この話はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。


 「夢うつつ」

            作 モア   1999/07/15 Ver1.2


 俺は、今、九度近い熱にうなされて寝こんでいる。普段は風邪など引かないのに、一度発熱するとなかなか下がらない体質だから困ってしまう。
「圭ちゃん大丈夫?」
 ありがたいことに、今日は美紀子が見舞いに来てくれたのだが、今はちょっと困った状況である。
 彼女は、「荒廃」した部屋を一瞥するなり「きったなーい」と声を発して、いきなり掃除をはじめたからだ。
「おいおい、病人のいる部屋だぞ、埃を撒き散らさないでくれ」
「こんな部屋にいたら、よけい悪くなっちゃうよ」
 そう言って、てきぱきとごみをかたづけていく彼女を、俺は布団越しにぼんやりと眺めていた。ちなみに、俺の部屋はベットを置くスペースが無いので布団で済ましている。
 しばらくは、低い視線から彼女を眺めていたが、だんだん首が疲れてきたので、体を横に向けて目線を畳におろし、所在無く畳の縁を見つめることにした。

 ことり

 美紀子の手から、漢方薬の空き箱が落ちて畳の上を転がっていく。俺はそれを目で追いかけたが、美紀子は拾うのが面倒なのか、そのまま部屋を出てしまう。しばらくして、美紀子が風邪薬と水の入ったコップをのせた盆を持ってやってきた。
「圭ちゃんお待たせ。」
 そう言いながら枕元にのそりと座ったが、その瞬間、スカートの奥がちらりと見えたので、ちょっとどきりとした。
「ああ、何から何までありがとう」
 俺は、上半身を起こして薬とコップを受け取り、口に含んで水を流し込む。
…ああ、気持ちが悪い。少し起きただけなのに頭がふらふらする。なんか気を紛らわす事がないかな。
 そのとき、俺は先ほど目撃したことを思い出し、ちょっと彼女をからかってやりたい気持ちがむくりと起き上がる。
すると、ほんのちょっとの間だが、わずかに不快感がおさまった。
「ねぇ美紀」
「なあに」
「見舞いに来てくれて、しかも部屋まで片付けてもらって本当にありがとう」
「なによ、かしこまって」
「でも」
「でも?」
 俺は熱っぽい顔でにやりと笑う。
「布団の近くでは気をつけて歩いてくれないと…スカートの中が見えて、目のやり場に困るよ」
 熱で頭がボケているのか、かなりオーバーに言ってしまった。第一、見えたのはさっきの一瞬だけじゃないか。
 でも、時すでに遅し。美紀子の顔は見る見る俺よりも赤くなり、眼差しが険しくなっていく。そして
「何よ!こんなときに、デリカシーのない圭ちゃんなんか嫌いよ!」
 と言って立ちあがり、部屋から出ていってしまった。

 ぴしゃり。

 激しくしまる引き戸の音を聞いて、俺の心に深い後悔の念が押し寄せてくる。
…まずかったなぁ、美紀子はあの手の冗談が嫌いだったのを忘れてた。うーん、どうやって謝ろう。
 熱でほてった頭でひとしきり考えていると、体がぴりぴりと痺れてだんだん眠くなってきた。どうも、さっき飲んだ風邪薬が効いてきたらしい。
…まあいいや、風邪を治してから考えよう・・・・ううん…ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・ずしん・ZZZZZZZZZずしん・ずしんZZZZZずしん・ずしんZZZずしん・ずしんzzzz・ずしん・・・・。
…なんだぁ、あの音は。せっかく人が眠っていたのに、目がさめたじゃないか…・・・・ありゃ・・・・ありゃりゃあ!

 何と、俺は水枕の上にいたのだ。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

「圭一」
 どこからか俺を呼ぶ声がする。エコーかかったとても大きな声なので、体中がびりぴりと痺れた。
「圭一」
…俺を呼ぶのは誰だ!・・・・もしかして、この声は・・・・。
「ここよ、圭一!」
 割れるような大声が空から響いたので、思わず天井を見上げた。

 すると、そこには俺を見下ろすようにして巨大な美紀子が立ちはだかっていたのだ。

 彼女は途方もなく大きな体になっていたのだが、皮肉なことに俺が真っ先に見てしまったのは、先ほどからかいのネタに用いたスカートの中だった。
 そこは、光のさえぎられた位置にありながら妖しく光っているように見えて、とても不気味な場所に感じられた。
「ど、どうしたんだ!そんなに大きくなって」
 彼女はしばらく黙って俺を見下ろしたあと、ゆっくりと口を開く。
「よく周りを見てみなさい。あなたが小さく縮んだのよ」
「どうして!?どうしてだ!」
「そんなことはどうでもいいわ。それよりもさっきは…」
 俺は、おどおどとたずね返した
「さっきは?」
「よくも私を辱めてくれたわね」
「あ…あれはご免。熱のせいでかなり言いすぎた。このとおり勘弁してくれ」
 あわてて、ぺこりと頭を下げた。しかし、彼女の表情は変わらない
「いまさら遅いわ」
「ちょ・・ちょっと待っ…」
「おまえの目線ならば、充分見たいところを堪能したでしょう?」
「いや!もう見てない。見てない!」
 俺は思わずうつむいた。しかし彼女は何事も無かったように言葉を続ける。
「恥辱ははらさねばならないのよ…覚悟して!圭一!」
 彼女はゆっくりと右足を上げると、いきなり水枕の上に振り下ろしはじめたのだ。俺は、咄嗟に掛布団へむかってダイブする。

 ずしいいいいんんんん!

 背後ですさまじい音が発生する。しかし、掛布団はやわらかく、着地した俺は全くの無傷。間一髪で危機を脱した。
 だが、それに気付いた彼女はくるりとこちらに振り向き、今度は左足を振り下ろしてきたのである。

 ずしいいいいんんんん!

 慌てて、俺は掛布団を離れると畳の上を逃げ回った。しかし、これは致命的な失敗だった。掃除が終わって隠れるところの無い畳の上は、俺にとって逃げる場所無き「プレス台」、彼女にとって最適な「処刑場」と化したのだ。
 肌色のストッキングに覆われた大きな足は、絶えず俺の頭上を狙っていた。それが踏みおろされるごとに、かろうじて虎口を脱する俺。
 しかし、彼女は徐々に追い詰めたため逃げ場が無くなってきた。しかも、息切れがひどい。思わず何度もうめき声をあげてしまった。
 すると、眼前に巨大な箱があるのに気が付く。掃除の時、美紀子が落としていった薬の空き箱だ。
…もうあそこしか逃げ場所は無い。
 そう思うと、覚悟を決めて空き箱に飛び込み、急いで入り口をふさいだ。
 中は真っ暗である。
…はぁはぁはぁ。息が苦しい。
 それに、よほどのショックだったのだろう。皮膚の感覚が麻痺しているようだ。
しばらくすると、箱の前で地響きがやんだ。どうも窮鼠になったようだ。
…でも、俺はねずみじゃないぞ。
「圭一。そこにいるのはわかっているのよ。おとなしくでてきなさい」
 先ほどと同じく、抑揚の無い彼女の声が空き箱ごしにくぐもって聞こえてくる。
「3つ数えるうちにでてきなさい。さもなくば踏み潰される以上の苦しみを与えるわよ。」
…誰が出るかい。
「一つ」
…どうして俺がこんな目に逢わねばならないんだ。
「二つ」
…畜生、口は災いのもとって本当だったんだな。
「三つ」
「どうにでもなれー!」
 そう叫んだ瞬間、箱が大きく揺れ動き、ぐるりと天地が回転した。そして、しこたま壁に体を打ちつけられたかと思うと、まるでエレベータに乗っているような感覚を覚えた。
 やがてその動きが停止し、今や天井になった入り口のふたから少しづつ光が漏れてきた。大きな力でこじ開けられようとしているのだ。
 しかし、俺はその状況を呆然と見つめるだけだった。
 まもなく蓋が開き、箱の中に光が差しこんだかとおもうと、すぐに大きな彼女の顔が眼前に現れる。なぜか目は悲しそうに見えたが、声はとても冷静だった。
「覚悟はいいわね」
 同時に、箱の中に巨大な手が侵入し、逃げる間もなく俺は彼女の手で鷲づかみにされた。その手はとても熱く、それに耐えかねてもがいたが身動き一つとれない。そして、急に落下したかと思うと、いきなり目の前が真っ暗になる。
 畜生、スカートの中に突っ込まれたのだ、と思った瞬間、俺は意識を失った。

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「圭ちゃん!圭ちゃん!」
 遠くから俺を呼ぶ声がする
「圭ちゃん!大丈夫!」
「ううん。」
 その声で、俺は目を覚ました。すると・・・
「気が付いたのね…」
 目の前すぐに、悲しげな美紀子の顔があったのだ。その瞬間、俺は思わず叫んでしまった。
「た・たすけてくれー!!!」
 そして、再び目をつぶってしまった。

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 しばらくして気が落ち着くと、俺は病院の一室で寝ていることに気付いた。どうも、薬を飲んだあと俺の容態は急変してしまったらしい。それにいち早く気付いた美紀子は、慌てて119番通報をして救急車をよび、この病院まで付き添ってくれたのだ。
 医師の話によると、俺が買ってきた風邪薬と体の相性が悪く、痙攣をおこしたそうなのだ。
「よかったね、圭ちゃん」
 やつれた美紀子の顔に笑顔が浮かぶ。どうも俺が目覚めるまで一休みもしていなかったらしい。今朝から今まで、面倒をかけ通しでまったく申しわけない。
 実家や会社への連絡や手続きが終わって、ようやく二人きりになると、美紀子はおもむろに口を開いた。
「何か悪い夢でも見たの?」
 どうも、さっきの絶叫を気にしているらしい。俺はためらったが、再度問われたので、家での失言を謝ってからぽつりぽつりと夢の出来事を話して聞かせた。
 最初は彼女もおとなしく聞いていたが、俺の惨めな状況を聞くにつれて途中で耐えられなくなったのか、とうとう腹を抱えて笑い出した。俺は、多少むっとして言い返す。
「夢の中では必死だったんだぞ」
「ごめんごめん。」
 呼吸を整え、必死で笑いをこらえた美紀子は、しばらくすると面白そうな顔をして俺を見つめる。
「でも、ちょっといい気味かな」
「勘弁してくれよ。たくさんだ」
 そのあと、美紀子の口調が少し変わった。
「もしかして、夢が途中で終わったのは残念?」
「とんでもない!」
「それならば」
 そう言うと、彼女は急に無表情になってベットに近づき、俺に思いきり顔を寄せてささやくように話しかけた。
「夢の続きをしてあげる」
 すると彼女は、小さな手でゆっくりと俺の顔を鷲づかみしたのだった。
…わっ!
一瞬、あの悪夢を思い出してどきりとしてしまう。
「からかわれたお返し」
 そう言って、彼女はいたずらっぽく笑ったあと、手のひらを額に当てて熱を測ってくれた。
それは、まだ体中が熱っぽい俺にとって、ひんやりして心地よく感じる手のひらだった。

                      終