● 第8話:打ち解け始めた二人
「ただいま」
「あぁ、おかえり。友達と遊んで楽しかった?」
「遊んでないし。勉強してたんだよ。でも楽しかった」
「それは良かった」
小鳥さんのご機嫌はすこぶる良いようで、声も少しトーンが高めだった。よっぽど楽しかったのだろう。
『お嬢様と仲良くしてあげて下さい』
『その姿でいる間だけでもいいんです。話し相手になって頂けませんか』
烏丸さんの言葉を思い出しながら、そんなに仲の良い友だちが居るのなら、俺は別に居なくてもいいじゃないかと思った。
何か問題でもあるのだろうか。それを本人に聞く事は出来ないし、又聞きもどうかと思うから、話してもらうのを待つしかないのだが。
「お出かけは明日しよう。今日はもう疲れちゃった」
確かにもう夕方の17時、よい子は家に帰る時間だ。俺も朝から色々あって疲れたし、今から出掛けるというのも大変そうだったのですぐに同意した。
「思いついたことがあるんだけど。聞いてくれる?」
「なになに?」
「小人さんの家、覚えてない?」
「それは…………うん、それなら覚えてる」
「表札とかポスト見れば、名字は思い出せるんじゃない?」
「あぁ、確かに!」
「それと家に置き忘れたっていうスマホも取りに行ったほうが良いんじゃないかな。お父様や妹さんからの電話取れなかったら怪しまれるでしょ?」
「それもそうだ」
「問題は家の中に入れるかって事なんだけど……小人さん鍵持ってない?」
「ポケットの中に入れてたけど……はいこれ」
俺の身体が小さくなった時、俺の身につけている物も同時に小さくなっていた。
服は勿論、ポケットの中の物も全てだ。
「うわ、鍵穴に入っちゃうじゃん、そんな小さいの」
小鳥さんは巨大な指先で鍵を器用に摘み、小虫でも見るように目を細めてそう言い放った。
「鍵屋さんで大きく作り直して貰えるのかな」
「あ、でも大丈夫だ」
「え、そうなの?」
「スペアの鍵をポストの裏側に貼り付けてるから」
「何でそんな事してるの。まぁそのお陰で余計な事する必要無いんだけどさ」
「それは……心配性なんだよ」
正確には違う。俺は全く心配性ではない、むしろ適当主義の筈だった。
それを咎められ、みっちり教育されたのだ。うちの女房係に。
「心配性の人は私の足から太ももに決死のダイブなんてしないと思うけど」
鋭い。この子は本当に鋭い。既に俺の適当さが既にバレている。
「そう言えばお手伝いさんにはバレちゃったんだね。というか私が小人さん拾ってきた日からか」
「そうみたいだね」
「あんまり部屋入っちゃダメって言ったのに、プライバシーも何も無いね。嫌になっちゃう」
「あはは……」
「でもお手伝いさんの言ってる事は何も間違ってなかったよ。改めて、本当にごめんなさい」
真面目な顔だ。良識のある子で良かった。
ここで流石に傲慢に振る舞って、自分のせいじゃないと言うような子だったら、俺も怒っていただろう。きちんと謝れるなら、ひとまず大丈夫だ。
とは言え、人を小さくして持ち帰ろうという発想自体がヤバいという事実は覆らないのだが、そこは若気の至りという事で目をつぶろう。
「お手伝いさんと何か話した?」
「そんなに多くは。どうして小さくなったのかは話したよ」
若干の組んず解れつはしてしまったが、それは内緒という約束だ。
「ふーん」
ジト目で訝しがってきた。この子の『ふーん』は何もかもお見通しのような感じがして、いつも背筋が凍る思いがする。しっかりしろ年上。
「本当かな」
「うわっ!?」
手が近づいてきたと思ったら、あっという間に捕まり小鳥さんの目の前へ連行されてしまった。じっと見つめられ、その大きな黒い瞳に吸い込まれそうになる。でもこれは秘密、絶対に秘密なんだ。
「もしかして私の配信の事とかチクってないよね」
「うっ! それは言ってないよ!」
「うっ、て何? それは流石にダメ……!」
あれ、まさか烏丸さん言っちゃいました? 俺が烏丸さんにチクった事になってますか? 今、巨人の手と言う圧搾機にかけられて悲劇が起きようとしています。お願いします、助けて下さい!
「言ってない……断じて……言ってない……」
「…………そうだよね、そんな事をバラしても小人さんにメリットが無いね。ごめん、疑って。でもあれがバレるとちょっと嫌かなって思って」
バレるどころか秘密裏にケツ拭かれてます。あとその光景、大公開されてます。口が裂けても言えないけど。でもそれなら……
「最初からやらなければいいかなって」
「……」
「あぁ! 出る、出る!」
お昼に烏丸さんが用意してくれた小人用ランチプレートを全てリバースするところだった。
美味しかったなぁ、あのスクランブルエッグ。また食べたいなぁ。
そんなこんなで、小人生活二日目が終わろうとしていた。夕飯は烏丸さんのお粥だった。
粥と梅干しのあわせ技が、どこかおふくろの味を感じさせた。こんな美味しい物が食べられるなんて、今までの生活よりもずっと豊かだ。
それに洗濯も非常に簡単だ。なにせ、水洗いしてドライヤーで乾燥すればいいのだ。
ドライヤーは俺では扱えないので、手伝ってもらう必要があるのだが、5分もあれば片がつく。これは小鳥さんに手伝ってもらった。
色々手伝ってもらって申し訳ないので、何か力になれる事は無いかと夕食時に二人に聞いてみたのだが、異口同音に『無い』とのお返事だった。ですよね。
「それじゃおやすみ。もうお手伝いさんにバレたから、朝早く起きても自由に動いていいよ。あ、でもあんまり変な所で止まってないでね。間違って蹴っちゃうから。あ、ごめん。あと部屋の外も危ないからね。お手伝いさん、胸が大きいから下見にくいと思うんだよ……ちょっと、何私の胸見てるの。年相応でしょ、成長過程。それにあんな爆乳と比較されたら全人類が泣くよ。大きければいいってもんじゃないから。それ言ったら小人さんのソレなんて豆粒だよ豆粒。それに冷静に考えてみたら、小人さんは部屋の外には出られないかな。だってドア開けられないもん。小さいって不便だね!」
「おやすみなさい」
まるで上級魔法でも発動するかのように長々と詠唱をし、満足そうに足音を鳴らしながら去っていった。
間違って蹴っちゃうから、の所で本当に試し蹴りをされてしまったので、生きた心地がしなかった。
おそらく小鳥さんからしたら、本当に足先でコツンと触れただけのつもりなのだろうが、俺にとっては自分よりも大きな肉塊にそれなりの速度でぶつかられたくらいの一大事だ。
そのギャップが分かっていないのか、それとも分かってやっているのか、後者の確率が高いのは明白だった。
そしてその行為を、俺も既にじゃれつきの範疇として受け入れつつある事も確かだった。
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「はぁぁ……んん゛」
何時だろう、と気づけばズボンのポケットをまさぐる自分が居る。
そこにスマホは入っていないのに、ルーティーンは怖いな。
手をグンと上に伸ばして蓋を押し上げると一気に視界が広がり、仄かな光が差し込んでくる。
カーテンの隙間からは既に朝日が顔を覗かせていた。
ベッドの方を見ると、どうやら小鳥さんはまだ就寝中のようだった。時計を見ればまだ6時半。
起きるにはまだ早かったが、なんとなく今日は非常に調子が良いので、身体を動かしたい気分だ。
皇居ランナーとか昔は理解出来なかったが、今なら気持ちが分かるぞ。
「よっこらせっと」
ひとっ走りと思ったが、案外走り回るには狭い事に気が付いた。端から端まで50mあるかどうか。
多く見積もっても200mのトラックだ。朝イチだったので、5周ほどで終わらせて大人しく箱へと戻った。
布団に使われているタオルは毎日洗濯してもらえているので、端の所で汗を拭かせてもらった。
至れり尽くせりでやはり申し訳無さが募る。何か、何か俺にも出来る事は無いか。
そう考えている内に気持ちよく二度寝に突入した瞬間は、全く覚えていない。
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「おはよ。朝だよ。起きて」
瞼に光が差し込む。朝だ。
身体をよじらせながら起き上がり上空を眺めると、美少女のドデカイご尊顔がお出迎えしてくれた。小鳥さんもまだ少し眠そうだ。
「あぁ……二度寝してたか……」
「二度寝? なんだ、一回起きてたんだ……って何これ、臭っ」
「えっ!?」
におい。女性が重視する外的要因ナンバーワンと言われる清潔感の中でも、最も重要な要素。
これは汗によるものだ。寝汗に加えてジョギングの汗で確かに相当ジメジメしていた。
鼻をスンスン言わせると、結構臭い。これはいけないな。
「ごめん。実は最初起きた時、この部屋でジョギングしてて」
「ジョギング~? ここは運動場じゃないんだよ、小人さん。そりゃ小人さんにとっては丁度いい大きさなんだろうけど……いくらいい汗かいたって、水で流せないんじゃ気持ち悪いでしょ」
ニヤけながら呆れるという、珍しい表情が見られた。彼女のこんな顔を見るのは初めてだ。
だいぶ打ち解けられたと思って良いのだろうか。
「でも一回走ると、その後色々捗る気がして」
「皇居ランナーみたいな事言ってる」
実際に皇居ランナーがそう言っているかどうかは知らないが、俺も同意見だった。妙な所で気が合う。
「まぁいいや。そんなに走りたいんなら好きにするといいよ。蹴られても知らないけど」
「ありがとう」
「でも小人さんがいつもそんな汗臭かったら嫌だし、小さい水風呂も用意しよっか」
「助かるよ。本当にありがとう」
「いいよ。お互い様でしょ。だから私のワガママも聞いてくれるよね?」
そう来たか。こればかりは完全にあちらに理がある……というかここまでお世話見てもらえるのだし、手伝える事があるならむしろ積極的にさせて欲しいくらいだけど。
「何をすればいい?」
「今日はずっと晴れの予報なんだよね」
「そうなんだ」
「それに気温も30度越えるから薄着になるの」
「ゴクリ」
「しかも長いお出かけになると思うんだ。ここまで言えばわかるよね」
クイズ形式だ。だがこれは簡単だ。
「日焼け止めを塗る」
「正解。じゃあ、はいこれ。腕は自分でやるから、脚と顔をお願い」
突き出されたのは日焼け止めクリーム。勿論、俺の股下くらいはある巨人サイズだ。
結構重たく、持ち上げる時に鼻息が荒くなってしまった俺の姿を見て、小鳥さんはご機嫌な様子だった。
「この小さな身体で?」
「これも小人さんを元に戻す為に心を鬼にしてあげてるんだよ。こんな理不尽な事、優しい私は口が裂けても言えないから」
まるで台風一過のような、清々しいまでの嘘だ。
でなければ、元に戻す方法を知る前のあの一連の出来事の説明がつかない。
でももうそんな事は水に流したからいい。
「よし、ジョギングで慣らした身体を使う良い機会だ。是非やらせてもらうよ」
「いいね。それじゃ脱ぐから。ふくらはぎから足の甲まで全部お願いね」
まるで気にしないという風にゴソゴソとパジャマを脱いでいく小鳥さん。
衣擦れの音が頭上でしたかと思ったら、パジャマが脱がれた衣類が覆いかぶさってきたのだ。
驚きのあまりスクワットをしてしまい、そのまま匍匐前進の構えになる。抜け出した先では彼女の爪先が待ちわびたように鎮座していた。
「まずは足の甲から塗ってもらおうかな」
「はいはい」
「はいは一回」
親指でコツンと小突かれた。
気を取り直し、指に腰掛けて日焼け止めを足の甲に降ろす。これだけでもちょっとしたエクササイズだ。
蓋を回し、逆さにして思い切り握る、というよりも抱きしめる。
普通なら出過ぎないように指先だけで行う『日焼け止めクリームを出す』という行為ですら、全力全開。
やっとのことで出たクリームを、腕ごと使って満遍なく塗り拡げていく。
手を伸ばせば足首までは届くので、この方法で十分だ。もう片方の足の甲も同様に進めていく。
それにしても綺麗な肌だ。日焼けにはかなり気を遣っているのがわかる。
サンダルをしていると付いてしまうような日焼け跡が全く見当たらない。
「もう腕終わっちゃったよ。小人さんは……え、まだ足の甲やってるの? 遅すぎー」
頭上から嘲りの言葉が降り注ぐ。彼女は立ったままなので、俺が今作業している遥か直上で俺の事を見下ろしていた。
見上げたら、当然の如く可愛らしいパンティーがモロ見えだ。最初の時はあんなに毛嫌いしていたのに、もう気にしないのだろうか。
「小人なんだから仕方ないでしょ……」
「それもそっか。そんなことより、私と小人さんと、どちらが早く脚に塗り終わるか勝負しようよ。負けた方は罰ゲーム」
さらっととんでもない事を言いながら、腰を降ろしてここまで来いとでも言うように脚をポンポンと叩く。
「話聞いてた?」
「では両者位置について……」
そんな勝てる訳無いだろう、と思いかけたその瞬間、圧倒的閃きが俺の脳裏をかすめた。
『ちょっと待って欲しい。勝利の為の必殺技を思いついた』
『必殺技? なにそれ面白そう』
『……オラァ!』
まず服を脱ぎます。そして日焼け止めの吹出し口を腹部に押し当て、思い切りベアーハグをかます。
すると、クリームが俺の身体にぶちまけられた。
『準備出来たよ』
『わかった。それじゃ、よーいドン!』
『うおぉぉぉぉぉぉぉお!!!!!』
『え、なにそれ……ひゃん!』
これぞ必殺、全身クリーム乱れ塗りだ。小鳥さんの太ももに手足を巻きつけ密着させ、全身にぶちまけたクリームが乾かぬ内に擦りつけながら高速で動くという、まさに禁断の妙技。
この技が恐ろしいのは、そのあまりの気持ち悪さに鳥肌が立って、相手の動きを阻害出来るという点だ。
『くすぐったいから止めて。あとそのクモみたいな動きが純粋に気持ちが悪い』
あ、ダメだこれ。普通にやろう。普通にやって罰ゲームを受けよう。この思考に至るまでの時間、凡そコンマ5秒。
「よーい、ドン」
「うぉぉぉぉ!」
「……って言ったらスタートしてねよーいドン。フライングは5秒間ペナルティだよ」
「も、持ち上げないで……怖いから」
うつ伏せのまま顔の場所まで持ち上げられたので、下が見えてかなり怖かった。
目を背けて小鳥さんの表情を伺うと、妙にニコニコしている。
やっと解放された時には、小鳥さん担当の左脚は殆ど塗り終わっていたが、それを言っても仕方ないので自分の作業に入る事にした。
白いクリームがピュッと太ももに飛び散らせる。その見た目は、もう完全にアレだった。
美少女の柔肌に付着したソレを、塗り残しが無いように腕全体をワイパーのように使ってのばす。
太ももを椅子にして、黙々と作業を続ける。
小鳥さんは表面を塗り終わったのか、今度は太ももの裏側に塗る為に膝を曲げていた。
太ももをなぞる手のひらと肌が擦れる音が気になって集中出来ない。
決してやましい目的じゃないと心の中で唱えながら目だけ左を向く。
そこでは、膝を頂点にしてそびえ立つ太ももが、彼女の大きな手によって揉まれてダイナミックにその形を変えていた。
「何よそ見してるの」
「し、してない!」
「そんなに私の太ももが気に入ったの?」
「違う違う!」
「素直になればいいのに。ほら、こうしてあげる」
小鳥さんは折りたたんだ脚を持ち上げ、グッと右脚の上、つまり俺の頭上まで動かすと、そのままそれを降ろしてきた。
咄嗟に防御姿勢を取ったが、仰向けの状態で太ももサンドイッチの具にされてしまった。
足の下敷きにされるのとはまた違う、独特の快感がほとばしる。そこに固い床は無く、ただきめ細かな肌と暴力的なまでの弾力だけが存在していた。
前に挟まれた時は左右から、今度は上下で。こうして挟まれると、表と裏で結構筋肉の付き方が違う事に気づく。
太ももの裏側は柔らかいが、表側は少し硬い。ハムストリングスがあまり鍛えられていない証拠だ。
だがそれで良かった。もし小鳥さんが筋骨隆々だったら、強健な筋肉に挟まれてグロッキーになってしまう所だ。
小鳥さんの太ももの柔らかさに感謝しながら、無心で小鳥さんの気まぐれを享受する。擦られている内に、再び股間部が熱を帯びてきた。
小鳥さんの言う通り、俺は脚フェチなのかもしれない。もはや認めざるを得ない。
「ほらやっぱり。マーキングしちゃったねぇ。小人さんは、私の太ももに挟まれるのが好きなんだねぇ」
赤ん坊をあやすような口調で煽られたが、何も言い返せなかったので、大人しく挟まれたままでいた。
「じゃあ最後、顔よろしくね。寝転がるから、顔まで歩いておいで」
ゴロンと小鳥さんが寝転がると、そびえ立つ壁だった上半身が広い大地へと変化した。
恐る恐る一歩を踏み出そうとしたが、立って歩くのもなんだか申し訳なかったので、ハイハイしながら進む事にした。
それにしても、このクリームの容器を持ったままだと動きづらい。
「なぁにそれ。普通に歩きなよ」
「人の服の上を土足で歩き回るのもどうかと思って」
「妙な所で律儀だね。そんな誰もやった事ないような事で変なマナー作らなくていいよ。面白いからいいけどね。それ、邪魔しちゃえ、えいえい」
「滑る、滑るから!」
指で左右から小突かれ、滑り落ちそうになってしまった。
パジャマの生地が薄いから、少しでもバランスが崩れると容易に滑ってしまう。
「そうだ。服の上で動き回るのが気になるんなら、服の下に入ればいいんだよ」
「?」
「戻ろうか。はい、最初から」
「ちょ、うわっ!?」
またもや気まぐれに翻弄される。雑に掴まれて、そのままふりだしの股関節まで戻されてしまった。
「ほら、入ってきていいよ。あ、それ邪魔でしょ。預かる」
小鳥さんはパジャマの裾をヒラヒラとさせながら、中に入れと誘っている。
そこはまさに未開の地であり、男のロマンだ。
日焼け止めクリームをひったくられたお陰で身軽になっている。これはもう行かざるを得まい。
「では失礼しますぅぅぅぅ……」
手を合わせて、謝辞を述べながら深々と礼をする。
「キモッ」
再びハイハイの姿勢となり、いざ鎌倉。お腹に手を乗せると、太ももとも違う柔らかさがあった。
体重をかければどこまでも沈んでいきそうな、底の見えない柔らかさだ。
これは脂肪か、それとも皮か? でもここに言及すると本気で叩き潰されそうな気がしたので、黙っている事にした。
中に入ってすぐに見えてきたのは、顔を埋められそうな程の大きさのヘソだ。
手入れが行き届いているのか、ゴマがほとんど見当たらない。
前に一度だけ自分のゴマの臭いを嗅いでみたことがあるが、ツンとした酸っぱさというか、とにかく筆舌に尽くしがたいものだった。
怖いもの嗅ぎたさで鼻をつまみながらヘソに近づき、ゆっくりと鼻をつまんだ手を緩める……臭くない。
もっと近づいたらどうだ、そうして次第に顔とヘソの距離が狭まり、ついにゼロ距離一歩手前まで到達する。
そのあまりの近さに動揺し、大きく息を吐いてしまった。
「んんっ……もう、ヘソで遊ぶなっ」
服の上から鉄拳制裁が執行され、それに後押しされる形でヘソに顔が埋まった。
まるで欠けたピースがはめ込まれたかのような収まりの良さに、俺も小鳥さんもしばし言葉を失っていた。
ちなみに流石に直接口づけをしたら、若干の酸っぱさがあったが、これも黙っている事にする。
気を取り直してさらに洞窟を進む。奥に進むにつれて暗さが増し、突然地面が硬くなってきた。
これは胸骨だ。胸骨という事は、そう、俺は遂に辿り着いたのだ。
おっぱいという名の桃源郷に。手を思い切り広げれば届くはずだ。
スカッ
無い。おっぱいが無い。おかしい。もう一度手を動かす。
スカッ スカッ
やはり無い。おっぱいが無い。まさか、そんな筈は。
小鳥さんが実は男だなんてそんな筈は無い。
スカッ スカッ スカッ
いくらまさぐっても、そこにはエデンは存在せず、ただただ荒涼な大地が広がっていた。
服の上から見る以上に、小鳥さんの胸部は小鳥さんだった。
ただでさえ昨日、爆乳に挟まれて揉みしだかれたばかりだったので、そのギャップに脳が追いつかなかった。
「私、身体の中でも胸の事で色々言われたりするのが一番嫌なんだけど、小人さん?」
「ひっ!?」
服の首元の部分が持ち上げられ、小鳥さんの大層不機嫌な顔が顕になった。
「それは誤解だ。乳房の大きさで人の価値は決まらない。それを小鳥さんに伝えたかった」
「じゃあなんでわざとらしく私の胸の上で手をバサバサと動かしていたのかな」
「暗かったからよく見えなくて」
「ふーん」
「…………」
「ま、お手伝いさんと何かあったんでしょ。私のはあんなに大きくないもんね」
この子は本当に鋭いというか、洞察力が凄い。
「いいよ。別に胸の大きさで良し悪しなんて決まらないし。私は顔もスタイルも、頭まで良いしでちょっと盛りすぎちゃったから、胸が大好きな神様がバランス調整で胸を真っ平らにしたんだよ」
そして負けず嫌いの面が出てくると、突然IQが下がる。不思議な子だ。
「もういいや、早く出てきなよ。顔が待ってるよ」
「はい、ごめんなさい」
「わかればいいの」
意外とすんなり解放され、服の洞窟を抜け出すと、反り立つ顎の壁が立ちはだかった。
このくらいであれば何ということは無い、登れない高さでは無かった。前へ一歩踏み出し、顎に手をかける。
「んむぐっ!? けほっ、けほっ」
「うわっ!? だ、大丈夫、小鳥さん?」
「もー……喉蹴らないでよ」
「ごめん」
どうやら一歩踏み出した先は、俺の身体で言う所の喉仏のような急所だったらしい。見えないからわからなかった。
「もういいよ。吊り下げてあげるから」
小鳥さんの手でガッシリ握りしめられ、そのまま彼女の眼前で吊るされてしまった。
こうして真正面から眺めると、本当に可愛らしく整った小顔だ。
だがその口は俺を丸ごと収められるほど大きいし、その目は俺の頭と同じくらい大きい。
じっと見つめられると、なんだかこのまま食べられてしまいそうな雰囲気すらした。
「手、届く?」
「え、あ、いや、ちょっと届かないかな」
「じゃあもうちょっとだけ降ろすよ」
視界はもう既に小鳥さんの顔でいっぱいだ。幼さを残す小さな唇は、手を伸ばせば触れられるくらい近くなっている。
吐息を直接かけられ、身体が湿り気を帯び始めた。
「ボーッとしないで手を動かすの」
「はっ、そうだね。じゃあクリームを貸して」
「そんな不安定な状態でやったら、クリームが目とか口に入っちゃうかもしれないじゃん。私が垂らすから、のばして」
「それもそうか……」
目とか口に入れたら流石の巨人もダメージを受けるか、などと思ってしまった。
目の前の普通の少女が、無敵の巨人にしか見えなくなってきている。
自分だって元の大きさだったら大騒ぎな癖に、もう完全に小人根性が染み付いてしまったようだ。
思索を巡らせている内に、小鳥さんはクリームを垂らしていたようで左右の頬に白い水たまりが出来ていた。
もう少しで垂れ落ちそうだったのを、寸前で手を伸ばしてせき止める事に成功。
手の届く範囲で両手をブンブンと顔に這わせてクリームを塗り拡げる。
鼻の下や目元は特に慎重に。小鳥さんもその近くを塗っている時は固唾を呑んで見守っていたようで、息が止まっていた。
「鼻、鼻……くしゃみ出そう……」
「その前に避難させてな、頼むよ……?」
「あ……出る……ふぁ……」
その瞬間、俺を握った手がギュンと高速で動き、『へっくち』という轟音と共に小鳥さんの顔がグルンとそっぽを向いた。微かに何かをすする音が聞こえる。
「絶対見ないでよ」
「う……うん……」
多分、鼻水が少し出てしまったのだろう。ティッシュを取りに行ったようだ。
ちなみに俺は急な動きで流石に身体がびっくりしたのか、覗き見はおろか返事すらままならなかったので安心だ。
その後、額を塗り終わり、最後に残った顎周りを塗り終わった時だ。
視界を覆う大きな唇が開き、言葉を紡ぎ始めた。
「お疲れ様。ありがとう」
「どういたしまして」
「ところで、キスってした事ある? 無いよね」
「無いけど、無い前提で聞かれるのは悲しいな……」
「私も無いよ」
最近の子、とくにこの子はマセているからイケメン少年とそういう経験があるのかと思っていたが、そうではないらしい。高嶺の花なのかな。
「あ、でも妹には何回かされたな」
「サイテー」
「された、って言ってるでしょ。しかも小さい時だよ。ちょっと物心ついて、大人の真似事したくなってきた時に!」
「ふーん」
「本当なんだけどな……」
「まぁいいや。それじゃ服従のキスをしなさい。これは命令」
また変な事を言い始めた。こんなアラサーとキスなんて何が楽しいんだ。下手したら犯罪だぞ。
「お、俺なんかがしていいのか」
「いいよ。じゃあ降ろすからね」
「ちょ、タ、タンマ!」
「待たない」
徐々に高度が下がり、唇が益々大きくなる。
こんな所で俺はファーストキスを捧げるのか、まぁそれでも悪くはない、この美少女なら後悔などない、いや、そもそもこうなった時点で俺に選択の余地は無いか。
観念して目をつむり、不可抗力に身を任せた。だが、いつまで経っても俺の口づけが小鳥さんの唇に到達しない。
不思議に思って目を開けると、そこに広がっていたのは暗黒の世界だった。
全面に液体が張り巡らされ、眼下にはブツブツがついた絨毯、奥にはサンドバックのような物がぶら下がっていた。
状況から現在地は自ずと察された。
「いふぁふぁきます。はむっ」
「~~~~~~」
後ろで扉が閉じられ、差し込んでいた光が弱まると、その暗黒世界はさらにその暗さを増した。
そして、夜になった途端に暴れだす闇の住人の如く、先程まで大人しくしていた絨毯がヌルリと動き始める。
絨毯はまるで獲物の値踏みをするように俺の身体を執拗に舐め回している。横殴りをしてみたり、包んでみたり……様々な方法でなぶられ続けた。
ふと、飴玉を思い出した。きっと飴玉はこんな気分だ。
そして飴玉はこの唾液で次第に溶かされ、ただでさえ小さい身体がさらに小さく、そして最後は跡形もなく消える。
俺もこのジメジメとした牢獄の中で際限なく縮み、この子の一部となってその生涯を終えるのだろうか。
「はぁ、汗の味がした。マズかったよ。それじゃシャワー浴びよっか」
解放されたら開口一番理不尽な感想をぶつけられたが、きっとこれも俺を元に戻す為だ、と好意的に受け止める事にした。
「これで早く元に戻れるといいね」
どうやら、俺も少しだけエスパー能力を身につけられたらしい。