この物語は「わたしのほしかったもの」「渚のひみつ」「リリパット旅行社」に引き続く四部作の完結編です。前三作から登場人物や設定を引き継いでおり、全部まとめて一つのテーマが完結するようになっておりますが、単独でお読みになってもまあ理屈は通ります。基本はたわいのないお笑いですが、警告もなしに突然成人主題や性器描写などが登場する可能性もありますので、成人が、自己の責任のもとにお読みになってください。

魔法パニック♡
by JUNKMAN

ドロシーはツインテールの結びを解いた。
だって、18歳になったのだ。
いつまでも子供の気持ちでいるわけにもいかない。まずは形から入ろう。

*****

振りほどいたさらさらの金髪は、ドロシーの華奢な肩甲骨の下まで届く。
あれ?
結局これって、ドロシーがリリパット島にやって来たころの髪型だ。
当時はまだ10歳。
あれからもう8年かあ・・・
まあ、いろいろなことがあったわね。
そんなこんなで大人になった、いや、レディになった。
だから、ツインテールを解いてみたのだ。
・・・
でも、何かが足りない。
18歳の素敵なレディになったはずなのに、ドロシーには何か足りないものがあった。
何かが足りないということは、ドロシー自身がいちばんよく理解していた。
しかし、それでは何が足りないのか?と問われれば、それは皆目見当がつかないのである。
「・・・だから、結局10歳のころと同じ髪型なのかなあ?」
ドロシーはいつものように鏡台を覗き込みながら、ぷいと口を尖らせた。

*****

「いやいや、もう立派なレディでございますよ。」
いつものように夕食のプレートを並べながら、モモさんはきっぱりと言い切る。
「だってドロシーさまは18歳におなりになったのですから。」
「うーん、そんな単純な問題なのかしら?」
「年齢だけではございませんわ。身体つきだって、もう大人でございますよ。」
「うーん」
食卓の上に両肘をつきながら、でもドロシーには納得がいかない。
そうだ。
納得いかないついでに、前々から疑問に思っていたことを訊ねてみよう。
「・・・ねえ、モモ」
「はい、何でございましょう?」
「モモはいつだったか、サトミに『男の人の効果的な誘惑の仕方』とかを説明したんでしょ?」
「あら、そうでしたっけ?」
モモさんは少し狼狽してそっぽを向いた。
「とぼけないでよ!ちゃんと『わたしのほしかったもの・第4章』に書いてあるわよ!」
「でもあれはサトミさんからの伝聞ですからね。ほんとうはどうだったのか・・・」
「モモ!モモは確かわたしが赤ちゃんのころからずっとマコバン家に奉公していたんでしょ?男の人と知り合う機会なんかあったの?誰のことを誘惑しようと・・・」
「はいはいドロシーさま、せっかく私が作ったスープが冷めてしまいますわ。」
モモさんはドロシーの言葉を遮って目の前にどんとスープの皿を置いた。
「モモ!」
「・・・奥様が亡くなられてから、わたしはずっとドロシーさまと一緒でございました。」
「・・・」
ドロシーの生みの母であるマコバン夫人の顔を、ドロシーは知らない。
いや、写真でなら見たことはある。
パパの書斎の机の上に、ドロシーに面影のよく似た綺麗な女の人の写真が飾ってある。
ドロシーがまだ物心つかないうちに亡くなった母親のポートレイトだ。
その写真こそがドロシーの知るところの母親の全てである。
思いでも何もない。
母を知らないドロシーの身の回りの世話や躾などは、全てこのモモさんが担当してきたのだ。
モモさんが実質的にはドロシーのお母さんであった。
「・・・」
「・・・ずっとドロシーさまと一緒で、殿方に目を移す暇などございませんでしたよ。」
モモさんはにっこり笑った。
「ドロシーさまが18歳になられたということは、このモモも30歳になった、ということでございます。」
「・・・」
それ以上、ドロシーは問い質すことができなくなった。

*****

「・・・ねえシェビッキ、わたしは本当に大人になったのかしら?」

翌朝、ドロシーはいつものように鏡台の前で頬杖を付きながら、視線も合わせずシェビッキに問いかけた。
シェビッキは荒々しく首を横に振る。
「ドロシーさま、くだらないことを思い悩んでいる場合じゃありませんよ!そんなことではいつまでたっても世界征服なんかできません!なげかわしいですな!!!」

「・・・世界征服、かあ・・・」

ドロシーは浮かない顔である。

「わたしには、世界よりも・・・もっとほしいものがあるような気がするわ。」

「な、な、なあにをおっしゃるのですか!!!」
シェビッキは怒り心頭である。
「世界征服すれば、この世の中のものは全て残らずドロシーさまのものですよ!ほしいものは、ぜーんぶドロシーさまのものになるのですよ!世界よりもほしいものなんて、あるわけないじゃないですか!!!」

「・・・そうかしら?」

ドロシーははじめて自分の右肘あたりに立つシェビッキに向かって視線を落とした。
もともとはリリパット人やブレフスキュ人を見分けたりすることができなかったドロシーであったが、異常に鋭い視力・聴力を誇るマーナちゃんに触発されて、このところは視力・聴力を磨くように努力している。
その甲斐あって、最近では大勢のブレフスキュ人の中からシェビッキを見分け、しかもその表情をおぼろげに掴めるくらいにはなっていた。
もともとブロブディンナグ人にはそのくらいのポテンシャルがある。要は集中力、すなわちトレーニングでなんとかなるレベルであったのだ。
ドロシーが憤慨しているシェビッキをうんざりしながら見下ろしていると、そこに自室からマーナちゃんがやってきた。

「ドロシーおねえちゃま、おはようございます。」

「おはよう、マーナちゃん」

「さっき、扉越しに聞こえたのですけど、何かほしいものがおありになるのですか?世界征服?それ、なあに?」

「ううん、なんでもないわ」

ドロシーは首を横に振りながら面倒臭そうに立ち上がった。

「わたしは書斎で古文書のお勉強をするから。シェビッキはいつものようにマーナちゃんのお相手をよろしくね。」

*****

ブロブディンナグきっての名家・マコバン家の直系であるドロシーにはマコバン家の一員としての責務がある。
代々伝わる魔法書を読むことだ。
マコバン家は元をただせば呪術師の家系なのだ。
1000年も前から伝わる怪しげな魔法の古文書がゴマンと残されている。
それを読み進めることはマコバン家の一員としてどうしても身につけなければならない教養だった。
これは決して魔法を身につけるという意味ではない。
魔法なんて・・・そんなものあるわけないじゃない。
これは単なる教養書よ。
実際に古文書に伝わる魔法とやらもその実はたわいもない化学反応実験みたいなものが大半だ。
例えば特定の草花と岩石を煮詰めて呪文を唱えた後にトカゲの干物を入れるとキラキラ光る砂ができる。
要するにアルカロイドの存在下でリン酸イオンと金属イオンから塩を合成しているというだけのことだ。
それを使って何ができるというわけでもない。
でもこういう夏休みの自由実験みたいなこけおどしを繰り返しているうちにマコバン家は化学について基礎知識が身について、それが近世において鉱工業で成功する足掛かりになったのだ。
そう考えると興味深いわね。
このところ王宮でも閑職しか与えられていないドロシーは、その分だけ魔法書に没頭する時間があった。
もしかしたら歴代のマコバン家の人々の中でも屈指の勉強かもしれない。
そうよね、ここまで年代の古い書物なんて、流石にパパでも読んでなかったんじゃないかしら?
そんなわけで、日曜日の今日もドロシーは朝から書斎に籠って魔法書を読みふけっていたのであった。

*****

魔法書を読み進めていくうちに、ドロシーはとある一節に目を止めた。
「物体縮小術?」
・・・
面白くないわねえ。
どうせなら豪快に「物体拡大術」とかだったらよかったのに。
そうすれば世界征服にだって使用できたかもしれないのにね。
・・・

わけないわよね。
いずれにせよこの手の荒唐無稽な魔術に実用性なんかあるわけない。だってこれは単なる教養書なんだから。
思い直して「物体縮小術」一節を読み進める。
φ~)(‘&θ$#”!`?ºª•¶§∞υ¢£™¡æ…¬˚∆˙©σƒ∂ß圡™Γºª•¶§∞æ«`÷≥≤Πµ˜Ω≈ç√˜å°‡›‹€⁄××
「ははあん」
一見するとつまらない呪文の羅列だ。
だがマコバン家伝来の古文書を読み耽っていっぱしの魔法通になっていたドロシーには、その行間に込められた意図が手に取るようにわかった。
「・・・ふうん、これはただぼそぼそ読むだけの呪文じゃないのね。このパターンは前段のφ~)(‘&θ$#”!`?ºª•¶§∞υ¢£™¡æ…¬˚と後段の˙©σƒ∂ß圡™Γºª•¶§∞æ«`÷≥≤Πµ˜Ω≈ç√˜å°‡›‹€⁄の間にちょっと間をおいて、そしてイントネーションを入れ変えて最後を伸ばす中世独特の形式で読み上げなければいけないということだわ。そして前段と後段の間のこの∆はきっと集中のポーズを挿入しろということ。これは12世紀ころによく見られた手法よね。そして後段の後に続く決め台詞後のこの2つの×は、読み上げた後に両手で放出のポーズをしろ、ということだろうけど・・・これは珍しいわねえ。そもそも放出のポーズを要求する魔法って滅多にないじゃない。ええと、放出のポーズって、どうするんだったっけ?」
ドロシーは部屋の隅の方に積み上げてある既読の魔法書を何冊かひっくり返して確認してみた。
「・・・あった!」
それはドロシーが2年くらい前に読んで放っておいた魔法書の一冊だった。奇天烈なポーズの図示が続く一章だったのでおぼろげに覚えていたのだ。
「ええと・・・」
集中のポーズはさして難しくない。そもそも魔法書にはきわめて頻回に登場するポーズである。
ところがこの放出のポーズは難しい。
手指と手首を複雑に曲げながら捻るのだ。
しかも古文書にはこの手のポーズを正面から見た図しか示されていない・
でも自分の方に手を向けようとするとこの複雑なポーズはとりにくい。
「・・・仕方ない、じゃ、こうしてみようかしら。」
ドロシーは書斎を出ていつもの鏡台の前に座った。
これで鏡に向かってポーズを取れば、あの古文書の図に示された正面像を自分で確かめることができるはずだ。
「へへ、わたしって、頭いい!」
気を取り直してさっき覚えたばかりの魔法の呪文をポーズ付きで唱えてみる。
「…φ~)(‘&θ$#”!`?ºª•¶§∞υ¢£™¡æ…¬˚∆˙©σƒ∂ß圡™Γºª•¶§∞æ«`÷≥≤Πµ˜Ω≈ç√˜å°‡›‹€⁄××小さく、なれ!!!」
・・・
ぼわああああああああああああん
・・・
「へ?」
思いもよらず、最後の「放出のポーズ」をとった両掌から白い煙がジェットのように飛び出してきた。
放出された白い煙は鏡に反射されると今度はあれよあれよという間にドロシーの身体を包み込み、そして訳が分からないうちにドロシーの意識は遠のいていった・・・

*****

「・・・?」
目を醒ましたとき、ドロシーの周囲の環境は一変していた。
「・・・ここは・・・どこ?」
見当もつかない。
確かいつもの鏡台の前で呪文を唱えてみたのだ。そしたらぼわわわわわ、っと白い煙が出て、で、気を失って・・・目を醒ましたらここにいた。
あたりを見回す。
「?」
全く見たことがない景色だ。
硬いざらざらした平地。
材質は良くわからないけど、木製かな?・・・いや、そんなことはないわね、木目が見えないもの。
それにしてもだだっ広くて何もない平地だ。
リリパット島にこんなに広いスペースってあったっけ?
この土地だったら王宮がまるごと収まるわ。こんなに広い空き地があったのなら、わたしたち何もあんなに狭いところで我慢してる必要なんてなかったんじゃない?
気を取り直して空を見る。
「?」
青空でも、曇り空でもない。なんだか遠い上空に天井でもあるみたい。
「・・・わけないわよね」
ブロブディンナグ人のわたしがこんなに遥か見上げるような天井を持った建物なんてこの世の中にあるわけないわ。ましてやここはリリパットよ。あり得ない話!
・・・でも、じゃ、ここはどこなのだろう?
平地の一端には茶色くて高い壁が聳え立っている。ドロシーの立っている地点から500メートルくらいだ。
この壁がものすごく高い。
リリパット人にこんな巨大な建造物が作れるはずはない。きっと自然の構造物よ。
興味を持ったドロシーはその壁の方向に歩み寄ってみた。
「?」
見れば見るほど人口建築物のように見える。ドロシーは何度も何度も両目をこすりながら近くに寄ってみた。
「あ!」
近くに寄って初めて気が付いた。その壁の付け根にあたる平地との接点に、人が通り抜けられるような扉が付いている。
「これが出入り口ね・・・」
誰かが知らないうちにこの扉からドロシーを連れ出してこの平地に置き去りにしたに違いない。だって、見渡したところ、この扉くらいしかこの平地への出入り口はなさそうだ。
「・・・じゃ、ここを通れば帰れるはずだわ。」
そうだ、そうに違いない。
ドロシーは小さく頷くと扉のノブに手をかけて、ぐいっと手前に引いた。

*****

「!」
扉の中には動く歩道があった。
どういうことだろう?
もちろんドロシーは迷わず乗ってみる。
手すりを掴んでぼーっと立っているだけで前に進んでいく。これは楽チンだ。
そのまま動く歩道はドロシーを別の扉の前まで運ぶ。
今度の扉はボタンを押して開閉するらしい。
ドロシーが迷わず扉の横のボタンを押すと、扉は開き、その奥に狭い小部屋が現れた。
「?」
わけわからないけど、もう後戻りはできない。
ドロシーは小部屋に入り、内部からまたボタンを押す。
扉は閉まり、ドロシーは小部屋の内部に閉じ込められた。
「きゃあああ!」
今まで感じたことのないネガティブなGがドロシーの身体を襲う。
真っ逆さまに地底に墜ちていくような気分だった。

*****

ようやく墜落するような耐えがたい不快感が消失すると、小部屋の扉が再び音もなく開いた。
「え?」
扉の外は見たこともない世界だった。
大勢の人々がごった返している。
男の人がほとんどだが、女の人もいる。
おじさんおばさんも若い人たちもいる、が、どうやら子供や老人はいない。
「???」
どうしてリリパット島にこんなに大勢のブロブディンナグ人がいるのだろう?この島にこんな広い場所があったの?そもそもここはどこ?
ドロシーは全然理解できないままぼーっと立ちすくんでいた。
じりりりりりりりりりりりりりりり!!
突然けたたましくベルが鳴り響く。
振り返ると、背後に電車が滑り込んでいた。
ここは地下鉄駅のプラットホームだったのだ。
「ほらほらねーちゃん、そんなところで突っ立てるとみんなの邪魔になるぜ!」
「あ、は、はい!」
ドロシーは人込みの流れに押されるまま地下鉄の車両に乗り込む羽目になってしまった。
まるでドロシーが乗り込んだことを確認したかのように、電車はぎゅうぎゅう詰めに人々を押し込んだまま滑るようにホームを離れていく。
「!」
こ、これ、どこに向かっているのだろう?
てか、ここは、いったいどこなの???

*****

「ふうう、満足した。」
今日も心行くまでシェビッキたちブレフスキュ解放戦線の荒くれ男達を弄って遊んだマーナちゃんは、満ち足りた表情で自室から出てきた。
「あれ?」
さっき物音が聞こえたので、ドロシーお姉ちゃまはてっきり書斎から出てきたものだと思っていた。
「・・・姿が見えないわねえ?」
首を捻りながら、キッチンのモモさんに訊ねてみる。
「ドロシーお姉ちゃまはどこですかあ?」
モモさんはキッチンから出ようともせず背中越しに答えた。
「さあ、まだ書斎でお勉強ではないでしょうか?」
「ふうん」
納得できないけど、でも無理して確かめてみる気もない。
「じゃあ、わたしはお仕事に行ってきます。夕方までには帰るのでよろしくお願いします。」
「はいはい、行ってらっしゃいませ。」
やっとキッチンから姿を現したモモさんに見送られ、日曜日の今日もマーナちゃんは休むことなく観光バスツアーのお相手という大事な公務に出かけるのであった。

*****

ぎゅうぎゅうに満員の電車に揺られながら、さすがのドロシーにも読者の皆様と同様の疑念が湧き上がっていた。
・・・リリパット島にこんなに大勢のブロブディンナグ人がいるわけはない。ましてや、ブロブディンナグ人用の地下鉄があるなんて夢にも思えない。でも、ここは間違いなくリリパット島。で、リリパット島には確かに発達した地下鉄網ある。それはもちろんリリパット人用の地下鉄網だ。そして、気を失う前にわたしが試みていたことは・・・
「・・・物体縮小術、だったわ・・・」
もしや、もしや・・・あの効くはずのない魔術が自分に効いちゃって・・・
「・・・わたし、リリパット人と同じ大きさにまで縮小されちゃったのかしら?」
そのとき電車がゆっくりと停車して、乗客は我も我もと降りていった。
終点「歴史保存地区」に到着したのである。

*****

またしても人の波に押し流されて、ドロシーはあれよあれよという間に歴史保存地区に放り出された。
そこでドロシーが見たものは、あのカラフルでお洒落な街並みである。
もはや疑う余地もない。
「・・・わたし、リリパット人と同じ大きさになっちゃったんだ・・・」
驚きはしたけれど、不思議と悲壮感はなかった。
だって周りには今のドロシーと同じ大きさのリリパット人が大勢いる。
そのリリパット人たちが、あの夢にまで見た歴史保存地区のお洒落なストリートをそれぞれ思い思いにエンジョイしているのだ。
・・・ってことは・・・わたしもそこに仲間入りできるじゃない!
「そうよ、いざとなったらあの地下鉄に乗ればまた王宮に帰れるわ。魔法書にはこの物体縮小術をリバースする方法が書いてあるはずだから、そこをモモに頼んで読んでもらえばわたしはいつでも元の大きさに戻れるはずよ。」
そうと決まればもう心配することもない。
よーし、街を思う存分楽しんじゃうぞ!
ドロシーはまるでスキップするかのように足取り軽くお洒落な街に繰り出した。

*****

見るもの聞くもの、ドロシーにとって初めてのものばかり。
それはそうだ。
リリパットやブレフスキュではもちろんのこと、ブロブディンナグ本国でですらドロシーは庶民が集まる街になど行った経験がない。
これが夢にまで見たお洒落な街歩きなのだ。
ストリートに連なるお店のショーウィンドーには素敵なお洋服や美味しそうな食べ物が陳列されている。
それをじろじろ覗いて廻るだけでも楽しい。
視点を公園に移すと、噴水や銅像の周りでは大道芸人たちが愉快なパフォーマンスをしている。
うふふ
思わず笑っちゃった。
だって、面白いんだもん。
ほら、周りの人たちも笑ってる。
男の人と、女の人が、それぞれみんな手を繋ぎながら・・・
・・・
・・・
そうか、そういえば一人だ。
ざっと辺りを見回しても、女の子一人でこの街にいるのはドロシー一人きりだ。
・・・
だって、仕方ないわよ。
都に住んでいるリリパット人に知り合いなんていないし・・・
・・・
・・・
気を取り直して公園の片隅のスタンドに立ち寄った。
街を歩き回ったのでお腹が空いたのだ。
スタンドには焼きたてのパンやお菓子が陳列され、周囲に香ばしい良い匂いを振りまいていた。
食いしん坊のドロシーが我慢できるはずもない。
「これ、くださいな!」
「はいはい、12リリパット・シリングです。」
「リリパット・シリング?」
「お金ですよ。」
「持ってないわ。」
「え?」
売り子のおばさんは眉を曇らせた。
「お金がなければ、これをあげるわけにはいかないですよ。」
「!」
今度はドロシーがびっくりである。
「でも、わたし、お腹が空いちゃったんですけど。」
「ううん、困ったわねえ。それでも商品をただであげるわけにはいかないのよ。」
「・・・ということは、このマフィンだけじゃなくて・・・」
「そう、このベーグルも、スコーンも、デニッシュも、あげるわけにはいかないわねえ。」
ドロシーは目の前が真っ暗になった。
いままでの人生、食べ物といえばテーブルの前に座っているとモモさんが出してくれるものだった。
お金がなければ何も食べられない、なんて、想像したこともなかった。
でも、ここでは違うらしい。
・・・
どうしよう?
お腹がぺこぺこよ・・・
・・・
ふえーん
ドロシーは両目に涙を溜めてその場に座り込んでしまった。
・・・
「・・・おばさん、ここに24リリパット・シリングあります。そのマフィンを2つください。」
「はいはい、ありがとうございます。」
へたりこんでしまった背後で、誰かがそのマフィンを買ったようだ。
あーあ、売切れちゃった。
うなだれるドロシーの肩を、誰かがぽんぽんと叩いた。
「はい、どうぞ。」
「へ?」
驚いて振り返る。
リリパットの民族衣装に身を包んだひょろりと背の高いメガネの男の人が、ドロシーの食べたかったマフィンを差し出していた。
「い、いいのですか?」
「ええ、昨日バイトのお金が入ったので今日はリッチなんですよ。お腹が空いてるんでしょ?」
「ありがとうございます!!!」
ドロシーは慌てて立ち上がると、男に向かってペコリとお辞儀をした。
にこにこと笑っていた若い男は、しかしお辞儀を終えて顔を上げたドロシーをまじまじと見て、急に眼を丸くした。
「・・・き、君・・・名前は?」
「わたしですか?」
ドロシーはちょっと考えてから、まあ隠してもしようがないので本名を名乗ることにした。
「・・・わたし、ドロシーです。」
「ド、ドロシーちゃん!!!」
若い男のメガネがずり落ちた。
どうしてそこまで驚かれるのかわからないけど、ドロシーも訊ねてみた。
「あなたのお名前は?」
「・・・はい、ぼ、僕は・・・カミオといいます。」

*****

噴水の脇のベンチに並んで腰を下ろして、ドロシーとカミオはまふまふとマフィンを頬張った。
「ねえ」
ドロシーが訊ねる。
「どうしてわたしの名前がドロシーだと知ったらそんなに驚いたの?」
「・・・うん、それはね」
カミオは口の中のマフィンをコーラで流し込んでから答える。
「君に見た目がそっくりで、しかも名前まで『ドロシー』っていうブロブディンナグ人の女の子を知っているからだよ。」
ぎく!
あっさりばれちゃった・・・
「あはは、でも他人の空似だよね。だってあんなに巨大なブロブディンナグ人の女の子が、僕と並んで公園のベンチに座れるはずがないものなあ。」
カミオは快活に笑い転げる。なあんだ、ばれてないのか。ドロシーは心の中でぺろりと舌を出した。
「だけど僕にとっては夢のようだよ。」
カミオの話はまだ続く。
「僕ね、実はそのブロブディンナグ人のドロシーちゃんの大ファンだったんだ。ファンイベントにも行ったことがあるんだよ。」
「え?」
「握手会さ。無謀にも一人で抜け駆けして小指に上っちゃったりしてさ、でもおかげで2人っきりでお話までしたんだよ。考えてみれば大胆だったなあ、あははははは」
「!!!」
ドロシーははっきりと思い出した。
確かにそんな出来事があった。
ドロシーのことを「大好きだ」と言ってくれた男の人は、後にも先にもその人だけだ。
でも、あのころはまだリリパット人の顔を見分けることなんてできなかった。
その男の人が、いま、私の目の前にいる。
初めて目にするその容貌は・・・
・・・
カッコイイじゃん・・・
・・・
・・・
ドロシーは、胸が、キュン、と熱くなって、急にマフィンを呑み込めなくなった。
「・・・」
「どうしたんだい?」
「・・・え、な、なんでもないわ」
「ふうん、で、ドロシーちゃん・・・」
「なあに?」
「今日の午後はどんな予定?」
「え?」
すぐに地下鉄に乗って王宮に帰ろうかと思ったんだけど・・・
・・・でも
・・・でも
・・・
このままカミオくんと別れちゃうのも残念だなあ・・・
・・・
ドロシーの葛藤に気づくこともなく、カミオは話を続けた。
「もし、良かったら僕と一緒にバイトの手伝いをしてくれないかなあ?」
「!」
「リリパットの民族衣装を着てこのあたりを歩くだけでいいんだよ。今日は当番にあたっていた女の子が急に来れなくなっちゃったんだ。大丈夫、僕も一緒にいるから迷ったりはしないよ。」
「やる!」
ドロシーは眼をキラキラ輝かせながら立ち上がった。
「やるわ!やりたい!わたしもやらせて!」
「そうか、それは助かるよ。」
話はあっさりまとまって、二人は歴史保存地区内の観光協会に向かった。

*****

ドロシーはリリパットの民族衣装を身にまとって姿見の前に立った。
「わーい、これ、カワイイ!!!」
ぴょんぴょん飛んではしゃぎまわる。そんなドロシーを目を細めて見つめていたカミオは、頃合いを見計らって促した。
「ようし、それじゃあ街に行こう。」
「はーい!」
ドロシーはカミオに連れられて街に出た。

歴史保存地区の街は大勢のリリパット人たちでごった返している。
民族衣装を着ているぶんだけ周囲からは目立っているドロシーとカミオだが、それでも気を抜くと迷子になってしまいそうだ。
しかもドロシーは物珍しそうにあたりをきょろきょろ見回してばかりいる。
見かねてカミオが提案してきた。
「ド、ドロシーちゃん・・・」
「なあに?」
「ま、迷わないように・・・手をつないでも、いいかな?」
「・・・」
ドロシーはこっくり頷くと、カミオに手を差し伸べた。
・・・
ぎゅっ
・・・
カミオの手は思っていたより力強かった。
・・・
・・・
あれ?
わたし、男の子と手を繋いでこの歴史保存地区の街並みを歩いている。
これって・・・もしかして
・・・
デートってやつなのかな?
・・・
・・・
んなわけないわよね
これは単なるアルバイトよ。
・・・
だけど
・・・
・・・
なんだかとっても、幸せ・・・
・・・
・・・
・・・
そんな夢見心地のドロシーを心底驚愕させる光景が、不意に視界に飛び込んできた。

*****

「きゃあああああああ!!!」
ドロシーは思わず悲鳴をあげた。
「きゃあ、きゃあ、きゃあ」
「おいおい、そんなにびっくりするものでもないだろ。」
ドロシーが震える手で指さした彼方には、この歴史保存地区の街並みから上半身がまるごとぬっと突き出た巨人たちだった。
「だって・・・だって・・・あんなに大きな人たちが・・・」
凍りつくドロシーの前でカミオは苦笑した。
「そりゃあ外国人旅行者は僕たちリリパット人に比べたら大きいさ。ここ歴史保存地区は有名な観光地だから、ああやって街の周囲をぐるりと取り囲む遊歩道から観光客が中を覗き込んでくるんだよ。ほら、僕たちもお仕事だ。」
「お仕事?」
「そう。観光客には愛想を振りまかなきゃ。」
そういうとカミオは巨大な外国人観光客たちに向かって笑顔で両手を振り始めた。周囲を見渡すと、あたりのリリパット人たちも心得たもので、みんな観光客たちに愛想よく手を振っている。観光客たちは機嫌よくその様子を写真に撮り始めた。
「ほらほら、ドロシーちゃんも笑って笑って、で、手を振って!」
「・・・」
そうは言われても恐怖で身がこわばってしまう。
だって、建物もよりも遥かに大きな巨人たちだ。
そんな人たちがこんな至近距離に聳え立っている。
その気になれば今のドロシーなんて、たったの一足で周囲の人たちごと踏み潰されてしまうだろう。
こんな恐ろしさを覚えたのは生まれて初めてだ・・・
人々を見下ろしたことなら何度でもあるけど、見上げたことなんてない。
リリパットの人たちはいつもこんな恐怖と屈辱にまみれて暮らしてきたのか・・・
・・・
「!」
そこでやっと気づいた。
いま、このわたしの目の前に聳え立っている大巨人たちは外国人観光客だ。
ということは、ブロブディンナグ人本来の大きさだったころのドロシーなら指先でひょいと摘みあげられる程度の小人だったはずだ。
「わたし・・・すっごく小さくなっちゃったんだなあ・・・」
急に惨めなやりきれない思いで胸がいっぱいになってきた。
・・・
・・・
その時である。
ぐら
ドロシーの立つ足元が確かに揺れた。
「?」
ぐらぐら
ぐらぐらぐら
揺れはだんだん大きくなってくる。
ぐらぐらぐらぐら
ドロシーは蒼くなってカミオに訊ねた。
「どうしたの、ねえ、何が起こったのよ?」
「いや、心配するようなことではないよ。ドロシーちゃん、落ち着いて。」
「これが落ち着いていられるものですか!」
ぐらぐらぐらぐらぐら
今度は周囲のリリパット人たちにも訊ねて回る。
「ねえ、ねえ、ねえ、地震よ!怖くないの?逃げなくていいの?ねえ!」
慌てふためくドロシーを見かねて、通行人の一人が声をかけてきた。
「・・・お嬢さん、都は初めてかい?まあ、力を抜きなよ。」
「抜いてる場合じゃないでしょ?ほら、こんなにどんどん揺れが大きくなってきたのに!」
「あっはっは、頑丈にできているこの歴史保存地区の建物は、このくらいの揺れじゃびくともしないよ。そもそも日常茶飯事のことだしね。」
「日常茶飯事?」
ぐらぐらぐらぐらぐらぐら
ドロシーはぽかんと口を開けた。日常茶飯事・・・ということは・・・これは地震ではないの?
ドロシーの疑問を見透かしたかのように、通行人は言葉を続けた。
「そう、日常茶飯事、というか定期的な日常業務だよ。ほら、この時間だともうバスツアーも終わったはずだし。」
「バスツアー???」
ずううううううううううううううううん
ぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐら
「きゃあああああああ」
ひときわ大きな衝撃でドロシーが腰を抜かすと、歴史保存地区がうっすらと日陰になった。
その場に座り込んだまま上空を見上げるドロシーの瞳がまんまるになる。
遥かの高みから腰を屈めて悠々と見下ろす超巨大な少女。
いや、超巨大な・・・幼女だ。
まるで空全体を独占するかのような圧倒的巨体。
さっき見た外国人旅行者などとは比べものにならない。
そんな幼い大巨人が、得意そうににやにやと笑いながら街全体を見下ろしている。
何よりも恐ろしいことに、その超巨大な幼女の顔には、確かに見覚えがあった。

「うふふふふふ、歴史保存地区のちびちび人間さん、お元気ですかあ?」

・・・
腰が抜けたままのドロシーは呆然と空を見上げる。
「・・・マ、マ、マーナちゃんが・・・あ、あ、あんなに・・・大きいなんて・・・!!!」

魔法パニック♡ 続く

予告編:圧倒的に巨大な姿になって現れたマーナちゃんを前にミニミニサイズのドロシーはどうなる?そしてドロシーとカミオの冒険は続く。次回魔法パニック♡(2)お楽しみに