この話はフィクションです。実在する人物・団体・出来事とは一切関係ありません。

 小さな冒険 その7 

           作 モア

  「視 線」     1999/12/11 Ver1.0

-1-

「圭一さん、今日という今日は言わせてもらいます!」
 炬燵を挟んだ向かいには、怒りに身を震わせた美紀子が座っている。
「お 願 い だ か ら …小さくなったときは、私の足元にまとわりつかないで!誤って踏んだらどうするの!?」
「…はい」
 これで終わり…と思いきや、彼女は、まだ言い足りないらしい。
「ついでに言うけど、私が寝ているときに、しばしば私の体で遊んでいるでしょ!」
「……はい」
「勝手に体へよじ登らないでください。最近は、気になって寝返りもうてないのよ!」
「…ごめんなさい」
「もぅ…何度言ったらわかるのよ!」

 ここまでならば、いつものお説教風景だが、今日は美紀子の雰囲気がちょっと違うようだ。ちなみに、「圭一さん」と言う時は、大抵ロクなことが起こらない。
 やがて彼女は沈黙し、鼻息ともため息ともつかぬ呼吸を盛大につくと、きっ、と俺を睨んだのだ。
「今までは、仕方がないと思って我慢してきました。…でも、もう限界!2度と小さくならないで!」
 今更何を言うんだ、という気持を抑えながら、俺は必死で適切な言葉を選ぶ。
「そう言っても、これは俺の意思で小さくなる訳じゃない。どうしようもならないよ」
 そうやんわりと答えたのだが、怒りの収まらぬ彼女は、機関銃のごとき舌鋒で反撃してきたのだ。
「方法はあるじゃないの。たとえば、魔法はその結婚指輪にかけられているんでしょ!外せばいいじゃない」
「!…おい、これを外せと言うのか!」
…そりゃ、俺も考えたけど、指に食い込んで外せないんだ。それに大事な結婚指輪だぞ!
「この際仕方ないわ!」
「でも…」
「さあ外しなさい!・…もし、外れないというのなら・…!」
 今日の美紀子はよほど頭にきていたらしい。抗議も終わらないうちに俺のそばに迫ったかと思うと、無理やり指輪を外し始めたのである。
「おい!おい!痛いじゃないか!手を放せよ!」
 ところが、美紀子は言うことを聞かない。
 しかも、悪いことは重なるもので、何かの拍子か結婚指輪が熱を帯びてきたのだ。
…しまった!また例の前兆じゃないか。
「おい、美紀子!早く離れろ!魔法が発動しかかっているんだ。間もなく小さくなるんだぞ!」
「それまでに…この指輪を外してやる…」
 必死の叫びに全く耳を貸さない美紀子は、唸るような声をあげて腕にしがみついたままである。ついに、衝撃が襲って目の前が真っ暗になってしまった。


-2-

 目覚めると、俺は畳に横たわっていた。不思議なことに周りの景色は全然変わっていないようで、先ほどまでいた部屋のままである。
「?…魔法は発動しなかったのかな…」
 何だか狐につままれたような気持ちで置きあがり、手を伸ばしてうーんと背伸びをする。
…でも何か変だ、体がやたら冷えるし…すこし調子がおかしいぞ。
 そう思っていると、突然下の方から声が聞こえてきたので、何気なく畳に視線を下ろす。
「…!」
 思わず、声にならない声が漏れ出てしまった。
…足下に小人がいて、こっちを見上げているじゃないか!
 初めて経験する情景にびっくりしてしまう。
…どういうことだ?俺以外に小さな人間が存在するのかよ。
 半信半疑の気持ちだが、小人をさらによく見ようとかがみこんで顔を近づける。すると相手はますます狼狽したらしく、ぺたりと尻餅をついて怯えているらしい。
「…」
 その姿を見て、ふと、初めて大きな美紀子を見てしまった時のことを思い出してしまう。しかし、この小人…
…うーん、何やら見覚えのある姿なのだが…はて、誰だっけ。
 すると、鼻先で震えている小人が、小さな声をあげたのだ。
「あ、あなた…だれ?」
 その声を聞いて俺は二度驚愕する。
…!・・その声は俺じゃないか!
 驚きのあまり、咄嗟にその場で立ちあがってしまった。すると、その行為に再び恐怖を覚えたのだろう。小人は頭を抱えてうずくまり、ぶるぶると震えているようだった。
「…」
 その姿を見下ろす俺も、全身に電気を帯びているような感触である。
…足元でうずくまる小人が俺だとすれば、今見下ろしている「俺」は一体誰なんだ?
 疑念を振り払いたい一心で、急いで鏡台の前に立つと、布カバーに手をかける。
…まさかとは思うが…
 そして、バッとめくり上げた。
 「!」
 そこに映った像をみて気が遠くなリそうになる。なぜなら鏡には、あっけにとられた表情の美紀子が映っていたのだ。
「こ…これはどういうことだ!」
 すると、俺の口調そっくりな美紀子の叫び声が、耳に飛びこんできたのである。



 巨人は、鏡台の前でまだ呆然としているようだけど、私も同様で、尻餅ついてへたり込んだままである。
 あまりにも信じられない光景を見て、頭の中は振り子のようにぐるぐると揺れていた。でも、これだけは判る。あの巨人はたしかに私だ。
…ならば、それを見つめている私は一体誰のなのだろう?…あぁ、わからない。
 やがて、巨人は鏡台の引出しをごそごそ捜していたが、何かを手に持ってこっちに歩み寄ってきた。
 途方もなく大きな足が着地するたびに、畳がたわんで衝撃が襲い、埃が舞い上がる。その地響きの激しさに、私は思わず耳を押さえてしまう。
…でも、畳の上って歩くとたわむんだ。私って、あんなに重かったかなぁ…
 そう思う間に、巨人は目の前に近づいて歩みを止めた。あまりにも相手は巨大なので、恐怖感で見上げることすらできない。しかも、眼前には厚手のソックスが、まるで山のように聳えているのだ。
…もし、あんなのが頭上に落ちてきたら…!!
 しかし不思議なもので、こんな状況に至っても、布地に毛玉がいっぱい付いていることに気がついたりする。
 そんなことを考えていると、巨人は再びかがみこみ、手にしたものを広げて私の目の前に押し出し始めた。たちまち周囲が薄暗くなって巨大なものが迫ってくると、その恐ろしさに手で顔を覆ってしまう。
 ところが、いつまでたっても何も起きない。やがて、ゆっくり顔を上げて目の前にあるものをまじまじと見つめてしまった。
「!」
…け・圭ちゃんが目の前にいる!
 一体どういうことだろう?、としばらくの間はぼんやりと圭一の姿を見ていた。ようやく我に返ると、そこにあるものは巨大なコンパクトであることに気付いたのだった。
…鏡面に圭ちゃんの姿が映っているんだ。と、言うことは…
 目をつむり、大きく深呼吸をして気持を鎮め、再び天を仰ぐと、そこには複雑な笑みを浮かべた私の顔がある。
 やがて、巨人は私の声で話し始めた。
「そこにいるのは美紀子だね。体は俺だけど…」
…そうか、やっとわかったわ。
 魔法が作動した時、2人の意識が入れ替わってしまったようなのだ。
…私の意識を持った小人の圭一と、彼の意識をもった私に変わったのね…ややこしいけど。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

…しかし、これは新鮮な眺めだな。
 いつもは、小さくなって周りを見上げるばかりだが、このように小人を見下ろす情景もまた格別である。
…ふーん。美紀子は、こんな視線で小さくなった俺を見ているんだ。
 思わず、怒ったときの美紀子を真似して、すこし脚を広げて腰に手を当てながら、足元にいる小人を見つめてやる。
…やーい、見下ろしてやったぞ!…おや、いけない。とにかく今後のことについて話さなくては。
 そう思うと、畳にどっかと腰を下したのだった。すると、小人もこの状況に慣れたのだろうか。たちまち下の方から文句の声が聞こえてくる。
「こらぁ!圭一。私の体でそんな座り方するなァ!スカートはいていることを忘れないでよ!」
…おいおい、今は俺の体だ。このままで居させてもらうよ。
 それはさておき、まずは小人と作戦会議である。先ほどから鬱陶しく感じていたスカートをたくし上げて胡座をかくと、身を乗り出すような姿勢で小人を見下ろした。
「さて、美紀。これからどうしよう?」
「ねぇ・・・その格好…」
「…」
 いくら言っても無駄とわかったのだろう。しばらく肩を落としてため息をついたみたいだが、再び威勢のよい姿勢になると次の要求を突きつけてきたのだった。
「その前に、私をあなたの視線まで持ち上げてよ!これでは話しにならないわ」
…うん、そうだな。せめて、そのくらいの意見は聞いても良いだろ。でも手のひらにのせるのは億劫だから、炬燵に上がってもらうか。
 そう決心すると、右手を伸ばして小人を摘み上げようと試みる。
 ところが、小人はいきなり悲鳴を上げて、手からすり抜けてしまったのだ。
「圭ちゃん!痛いじゃないの!」
「え?ただ摘み上げようとしただけなのに。何がいけないんだ?」
「そんな力で体をつかまれたら、潰れてしまうわ!」
…たしかに、ごもっとも
 すると、小人は身振り手振りを交えて俺に「指導」を始めたのだ。
「あのね、摘み上げる時は小人の両わき下に指を入れたあと、そっとすくって手のひらに入れるの。でも、普通は手のひらを下して乗ってもらうものよ。いつも私はそうしてるでしょ!」
…うーん、知らなかったなぁ。美紀子のヤツ、そんなことまで気を使っているんだ…。
 とにかく、即席のレクチャーを受けて、小人を慎重に摘んで炬燵の上に置いたのだった。



…でも、汚いわね。炬燵の上って…
 私はいつも入念に掃除をしているはずだが、目の前に広がる光景は、針金ほどの太さがある埃が一面に広がっている。
 やむを得ず、足下だけごみを払ってそこに座ったけど、その姿をみて巨人はおかしそうな顔をする。
「そんなこと気にしていたら、小さくなれないよ」
 しかし、すぐにそれは怪訝そうな表情に変わった。
「ねぇ美紀、その横膝すわり何とかしてくれないか?何かいやだよ」 
…何言うの。今は私の体よ、このままにさせてもらうわ。…ま、それよりも今後のことを相談しなければ。
「ねぇ、私は一体どうなるの?」
 すると巨人は腕を組み、うなり声をあげながら考えこんでいる。
「とりあえず、その体が元の大きさに戻ることが先決だな。…お互いの意識がもとの体に戻るのを考えるのはそれからだ。ま、何とかなるだろ」
「こら、圭一!他人事みたいな口調で何言ってるのよ」
 苛立ちのあまり、思わず文句を叩きつけるが、巨人は肩をすくめるばかりである。
「魔法にかかって以来、非常識な出来事にはいいかげん慣れてしまったからね。あまり深く考えないことにしたんだよ」
「じゃ、私はどうなるの!? これからも圭一のままなんて嫌だわ!」
 すると、巨人は人差し指をよせてきて、頭にごつんと突き当てたのだ。
「美紀、落ち着いて。怒っても仕方ないよ」
「…」
…これって、私が小さくなった圭一をたしなめるときに使う手じゃないの!
きっと圭一のヤツ、内心してやったり!とほくそ笑んでいることだろう。
 そんな気持を知ってか知らずか、巨人は急に明るい表情で励まし始めたのだ。
「大丈夫だよ、きっと元に戻る。…とにかく、君が小さいままでは焦っても仕方がない。少しの間だから、お互いにこの状況で我慢しよう」
「うーん…」
 たしかに、圭一の言い分はもっともだし…他に良い方法もない。
…まぁ仕方ないか、彼の案に従いましょう。
「わかったわ、圭ちゃんの言い分に従う」
「よかった」
 すると、巨人は急に思案した表情になってポツリと呟いた。
「さて、それまでどうしていよう…」
「何言ってるの!洗濯があるでしょ!」
「…今回は美紀が当番じゃじゃないか」
 そのとき、ふと、会心のアイデアがひらめく。
「そのとおり。君は『美紀子』だろ?今日は当番だからさっさとしなくちゃ」
 と、圭一の口調を真似ながら大声で叫んだのだ。すると巨人は私を指差し、驚いた顔で抗議する。
「あーっ、ずるいぞ!」
 でも、実際洗濯物はたまっているし、小さくなった私ではどうにもならない。やがて、巨人はため息をつくと大儀そうに立ちあがった。
「わ・か・り・ま・し・た。じゃ、洗濯してくるよ『圭ちゃん』」
 相手も私の口調をまねて、ずんずんと足音を残して部屋を出ていったのだ。
「静電気防止洗剤を、忘れずに入れてね!」
 「美紀子」がいなくなると、何だか部屋の中が広広して見える。実に爽快な気分だ。
…あー、いい気持。さーて、私は何していようかなー。


-3-

 俺は、ため息をつきながら洗濯機のふたを開けると、衣類を無造作に詰め込んで、適当に洗剤を放りこみ、「自動」のボタンを押して壁に寄りかかった。たちまち、機械の作動音と水の流れ落ちる音が響き渡る。
 しばらくの間、その作動音をききながら、ぼんやりと泡立つ渦を見つめて考え込んでしまう。
…さっきは、美紀子を心配させないように、と陽気な口調で話したが、本当に元へ戻れるのだろうか。
 いや、それよりも小さい俺の体であのままにして大丈夫だろうか、という不安感も湧いてくる。
…小さくなるということは、結構苦労することが多いからな…
 そう思うとだんだん心配になってきて、仕事が手につかなくなってきた。
「?」 
 ふと洗面台の鏡を見ると、そこには不安そうな表情をした美紀子の顔があった。
…どうしたんだ、美紀もやっぱり不安かい?
 無言で鏡の彼女に問いかけると、相手も何か言いたそうな表情になる。
「…!」
…当たりまえじゃないか。鏡に映った「美紀子」は俺なんだから。
 意識は圭一のままだから、本当にややこしい。
 その時である…遠くから「圭一」の声が聞こえてきたのだ。
「おーい!『美紀子ぉ』」
…あいつめ、どうも徹底的に俺の真似するみたいだな!よーし、そっちがその気なら…
 こっちも徹底的に「美紀子」を演じよう、と決心してすぐに返事をした。
「今行くよー」
 スリッパごと居間へ駆け込むと、「圭一」はちゃぶ台にいてこちらを見上げている。
「何か用?」
「ええ。ちょっと外の景色を眺めてみたいから、窓際にある小物入れまで運んでほしいんだ」
「そんなことで呼んだのか!」
 あまりにも、つまらぬことで呼び出された怒りに、思わず大声を上げてしまった。
 しかし、相手は平然としたものである。
「立ってるものは巨人でも使え、よ」
「っ…」
…それは、小さくなったときに俺が使う常套句じゃないか。
 きっと美紀子のヤツ、内心してやったり!と、ほくそ笑んでいることだろう。
 その台詞には二の句もつけないので、あっさり冑を脱ぐことにして、屈みこむとちゃぶ台の上へ右手を下したのである。
「わかりました。はい、どうぞ」 
 上機嫌の「圭一」は、小指の付け根に手をかけると「よいしょ」と言って飛び乗った。すると、手のひらに柔らかいものがのる感触が伝わってくる。
…うーん、これも新鮮な体験だ。…たしか美紀子は、俺を手のひらに乗せる時、安全のために手のひらを少し窪めていたよな…。
 ようやくそのことを思い出すと、それを真似てゆっくりと手のひらを胸まで上げ、そろりと目的地まで歩いて、「圭一」を下したのだった。



 「美紀子」は、私が降りたことを確認すると、ゆっくり立ちあがって見下ろしはじめた。しかし圭一のヤツ、いくら私のまねをしていても、仕草が男のままだから、大きく脚をひろげて立ちはだかっているのね。だから、私の位置から見ると、何もかも丸見えで恥ずかしいわ…。
…でも、例え脚を閉じていても、この位置ではスカート中が見えるじゃないの!圭一はいつもこんな風に見ているのか。
 そう思うと無性に腹が立ってくる。
…よおし、今度から家の中でスカート履くのをやめよう。
 そんなことを考えている時、いきなり「美紀子」が私に話しかけてきた。
「窓際は、とても気持ちが良い場所だけど、危険でもあるから充分注意してね」
「…ありがとう」
 その時、洗濯機に異常が起きたのか、ブザー音が鳴り響く。それを聞いた「美紀子」は、慌てて部屋をでていってしまった。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 急いで洗濯機に戻ると、どうも衣類が水槽で絡まっているらしい。
…しまった!洗濯物を入れすぎたようだ。
 すぐにフタを開け、処置をしたあと再度ボタンを押すと、機械は再び順調に動き出した。
…ふう…。
 ようやく人心をつく。しかし…
…どうも体の動きがぎこちない。大体、呼吸する度に胸が動くというのはおかしいよ。
 俺は意識的に腹式呼吸をしながら、何気なく「美紀子」の体をみまわす。同じ人間なのに、女性の体は勝手が違うのか、どうもなじまない。
…でも、スカートって下半身が涼しすぎるな、女性が冷え性っていうのもこれが原因なのだろうか?…しかも、動く度にブラが邪魔になって仕方がない…美紀はあんまり胸が大きくないからいいけれど、大きい女性は大変なんだろうな。
 と、シャツ越しに胸を触りながら、妙なことで感心してしまう。すると、その時…
「…!」
…なるほどね…
 ものの弾みで、俺は、ちょっとばかし「遊んで」やりたい衝動を抑えられなくなってしまった。



 「美紀子」が再び去ったので、私は小物入れの頂に座って、心地よい風にふかれながら外の情景を眺めはじめた。
 マンションからの眺めは、近くに高架橋の工事現場があってうるさいものの、眼下にひろがる田園風景と、彼方には大河川の堤防がまるで長城のように横たわっているのが見えるので、とても見晴らしがいい。しかも小春日和だから、気持が良くてなにやら夢の世界にいるようである。
…うーん…でも、
 いつも見なれた風景なのに新鮮に感じるのは何故だろう?視線が変わるとはこんなに違うものだろうか、と思ってしまう。
…圭一が「ご満悦」になる気もわかるような気がするわ…うふふ。 
 そう考えると、小さくなることも満更悪くないな、という気持ちになってきた。
…さっきは圭一に対して言いすぎたかしら?よく考えたら、彼の意思でどうなるものでもないし… 元に戻ったら、言い過ぎた、って素直に謝ろう…
 ということを考えながら景色を眺めていたそんな時である。
 突然外から突風が吹いてきたのだ。
 その勢いに、私は思わず手で顔を覆ったのだが… 風にあおられたカーテンが、突如私を襲ったのである。
…こんなこと、どうして想像できるの! 普通の体なら何でもないカーテンも、小人にとっては巨大な帆布に等しいなんて。
 まるで幽霊のように襲いかかるカーテンを前にして、咄嗟にしがみついたのだが、小人の体では押さえることもできない。たちまち一緒にあおられてしまったのだった。
 巨大な布は、まるで時化のように揺れて私を放り出そうとする。
 私は必死でパニックを抑えながら、声を限りにして助けを呼ぶしかなかった。
 
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

…あれ?今、俺の名を呼ぶ声が聞こえたようだが…
 その声になんとなく不吉な兆候を感じ取ったので、慌ててシャツのボタンを留めなおし、立ちあがると居間に急行した。すると、部屋に風が入りこんでカーテンが大きく膨らんでいるではないか!しかも、小物入れには小人がいない。
「ここよー!ここにいるわー!」
 声の出所を必死で探すと、「圭一」がカーテンに引っかかっているではないか!?
「!!」
 それを見て、一瞬体がこわばってしまったが、全く運が悪いことに一陣の突風が吹き込んで、「圭一」はカーテンから吹き飛ばされてしまったのだった。
 くるくると宙を舞う小人を見て咄嗟に駆けだす。

「美紀ぃ!」

 その後、どのような行動をとったか覚えていない。
 ただ、気が付くと俺はスライディングしたように座りこみ、スカートの上に「圭一」が横たわっていたのだった。どうやら、小人は偶然にもスカートの上に落ちてくれたようである。それが救助網の役割を果たして、落下の衝撃を和らげてくれたらしい。
 でも、そのようなことはどうでもよかった。慌てて「圭一」を救い上げると、顔をよせて慎重に観察する。
…うん、外傷も無いし、首も四肢も変にねじれていない。大丈夫だ。
 ようやく安心したので、小人を揺らさぬよう慎重にキッチンへ移って冷蔵庫を開き、冷凍室から霜の粉末を取り出すと、箸の先につけて小人の顔に少しづつ降りかけたのだった。
…俺が「圭一」を介抱するっていうのも何か変だな。
 おもわずそんな思いを抱いてしまう。
「ううん…」
 やがて、「圭一」は意識を取り戻したらしく、小刻みに震えた感触が手に伝わってきた。
…よかった。
 そう思いながら、あらためて「圭一」を眺める。
「…」
 よく見ると、「彼」は手のひらに横たわっているが、その背丈は「美紀子」の小指程度しかないのだ。そのとき、あらためて「圭一」があまりにも小さく軽いことに気付いて、愕然としてしまった。
…縮小した俺って、こんなにちっちゃいのか。
 突然、脳裏に困った表情で俺をにらむ大きな美紀子の顔が浮かび上がってくる。
…この体だと、美紀子の助け無しでは本当に何もできないんだ…。だから彼女も、はらはらしながら何かと気遣っているんだな…。
 そう思って小人を見ていると、思わず抱きしめたくなるような気持が溢れてきたのだった。



 気が付いて上半身を起こすと、目の前にはにっこりと微笑む「美紀子」の顔がある。
 しばらくの間、訳がわからず呆然とそれを見つめていたのだが、ようやくカーテンから吹き飛ばされるまでの記憶が甦り、同時に、間一髪で助けてもらったことに気づいた。
 すると、急にあたたかい気持ちが湧いてきて、それが胸一杯に広がっていく。
…そうか。圭ちゃんはいつもこんな感じで、私を見ているのね。
 そのとき、「美紀子」の手のひらに体を横たえていることに気付いて、あらためて周りを眺めてしまう。すると、畳6畳ほどの窪んだ空間にぽつりと横臥しているのである。これが私の手のひらとは、到底信じられない光景であり、あらためて「美紀子」があまりにも大きいことに気付いたのだった。
…圭一にとって、私はこんなに大きな存在なんだ…
 そう思いながらぼんやりしていたら、突然「美紀子」が声をかけてきた。
「気が付いたようだね、『圭ちゃん』」
…圭一のヤツ、この期に及んでまだ私の口真似をするのね。
 そう思うと、私も最後まで「圭一」を演じたくなってきた。
「助けてくれたのね…ありがとう『美紀子』」
 そう言って立ちあがり、「美紀子」の顔をじっと見つめたが、徐々にこみ上げて来る笑いを押さえきれなくなってくる。
「ふふ・…もうやめましょ、圭ちゃん」
「ン…そうだな。美紀の声とはいえ、どうも歯が浮きそうな言いまわしは気持ち悪い。もうやめよ」
 そう言うと、「美紀子」の顔はにこりと微笑む。
 それにつられて、とうとう私もくすくすと笑ってしまった。

 すると、その時・…
…なんだろう?この感触は!
 指輪をはめた手が急に熱を帯びてくる。びっくりした私は咄嗟に手を押さえて屈みこんでしまう。
「どうした?気分が悪いのか?」
「違うの…指輪が…結婚指輪が」
「熱くなったか!」
「…うん」
「そうか。待ってろ、もうすぐだ」 
 「美紀子」は急いで居間に向かい、畳の上に私を置いて、後ずさりをはじめる。その直後、弾けるような感触が全身を駆け巡り、ふわっと水に浮ぶような衝撃が襲ったのである。

 気が付くと、周りの景色は、いつもの見なれた部屋に戻っていた。

 しばらくぼんやりしていたが、突然肩を叩かれたのでびっくりして振り向く。すると、そこにはにっこりと笑った「美紀子」が立っていた。
「元の大きさに戻ったのね!」
 ようやく、適当な言葉を見つけて話すと、「美紀子」はしっかりとうなづいてからゆっくりと語りかけたのだった。
「そうだよ。でもこれから始まるんだ、僕達が元に戻る試練は…」 


―4―

「うーん、やっぱり自分の体が一番いいわ!」
 美紀子は鏡台の前で思いきり背伸びをすると、鏡を見ながらくるくると回り始める。
 幸いなことに、再び魔法が発動する瞬間に指輪を握り締めたやりかたが正しかったようで、意識と体は再び同一人物のもとに戻ったのだった。俺は、炬燵の上で胡座をかき、そんな美紀子を眺めつづけた。
…やっぱり、この視線が一番いいや。
 しばらくして、彼女はこちらにやってくると、両膝そろえてその場に座り、ちょっと真面目な顔をして俺を見つめる。
「圭ちゃん」
「ん?なんだい」
「私も小さくなった体験をしてわかったわ」
「…そうか」
 美紀子の目が少し険しくなる。
「小さくなると、危険なことがいっぱいあるのね」
「ん?…うん」
 しかしそのあと、手を組んで顎を乗せ、遠くを見つめるような表情をしてぽつりと言う。
「でも、小さくなって眺めた情景…あれはとてもよかった・・・」
 そして、かすかに微笑んだのだった。
「…美紀…」
 だが、たちまち姿勢を正して俺を見つめると、裁判官のような態度で「判決」を下した。
「…とにかく、圭ちゃんが小さくなったときは、お互いに細心の注意を払うこと。仕方ないけど、今後もこのままでいきましょう」
…おやおや、お説教の時に比べてずいぶん譲歩したな
 と、内心苦笑してしまう。
「ありがと…しかし、俺も得難い経験をしたよ」
「何が?」
「美紀が、魔法にかかった俺に対して、どれほど気を使っているか、ということがわかった…」
「…ありがとう。その言葉を聞いただけでも嬉しい…」
 そう言うと、美紀子は飛びきりの笑顔を見せてくれたのである。



…でもね、圭ちゃん。けじめはつけましょうね。
 そう心で呟いた後、私は再び真面目な顔になって彼を見つめた。圭一も状況の変化に気づいたのか、徐々にその表情が変わっていく。
「圭ちゃんに、ちょっとたずねたいことがあるの」
「…なんだい?」
「今、気が付いたのだけど、私のシャツのボタン、どうして掛け違っているのかしら?」
「!…そ、そうだね…どうしたのだろう…」
「それと、もう一つ。…ブラジャーのとめ方がおかしいのだけど、どういうこと?」
 そう言いながら、身を乗り出して圭一を睨みつけた。
 すると、圭一は傍目から見てもおかしいほど狼狽して、その場で正座をすると急に頭を下げて謝りはじめたのだ。
「ご…ごめんなさい!ほんの出来心なんです!で、でも見ただけ!決して弄っていません!」
…やっぱりそうか。私の知らないところでトップレスを「観賞」していたのね…。
 本当は、異常事態の最中に命を助けてもらったし、まぁ見たのは彼だから仕方ないな、という気持ちで、あまり怒りも湧いていないけれど、今後のためにケジメはつけなければならない。
…さあて、どうやって懲らしめてやろうか。
 と、考えながら、彼を掴もうとしたそのとき…。ふと、自分の手のひらをじっと見てしまう。
…そういえば、ついさっき、この手で助けてもらったのね。
 そのときの情景が脳裏に浮かぶと、わずかな怒りも消えてしまった。
…仕方ないな…。
 結局、ゆっくりと立ちあがって、人差し指で圭一の頭の上をそっと触れながら、彼に向かってちょっと怒った声で罰を言い渡す。
「その姿勢で、しばらく反省していなさい」
 そして、彼に気付かれないように微笑むと、5分後にはもどって許してあげよう、と考えながら、静かに隣室へ移ったのである。

                        第7話 おしまい




-おまけ-

この話はフィクションです。実在する人物・団体・出来事とは一切関係ありません。

 小さな冒険 

            作 モア

        「炬 燵」             1999/12/10 Ver1.1

 行儀が悪いとは言いながら、炬燵でごろりと横になるのは気持ちがいい。こうなると、大抵は根が生えたように動かなくなってしまう。ご多分に漏れず、美紀子も炬燵にすっぽりと潜りこみ、惰眠をむさぼりながら休日のひと時をすごしていた。
 すると、いきなり炬燵の中が涼しくなりはじめる。
…熱が逃げてる
 そう思って振り向くと、先ほどまでいたはずの圭一が見当たらない。
「炬燵から出るときは布団をおろしてよ」
 ぶつぶつ言いながら、ドーム状になった布団を押さえようとすると、突如布団から狼狽した声が聞こえてくる。
「わー、まてまて!まだいるぞ!」
「!」
 そっと掛布団の中を覗いてみると、そこには小さくなった圭一が必死の形相で見上げているのだ。美紀子は、ちょっと不機嫌な表情で彼を見下ろす。
「寒いわよ、潰されたくなかったら早く出なさい」
「ごめんごめん」
 彼がそう言って炬燵から出て行くのを確認すると、急いで布団を押さえつけてもとに戻す。
…おかげで炬燵が冷えたじゃないの
 内心大不満の美紀子は、再びごろりと寝転ぶと、再びうとうとしていたが、やがて圭一がとぼとぼとやってきた。
「おーい、寒いから暖めてくれよ」
「…」
 寝たふりをして黙っていた美紀子だが、ふと、いたずらを思いつくと、目を開いてにこりと微笑む。
「ちょうど良かった、あそこに転がったみかんを取ってきて」
 と言って、畳の上に転がっているみかんを指差す。
「美紀が行けよ」
「出たら寒いもの」
「俺も同じだ」
「今は炬燵から出ているじゃない。『立ってる者は小人でも使え』よ」
 美紀子の言い草に、むっとする圭一。
「…それに無理だよ、あんな大きい物を運べなんて」
「体を動かしたら暖かくなるわよ」
「い・や・だ」
 意地を張る圭一に、少し気分を害した美紀子は、意地悪そうに微笑んで睨みつける。
「じゃ、今度から高いところにある物、取ってあげない」
「…」
…やっぱり、巨人にはかなわない…。結局小さいほうが負けるんだよな
「…わかりました」
 結局、圭一は、ため息をつきつつみかんに歩み寄って、厄介物を動かし始めたのだった。
 ただのみかんも、今の彼にとっては背丈よりも大きい塊だ。ツヤツヤとした橙色の球を相手にして押したり蹴ったり、まるで運動会の玉転がしのように、駆け回ってはみかんを少しづつ動かしている。
「圭ちゃんがんばれ」
 半目を開けて見物しながら、口だけ応援する美紀子。しかし圭一は、憮然とした表情で彼女を一瞥しただけで、黙々と仕事をこなしている。
…でも、もう少しだ
 「ゴール」を目前にして最後の力を振り絞る。
 ところがどうしたのだろう、みかんが突然前に進まなくなってしまった。
…何故なんだ? 畳の縁に乗り上げたかな。
 不思議に思って、首を伸ばして前方を見つめる。
「あーっ!!」
 すると、寝転んだ美紀子が手を伸ばし、人差し指でみかんを抑えてるではないか。
「こ・こら!」
 と、怒鳴ったとたん、手前にあったみかんがふっと消えてしまう。力あまって前のめりになる圭一。
 ようやく姿勢を建て直し、天を仰ぐと、そこにはみかんをひょいと摘み上げた美紀子が、いたずらぽっく笑って見下ろしている。
「おい、俺をからかったな!」
「うふふ、あんまり大変そうだったから、助けてあげたのよ」
 ぷりぷり怒る圭一を、美紀子はなだめるように拾い上げ、炬燵のうえにそっと下ろす。しかし、彼はどっかと胡座をかき、むくれた顔で抗議する。
「こっちは必死で運んだというのに、その態度はあんまりだぞ!」
 
「ごめんごめん。退屈していたから、ちょっと遊んでみただけ」
 彼女は軽く謝ると、先ほどのみかんを圭一の前に置いた。
「さ、これで機嫌をなおして」
 そう言って、みかんのへそに指を入れる。
 すると、たちまち柑橘類の芳香が部屋中に漂った。そして、綺麗に皮をむくと一房ちぎり、夏みかんのように袋を開いて、そこから胞嚢を一粒取り出す。
「はいどうぞ」
「ん・・・うん」
 それを両手で抱えた圭一は、尖った端部をかみちぎり、なかの甘い液体を飲み始めたのだった。
 圭一の食べ姿を見ながら、美紀子も一房口に放り込むと、果汁が口の中いっぱいに広がっていく。
「冷た・・」
 その時、ジュースを飲みながら美紀子を見ていた圭一が、ちょいとおどけて語りかけたのだ。
「美紀子の食べ方豪快だな…」
「何言うの? 私が普通。あなたが小さすぎるのよ」
 口から袋を出して皮に置くと、にっこり笑って答える美紀子。さっきの騒動など、まるで無かったかような和やかさだ。

 長い間炬燵に篭っていると頭が重くなって喉が渇いてくる。そんなときに食べるみかんは、二人の気持と喉を爽やかに潤したのだった。

                     おしまい