この話はフィクションです。実在する人物・団体・出来事とは一切関係ありません。


 小さな冒険 その12

            作 モア

     「夕闇せまるオフィスにて」 2000/05/20 Ver1.0

 茜色の空が、見る間に薄紫色へ変わっていき、街の灯の輝きが徐々に増してくる。梅雨の合間の貴重な晴天は、こうして終わりを告げようとしていた。しかし、天気の事など今の俺にはあまり関係はない。
…ええーと、単価表の10頁・…と。
 なぜなら、俺以外人っ子一人いないオフィスで、ディスプレーを睨みつつ見積書の積算を続けているからだ。例の一件以来(第 話参照)、ようやく営業に復帰したのだが、何分、お客様相手の仕事なので、再び生活が不規則になってきたのだった。
おかげで、美紀子との生活もすれ違い続きで、最近ギクシャクしている。
 あいつも、この数日は俺に隠れて何か企んでいるので、なおさら家庭は険悪な雰囲気なのである。 
 そんな家で休日を過ごしているより、会社に出たほうがまだマシ…というわけで、理由をつけて休日出勤をしているわけだ。どうせ使えない「振替休」がたまるだけだが、精神衛生上このほうがよほどマシである。

 しばらくすると、目が疲れてきたので、省電力キーを押したあと背もたれに体重をかけて天井を仰ぎ、すっかりさめてしまったコーヒーを口に含んだ。しかし、白い天井にはどんよりとした空気の塊が浮んでいるように見える。

…やっぱり、家にいて美紀子と話し合ったほうが良かったかな。

 「仕事」という名の逃避行為に後ろめたさを感じた俺は、ふとそんなことを思ってしまったが、今更後には引けないし、そんなことを素直に聞く美紀子でもない。
…こりゃ当分、気の休まる日は無しだね…。
 そう考えて少しため息をつくと、マグカップを机の端に置き、体をほぐすために椅子から立ちあがろうとしたときである。
結婚指輪が発熱して、魔法が発動してしまったのだ。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 気が付くと、俺は床に倒れていた。すぐに立ち上がろうとしたが、右足の痛みに思わず声をあげてしまう。どうも縮小の際、椅子に体を引っかけたので、足をくじいてしまったらしい。
…しまったなぁ。人がいないのは幸いなのだが…
 助けてくれる者もいないわけで、もとの体にもどるまではこの姿で我慢しなければならないようだ。
 仕方なく横座りの姿勢になると、痛む足に手を当てて助けを求めるように天を仰ぐ。しかし、そこには摩天楼のようにそびえる椅子と机、そして縁ぎりぎりに置かれたマグカップが見えるだけである。
…あのマグカップ、すわりが悪いな。下手すると落ちてくるぞ。
 ところが、運の悪いときには不幸が重なるものである。
 マグカップにも意識があるのだろうか。まるで俺の不安を見透かすかのように、ぐらりと傾いたかと思うと床めがけてまっ逆様に落下をはじめたのだった。
「うわぁ!」
 体の自由が利かないので、襲いかかる被害を少しでも食い止めようと俺はそのままうつ伏せになった。

 がちゃん!

 物が砕け散る凄まじい音が耳に飛び込み、液体や破片が体をかすめて飛び散っていく。
「ぐっ!!」
 その直後に、横腹や太股に殴られたような痛撃が連続して走り、口の中に生理塩水の味が広がってきた。どうも、破片の直撃を受けたらしい。苦痛でもだえたあと、はっと目を開けたが、幸いな事に出血は無いようである。
 しかし、満身創痍の状態で身動きが取れなくなった俺は、情けない気持ちになって再び床に突っ伏してしまったのだった。
なんとか動き出そうと身をよじるが、骨や筋肉に激痛が走るばかりである。
…こんどばかりはヤバイぞ、このまま俺は死んでしまうのか?
 急に恐怖感が襲ってくる。
…死にたくない…死にたくない!
 ついに感情の制御ができなくなって、自己の意思とはかかわりなくボロボロと涙がこぼれてくる。
…畜生、小さくなってこんなに惨めな気持ちになったのは初めてだ。
「美紀子…」
 俺は、無意識に彼女の名前を呼んでいたようだ。まさか来るはずは無いと思いながら、何故か頭に浮ぶのは彼女の事ばかりだった。

するとその時…
 ドアの開く音がしたかとおもうと、規則正しい振動が徐々に迫ってくる。
…しまった!誰かくる。
 俺は、咄嗟に隠れようと体を起こすが、痛みのあまりうめき声をあげてしまう。
…ついに、この体を他人にさらしてしまうのか…。いや、気づかずに踏み潰されてしまうのかもしれない。
 そう思いながら、顔だけは衝撃の響く方向を見つめる。
 振動と衝撃は徐々に大きくなり、やがて耐えられないばかりの状態になったときである。机の脇から巨大な脚がにゅっと現れたかと思うと、それは凄まじい音をたてて床を踏みしめたのだった。
…ハイヒール!? すると女性か…
 目の前には、巨大なハイヒールが一組、重量感を発散しながら鎮座している。やがて、それはゆっくりと動き出し、俺につま先を向け始めたのだった。
…あれ?何か以前見たような光景だな。
 恐怖感で萎縮しながらも、心の片隅にそんな気持ちがぽっかりと浮びあがる。しかしその直後、俺は心臓が止まらんばかりに驚いてしまった!
「きゃああああぁ!!」
 女性の凄まじい叫び声が響き渡った。ビックリして天井をみあげると、巨大な女性が立ちはだかり俺を見下ろしているのだ!
 しかし、その姿を見て俺はほっとする。何故なら、それは見慣れた美紀子の巨体だったからだ。
…なんだ、美紀だったのか。でも、どうしてここに来たんだろう・…まあいい、これで俺は助かったんだ・…
「圭ちゃん!」
 そんな声が遠くから聞こえ、そのあと美紀子は屈みこんだようだが、おれは体一杯に安堵感が広がったのを感じた直後に、すーっと意識を失ったようだった。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

「圭ちゃん…圭ちゃん」
 遠くで俺を呼ぶ声がする。
「ううん」
 ようやく意識がもどり、うっすらと目を開けると、そこには彼女の顔が視界一杯に広がっていた。体全体に温かい人肌の感触が伝わるので、どうも手の中で目が覚めたらしい。
「よかった…無事だったのね」
 彼女の目がやさしげに微笑んでいる。それを見ると、今までの気まずい雰囲気などいっぺんに吹き飛んでしまった。礼を言おうと置きあがるが、体に痛みが走りふたたびうつぶせてしまう。
「いたた…」
「無理しないで。動かないほうがいいわよ…」
 その言葉に甘えて、仰向けに寝たまま美紀子を見つめた。
「…ありがとう…」
「どういたしまして」
 にっこりと笑う彼女。
 その顔を見るともう耐えられなくなってきた。俺は、噴き出すように今までの気まずい気持ちを吐き出して頭を下げる。
 すると彼女は、その表情でゆっくりうなづき、ひとこと、私も意地をはってごめんなさい、と言ったのだった。

「でも、どうして会社にきたのだい?」
「…そろそろ、よりをもどしたかったのと…」
 突然、彼女は口をつぐみ、はにかんだような表情になった。
「いままで黙っていてごめんなさい。ぬか喜びさせたくなかったから…」
「???。どういうことだい」
「実は、病院の帰り道にここへ寄ったの」
「!…どこか体が悪いのか!?」
 自分のことを忘れて、おもわず彼女の容態を気遣ってしまう。しかし、彼女はにこりと微笑んだことから、杞憂だったらしい。
「…圭ちゃん…いえ、圭一さんは、『お父さん』になるのよ…」
…。
…!。
…!!!。
俺が父親…。

「つまり、できたのか\(^0^)/!」

 彼女はしっかりとうなずいた。
「ええ。来年の春、赤ちゃんが生まれるわ」
…そうか。だから、美紀子はこのところ妙にこそこそしていたんだ…でもそんなことはいい、でかした!
 俺は痛む体も忘れて置きあがると、彼女の口元にまで寄せるよう手招きして、その大きな唇に何度も接吻したのだった。
「圭ちゃん。顔が口紅で染まっているわ。もうやめてよ」
 幾分困惑した表情で彼女はそう言う。あっと気付いて、頬に手を当てると手のひらが紅色に染まっていた。
…たしかにそうだな、じゃ、最後にもう一つのワガママを言ってやろう。
「お願いだ、お腹のそばまで手を下してほしい」
「?…何で?」
「赤ちゃんの音を聞きたい」
 途端にふきだす彼女
「まだ、3ヶ月なのよ。わかるわけないじゃない」
「・…」
 思わぬ無知をさらけ出したが、このまま素直に従うのもみすぼらしい。
「それでもいい!下してくれ」
「はいはい」
 俺の意地っ張りに内心苦笑しているだろう。しかし彼女は、ゆっくりと膝の上に手を下し、腹へすこし押しつけてくれた。痛む体を引きずりつつ、彼女の服を掴んだ俺は、片方の耳を当てて目をつぶったのだった。

 無論、彼女の体温がじんわりと伝わるだけで、胎児の音など聞こえるはずがない。しかし、それでもよかった。いずれ飽きるほど聞く事ができるのだから。

 ところがである。
 突如凄まじい重低音が俺の耳に飛び込み、びっくりして耳を離してしまったのだ。とっさに天を仰ぐと、真っ赤に頬を染めた美紀子の顔が見下ろしている。
「…ごめんなさい、今のは私のお腹の音…」
 一瞬お互いの目が合ってしまうと、とたんに笑い声が吹き出てしまった。しかし、俺は笑うたびに体がきしんでくる。
「よし、今日はお祝いだ。帰りに何か食べて帰ろうか。美紀の好きな中華料理でもどう?」
 しかし、美紀子はとんでもない、という顔をする。
「何言ってるの!圭ちゃん。怪我した体じゃ、元にもどっても無理よ。ひとまず家に帰りましょ」
 やがて、何処から三角巾を探し出した美紀子は、左手をつって安定させたあと、俺をハンカチでそっと包み、それを左手に乗せてくれた。
「指輪が熱くなったら、すぐ知らせてね」
 こうして、彼女は家路についたのだった。

 しかし、不思議なものである。この部屋で、GTSと勘違いしたことから美紀子との付き合いがはじまり、やがて結婚して、今日は、本当に大きな美紀子に助けてもらってから、子どもができた話を聞くとはね…。何やら節目ごとにこの部屋が舞台になったみたいだな。

…怪我が治ったら、お祝いに二人でご飯でも食べに行こう。お祝いと仲直りもかねて。
 小刻みに揺れるハンカチの中で寝転びながら、ふとそんな考えが浮かんだのだった。


                   第12話 おしまい



-おまけ-

この話はフィクションです。実在する人物・団体・出来事とは一切関係ありません。





 小さな冒険

            作 モア

     「焚 火」      2000/01/20 Ver1.0


 季節は、はや如月である。
 美紀子が近所の農家から借りている一畝の家庭菜園も、最後の収穫が終わって閑散となっている。そこで、休日を利用して残った藁屑や屑野菜を集めて焼却することにした。
 しばらくして、うずたかく集まったゴミを前に、美紀子はゆっくりと屈みこみ、ライターで火をつける。
 すると、たちまち火が回り、白い煙が立ち昇りはじめた。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-

「…まるで山火事だな」
 彼女の足元で、圭一は驚きの声をあげる。美紀子の手伝いをするつもりで菜園にきたのだが、またもや小さくなってしまったのだった。しかし、それでも枯葉や藁屑を引きずって作業を手伝ったので、少しばかり疲れたのだろうか。美紀子のガーデニングブーツにもたれかかり、肩で息をしながら座り込んでいる。
 
「圭ちゃんにとってはそうかもね。だから近づいちゃいけないわよ。危ないから…」
「…」
 しかし、そんな事をいわれて、おとなしくしているような圭一ではない。彼は、疲れた体を奮い立て、藁屑を槍のように担いで美紀子を見上げる。
「大丈夫だよ。まだここにゴミがあるから放り込もう」
「…だめだって」
 たちまち圭一の頭上が薄暗くなり、その行く手にほこりが舞う。気が付くと、目の前にはブーツの「山」が鎮座しているのだった。
…こんなもので、俺を遮ろうとするのかよ
 それを見て意地になった圭一は、ちらりと美紀子を仰ぎ見ると、いきなり取りかかりの無いブーツにしがみつき、苦労して一山越えてしまったのだ。そして、ずんずんと火に歩み寄ったのである。
「…もう、意地っ張り」
「♪~」
 あきれた美紀子の声を背に聞いて、彼は焚き火の裾で立ち止まった。
…しかし、すさまじい熱気だな
 中央部で立ち上るオレンジ色の炎と輻射熱は容赦なく小人を襲うが、よく見ると、焚き火の縁部は既に灰となり、ちろちろと赤い火影が見えるだけである。しばらくの間それを見ていた彼は、1本の藁屑を放り投げると、熱いのを我慢して普通の大きさの時のように体を火にかざしはじめた。
「ちちち…」
 しかし、小人にとって普通の焚火は熱すぎる。そこで圭一は、毛糸の帽子をマスクのようにかぶり直してやせ我慢を続けたのだった。
 その姿を見た美紀子は、口を抑えて笑いだす。
「ふふ・・・まるで覆面強盗みたい」
「・・・」
 その時である。 
「?」
 彼は焚き火の中に何かを見つけたらしく、姿勢を屈めてさらに焚き火へ歩み寄り始めた。
 すると…

 ぱちん

 突如として木がはぜて、その拍子に灰が雪崩のごとく崩壊しはじめたのである。
「!」
 あっという間に生き埋めになる圭一。
「圭ちゃん!」
 その様子を見て驚き慌てた美紀子は、圭一が埋もれた灰に向かって即座に指を突っ込む。
「っ!」
 たちまち彼女の指に激痛が走るが、必死のあまり熱さを忘れて灰をかき回し圭一を引きずり出した。そして、反対の手にそっと乗せて胸元まで引き寄せ、そっと様子を伺う。
 しかし、掌中には灰白色の小人がピクリともせず横たわるばかり…。
「け…圭ちゃん、しっかりして。ねぇ、気がついてよ!」
 必死に呼びかける彼女の声は、後悔の念がつのるのか、急に湿りを帯びてきた。
 ところが…
 圭一はむくりと起き上がって、体中にまみれた灰を「ぽんぽん」とはたき始めたのである。
…よかった。
 思わず、美紀子の表情が緩んでいく。
 よく見ると、厚着をしたうえに顔を隠していたおかげで、幸いにも圭一は手足の軽いやけどで済んだようである
 彼は、衣服についた灰を黙って落とし、帽子を脱いでちょっと眺めたあと、美紀子を見上げてにやりと笑う。
「あーあ、毛糸の帽子が縮れちゃった」
 そして、残念そうな声をあげたのである。
「!」
 熱さと安堵で涙ぐんだ美紀子だが、圭一ののんきな声を聞くと無性に腹が立ってくる。
…こいつ…!
 たちまち、突然五本の指がぐらりと傾き、圭一の頭上に襲いかかってきたのだ。
「わぁ!」
 逃げる間もなく、彼は手の中に閉じ込められてしまった。
「おおい!ここから出せ」
 美紀子の行為に抗議して、手の中で必死にあばれる圭一だが、それでも美紀子は知らん顔。
「あなたは危うく大やけどするところだったのよ! そこでしばらく反省していなさい」
「…」
 彼女の最もな言い分に仕方なく沈黙していた圭一だが、暫しの沈黙の後、手の中から小さな声が聞こえてくる。
「ねえ美紀子…」
「何よ」
「実は、灰が崩れてくる前に、焚火の中からアルミホイルで包んだものを見たのだが」
「!…そう?…」
「まさか、一人で楽しむんじゃないだろうな」
「…」
「…食い物の恨みは恐ろしいぞ」
 そう言って、手の中でもぞもぞと動き始める。
「…わかりました」
 観念した美紀子は、そこへ横膝で座り込んで手を下ろし、圭一をそっとひざの上に下ろすと、焚き火の中からアルミホイルの包みを取り出した。
「俺は小さくなっているから、少しでいいよ」
「当たり前よ、ホントは私の物なんだから…つ痛ぅ!」
 そう言いながら2つに割って、そのときできた小さなかけらを、そっと圭一に手渡した。
「あちち」
 そう言いながら食べる圭一の姿を、苦笑しながら見下ろしたあと、美紀子もそれを慎重にかじる。
「美味し…」
「うん、美紀からせしめた食い物だから、美味さもひとしおだ」
「…こ・ら」
 人差し指でそっと圭一の頭を「小突いた」美紀子だったが、その後でお互いに見つめあうと、くすくすと笑い出してしまったのである。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 2月の風は、身を切るような寒さだが…
 すっかり冷えた2人の体も、焚き火で焼いた焼き芋を食べたおかげで、内からほんのりと温まったのだった。 

                      おしまい