一日……。

いや、ボクの基準からすれば、年、という単位であらわすのすらも遠いほどの時間がすぎて、ようやくラーシルの世界……。

細胞の一つから、解放された。


「えっと、はろー?クイム」


『えぇ、おはようございます。我が主……ふふ』



ラーシルから渡された相手は。

予想通り、というか、当然のことながら、四天王最後の一人。

クイーンスライムのクイムの手のひらの上であった。


真っ白な掌の上は、冷たくて、きもちがいい。


彼女は四天王の中で一番弱い。相性の差でマキ相手には優位に戦えるのだが、それでも、五分、といったところだ。

そして、正直に言えば一番厄介な相手ともいえる。


……なぜならば彼女の生まれ。

それは、ボクと、メイシアそのものだからだ。


いや、正確には違う。

人格の継承はおろか、なにか特別な力を持たせた、というわけではない。



そう、だが、彼女は、間違いなくボクたちを受け継いでいた。

なにせ、ボクとメイシアの、母乳と愛液と精液の混じったもの。


それが、命を持ったのが、彼女の始まりだからだ。


つまり、素質でいえば、ただの蜥蜴であったリザ、タンポポの種から世界樹に変わったラーシル。とある博士が作ったマキ。


いうなれば、彼女たちは生まれ自体は特別なものではない。

しいて言うなら、ボクにかかわったことこそが、今の彼女たちを作り出したといっても過言ではない。


けれど、この子だけはちがう。

なにせ、生まれからしてボクたちそのものであるのだ。


『さぁて、ノア様。わたくしと何をして遊びましょうかぁ』


ずり、ずりと、床をはいずりながら、ボクに語り掛けてくる、クイム。


『えぇ、わたくし、ずーっと、みておりましたよ?
リザの乳腺、気持ちよかったでしょう?わたくしも潜り込んでみましたが、あの子の母乳は、天下一、いえ、ノア様の味には及びませんが。

それでも、全ての母になるのにふさわしいでしょう』


たしかに、あの母乳は、それこそ頭を可笑しくされそうなほどおいしかった。

……いや、時間の概念が吹き飛んでしまうほどには、可笑しくされちゃったけれど。


『マキの責め苦は、どうでしたか?えぇ、あの子は元々、人類だけとはいえ、機械による支配のための存在です。

あぁいうのは得意でしょう……ふふ……。おびえているノア様の姿は、とてもよかったですよ』


反芻されると、恥ずかしい。

なにせ、自分の部下に虐められ、辱められている姿を、見ていたと、堂々と宣言されているのだから、当然なんだけれど。


『そして、ラーシルによる、飼い殺し。

自分の部下、いえ、ペットだったものの世界にとらわれるのは、どうでしたか?』


捕らわれる、ある意味では、マキの時以上に支配をされていたかもしれない。

なにせ、自分の存在する空間全てを、彼女一人に賄われたのだ。

他の誰にも、干渉できない空間という意味なんだから、本当の意味で支配。飼い殺しだろう。


「……それで、クイムはなにをする気?」


『えぇ、そうですねぇ……、ここまでは、ノア様を、みな、ノア様として待遇しておりましたぁ。

わかるでしょう?大事にされる。心地よいでしょう?守られることは。

えぇ、えぇ、とても、気持ちのいいものだと思います』


ですので、と、区切り、にんまりと、口元に、怪しい笑みを浮かべる。


『えぇ、わたくしはあえて。ものとして。貴女様を食らいましょう』


「……喰らう?」


『ふふ、えぇ、わかりませんか?お口にいれて、あーんとする、あれです』


「い、いや、わか、るけど」


スライムの捕食、といえば、消化に重きをおく。

胎内にとらえ、肉体を、徐々に栄養に変えていく。


きっと、凄惨なことになるだろうことは、予測ができるが、それでも、他の三名に比べたらマシといわざるを得ない。

全てが一瞬だ、なんなら、唾液にすら、肉体が解けかねない。


『なんて、思っているのでしょうねぇ?まぁ、構いませんよぉ?
ほら、……後悔は先に立ちませんからぁ』


そういうと、クイムの手のひらは、一瞬にして底なしの沼に代わる。

液状化。

たとえ、自身のセル一つ未満のボクの体も、その粘着質な肉体はとらえて離さない。


『では、……リザとは別の、暖かく生ぬるく、ただ、貴女様を蕩かす世界にご案内いたしまぁす♪』


そういうと、肉体の一部が切り離され、ボクの体は真下にあるクイムの口内の中に真っ逆さま。

しかし、体が、この空間に対して、小さいからか、或いは、クイムがそういう力を働かせたのか、柔らかな舌は、ボクの体を傷つけることなく、受け止める。


あれ・・・・・・


「べた、つかない?」


『当然じゃないですかぁ、だって、わたくし、消化液がだせるんですよ?人間の姿を真似ても、仕組みを真似る必要はありません。

……ですので、そこは、ノアさまにとってただの、揺れ動く白い大地にほかなりませんわぁ』


そういいながら、喋るのに合わせて小さく人間を真似るように舌を動かせば、その上にのっているボクの体など、あっという間に跳ね上げられる。


『えぇ、ですので、まずは、わたくしの気のすむまで、口の中で、慰めものになってくださいねぇ?』


そういいながら、くちゅ、くちゅっと、口の中でボクを、楽し気に弄びながら、クイムは嗤う。

唾液こそ出ないものの、その、スライム状の柔らかな舌は、ボクにとっては世界そのもの。


ぐちょぐちょとした触感のそれは、しかし、ボクにとっては、巨大な質量をもつ怪物に違いない。

距離などでは言い表せないほどの、空間を無理やりに移動させられ、口蓋に植え付けられ、ずりずりと、ボクの体を、すりつぶすか、すりつぶすまいか、迷うように、前後させる。


そう、たったそれだけ、たったそれだけの行為。

まだ、あまがみすら受けていないというのに、小さな、いや、世界すら指先で押しつぶせるはずのこの体は、しかし、さらなる化け物へと成長した、愛液やミルクの塊のクイムの、舌先に弄ばれる。


くちゅ、くちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ。

ガムでも噛むような音、しかし、その中でボクが移動する距離は、それこそ、いままでボクが移動した距離をあっさりと超える程の距離。

それが、たかが口内という、ごく狭い範囲で、動かされてしまったのだ。


『じゃあ、次はァおなかの中にご案内しますねぇ?ムシケラノア様♪』


そう、楽しげに言うと、全く。

まったく、ためらいもなく、ごくん、と、ひとのみ。


それこそ、噛み続けた米粒を、呑み込むほどの気安さで、ごくんと、のどの奥へと、そして、その奥の胃袋へと、運ばれる。


そこは、当然、口の中などとは比べ物にならない広さ。

メイシアがボクを閉じ込めていた世界など、何億、何兆……。いや、無限に入れてもなお、有り余るほど広い。


『まぁ、ノア様の言う通り、わたくしはスライムなのでぇ、他の臓器はなくても構いませんからねぇ♪

排泄物もありませんしぃ♪』


外側から、巨大な何か……。

恐らく、クイムの手のひらが、小さく小さく、おなかを撫でる。


人間であれば、胃液があふれ出してボクの体を……。

いや、それもあり得ない。


この大きさで、胃が、ボクを、【食事】だなどと、認識するはずもない。


『えぇ~わかりますよねぇ。今のノア様の矮小さがぁ。今のノア様なんてぇ、……栄養にする価値もないんですよぉ?
栄養にする価値があるものっていうのはァ……』


ふいに、ズドン!っと、巨大な白い塊が落ちてきて、胃袋全体を揺らす。

殆どとけて、……いや、噛まれてすらいないそれは、あまりに巨大だけど……。


『ふふ・・・・・どうですかぁ?ノア様ぁ。それが、栄養にする価値がある~、メイシア様が作ってくれたケーキのひとかけらですよぉ?食べないんですかぁ?』


「た、べる」


確かに、ケーキであるのなら、食べる、それは、当然だ。

ましてや、妻の出すケーキだ、食べるのが、当たり前、だが。

食欲はわいてこない。べつに、クイムが食べたものだから、だとか、そんな理由ではない。


『くすっ、えぇ、ノア様では、たかがケーキも、食べ物として認識できませんよねぇ、だって、ケーキ・・・・・。

いえ、その上に乗っかっているショートケーキですら、世界の一つとして認識できちゃいますものねぇ。

一口分のケーキに棲めるノア様、なんて省スペースな魔王様なんでしょうかぁ♪』


くす、くすと、笑い声が胃袋全体を揺らす。

ゆっくり、ゆっくりと、胃袋から、白い液体が、僅かに、僅かにしみだしていく。


『ほらほら、逃げてくださいねぇ?ノア様ぁ。あんまり早いギブアップはつまんないですよぉ?』


胃液、いや、もはや胃液スライムとでもいうべきそれは、胃壁から落ちると、ずる、ずる、と、小さく、ボクの……いや、ケーキに群がろうと近付いてくる。


『さて、もっと逃げ場、増やしてあげますねぇ?あーん♪』


そんな逃げ惑うボクが楽しいのか、それとも、メイシアの作ったケーキが、美味しいからか。

声をワンオクターブ高くして、ショートケーキを、もう一口、もう一口と、胃袋に送り込んでくる。


そして、それらをボクはよける必要は・・・・・ない。


あまりに矮小なこの体が、ショートケーキなどに押しつぶされるなどあり得ない。


巨大すぎるケーキは、ボクの体を、押しつぶせるほど、小さくはない。

そう、生クリームにさえも、まるで巨大な穴があるようにボクからは見える。

故に必要なのは、ただ、巨大な胃液スライムから逃げること。


「アルティマフレア!!……やっぱダメか!」


攻撃も何度も試してみたが、ボクどころか、ケーキすら、覆いつくさんばかりの胃液スライムに、ボクの今の魔法など効くはずもない。

いや、これでも、世界がいくら集まろうとまとめて蒸発させる火力はあるんだけれど、それすらも、受け止められる、いや、もはやそういう言葉すらも足りないほどに、耐えられている。

傷がついてるのかすら怪しい。


『ふふ、だって、わたくしの一部ですよぉ?簡単にやられたりはしませんとも』


そう言っている間に、ケーキに押しつぶされて動きを止める胃液スライム。

ボクの本気の力よりも、ただ、ケーキの崩落のほうが威力が上、というのは、なんとも物悲しい。


『さて、どこまで、逃げ切れるか・・・・・ぁ、ノア様、上です』


「うえってな……」


忠告に従い見上げれば、間に合いそうにないほどの巨大な胃液スライム。

恐らく、今まさに胃壁から分泌された。

さっきまで動いてたのとは違い、無意識で出してしまったそれは、ボクの肉体を一変残らず、どろどろに溶かして吸収した。