● 第1話:拾われてきた小人と不機嫌なJC
「なんでこうなっちゃうの」
それを言いたいのは俺の方だと声を大にして言いたいが、そんな事が言える状況じゃないのは明らかだ。
「……まぁ、こっちも悪いんだけどさ」
自分にも非を認めているとはとても思えない声色に、俺は廊下で立たされた生徒のように、ただただ床を見つめているしかなかった。
目の前の少女は鋭い眼光で俺を睨み続けている……と思う。見ていないからわからないが、そんな圧すら感じる。
「はぁ……もういいや。あいつ呼ぶからちょっと待ってなよ」
何も言わずに俯いている俺に少女は一言吐き捨てると、グッと脚に力を込めて、立ち上がり始める。
律儀に正座し、天を向いていた左足が床に叩きつけられる。ズンという震動。バランスを崩す。
程よく肉付きの良い脚を包む紺色のソックスは、下ろし立てなのか、ほつれや汚れは見当たらなかった。
次いで右足もこれを追うように地面を蹴る。再びズンという震動。放心のまま、尻もちをついた。
そして見ることを拒絶していた光景が、否が応でも目に飛び込んでくる。
見上げた先には二本の紺色の柱と、天蓋のような何か。いや、俺はもうその正体を知っている。
俺は決して女子の家に無断で押し入り、スカートの中身を覗くような人間ではない。
これは不可抗力だ。その証拠に、俺はすぐに目線を逸らし、うつ伏せとなった。
「ねぇ」
また不機嫌な声が降り注ぐ。今までよりも温度の低い声が、余計に恐怖を誘った。
人間は本当に不機嫌になると、声を荒げるのではなく逆に静かになっていくものだという事を、俺は知っていた。
「見てたでしょ、今。私の下着。なに? 興味あるの? 変態? 変態なの? 私は変態を連れてきちゃったの?」
罵詈雑言が滝のように降り注ぐ。やはり相当機嫌が悪いようだ。
だが、この状況が変えられない限り、そんな事を言い当てても何の意味も無い。俺は無力だった。
「怒らないから言いなよ」
怒っているのは明白だ。ならば沈黙は金。嵐が過ぎ去るのを待つ。
社会の荒波に揉まれた経験が活きた筈だった。
「言わないなら怒る」
「グエェェ!」
背中にとてつもない重力がかかる。同じ人間によるのしかかりというレベルではない。
カエルのような鳴き声と共に、肺から一気に息が押し出された。
顔は床に押し付けられている。鼻を強打したようで、鼻腔内にツンとした血の匂いが広がった。
彼女の足裏の生暖かさが、俺の全身を包む。まるでサウナの中にいるような蒸し暑さだ。
ここまで理不尽な暴力を振るわれても尚、俺は抵抗する気力が出なかった。無理もない。
「今の自分の状況わかってるの? 私の足よりも小さいんだよ? 大人しく言うこと聞いてよ」
そう。今の俺は、この少女の小さな足にスッポリと埋まってしまう程小さい身体だった。
それを俺は、この倒錯的な状況においてようやく理解した。ここは少女の家、少女の部屋、フローリングの上、靴下の下。
その靴下を履いている少女は、きっと俺の何倍も大きくて、何百倍も重い。
同じ体格の人間同士ならまだしも、足の裏に埋めてしまえるほどの巨躯を前に、俺はただただ恐怖を感じていた。
脚は人間の身体の中で最も力の強い部位だ。ほんの少しだけ力を強められたら、鼻だけでは済まない。
肋骨が折れて、何か内蔵に刺さるかもしれない。頭蓋骨が割られたら、脳にダメージが入るかもしれない。
もし全体重をかけられでもしたら、ミンチになってもおかしくない。それほどの重圧が今、俺の背中に触れている。
明確な死のイメージが脳裏をよぎる。これが臨死体験というものか。話では聞いていた走馬灯など見る暇も無い。
気付いたら股間が濡れていた。失禁したようだ。自分より一回りも若い少女の前で、恥ずかしい。
いや、ここまで小さければ歳の差は関係無いだろう。そこまで矮小な存在に、もはや失って困るプライドなど無い。
「……これじゃ喋れないか、ってうわ、もしかしてお漏らし? それはちょっとマズいんじゃないの?」
解放されたかと思えば、またしても罵倒。しかも失禁に言及された。いざ言われると、やはり恥ずかしかった。
「うー、臭いなぁ」
鼻を近づけてきたらしい。声が一気に大きくなった。耳を塞いでいるのに、少女は容易く俺の抵抗を踏みにじってくる。
「てか、靴下汚れちゃったじゃん。これ今日初めて履いたんだけど、もう履けないよ。弁償してくれるかな。
いや、でも無理か。持っててもどうせこんなだもんね。まだこども銀行のお金の方が騙せるよ、あはは」
ほんの少しだけ小水の染みた靴下を脱ぎながら、それでも少女は責める事を止めなかった。
この少女はSMクラブとかそういう夜の仕事でもした事があるのだろうか。
「うわぁ、血も出てる。これはちょっとやり過ぎたかも……ごめんね……んー、でもあれは正当なお仕置きだよ。
女の子のスカート覗いた奴は女の子の足の下で禁固刑なんだから」
この緩急。
「あなたが黙ってるから私がずっと喋ってるんだよ。沈黙は好きじゃないんだけどさ、
私あまりベラベラ話すキャラでも無いし、そろそろ何か別の話題を提供してくれてもいいんじゃないの?」
まるで同じ日に日直となった、あまり話したことの無い女子との会話のようだ。
この異常な状態において、あまりにも場違いな日常チックの物言いに、俺はますます混乱した。
「ごめんなさい……」
顔を血で濡らし、股間を小水で濡らし、恥も外聞もなくなった状態で、俺が発することの出来た精一杯の言葉だった。
多分、自分で思っているよりも情けなく震えた声だったろう。
「いや、その……」
俺の醜態があまりにも哀れみを抱かせたのか、少女はその声色を少し変えた。
「悪いのはこっちなんだけどさ……」
声色に飽き足らず、態度すら軟化してきた。余程哀れに見えたらしい。涙すら出てきた。
人並みの大きさである事が自分に尊厳を与えてくれていた事を実感した。小さいという事はここまで惨めなのだ。
「そうだね。悪いのは全部小鳥だよ」
その声の主は、おそらく少女の名を呼び、彼女の責任を問うているようだった。
つまり別の声だ。来客かと思ったが、ドアの開く音は聞こえなかった。
ではどこから、という所まで考えは及ばなかった。脳まで退化したか。
「あ、来た。ちょっと、これどうするの。元に戻してよ。というかやったのあなたでしょ、私じゃない」
「いやいや、ボクはキミの願いを叶えてあげただけであって、その願い自体はキミの意志でしょ?」
「そういうのいいから早く元に戻して。私の家、ペットダメ寄りのダメなの」
「別の人間に当たったってだけで、同じ事しようとしていたじゃないか。そっちの人間ならいいのかい?」
「あの人はペットじゃないもん」
「うへぇ、こりゃ酷い詭弁だ」
呑気な会話に、俺の緊張は急速に解けていった。
その刹那、激痛が全身を走った。血が出た鼻は勿論、全身ミシミシと痛む。まるでまだ踏まれているみたいだ。
どうやら緊張が解けたせいで、感覚も戻ってきたらしい。これでまた失禁でもしたら、と思うと血の気が退いた。
「……」
いや、している。この感覚はしている。だがもうこの際関係ない。割り切ろう……。
「捨てちゃえば良かったじゃないか」
捨てる。そのシンプルかつ残酷な言葉にまたもや顔面蒼白になる。
あの場でもし自分が捨てられたら? 人通りが比較的少ないとは言え、この小さな身体で野に放たれたら?
止めてくれ、と叫ぼうとした。しかし何も言えない。
いざ冷静になり、状況が把握出来た所で下手に動けない事に変わりは無いし、声の遠さから察するに、おそらく二人とも立って話している。
体力も万全ならまだしも、満身創痍の俺の、蚊の鳴くようなか細い声が耳に届く訳も無いからだ。
俺はもはや祈りを捧げ始めた。女神のように君臨するこの少女に対し、助けてくれと懇願し始めた。
来客が捨てろと言っている以上、今俺の味方になってくれそうなのは彼女しか居ない。
そもそも、最初に自分を塵芥の如く扱ったのは彼女であるのに、今ではその彼女に縋る。
どうやら、「捨てる」という言葉が想像以上にショックだったらしい。
「流石にそれは……人間として」
あぁ、ありがとうございます、女神様。
俺のようなちっぽけな存在にも慈悲の心を与えてくださるこの少女は紛うことなき女神だ。
長い逡巡の末に導き出された彼女の答えに、俺は心の底から安堵し、感謝していた。
この緊張と緩和の繰り返しは、次第に俺の中に別の感情を芽生えさせていた。
「そうかい。まぁ人間ってそういうものなのかね」
「だから早く戻して」
「ダメだね、タダじゃ出来ないよ。さっき貰った寿命と同じ分、貰わないとダメ」
「えー、それはちょっと嫌かも……」
気にある所がいくつかあった。その中でも俺は「寿命」という単語が引っかかった。
寿命を貰うとは? さっき貰ったという事は、少女は既に寿命を捧げている? いやそもそもそんな事が可能なのか?
そんな俺の疑問も、今自分が状況置かれている状況を鑑みれば、決して絵空事ではないとする思える。
何故? そこまでして誰かの身体を小さくして、何がしたい? 彼女は一体何が望みだ?
「じゃあキミが世話を見るんだね、ボクは知らないよ。あ、でも遊んであげるくらいはいいよん」
「んー……もう10年くらいいいのかなぁ。でももう1回やるってなると、もう10年で合計30年ってのはなぁ……」
「そうするとキミ、今のお母さんくらいの歳で死んじゃうかもよ。知らないけど」
「知らんのかい。というか、本当に寿命取ってるの? 信じられない」
「取ってるよ。返してあげないよ」
「口じゃなんとでも言えるね」
30年? そんなに? この子の母親だと、大体40代半ばくらいだろう。まだまだ人生これからという時期に死ぬ?
そんな事があっていいのか。しかもこんな優しい心をもつ少女が?
「それはダメだ」
思わず声が出た。少女達に聞こえるとはとても思えない、か細い声が。
それでも俺は声を出すのを止められなかったようだ。それほどまでに、俺は得体のしれない義憤に駆られていた。
「ん? 何か言ったかい?」
声が届いた。届くわけないと思った声が呆気なく通った。
察するに、もう一人の方らしい。飄々とした雰囲気の、おそらく同じ女の子だ、彼女は耳が良いのだろう。
「寿命を渡すなんてダメだ……何が目的でも」
「うんうん。それで?」
「このままでいいから……俺は」
「盛り上がってる所悪いけど、この子も別にキミの身体を戻す為に10年寿命を渡す気はそんなに無いみたいだよ」
「というかその身体でどうやって暮らすつもりなの?」
少女も膝を折り曲げ、こちらに耳を傾けているようだ。どうやって暮らすつもりなのか。確かにそれはその通りだった。
「野良猫とかのおもちゃになっちゃうかもしれないし、自転車とかに轢かれちゃうかもしれないよ?」
「そうだねぇ。それは辛いぞ~。それよりも、ここで飼ってもらった方がいいんじゃないの」
「いや、飼うとか言ってないし……」
「でも見捨てるのも人間としてどうかと思ったから拾ってきたんだろう?」
「元はと言えば誰のせいだと……」
「はいはい、この話終わり!」
話はもう一人の子の雑な仕切りによって強制的に切り上げられたようだ。
だが、ここで手をこまぬいていても状況は何も変化しない。
最悪、このもう一人の子が俺を強引に捨てる可能性だってある。
もしそうなってしまった場合、想像の及ぶ範囲の中ですら、命の危険を感じる事しか思い浮かばない。
まず身の安全の確保。周りにはこの少女、いやそれよりも巨大な大人が闊歩している。
その大人に気付かれずに蹴り飛ばされでもしたら、ひとたまりもない。それこそ、鼻血では済まないだろう。
次に食料。こんな状態では物を買うことすら出来ない。
餓死か、最悪野良猫のおもちゃどころか食事にされかねない。猫はトラ科だった筈だから肉食だろう。
何より、一番恐れているのが妙な人間に捕まって、実験動物扱いをされる事だ。
原理は不明だが、こんな超常現象、然るべき研究機関の人間なら見逃す訳が無い。
解剖なりなんなりされるかと思うと、ゾッとする。
それならばまだ、少女に足蹴にされ、罵倒されながらも、ここに住まわせてもらった方が良い。
「お願いします……ここで匿ってください」
俺は床に向けて懇願した。
見えないにも関わらず、背中にはまたもや哀れみの目線が刺さっているようにすら感じられた。
「え? 飼ってくださいって?」
少女の声だ。俺の声は届いたらしい。最初よりも声色は重苦しくない。
どうやら少し勘違いがあるようだが、ここが押し時だ。一気に畳み掛けるしかない。
決意を固めて、俺はビーチフラッグよろしく勢いだけで立ち上がり、彼女達に対峙した。
相変わらずの存在感を放ち、眼前に君臨する少女。しゃがんでいても尚、いや逆に近いからこそより威圧感が増しているように思えた。
でもここでたじろいでいてはいけない。人間は脳を狂気で満たして、恐怖を乗り越える事が出来る生物だ。
「お願いします! ここで飼ってください!」
頭を垂れ、懇願。ひたすら懇願。ゴリ押しという言葉すら生ぬるいほどの圧倒的懇願。
「あはは、いきなり大声出したかと思ったら自らペット宣言しちゃったよこの人」
「はぁ……もういいよ……勝手にすれば? あ、でもそうだな……」
認めてくれた、と胸をなでおろしたのも束の間、少女の意地の悪い声は再びトラウマを呼び起こさせた。
「私にも悪かった所があったとは思うから、ここで飼ってあげるよ。
でも今のさ、人に物を頼む態度じゃないよね。あと、また私のスカートの中覗いたし。
だから提案。今から私の罰ゲームを受けて、それに耐えてここで住む権利をゲットするか。
今すぐここから出ていくか。まぁ出ていくって行っても私は何も手伝ってあげないし、邪魔もしない。
階段とか降りれるかなぁ、パルクールって知ってる? あれのプロの人なら出来るかもしれないけど、
あなたはそんなの出来ないよね。ぼやぼやしている間に階段を降りる私に踏み潰されちゃうかもね。
だから選択肢もはや無いようなものだと思うけど、どうする? あ、そうだ、特別に面白い事してあげよう。
はい、左手にタッチしたら罰ゲーム。右手にタッチしたらさようなら。はい、どっち? 30秒ね。
普通は10秒の所を特別サービス。機嫌いい内に早く選んだ方が良いよ?」
脅迫の数々を前にただ震えるしかない状況に、俺の勢いはただの蛮勇であったと思い知らされる。
そうだ。結局この少女は俺を痛めつけたいだけなんだ。
どちらにしても苦しい思いをする。なぜなら、俺は彼女を怒らせてしまったから。
理由はわからないが、この巨大な少女を怒らせてしまった以上、いくらこちらに理があったとしても、
端から逆らう事なんて出来なかったのだ。
「10、11、12……あっ」
何かに触れた感触がした。それが少女の手だと気がついたのは、彼女の声がしてからしばらく経った後だった。
どうやらフラフラと動いて、最終的に彼女の手に身体ごと倒れ込んだらしい。
「タッチしろとは言ったけど、ここまでしろとは言ってないんだけど……」
「良かったねぇ小人さん。飼い主見つかって」
「うっさい。私、ちょっとこれ洗ってくるから、あなたはもうどっか行っていいよ」
「はいはい。どうぞお楽しみくださいな」
そう言うと、もう一人の子は去っていったようだ。
「じゃあほら、手に乗って。それがこぼれたら嫌だから、両手で包んで洗面所まで持っていくから」
「は、はい」
「よろしい。ほら、早く乗って」
手のひらが上に向けられ、目の前に置かれる。
彼女に言われるがまま手のひらの上に乗ると、なんとも言えない感触がした。
少女の肌だからもっとプニプニしているのかと思ったが、自分が相当軽くなったせいなのか、少し硬く感じた。
「じゃあ閉じるよ。立ってると首の骨折れちゃうから、寝転がったほうがいいよ」
確かにと思い、ゆっくりと腰を下ろして寝転がる。
指の方まで届くと隙間があるだろうから、なるべく手の腹に収まるよう、芋虫のように身体を曲げた。
その姿が愉快だったのか、少女はケラケラと笑っていた。
やがて、もう一つの手が降ってくると次第に辺りが暗くなってきた。
完全に閉じられると、親指同士の所で出来る僅かな隙間からしか光が入ってこなくなった。結構怖い。
「立つよ。ワーワー言わないでね」
浮遊感。少しだけ耳鳴りと頭痛がした。今まで経験した事の無い急上昇が、少し三半規管に効いたらしい。
思わず両の手で耳を塞いだ。目も閉じた。
それでも、おそらく少女の移動によって生じる微振動が、否応なしに全身を揺さぶり続け、恐怖を刻み込んだ。
「はい、着いたよ。それじゃ降りて。今から水で流すから。あ、服は全部脱いで、こんなの着てたら私嫌だし」
降ろされたのは洗面台のようだった。天を仰ぐと少女の顔と、後方には蛇口があった。
高い場所に来て、ようやく少女の顔をまともに見ることが出来たが、なかなかどうして可愛い顔だった。
黒い瞳に少しだけ茶の混じった髪。口、鼻、耳、均整の取れたパーツの数々を見ても、
上位の部類に属するであろう事は、個人的な好みを考慮したとしても疑いの余地が無かった。
こんな少女に裸を晒すのは気が引けたが、背に腹は代えられない。
彼女も全く気にも留めていないようだし、脱ぐことにする。
小水でずぶ濡れになったズボンに、裾が少しだけ濡れたTシャツ、
靴も靴下も何もかもを脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿になった。
「私、鈴河小鳥って言うの。可愛いでしょ」
まるで心を読まれたのかと思うような自己紹介だった。自分に自信があるのか、彼女は胸を張ってそう言った。
小鳥。今どき珍しい、普通に読めて、なおかつ可愛らしい名前だった。
「可愛いよ」
「よ?」
「可愛いです……」
ただでさえ大きい彼女の身体が余計に大きく感じられた。
たった一文字にこの威圧感を込められるあたり、筋金入りの女王様体質なのだろうか。
「あ、俺は……」
「いや、別にあなたの名前はいいよ。聞いた所で呼ばないし。小人さんでいいでしょ」
「は、はい……」
「それじゃあ洗うから。お湯出るまでちょっと待ってて」
鈴河さんが栓のツマミを回すと、勢いよく水が流れてきた。こうしてみると、小規模な滝にすら見える。
だがその音は激しく、少し耳が痛い。小さくなると何もかもがダイナミックだ。
「じゃあかけるよ、小人さん」
「あ、ちょ……わぶ!」
まさかそのままの勢いでぶっかけられるとは思わなかった。まさしく滝行。結構痛い。息も出来ない。
鈴河さんはと言うと、特に慌てた様子も無く『ごめんごめん』と水勢を弱めてくれた。お陰で声も聞き取りやすくなった。
「小人さん、あんまりガタイ良くないね。筋肉って感じしない」
罵倒から入るのは、やはり彼女の癖なのだろうか。
とは言え、あちらから話題を提供してくれたので、俺は首をグイッと上に向け、会話を試みる事にする。
建物に話しかけているようで、少し落ち着かない。首も凝りそうだ。
「あんまり運動してなか……してませんでしたから」
「あはは、敬語になってる」
さっきキミがそうさせたのだろうとは口が裂けても言えない。また華厳の滝をぶつけられかねない。
「……その、なんて呼べばいいですかね」
「んー、小鳥様って呼ばせようかと思ったけど、流石にやり過ぎだよね。小鳥さんでいい」
「じゃあ小鳥さんで……」
「あと敬語も別にいいよ。さっきはちょっとからかっただけだから」
「あ、そう……」
「何かあなたっていじめがいがあるんだもん。ドM?」
「よく……言われるよ」
古傷をえぐられたようで、少し気落ちしてしまった。やっぱり分かる人にはすぐ分かるのだろうか。
「……?」
そんな何とはない話をしていた所で、足元、いや腰の辺りに違和感が生じた。
下を見れば、排水される筈の湯がドンドン底に溜まり、水位を上げていた。
「この方が気持ちいいよ。あ、溺れちゃってもいいよ。面白そう。溺れるぼ◯ちゃんの真似してくれたら10点あげる」
サラリとトンデモナイ事を言ってくる。というか10点て何だ。あとぼー◯ゃんって。
流石に溺れ死ねとは言わないまでも、モノマネはやれという事なのだろう。
この小鳥という少女は、一線さえ超えなければなんでもやってくるし、やらせる子だというのはなんとなく分かってきた。
次第にせり上がってくる水位を見つめながら、いつ溺れるフリをするかを伺う。
よし、ここだ、と決心するや否や、湯はみるみる排水溝に吸い込まれていった。
「ふふっ、せっかくモノマネしようとしたのに肝心のお湯が無くなっちゃったね。私に見せたかったのにね、自慢のモノマネ」
「……」
「今のはあなたについたそれを流したかっただけ。そのままのお湯で身体洗われても嫌でしょ? というか私が嫌」
当たり前だが、彼女は頑なにおしっこであったり、小便といったワードを口に出さなかった。
そういう所は育ちがいいのかもしれない。
というより今の流れだけ見ても、直接滝を浴びさせるのではなく湯船のようにしてくれたり、
お湯を取り替えてくれたり、そもそも露骨に嫌な顔もせずに小水まみれの小人の世話を見てくれているのだから、
根は悪い子じゃない、むしろいい子なのだろう。
「ほら、またお湯溜まってきたよ。出番だよ、出番。3、2、1……」
これさえなければ。ええい、こうなればヤケだ。
「ぼぼぼぼぼぼ!!!! し゛ん゛ち゛ゃ゛ん゛゛お゛ぼ゛れ゛ち゛ゃ゛う゛!゛!゛!゛」
「あんまり似てないね」
「ちょま、おぼぼぼぼぼ!!!」
滑った挙げ句、華厳の滝がオチた。
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「よし。じゃあ、洗うよ。あんまり暴れないでね、お湯こぼれちゃうから。こぼれたら罰ゲーム追加だからね」
ようやく簡易温泉が完成した。やりたくもない渾身のモノマネをバッサリいかれ、放心している間に湯が溜まったようだ。
彼女の言葉で思い出したが、罰ゲームが既に待ち構えているのだった。一体何をされてしまうのか。
先程までのやり取りで得体のしれない恐怖はある程度緩和されているが、まだこの子の女王様気質には底が見えない。
というか、さっきのモノマネが既に罰ゲーム並の辱めだった気がするし、もっと酷い事かと思うとゾッとした。
「まずはそこから」
「あふんっ」
電流走る。
「暴れないでって言ったけど」
「ご……ごめん」
いきなり男性器ごと下半身をむんずと握られたら、ゾクリともする。動くなというのは不可能だ。
いや、この子の事だからわかっててやっているに違いない。最近の若い子は妙な分野まで教育が行き届いているのだなと思う事にした。
「こぼれなかったからセーフ。じゃあ再開」
「………………」
ゴシゴシ。ゴシゴシ。シコシコ。シコシコ。
頭の中で、身体を洗うというごく普通の行為がどうしても別の意味に変換されてしまう。
というのも、これは未知の体験過ぎる。
年端も行かない巨大な美少女に、手ずから下半身ごとしごかれるなどという僥倖は決して得られるものではない。
下世話な話だが、なけなしの金をはたき、取材と称して行った今までのどの風俗店よりも気持ち良い。
我慢出来ない。とてもじゃないが我慢出来そうにない。
「黙ってないで何か喋りなよ。私、あんまり喋るキャラじゃないって言ったじゃん」
助かった。意識が会話に逸れる事で、股間に集中していたチャクラが霧散した(気がした)
「あ! そ、その……小鳥さんは、何年生なの?」
「二年生。中学」
「じゃあ14歳か……」
「そうだけど」
「……」
「……」
女性との会話スキルを磨いてこなかった自分をここまで恨んだ事は無かった。
再び我慢モードに入ると、見かねて今度は彼女が声をかけてきた。
「あなたは何歳なの」
「お、俺? 俺は29歳だけど」
「ふーん、アラサーなんだ」
「そ、そうね……自分でもオジサンじみてきたなとは思うよ」
「私の2倍生きてるのに、私の10分の1くらいしか身長無いんだよ。面白いね」
「それ……どういう原理なの?」
正直一番知りたかった事だ。この話をしていいものかとは思ったが、思わず突っ込んでみた。
「わからない。ベクターがやった事だから」
「ベクター? さっきの女の子? 外国のお友達か何か?」
「違うよ。小悪魔」
これまた随分とファンタジー然としたワードが出てきた。
言うに事欠いて小悪魔とは、中々乙な冗談だといつもは軽く流していただろうが、
こうして今現実として存在している以上、その話を信じるしか無かった。
「私だって最初は信じてなかったけど、こんなの見せられちゃったらね」
「あと……さっき寿命がどうとかって言ってたけど」
「あぁ、そうだね。願いを叶える代わりに寿命あげた。10年。本当に取られてるかなんてわかんないけど」
「良かったの? 10年も」
「良いよ、別に私長生きしたくないし」
冷めてるなぁ。悟りというよりも、諦感という方が文字的にしっくり来るくらいだ。最近の子は皆そうなのだろうか。
世も末だな、と自分の境遇も含めて嘆息せざるを得なかった。
「ところでさ」
「ん?」
「その白いのは洗ったほうがいいの?」
「え!?」
下半身をしごかれている時に白いのと言われたら、それはもうひとつしか無い。
いわゆるDNA.zipの事だ。
しまった、会話で気が紛れるかと思っていたが、それはやはり無理だったようだ。
というよりも隠そうとして暴れてしまったのが、いけない。湯が飛び散った。
「わっと、だから暴れないでって……あぁ、ちょっとこぼれちゃったよ。罰ゲーム追加しとくから」
「こ、これは……」
「わかってるよ。気持ちよくなると出ちゃうんでしょ。動画で見た」
「なんてもの見てるの……」
「普通に教育用のビデオだけど、何想像してたの? え、まさか私がそういうの見てると思ったの?
小人さん、変態だと思ってたけど、それは流石に失礼じゃない?」
突然エンジンがかかってきた。不機嫌になったり、逆にご機嫌になると言葉数が増えるようだ。
「そうだよね……ごめんなさい。私が悪うございました」
「反省の色が見えないから、もうちょっと意地悪してあげる。これは罰ゲームじゃないよ、それは小人さんもよく分かってるだろうけどね……ふふっ」
口角が妖しく上がり、完全にスイッチが入ったようだった。
ただ棒立ちになっていると、彼女は再び俺の下半身を掴んでいる右手を上下に動かし始めた。
まだ幼さが残るその手は、しかし大きさに比例した硬さも兼ね備えており、丁度いいこすり具合を体現していた。
前を向いていると、せりあがってくる右手に鼻をぶつけるので、必然的にその顔は上に向く。
それにしても可愛い。そして綺麗だ。よほど顔立ちの良いご両親に恵まれたのだろう。
後はもう少し、優しい性格であれば……と思う一方で、この扱いに一片の心地よさを覚え始めている自分が居る事を、俺は認識した。
「出したら罰ゲーム」
「そんなに罰ゲーム増やして……どうするの?」
「私に質問していいと思ってるの? 中学二年生の私の手にすら逆らえない、無力な小人さんなのに」
「うぅっ……」
相変わらず言葉責めが鋭い。一つ一つのワードチョイスが小気味良く、辛抱堪らん……て、俺はレビュワーか。
「気持ちいいでしょ。でもまだダメって寸止めされると、もっと出したくなっちゃう……そうでしょ?」
はい、全くその通りでございます。何でこの子は本当に、そんな事まで知っているのだろうか。
これも『教育用ビデオ』で得た知識なのか。だとしたら随分と爛れた内容だ。世も末だ。
「小人さんは、その、オナニーっていうの? やってた?」
「や、あ……やってた……よ?」
「1日何回?」
「1日!? いや……そんな……週に2、3……回くらい……だけ……どっ」
「ふーん。だから溜まってるのかなぁ」
「溜まって……るっ……て……?」
「小人さん、今日が何日か知ってる?」
「何日って……25日……3月25日だろ?」
「違うよ。4月1日。小人さんは1週間寝てたんだよ」
「えっ……」
知らない情報だった。だがこの期に及んで嘘をついているとは思えない。
というよりも、自分では裏を取れないから信じるしか無いというのが本当のところではある。
何しろ飲み物を買う為にフラッとコンビニに寄るだけの筈だったあの日、スマホすら持たずに部屋を出たのだから。
「取り敢えず見つからないように箱に入れて、全然動かないから時々中身見て、
そうしたら今日ちょっと動いたから取り出そうとしたら、私の指を噛んできたんだよ」
だからあんなに不機嫌だったのか……。
「これ歯型ね」
上下にしごいていた右手をスッと離し、ここ、と指さされた人差し指は、
確かに少しだけ跡がついている……ように見えなくもなかった。
自分で言うのも何だが、所詮この身体で寝ぼけ状態の甘噛みをした所で大した事は無いんじゃないかとは思った。
だが、それを表情に出してしまったのが良くなかった。
「反省の色が見えないので再開」
「あああうあああわ!」
その後、俺は本日二回目のミサイル発射を敢行し、小鳥大統領に罰ゲームを追加された。
ちなみに、俺の服はハンドソープで洗われた上でドライヤーで急速乾燥され、元通りになった。
小人とは言え、流石にずっと男性器を見ているのは嫌だそうだ。当然だが。