● 第5話:巨人と小人の新生活

「ん、うーん……」

 起床。小人生活2日目(正確には9日目のようだが)
 だが俺の住処には光を取り入れる窓は存在しないし、外へ出るドアを勝手に開けることは許されていない。少しだけ控えめに伸びをして、そのまま上半身を自由落下させた。

 昨日、そういえば、と寝る前に小鳥さんと決めたルール。起きる時に勝手に箱の外へ出ないというもの。彼女曰く、2日に1回、お手伝いさんが来るという。

 基本的には勝手に部屋へ入ることは無いらしいのだが、万が一を考えて俺の行動は自分である程度管理したいという話だった。
 よって、彼女が起きて箱の蓋を持ち上げない限り、シャバへ出ることは許されないという事だ。
 これは他の人には見つかりたくないという俺の希望を酌んでもらった面もあるので、特に文句は無い。

 ただ、何の娯楽も刺激も無く、ひたすら暗闇の中でボーッとしているのは中々しんどいのだなというのを、今俺は痛烈に噛み締めている。
 現代人が如何にインターネットなりゲームなどの娯楽に依存しているかを痛感させられた。
 今こそ原点に立ち返り、即物的な娯楽ではなく、風景や情景に思いを馳せ、もののあはれ的な情緒溢れた高尚な愉しみ方を実践すべきだ。

「……」

 フル回転を始めた脳裏には早速、昨日の光景がモワモワと蘇ってきた。昨日、アソコの中、入ったんだよなぁ。

 今更だが、昨日は世界初と言ったものの、靴下に入った人間は他にも居るかもしれない。ジョークグッズのクソデカ靴下なんて、どこぞの繁華街にでも売っていそうだ。
 だがしかし、アソコに入った人間、これは居ないだろう。間違いなく世界初だ。ギネスに載るかもしれない。しかもそれだけに飽き足らず、そのまま玩具として使われる始末。もうやり過ぎ。
 世界で初めてアソコに挿入され、玩具にされた人間、うん、不名誉というレベル超越しているな。申請は控えておこう。

 何も見えなかったが、今思い返しても凄まじい場所だった。
 人間の身体の中はここまで熱いのか、というのがまず最初の驚き。サウナ以上の熱気と蒸気、というよりも水気か。長居するような場所ではない。一体、どのくらいの時間挿入されていたのだろうか。聞くのも怖い。

 それから、あのおびただしい量の液体。ここまで製造されるものかと舌を巻いた。
 とは言え、身体が小さいから多く感じただけで、普通の人間からすればなんてことはない、小規模な潮吹きなのかもしれない。そもそもサンプル数が少ない俺に、そんな事はわからない。だが凄まじかった。

「…………うぅ、やばいな」

 こんな淫らな思索に耽っていたからか、見事にASA☆DACHIしてしまった。ダメだ、こんな状態で蓋を開けられたら何を言われるかわかったもんじゃない。

『え、昨日の事思い出してオッキしちゃったの? おかわいいちんちん』

 あっ………………いいかもしれない……じゃなくて、早く収めねば。別のこと別のこと。
 そうそう、部屋の家賃とかどうしようかね。大家さんにはどう説明すべきか……。

「おはよう、小人さん……ん?」
「オホー!!? オ、オハヨ」
「何その片言、変なの」

 よし、バレてない。即座に横を向き、前のめり(通称:胎児のポーズ)になった為、ズボンの股間部分が自然な形で膨らみ、俺の怒張を覆い隠してくれた。

「あとそれ隠せてないから」
「違うんだこれは」
「何が違うの」
「これは男なら朝必ずこうなるの」
「ふーん、そうなんだ。それで、どこがどうなるの?」
「え?」
「私、『それ』って言っただけで、具体的に何も言ってないよ」

 このマセガキ~~~

「この股間のちんk……」
「まぁいいや。出てきていいよ。お手伝いさんお昼ご飯の買い物行ったから」
「そうですか」

 小鳥さんはまだパジャマのままだったが、髪の毛はセット済のようだった。
 女性はとにかく朝の準備に時間がかかるとは、前の会社の女性社員の言だ。もしかしたら、俺よりもずっと前に起きていたのかもしれない。

「今は何時?」
「9時だよ」
「あ、そんなもんか。自分では結構早く起きたつもりだった。小鳥さんはいつ起きたの?」
「7時」

 規則正しいなぁ。昨日あれだけ暴れたというのに、若いっていいな。俺もまだまだこれからだけど。

「よっと、お、可愛いね。そのパジャマ」
「そう? 小人さん見る目あるじゃん」

 小鳥さんは少し得意げに胸を張っていた。こういう所は年相応だ。
 取り敢えず褒めとけ的な魂胆が全く無いと言えば嘘になるが、事実可愛らしくはあった。薄いピンク色で派手さはなくとも、膝下丈のズボンの裾についているフリルや、上着の襟がハートっぽい形になっている所が中々に少女趣味だ。
 こういうのはアニメだと良く見るデザインだが、実際に着てみると殆どの場合はかなりアイタタタな出来になりがちだ。小鳥さんの可憐な見た目故に成り立つのだろう。だからこそ素直に称賛したくなった。

「今日は私達も買い物をするよ。10時に出るから準備しよ」
「準備って言っても、俺何も持ってないよ。というか俺が出る必要あるか?」
「小人さんの生活用品を買いに行くんだから、小人さんが来なきゃ始まらないよ。これはお詫びのつもりなの」
「でもそれだと俺が見つかる危険性が……」
「大丈夫。私にいい考えがあるの」

 そのセリフは嫌な予感しかしなかったのだが、小鳥さんのアイディアは別段問題は見受けられなかった。
 手提げバッグの側面を一部切り取り、そこに穴をブツブツ開けたビニールを貼り付ける。
 それが俺にとっての覗き穴であり、呼吸の為の通気孔になる訳だ。コミュニケーションはハンズフリーで行うらしい。

「取り敢えず服と、新しい家ね。だからまずは生地屋行って、次にその後は雑貨屋」
「生地屋って、服縫えるの?」
「うん。自分でも作る事あるから」
「へぇ、それは凄い」
「見る?」
「見せてもらえるなら是非」

 話が脱線してしまったけど、結構興味があったので早速見せてもらうことにした。
 小鳥さんは気持ち足取り軽やかにウォークインクローゼットの奥の方へと消えると、やがて上下セットを持って戻ってきた。

「これなんだけど……どう?」
「おぉ……」

 メイド服だ。いわゆる伝統的な物ではない、メイドカフェとかで着られているような類の物。既製品並と言うには若干装飾不足な面は否めないものの、フリルはかなり大変だろうし、仕方ない。これならば自分で作るというのも安心だ。
 あと近い。パジャマでなかったら、また下着が丸見えのアングルだ。でも今の小鳥さんにそれは些事のようだった。

「これは凄いよ。可愛いし」
「えっ、そうかな……良かった。じゃあ今度これ着てイジメてあげるね」
「わ、わーい」

 内心、ワクワクが止められなかったが、それは必死に耐えた。

「顔洗いたい? 先に朝ごはん食べる?」
「それじゃあ朝ごはん頂こうかな。というかごめん、お金は元に戻ったら必ず払うから」
「いいよそんなの、大したもの用意してないし。じゃあちょっと待ってて」

 終始ご機嫌だった小鳥さんは、メイド服をしまうとそのまま部屋の外へ出ていった。注意散漫になっていたのか、危うく蹴り飛ばされそうになったが、かすり傷を負う程度で済んだ。

「はいこれ。朝ごはん」
「うおぉ……」

 体格差があるから仕方ないとは言え、少し絶句してしまった。
 朝ごはんとして差し出されたのは、ちぎられた食パンと少し厚みのある皿に注がれた牛乳、そして細かく刻まれたリンゴだった。改めて自分が異常な状態に陥っている事を認識させられてしまう。

「そんな顔するなら要らないかな」
「い、要ります要ります! ありがとう! いただきます!」
「ふふっ、召し上がれ」

 見上げると、小鳥さんは何だか少し妖しい笑みを浮かべていた。今ここで手で薙ぎ払われてもおかしくない威圧感を感じつつ、食パンにパクついた。思ったよりも水分を吸い取られる。

「こほっ、こほっ」
「ほら、牛乳も飲んで」
「おわわっ」

 スナック菓子でも摘むような軽さで、ひょいと持ち上げられてしまった。
 ふと指に目を移してよく見てみると、治りかけの生傷を発見。この感じは針だ。本当に服を作っているのだと改めて思った。
 というか、結局俺の噛み傷は本当にあったのか? でまかせを言うとも思えないが、本当に見つからない。反対側か?

 降ろされたのは牛乳の入った皿の前。こういう風に入っていると、啜るなり舐めて飲むしかない。猫とかがしているみたいに。
 昨日の出来事が無ければ屈辱を感じていたのだろうが、もう違和感なくこの待遇を受け入れているようで、自然な流れで四つん這いになり、ペロペロと舐め始めた。
 小鳥さんは大層ご機嫌そうに笑っていた。その声に嘲りは含まれておらず、純粋に小動物を愛でる意図のようだ。小動物。

「食パン食べにくいなら牛乳に浸してあげよっか」
「あ、それがいいかも」
「しょうがないなぁ。それじゃ、ご主人さまに感謝して」
「ありがとう」
「言葉じゃなくて行動で示して」

 うわぁ、なんか倦怠期っぽい事言い始めたぞ。この子本当に14歳か? 人生二度目なのでは?

「行動って……こんな小さい俺に何が出来るの」
「それは自分で考えて」

 うわぁ(以下略)

 そう言って小鳥さんは膝に手を乗せて正座し、こちらに向き直り、じっと俺を見下ろしたまま動かなくなった。
 とりあえず謝辞を述べながら土下座してみたが、彼女はツーンとそっぽを向いて反応を示してくれなかった。

「ヒント。女王様に騎士が忠誠を誓う時、何をするでしょう」

 この人絶対に二週目以降。前世は女王か女帝。
 と言っても、手の指は膝の上にあって、口づけをするには届かない。
 というかそもそも口づけしていいのか。いや、昨日あれだけ足の指の隙間をひゃくれつなめしたブチュチュンパが言えた事ではないが。
 じゃあどうすればと頭を抱えていると、小鳥さんが右手で膝をポンポンと叩いていた。登ってこいと言いたいらしい。

「10、9、8……」
「ちょ!?」

 唐突にカウントが始まったので、俺は大急ぎで小鳥さんの脚にしがみつき、太もものところまで這い登っていった。登った所で、2まで進んだカウントが止まったので、一旦休憩する事にした。
 正座してピンと張った太ももは、それでも尚抱き心地極上だった。パジャマを貫通して伝わってくる人肌の温かさと寝起きに慌てて動いた疲れとで、このまま二度寝してしまいそうな勢いだ。

「1……」
「はっ!」

 間一髪で右手に口づけをした。右膝をたて、真ん中の中指に両手を添えて。目を瞑り、一度だけの軽い口づけ。
 今の俺には巨大な5つ首の怪物である筈のそれが、目を閉じた今この瞬間においては普通の指となった。

 何だか気恥ずかしくなって、俺は唇を離して下がった後も、しばらく目を開ける事が出来なかった。
 彼女は一体どういう表情をしていたのだろう。ただ穏やかな静寂だけがそこに漂っていた。

「私、ペット欲しかったんだよね。本当は」
「そうなんだ……」
「でも私が責任を持ってお世話するって、どうしても出来る気がしなくて。でも小人さんなら何言ってるかは一応わかるでしょ。よく考えてみたら、初心者向けなのかもね。小人さん飼うの」
「そ、そうね」

 少なくとも隷属させる的な意味では同年代どころか本職の人と比べても卓越していると思うけど、それは言わないでおこう。

「お手伝いさん居るけど、結局私一人だからさ」
「……親御さんは?」
「離婚してお母さんはお兄さん連れて居なくなっちゃった。私が嫌いだったんじゃない? だからお父さんに引き取られて、でもお父さんはアメリカでお仕事があるし凄い忙しいから家には帰れなくて、どうせ居ないなら日本が良いって言って、ここで一人暮らし」

 重い。かなり重い。想像の10倍重かった。でもそうか、だとしたら、同じじゃないか。俺と。

「俺は母親が早くに亡くなって、父親と妹の3人暮らしだった。今は親元離れて一人暮らししてたんだけど、先週から新しい飼い主が見つかったんだ」
「ふふっ、そうだね」

 昨日の暴走からは想像もつかない程の穏やかな雰囲気で話す小鳥さん。あぁダメだ、この話を聞いてしまった今、何でも言うことを聞いてしまう気がする。

「知ってる? ペットには飼い主の匂いを覚えさせるんだよ」
「……ん?」
「あなたを元に戻す為にも、ちょっと遊ぼうよ。まだ出掛けるまでは時間あるよ」
「ちょ……ちょっと待って。お腹すいた。おあずけになってたパンと、リンゴ食べてからでもいい?」
「途中で吐かれると嫌だからダメ。終わったら食べさせてあげるから」

 こうなるともう交渉の余地は無い事は短い経験の間でわかっていた。

「それじゃ暴れないでね。暴れたらもっと酷い事しちゃうよ」

 再びひょいと持ち上げられると、そのまま折りたたまれた両脚の真ん中で吊るされた。するとモーセの奇跡よろしく脚が開かれ、深海探査艇小人号は静かに潜航を始めた。
 やがて俺の身体がスッポリと脚に埋まってしまった。目の前には、昨日俺を飲み込んだ洞窟が封印された状態で手招きしていた。いや、招いているは言い過ぎかもしれないが、こちらをじっと睨んでいるような気がして、少し寒気がした。
 こうして全方位を小鳥さんの身体で囲まれてみると、彼女の香りをより強く感じる。

「はい、到着。それじゃ頑張ってね」
「頑張ってって……うぉわ!?」

 左右から迫る壁、小鳥さんの両脚に為す術もなくサンドイッチにされた。あどけない少女の太ももは程よい肉付きで、故に絶大な破壊力を秘めていた。
 もちろん物理的な意味で凄まじい重圧がかかっている事は言うまでもない。何度も言うが、腕よりも脚の方が力が強い。おみ足三倍段って知ってるか?
 そして何より、女の子の香りに包まれながら最もプニプニといた場所に閉じ込められているというこの事実が、非常に朝のおニンニンに宜しくないのだった。もう即座に勃った。

「ほれほれ。気持ちいいでしょ」

 右脚左脚と交互に前後し、全身が左回転右回転と捻れるように擦られる。膨らんだ太ももの肉の中に、埋め込まれるくらいに押し潰される。全身をマッサージされているかのような心地だ。

「ふぅ、じゃあ今度は小人さんの番だよ。私寝っ転がるから、マッサージして」

 もう終わりなのか、と内心しょんぼりしていると、風雲急を告げる事態が発生した。

「寝っ転がるって、ちょっと待って、浮いてる、浮いてる!!!」

 小鳥さんは俺を脚で挟み込んだまま上半身を持ち上げ、そのままうつ伏せの体勢になった。
 その間、脚は少しだけ上げられ、俺はさながらジェットコースターのようなスピード感で空を舞った。
 そして太ももは裏返され、俺も同様に逆さになってしまった。まだ完全に着地させず、お尻を上に突き出して「く」の字になっている為、頭は打たずに済んだ。

「落ちる! 落ちる! 頭打っちゃうから!」
「あはは、すごい必死」
「頭は死ぬ、死ぬから!」
「わかってるよ。ゆっくり降ろすから」

 真面目にやってよかった柔道。両手を上手に使って無事着地。着地した先はY字路のど真ん中、いわゆる洞窟の入り口前だ。

「どこをマッサージすればいいの」

 仕方ないので、洞窟に向けて疑問を投げかける。凄いシュールだ。

「足の裏とお尻」
「足の裏と……お、お尻!?」
「変な事したらお仕置きするからね。ちゃんとマッサージしてよ。あとお仕置きされたいからってわざと変な事するのもダメ。そういう事する悪い小人さんは道路の真ん中でバイバイだよ」
「わ、わかりました。やります。やらせてください」
「また敬語になってる。ウケるね」

 少しSっ気が出てきたので、早歩きで脚が作り出す渓谷を駆け抜けた。
 足の裏は「第二の心臓」とも言われている部分で、数十ものツボが各々の器官とリンクしているという。つまり、足裏のどの部分が痛むかによって、どの器官が不調を抱えているかがわかるというのだ。
 もちろんどこがどこなんて覚えていないが、なんとなく指先からかかとまでが、ちょうど人の脳から生殖器にあたるという感じだ。よし、ここはドクターホビットが小鳥さんの不調を見つけてあげますか。

 まずは右足。指の付け根に腰を下ろし、両手を重ね、心臓マッサージの要領で体重を乗せてグイッと押し込む。
 これは腎臓、土踏まず。そういえば母方の爺さんも腎臓がんだった。俺もそうなるのかな、とかそんな事を考えていたからか、小鳥さんのクレームに気づくのが遅れた。

「ちょっと、聞いてる? 全然弱いよ。もっと全体重かけてくれないと効かないよ。今自分がどんだけ軽いと思ってるの?」
「あ、ごめんなさい」
「立ってジャンプしてみてよ。怒らないから」

 ジャンプしろと言われても、このうつ伏せになっている時の足裏、実はかなり傾いている。体感30度くらい。そんな場所で飛び跳ねれば、足を踏み外す可能性がある。そんな俺の滑稽な姿を見たいからこそ、ジャンプをご所望されたのだろうが。

「よっと、ほっと」
「あぁいいじゃん。これならまだ効くね。もっともっと」

 体重をのせた渾身の一撃は、あともう一歩くらいの気持ち良さを生み出すのがやっとのようだ。小さい部位でさえこんな調子なのに、臀部や腰に満足頂けるマッサージが出来るとはとても思えなかった。
 着地した時に、ほんの少し彼女のハリのある皮膚が沈む感覚は、さながらトランポリンの如し。なんだかちょっと楽しくなってきたゾ!

「ちょっと。楽しんでないで、もう片方の足もやってよ」
「はい喜んで」

 続いて左足。こちらには心臓のツボがある。そこへドーンと着地したが、やはりほんの少しだけ食い込む程度で、殆ど効いてないように見えた。トホホ。

「エレベーター、上に参りまーす」
「え、あ、やばいってそれは!」

 少し休憩している間に、俺が足場としている小鳥さんの足裏は突如高度を上げ、あっという間に手が届かないような場所にまで持ち上げられてしまった。

「落ちる落ちる!」
「あははは、落ちてしまえー」

 足をブンブンと左右に揺らしてご機嫌な小鳥さん。彼女にとってはほんの些細な動かし方でも、今の俺にとっては十分に脅威だ。なんせ落ちて打ちどころが悪かったら死ぬ高度なんだ。

「ほら、そんな所にしがみついてないで降りたら? 次、お尻お願いね」
「そんな事言われても……!」
「私のふくらはぎ使ってもいいからゆっくり降りてきなよ。もう何もしないよ。その代わり観察させてもらうけど。女の子のふくらはぎにギュッと掴まってる小人さんをね」

 小鳥さんの顔がこちらを向いた。右手で頬杖をつきながら、微笑、というかイタズラ顔で俺の一挙手一投足を観察している。
 どうやら本当に妨害をする気は無さそうなので、恐る恐る崖下を覗き込んでみた。

 手なり足を引っ掛けられそうな場所は踝くらいで、後はなだらかな曲線を描くふくらはぎの壁が反り立っていた。
 これを降りるのはかなり大変そうだ。むしろ、高さ的にはこのまま太ももへダイブした方がいいかもしれない。よし、それで行こう。

「すぅぅ……はぁぁ……」
「覚悟決めた?」
「そりゃあ!!!」
「わっ、ちょっと!」

 思い切り足で足を蹴り、太ももめがけて決死のダイブを敢行。
 高さにして大体小人換算で5m、大人3人分くらい。
 口にしてしまえば大したことのないその高さが、いざ飛んでみると異様に高く感じた。

 まだ着地しないのか、もしかして飛ぶ方向を間違えたか、そんな不安から来る錯覚だとわかっていても、それを拭うことは出来ない。
 だが現実は平等に時を刻み、やがて俺の身体は弾力のある太ももの大地へ降り立ったようだ。むにょんと音がしそうな程一瞬くぼんだそれは、放心していた俺を瞬時に夢見心地へと誘った。

 今まで触れたどの部位よりも柔らかい、まるでマシュマロのような居心地。
 パジャマの綿に包まれても尚、その生の感触が伝わってくるほどの弾力に、俺はすっかり虜になってしまった。
 やがて両手両足をダランと垂らし、ナマケモノと化した。

 もうこのままここで寝ても良い。
 きっとシモ◯ズのベッドよりも上質な睡眠を体験させてくれるだろう。
 そんな快楽の絶頂に達しようとした時だった。

「休憩終わり。もうダメでしょ、いきなり飛び降りるなんて。ちゃんとふくらはぎに掴まってゆっくり降りないと。避難訓練とかでやったこと無い? ポールに掴まって、そのまま降りて避難するの。私はやったこと無いけど」

 小鳥さんの左手に捕まり、不機嫌そうな顔の真ん前で吊るされながら散々お説教を受けた。

「じゃあ次お尻ね。はい、どうぞ」
「はいはい」
「はいは一回でいい」
「はい」

 お尻。
 肉親以外の物であれば、一生触る事を許されないと思っていたが、よもや触るどころかそこに立つ事になるとは思わなんだ。
 取り敢えず1,2回飛び跳ねてみる。太ももに負けずとも劣らない弾力。

「んっ……」

 感じているのだろうか。吐息とともに、艶のある声が小鳥さんの口から漏れ出た。
 ここならば効果があると分かった途端、この行為が楽しくなってきた。やはり相手から反応が無いのはつまらない。
 いくらそれが少女のお尻や太ももをマッサージするという、蠱惑的な体験でもだ。人間とは全く以て贅沢な生き物だ。

「んぅぅ……結構いいかも」
「それは良かった」

 好評だったからか、お尻のマッサージはしばらく続いた。右、左と交互に何回も飛び跳ねたので、いざフローリングの床に降り立った時に、ガクンと膝から崩れ落ちてしまった。トランポリン現象だ、正式名称はよく知らない。

「ふぅ、気持ちよかった。それじゃはい、お待ちかねのご飯……ん!?」

 牛乳に浸した食パンを差し出したまま、小鳥さんはドアの方へ首をグンと向けてしまった。誰かが帰ってきたのだろうか、扉の開く音が俺にも聞こえた。

「もしかして例のお手伝いさんが?」
「そうだね。予想よりも結構早く帰ってきた。ちょっと箱入ってて。私、声かけてくる」
「わ、わかった」

 小鳥さんはドスドスと音を立てながら慌ただしく部屋を後にした。これに巻き込まれたら間違いなく全身打撲だと思うと、身が引き締まる思いだった。
 取り敢えず箱に戻る前に、急いで牛乳パンを口に頬張った。少しむせた。

「小さな箱~愛しき我が家~」

 変な自作歌曲を口ずさみながら、いざマイホーム。音楽だけは苦手で、常に評価が低かったのを思い出した。音楽は芸術の中でも殊更に特殊な表現技法だと今でも思っている。
 箱に入り、蓋を締める。やはり暗い。でも不思議と落ち着く。この敷かれているタオルの寝心地が良いんだ。ふぅ、と息をついて目を閉じると、色々と思索が巡り始める。

 それにしてもお手伝いさんを雇っているとなると、鈴河家は普通以上の資産があるだろう。
 父親はアメリカ勤務、今どき珍しくない事なのかは良くわからないが、給料もそれなりに貰ってそうだ。

 まだこの家の間取りすらわかっていないが、この部屋だけでも相当広い。
 何せツイスターゲームを開催しても尚、広々とした空間だ。
 俺の部屋の全てを足し合わせても敵わないかもしれない。そしておそらく、これよりも広い居間もあるだろう。

 そういう場所だと思うと、途端に落ち着かなくなった。
 こちとら生まれてこの方、1DK以上に住んだことがない。しかも築ウン十年のボロアパート。
 家族4人、すぐに3人になったが、コツコツ節約しながら暮らしていたものだ。
 親父ももうそろそろ働くのが厳しい年頃になってきた筈だ。
 だから俺が頑張らなきゃいけなかったのに、ごめんなさい。

 今、俺はブルジョワのペットとして生涯最高のゴージャスな生活を享受してます。
 皆もここに住めばいいのに、とか考えてしまう。それは流石に冗談です。

「よし、小鳥さんにいっぱいイジメてもらって、早く元に戻らなきゃな!」

 よくわからない宣言をしていたら、再びドアが開く音がした。
 視界が奪われた状態で、小鳥さんの発する震動が次第に大きくなる様は、ビルに隠れている怪獣映画の小市民のような心地だった。
 驚くべきことに不思議と悪い気はしなかった。俺もこの生活に慣れてしまったということだ。良くない、良くないぞ。
 これは異常な事態だと認識し続けるんだ。俺は170cmあった、誰がなんと言おうと170cm台なんだ……。

「ごめん小人さん。私ちょっと出かけなきゃいけなくなっちゃった」
「あ、そうなの。別の買い物?」
「んーん、違うの。友達が私と勉強したいんだって。せっかくだから図書館で勉強した後に、一緒にお食事でもどう? って誘われたの」
「お手伝いさん経由で? スマホで連絡取り合えばいいんじゃないの?」
「……その……私って捻くれてるじゃない? だからあまり近寄りがたい感じで通ってるの。だから連絡先も殆ど交換してない。でも、見た目可愛いし、声も可愛いから、それでもお近づきになりたい人って居るわけ。でも私に直接言いづらいから、まず優しいお手伝いさんに言うんだよ」
「じゃあ相手は男の子か」
「いや女の子だよ。何、嫉妬? 可愛いペットだねぇ、よしよし」

 頭を撫でられた。危うく首が変な捻れる所だった。それにしても可愛いとかそういう所は置いておくとして、妙に回りくどい事をする。今どきの若い子は一周回って奥ゆかしいコミュニケーションが流行っているのか。気になる。気になるぞ。

「で、本当のところは? いや、可愛いとかそういう事は全く否定しないけど」
「……勘の良い小人さんは嫌いだよ。それに、あんまり個人情報聞くものじゃないよ」

 確かに。こういうところだぞ俺。

「ご、ごめん」
「まぁいいけど。私の学校、いわゆるお嬢様学校でね、使用人……まぁお手伝いさんだね、がそういう事を管理してるの。不純異性交遊とか、ヤンチャしないようにね。だから、私に直接連絡は来ない……事になってる。友達と遊ぶのも、なにもかも全部お手伝いさんが管理してるの」
「そりゃまた窮屈だね」

 その割にエロ生配信が見逃されているのですがそれはどうなんでしょうか、お手伝いさん?
 まさかわざと見逃してるとかないですよね、お手伝いさん?

「別に。私は一人が好きだから、たまにでいいんだよ。こういうの」
「その割には結構嬉しそうだけど?」
「たまにだから嬉しいのは当然でしょ。何? お誘いが少なさそうって言いたいの? あんまり変な事言うと、踏み潰しちゃうよ」
「ごめんなさい」
「すぐ謝るの悪い癖だよ小人さん」
「ごm」
「ほらまた」

 その後、踏み潰されはしなかったものの、謝る癖はしっかりと反省しなさいという事で甘踏みされた。俺はカエルの歌を歌う羽目になった。ゲロゲロ。
 ちなみにパンは、もうお腹いっぱい(というより、カエルの歌でリバースしかけた)だと言ったら目の前で小鳥さんが一口で平らげてしまった。俺にとっては満漢全席に匹敵する量だったので、少しぎょっとした。ギョギョギョ。

「それじゃ行ってくるから」
「行ってらっしゃい。楽しんでおいで」
「帰ってきたらまたイジメてあげるね」
「お手柔らかに……」
「うん。それじゃ、大人しく箱に入ってるんだよ」

 手を振って再び部屋を後にする小鳥さん。やっぱりウキウキしているじゃないか。歩き方でわかる。
 さて、用事も無くなったし、お手伝いさんに見つかったら面倒なので、大人しく箱に入っている事にしよう。

 そう。この時の俺は、小鳥さんが居ない間にあんな事になるなんて、夢にも思っていないのであった。