わたしのほしかったもの
By JUNKMAN

第三章 山のあなたの

コップルは泳いでいた。肌色の温かい海を。なぜか弾力のある海は泳ぐコップルの体力を奪い、もがき苦しむうち、いつしか彼は脱力してその波間に身を任せていた。良い匂いだ。甘くてリッチでとろけるようで、少しだけ酸っぱい。生クリームと蜂蜜と柑橘系果実をよく混ぜ合わせたような芳香がコップルの身体を包み込む。実によい気持ちだ。このままこの不思議な海の中に溶け込んでしまいたい・・・
・・・は!
寝過した!
奇妙な夢を見ているうちに寝過した。慌ててベッドから飛び起き、急いで顔を洗って制服に着替えると、そのまま職場に向かって駆け出した。とはいえコップルの宿舎はドロシーの船内にあるのだから、船内警備担当のコップルにとって部屋を飛び出せばもう職場に到着したようなものだ。
船内のリリパット/ブレフスキュ人用通路を駆けながら、コップルは再び夢のことを考えていた。不思議な夢。抽象的な夢。しかしその夢の指し示すことをコップルは明解に掌握していた。
急に立ち止まる。リリパット/ブレフスキュ人用通路と一般人通路の立体交差点に彼女が佇んでいた。メイド服を着込んだサトミである。
「あら、お、おはようございます。」
「・・・おはようございます」
ぎこちなく挨拶を交わす。うまく言葉が続かない。
「き、奇偶ですね・・・」
サトミが眼を泳がせながら言う。偶然ではありませんと断言しているようなものだ。一方、コップルは目を伏せている。なぜならば、立体交差点は日本人など一般人の胸元あたりの高さをリリパット/ブレフスキュ人が通過するように設計されているのだ。したがってコップルが顔を上げると視界いっぱいにあの豊かなサトミのおっぱいがこれでもかと迫ってくる。刺激が強すぎた。
「あ・・・あの、この前の、ことですけど・・・」
サトミが勇気を出して言葉を振り絞る。
「なんでしょう?」
「・・・怒ってますか?」
「え?」
サトミは俯いている。例のドロシーの部屋の事件のことをまだ気に病んでいるのだ。
「あんな失礼なことをして・・・本当に申し訳ありませんでした。」
サトミが深々とお辞儀する。目の前のコップルに胸の谷間がいよいよ丸見えになった。
「き、気にしないでくださいよ。全然、嫌な思いはしていませんから。」
コップルはまた大げさに両手を振り回しながら否定する。
「嫌な思いどころか、とても気持ちよ」
「え?」
サトミが顔を上げて目を丸くした。今度はコップルが狼狽した。
「い、いや、なんでもありません」
「そうですか」
サトミが笑って首を傾げた。
「・・・良かった」
「?」
「このままずっと嫌われちゃったらどうしよう、って、思っていたんです。」
「嫌うなんて、そんなわけありませんよ。」
「じゃあ・・・」
サトミは屈みこんで上目づかいにコップルを見上げる。
「また、わたしのお部屋に遊びに来てくださいます?」
「ええ、もちろんです。」
そう答えてから、コップルもまた自分の胸のつかえがとれていることに気付いた。
しかし実際にはコップルがすぐにサトミのドールハウスを再訪することはできなかった。ブレフスキュ国家警察からの新たな指令を受け、彼は中央山岳地帯に向かうことになったからである。数年前からブレフスキュ政府を悩ましている反政府ゲリラ・ブレフスキュ人民解放戦線の掃討作戦である。もちろんその総指揮者はドロシーだ。意外なことに、なんとサトミもこのミッションに同行することになっていた。

*****

中央山岳地帯はブレフスキュ島の中央部を占める山岳地帯である。広大な凝灰岩層が豊富な雨水によって刻み込まれ、2000リリパット・メートル級の急峻な山々と急流迸るV字渓谷が形成されている。大軍を展開しうる平地はほとんどない。しかも海から吹きつける湿った風がこの山岳にぶつかって生じる上昇気流のため、常に濃密な雲や霧がかかりしとしとと小雨が降っている。このために全く遠目が利かない。
このような地形的・気象的条件は攻めるに最悪、守るには最適である。このため、ここ中央山岳地帯は反政府ゲリラ・ブレフスキュ人民解放戦線が立て籠もるにはうってつけの拠点となっていた。ブレフスキュ人民解放戦線は数年前から王制の打倒を目指して国内各地でテロ活動を起こしてきた過激派組織である。その構成員は10000人を下らないともいわれている。ブレフスキュ政府はその組織を殲滅するためあらゆる手を打ってきた。しかし、政府が追討軍をこの中央山岳地帯に派遣しても、そのたびに返り討ちに遭って全滅してしまう。いまだそのアジトのありかすらも把握できない体たらくであった。現政府にとって最大の脅威である。着任早々のドロシーにその掃討が命じられたのも当然といえば当然であった。
その政府軍にまだ場所を特定されていない中央山岳地帯のゲリラの拠点がドクロ山要塞だ。ドクロ山は直径500リリパット・メートル、標高差1000リリパット・メートルのきれいな円錐形をした岩山である。奇岩・尖峰の立ち並ぶここ中央山岳地帯では取り立てて目立つものでもない。秘密はその内部にある。この山は他の山々と同様に巨大な凝灰岩の一枚岩でできている。凝灰岩は多孔質であるため、小柄なブレフスキュ人ならば自然に潜り込める洞窟がもともと無数にあるのだが、このドクロ山は更に岩山内部にゲリラたちが後から掘り抜いた人工的な空洞スペースが縦横に張り巡らされているのだ。そんなわけで山自体が巨大な要塞と化している。外から見ても他の山と変わりない、でも内部には広大な秘密基地を抱えたエイギュイユ・クルーズ。まさに難攻不落である。

*****

中央山岳地帯の入り口で、ドロシー、サトミ、コップル、シェビッキの4人が今後の方針について話し合っている。ちなみにゲリラの掃討チームはこの4人だけだ。タクラム警察庁長官はもっと大がかりな追討軍の派遣を提案したのだが、ドロシーがきっぱり断ったのだ。
まずはシェビッキが反政府ゲリラ・ブレフスキュ人民解放戦線とそのアジトであるドクロ山についての概要を3人に説明する。
「・・・そんなわけでドクロ山の要塞を見つけ出すことはたいへんなのです。」
「ふーん。そんなに見つけるのがたいへんなら、ここらへん、ってあたりを適当にみんな踏み潰しておけばいいんじゃない?」
面倒臭そうにドロシーが提案した。ドロシーなら本当にやりかねない。慌ててサトミが声を荒げる。
「いけません!それでは大勢の人が死んでしまいます!」
「いいでしょ?どうせ反政府ゲリラなんだから。」
「まあまあ、ドロシー様、そういうアバウトな攻撃では逆に大勢に逃げられてしまう可能性もあります。やめた方が良いでしょう。」
なだめたのはコップルである。ドロシーは自分の提案が却下されてふくれっ面だ。
「じゃあどうすればいいっていうのよ?」
「せっかく内応者も出たことですから、まずは彼らに自主的な投降を求めましょう。そうすれば彼らの罪も軽くなります。」
コップルは不満そうなドロシーを横目に傍らのシェビッキに目配せした。もとよりシェビッキに異存はない。
「まずは本官とシェビッキ君の2人だけでそのアジトへ行ってまいります。」

*****

ドクロ山への道のりは険しい。次から次へと現れる難所の連続。土地カンのあるシェビッキの案内がなければコップルがたどり着くことはできなかっただろう。
ドクロ山に到着すると、コップルとシェビッキはその秘密の通用門から中に入り、さっそく反政府ゲリラ組織の指導者に面会を求めた。

*****

「偉大にして親愛なる最高指導者同志、もうやめましょう。公安はとんでもない巨人を抱え込んでしまった。もう俺たちがどんなに頑張っても勝てる見込みはありません。」
ドクロ山内部の反政府ゲリラ要塞。中央の一段高い位置にどっかりと座っているのはこの組織のボスであるブレフスキュ人民解放戦線最高指導者である。身体つきのがっしりした髭もじゃの中年男。数々の闘争を勝ち抜いてきたその眼光は鋭い。決して日頃の口数は多くないが、いざというときには雷鳴のようなアジ演説で同志たちを奮い立たせる。反政府ゲリラ内におけるカリスマ中のカリスマである。その前で反政府活動の中止を説くシェビッキは緊張で身が震えていた。
「・・・それが、お前が都で諜報活動してきた結論か?」
「はい、指導者同志。」
西部海岸に巨人が出没し、その対策で公安は手一杯になると読んでいた。守りが手薄になったいまこそ都に侵攻するチャンスだ。そう思ったからシェビッキを都へ偵察に行かせたのだ。だというのにこの有様か。
「シェビッキ、お前には目をかけてきたのに、都でとんでもない臆病風に吹かれてきたものだな。」
「とんでもありません指導者同志!このままでは我々は全滅です。今は方針を転換して耐え忍ぶべきと思ったのです。」
「おおかたその隣に座っている男の差し金だろう。」
ゲリラのボスはシェビッキの隣のコップルを顎で指し示す。
「お前は何者だ?」
「本官はブレフスキュ国家警察のコップルという者です。」
「公安のネズミか」
ボスは大声を出して笑い始めた。
「ははは、その逃げも隠れもしない度胸は認めてやろう。」
「では、シェビッキ君の誘いにしたがって、投降していただけますか?」
「それとこれとは話が別だ。」
ボスは周囲に軽く目配せする。たちまちゲリラの荒くれ男たちが大勢集まってコップルとシェビッキを取り囲んだ。
「指導者同志!何をなさるのですか?」
「裏切り者に未来はない、ということだ。」
「お願いだ、もっと俺たちの話を聞いてくれ、話せばわかる!」
「問答無用!」
コップルとシェビッキはたちまちロープでぐるぐる巻きに縛り上げられてしまった。
その時、ドクロ山周囲に放ってある斥候部隊から緊急報告が届いた。
「侵入者です!」
「なに?」
「南西部の谷間伝いに、このドクロ山を目指して歩いてくる侵入者がいます。巨人です。見たこともないほど巨大な女の巨人です。」
「ふうむ」
コップルとシェビッキの方に向き直る。
「さっそくお前たちの秘密兵器がやってきたようだな。」
ボスはにんまりと笑った。
「それならば、次は我々が秘密兵器を披露する番だ。」

*****

縄をかけられたコップルとシェビッキが連れてこられたのはドクロ山の秘密砲台である。
「こ、これは・・・」
コップルが思わず息をのむ。砲身長が30リリパット・メートルに及ぼうかという馬鹿でかいサイズのカノン砲だ。
「ふふふ、ついにこの新型砲が完成したぜ。こいつでそれを飛ばすのさ。」
ブレフスキュ人民解放戦線最高指導者である反政府ゲリラのボスは、砲身の下に並べてあるバスケットボールサイズの超特大砲弾を指さした。
「砲台が高い位置にあるから実質的な射程距離は30リリパット・キロメートルを超える。侵入者は渓沿いの細い道を伝ってくるから逃げ場がない。みんなこの鉛玉の餌食になる、というわけだ。」
「し、指導者同志・・・」
縛られたままのシェビッキが口をはさむ。
「実際に使用する前に得意になって能書き垂れちゃうのは典型的なフラッグなのではないかと・・・」
「うるさい!」
シェビッキは蹴りつけられてひっくり返った。
「そうならないようにちゃんと作戦も立ててある。敵は巨人だ。一発で仕留めなければならん。」
ボスは砲台から外を指さす。外側からはその存在が分かりにくいようにカモフラージュしてあるとのことだが、こうやって内側から見ると外景がパノラマに観察できて実に視野が良い。ただし、霧が立ちこもっているので遠目は利かないが。
「このドクロ山要塞の存在を外から窺い知ることは困難だ。敵は何も知らずにすぐこの目の前にまで来る。だから慌てないで十分に引きつけるのだ。そして至近距離から胸元に向けてこのカノン砲をぶっ放す。相手がいくら巨人とはいえ、直径30リリパット・センチメートルもある巨大な弾を至近距離からぶち込まれたら終わりさ。あーっはっは。」
いや、直径30リリパット・センチメートル程度の弾丸を撃ち込んでもドロシー様には全然効かないと思うけど・・・って言おうかと思ったけど思い直してシェビッキは黙り込んでいた。また蹴り飛ばされると思ったからだ。もう一人のコップルも黙り込んでいる。こちらは蹴り飛ばされるのが怖かったからではない。状況に腑に落ちない点を見出していたからだ。
「?」
おかしい。静かすぎる。斥候の報告通りにドロシーさまがこちらへ向かっているのなら、もっと足音や地響きを感じても良いはずだ。実はこのドクロ山に到着する前には時おり軽い遠雷のようなものも感じていた。ドロシーさまがさほど遠くないところで待機しているからかな?と思っていたが、しかしその後は全く静かなのである。少なくともここしばらくの間、ドロシーさまが動きを見せているとは思えないのだが・・・
「見えました!」
ゲリラの一人が大きな声を上げた。一同そろってその指さす方向を見る。霧の中から女性らしい巨人の人影が現れた。既に射程距離の範囲内である。
「ふむ、あれか。なるほど、確かに今まで見たこともないような大巨人だな。政府が切り札にするのも納得だ。」
ボスは砲手に指示する。
「照準を定めろ。左胸だ。だが、すぐには動くな。俺が『撃て!』といったら撃て。十分手元に引きつけておいてから、一発で仕留めるのだ。」
ボスの指示を受け、砲台ではゲリラたちが慌ただしく動き始める。一方、コップルは顔面蒼白になった。
「・・・サ、サトミさん・・・」
霧のベールをくぐって現れたのはドロシーの巨大な姿ではない。もっと、もっと、ずっと小さな巨人、サトミの姿であった。

*****

「偉大にして親愛なる最高指導者同志、考え直しましょうよ。彼女が政府の切札じゃありません。あんな女を撃ってもどうにもなりませんよ!」
また蹴り飛ばされる危険も顧みず、縛られたままのシェビッキが反政府ゲリラのボスに再考を促す。もちろんボスは聞く耳などもたないが、かといってもはや激高したりもしない。すこぶる上機嫌である。
「あーっはっは、裏切者の断末魔の叫びが心地よいわい。どうだ、お前たちの見ている目の前で政府は切り札の巨人を失っちゃうわけだ。そうなれば後は我々の行く手を阻むものはない。明日にでも都に侵攻して人民を解放だ、あーはっはっは。おっと、その間に裏切者のお前たちは処刑な。」
「だから指導者同志、違うんですってば!」
悪役が高笑いするのはまず間違いなくフラッグであり、実際にこのケースでもボスはなんか根本的な勘違いをしているようだ。そこを親切にシェビッキが指摘してあげようとしているのに彼は有頂天になって上の空である。
「ねえ、指導者同志・・・」
「親愛なる指導者同志!ターゲットとの距離が1リリパット・キロメートルを切りました!」
シェビッキの言葉を遮ってゲリラの一人が侵入者との距離を大声で報告した。ボスの表情から笑みが消えた。
「装弾は完了しているか?」
「はい」
「照準は?」
「ずっと侵入者の左胸に合わせ続けています」
「様子は?」
「あたりをきょろきょろ眺めまわしています。こちらの存在に気付いているそぶりは全く見られません。」
「よし」
ボスは真剣な表情で大きく頷いた。
「ターゲットとの距離が400リリパット・メートルを切った時点で撃つ。いいか、一発だ。一発で必ず仕留めるんだ。」
「了解!」
コップルは焦っていた。30リリパット・センチメートルの巨弾が400リリパット・メートルの距離から撃ち込まれる。いくらサトミが巨大だといえ彼女にとって8メートルの距離から6ミリメートルの弾丸をピストルで撃ちこまれるのだ。当たりどころが悪ければ致命傷である。そして左胸を狙っているこのカノン砲が、この距離でまさか撃ち損じることなどありえない。
・・・落ち着け。こういう窮地に陥ったときこそ冷静になるのだ。コップルは静かに体勢を整え、ぐるぐる巻きにされている縄から抜ける方法を模索した。縄抜けはSWAT講習で習ったことがある。確かこうやって手首を反らして、肘を入れて、腰を使いながら肩を捻って・・・ダメだ。念入りに縛ってあって撓みもない。それでは刃物のようなものは?こんなこともあろうかと袖口に忍ばせておいた小型のアーミーナイフは、さっき見つかって取り上げられてしまった。他に縄を切れそうな道具はないか?周囲を見回す。特にそれといった候補は見当たらない。万事休すか・・・
「距離600リリパット・メートル!」
読み上げる声で我に返った。もう残り少ない。このままではサトミが撃たれる!
「距離500リリパット・メートル!」
一刻の猶予もない。もはや小賢しいことを考えている場合ではない。コップルは天を見上げて大きく息を吸いこむと、両上腕に全身全霊の力を注ぎこんだ。
「距離480リリパット・メートル!460リリパット・メートル!」
コップの脳裏にサトミが左胸を押えて倒れこむ像が浮かび上がる。その手指の隙間から真っ赤な鮮血が迸る。
「距離440リリパット・メートル!」
あってはならない!そんなこと、絶対にあってはならない!コップルの身体に理屈では説明できない超人的な力が湧き上がってきた。
「距離420リリパット・メートル!」
・・・ぶち
「距離400リリパット・メートル!」
はらり。縄が切れた。力だけで縄が切れた。自由の身になったコップルは電光石火の動きでカノン砲の砲手にとびかかる。
「撃てええええええええい!!!」
ずどおおおおおおおおおおおおおおん
ブレフスキュ人民解放戦線が誇る新兵器・巨大カノン砲が火を噴いた。

*****

とびかかったコップル、とびかかられた砲手、反政府ゲリラのボスであるブレフスキュ人民解放戦線最高指導者、シェビッキ、その他のゲリラたちが呆然と見守る中、砲弾は飛んでいく。砲手がとびかかられて操作が狂った分、弾道はわずかに右にそれる。まるで無声映画の一シーンを見るように、砲弾は巨人の上腕をかすめて音もなく深い霧の中へと消えていった。
「きゃ!」
どしーん
突然狙撃された巨人は慌てて尻餅をつく。尻餅をつきながらもしっかり砲弾の飛んできた方向を確かめる。砲手と目があった。まずい。しっかりと位置が確認されてしまった。反攻される!
ところが、意外にも巨人は攻撃に出てこなかった。小さく確かめるように頷くと、くるりと踵を返して小走りに立ち去っていく。そのどすどすという重い足音が谷間全体に響き渡った。
「げ、撃退はできたようです。」
砲手はどぎまぎしながら報告する。
「仕留めなければ意味がない!」
ボスは吐き捨てた。
「それもこれもこいつのせいだ。またあの巨人がやってくる前に、とりあえずこいつを処刑しておく。」
ゲリラたちがわらわらと集まってコップルを取り囲む。取り押さえられたら今度は有無を言わさずその場で殺害されるだろう。そう考えている間にもコップルを取り巻くゲリラたちの輪がじりじりと狭まってきた。絶体絶命!

「ごくろうさん・・・」

そのとき上空でとてつもない大音声が轟いて、ゲリラたちは思わず動きを止めた。声の主を探す。しかし、あたり一面は深い霧と雲に覆われ、さっぱり見当がつかない。

「そこね」

再び大地を揺るがす声が響き渡った。両耳を手で押さえながらも、ゲリラたちは上空を見上げる。すると、声が聞こえてきた方角から今度は暴風が吹き下りてきた。
ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
その風圧にゲリラたちは吹き飛ばされ、床に倒れこんだり、柱にしがみ付いたりして必死に耐えた。耐えているうちに、気温がどんどん上昇した。この暴風は妙に気温が高い。まるで砂漠の熱風のようだ。どうして急にこんな熱い風が吹いてきたのだろう。ゲリラたちは柱にしがみ付いたまま、おそるおそる暴風の吹いてくる方向を見上げた。
「!!!」
熱い暴風は虚空に浮かんだ直径120リリパット・メートルほどの巨大な送風口から吹きつけられていた。そしてその送風口の背後にはこの熱風を作り出していると考えられるより巨大なエンジン部があり、あろうことか、その取っ手とも思しき突起部を見たこともないほど巨大な手が握りしめていた。

*****

コップルとシェビッキの帰りが遅い。交渉が決裂したのだろう。ほうら、言わんこっちゃない。それではこちらからアジトに乗り込もう。ドロシーは決断した。幸いコップルが装着しているインカムのGPS受信機能でアバウトな位置情報は把握している。
ただ、あまりに霧が深いのでドロシーの高い視点からではいっこうに具体的な地形や状況が把握できない。そこでまずサトミを様子窺いにいかせたのだ。ほどなくして、サトミが小走りで戻ってきた。敵のアジトの位置を正確に突き止めたらしい。
「ごくろうさん。」
ドロシーはサトミをひょいと摘みあげて掌に載せた。サトミはただちに眼下に広がる霧の海の中の一点を明確に指さす。
「そこね。」
ドロシーは小さく頷きながらサトミの示した方向にいつも自分が髪のセットに使っているドライヤーを向けた。
ぶおおおおおおおおおお
ドライヤーから噴きだされる熱風でたちまち霧の一部が晴れてきた。姿を現したのはゲリラの秘密基地・ドクロ山である。

*****

ドクロ山の秘密基地内では反政府ゲリラたちがパニックを起こしていた。熱風が作り出した雲の晴れ間の向こうから、超巨大な少女の顔がドクロ山をまっすぐに見下ろしていたのだ。ドクロ山を見下ろす?バカな!このドクロ山は標高が2000リリパット・メートルもあるのだ。麓からの標高差だけでも1000リリパット・メートルある。さっきここに近づいてきた女の巨人だって身長はせいぜい80リリパット・メートルちょいくらい。ドクロ山の麓のあたりをちょろちょろしていただけだったじゃないか。だというのに、いま顔を見せたこの大巨人はドクロ山そのものより背が高いというのか?ありえない!
そうこうしているうちに雲と霧が本格的に晴れてきた。そして反政府ゲリラたちは自分たちの直近に立つドロシーの姿を目の当たりにしたのである。
「・・・」
誰もが言葉を失った。ドクロ山の向かいには、ドクロ山と形や大きさがそっくりな偽ドクロ山が聳え立っている。その偽ドクロ山を両脚の間に置いて超大巨人が立っていた。超大巨人は、ドクロ山を見下ろすとにやにや笑いながら大きく背伸びをして見せた。
「んー!」
大きい。とんでもなく大きい。偽ドクロ山より背が高いどころではない。山頂はせいぜいその膝くらいにしか届いていない。
「足を乗っけるのにちょうどいい高さね。」
ブレフスキュ人たちにとって標高差1000リリパット・メートルの尖峰は、しかしドロシーにしてみたらたかだか40ブロブディンナグ・センチメートルの足台である。ドロシーは片足を偽ドクロ山の山頂に乗せて反政府ゲリラたちに自分の巨大さを挑発的にアピールした。
「まさかおじさんたちにはこれが大きな山に見えるの?ん?この小さな足台が?もーどんだけ小さいのよ?ほれ、ちびちび、そんなに小さくて生きてるのが恥ずかしくない?」
生意気そうに鼻を鳴らす。大巨人として小人に対して上から目線で言いたい放題だ。
「こんなもの、こうしてやるわ。」
山頂の上に乗せていた足をひときわ高く振り上げる。
「えい!」
そして再び山頂に勢いよく振り下ろした。
ががああああああああああん
激しい衝撃。もうもうと立ち込める土煙。うっすらと晴れてくると、かつて偽ドクロ山がそびえていた場所には巨大な革製のコンバットブーツが鎮座していた。ドロシーが偽ドクロ山を一撃で完全に踏み潰したのである。
「さあて、次はおじさんたちの番よ。みんなまとめてその山ごと踏み潰してやるからね。」
ドロシーは今度はドクロ山のはるか上空に右足を振り上げた。

*****

「く、くっそお、あんなダミーを使ってこんな隠し玉を用意していたのか!」
「いや、だからさっきから違う!って言ってたじゃないですか!」
いつの間にか縄を解かれたシェビッキが、懲りないボスのボケに突っ込んでいる。
「偉大にして親愛なる最高指導者同志、だからもう諦めて降参しちゃいましょうよ。まだ遅くはないです。いまなら命乞いすれば許してもらえます。」
「やかましい!ほら、おまえたち、こいつをもう一度縛り上げろ!」
ボスは周囲のゲリラたちに命令する。でも、彼らは黙って首を横に振るだけ。もう誰もボスの言うことなど聞こうとしない。そもそもシェビッキの縄を解いたのも彼らだ。
「偉大なる最高指導者同志、もうやめましょう」
「これ以上戦っても無駄です」
「もう、さくっと謝ってしまいましょう」
「な、な、な・・・」
ボスはわなわなと手を震わせる。みんな、こんなに根性がなかったのか・・・
「もういい!」
ボスは手下のゲリラたちに背を向け、一人であの新兵器の巨大カノン砲に向かった。
「指導者同志、何をなさるんですか?」
「・・・お前らが手伝わないのなら俺一人で戦うまでだ。」
ぎらぎらと燃える眼差しで正面に立つドロシーを睨みつける。
「喰らえ、怒りの巨大砲撃パワアアアアアアアアアアアアア!」
ずどおおおおおおおおおおおおおおん
ゲリラたちが呆気にとられて眺めているなか、ボスはどさくさまぎれに新型巨大カノン砲をぶっ放した。口径30リリパット・センチメートルの巨大砲弾がうなりをあげてドロシーに襲いかかる。今度ばかりは弾道の乱れもない。危うし!ドロシー!

*****

右足を振り上げて片足立ちしていたら、なんだか下の方でポップコーンが破裂するような可愛らしい音が聞こえた。ドロシーは目を凝らして足元を覗き込む。目に見えないほど小さな何かが左のブーツの正面あたりにとびこんできた・・・ようにも思えた。でもはっきりとは確認できない。小さすぎてよくわからないのだ。
「?」
ドロシーは右足を元の位置に戻し、今度は左足を上げてブーツを見なおしてみる。じっくり、じっくり、じっくり、よーく探してみても・・・傷一つ見つからないなあ・・・。
「なんだったんだろ、あれ?」
小首をかしげる。ま、わからないものはわからないんだから仕方がないわ。気を取り直してドロシーは左足も元の位置に戻し、膝と腰を屈め、揃えた両膝の上に手を置いて真上からドクロ山に向かって説教を開始した。
「踏み潰すなんてウソよ。おじさんたち、いい子だからさっさと降参しちゃいなさい。いま謝れば潰さないでおいてあげるわ。あとは偉大なるブレフスキュ国王陛下の裁断を素直に仰ぐの、いいこと?」
まるで大人が小さな子供を叱りつけているようだ。だが、実際はその逆である。叱りつけられているのは小さなブレフスキュ人の大人たちであって、叱っているドロシーが巨大なブロブディンナグ人の子供なのだ。要塞の中の大人たちは屈辱に打ち震えているかもしれない。そんな想像をしたら笑いが止まらなくなってきた。

*****

反政府ゲリラのボスであるブレフスキュ人民解放戦線最高指導者は言葉もなく立ちすくんでいた。新型巨大カノン砲は間違いなく敵に着弾していた。会心の一発だった。だが、その会心の一発は、敵にかすり傷ひとつ負わせることができなかった。それどころか、こちらに向かって一方的に説教垂れ始めると、今度はにんまり笑い出しちゃった。どうやら攻撃を攻撃とも認識してもらえなかったようだ。
「無理もありませんよ、指導者同志・・・」
シェビッキがそのうなだれた肩を後ろからポンと叩く。
「口径30リリパット・センチメートルの巨大な砲弾といっても、ドロシー様にしてみれば0.12ブロブディンナグ・ミリメートルしかないミクロの粒子です。気づいてもらえるわけありません。そもそもあの厚さ20リリパット・メートルの革製コンバットブーツを貫通させることなんて絶対無理。その前にきっと表面で跳ね返されていますけどね。」
「ぐぬぬぬぬぬ」
「ねえ、もう悪いこと言わないから降参しちゃいましょうよ。」
「そんなことはできん!」
ボスはシェビッキに背を向けて小走りに隣の部屋に駆け込む。後を追うと、そこにはなんと小型のヘリコプターが駐機してあった。高い天井は一部が大きく開いて外部へと通じており、この小型ヘリコプター一台なら十分に発着できるような作りになっている。恐るべしドクロ山要塞である。
「こんなこともあろうかと脱走用のヘリコプターを用意しておいたのだ。幸い外は霧。霧に紛れて脱走し、再起を図るのだ!」
そこへ他のゲリラたちと共にコップルも駆け込んでくる。ボスはコップルが装着しているインカムに目を止めた。
「そのインカムは、あのデカ娘と交信するためのものか?」
「そうです。ドロシー様と連絡するためのものです。」
コップルが頷くと、ボスはやおらそのインカムを奪い取った。
「な、何をする!」
「おさらばする前にあのデカ娘に挨拶してやるのさ。」
黙って逃げるだけでは癪に障る。一言ガツンといってやらないと気が済まない。
「こらあ、聞こえるか?このくそデカガキ娘」
「聞こえてるけど、ずいぶんな物言いじゃない。」
すぐにドロシーからの返答があった。
「今日のところはここまでにしといてやる。この次に会う時がお前の最期だ。首を洗って待っていろ。あーはっはっは、ブレフスキュ人民解放戦線バンザイ!」
一方的に悪口雑言を吐きかけて交信を切ると、ボスは満足してインカムを装着したままヘリコプターに乗り込もうとした。シェビッキが追いすがって声をかける。
「最高指導者同志、そ、そのインカ・・・」
「あばよ、シェビッキ!お前にもう用はない。」
バタム。扉を閉めてエンジンをかける。パタパタパタパタ。プロペラが回り始めてヘリコプターはふわりと空に舞い上がった。パタパタパタパタ。ヘリコプターの飛び立った先を見ながら、シェビッキはうんざりして呟いた。
「ほんとに最高指導者同志って他人の話を聞かないんだから・・・」

*****

ぱたぱたぱたぱた
反政府ゲリラのボスだったブレフスキュ人民解放戦線最高指導者は自らヘリコプターを操縦して真っ白い霧の中を進む。視界がとれないことは操縦上不安であるが、しかし逃走という目的上はきわめて好都合だ。
ぱたぱたぱたぱた
それにしても全く視界の取れない中での操縦は気を使う。もう何分くらい飛行しているだろう?そろそろ奴からはかなり遠くまで逃げおおせたはずだ。標高2500 リリパット・メートル。ここは中央山岳地帯の峰々よりもずっと高度が高い。そろそろあの雲の晴れ間から外に出てみるか。
ぱたぱたぱたぱた
雲海の上に出る。標高3000リリパット・メートルくらいか。雲の上は一面の晴れ上がった青空の世界、のはずだったが・・・
「はあーい、最高指導者のおじさん、随分と早く再会できたわね。リクエスト通り、首を洗って待っててあげたわよ!」
陽気に声をかけてきたのは雲海の上に肩から先を突き出してにっこり笑うドロシーであった。

*****

「ど、どうして俺がここに来ることがわかった?」
「それはいまおじさんがこうやってわたしとお話しできていることと関係あるかもね。」
そこで初めてボスはインカムのGPS受信機能に気が付いた。
「くそお、罠だったか・・・」
違う!あんたが勝手に墓穴を掘っただけで俺はそれを注意してあげようとしてたんだぞ!と、シェビッキがいれば全力で突っ込んでいたところであったが、残念ながらこの場では華麗にスルーされてしまった。だからといってドロシーを責めるのも酷というものであろうが。
「・・・で、これから俺をどうするつもりだ?」
「そりゃまあ、こういうことね。」
ドロシーは片手を目の前のヘリコプターに伸ばし、親指と人差し指だけで器用にぷちんと摘み取ってしまった。
「はい逮捕。」
「こら!やめろ!放せ!」
ドロシーは首を横に振る。
「そもそもヘリコプターで逃走しようってのが定番中の定番のフラッグでしょ?おじさん、さっきから何回フラッグ立ててるの?もしかしてGTS小説読んだことないの?」
「う、うるさい!あんな変態フェチどもの戯言なぞ、公序良俗を守る善良な市民の俺はぜぇぇぇぇったいに絶対に読まないぞ!」
「あーあ、言っちゃった・・・」
うんざりした表情でヘリコプターを摘まむ指に少し力を入れる。機体がぎしぎしと不気味な音を立て、ボスは狼狽した。
「反政府ゲリラが公序良俗を守る善良な市民か?という問題は置いておくにしても、おじさんはブレフスキュ国王陛下に謀反したばかりでなく、いま、いちばん大切なこの小説の読者の皆様全員を敵に回しちゃったわ。もう重刑は免れないわよ。」
ドロシーの親指と人差し指の間でヘリコプターはぎしぎしと音を立てながら変形してきた。まずい!たまらずボスはパラシュートを装着して機外に飛び出す。ここから約3000リリパット・メートルもの大ジャンプ・・・と思いきや、案外早く着地してしまった。そこは白く透き通った肌色の柔らかい地面である。ということは・・・
「ここは、どこだ?」
「・・・小指の上よ。」
ボスの着地した肌色の地面が急上昇して、ドロシーの碧の瞳の前で止まった。
「おじさんはわたしの親指と人差し指の間から飛び出して、でその下の小指に着地したの。パラシュート使ってわたしの手を横断しただけ。ほんと、小さいと惨めね。」
ボスの立つ地面が傾き、彼は別の肌色をした平面へと滑りおとされた。ブレフスキュの都の王宮前広場にも匹敵する半端ない広さ。今度はボスにもそれがドロシーのもう片方の掌であることは容易に理解できた。頭を抱えてしゃがみ込むボスの様子をドロシーは鼻先でせせら笑う。ボスが顔を上げると、急にその平面が中央に向かって窪みこみ、四方から高層ビルにも匹敵する大きさの指が起き上がってきた。
「・・・さあて、きゅっ、と握り潰しちゃおうかな。」
「うわあ、やめろ!よせ!やめるんだ!」
せせら笑っていたドロシーの表情が急に険しくなる。
「ねえ、それが他人にものをお願いするときの言い方?」
「わあ、ごめんなさい、ごめんなさい、謝ります、許してください、どうか、命だけはお助けください。」
ボスは握りかけられたドロシーの掌の真ん中で土下座をして謝った。何べんも何べんも額をこすり付けて謝った。険しかったドロシーの表情がまた少し緩んだ。
「そうそう、初めからそういう風に素直に振る舞ってればよかったのよ。」
ドロシーは胸ポケットからサトミを摘み出し、掌の上で土下座しているボスの隣におろした。サトミは小さく頷いて、しゃがみ込み、そっとそのボスを摘みあげた。
「ええと、偉大にして親愛なるブレフスキュ人民解放戦線最高指導者同志さん、身柄を拘束いたしまーす。」
サトミは持参した虫かごの中にボスを放り込む。こうして反政府ゲリラ・ブレフスキュ人民解放戦線の最高指導者として権勢を振るった偉大なボスは、哀れ夏休みの宿題の標本作りのために小学生に採取されちゃった昆虫みたいに虫かごの中で囚われの身となった。
「さて、これでこの件は一件落着。」
ドロシーはサトミを胸ポケットに戻すと、ドクロ山の方角を振り返った。
「・・・次はあれをどうするか・・・」
ドロシーはすたすたとドクロ山の前に戻り、そこで腕を組み、首を傾げた。この要塞の中に10000人くらいの反政府ゲリラが潜んでいる。全員が既に投降済みとはいえ、この連中も全部身柄を拘束しておかないと治安維持上は問題を残すことになってしまう。いちばん手っ取り早いのは何も考えず山ごと踏み潰して全員一挙に駆除してしまうことだ。まあ別にわたしはそれでもいいんだけど、でもそれをするとサトミに思いっきり叱られてしまう。かといって10000人は多すぎる。適当な移送手段は思いつかないし、あの険しい山道を揃って歩いて行かせるのも面倒だ。さて、どうしよう?
「こうするしかないか・・・」
ドロシーはドクロ山の前でしゃがみ込むと、手を伸ばして両側の麓に手を添えた。
「よいしょ、っと・・・」
ドロシーが珍しく真面目な顔で力む。この時点でまだドクロ山要塞内のゲリラたちは何が進行しているのか皆目見当がつかなかった。

*****

どうしたことか、ドクロ山はさっきからずっと小刻みで不定期な揺れに襲われていた。巨人が歩いたときにおこる地震とは少し感じの違う、圧迫感のある不気味な揺れだった。
べき・・・・・・ばき・・・べきばきべきばきべきばき
下層階の方から大きな破壊音が響き渡り、周囲にいたゲリラたちが慌てて上階に駆け上ってきた。
「どうした?」
「たいへんです!ドクロ山要塞の一階・二階・三階などが度重なる揺れで大きく破損しました。全員、危険を察知して上層階へ退避中であります。」
「なに?」
「大変です!」
更に後から駆け上ってきたゲリラが顔面を蒼白にして報告した。
「ドクロ山要塞の下層階の外壁が破れて、そ、外から・・・」
「外から?」
「・・・革手袋に覆われた巨大な指が侵入してきました!!!」
ぐううううううううううううん
そのとき、エレベーターが急上昇するときのような激しいGがドクロ山のすべての階層を襲い、ゲリラたちは床に叩きつけられた。何事が起っているのかさっぱりわからない。ある程度まで状況を推測できたのは、多少なりともドロシーとの付き合いがあったコップルくらいのものであった。その落ち着いた態度を見てシェビッキが訊ねる。
「コップル、いま、ここで何が起こっているんだ?」
「ふーむ」
コップルは少しも慌てない。
「・・・もしかしたら、ドロシー様はこのドクロ山を根元から引っこ抜いて、持ち上げていらっしゃるんじゃないかな?」
「・・・」
ゲリラたちは呆気にとられて口をぽかんと開けた。

*****

コップルの予想は正しかった。
ドロシーはしゃがみ込むとドクロ山の最基部に両手を添え、左右に小刻みに振って根元から捻じ切ろうと試みた。もともと脆い凝灰岩質の岩であるうえ、その内部には人工的に掘り進んだ空洞も沢山ある。特に出入りが多い一階と二階は広いホール構造になっていたので捻じ切れやすいと思ったのだ。
ちょっと力を入れたら、案の定、下層階がめきめきと破壊された。素早くそこに革手袋をはめた両手を滑り込ませる。そうしたらあとは力技である。躊躇せず一気にドクロ山を引っこ抜く。ドロシーのか弱い32ブロブディンナグ・キログラム=500リリパット・メガトンの背筋力を総動員、するまでのこともなく、案外あっさりと持ち上がった。標高差約1000リリパット・メートル、底面積の直径が500リリパット・メートルの円錐形をしたドクロ山は、ドロシーに持ち上げられてみれば高さ40ブロブディンナグ・センチメートル、底面の直径が20ブロブディンナグ・センチメートルの円錐形をした凝灰岩塊である。まあタケノコみたいなものだ。しかも中にはゴマンと空洞がある。重さは2ブロブディンナグ・キログラムにも満たないだろう。ドロシーなら片手でも持ち運び可能だ。実際に、ドロシーはこのドクロ山を片手に、持参してきたヘアドライヤーをもう片手にとってすっくと立ち上がった。
「みんな、帰るわよ。」
かくしてドロシー一行は、タケノコ狩りの帰りのようなお気楽さで帰路に就いたのである。

*****

都の住民以外のブレフスキュ国民はブロブディンナグ人を見たことがない。だから中央山岳地帯からの帰路にある中小都市では、意気揚々と引き揚げるドロシーの姿を一目見ようと市民たちが興味津々の眼差しで見つめていた。意外なことに、ドロシーはその一つ一つに律儀にも挨拶して回っていった。たとえばここ中央平原の基幹都市でも大勢の市民がドロシーの姿を見るために集まっている。この都市に寄り道することにしたドロシーは、まず持参してきたドクロ山を都市のすぐ手前の平地に据えた。

*****

当初、市民たちは遥か遠くに見えるドロシーの愛くるしい姿に見とれていた。大胆に肌を露出した軍服のような子供服のようないでたち。ぱっちりしたグリーンの眼。小枝のように華奢な身体の造作。文句なしの美少女である。片手にタケノコみたいな円錐形の石の塊を握っているのも妙に可愛らしい。
ところが、その愛らしい全身像が、近づくにつれて、どんどん、どんどん、どんどん、どんどん、大きくなっていく。その姿は大きくなりながら上方へ、上方へと移動し、しまいには膝より上が市民たちの視野からはみ出してしまった。そのかわり、目の前に突然現れたのが巨大な岩山である。
ずどおおおおおおおおおおおん
「なんだこりゃあ?」
それは標高1000リリパット・メートルもある雄大なドクロ山である。ドロシーが市民たちの目の前に置いたのだ。いきなり目の前に山が出現したのである。立派な山だ。これがあの少女が片手で握りしめていたタケノコみたいなものだとはにわかに信じ難い。
そしていよいよ視点をもっと上空に向ける。首が痛くなるほど真上を見上げると、一人の美少女がその山を軽々跨いで街並みを悠然と見下ろす視線と目があった。これがドロシー様か。初めて遭遇するブロブディンナグ人の巨大さは市民の想像を絶していた。

*****

「みなさん、お出迎えありがとうございます。わたしはブレフスキュ国国防大臣兼国家公安委員長のドロシー・ママレード・マコバンです。」
大巨人は腰を直角に屈めて真上から市民に呼び掛ける。フランス風軍帽の脇から金髪をツインテールに垂らし、透き通るような白い肌と緑の瞳、長い睫毛、ぷっくらと膨らんだピンク色の唇。確かにパーツの一つ一つは間違いなくさっき地平線の彼方に見えた可愛い少女だ。
「みなさまの位置からだと、わたしのパンツは丸見えかもしれません。でもご心配なく。わたしはもったいなくも偉大なるブレフスキュ国王陛下から、この国内において、いついかなる時にも、どこであっても、誰に対しても、そのパンツを見せることが許されています。ですからどうぞご遠慮なく、わたしを見上げてください。」
いうなり大巨人の少女は一~二歩前へ踏み出してこの基幹都市を大きく跨いでみせた。この直径1.5リリパット・キロメートルほどの円形に拡がる市街地は、ドロシーにとって直径60ブロブディンナグ・センチメートル程度の小さな円だ。跨ぐことなどわけもない。すると今度はぐいと腰を落として、まるで和式便器に跨るように都市の上に覆いかぶさった。市民たちから見れば都市の上空全体が超巨大なパンツに置き換えられ、それがいきなり降臨してきたようなものである。パンツが街全体を押し潰す!そのあまりの迫力にあちこちから市民たちの悲鳴があがった。
実際にはそのパンツは地上400リリパット・メートルほどの上空で下降を停止し、その上空前方からあの少女の顔が覗き込んできた。
「うふふ、ごめんなさい、街の真上で蹲らせてもらいました。この位置の方がお互い近くてよく見えますね。」
ドロシーは満足そうに眼下の都市を見下ろす。市民たちは頭を押さえながらこわごわと空いっぱいに広がるその姿を見上げた。
「わたしはまだ子供ですが、でも大人のみなさんよりもこんなに身体が大きいのです。そしてわたしは偉大なるブレフスキュ国王陛下に心から忠誠を誓っています。今後、この反政府ゲリラたちのように国王陛下に謀反を起こす人たちがいたら、容赦なくわたしが踏み潰します。」
ドロシーは急に険しい表情になり、自分のコンバットブーツを指さして立ち上がった。市民たちは都市の両脇に聳え立つその泥で汚れた2つのブーツへと視線を移す。
「見てください。この街にはわたしのブーツの踝に届く建物もありません。どんな抵抗も無駄です。必ず踏み潰します!」
ドロシーが右足を振り上げる。片足立ちしてその右足のブーツを都市の上空に掲げ、わざとらしくぶらぶらさせる。あの靴底を軽く振り下ろすだけでこの都市を瞬時にクレーターにしてしまうことができるだろう。
「いいですか。本当に逃げられませんよ。踏み潰しますからね!」
市民たちは腰が抜けてへたり込んでいる。ぐうの音も出ない。水を打ったような静けさになった。これを十分に確認してから、ドロシーは急に柔和な表情に戻り、足をもとの位置に戻した。
「もちろん、国王陛下に忠誠を誓う一般の善良なブレフスキュ国民に対して、わたしは一切の危害を加えません。ただの12歳の女の子です。ふつつかものですが、なにとぞよろしくお願いします♡」
ぺろりと舌を出しながら両手でスカートの裾を摘まむと、眼下の市民に向かって一礼する。市民たちの緊張も一気に緩んだ。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
ドロシーさま!ドロシーさま!ドロシーさま!ドロシーさま!ドロシーさま!
市民たちのコールがとどまらぬ中、ドロシーは軽く振り返って横ピースしながらウインクすると、あとは振り返りもせずすたすたと帰路についた。

*****

ドロシーさま!ドロシーさま!ドロシーさま!ドロシーさま!ドロシーさま!・・・
遠くからまだかすかにあの市民たちのドロシーコールが聞こえる。ドロシーの胸ポケットの中でサトミは首を傾げていた。
どうしてドロシー様はこんなに律儀に各都市を回っていくのだろう?
もしかして、これも国家公安委員長の務めだと考えておられるのだろうか?確かにドロシー様の圧倒的な巨大さ、圧倒的な強力さを目の当りにしたら、もうブレフスキュ国王陛下に逆らおうなどと思う者は現れなくなるに違いない。治安維持上は効果抜群だ。
本当にそれだけ?
市民たちのドロシーを見つめる眼差しは、初めの好奇から畏怖に、そして恐怖に、そして最後には急転して圧倒的な敬愛と思慕の念に変わっていった。まず自我を完全に叩き壊し、空っぽになった頭の中に新たな価値観を吹き込む。作為か不作為かはともかく、これは教科書通りの洗脳の手口である。
この行きつく先はどこなのかしら?もしかして、ドロシー様はその行方も見据えたうえでこのような行動に走っているのではないかしら?
サトミが訝しく見上げるドロシーの口元は、まだ少しほころんでいた。

わたしのほしかったもの・続く

予告編
無敵かと思われたドロシーに意外な弱点が。苦境を逆手にとってドロシーの謀略が冴えわたる。次回わたしのほしかったもの・第四章「手を伸ばせば」お楽しみに