それは、ごく普通の日常であった。

車が走り、若者は、スマホを手にゲームを、忙しい社会人は、今日も、あくせくと、路銀のために働きに出る。
少女たちは流行りのミルクティをSNSにあげ、婦人たちは、カフェでのんびりと過ごす。

そう、そんな日常が、これからも続くような、はずであった。

そんな日常が、非日常になったのは、まさにその一瞬であった。

大量の車が行き交う交差点。
それは、突如、そこに現れた。

黒く、長い髪。
その髪の奥から覗く、赤い瞳に、透き通るような白い肌。
纏うのは、花嫁衣装にも似た、繊細な黒のドレス。
そのドレススカートから伸びる長い手足。
整った顔立ちは、もはや、神話の女神の美しさでさえも、陳腐なものへと貶めるほどだ。

だが、その肉体は同時に、彼女がまっとうな人間ではないことを示していた。
なぜなら、その地に降り立ったその姿勢。
まるで、しゃがみこむような、その姿勢でなお、その高さはトラックよりも高い。

そして、それと同時に、その異常な大きさを見て、いや、その存在を認識した誰もが、・・・・・・、いや、それさえも、正しくはない。それが現れた瞬間、すべての存在が、すべてが終わりであると理解した。

そして、その理解は、次の瞬間疑念の余地なく、確信へと変わった。
そこは、スクランブル交差点、であれば、そこにあれば、車が触れるはずである。
だが、まさに、追突する瞬間を、人間たちは見逃してしまった。

「はぁ・・・・・・」

本来なら聞こえるはずの、けたたましいほどの、クラッシュ音。
巨体であれど、ぶつかれば、体を揺るがしかねないはずの、その音は、いつまでたっても聞こえない。

いや、それどころか、聞こえてくるのは、美しき彼女が、たった一呼吸。
ため息にすら満たない、口から洩れた一呼吸。

それだけで、あたり一面の、金属は、錆びついた・・・・・・。
いや、もはや、錆びを通り越し、塵へと帰った。

あたりにいた人間も、また同じだ。
酸素は、毒である。人間にとっても過ぎれば、毒。
彼女の口元からもれた、わずかな酸素を、体内に取り入れた者たちは最後、一瞬にして体細胞を破壊しつくされてぼろぼろと、腐り落ちる。

さっきまで、栄えた都市部の中心であった、一帯は、ただの一息。

只の一息に含まれた超高濃度の酸素が、都市部中央の機能を粉砕した。

そこまでの大惨事を引き起こした女は、ようやく立ち上がり、あたりを見回す。
そして、周囲十数メートルの人間が死に絶えてしまったのを確認すると小さく漏らした。

「んー・・・・・・。【少し】やりすぎちゃったかな?・・・・・・うん。これくらいまで加減すれば、いいかな?力も大きさ相当以上はセーブして・・・・・・」

小さく何度か息を吐いて、確かめるように調整していく。

「うん、呼吸で意図的に滅ぼすことはできるけれど、それは別の機会に・・・・・・・」

そういいながら、彼女はゆっくりと立ち上がる。
屈んでいた体勢の時点でトラックの高さほどあった彼女の身長は、4m。
それこそちょっとした家と同程度の大きさの彼女。

魔王ノアの、魔王としての通常サイズ。
いや、正しくは、人類の前に現れるときの、基本的な大きさだ。本来の大きさなら、比較できるものなど、彼女の仲間内くらいにしか存在しない。

ゆえに小さくなった体の感覚を確かめる。

「よし、それじゃあ、始めようか。巨大化遊びを」

そういって次に彼女が転移したのは、都市部の、住宅街。
いくら、彼女が4mほどの巨大な姿をしているとはいえ、さすがに周りの建物も、彼女の姿を隠す程度の大きさ。

けれど、それは、決して小さいという意味ではない。

あくまで周囲の建物と比較しての話。

「な、なんだぁ?!」

たとえば、不幸にも、魔王の目の前に居てしまった彼と比較してしまえばどうだろうか。
男の身長は、178cm。男性としては平均よりは上程度の平凡より、わずかに上、といったところだろう。

だが、それはあくまで人間にしては、という、前置きがある。
目の前の、ノアと比べて、どうだ。

数値にして、220cm近い差。
それはすなわち、二倍以上の差があるということだ。
彼の視界は、それゆえに、ノアの纏う、繊細なレースの入った、花嫁衣裳のような黒いドレスのスカートの、半分ほどにしか届いていない。

その力の差は、彼にとっては、どうやっても計り知れない。
そんな、状態で彼が必死に振り絞った言葉に、魔王であるノアは、くすくすと笑いながら答える。

「なんだ、って言われたら、うーん。遊びに来た?君みたいな、人間で」

ただ、遊びに来ただけだ、と。
そういいながら、ノアはしゃがみ込むと、彼の太ももにゆっくりと、指先を押し当てる。
ミシ、ミシっ、と、きしむ音。いや、粉砕する音。
それが、指先を押し当てているだけで、足から響き始めているのだ。

「っ!?うわ!?な、に、して」

その音に、思わず悲鳴を上げる。
だが、もう遅い。

「いっただろう?遊びにきたんだよ、ほら、もう逃げられない」

「えっ、あ・・・・・・!?がああああああああ?!!!?!??!」

ペキリ。と、あっさりと鳴り響く、男の足の骨がへし折れる音。
力を籠めるまでもなく。小枝を摘まむような感覚で。
突然の出来事に一瞬理解できなかった男も、徐々にあふれ出す痛みから、大声で悲鳴が上がる。

「あーあ、もう、ダメだよ?そんな大きな声出しちゃうから、みんな気が付いちゃっただろう」

そういいながら、本当に仕方ないなぁっと笑う姿は、失敗した子供を見るような表情だ。
もっとも、男にとっては、楽し気にもてあそばれている以上の感情など得られないが。

「でも、ちょっと、耳障り。だまって?」

そういった次の瞬間。その一瞬で、煩いほどの雑音はやんだ。

何をしたわけではない。
ただ、ゆっくりと、顔を、踏みつけた。
言葉にしてしまえばそれだけだ。

だが、それは、あくまで言葉にしただけであればだ。
一トンを超える体重が、頭より大きな面で、ゆっくりと、一点に加わる。

そんな力が一点に加われば・・・・・いくら硬いとされる頭骨といえど、耐えきれるはずもない。

「うわぁ・・・・・やっぱり、このサイズだと汚いのが、よく見えるなぁ」

そういいながら足を持ち上げれば、ぐちゃり、とした彼の中身が靴底にこびりつく。
それを、何の感情もなく、地面へとこすりつけるように動かせばコンクリートごと砕けて、真下にある土が露出する。

「んー・・・・・・もういいや、次」

そういいながら、すでに魂の抜けた肉体を蹴り飛ばし、その場で、とん、と、跳躍する。
次に足が地面についてくるときは、先ほどとは比べ物にならないほどの莫大な質量。

40m。
サイズにすれば、住宅地にある建造物よりもはるかに大きく、特撮に出てくる怪獣ほどの大きさ。

もはや、彼女の存在が隠蔽されることなど、不可能。

「ふふ・・・・・・人類諸君、初めまして、魔王ノア。君たちの生みの親が、遊びに来たよ?歓迎の準備はいいかな?」

ずぅぅぅん・・・・・・、と、小さな地鳴りとともに降り立った魔王は、ようやく人類へと、言葉を発した。

それらは、もちろん、周囲の人間によって、撮影される。
人間の脳では、現実を正確に認識できない。

いきなり住宅地に現れた、巨大な女性。
それを、即座に現実のものだと理解把握して動けるのならば、その人間は大したものだ。

だが、現実には、そうはならなかった。
大部分のものは、呆然と、なんだろうかと周囲に確認するか、あるいは、写真を撮って、ネットにアップするだけ。

「よいしょ」

それが終わったのは、まさに次の瞬間だった。
ゆっくりと持ち上げた足を、住宅地に、下ろした。

彼女の履いている、真っ黒なブーツの大きさは、サイズ6mを超える。
まっすぐに振り下ろしたそれが、一つの家を踏み壊し、その家で暮らす命を奪うのは、想像に難くなかった。

「ふふ・・・・・・ペーパークラフトを踏みつぶしたみたいな感触だね・・・・・・なぁんの抵抗もできない。じゃあ、次は、どれを踏み潰そうかな?」

その一言で、ようやく、この住宅街の人間たち全体は、現実に追いつく。

彼女が本気だということと、それを実行できるということを。

あまりの恐怖に口から漏れ出す悲鳴。
我先にと、逃げようと走りだす。

「ふふ、遅い遅い。もっと、走らないと、おや・・・・・・」

そういいながら、地面を走る人間たちを見下ろしていると、いくらかは頭を使うもの達もいるようで、車を持ち出して、一気に人の中を走ろうとする人も出てくる。

「でも、残念。通さないよ?」

その進路を、巨大なお尻が逃亡者の乗る車ごと押しつぶす。
大きく膨らんだ臀部は、道幅には到底収まりきらず、近隣の家屋もまとめて粉砕する。

「んぅ・・・・・・もう、ちょっと、道幅小さく作りすぎじゃないかい?女の子の、お尻くらい受け止められるように作らないと、動きにくいでしょ?」

ぐり、ぐりっと、お尻を動かすたびに、メキメキと音立てて、地面が砕け、大地がえぐれる。
尻の下に消えた車のことなど、・・・・・・想像することもおぞましい。

そんな状況をみて、同じ方向に逃げようと思うものもいない。
皆、一斉に体を反転させ、反対の方向に逃げようとする。

「なんて・・・・・・、逃げられると思う?」

その声と、突如暗くなった周囲に一瞬足を止めたのが、彼らの最後であった。
ズドン、と、振り下ろされた右足のふとももにまとめて叩き潰された。

「ん・・・・・・、さすがに向こう側の子たちはにげちゃうか。じゃあ、もう一段階♪」

遠目に、反対側に逃げた人間たちを見るノア。
しかし、もちろんそれを逃がすつもりはない。

今回の遊びは、全部、殲滅する遊びなのだから。

ずずず、と、地面を引きずりながら、巨大化する。
先ほどからさらに十倍。

すでに、人間がくみ上げれる高層建築物に並ぶものはほとんどないほど巨大化した魔王は、座り込んだその姿勢のままゆっくりと、体を前に倒す。

逃げる人間たちに降りかかったのは、彼女の胸部だ。
人間サイズであっても、目を見張るほどの大きさであった彼女のソレは、それだけで小さな丘ほどの高さを誇る。

柔らかな体は、そのまま、胸をたわませながら、地面にしっかりとつく。
ぐうぅ、っと、足を開きながらやれば、前に押し出された胸が、次々に走り抜けようとした人間を、横にある住宅ごと、まとめてひき潰す。

「ほら、ほら、早く逃げないと。みーんな、ボクの胸でつぶれちゃうよ?」

もちろん。体を伸ばしきった程度で、満足などするわけもない。
大地に体をぐぅっ、っと押し付けたまま。体を前へと前進させていく。
ずり、ずり、ずり、ずりと、身を少しだけよじりながら前に進む。

それだけで、十数人が犠牲になり、次の前進でまた、何人もの命がその黒いドレスにしみこんでいく。
もっとも、それらはノアの魔力により、一瞬できれいに、跡形すらも残さずに、その存在証明を終える。

「ふふ、これで、この区画は終わりかな?」

距離にして、10km。
彼女からすれば、わずか数分体を、匍匐前進させた。

それだけのはずなのに、彼女が通った場所には、もはや何もない。
逃げれたものならいざ知らず。それ以外の、直線状にあったものはみな、彼女の真ん丸とした柔らかな乳房に押しつぶされて、地面数十メートル下へと、埋め込まれてしまった。

「さて、次はどうするかな……っと?」

次はどう人類をいじめようか、そう考えながら体を起こしていると、彼女の頬を、わずかに熱いものがポンポンっと、襲う。

「ふぅーん?ずいぶん早かったじゃないか。まぁ、そのためにわざわざ君たちの基地の近くに飛んだんだけど、さ」

軍隊がようやく戦車を用意し、歩兵たちが、隊列を組み、今奇襲の第一射を、頬に命中させた。
その、ようやく陣を整え、攻勢へと移る彼らの努力をあざ笑うように、更に体を大きくする。

「ほら、これで、千倍。君たちから見たらもっと大きいのかな?」

軍隊をすりつぶさないように、器用によけながら、巨大化する。
その大きさは、この国の霊峰をも上回る、4000mの大巨人。

そのあまりの大きさに、展開された陸に展開された軍隊はみな彼女の陰に入り、また、空に展開していたもの達は、なんとか、彼女の胸もとを虫けらのように飛ぶしかない。

「ふふ・・・・・ほら、どうしたの?攻撃、してこないの?」

四つ這いになるようにして、軍に覆いかぶさりながら、ノアは、そう問いかける。
その言葉に全員が慌てて攻撃の姿勢を取ろうとして、手が止まる。

どこに攻撃をしたらいいのか。
手に持った小銃に、目線を下ろす兵士たち。

どれだけ撃ったところで、相手に痛痒を与えられるのか。
いや、それ以前に、一体、どこまで走れば、届くのだ?

兵士たちは目線を、唯一地面と接している、手足へと向ける。

今から走って、2km。腕を狙うとしても、1.7kmはかかる。
だが、それにしても、そこまでたどり着くのに、何分かかる。

「ふふ、戦車で攻撃でもしてみたらどうかな?さっきは、少しは効いたけれど」

そうだ、戦車なら。そういう、期待の目で歩兵たちは見やり、

「まぁ、効かないし、させないけれどね」

一瞬で目の前に現れた、巨大な掌が、大きく距離を開けていたはずの戦車隊を数機ずつ、まとめて地面と一体化させる。

戦車も、随伴兵も、避難する時間などなかった。
まさに、それは、瞬きも、許されない一瞬。

それはある意味で当然であった。

手を地面に振り下ろす。

たったそれだけの行動なのだ。
一体、どれだけの猶予があろうか。

「・・・・・・・ほら、どうするの?」

先ほど、同僚を叩き潰した手を向けながら、くすり、っと笑みを浮かべる。
それだけで、攻撃手段をまともに持たない陸の軍は、発狂する。

いかに統率の取れた部隊で、訓練を積んでいたとしても、だ。
人間以上の上位種におもちゃのように消費される精神など、養えるはずもない。

逃げ出そうとするか。あるいは、手に持った小銃をむやみに放つか。
そのどちらか。

だが、どちらにしても彼らの命運は、ノアがゆっくりと地面をなでる。
たったそれだけで。一人残らず終わってしまった。

「さて、ごめんね?無視して。でも、君たちも悪いんだよ?あんなに攻撃してたのに、くすぐったくもないんだもん」

ゆっくりと、人間の陸上部隊をもてあそんだあと、ゆっくりと、胸の前を飛ぶ戦闘機に目を向ける。

しかし、それも、この国の守りのかなめの一つとは思えないほどの頼りなさだ。
黒いドレスに包まれた、山よりも大きく、重厚な重みのある彼女の爆乳と比べれば、まるでケーキの周りを飛ぶ羽虫、いや、それよりもなお小さく感じる。

それらも、無論、ただ飛び回っていたわけではない。
可能な限りの火力を振り絞り、攻撃を加える。
あるいは、なんとか陸の部隊を救出しようと決死の作戦を立てる。

だが、それらも徒労にしかならないものであった。
魔術的なものか、あるいは、単に彼女の乳房を包む下着の厚みが凄まじいのか、あれほど打ち込んだ攻撃は、彼女のドレスに、焦げ一つ残すことはできない。

逆に、ノアが、わずかに動くとそれだけで胸が大きく揺れ、胸の近くを飛んでいた戦闘機はその気流に飲まれ胸に墜落する。
そんな、虫けら未満の死に方をするなんて、と、機体内部では悲鳴があがる。

「ふふ・・・・・・さぁて、次は・・・・・・・」

次の瞬間。彼女とこの国を襲ったのは、超強力な、最新鋭の核兵器。
それが、躊躇なく何十と、彼女に降りかかった。

あまりにも急な一撃に、防ぐ暇もなく、国土とノアの体は炎に包まれる。

「・・・・・・着弾、です。しかしよかったのですか?同盟国に核を撃つなんて」

「・・・・・・・誰かがせねばならぬことだった。奴があれ以上大きくなって、我が国に攻め入りでもすれば・・・・・・」

沈痛な面持ちで、どこかの国の最高責任者は、しかし、それでも、この国の平和が保たれたのだと、安堵のため息を漏らす。

『攻め入りでもすれば、なんだって?』

だが、その安堵の一瞬を、巨大な声が、絶望へと塗り替える。

『素敵なプレゼントをありがとう、もっとも、まったく効いてないけれどね?思わず一気に大きくなっちゃったよ』

そんな軽い口調とは裏腹に。人間たちに降りかかるのはまさに絶望だ。

世界すべてに危険と、放映された彼女の姿をテレビで見ていた国民たち。
それでも、山ほどの大きさであった。

だが、今の彼女はどうだ。

10万倍。

一段飛ばしで飛び超えた倍率はあまりにも大きく。
山ほどの、などではない。

まさにこの国に連なる山脈地帯を、手のひらで窪地に変えて、こちらをのぞき込んでいる。
胸もとに実った乳房などは、容易くこの星の最大の山の記録を塗り替えるほどに巨大だ。

『さぁて、お礼はしないとね?』

ゆっくりと立ち上がり、軽く、とん、とん、っと、星を蹴って飛び跳ねる。
スキップのような、軽い足取りだが、それだけで、人類がいまだかつて経験してこなかった揺れを伴わせる。

何をするつもりだ?

だが、そんな考えをする意味はなかった。

次の瞬間、ノアは、地面を踏みしめて、大陸へと、ダイブする。
まるで、柔らかなベッドへとダイブするように。

そんな瞬きをする間しか与えられなかった彼らにできるのは、ただ、自らの神に祈りをささげることだけだった。

二秒の、わずかな滞空時間のあと、この星に襲い掛かってきたのは、今まで降り注いできたどんな隕石よりも重たい一撃。

100兆トンをこえる彼女の肉体は、地殻に致命的な一撃を与え、大陸を、抵抗の余地なく更地へと変える。

たまたま核シェルターに避難していたとしても、魔王のその一撃は、この星のどんな一撃よりも重たい。

星すらも揺らがすその一撃に。1000倍ですら徒労に終わった核の。あるいは更なる新兵器を、次々と彼女に送り込む。

各国の決死の攻撃で、わずかに残っていたかつての大陸の残滓さえも、炎の中へと包まれ消えていく。

【ふふ・・・・・・君たちも、そんなに、お礼が欲しいの?】

星がまるで恐怖を覚えるかのように、震える。
だが、星は所詮、星だ。

生き物のように、自らの意思で動くはず等、ない。
なら、一体。何が起こったというのか。

【ほら、空を見れば、わかるだろう?】

空。

その一言に、人類は、絶望を覚え、嘘であってくれと、懇願をする。
だが、それは、文字通り、青空の半分を覆いつくす黒か、あるいは肌色に否定される。

【ふぅ……一億倍♡】
妖艶に微笑む彼女の姿と比較すれば、もはや地球など、飴玉よりは、わずかに大きい程度。

彼女が、巨大化の快楽に、わずかに漏らした吐息によって、今までの地球にあった空気は一掃され、じっとりとした、甘い香りの空気が星を埋め尽くし、荒れ狂う。

かつてこの星を支配していた生き物たちが済める環境は、文字通り、魔王の吐息一つでなくなってしまった。

【さっきいけないことをした国は、このあたりかな・・・・・・?ふふ・・・・・・お仕置き】

ちろり、と、わずかに舌を這わせて、星を舐めとる。

彼女に感じるのは、ざらざらとした地面の感触と、海の塩辛さ。
もっとも、それも、舌先で、わずかに塩を舐めた程度のもの。

一度、二度、三度、四度。

残っている大陸をなめとっていけば、地球と呼ばれた青い星の面影はどこにもなく、べっとりと彼女の唾液の滴った土塊が残るだけ。

大きさも半分になり、生命は、あっという間に絶滅した。

【ふふ・・・・・もう、終わりだね。あ~・・・・・・・ん】

そうつぶやくと、魔王は小さく口を開けて、今度こそ飴玉サイズのそれを指先で口に放り込む。

口の中に染み出るわずかなだ液に、星を触れさせれば、ボロボロと崩れ落ちる。
もはやかむことすらも必要ない。水にぬれた砂糖菓子のように原型を残さず広がっていく。

そして、ゆっくりと味のしない星を、味わったのち、ゆっくりと、喉を小さく鳴らす。

40億年以上の歳月を生きた星の末路は、魔王の口の中で原型も残らずに貪られることであった。

【さて。じゃあ、十分楽しんだし】

再び始まる巨大化。

しかし。再び始まったそれは、地球のうえでの巨大化の比ではない倍率で進む。
銀河を一瞬で粉々に粉砕すると、次の瞬間にはそのまとまりである、銀河団を呼吸で吹き飛ばす。

その上も、その上も、宇宙という概念すらも、塵粒のように消し飛ばし、それらが無数にまとまった世界。そして、それらの上位の、上位の・・・・・・・いや、もはや言葉でさえ説明することのできないほどに巨大化し。

「それじゃあ、またいつか」

そして、すべては終わったのである。