北郎少年の冒険(サブタイトル:妙な数日間)・その5

by JUNKMAN


「ぷるぷるぷるぷる、がちゃ、ふわああい、もしもしい、どなたですかあ?」

志都美は明らかに寝ぼけているようだ。

「もしもし。僕だ。北郎だ。」 
「ふえ?・・え!?お、お兄ちゃん?ちょ、ちょっと、今どこにいるのよ?みんな、とっても心配しているのよ!」
「それについては、今はまだ言えない。」
「どうしてよ?」
「どうしてもだ。それよりも志都美、お願いがある。」
「なあに?」
「これから僕がいうことを良く聞いて、それを実行して欲しいんだ。」
「え?」
「お願いだ。志都美がやってくれないと、僕は元に・・いや家に戻れないんだよ。」
「ううん、なんだか良くわからないけど、とても大切なことみたいね。で、何をすればいいの?」
「受毛大学付属病院血液内科病棟707号室の床頭台の上にあるハンカチをもらってきて、それを僕の部屋に置いて欲しいんだ。」
「どういうこと?それっていったいどういう意味があるの?」
「ごめん。これ以上の説明はできないんだよ。だけど志都美がこれをやってくれなきゃ、僕は家に帰れないんだ。」
「ふうん・・・わかったわ。じゃ、言われた通りにやってみる。受毛大学付属
病院血液内科の」
「707号室の床頭台の上だ。そう、そのハンカチはたたんであるけど、決して広
げてみてはいけないよ。」
「OK。それで、そのハンカチをもらってきたら、お兄ちゃんの部屋のどこに置けばいいの?机の上でいいの?」
「い、いや、それは困る。そうだな、部屋の隅に古ぼけたランプが置いてあるんだけど、わかるかな?」
「わからないわ。」
「僕の部屋で探してみればすぐわかるよ。そのランプの近くに置いてくれ。それから・・・」
「それから?」
「僕から電話があったこともまだ誰にも言わないでくれよ。お願いだ。」
「了解」

ぷつんと電話は切れた。
なんだかんだいっても志都美は頼れる妹だ。ここも言うとおりに動いてくれるだろう。
それを信じるしかない。
僕は全力で巨大な携帯電話のスイッチを切ると、引き出しから這い出して床頭台の上に置いてあるハンカチの中に潜り込んだ。

*****

「まったくこんなたいへんな時に、いったいどういうつもりなのかしらね?」

聖奈さんがぶつぶついいながら病室に戻ってきた。同僚の看護婦さんが、寛子
ちゃんの脈を計りながら話しかける。

「聖奈さん、どうしたの?」
「それがね、病棟の受付に中学生の女の子が尋ねてきて、この部屋にあるハンカチを取ってきてくれっていうのよ。」
「どういうことかしら?」
「全然わからないわ。それでね、今たてこんでるから後にしてって言ったのよ。」
「それはそうね。」
「ところがダメなの。ハンカチをくれるまでは帰らないっていうのよ。」
「変な子ねえ。でもハンカチならその床頭台の上にあるわよ。」
「あ、ほんとだ。不思議ね。その中学生の女の子も、ハンカチは必ず床頭台の上にあるはずだって言ってたのよ。」
「何だか気味が悪いわ。」
「ともかくこのハンカチを渡して、早めに帰ってもらった方がいいかしら。」
「そうね。」

志都美、上出来だよ、ありがとう。
ハンカチの中で2人の会話を聞きながら、僕は志都美に感謝した。
病室から廊下に出たら、看護婦さんのけたたましい叫びが聞こえた。

「せ、先生!早川さん、下顎です!」
「じゃ、すぐに7フレのチューブとマギー鉗子を」
「サーボでいいですか?」
「上等だ。すぐに持ってきて!」
「はい!」

どうしたのかな?
よくわからないけど凄い緊迫感だ。これは一刻も早く家にたどり着かなきゃ。

*****

ぎゅうぎゅうだ。
僕は、今、志都美のセーラー服の胸ポケットの中にいる。
ぎゅうぎゅうと僕の身体全体を押しているのは志都美の胸の膨らみだ。
ひええ、こいつ、まだ子供だと思ってたのに、いつの間にこんなにおっぱいが大きくなっちゃったんだよ。
別に僕がこびとになったからだけではなさそうだな。
我が妹は少女から女へと変身しつつあるのか。感慨深いよ。
だけど、だいあなのおっぱいに比べたら随分と柔らかさが足りないな。
発展途上だからだろう。蕾の感触ってやつだ。ちょっと良いかな。
いやいや現実問題としては居心地が良くないよ。家に連れて帰ってもらっているんだから、贅沢はいえないんだけどさ。
ふいに圧迫が止んだ。
志都美がハンカチを胸ポケットから取りだしたんだ。

は振り落とされないよう、しっかりとハンカチの布地を身体に巻き付けた。
すぐに僕の身体はハンカチごと床に降ろされた。
妙に丁寧な扱いだった。

「じゃあ、お兄ちゃん、ハンカチはここに置くよ。どういう意味があるのかわからないけど、約束は果たしたからね。だからお兄ちゃんも、約束通り必ず帰ってきてね。私はもう時間だから学校に行くけど、帰ってくるまでには必ず家に戻っていてね。お願いよ。」

ずしん、ずしんと重い足音が去っていった。
まさか志都美は僕がこの中に隠れているなんて、気づいてなかったよね?

*****

ともあれ万事手筈どおりだ。
僕は志都美が部屋から立ち去っていったのを確認してから、ハンカチの外に這い出して、ランプの横に立った。あの僕が骨董屋から買ってきたランプだ。でも、今の僕には小さな家くらいの大きさに見える。うへえ。
いやいや、ぐずぐずしちゃいられないぞ。すぐにだいあなを呼び出そう。
そのためには、このランプに向かっておなにいしなくっちゃいけないんだった
な。
うーん、今日はいやらしいイラストは使えないし、じゃ、想像力で頑張って
みよう。
おかずは、小泉杏奈・・ひええ、とんでもないや。優奈ちゃん・・冗談じゃないね。聖奈さん・・いまいちかなあ。じゃ、寛子ちゃんは?・・だめだめ、寛子ちゃんをそんなことに使うのは良心が許さないや。
どうしよ?
・・・しようがないな、さっきの志都美の胸の感触でも反芻してみるか。
ごしごしごし
志都美の胸、大きかったなあ
ごしごしごし
僕の身体全体をぐいぐい押してくるんだもんなあ。
ごしごしごし
巨大な妹の膨らみかけた乳房に圧迫される無力で小さな兄。あああ、倒錯してる。「乙女座の少年」に通じるものがあるね。女装はしてないけど。
ごしごしごし
あ、ちょっといい気分になってきたぞ。
ごしごしごし
やっぱりノーマルじゃない世界ってわくわくするな
ごしごしごし
あ、来るぞ、来る、来る、来る、おおお、どぴゅ!
しまった!!
僕は小さくなりすぎていたんで、飛行距離も短くなっちゃったんだ。ランプに届かず床に着地しちゃった。
万事休すか・・・
僕は思わず駆け寄って、ランプを両手でどんどんと叩いた。

「だいあなさん!お願いだよ!出てきてくれよ!お願いだよ!」

そのとき、急に目の前にぼわわわわあんと白い煙が上がると、僕の身体はぐん
ぐん上空に持ち上げられた。
うわあ、どうしたのかな?
煙が晴れて、僕はようやく状況を把握した。
僕はおっぱいの大きいセクシーなおねえさんの手のひらの上に立っていたのだ。

「坊や、おひさしぶり。元気だったみたいね。ちょっと届かなかったけど、特別におまけしとくわ。」

やったあ!
だいあなだ!
これでまたお願いができるぞ。
まず僕の身体を元の大きさに戻してもらって、で寛子ちゃんを元気にしてもらって、それで、おっと忘れちゃいけない念願の世界征服だ。えーと、一つ、二つ、三つ、ちょうど三つか。もう一つも無駄にはできないな。もみもみとか、ぺろぺろとか、ぱふぱふとか頼んでいる場合じゃないぞ。

「だいあなさん!早速お願いがあるんだよ。」
「待って、坊や。」

だいあなは、いつものように腰をくねくねさせながら僕の言葉を遮った。

「坊やが私を呼び出したのはこれが2回目ね。だから、今度は一つしかお願いをきいて上げることができないわ。」
「ええ!!」
「ふふふ。そしてね、これが坊やの最後のお願いになるのよ。」
「ど、どういうこと?」
「一人が私を3回も呼び出すことはできないのよ。」

額から血の気が引いていった。
これが最後のお願い?
お願いは3つあるんだ。
そのうち1つしかきいてもらえないんじゃ・・・どうしたらいいんだろう?世界征服はともかく、残りの2つはどっちも大切なお願いなのに・・・

「さあ坊や、お願いはなあに?」
「・・・・」
「一つもないの?じゃ、私はランプに帰るわ。」
「待って!待ってよだいあなさん・・・・寛子ちゃんの、寛子ちゃんの病気を治してあげて!」
「え?」
「寛子ちゃんが、病気で入院してる寛子ちゃんが死にそうなんだよ!だから、だいあなさんの力で、寛子ちゃんを元気にしてあげて欲しいんだよ!」
「坊や、そんな他人のことなんかかまっている場合なの?坊やが元の大きさに戻らなくてもいいの?」
「・・・う、うん」
「一生、こびとのままよ。」

わかってる。
こんなちっぽけな身体が、虫みたいな、玩具みたいな身体が、どれほど情けなく惨めなものか今の僕には十分にわかっている。
優奈ちゃんや杏奈に散々いたぶられて、その惨めさは骨身にまで滲みたよ。
何をおいても、一刻も早く元の大きさに戻りたい。
・・・だけど、だけど・・それで寛子ちゃんが元気になれるんだったら・・・僕はそれでもいいよ。
この身体のまま、なんとか頑張っていくよ。

「いいよ。僕はこのままでいい。」

だいあなは僕を見下ろしてにっこりと笑った。

「坊や、大人になったわねえ。」

そして僕を足元におろすと、ゆっくりとささやいた。

「わかったわ。じゃ、お願いをきいてあ・げ・る。」

 次の瞬間、だいあなの身体から再びぼわあっと白い煙が吹き出した。僕は煙に巻かれて視界を失った。

「ごほんごほん」

煙が晴れたとき、だいあなの姿は消えていた。
そして、僕は自分の部屋に帰っていた。
いや、元から自分の部屋にいたんだけど、それまではそう思えなかったんだ。だって周りの家具がみんな大きすぎたから。
今はほら、見慣れた部屋の風景だ・・・あれ?ということは・・・
あっ、元の大きさに戻っている!
僕は慌てて周囲をもう一度見渡した。
いつもと変わらない僕の部屋だ。
どんがんどんがん
扉を叩く音がした。

「おにいちゃん、おにいちゃん、いるの?いるんでしょ?開けるよ。」

志都美が部屋に入ってきた。

「おにいちゃん、やっぱりいたのね。返事くらいしてくれたっていいでしょ。」
「あ、ああ」
「早く準備してよ。今日は一緒に映画を見に行くって約束したじゃない。」
「え?し、志都美、今日は何月何日だい?」
「なに寝ぼけたこと言ってるの?11月10日に決まってるでしょ。ほら、急いで
よ。もう6時になっちゃったわ!」

11月10日?午後6時?それはこびとにされたときの日時じゃないか!

「志都美、ごめん、急用を思い出したんだ。僕は映画にいけないから。あ、それとお前のペンケース、机の上に置いてあるぞ。」

それだけ言うと、僕は慌てて部屋から飛び出した。
背中で志都美の不満そうな声が聞こえた。

「もう、ひどいわ、お兄ちゃんったら!ふん、いいもん。杏奈ちゃんを誘って
いっちゃうもん。」

*****

僕は急いで受毛大学医学部附属病院に駆けつけた。

「寛子ちゃんの、早川寛子ちゃんの具合はどうですか?」

僕は病棟の受付で看護婦さんに呼びかけた。答えたのは夜勤で出勤中の聖奈さんだった。

「早川寛子?そんな患者さんはいないわよ。」
「そんなはずないよ!無菌病室の、707号室に入院している寛子ちゃんだよ!」

聖奈さんはにこっと笑った。

「勘違いじゃないかしらね。ほら」

聖奈さんは受付から身をのりだして無菌病棟の方を指さした。

「うちの無菌病棟は706号室までしかないのよ。」

僕は信じられない思いで、その指さす先へ行ってみた。
本当だった。
自動ドアの向こう側の707号室があるはずの場所は、壁で仕切ら
れて行き止まりになっていた。

*****

何事も変わりなく、日常の生活が再開された。
小泉杏奈は、僕がこびとだったことなんか覚えていないようだ。
妹の優奈ちゃんも覚えていないだろう。
当然と言えば当然である。僕がこびとだった期間、すなわち11月10日の夕方から11月13日の朝までの時間は、消滅してしまったのだ。
僕はこの時間をまたやり直している。もちろん、普通の中学生としてだ。以前までと変わりなく。いや、世界征服をする野望は、なんだか失せてしまったかなあ。

「せんぱあい!」

2度目の11月12日の放課後、帰宅しようとする僕の背後から、杏奈が走り寄ってきた。

「先輩。なんだか昨日から冷たいじゃないですか。」
「あ、ああ。」
「何か、私、気に障るようなことでもしました?」
「ん?い、いや、別に。」

僕はいつものようにまとわりついてくる杏奈から視線をそらした。

「先輩、変です。何か隠してる。」
「いや、何も。」
「じゃ、先輩」

杏奈は鞄からチケットを2枚取りだした。

「今度の土曜日、一緒に映画を見にいきませんか?一昨日は志都美ちゃんと2人で行ったんだけど、女の子同士じゃ、なんだか物足りなくって、」

杏奈は上目遣いに僕の表情を伺った。
その視線が、こびとだった僕をなぶりものにした視線と重なった。
僕はこれ以上、杏奈の近くにいることが辛くなった。

「ごめん。誰か他の人を誘ってみてくれ。僕は帰るよ。じゃ。」

僕は呆然として立っている杏奈をそこに残して駆け出した。
・・・
独りになりたかった。
寛子ちゃんはどうなってしまったんだろう? 
このやり直しの時間の世界には、病気で苦しんでいる寛子ちゃんはいない。
だから、少なくとも寛子ちゃんが病気で苦しむことはなくなったんだ。
病気から解放されたといえるのかもしれない。
だけど、だけど・・・僕は寛子ちゃん自身を消してくれとは頼んでないよ。
病気を治してくれって言っただけだよ。
酷いじゃないか、だいあな!
涙が、ぽたぽたと伝い落ちてきた。 
・・・
本屋さんの前を通りかかったとき、ふと思いついて中に入った。
少女漫画の単行本の書棚を探す。
あった。
庄司陽子著「ガイアの娘」。
寛子ちゃんのベッドサイドに置いてあった本だ。
懐かしい。
僕は「ガイアの娘」第3巻を買って、本屋さんを後にした。

*****

11月13日。
今日の朝の9時ころで、僕のやり直しの時間もおしまいだ。
といっても特に感慨もない。
何事もない、全くの日常が繰り返されていたからだ。
僕は席について、ホームルームの始まるのをぼんやりと待っていた。
9時だ。
やや定時より遅れて、担任の先生がやってきた。
後ろに誰かを連れてきている。
その姿を一目見て、僕の心臓は逆さまにひっくり返った。

「今日はみなさんに転校生をご紹介します。今日からこのクラスに入る、早川寛子さんです。」
「早川寛子です。よろしくお願いします。」

寛子ちゃんだ・・・随分顔色はいいけど、間違いない、寛子ちゃんだ!

「それでは、席は、えーと、じゃ、東九条君の隣に座ってもらおうかしらね。」

先生はそれだけ言うと教室から出ていってしまった。
寛子ちゃんは隣の席につくと、僕ににっこりと微笑みかけてきた。

「早川寛子です。よろしく。あなたのお名前は?」
「ぼ、僕は、北郎。東九条北郎だよ。寛子ちゃん、覚えてない?」
「うーん、私たち、今までに逢ったことはないと思うわ。」

そうか、やっぱり寛子ちゃんにも記憶はないのか。

「身体の具合はどう?」
「いたって元気よ。うふふ、私、自慢じゃないけど、健康だけは取り柄なの。」

良かった。
やっぱりだいあなは約束を守ってくれたんだな。
僕のことを覚えていてくれなかったのは残念だけど、そんなことは大したことじゃないや。
・・・待てよ、でも、もしかしたら・・・
僕は鞄の中から「ガイアの娘」の単行本を取りだした。

「寛子ちゃん、こ、これ、読んだことある?」

寛子ちゃんの目が丸くなった。

「あら、それなら私も持ってるわ。」

寛子ちゃんも自分の鞄の中から「ガイアの娘」第3巻を取りだした。

「これ面白いのよね。北郎君と趣味があっちゃった。」

寛子ちゃんはにっこりと笑った。笑うと両眼がなくなりそうだ。

「私たち、いいお友達になれそうね!」

ふふふふふ
そのとき背後で笑い声が聞こえた。
ふりむくと、だいあなの姿がゆらゆらと虚空に浮かんでいた。

「だいあなさん!」
「ふふふふふ、坊や、寛子ちゃんを大切にするのよ。」
「うん。もちろんさ。どうも有り難う。」

だいあなは悪戯っぽくウインクをすると、ふっと消えてしまった。

「だあれ?誰とお話ししてるの?」

寛子ちゃんがいぶかしげに尋ねてきた。だいあなの姿は僕にしか見えなかったらしい。

「いや、なんでもないよ。独りごとさ。」
「ふうん、変なの。」

寛子ちゃんは首を捻った。
説明したってどうせ信じてはもらえない。
この妙な数日間の思い出は、ずっと僕の心の中だけに秘めておこう。
その後、だいあなが二度とランプから現れてくることはなかった。
中学校3年生、秋の出来事だった。


北郎少年の冒険・終