● 20話:おかえりなさい、ご主人様

 俺がこの家に来て何ヶ月が経っただろう。
 未だ元に戻る目処も立たないまま、なんだかんだあっという間に月日が過ぎていった気がする。

「ただいま、小人さん」
「おかえりなさい、小鳥さん」

 何十回とやった挨拶の交換。
 小さな扉を器用に開けて、小鳥さんが帰宅を告げる。
 出口をくぐって外に出れば、俺の住処よりも大きな小鳥さんが出迎えてくれる。

「あー疲れた疲れた。小人さん。靴下脱がせてよ」

 時々出される無茶振りにも、真摯に向き合う。
 ドスンと目の前に置かれた脚の先には紺のハイソックス。
 張り詰めたソックスの裾を指に引っ掛けては放し、その度に鳴る音で威嚇するのは小鳥さんらしい。
 上を向けば、『こんなの、指一本でも出来る簡単な事でしょ?』と言わんばかりの表情で、俺を見下ろしていた。

「小人さん、義務教育って子供側が教育を受ける義務じゃなくて、親側が教育を受けさせる義務なんだって。私には親が居ないから受けなくていいよね」
「それは屁理屈じゃないかな……」
「私がルールなんだから口答えしないの。いいから早く靴下脱がす」

 小鳥さんは膝を上に向け、体育座りをしているので、靴下の裾までは2m超の高さがある。
 当然届かない。勿論そんな事は小鳥さんもわかっている。
 無力感に苛まれながら膝裏を眺めていると、俺を押し潰さんと徐々に降下してきた。

「疲れたから体育座りも出来なくなってきたなー、このままじゃ小人さんが潰れちゃうー、わー逃げろー」

 だいぶお疲れの様子だった。
 そのまま降りてきた膝裏のど真ん中に俺の頭部がヒットし、そのまま全身が飲み込まれるかと錯覚する程に沈み込む。
 その時、小鳥さんが素っ頓狂な叫びをあげた。

「痛っっっっ! つ、つったんだけど……! 痛い痛い痛い痛い!」

 バタバタと足を床に打ち付け悶絶する小鳥さんはとてもレアだったが、本当に苦しそうだったのですぐに助け舟を出す。
 多分俺のせいになるだろうし……。

「えっ、そ、そういう時は伸ばさないように曲げるといいよ!」
「こ、こう? …………はぁ……はぁ……そうだね……ちょっと楽になったかも」

 膝を曲げ、脚を折り畳むと幾分か痛みが引いたようで、肩で息をしながらも少しづつ冷静さを取り戻していった。
 閉じられた脚の中で、俺は立ったまま太ももとふくらはぎにサンドされ、身動きが取れずにいた。
 何というご褒美……ゴホンゴホン、失敬。

「あー、酷い目にあったよ。これはもうお仕置きだね」
「お仕置き……!」
「えいっ(デコピン)」

 ビュンという風を切る音と共に、額に鈍い音と鈍痛がほとばし……らなかった。
 ちょこんと触れた指の腹が、トンカチのように俺の脳天を叩いているが、全く痛くない。

「びっくりした? まぁ今のは、小人さん立ってただけだもんね。許してあげる」
「……」

 なんか……。

「おーーーーい!!! キミ達ーーーーーー!!!」
「「!!!??」」

 モヤモヤとした気持ちが浮かびそうになった瞬間、聞き覚えのある声がやかましくカットインしてきたので、綺麗サッパリ消えてしまった。
 何だったんだろう。

「あ、呼んでも来ない小悪魔じゃん。ちょうどよかった、ねぇ、小人さん戻すポイントはもう貯まった?」
「貯まった? じゃあないよキミ。減ってるよ、現在進行系で!」
「「は?」」

 久しぶりに姿を現した青肌の小悪魔ベクターは、とんでもない事を言い始めた。

「小人さんいっぱいイジメてるじゃん。何で減ってるの」
「小鳥、よーく考えて欲しい。彼を拾ってきた時のキミと、今の腑抜けたキミの差を」
「………………?」

 わかりやすく『はて?』と首を傾げ、あごに指を当てるポーズ。
 だが俺はこのベクターの言葉でハッとなった。

「最近、彼に優しくないかい? 情でも移った?」
「なっ……!」

 不意を疲れて、小鳥さんが後ずさりした。
 俺の視線を感じ取ったのか、俺を乱暴に拾い上げて握りしめると、ベクターに突きつけながら鼻息荒くまくし立てた。

「違うからね。私は別に好きとかそういうのじゃないし、イジメる理由が……いや、あるけど……その、そこまで激しくやる理由が無くなったっていうか……死んじゃったら元も子もないし、最初の頃はイライラしてて本当に見境なくやってたからであって、むしろ最初が特別っていうか……私の素があれだと思われると困るんだけど!」
「ふーーーーーん?」
「生意気な顔しちゃって、ふんっ!」
「おおっと」

 小鳥さんは、俺を握っていない左手を素早く振るってベクターを捕まえようとしたが、ちょこまかと逃げ回られていた。
 俺を握る力がさらに強くなってきた気がする。

「それとね、ボクは別に自分の悦楽の為だけにだね、彼をイジメてやれってけしかけてるんじゃないんだよ?」
「彼もさ、それを望んでるんだよ。ね、そうだろ? 小人さん?」
「……!」
「……そうなの?」

 小鳥さんの素の声、困惑した表情が視界を埋め尽くす。
 今度は俺の番だとばかりに、急激に耳から首が熱くなってきた。
 多分、弁当用ウィンナーみたいに真っ赤に染まっているだろう。
 なんだコレ。羞恥プレイにも程があるぞ。急に来るな。

「もっと痛かったり、辛かったりするのがいいの?」
「………………ぇと」
「……ククク…………面白いよー、ポイント貯まってるよー」
「冗談というか、気兼ねなくやっていいよっていう配慮かと思ってたけど、ふーん……本当にそういう趣味の人も居るんだね。いざ真正面から聞くと……変態だね」

 割れ物でも扱うかのようにそっと床に置かれる。
 腫れ物と言ったほうが正しいかもしれない。

「それじゃあ、私は私の良心を傷つける事無く、思う存分小人さんをイジメても良いってこと?」
「うん、いいよいいよ。彼もそう言ってる」
「…………」

 もうよしてくれ。
 これ以上おじさんを精神的にイジメるのはやめておくれよ……。

「…………と、いうのは冗談で」
「あははははは!!! 耳まで真っ赤www 耳まで真っ赤だよキミィwww」
「……はぁ?」

 ドッキリ大成功という札を持った小悪魔が抱腹絶倒しながら俺を指差している。

「そう怒るなって。これはね、お互いの事をもっと良く知ろうっていう、ボクなりの後押しさ。ニッポンジンってのは本音をなかなか言えない生物だって話だから。感謝して欲しいくらいだよ」
「お前……」

 もし目の前に居たらナックルパンチをお見舞いするところだが、生憎相手は宙に浮いていた。

「でもさぁ小人さん。もっとイジメて欲しいっていうのは本当なんでしょ? 言ってくれれば良かったのに」

 俺の身長よりも大きな小鳥さんの横顔が滑り込んできた。
 耳だけでなく、全身に小鳥さんの静かな声が響いている。

「いいよ。小人さんがして欲しいっていうなら、その願い叶えてあげるよ」

 死角から這い寄る小鳥さんの左手が、小指から順番に閉じながら俺の身体に絡みついてきた。

「ご主人様が言うこと聞いてあげるんだから、うんと感謝しなさい」

 感謝を要求しながらも、親指で顔面を塞ぐ理不尽。
 どこか懐かしさを覚えるその振る舞いに、にわかにこみ上げてくるものを感じた。

「ベクターありがと。もう行っていいよ」
「はいはい。邪魔者は消えますよっと。ごゆっくり」

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 その後、小鳥さんは俺をベッドに乗せ、インタビューと称して質問を投げかけてきた。

「あれから調べたんだけどさ、どうやらこの世は広いみたいだよ」
「どういう事?」
「今の私と小人さんみたいなサイズ差で興奮する人達が居るんだってさ。ウケるね」
「へ……へぇ」

 七海さんと共に調べて知ってはいたが、咄嗟に知らないふりをしていた。

「まぁそれはいいとして。小人さんのフェチを掘り下げていこうかな。まずさ、小人さんはロリコンだよね?」
「ま、待って。その前提はおかしい!」
「私や七海の身体に欲情しておきながら、それ言う?」
「うっ」
「それにさ、昔から心さんとずっと一緒に居たんでしょ。心さん、お人形さんみたいに可愛いもんね。そりゃ……仕方ないよねぇ。歪みもするよ、性癖」

 俺と心の、歪んだ性行為一歩手前の関係については話していない。
 それなのに、小鳥さんはまるで全部お見通しであるかのように言葉を重ねていく。

「好きな身体の部位は……待って、当ててあげるよ…………ここでしょ」

 指差した先はスカートの暗闇の中、身体を投げ飛ばせばそのまま沈み込んでしまいそうな柔らかい白の丘。

「見てたもんね、最初から。こんな変態はさ、世間に出しちゃいけないよね」

 スカートの中に手を突っ込み、俺を鷲掴みにすると、そのまま無造作に宙へと投げつけた。
 浮遊感が時の流れを遅くし、まるでスローモーション映像を見ているかのような錯覚に陥る。
 目に映る光景が天井から壁、そして床へゆっくりと推移。
 あわや顔面着地というところを、身体を捻らせて間一髪で回避した。
 だが、全身に痛みが走る。言ってしまえば2、3階建てのビルから落とされたようなものだ。
 目立った怪我が無いのはラッキーだった。

「ちょっとそこで待ってて。着替えてくる。ん……しょっと……」

 ベッドに座り込んだままバンザイのポーズ。
 そのまま紺色のセーラー服を持ち上げ、腰を浮かせてスカートを下ろすと、上下お揃いの水色の下着が顕になった。
 くしゃくしゃのままの服を持って立ち上がると、俺の頭上にそれを落下させてきた。
 たかが服一つだけで腰が砕けるような重圧がかかる。

「綺麗にたたんどいてね。でないと後でイジワルするよ」

 カタカタカタカタ……

 わざと真横で足踏みしているのだろう。脳震盪を起こしそうな揺れが襲いかかる。
 服に飲み込まれているような俺が、その服を畳むなんて出来るわけ無い。
 そんな理不尽の極みが、妙に心地良い。
 あぁ、やっぱりそうだ。最近刺激が足りないとモヤモヤしていた理由が明確になった。
 俺はどうしようもない変態だ。

「~~♪」

 小鳥さんの鼻歌と、ドスン、ドスンという音が遠ざかっていくと共に、床の揺れが収まっていく。
 紺色の服は光を遮断し、辺りは闇で覆われている。
 甘い桃のような香りが鼻孔を突き上げ、あっという間に嗅覚を支配する。
 脱ぎたての服が帯びる小鳥さんの体温に包まれ、頭の中がぼうっとし始めた。

「出来た~? えっ、何もやってないじゃん」

 あからさまに苛立ちの声をあげながら、小鳥さんが部屋に戻ってきた。
 腰に手を当てたままトントンと床を叩く音が、さらに焦燥感を掻き立てる。

「何も出来ない役立たず。あなたね、生きてる価値無いよ」

 くぐもった声が聞こえてきた。小人さん呼びではない、他人行儀な呼び方が非日常感を高めていく。
 服が一部持ち上げられ、差し込んで来た光条が目を焼いた。
 もう既に身体はボロボロ。
 そんな状況を見透かしたかのように、脱出したばかりの俺に追い打ちがかけられる。

「何もしてないのに何でそんなに疲れてるの。本当に小さいって惨めだね」

 シャツの首元に指を引っ掛けられるだけで軽々と浮かび上がり、目の前で吊り下げられてしまう。
 お前はそんな矮小な存在なのだと宣告するような仕打ちに加え、言葉責め。

「ふー、ふー。流石に息だけじゃ動かないか……いや違うね。ほら、自分で動きなよ。ご主人様に恥かかせないで」

 また無茶振り。

「すぅぅぅぅ、ふぅぅぅぅー。ほら早く、早く。ぶらーん、ぶらーんってやるんだよ」

 小さく開かれた口から湿り気たっぷりの吐息が放出され、服がじわりと濡らされる。
 自分の想定通りに動かない状況に、ご主人様は若干お冠の様子だった。
 やつれた身体に鞭打ち、フンと息を止めて全身の筋肉を強張らせ、振り子の動きを少しづつ強めていく。

「そうそう。やれば出来るじゃん。ふぅぅぅー、ふぅぅぅー」

 徐々に勢いを増していく中、小鳥さんは急に興を失ったのか、息を吹きかけるのを止めると。

「飽きちゃった。捨てちゃえ」
「わっ、あ、あぶっ!?」

 またもや落下。しかも真下へ真っ逆さま。
 床に絨毯や小鳥さんの脱ぎ捨てた服というクッションがあったから骨折には至らなかったようだが、身体を動かそうとしたら神経に電撃が走った。
 少し打ちどころが悪かったらしい。
 軽い打撲程度だとは思うが、小鳥さんもこのくらいの怪我なら遠慮しない姿勢のようだ。

「そういえばさ、今これ着てるの、白いワンピース。どう? 清楚な女の子っぽいでしょ?」

 膝立ちになって遥かな高みから見下ろす小鳥さんの姿を、ようやくまともに目に捉える事が出来た。
 いつか外出した時に着ていたシンプルなデザインのワンピース。
 ゆったりとした広い間口の半袖からは、キレイに処理された腋が見える。
 これで麦わら帽子でも被っていたら、それこそ『これなんてエロゲ?』と言わんばかりの典型的な清楚系。
 特に口に出した訳でもないが、俺が一番キレイだと感じた服装。
 初めて会った時からずっと感じていたが、この子には本当に何らかの超常的な能力があるのではないか、と感服せざるを得ない。
 それと同時にその純粋な可愛らしさと、暴力的な振る舞いとのギャップに、すっかり虜にされていた。

「えーっと、ロリコンで、脚が好きで、特に太ももが好きで、清楚系が好きで……ふーん」

 脚を組んで何やらメモ帳に書き込みながら、声高に俺の性癖をつまびらかにしていく。

「それで極めつけが……」
「うっっ!?」
「イジメられるのが大好きな、ドMなんだよね」

 モロに蹴りを食らった。
 ピンクパールの硬い付け爪が腹部にめり込むと同時に、そのまま全身を弾き飛ばす。
 後頭部だけは打たないように床に着地したが、俺3人分くらいは飛ばされた。
 小鳥さんはもう立ち上がり、俺を嗜虐的な表情で見下ろしたまま近づくと、小石を転がすように俺の脇腹を執拗に蹴りつけてきた。
 その度に肋骨が悲鳴をあげ、グエッという声が漏れる。汚いカエルのようだとバカにされた。

「このくらいでいいかな。ん……難しいな……よし」

 壁際まで追い詰められ、グッタリと横たわっていると、首元に足指が迫り、締め付けるかのように親指と人差指で摘まれると、いとも容易く持ち上げられてしまった。

「舌噛まないようにね」

 ビュン!

 風を切る音が耳をつんざいかと思うと、

 ドスン!

 直後なにかに打ち付けられたような衝撃が走り、車が急停車したように頭が前へと投げ出された。
 目の前には微笑を崩さぬまま俺を見つめる小鳥さんと、俺の方へ伸びる巨大で華奢な生脚。
 壁ドン亜種とでも言うのだろうか。
 少し湿った小鳥さんの足裏と壁に挟まれながら、そんな新しい概念に無性に心躍らされた。

「なーに喜んでんの、気持ち悪い」

 親指の付け根の膨らんだ部分が肺に押しつけられ、溜まった空気を吐き出さされる。

「か弱い女の子に足だけで壁ドンされる気持ちはどう?」
「さ……最高……」
「声が小さいから聞こえなーい」

 再びガマガエルの悲痛な濁声が響く。
 ちょっと面白くなってきたのか、クスクスと笑いながら何度も足に体重をかけ、小鳥さんは壁ドンを繰り返した。

「ほ~ら、この手鏡、見てみなよ。大の大人が、女の子に手も足も出なくて、一方的に踏み躙られてる惨めな姿をさぁ!」

 語気が少しだけ強まった。
 歯をむき出しにして興奮気味に笑う小鳥さんの姿は、いつものクールな感じとは打って変わって年相応の女子のようで、物珍しさすら感じられる。

「清楚系が好きって言うけどさ、清楚系の子は裏では案外エゲツないよ。ギャル系の方がよっぽど素直でいい子。これ実体験ね。まぁ……うちの学校にはあからさまなギャル系は居ないけど……」
「それじゃあ実体験じゃないじゃんか……」
「余計な事言う口だね。塞いであげようか」

 俺を押さえつけたまま指を器用に動かし、親指への口づけを強要される。
 親指の指紋が擦れるザラザラとした感触は、唾液の付いてない乾いた舌にでも舐められているような不気味さだった。
 指に付着した細かいホコリや糸くずが口の中に入り込み、思わず咳き込む。
 だが小鳥さんの指によってせき止められ、逆流した咳の衝撃が横隔膜を激しく殴打した。

「私の足をキレイにしてよ。小さい舌の方が細かい所にも入り込めるでしょ」

 要求がエスカレートするにつれ、踏みつける力も強くなっていく。
 これを『落ちないようにとの配慮』と受け取る事も出来る辺り、俺の奴隷根性は未だ根強いようだ。

「あー、でもなんかツバとか汚そうだからいいや」

 小鳥さんが口を開いた直後、フッと重圧が消え、気付いた時には床でうずくまっていた。
 着地の衝撃を吸収しきれず、身体中に電撃が走り、目の前が白く点滅する。
 おぼろげな視界の中、小鳥さんはぐったりと横たわる俺を無表情で見下ろしていた。

「ちょっと遊んであげたくらいでそれ? そんなんじゃ次のやつ、耐えられないよ。大人の男ならさ、もっと根性見せてよ」

 次のやつ。
 小鳥さんはまだ遊んでくれるようだ。
 身体は限界でも、心は否応なしに弾む。

「下行くよ。ほら立って、自分の脚で歩く……そうそう…………いや遅いよ。もっと早く歩くんだよ」

 覚束ない足取りを咎められ、後ろから小鳥さんの叱咤激励が降り注ぎ、床を踏みしめる音が俺を煽り立てた。

「そんなノロノロ歩くなら私、先行っちゃうよ。階段一人で降りられなくても知らないから」

 俺をあっさりと跨ぎ越す小鳥さん。
 見上げれば、青空のような水色のパンティと、そこから伸びる二本の巨大な柱。
 触れたくなりそうなそれに手を伸ばしても、全く届く気配も無い。
 そんな体格差を突きつけるように、小鳥さんはしばらく俺を真下に捉えたままその場にそびえ立っていた。

「いやだから、待ってるんだけど、私。私の下着見て鼻の下伸ばしてないで、さっさと歩く」

 背中を指で突かれ、否が応でも足が前へ進む。
 前方不注意だったのが災いし、前にまだ鎮座していた小鳥さんの脚に正面衝突してしまった。
 後ろに通る筋肉に押し返され尻もちをつく。
 ポカンとしていると、滑り込んできたもう片方の足が、俺を器用にすくい上げた。

「はぁ、情けない。落ちないでよ」

 呆れ返ったというような声色で呟き、小鳥さんは再び歩き始める。
 俺を足の甲に乗せている事など忘れているかのように、足早に。
 ジェットコースターのような上下動、急加速からの急停止。

「お、落ちっ……」

 付け根に腕を絡ませて、体重をかけて素肌が顕となった足の甲にへばりつく。
 ギィギィと床を軋ませながら、小鳥さんは階段に差し掛かっても尚、歩くスピードを緩めない。
 一際大きな降下感、そしてドスンと着地した瞬間の浮遊感。否、本当に浮いた。
 暴れ馬のように荒ぶる足に、必死で縋り付く。

「やるじゃん。早く降りてね、そんな格好で気持ち悪い」

 四肢を巻きつけるポーズ(通称:だいしゅきホールド)は傍から見たらアウトだった。
 無造作に足をバタつかせ、俺を無理矢理剥がすと、そのまま捨て置き一人玄関口まで行ってしまった。

「どの靴がいい?」

 玄関に辿り着いた俺を待っていたのは、綺麗に並べられた靴、靴、靴。
 左から、黒光りしたストラップシューズに、クリーム色のショートブーツ、編み上げっぽい赤色のスニーカー……その他諸々カラーバリエーション。

「何個持ってるの……」
「んー、全シーズン合計で100個くらい?」
「金持ちだなぁ」
「おしゃれと言って欲しいんだけど。で、どれに入りたい?」
「質問が変わってる!」
「ふふっ……っとと、ついいつものノリになっちゃった。気を取り直して……」

 パンパンと両頬を叩いて、キッとこちらを向く。
 ロールプレイに戻るようだ。

「どれがいいのかって聞いてるんだから、早く答えなさい」
「あ……うん、そうね……」

 入る、と言われると、少し尻込みする。
 性癖に従えばショートブーツだったが、じわりと暑くなってきた初夏、この中に放り込まれるのは結構厳しそう。
 逡巡していると、しゃがみ込んで頬杖をついていた小鳥さんがニヤリと口を開いた。

「ふーん。なるほどね……んーっと……これ? これがいいの? このちょっと暑い日に?」

 当たり前のようにショートブーツを掲げ、目の前にドスンと置く。
 ヒールだけで腰まで来る、化け物みたいな大きさのショートブーツ。

「あなたの身長とほぼ同じだね。ちっさ」

 ブーツの履き口と俺の頭頂部とを交互に撫でながら、俺の矮小さをなじり、嘲笑。
 流れるようなドSコンボ。
 白いワンピースという清楚な見た目とは対照的な言葉と表情に、計らずも愚息が踊る。
 そんな様子を見てか、小鳥さんは目を細めてフンと鼻で笑うと、俺の股間を突いてきた。

「しょうがないなぁ。それじゃご主人様が珍しく要望にお答えしてあげよう。入れるよ」

 頭をUFOキャッチャーのように摘まれ、大きく口を開けるショートブーツの真上へ誘われた。
 ゆっくりと降下し、そのまま脚を爪先へと滑り込ませて仰向けにさせられる。
 丁寧に手入れされているようで、実に快適な空間だった。
 むしろ、柑橘系の良い匂いでリラックス効果すらありそうだ。

「素足がいいんだろうけど、流石に靴下履いてくる。ブーツの革がダメになっちゃう」

 さり気なく性癖をまた一つ開示された。
 何もかもお見通し。これが俺のご主人様だ。

「おまたせ。それじゃ、散歩行こっか」

 白いレースのアンクルソックス。
 可愛らしさの象徴みたいなそれですら、俺よりも大きい。
 ウネウネと5本首の怪獣が潜り込み、爪先までピッタリ収まると、俺の身体も完全に閉じ込められた。
 顔の前には土踏まずで靴下が帆を張っていたが、押せば持ち上がる分、有情だ。
 だがそんな、ブーツの中で唯一の自由な空間には、小鳥さんの香りが早速充満していた。

「体重乗せるからね。やばかったら全力で叩く事。いいね?」

 外の様子を窺い知ることは出来ないが、ゆっくりと体重をかけてくれているようだ。
 最初は上に軽く乗っていただけの足裏が、俺の頼りない脚を呑み込み、靴底に触れる頃には完全に覆っていた。
 俺はこの瞬間、靴の中で履かれた初めての人類になっただろう。

「~~~~~?」

 小鳥さんの声も、もはやこの閉鎖空間には届かない。
 が、次の瞬間、何を言ったのかはすぐにわかった。
 今までとは比にならぬ圧迫感が襲いかかり、骨が折れる幻聴が脳裏をかすめ、冷や汗がブワッと吹き出る。
 想像以上の重圧に、焦って身をよじろうとしても脚部は完全にロックされており、上半身がバタつくのみ。
 小鳥さんは、おそらくただ立っただけ。正真正銘の全体重。いや、これでも少しは浮かしてくれているかもしれない。
 そんな些細な動き一つが、今の10分の1サイズの俺には拷問そのものだ。

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「じゃあ立つよ~?」

 返事、というか反応は無い。
 本当に大丈夫かな。
 もしかして実は叩いてる?
 怪我させたらどうしよう。
 小人さんはお医者さんに連れていけない。
 でも私じゃ治せない。
 でも、小人さんがこういう事して欲しいって言うから。
 言い訳しちゃダメ。
 本当は自分がしたいだけの癖に。悪い子。
 違う違う。
 私悪い事してないもん。悪い子じゃないよ。
 褒めてよ。笑ってよ。なんで。テストも100点だよ。
 どうしてそんな……悲しい顔するの。

「んんんっ」

 嫌な思い出が出てきたら、頭を左右に5回振る。
 これが私の作ったおまじない。もう何回頭を振ったんだろう。
 ふぅ。スッキリした。

「小人さぁん。今日はどこまで行こっか? 私達が初めて出会った駅まで行ってみる?」

 どうせ聞こえないだろうけど、いいや。
 私の言うことには逆らえない。

 そもそも逆らわないもんね。

 そういうのが、好きなんだもんね。

 そんな小人さんを、ずっと、ずーっと、ずーーーーーーーーーーーーっと、愛してあげるよ。