「ごきげんよう、会長」
「本日もご機嫌麗しゅう、会長」
「ごきげんよう、田中さん、佐藤さん」

 こてこてのお嬢様挨拶が飛び交う中を闊歩する一人の生徒。
 笑顔を絶やさず、丁寧に一人一人へ手を振り挨拶を返す。

「今日も可憐ね……」
「儚げな視線の先に、会長は何を見ていらっしゃるのかしら……」
「しゅきですわ……」

 一部では偶像崇拝の対象にされているらしい。
 当の本人も風のうわさで認知する事となったのだが、それを聞いた時、物理的にズッコケたのは生徒会メンバーだけの語り草になっているとかなんとか。

「この間、二人で話す機会がありましたの。とても気さくにお話下さって……お紅茶もお上手で……」
「私など、ダンスの授業で手に取り合って踊りましたわ。暖かい手に包まれて……常にリードして下さいました……」
「弁論大会で……」
「テニスでダブルスに……」
「老人ホームでピアノの演奏を……」
「何でも出来ますのね……」

 眉目秀麗で才気煥発、人望に溢れる生徒会長。
 非の打ち所のない、生徒達の憧れの存在。
 だが、彼女のプライベートを知る者は居ない。
 『彼女』の秘密は絶対に知られてはいけないのだ。


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『誘ってくれてありがと。でもごめん、パスでー』
「いいじゃん、泳がなくていいから」
『やぁんもうエッチ。今、小鳥ちゃんの家には、小人さんが居るじゃん。乙女の素肌見られちゃう』
「何を今更。小人さんからはパンツも何も丸見えだったでしょ」
『と、とにかくごめん。また今度別の事して遊ぼ。ご容赦シルブプレ?』

 意味不明な捨て台詞と共に通話が途切れ、床に置かれたスマホは沈黙した。
 スマホを挟んで寝転がる小鳥さんは口を尖らせ、すかさず俺に毒づく。
 仕方ないだろう。七海さんは誰にも知られたくないあの秘密があるんだから。

「何なんだろうね。七海、プールとか海水浴とか絶対に行かないんだよ。名前に海が入ってるのに」
「名前は関係ないでしょ……小鳥さんは鳥みたいに飛べるの?」
「口答えするなんて生意気」

 手を差し出された。
 そっと飛び乗ると、鷲掴みにされたまま下半身の方へ持っていかれる。
 脚のアーチをくぐりながらさらに先へ進み、目的地に到達した。

 ふわっと持ち上がった小鳥さんの巨大な足が俺の頭上にセットされ、ゲシゲシと踏みしだかれる。
 小鳥さんの小さな足でも、俺の身体は容易に飲み込まれてしまう。
 じわりと汗をかいた足裏に、全身が蒸されていく。
 踏み潰さない程度の力加減もお手の物。
 むしろ気持ちよさすら感じる塩梅で、上下左右に振り回される。

 これが俺たちの会話のキャッチボール。
 ボケとツッコミ。生意気とお仕置き。
 これがたまらなく心地よいのだ。

 少し調子に乗って足にしがみついても、何も言われない。
 無言で足を上げて、幾ばくかのスリルを演出したりしてくれる。
 こんな年の差で身体を触り合うなど爛れた関係である事は否めないが、俺も小鳥さんも止められないのだ。

「そんなに好きならずっと靴に入れたまま登校してあげようか」
「それは死ねるな。季節的にも」
「そっか」 

 初夏の暑さが到来した頃、クリーム色のショートブーツに閉じ込められたまま、しばらくの間小鳥さんと散歩をした日の事を思い出した。
 濃厚な女性の香りに包まれながら、ギシギシと全身が押し潰される事で生じる快感は、蒸し暑さの苦しさも忘れる程に強烈な物だった。

「小人さん、私の靴の中に入れてもらえるの好きなんでしょ」
「………………」
「素直じゃないね」
「小鳥さんには言われたくないかな……」
「ふーん」

 また踏み踏みが再開される。
 勉強の休憩時間や寝る前などは、大体こんなやり取りをしてしまっている。
 今思い返せば、それが日常的になったのもあの日からだった。

 グロッキーとなった俺に、目をトロンとさせながら何度も口づけをする小鳥さんの姿は、今でも脳に刻み付いている。
 人工呼吸をしようとしていたのだと本人の口から語られはしたが、本当だろうか。
 朧気ではあるが、好きとか大好きとか言っていたような気もする。直球だ。

 その時の事は、話題に出さないようにしている。
 お互い示し合わせた訳では無いが、小鳥さんも同じだった。
 あの日だけがまるで切り取られたかのように、次の日、俺たちは何食わぬ顔でしりとりなどしていた。
 だが、あの日以来、何かが変わったのは紛れもない事実だった。

「プール、心さんも誘おうか?」
「えっ、いいのか?」
「うん、そのつもりだったよ。お世話になってるし、久しぶりにお話したいから」
「怖くないのか?」
「もう誤解はとけたし、大丈夫」

 ほんの少しだけ声が上ずっているのを、俺は見逃さなかった。

「心さんの水着って普通のだよね」
「わからん。昔しか知らないから……あっ」

 そういえば、心は俺が知っている数年前から一切成長していないのだった。
 もしや、あの時の水着をまだ着用出来るのでは。
 4段くらいのフリルがついた、子供用水着を……!

「どんな水着着ればいいかな。小人さんはどういうのが好きなの?」
「…………いきなり聞かれると照れる」
「照れないでよ。私まで恥ずかしくなってきた」

 自分の顔の赤さを隠すように退散した小鳥さんが、本棚から何やら雑誌を持ってきて俺の前にドスンと叩きつけた。

「この中で好きな感じのある?」

 大きな絨毯のように広げられた雑誌のページは、教育に宜しくない画像でビッシリと埋め尽くされていた。
 たまらず視線を逸らすと、小鳥さんのグレーのドルフィンパンツの裾から覗くパンティが見えてしまった。

「見すぎ」
「うっ!」

 ズイッと小鳥さんの股間部が迫ってきたかと思ったら、そのまま太ももに挟み込まれたらしい。
 ギチギチという音が聞こえてきそうな程の力だ。
 全身に強張らせても、小鳥さんの弾力のある太ももを僅かに食い込ませる事しか出来ない。
 小鳥さんの肌から体温が直接伝わり、頭がのぼせ上がっていく。

「その様子だと、昔は心さんも邪な目を向けてたんでしょ。実の妹に欲情するなんて最低」
「そ、そんな事……」
「嘘。ぜーーーーったいにやってた。ダメでしょ」

 全くもってその通りなので、言い返す言葉も無い。ごめんなさい、母さん、父さん。俺は悪い兄です。

「私にはいいよ。小人さんはペットで、私は飼い主。いくらでも触ったり、舐めたりしてもいい。怒らない。お仕置きして欲しかったらいくらでもしてあげるし、本当に良いご主人さまに恵まれたねぇ、小人さんは」

 太ももを開いて俺を解放し、小鳥さんはさり気なくとんでもない事を言いだした。
 冗談を言っている雰囲気も無い。彼女の口からこういう直球な発言が飛び出すのは珍しい。
 俺を見下ろす表情は、アルカイックスマイルと形容されそうな程穏やかだ。

「選びにくそうだから、やっぱりいくつか持ってくる。待ってて」

 小鳥さんは『ふぅ』と息をつきながら立ち上がると、俺をわざわざゆっくりと跨いでクローゼットの方へ歩いていった。
 何か返事をした方が良かったのだろうか。でも俺には何を言えば良いのかわからなかった。
 もし間違えたら、心の時みたいに越えてはいけないラインを越えてしまいそうな気がしたから。
 いや、もう越えてしまっているのだろうな。だからこそ、これ以上行ってはいけないんだ。


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「お招きいただき、ありがとうございます」
「いえいえ。この度はご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません」
「それは大丈夫です。良くして頂いているようで……兄からもそう聞いております」
「そう言って頂けて良かったです。あまり気の利いたおもてなしは出来ませんが、ごゆっくり」
「はい、ありがとうございます」

 招かれた心が、湊さんと挨拶を交わしていた。
 小鳥さんの手に乗せられて、俺も一緒に玄関口で出迎えている。
 流石に攻めた服装は避けたのか、年相応(見た目は背伸び気味)の白のロングワンピースを着ていた。
 もしかしたら普通のワンピースなのかもしれないが、言及するまい。

 カッチリした襟に黒いボタン、腰回りにはリボン。そんな真っ当な装いの妹を見て、無意識に腕を組んでいた。
 兄の贔屓目を抜きにしても、とても可愛い。デートでこの子が来たら、誰もが一目惚れだろう(贔屓目マシマシ)
 心も何となく、ドヤ顔をこちらに向けている気がした。

 ちなみに、後で湊さんにから『お人形みたいでとっても可愛い』という評価を頂いた。不穏しかない。

「メイドさんだメイドさん。本物の。すご、やばいね。世界が違うよ」

 無難に落ち着いた心とは対照的に、今日の湊さんはコスプレめいたメイド服を着用していた。
 ちょっと驚いてもらおうという趣向だったらしいが、大成功のようである。

「小鳥ちゃん、今日はありがとうね。私、こんな大きな家にお邪魔するの初めて。もう一生の思い出になりそう……」

 豪華な鈴河家の佇まいに、心は興奮しっぱなしだ。
 門だー! 大理石だー! 2階だー! 庭だー!
 童心に帰って、ありとあらゆる箇所を褒めちぎっていた。

「なんか照れるんだけど……」
「しょうがないだろ。俺達は本当に貧乏だったんだ。小鳥さんの部屋より狭い部屋2つで3人住んでたんだぞ」
「そ、そっか。今日はゆっくりしてって伝えてね」

 小鳥さんは困り眉のまま俺達の貧乏自慢に耳を傾けてくれた。

「ここで着替えましょう」
「はーい」

 浴室の前の更衣室に着いた所で小鳥さんが着替えを促すと、心は自分のバッグから水着を思い切り取り出した。
 その瞬間、まるで誰もいないかのような静寂が更衣室を包んだ。

「「「………………」」」

 心は、例の女児用水着に四肢を差し込んでいた。
 あぁ妹よ。まだ着れるからと言って、愛用し続けているのだな。
 しかも似合うのだ。極めて。
 でも……。

「お前それ10年前の……」
「何か?」
「さすがに新しいの買え。毎年仕送りもしてるだろ」
「大事な生活費で贅沢品買えるわけないでしょアホなの?」
「……そ、それでも水着の一着くらい……俺が買ってやる」
「んーーーー? そんな豆みたいなお金、小人銀行じゃないと使えないですよーーー?」
「「…………」」

 巨大なM字を描き、しゃがみ込む心。
 ゴォォォォ、という風を切る音がダウンバーストのように吹き荒ぶ。
 見仰げば、得意げな表情で鋭い流し目を送っていた。
 俺でなければその場で失禁してしまうような光景。
 指一本で制圧されてしまいそうなサイズ差に加えて、この威圧感は相当堪えるだろう。
 だが、俺は慣れたものだった。いくら巨大でも、妹は妹なのだ。
 それに、心が俺に気を遣ってくれているのはわかりきっている事だったし。

「あ、あの」
「あーーごめんね小鳥ちゃん。これ、よくある兄妹喧嘩。お互いの事気を遣ってるからこそのやつだから」
「そう……ですか」

 ホッとした声でそう言う一方、表情はどこか暗かった。
 まだ何か心配な事でもあるのだろうか。

「こ、心さんさえ良ければ、私の水着をどれかお貸ししましょうか……?」

 あぁ、そういう事か。

「いいの!?」
「あぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」

 急接近した心の巨大な足に危うく踏み潰されそうになった。
 そんな事に気付きもせず、心は小鳥さんと手を取り合いブンブンと縦に振っていた。
 申し訳程度の抗議として心の足の甲をペチペチと叩いておいた。
 それにとてもありがたい事だ。小鳥さんは色々なデザインを持っていたし、サイズも……。

「……今、サイズちょうど良さそうだしなとか思ったでしょ」

 心の脚が目の前で反り立っていた。
 プニッとした心の足指がワナワナと動き、そのまま俺は捕らえられてしまった。

「でも事実なんだよね……でも小鳥ちゃん、本当にいいの?」
「勿論です。お気に召せばいいですけど」
「ありがとう、小鳥ちゃん……!」

 まるでゴミでも投げ飛ばすかのように、俺を足で器用に放り投げると、そのまま二人で水着選びへ向かったようだ。


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 先に浴場に入っていろという事だったので、ドアの前で待っているとやがて二人の話す声が聞こえてきた。
 まず名乗りを上げたのは小鳥さんだ。

「どう? 似合う?」
「おー、似合ってるよ、小鳥さん」
「当然でしょ」

 薄いピンクのビキニに、白いデニムのショートパンツ、薄手の白いパーカー。
 ラフな感じの見た目だが、物静かな小鳥さんが着るとなんだか上品さすら感じられた。
 裸体すら見たことがあるというのに、この超ローアングルから見る美少女の水着姿は、やはりグッと来るものがある。
 まるで太陽の下に出たことが無いみたいな白い肌は、思わず飛び込みたくなるくらいの瑞々しさだ。
 太ももの塔を仰ぎ見ると、ショートパンツの隙間からギリギリ股関節が見えた。
 脚の周りを回りながら、小鳥さんの可愛さを口ずさんでいると、もう一人がおずおず現れた。

「…………どうかな」
「おぉ!」
「……」

 白いビキニに、胸元や股間を隠すように黒いフリルが付いたシックなデザインだ。
 きっと小鳥さんが似合うのを見繕ってくれたのだろう。
 スタイルを気にしている心のことを気遣ったくれたのも伺える。

「いいじゃんか。似合ってるよ、意外と」
「はー意外ー? 素直じゃないっちゃねー」
「ちゃ?」
「「あっ」」

 心の博多弁がバレた所で緊張もほぐれたようだ。


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「あー、楽しい。本当に広いねー、小鳥ちゃん家のお風呂。プールにも出来るなんて」
「お兄さんにも同じ事言われましたよ」

 二人で水かけ遊びをしているのを岸の方から眺めていたが、完全に怪獣大戦争だった。
 俺を容易に溺れさせられる水弾が、女の子の手のひら一つから放出されているのだ。
 巨人達が少し動くだけで水面は波打ち、遠くで泳ぐ俺の身体を波打ち際まで押し出してしまう。
 岸に居ても流れ弾を喰らえば、鉄砲水となって襲いかかる。
 一方で、二人は楽しくキャッキャとお話しながら戯れているに過ぎない。

 そんな力の差を認識させられた時、ある予感が浮かぶ。
 このままで終わるわけがないと。
 そしてその予感を感知したかのように、小鳥さんが俺の方に向き直った。
 すると小鳥さんは決まってこう言うんだ。

「いい事思いついた」
「「えっ?」」

 俺達の倒錯したコミュニケーションの始まりを告げるセリフ。
 それは意外な人物の口から飛び出した。

「そんなシンクロしちゃって、仲良さそうで何より。妹は嬉しいよ」
「それでいい事ってなんだよ。不安しかないんだが」
「二人の絆を今から試してあげようかなと。小姑としてね!」
「こ、小姑って……!」

 小姑という単語に反応したのか、小鳥さんは両手を口元に当てるなどして、極めて典型的に動揺していた。

 心が提案してきた『いい事』とはちょっとした余興だった。
 まず小鳥さんと心が攻撃側と防御側に分かれる。
 攻撃側は、水をかけるなどしてビート板に乗っている俺を落とせば勝ち。直接触れたら反則負け。
 逆に防御側は、身を挺して猛攻から俺を守り通し、一定時間経過すれば勝ち。こっちは触れてもOKだが、手で握るとか固定するような行為は禁止。

「私が攻撃側で、小鳥ちゃんが防御側ね。それじゃ準備して、大丈夫になったら声かけてね」

 ジャバジャバと水を掻き分けながら、心が遠くへ向かっていく。まるで海の向こう側へと消えていくゴジラのようだ。
 ちょうど腰の高さで揺蕩うビート板の上に置かれた俺の目線の先には、小鳥さんの大きなおヘソ。
 『吸い込まれそうだな』などと考えていたら、手で隠されてしまった。
 そんな事より、小鳥さんと早速作戦会議である。

「……と、取り敢えず私が前に立つから、それでいいでしょ」

 それだけで終わってしまった。もとより作戦も何も無いのだ。

「お、じゃあ行くよ!」

 遂に開戦のゴングが鳴らされた。
 心は早速小さな手に目いっぱいの水を溜め、思い切り投げつけた。
 眼前にそびえ立つ小鳥さんがノーガードでそれを受け止めてくれる。
 だが流れ弾がビート板に着弾し、若干の揺れに膝をつかされてしまった。
 見上げると、小鳥さんが心配そうな顔でこちらの様子を伺っていた。

「結構グイグイ来るね。大丈夫?」
「平気だよ。それより次が来る!」
「うん。あ、あれ? 居ない……潜ったの!?」

 小鳥さんが見ない内に心は水中に潜り、後ろに回り込んでいたようだ。
 やばい。がら空きだ。小鳥さんも間に合わない。
 すぐ後ろの水面からせり上がってきた心の顔は、悪魔のような笑顔を浮かべていた。

「ほらほら、兄さん。堕ちちゃいなよ」

 至近距離で水弾を受け、全身が弾け飛ぶ。
 鉄砲水の現場で救助を行った事が一度だけあるが、そんな感じの衝撃。
 むしろこれを耐えた自分を褒めてやりたいくらいだ。

「惜っしいー。もうちょっとだったのに」
「小人さん、私の身体掴まって。お尻触るの許してあげるから」
「あ、あぁ、わかった!」

 さりげなくとんでもない事を言われた気がするが、四の五の言っている場合では無い。
 ショートパンツを抱きかかえるように腕を伸ばすと、含んだ水分がじわりと滲み出してきた。

「んっ……もっと全身近づけて、しっかり掴みなよ」

 小鳥さんが小さく喘ぎ、下半身を身震いさせている。
 こっちはこっちで、さらに近づいたら顔が素肌に突入してしまうので、想像しただけで少し昂ぶってきた。
 思い切り全身を密着させ、脇腹の辺りに顔を埋めると、そのまま沈み込んでしまった。
 それがいけなかった。

「ちょ、何してるの」
「やばいやばいやばい」

 前のめりになりすぎたのかビート板がどんどん離れていき、斜め45度で少女のお尻に縋り付く滑稽な状態になってしまったのだ。
 ピンと伸びた脚がプルプルと震えている。小鳥さんの身体を掴んでいるのにも限界が来ていた。
 心も呆れて攻撃の手を止めてしまった。全身揺れてるプルプル人間。非常に恥ずかしい。
 だが、それが小鳥さんのツボに入ったようだった。

「くくく……ねぇ、小人さんやっぱりお笑いの才能あるよ。こんな面白い格好になってまで私の身体に触ってたいの?」
「いや、たすけっ……」
「あっははは! くくっ……ふふふっ……ほら、落ちちゃうよ。もっと力入れて私に掴まって?」

 防衛という本来の在り方を、小鳥さんはすっかり忘れてしまったようだ。
 普段の静かな雰囲気もどこへやら。
 完全にスイッチが入ったのか、お腹を抱えて爆笑している。

「小鳥さん30度! 俺斜め30度!」

 さらに距離が開き、徐々に角度が水平に近づいていく。
 呼応するように全身の揺れがさらに加速する。

「やめっ……数字で言わないで……! 死ぬ……死んじゃう……! 」

 小鳥さんの笑いも加速する。何やってるんだ俺たちは。

「はいはい終わり終わり」

 そして我慢出来なくなった心によって滝のように水をぶち撒けられ、俺は敢えなく落水した。

「というわけで心の勝ちらしいです」
「うん。それじゃあ一つだけ私の言う事聞いてね」

 そんな事、やる前に言っていただろうか。一体何をするつもりだ。

「何、その反抗的な目つきは。はい、じゃあまず小鳥ちゃんそこに寝て」
「えっ、私もやるんですか」
「そう。私と小鳥ちゃんの二人で、この負け犬兄さんをいっぱい躾けてあげるんだよ」

 横になった小鳥さんがゴロンとこちらを向いてきた。あからさまに不安そうな表情。
 肩をすくめてみせたら、小鳥さんも瞬き連打で共感を示してくれた。

「そしてお腹に兄さんを乗せます」

 ぷにゅ。そんな音が聞こえてきそうな柔らかさ。そんな最高級のベッドに仰向けに寝かされる。
 後方から心臓の鼓動が聞こえてくる。トクントクン。早い。緊張が伝わってくる。

「お前怒ってないよな、心」

 四つん這いになって俺を見下ろす心に問うと、しばしの静寂の後、慌てて背筋をピンと正した。

「えっ。あ、あぁぁぁごめん。怒ってないよ小鳥ちゃん。お遊びね、これ」
「あっ、あはは、ありがとうございます。大丈夫ですよ、わかってます」

 心は本当に社会でやっていけているのだろうか。
 この無意識の圧で周りから浮かなければいいのだが。

「で、最後に私がここにのしかかります。名付けて女の子バーガーの刑」
「俺は犯罪者かよ」
「女の子の身体にベタベタ触るおじさん。これは犯罪です」
「うっ、いや、許可は出てる!」
「あんなに激しくして良いとは言ってない……」

 フレンドリーファイアが炸裂したところで、刑は予定通り執行される運びとなった。

「いくよ?」

 上空を覆う心の肢体がゆっくりと落ちてくる。
 その迫力を前にして、息を止めていた事にも気付かない程見入っていたらしい。

「ぶっ!!!」

 そして心の腹部が押し付けられた瞬間、止まっていた時が一気に動き出した。
 だが息を吸おうにも、肌が密着している上に水が入り込んできて迂闊に口を開けない。
 なんとか腕を突き立て心の腹部を持ち上げ、幾ばくかの空間を作ると、若干の空気を取り入れられた。
 それも長くは保たない。重量凡そ1000倍の人体に抗う術は無い。
 心も小鳥さんも肌が塗れているから、身体は動かそうと思えば動かせる。その気になればこの蒸し風呂から出られるのだが、どうせまた突っ込まれるのがオチだ。

「ねぇ小鳥ちゃん」

 小声で心が何か言っている。よく聞こえない。

「えっ、なんですか」
「兄さんと居て楽しい?」
「えーっと……それはどういう」
「聞き方変えよっか。元に戻っても兄さんと一緒に居たい?」
「それは……そのっ」

 何も聞こえない。ただ二人の肌の感触と温かさだけが伝わってくる。
 耳に水滴が入ってきて、余計に聞こえづらくなってきた。

「もしかして私に遠慮してる?」
「……」
「……そんな事いきなり言われても困るか。ごめんね」

 結局、何を言っているのかわからないまま、二人の会話は終わってしまったようだ。


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「今日はありがとね。水着まで貸してもらっちゃって。洗濯本当にするのに」
「あっ、その事なんですけど……もし心さんが良ければ、貰って頂けませんか?」
「いいの!?」

 心は飛び上がりながら歓喜していたが、すぐに我に返ったようだ。

「でも貰ってばかりじゃ悪いよ」
「この前、とっても美味しいお昼ごはん頂きましたし、それにやっぱりお似合いだったので……!」
「え、えぇぇ、えへへぇぇ……そ、そんなん照れるけん……」

 クネクネしながら変な笑顔になっていた。
 さては小鳥さん、心の転がし方がわかってきたな。

「だからまた一緒にプール入りましょう!」

 さらに一歩前に出て、心と固い握手を交わす。
 これが決定打となったらしく、心は水着を受け取り、変な笑顔のまま鈴河家をあとにした。

「ありがとうな。水着」
「んーん、喜んでもらえてよかった」
「あいつのあんな顔、久しぶりに見たよ。本当に嬉しかったんだと思う」
「小人さん。心さんに何もプレゼントあげてないの? ダメだよ」
「そ、そんな事……俺だって一緒に住んでた時はプレゼント渡してたよ」
「どんな?」
「エプロンとかモップとか芳香剤とか……あ、あとトイレに置く音のなるやつ!」
「……」
「……」

 実用品ばっかじゃん……。