この話はフィクションです。実在する人物・団体・出来事とは一切関係ありません。

 小さな冒険 その3

           作 モア

 「おおそうじ」 1999/10/10 Ver1.0
 

 休日だというのに家の中が騒々しい。美紀子が「そろそろ冬ものを出しましょう」と言い出し、それがキッカケで大掃除になってしまったからだ。あーぁ、疲れているのに休ませてくれよ。
「思い立ったら吉日よ」
 相も変わらず彼女はさっさと掃除を開始するので、のんびり寝ているわけにもいかない。俺も仕方なく手伝いをはじめた。 しかし、こう言っては何だが、家の中は以前よりもきれいになったと思っている。独身時代に、美紀子から「散らかし屋」の異名をつけられた俺が、まめに部屋を片付けているからだ。…とはいえ、別にきれい好きになったわけじゃなく、不意に小さくなった時の自衛策なのである。散らかしたものと一緒に、俺までもみ潰されたり捨てられてはかなわない。
 
「圭ちゃーん、ガラスクリーナー取ってきて」
「ほーい」
 軽く返事をして洗剤を持ってきたが、よく見ると底に少しばかり残っているだけで、これではすぐに使いきってしまう。
「美紀、ほとんど入ってないよ・・」
「えー!?、困ったなぁ…」
 その時、よい考えがひらめいた。
「買ってこようか?」
「うん、そうしてくれる?」
「じゃ、行ってくるわ」
…やったー、脱出成功!
 彼女にたくらみを悟られぬようゆっくりドアを閉めて、たちまち青空広がる屋外へ飛び出した。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 こうしてマンションを出ると、足取り軽く近所の公園へと歩む。入口の車止めを跳び箱のように飛び越えて中に入ると、噴水のそばにあるベンチに腰掛けて目をつむり、気を鎮めて精神を統一する。
 最近、俺は小さくなるコツを体得しつつある。どうも、喜怒哀楽のあとで心に生じる一瞬の間隙をついて魔法が発動するらしい。ただし、制御できる確率は2割程度だが…。
…おっ! 今回は、幸いにも小さくなったようだ。こいつは幸先がいいぞ。
 すると、斜交いのベンチに腰掛けていたお母さんが、不思議そうにこちらを見つめているのがわかり、慌てて身を隠す。きっと、俺の姿が突然消えたのでビックリしたのだろう。あわてて幼児をベビーカーに乗せると、その場を立ち去ってしまった。
…驚かしてしまったけど、ばれていないだろ。
 そして、注意深く様子をうかがいながら、あらためてベンチの上に現れて大きく背伸びをする。
…よしよし、もういいだろ。では始めるか。
 ベンチで小さくなって何をするか、って疑問に思う方がいるかもしれない。…実は、ここで「巨大女性ウォッチング」をしようと企んでいるのだ。
 普通の大きさで、ベンチに座った男がじろじろ周りを見ていたら、みんな避けて通ってしまうが、小さくなって見ていると誰もそれには気づかない。その利点を生かして(?)最近ここで巨大女性を観賞しているわけである。当然、小さくなると事故に会う危険があるので、できるかぎり充分な対策を施している。
 その結果、俺はこのベンチ自体を秘密基地に改造してしまったのだ。普通の体の時に、シェルターや脱出装置を密かに取りつけたりと、涙ぐましい努力を注ぎ込んだ成果なのである。
 まぁこんなこと、美紀子に知られたらタダじゃ済まないからな…。

 小さくなった俺は、スノコの隅で胡座をかいて座り込み、目の前に広がる雄大な光景をとっくりと眺めた。
 ベンチの高さはちょうどひざの位置なので、女性の全身像を堪能するには格好の高さと角度である。しかも踏み潰される心配が無いので、のんびりと鑑賞できるのがありがたい。
 しばらくして、大きな影が上空を覆ったので、俺は慌てて隙間に隠れる。すると、すぐ脇に重量物が着地する振動と風圧が襲ってきた。ようやく静かになって恐る恐る顔を上げると、すぐ脇に巨大な女性が腰掛けたのだった。
 やがて、そろりと前進してスカートの裾まで近寄るが、相手は気づく気配も無い。
 はじめのころは怖かった巨大な圧迫感も、慣れればちょっとした刺激みたいなものである。
 俺は、少し離れてごろりと仰向けになると、じっくりと観賞を開始した。
 彼女は、脇に置いたバックから本を取り出して、しおりに添ってページを広げ本を読みはじめたのだ。
 うつむきながら読書する姿と言うのは、なにやら独特の美しさがある。
…うーん、まつげがやや重く垂れて真剣な表情で本を読む姿を、見上げて眺めるのもまたいいものだ。
 しばらくの間、彼女はページをめくりながら本を読んでいたが、何か異常に気づいたのだろうか。慌てて本を閉じるといづこへか去ってしまった。
…折角いいところだったのに、まぁいいか。
 俺は気を取りなおして、ふたたび歩く人々の観賞を続けた。気をつければ他人にばれる事は無いし、まさか人間が小さくなるなんて思ってもいないだろうから、安心して観ることができる。こりゃ当分病みつきになるな。
 いやぁ愉快愉快!

「本当にたのしそうね」

 そりゃそうさ!…・・え?
…今の声はもしかして…、
 恐る恐る背後を振り向くと、そこには、口元だけ微笑んだ美紀子の大きな顔があったのだ。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

…どうしてここがわかったんだ!? それよりも、美紀子に秘密がばれたということは…
 思わず背筋に冷たいものが走る。
「あ…いや…美紀も来てたんだ…あはは」
 その異様な気配に、俺は笑って気を紛らわせようとするが、彼女の目は全然笑っていない。
「お楽しみのところ申し訳ありませんが、大掃除を放って一体何をしているの?」
 彼女の押し殺したような声を聞いて、たちまち怖気立ってしまったが、このような事態に備えて作った脱出装置があるじゃないか。俺は、すぐにロープを握り締め、ベンチの隙間からひょいと逃げ出した。
「美紀子、さらばだ!」
 そう言い残して脱出成功!…のはずだった。ところが、着地点を見て俺の目は点となった。
「ああっ!」
 さすがに、美紀子もさる者である。着地点には彼女の左手が、5本の指を大きく広げて待ち構えているのだ。たちまち手のひらに着地すると、巨大な指が覆い被さって、俺は手の中に閉じ込められてしまった。
 結局、鷲づかみにされたあと、立ち上がりざまに右手へと持ちかえられて彼女の胸元まで持ち上げられたらしい。
 美紀子は左手を腰に当て、じっと俺を見つめた後、ねっとりとした口調で話しかける。
「一人だけ働かせたまま、あなたはここでご満喫なんて…。私、絶・対にゆるさない!」
「お・おい、大声出すなよ。周りの人が変な顔で見てるぞ」
「勝手に見ていればいいでしょ。どうせ、いい歳した女が人形遊びしている、くらいにしか思っていないわ」
 吐き捨てるようにそう言うと、彼女はニヤリと笑みを浮かべる。
「さて、家に帰りましょ。あなたには、押入れの隙間や家具裏にたまった埃を掃除してもらいましょう」
「おい!ゴキブリのいるところはやだよ!勘弁してくれ!」
 しかし、聞く耳持たない美紀子は、俺を鷲づかみにしたまま、のしのしと歩きはじめたのだ。湿度の高い彼女の手の中で、振り子のように振り回され続けた俺は、深い後悔の念と帰宅後の「仕事」を恐れてただ目をつぶるしかなかった。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

散々にお説教を受けた数日後…
 再びこのベンチにやってきたのだが、美紀子がきれいに「大掃除」をしたらしく、何も残っていなかった。
 今度基地を作ったら、美紀子のことだから今度こそお説教どころでは済まないだろうな。でも、俺のささやかな楽しみを奪うなんて…トホホ…
 思わず、ベンチの脇でしゃがみこみ、がっくりと肩を落としてしまったのだった。                          
                         第3話 おしまい




  
・おまけ

この話はフィクションです。実在する人物・団体・出来事とは一切関係ありません。


 小さな冒険  ―番外編―

            作 モア

   「美紀子の憂鬱」


「ただいま」
 私はさっさと靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた。いつもなら、のんびりした声で圭一の返事があるのに、部屋の向こうからは物音一つ聞こえない。
 また、あいつ小さくなったんだな…
 そう思うと、とても気が重くなる。ただでさえ疲れているのに、足下を注意して歩かなくてはならないから、たまらないな。あーあ、本当に…
…!美紀子ぉ…
「え?なに?」
…ぼんやりと考え事をして歩いていたからわからないけど、今、圭一の声が聞こえなかったかな…???気のせい?。
 ちょっと立ち止まって足下を見まわすが、別に何も無いので再び歩き始めた。

 ぷちっ

「!」
 突然、右足の裏に得体の知れない感触が伝わったので、私はびっくりして歩みを止めた。背に汗が浮び上がり急速に冷えていくのがわかる。
…もしかして!?
 脳裏に浮んだ予想が間違いであるべく祈りながら、恐る恐る右足を持ち上げた。
 すると、そこには奇妙な形に捻じ曲がった「小人」が、赤黒い液体にまみれてつぶれていたのである。
 それを見た瞬間、私は恐ろしさのあまり悲鳴を上げてしまった…

 がばり

「はぁ、はぁ…はぁ……」
  
 気が付くと、私は布団を跳ね飛ばして上半身を起こしていた。
…なんだ、夢か。
 ほっとして圭一の方を振り向けば、彼は普段の姿で白川夜船である。その寝姿を見ていると、安堵すると共に言い様も知れない怒りも湧いてくる。
…こっちは小さくなったお前のことで悩んでいるのに…いい気なもんだな、圭一のヤツ。
 そう思うと眠気も失せてきたので、そのままの姿勢で彼の寝顔を眺めることにする。
 こいつが小さくなるようになって、もうどのくらいの月日が経ったのだろう。圭一は、そのことに結構ご満悦で、気分転換とばかりに楽しんでいるようだが、私は気苦労が2乗になった気分である。あいつの姿が見えない日などは、まるで我が家の床が針絨毯になったようで、姿を見つけるまでは部屋の中を安心して歩くこともできない。
 例え見つかっても、あいつは下から見上げてニタニタするわ、摘み上げれば痛いとわめき、部屋を歩けば地響きがうるさいという。おまけに、忙しい最中に人を呼んではクレーンやエレベータ扱いをするので、もうたくさんと言いたいところだわ。…一体、いつになったら魔法が解けて、元の圭一に戻ってくれるのかしら…。
 そんなことを悶々と考えていると、次第に瞼が重くなってきたようだった。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

某月忙日…
 その日は、用事があって帰宅が遅くなりそうだったから家事は圭一にお願いしていた。すると、帰り道でいきなり携帯電話が鳴りはじめる。
「もしもし、山根ですが」
「…あ、美紀?」
「何だ圭ちゃんか。もうすぐ家に着くから待っててね」
「いや…その…、また家の中で小さくなったんだ」
 その声を聞くや否や、私は一気に暗ーい気持ちへと変わった。この調子だとご飯できていないんだろうな。それよりも、もし火をつけたままで小さくなったら火事になる。そう思った私は慌てて圭一に問い合わせたけど、幸い火は使っていないみたい。
「実は、運が悪いことに携帯のバッテリーがほとんど無くて頻繁に連絡ができないんだ。だから、家に入る時は細心の注意を払って入ってくれ」
…何でマメにチェックしないのよ!
 私は心の中でつぶやいたけど、こうなっては仕方が無い。結局重い足取りで家路についたのだった。

 私は、そおっと靴を脱ぐと、裸足のまま恐る恐る歩き始めた。そしてドアに手をかけると、ゆっくりノブを押し回して部屋をのぞきこむ。案の定、部屋には誰もいないが、先ほどまで人がいた気配は残っていた。
 一見何気ない室内だけど、まるで小人達の街に迷い込んでしまったような気分である。
…私の一歩が、一つ間違えば圭一を踏み潰しかねない状況だから、なおさらね。
 そう思うと、家具の並びが小さなビル群のように見えてくるから不思議だな。
…うーン、朱に交われば赤くなる。あいつの妄想が伝染ったかな…
 しばらくは入口で立ち止まっていたが、やがてドロボウみたいな足取りでゆっくり部屋へ入った。そして、中腰で足下を慎重に確認しながら床を眺めまわして、見えない圭一に向かって話しかける。
「圭ちゃーん。今帰ったわ、いたら返事をしてねー」
 しかし、彼から一向に返事は無いし、携帯も鳴らない。
 その時、裸足の裏に柔らかい感触がかすかに伝わった。ビックリした私は、思わず目をつぶり足をそっと上げてその脇に着地させると、首を垂れて恐る恐る瞼を開ける。
 そこにあるのは、キーホルダーから外れたソフトビニール製の小さな人形だった。
…ほっ
 とりあえず一安心すると人形をポケットに入れ、今度はキッチンに入りこんだ。すると、卓上には食事の用意ができている。
…どうも、家事が終わってほっとした時に小さくなったみたいだわ…。
 そこで、私は四つ這いになって床を嘗め回すように捜索したんだけど、圭一の姿は影も形もないみたい。
 私は、心配と不安の余り大声を上げてしまった。
「圭ちゃん、はやく連絡してよ!一体どこにいるの!」
 すると、居間のほうから何やら気配を感じたので、またもや忍び足で歩き出し、ゆっくりと引き戸を開けて居間を覗きこんだ。すると、畳の上に1冊のハードカバー本が、人の字型に伏せてある。
…あそこに閉じ込められているのかしら。
 仰向で本を読んでいるときに、いきなり小さくなって天から本が落ちてくる…。思わずそんなシーンを想像した私は、すぐさま本のそばに近づいた。
「圭ちゃん!そこにいるの!いたら返事をしてちょうだい! ねぇお願いだから…」
 しかし、全く無反応。そこで私は、まるで爆弾を触るような感じで本を持ち上げたが、圭一がいるような気配は何も無い。
…違ったようね。
 私は一安心するとハードカバーをぱたりと落とす。すると、それを待っていたかのように携帯電話が鳴ったので、私は急いで受信ボタンをおした。
「圭ちゃん?」
すると、受信側から苦しそうなうめき声が聞こえてくる。
「…美紀子…締め付けられるように苦しい…助けて…」
…!やっぱり本の中にいたんだ!それを私が閉じたもんだから!
 すっかり気が動転した私は、慌てて本を取り、深い後悔にさいなまれながら慎重にページをめくって涙声で彼の名前を連呼してしまった。

…ちょっと待て!

 よく考えれば、何で都合よく電話が鳴ったのだろう? それに、さっきから気になっていたんだけど、なぜか押入れが騒がしい。疑念はますます強くなったので、いきなり立ちあがって押入れに歩みより、力いっぱい襖を開いた。

 ぴしゃり

 するとそこには、携帯を持った圭一が潜んでいて、何やらごそごそとしているのだ。いきなり視線が合うと、圭一は当惑した笑みを浮かべ、やあ、と声をかけてくる。
 どうも、ほんの冗談のつもりが、予想外の展開のために出るにも出られなくなったようである。
「…!!!!圭一ッ!」
 一瞬の沈黙のあと叫び声をあげた私は、怒りのあまり圭一を押入れから引きずり出すと、泣きながら手にしたハンドバックであいつの体を思いっきり連打してしまった。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 少し我に返ったら、圭一は畳の上で仰向けになって、バタバタしながらあとずさっている。
 私は、その前に立ちはだかり、涙目をむいて思いっきり彼をにらみつけてやった。その気分と言えば、まるで体が血ぶくれして大きくなったみたいである。
…あれ?ホントに大きくなったかな 
 よく見ると圭一が私の足下でうごめいている。
…ハハン、今度は本当に魔法が発動したようね。
 小さくなった圭一は、よちよち歩き出して左足の親指にしがみ付き、何やら小さな声で必死に謝っているけど、今度ばかりは許せない。
…だって、圭一は軽い冗談のつもりでやったみたいだけど、私は寿命が縮む思いであんたを探していたのよ。これは絶対モラルに反するわ。二度と「狼少年」の真似をさせないように、少しは懲らしめてやらなくちゃ。
 そこで私は手を伸ばし、彼を摘んで足から引き離すと、鼻先まで寄せて睨みつけてやる。

「今日は罰としてご飯抜き、元に戻るまで反省していなさい」

 そして、あいつを空の湯のみに入れて一瞥すると、私はさっさと服を着替え、食卓についてご飯をよそい、一人でがつがつと食べはじめた。
ところが、しばらくすると小さくなった圭一のことが気になってくる。心を鬼にして忘れようとがんばっていたけれど、ご飯が全然おいしくない。
 とうとう、たまらなくなって戸棚から小皿を取り出すと、ご飯粒とおかずを少しづつ入れて居間に行き、どんとちゃぶ台の上に置いてしまった。
「さあ、さっさと食べて!」
 湯のみから出て恐る恐る皿に上った圭一は、私に謝りながら食事をとり始めた。その様を頬杖ついて見ていると、たちまち憂鬱な気分が湧き上がってくる。
…あーあ、私って甘いんだなー。だから圭一がつけあがるのネ。
でも、
…もしかしたら、私も結構この環境を楽しんでいるのかもしれない…のかな。
 そう考えなおすと、なにやら気持ちが吹っ切れてしまった。

「ただし、悪ふざけはダメよ、圭ちゃん」
 そういって、彼の頭を人差し指で軽く小突くと、圭一はいたずらされたと思ったのか、ビックリして私を見上げる。
 …お互い様というわけね、うふふ。
 その表情を見ながら、私はふとそう思ったのだった。
                      
                おしまい