固
めでこれでもかこれでもかと締め上げる。
「うきいいい!」
「くりゃ、くりゃ、まいったかこのあほザルめが!」
「あああ、まいった、まいった、ギヴアップでござるうううう」
「まあだまだ、くりゃ、くりゃ」
「ききき、助けて、き、き、き・・・あ、そうだ。大切なことを思い出したでござる。」
「またそんなでまかせをぬかしおって。聞く耳持たんわ。」
「い、いや、今度こそ重要な情報でござる。何を隠そうVリーグ・NECレッドロケッツで活
躍中の河村めぐみ殿のスナップショットでござるよ。公表身長193センチ、推定身長実
は196センチの勇姿を捉えた貴重な一枚でござる。しかも今回はチームメートのプリン
セス・メグ栗原恵殿とのツーショット画像まで付いてますますお得!そればかりじゃない
でござるよ。なんと天テレが産んだ明日のスター・中田あすみ殿の生写真まで付けちゃ
うんだから!!」
「何い?」
思わずサソリ固めが緩む。チャンス到来とばかりにおサルはすかさず抜け出した。神様
はもうさっきまでの怒りも何処へやら、モノ欲しそうに口をあんぐり開けている。
「どこ?どこにそのような貴重なお宝があるのじゃ?」
「はいここに。あれ?あれ?しまった。今日はたまたま家に置いてきてしまったでござ
る。」
「な、なにをやっているのじゃ!すぐにとって参れ!!」
「承知したでござる。」
おサルはたちまち鬱蒼とした森の中へ消えていった。明らかにその場限りのごまか
しであろう。またまたこんなサル知恵に引っ掛かってしまうとはねえ・・・
・・・と、思ったら、神様はおサルの立ち去った方角に向かっていつになく厳しい視線
を向けている。
「・・・ふん、食わせものめが。またワシをたぶらかそうとしおった。」
白い顎髭を撫でる手が、神経質そうにぴりぴりと震える。
「あやつ・・・いったい、何者じゃ?」

*****

「降りるぞ。」
意を決して、機長は副操縦士に宣告した。副操縦士の顔色がさっと蒼くなった。
「無茶ですよ機長。薄暗がりで管制塔からの連絡なしに着陸なんてできっこない。だい
たい現在地すらもわからないままじゃないですか。」
「もう燃料がないんだよ。このままでは燃料切れで墜落だ。なんとしても、着陸しなきゃ
ならないんだよ!」
機長は時計を指差す。時刻は既に17時30分をまわっていた。
「俺のカンで着地する。それしか助かる方法はない・・・協力してくれるな?」
「・・・わ、わかりました。」
副操縦士も頷いた。
「それでは速やかに全ての側窓のブラインドを降ろして。乗客乗務員は全て救命胴衣
を装着した上でショックポジションをとること。」
「はい!」
ステュワーデスたちがあたふたと駆け回るなか、機長は操縦レバーを握りしめる。副操
縦士が心配そうに問いかけた。
「機長、どこに降りるおつもりですか?」
「あそこだ。」
機長は遠くの明るい地表を指さした。
「あの明かりの近くに降りる。」
「え?」
副操縦士は慌てふためいた。
「機長!あんな明かりの集まっているところは危険です。おそらく人家が密集していま
す!」
「カンだよ。」
「しかし機長!!」
機長は興奮する副操縦士を片手で軽く遮った。
「俺の20年の経験から来るカンだよ。間違いない。あそこには不時着できる十分なス
ペースがある。」

*****

「茜ちゃあああん!」
振り向くと、志都美と杏奈が駆け寄って来た。
「茜ちゃん、また例の消滅した都市にいたんだって?」
「・・・う、ううん」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫よ。どこも具合は悪くないわ。」
「でも、どうしてまた仙台になんか行ってたの?」
茜は答え難そうに視線を切った。
「そ、それが・・・良くわからないのよ。その前後の記憶がぽっかりと抜けてて・・・気がつ
いたらいつも消滅した都市のあった場所に倒れてるの・・・」
苦しい言い訳である。志都美や杏奈も完全に納得することはできなかった。
「茜ちゃん、何か隠し事してるんじゃない?」
「べ、別に・・・」
「みずくさいわよ。わたしたち、お友達じゃない。困ったことがあるのなら、なんでも相談
にのるわよ。」
「な、何もないわ。隠してることなんか、何にもないのよ。くすん」
例によって茜は半べそをかき始めた。日頃の茜は万事この調子である。
 その時、背後から聞き覚えのあるどら声が響きわたった。
「どえっへっへっへ!みんな、久しぶり。」
振り向くと、忘れたくても忘れられないあの武蔵丸風の女子高生が立っていた。
「ぎ、擬我子ちゃん! 」
「ど、どうしてこんなところにいるの?」
「どえっへっへっへ、今度、ここの高校に転校してきたのよ。」
「転校?」
「なんてご都合主義なの!」
「ご都合主義ってことはないわ。」
擬我子は分厚い唇をへの字に曲げながら人差し指を立てた。
「だってわたしがこの『仮面をはずすと』の主役なんだもん、毎回登場しないわけには
いかないでしょ?どえっへっへっへ」
擬我子は142センチのバストをゆっさゆっさと揺すりながら高笑いした。杏奈と志都美
の顔色が変わった。
「な、な、なんてこというのよ!しゅ、主役は茜ちゃんでしょ。」
「あら、そんなこと、誰が決めたの?どえっへっへっへ。」
「だ、だいたい主役って、そんなに簡単になれるものじゃないのよ!」
「そうよ!わたしたちなんて2作続けて脇役なんだから!!」
我が意を得たり。擬我子はいっそう豪快に笑い飛ばす。
「どえっへっへ。まあ、キャラには格ってものがあるから仕方ないわね。あなたたちじゃ1
00億年たっても主役は無理よ。」
「きいいいい!」
杏奈と志都美は地団駄を踏んで悔しがる。
「どえっへっへっへ、それよりも茜ちゃん、」
擬我子は志都美と杏奈の隣にぽつんと立っている茜に視線を移した。
「ちょっと大切な用事があるのよ。向こうに行って2人だけでお話ししない?」
「・・・え、ええ」
内気な茜は相変わらず煮えきらない態度だ。志都美がむっとして割り込んだ。
「ちょっとお、どういうこと?私たちには話せない秘密でもあるってこと?」
「ふん。あんたたち脇役には畏れおおい話よ。2人であっちに行ってストーリー進行に
は関係ない無駄なおしゃべりでもしてなさい、どえっへっへ。」
擬我子は平然と志都美の肩を押した。有無を言わせぬ迫力だ。
「悔しいいいいいい!!」
押し戻された志都美がハンカチをくわえながら悔しがる。
「見てらっしゃい!必ず次作では主役になってみせるわ!」
「・・・ねえ、志都美ちゃん、」
杏奈は志都美の言葉を遮って、去っていく茜と擬我子の後姿を眺めながら小首を傾
げた。
「擬我子ちゃんは、どうして茜ちゃんの名前を知っていたのかしら?東武電車の中で
逢ったときも、茜ちゃんは自己紹介なんかしてなかったわよねえ・・・」

*****

「どういうことだ!?」
機長と副操縦士は眼下に広がる景色を見て愕然としていた。雲海の下に顔を現した
街は、普通の見なれた都会の様相を呈しているだけだった。だが機体が下降するにつ
れ、その風景は徐々に大きく、大きく、大きく、そこまでは通常のことであったものの、
更に大きく、大きく、大きく、拡大していくかに見えるのだ。
「き、機長!」
「慌てるな!」
「しかしこの光景は・・・」
「馬鹿げたことを考えるな!夕暮には思わぬ見誤りもあるものだ。実際、もう薄暗くなっ
て建物なんか明かりしか見えないじゃないか。」
「し、しかし」
「そんなことよりもう当機はランディング体制に入っているんだぞ。余計なことなんか考
えている場合じゃない。集中するんだ。」
「了解」
そのとおりだ。副操縦士も気を取り直して操縦席に座りなおす。
「あそこの明かりの乏しい空間がわかるか?」
「はい機長。」
「結構なスペースだ。あそこに降りる。」
「しかし、下は平地ですか?」
「運を天に任せるしかない。俺は自分のカンを信じる。」
機長は操縦桿を倒し、更に高度を落とした。
「行くぞ。」
ががががががが
車輪が地表に接するや機体を猛烈な振動が襲った。更地ではあるが必ずしも平坦と
はいえないようである。もちろん、贅沢を言える状況ではないが。
ががががががが
「機長!」
副操縦士が金切り声を上げた。
「前方に壁が、高い壁が!」
機長は答えない。額に脂汗を滲ませながら思いきりブレーキレバーを引いたままだ。
乗員の背にマキシマムのGがかかった。それでも機体は前方に現れた壁に向かって
一直線に突き進む。
「あ、だめだ、衝突する!」
副操縦士が両手で頭を抱え込んだまさにその時、奇跡的にその壁が中央から割けて
両脇に開いた。
ががががががが、が、が、が、が、が
間一髪、機体はあたかも門をくぐるかのようにして壁を通り抜け、無事地表に到達した
のである。
「・・・ふう、なんとか無事に地上に帰還できたようだな・・・」 
機長はうっすらと額に滲んだ汗をハンカチで拭き取った。
「機長!やりましたね!」
「ふむ。燃料はどのくらい残っている?」
「0です。もう、全く残っていません。」
「そうか・・・危ないところだったな。」
機長は息つく暇もなくステュワーデスたちに指示を出した。
「乗員に怪我人が出ていないか、すぐに確認を」
「はい!」
ステュワーデスたちはてきぱきと作業に散る。その後ろ姿を目で追ってから、副操縦士
はもう一度眼前の光景を見渡した。
「機長、ここはいったいどこなんでしょう?」
「うむ。乗客が混乱すると大変だから、まだ側窓のブラインドは降ろしたままにしておい
てもらおう。」
「そうですね。だけど、私は気になるんですよ。あの高度を落としてきた時に見えた風
景や、今くぐり抜けた壁のことが・・・」
どん!
そのとき、重々しい振動が機体を真下から突き上げた。
「な、何事だ?」
どん!・・・どん!!・・・どおん!!!・・・どおおん!!!!・・・どおおおお
ん!!!!!
「なんだ?何が起こったんだ?」
衝撃が止んだ。しばし不気味な沈黙が続いた。何も知らない乗客の間にも不安の念が
高まる。機内は重苦しい雰囲気に包まれた。
「きゃああああああああ!!!」
不安は適中した。燃料切れでもう二度と飛び立つことはできないはずであった機体は、
ふいに尾翼を上にしてまっ逆さまの姿勢で離陸したのだ。

*****

 もうこんなに遅い時間になってしまった。このところ帰宅時間が遅くなってしまうのは
課外活動のバレーボールのせいである。もっとも、優奈は6年生になった今もまだレギ
ュラーになれない。練習は毎日一所懸命にやっているのに・・・
理由はわかっている。優奈は早熟ではあったが身長は高くない。バレーボール選手
としては小柄な部類だ。監督はテクニックはなくても身長の高い子を使おうとしている
のだ。あーあ、悔しい。優奈も大きくなりたいなあ・・・
 ・・・おっと、愚痴っている場合ではない。急がないと6時までに家に辿りつけないぞ。
この辺りは人通りが少ないので夜になるとちょっと恐いのだ。ランドセルに両手をかけ
ながら、小泉優奈は街灯もない薄暗い小路を小走りに家へと急いだ。
「あれ?」
正面から、何かがライトを点滅させながら飛んでくる。低空飛行だ。しかも高度を落とし
て、20メートルくらい先に着地した。
 何だろう?
 ・・・
 あ!
 そのまま突っ込んでくる。滑走しながら優奈の足下に向かって一直線だ。
 ぶつかる!
「きゃっ」
慌てて両足を開いた。間一髪。ライトを点滅させている「何か」は、広げた優奈の股間
をくぐっていった。振り返る。4〜5メートル先で停止した。
「何かしら?」
 おそるおそる歩み寄る。
 ・・・
 思いのほか小さなものだ。
 しゃがみ込んで覗いてみた。
 ・・・
 なあんだ、ラジコン飛行機だ。後ろ向きで相変わらずライトを点滅させている。
 でも誰がこんな時間にこんな場所でラジコンなんかして遊んでるのかしら?危ないじ
ゃない、ぶつかりそうになったのよ、ぷんぷん!持ち主が出てきたら文句の一つでも言
ってやらなくっちゃ!
 周囲をきょろきょろ見回す。
「あれえ?」
全然人の気配がない。
「まさか、勝手に飛んできたってことはないわよねえ?」
もう少し様子を見てみよう、とは思ったのだが、そうもしてはいられない。辺りは暗くなっ
てしまったのだ。だけど、このままにしておくのもしゃくに触る。だって、このラジコン飛
行機は優奈にぶつかりそうになったのだ。黙っていたら、この持ち主はまたこんな無謀
な遊び方をするだろう。
 よおし。
そっちが謝りに来ないなら私にも考えがあるわ。これを家に持って帰っちゃお。
優奈はラジコン飛行機の尾部を鷲掴みにして立ち上がった。
「きゃああああああ」
 か細い悲鳴が上がったような気がした。
 慌ててもう一度周囲を見渡す。
「何だったんだろう?今のは・・・悲鳴?」
暗くなってしまった小路には他に誰もいない。ラジコン飛行機を握った優奈ただ独り
だ。
「きっと気のせいよね。」
優奈は独りでこくりと頷くと、ラジコン片手に再び走り始めた。

*****

 織田茜の捜査令状が取れるわけはない。事件との関連を示す証拠は一切ないから
だ。そもそも、あんな少女が一人でこれほどの大事件を引き起こす事なんてできるわけ
がない。だが・・・
 これが偶然であるはずもないのだ。都市が謎の消滅を見せた後には、いつも彼女が
倒れている。必ずや、あの少女がこの不思議な事件の鍵を握っているに違いない。
 もはや非合法手段であってもやむを得ない。忍び込もう。彼女の部屋に忍び込もう。
幸い、織田茜の両親は共働きだ。高校が授業中である今は絶好のチャンスだ。よし。

*****

 織田茜の自宅は閑静な住宅街にある。真っ昼間に侵入するには人の目が多すぎる、
と考えるのは素人だ。蛇の道は蛇。警察官は警察手帳を持った泥棒のようなものであ
る。セキュリティーの盲点をつくことなど朝飯前だ。諏芝刑事はすんなりと織田茜の自
宅に侵入した。
「これが織田茜の部屋だな・・・」 
 注意深く眺め渡す。
 一見何の変哲もない女子高生の部屋だが、それはもちろん承知の上。だてに15年
も刑事はやっちゃいないぜ。ヤサ入れなんかお手のものさ。
 えーと、ここかな?
 諏芝刑事は衣装戸棚に手をかける。
 一段目、異常なし。
 二段目、異常なし。
 三段目・・・
「・・・なんだこれは?」
無造作に並べられた下着の下に、電車やバスのミニチュアが大量に隠されていた。と
ころどころ窓が破れているが非常に精巧な作りだ。
「男の子じゃあるまいし、変わった趣味だな。」
手にとってしげしげと眺めてみる。独特の酸味のある臭気がした。
「なんてこった、こんなのを使ってやってるのか。ん?」
ふと、諏芝刑事はミニチュアバスの側壁に書かれている文字に目を留めた。
「関東自動車、川中島自動車、宮城交通・・・こりゃ、みんな消滅した街に走ってたバス
じゃないか。」
 これが具体的に何を意味するかはわからない。だが、事件との関連があるに違いな
い。
 鍵だ。
 これが事件を解く鍵だ。
 諏芝刑事は背筋にぞくぞくする興奮を覚えた。
 次の瞬間、興奮に沸き立った背筋は一転して瞬時に凍り付いた。
「そこまでよ。」

*****

 慌てて振り返った。
 織田茜だ。
 いつの間にか部屋の入り口に立っている。
 そんな馬鹿な!
 今はまだ学校が授業中のはずだ。諏芝刑事は虚を突かれて立ちすくんだ。
「刑事さん、現職の警察官が、捜査令状もなしに他人の部屋に忍び込むってのは違法
なんじゃないですか?まるでこそ泥か痴漢だわ。」
「ま、待て。それならこれについても説明してもらおう。」
諏芝刑事は気を取り直して手にとったミニチュアのバスを茜に突き付けた。
「これはいったいどういうことだ?みんな消滅してしまった街に走っていた車両だろう。」
「・・・見たのね。」
茜は小さくかぶりを振ると視線を落とした。
「何か知っているな?隠さないで正直に説明しろ!」
 諏芝刑事は華奢な茜の胸ぐらを掴んで激しく揺すぶった。
 茜の表情が少し苦しそうに歪む。
 これでよし。
 相手は所詮ただの女子高生である。大の男がこのぐらい高圧的に迫れば落とすのは
わけないはずだった。
 ところが・・・予想に反して茜には動揺が見て取れない。下を向いたまま答える茜の声
は、低く、落ち着いていた。
「いいわ・・・なら説明してあげる。言葉で説明するよりも、もっとわかりやすく説明してあ
げるわ。」
視線を上げると、茜の唇には冷たい笑みが浮かんでいた。
「刑事さん、小さくなあれ」
 左手小指の指輪がゆらりと煌めいた。
 その眩しさで思わず目を細めると、周囲の空間が急にぐにゃりとひしゃげ、茜の胸ぐ
らを掴んでいた両手がぱちんと弾き飛ばされた。
 たちまち見渡す風景がケーブルの切れたエレベーターから眺めたように天空に飛び
去っていく。
「ど、ど、どうしたんだ?いったい何が起ったんだ?」
周囲の激動が一段落した後、すっかり変わってしまった世界で、諏芝刑事は目の前に
聳え立つ2本の柱を上空まで目で追った。
「あ、あ、あ、」
信じられない。それは巨人の姿になった茜の両脚であった。
「ひ、ひゃあああああ」
 心臓が口から飛び出すほど仰天した。 
 慌てて逃げ出す。
 全力で駆け出す。
 ・・・が、逃げられるはずもない。
 大木の幹ほどもある指が3本舞い降りて、諏芝刑事を羽交い締めにすると、有無をい
わせずその身体を上空へ運び去った。
「あわ、あわ、あわ、」
鼻先にぶら下げられた。巨大な2つの瞳が見つめている。苦しさと恐ろしさのあまり手
足をばたつかせるが、万力のような指はびくともしない。
「うふふ、刑事さん、どう?こびとにされた気分は?」
「・・・!!」
 なんだって?
 こいつが巨人になったんじゃなくて、お、俺が小さくされたのか?
「さっきはよくもやってくれたわね。これからたっぷりお返ししてあげるわ。」
 お返し? 
 まずい。
 諏芝刑事は慌てて懐から拳銃を取り出し、茜の顔面に向かって乱射した。
 ぱんぱんぱん
「あははは、そんな玩具、痛くも痒くもないわよ。」
 巨大な茜は瞬き一つせずに笑い飛ばす。拳銃なんて全く効果がないようだ。
 信じられない!
 こんなことが現実に起きるなんて!
 暴走するメリーゴーランドのようにぐるぐる廻る意識の中で、諏芝刑事は絞り出すよう
に問いかけた。
「さ、さては、お前が都市をまるごと縮小して消滅させたんだな?」
「そういうこと。良くわかったでしょ?」
 そうか、それで全ての謎が解けた。
 消滅した都市の跡にいつもこの少女が残されていた理由・・・
 衣装戸棚の下着類の下に本物そっくりのミニチュア電車やバスが隠されていた理
由・・・
 みんなこの少女が何かの不思議な力で行ったのだ。
 やっと事件の概要が理解できたぞ。
 だが・・・そのために払った代償は大きすぎた。
「お、俺をどうするつもりだ?」
「うふふふふ、このまま捻り潰しちゃってもいいんだけどね。」
「た、頼む、元に戻してくれ。このことは黙っている。」
諏芝刑事は茜の手のひらの上で土下座して懇願した。
「約束する。もうお前への捜査は一切行わない。だから、助けてくれ。元の大きさに戻し
てくれ。お願いだ!!」
「いやあよ。」
茜はぷい口を尖らせた。
「さっきまで私にあんなひどいことしてたくせに、調子よすぎるんじゃない?」
右手のひらの上の諏芝刑事を巨大な指が襲った。諏芝刑事は人差し指の先にまで追
いたてられた。
「ちび刑事さん、元に戻してはあげないわ。そのかわり、もっと、もっと小さくしてあげ
る。」
「え?」
 いぶかし気に覗きあげる諏芝刑事の頭上に左手の小指がかざされる。
 古風なデザインの指環がぎらりと輝いた。
「もっと小さくなあれ。」
「うわああああ」
 ビデオのリプレイを観るように、周囲の風景が上へと飛び去っていく。
 足下の指紋がぐんぐん広がっていく。
 また縮小されているのだ。
 たちまち諏芝刑事の身体はごま粒のように小さくされてしまった。
「刑事さん。もうアリさんよりも小さいわ。まるでノミですね。」
「............!!」
「うふふ。小さすぎてどんな表情してるのか良く見えないわ。虫眼鏡・・・いや、顕微鏡
が必要ね。うふふ。指先の乗り心地はどうですか?うふ、茜のことが山みたいに大きく
見えるでしょ?」
「............!!」
「小さくて何を言ってるのかさっぱりわからないわ。これじゃ玩具にもならないわね。」
「............!!」
「あ、言い忘れてたけど、わたしができるのは人や物を小さくするだけ。大きくしたり、元
の大きさに戻したりすることはできないの。」
「!!」
「残念でした。ってことで刑事さんはもう元には戻れません。んー、小さすぎるからもう
玩具として飼っておく意味もないわね。」
茜は諏芝刑事を指先にのせたまま立ち上がった。
「ま、こんなに小さいんだから見つかるわけもないんだけど、念には念を入れて・・・そう
だわ、ちょうどもよおしてきたことだし」

*****

 自分が指先にのせられているという受け容れ難い現状について思い悩む余裕など
なかった。凄まじい振動と猛烈な風圧によって吹き飛ばされないよう、這いつくばって
いるのがやっとだった。
 俺はいったいどのくらいの大きさに縮められてしまったのだろう?
 5ミリ?
 3ミリ?
 いや、2ミリもなさそうだ・・・
 底知れない絶望感に包まれながらも、諏芝刑事はなお生への執着を捨てていなかっ
た。
 ふいに振動が止んで、諏芝刑事は上空を見上げる。
 見たくなかった。
 視界いっぱいに、呆れるほど巨大な茜の顔が広がっていた。
 勝ち誇って薄笑いを浮かべていた。
 そのほころんだ口元がばっくりと開いた。
「ちび刑事さん、じゃ、さようなら」
 そう呟いたのだろうか。諏芝刑事にとっては耳をつんざく大轟音であって、その内容
を確認することなどできなかった。
 そんなことより、眼前に茜の形の良い柔らかそうな唇がoの字にすぼまって迫ってき
た。
 近づくに従って、その唇は更に大きく、大きく、大きくなる。
 すぼめていても10階建てのビルくらいある。
 圧倒的な迫力だ。
 諏芝刑事は腹這いになったまま、その中心部を凝視した。
 その様子を見つめていた茜が軽く目を閉じた。
「ふっ」
ごおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
 かつて経験したことのない暴風が諏芝刑事を直撃した。
 ひとたまりもなかった。
 風圧にあおられ虚空に放り投げられる。
 もがきながら下を見た。
 地表は1500メートルの遥か彼方だ。
 くるくると周りながら墜ちていく。
 どこまでも墜ちていく。
 なにしろ自由落下だ。
 墜ちていく速度がぐんぐん増していく。
 このまま硬い地面に叩きつけられたら木っ端微塵だ。
 痛みを感じている間もないだろう。
 まあ、じりじりと苦しんで死ぬよりはましか・・・
 ぱしゃあああああああん
 全く予想外な結末だった。
 叩きつけられた先は硬い地面ではなく水面だった。しかもこれだけの落差であったに
も関わらず、水面は諏芝刑事の身体を柔らかく受け止め、傷一つなく着水できたので
あった。現在の諏芝刑事の質量が非常に小さかったため、落下に伴っても十分な破
壊エネルギーを得るに至らなかったからである。
「ふう、まだまだ全く運に見放されたわけじゃなかったようだな。」
 立ち泳ぎをしながら現状を確認する。
 楕円形のプールだ。
 直径は300メートルくらいだろうか。諏芝刑事はほぼその中心に浮かんでいる。
 ゆっくりと泳ぎ始めた。
 この距離ならば岸に泳いで辿り着くことは雑作もなかろう。
 だがそれからはたいへんそうだ。
 四方をぐるりと白い壁がおおっている。高さにしてやはり300メートルはあるに違いな
い。あれを乗り越えるのは容易ではないな。
「ちび刑事さん、お元気?」
 ふいに上空に茜の顔が現れた。今度は少し距離を置いて見るのでその全体が見渡
せる。ちっくしょう、可愛らしい顔をしやがって、なんて大きさだ。白い壁に囲まれた上
空の空間をほとんど占拠していやがる。
「うふふふふ、これからが本番よ。じゃ、頑張ってね。」
 上空に顔が去っていった。俺は見つからなかったのかな?
 諏芝刑事は改めて岸に向かって泳ぎ始めた。
 次の瞬間、今度は上空に2本の脚が聳え立った。
 諏芝刑事に臀部を向けるようにしてこのプールを跨いでいるのだ。
 数百メートル上空では、スカートがたくし上げられている。
 それどころか、突き出されたその巨大な臀部からパンティーがするすると下ろされた。
「よいしょっと」
 プールを跨いだまま、今度はむき出しのまるい臀部が降りてくる。
 真上に降りてくる。
 諏芝刑事はその圧倒的な迫力に息をのんだ。
 どしいいいいいいいん!
 大音響と共に、直径300メートル以上ある巨大な臀部が上空に鎮座した。諏芝刑事
の視点からは肛門や会陰部が丸見えである。魅惑的な光景といえないことはない。
 だが・・・ 
 だが、恐ろしい疑念が胸に沸き上がってきた。
 ここは?
 ここはもしかしたら?
 どばばばばばばばばばばばばば
 疑念は適中した。
 レモン色のなま暖かい激流が、アンモニアの激臭を振りまきながら滝のように降り注
いできた。
「うわああああああ!!」
 たちまち水面が大シケになる。荒れ狂う大波にもまれて、幸運にも諏芝刑事は白い
側壁の傍らまで漂い着いた。
 切り立つ白い壁に両手を掛けながら、荒い息を立て直す。
 レモン色の瀑布は徐々にその勢いを失っていた。
 ・・・・・・
 ここは便器の中だ。
 ・・・・・・
 俺は便器の中を蛆虫のように這いずり廻って、なすすべもなく小娘の排泄した小便
にまみれているのだ。
 ・・・・・・
 つきつけられたあまりの屈辱に、諏芝刑事の身体はわなわなと震えた。
 「ふんぬ」
 突然、上空から不気味な低いうなり声が轟いた。
 改めて上を見上げる。
 巨大な肛門が、まさにばっくりと口を開こうとしていた。
 ぶううううううううう
 諏芝刑事を取り囲む白い空間が強烈な臭気で満たされる。
 そして、更なる脅威が迫ってきた。
「ふむ、ん、んう、んぬぬぬぬ」
 むり、むり、むりむりむりむり
 丸いドームのような茶色い物体がにじり出てきた。こんなものに直撃されたらひとたま
りもない。恐怖におののく諏芝刑事は、壁にへばりついて身を硬直させた。
「ふん!」
 むりむりむりむり、ずどおおおんばっしゃああああああああん!!!
 高層ビルほどもあるこげ茶色の塊が、脳髄をねじ切るほどの悪臭を放ちながら天空
から落下してきた。
 次の瞬間、諏芝刑事がかろうじて浮かんでいた水面には、天地が逆さまにひっくり返
るほどの大津波が起こった。
「うわああああああ!!」
 ごぼごぼぶくぶくぶく。
 津波にのまれて水底に引きずり込まれる。
 もがく。
 水面へ。
 新鮮な空気を。
 息が持たない。
 糞臭の漂う茶色い水を食道といわず気道といわずしこたま飲み込んだ。
 それでもいい。
 生きたい。
 生きてやる。
「ぷはああ」
 やっとのことで水面に浮かび上がった。
 荒波の表面を立ち泳ぎしながら大きく息を吸う。ひどい便臭に溢れたその空気でさえ、
今の諏芝刑事にとってはこの上ない安らぎだった。
「!」
 油断していた。
 津波に流され、便器の中央に押し戻されていたのだ。
 ここは肛門の真下だ。
 そして、頭上から、半固形状の茶色い物体が、諏芝刑事めがけてまっしぐらに落下し
ていた。
 ずどおおおんばっしゃああああああああん!!!
 今度ばかりは逃げるゆとりもなかった。
 かといって、身体がは瞬時に叩き潰されることもなかった。
 水面で半径50メートルほどに広がったどろどろの茶色い半塊は、諏芝刑事の小さな
身体を完全におし包み、たちどころに水底深くに沈み込めたのである。  
 必死でもがく。
 どろどろの半固形物がまとわりついて、思う通りには身体の自由が利かない。
 消耗する。
 また、息が苦しくなる。
 周囲からの圧力に身体が抗えない。
 鼻腔口腔はもとより、外耳道や上咽頭にまで生暖かな茶色い半固形物がねじ込まれ
てきた。
 もはや臭気を感じることもない。
 息をつこうとして横隔膜に力を入れる度に、生暖かな半固形物は気道をむりむりと下
降してくる。
「うぐぐぐぐぐぐ」
 呼吸ができない。
 せっかく一度は水面にまで戻ることができたのに、もうこの巨大な固まりから抜け出す
なんてことはできないんだ。
 ・・・だめだ。
「お、俺は、この小娘のうんちの中に閉じ込められたまま死ぬのか・・・」
 ・・・・・・
 必死でばたついていた手足が、だらんと、力なく伸びた。
 意識が、ゆっくりと、フェイドアウトした。
 ・・・・・・
 これ以上、こんな屈辱に苛まれ続けているよりは、遥かに幸福であった。

*****

「ふう、すっきりした。」
生理的要求を満たした茜は、晴れやかな気分で便座から立ち上がった。
「刑事さん、どこにいるのかなあ?」
便器の中を覗き込む。むわっと新鮮な便臭がした。
「ひゃあ、臭い臭い。やあめた。」
茜はあっさりと諦めてトイレのフラッシュに手をかける。いや、根気強く探したところで便
器の中に沈む便塊の一つに埋められた身長わずか2ミリ弱の諏芝刑事の身体など、
見つけだすことはできなかっただろう。それほど意味があることとすら思われない。
 かちゃ、しゃああああああ、ごごごごご・・・
 こうして誰にも知られることもなく、諏芝刑事の存在は、永久に、きれいさっぱり、トイレ
の渦と消えてしまったのである。

*****

 諏芝刑事を片づけると、茜はそそくさと学校へ戻る途についた。まだ授業中なのであ
る。
 小路の曲がり角を過ぎたところで、背筋がつうっと冷たくなった。
「!!」
 視界が白くなった。全ての音がかき消されるようになくなった。
 ・・・・・・
「どえっへっへっへ」
静寂を破って下品な笑い声が響きわたった。
「どう?あたしの言ったとおり、痴漢が忍び込んで来たでしょ?」
「・・・そ、そうだったわ。」
 小路の角から、悠然と擬我子が現れたのだ。
 そうだ。
 擬我子が「この時間に茜の自宅に痴漢が現れる」と予言したので、茜は保健室に行く
ふりをして自宅に帰ってみたのだ。
 まさかとは思ったが、万が一にもあの部屋の秘密を知られてはいけなかったからだ。
 そして・・・擬我子の予言どおり、そこに諏芝刑事が現れたのだ。
「どえっへっへ、それで痴漢はどうしたの?」
「あ、ああ・・・その・・・お、大きな声を出したら、慌てて逃げていったわ。」
「あらそう、それは良かったわね、どえっへっへっへっへっへ」
 違う。
 彼女はそんな説明は全然信じていない。
 薄笑いの奧でらんらんと燃える氷のような眼差しが、茜の心臓を鋭利にえぐり出して
いた。
 全て読まれている。
 茜の嘘も、真実も、
 全て手に取るように読まれている。
「どえっへっへっへ。逃げた痴漢が戻ってこないといいわね。まあ、戻ってくるわけもな
いか、どえっへっへっへ」
 本能的に脅威を感じとった茜は、擬我子に向けて左手の小指を差し出した。
「ぎ、擬我子ちゃん・・・ち、ち、小さくなれ!」
いつものように指輪が光る。みるみるうちに擬我子の身体は縮小され、虫のようなこび
とになる・・・はずだった。
「!」
なにも起こらない。
不敵な笑みを浮かべる擬我子の姿は、全くそのまま変わらない大きさだ。
「・・・き、効かない・・・そんな馬鹿な・・・」
「どえっへっへっへ。やめてよ、そんなの私に効くわけがないわ。だいたい、私は茜ち
ゃんの味方よ。悪いようにはしないからね。どえっへっへっへ、どえっへっへっへ」
 うっきい。
 そのとき傍らから一匹のおサルが駆け寄って、擬我子の肩にするすると登ると茜の方
に向き直った。
「あ!そ、そのおサルは・・・」
まぎれもない。東武ワールドスクウェアで茜に話しかけてきた「神様のお使い」である。
どうしてこんなところに・・・?
「どえっへっへっへ。可愛いでしょ?あたしの飼っているペットよ。なんでも言うことをき
く賢いおサルなんだから。どえっへっへっへ」
「ぎ、擬我子ちゃん・・・」
茜はわき上がる恐怖を必死でこらえながら、薄笑いを浮かべている擬我子に尋ねた。
「あなたは・・・いったい、誰なの?」

仮面をはずすと・終(未完成)