世にも奇妙な店があるという。
 何でもそこではこの世のものとも思えないサービスを受けられ、最悪の場合、社会復帰出来ないレベルで骨抜きにされるそうだ。
 守秘義務があると言うその店の所在地、サービス内容は、時折匿名掲示板にタレコミが流れる事がある。
 だが、その情報は一瞬の内に削除され、書き込んだ者は二度と姿を現さないという折り紙つきの店だ。故に、最近ではタレコミもナリを潜めている。
 俺はその内容をほんの少しだけ見た事があった。

「都内某所の雑居ビルにあるという事」
「スタッフから直接名刺をもらうか、常連の紹介が無ければ入店出来ない事」
「相手は、とても大きな女性が多いという事」

 大きな女性というのは、俺がタレコミを元に推測した物だ。
多分、身長の高い人というのを比喩しての事だと思うのだが、
「胸で全身を包まれる」「足を登る」等、倒錯しているとしか思えない物だったからだ。
 そんな感じで、まるで都市伝説のような噂話だが、タレコミが即削除されるという事実がそのリアリティを裏付けていた。
それにしても、スタッフか常連の紹介が無ければ入れないというのは、地元の「一元様お断り」を思い出させる。

 ここ東京の地に降り立ってから早三年。この店を探すべく、せっかく遠路はるばる来たと言うのに、箸にも棒にも掛からない現状。
ただもどかしさだけが募る三年間だった。どのくらいの金額がかかるかもわからないので、バイトは毎日欠かさずシフトを入れ、蓄財している。
学業そっちのけでやっていた結果、小金持ちくらいにはなった。単位は沢山落としたが、最低限は取れている。
一応、スタッフから名刺を渡されるというのが「お金を持っていそうな人を狙う」等と書いてあったので、小奇麗な格好だけはキープしている。
それ以外の「食」「住」は犠牲になっていた。
 しかし、結果はこのザマ。もう諦めようかとも思っていたある日の事。

「あ、武藤さん。今日もバイトお疲れ様です。本当に好きですね」
「おう。好きでやってる訳じゃないけどな」

 セミロングの黒髪をたなびかせ、嘲笑とも取れる微笑を浮かべながら声をかけてきたのは、今年から始まったゼミの後輩の一人「神谷朱音」だ。
 何かと俺に絡んでくるこの子は、控えめに言ってかなり可愛い。
 ベージュのショートパンツに黒のブラウスの出で立ちは、上品さと快活さが両立した印象を与えている。身長は154cmとそこまで高くはないが、綺麗なプロポーションがそれを霞ませていた。
 くっきりとした目元の中に光る黒い瞳、ナチュラル過ぎて気づかないほどの繊細なメイク、主張しすぎないネックレスからは、育ちの良さを感じさせられた。
 そんな人種が俺に何の用かはわからないが、まぁ目の前に居て悪い気はしないし、今はコンビニに他の客も居ないので、適当に話をしている。

「武藤さん、今日また寝てませんでした?」
「講義は寝る時間。俺にとっては今が稼働時間だよ」
「ふーん。そうなんですか。という事は他にもバイトを?」
「居酒屋とかダーツバー。今日はコンビニだけだよ。まるで出稼ぎに来たみたいだ」
「ふふっ、親孝行の出来る、今どき珍しい殊勝な息子さんなんですね」
「不勉強な親不孝者の間違いだろ?」
「そういう面もありますね。じゃあプラマイ0って事で」

 他愛もない話。ゼミが始まって二週間、この子とはずっとそんな話ばかりしている。
 本人曰く、他の連中とはウマが合わないから、居場所を求めて俺につきまとっているというが、このコミュ力の高さでそれは嘘だろうといつも思う。

「武藤さんって、一人暮らしなんでしたっけ。ここらへんにアパートとか借りてるんです?」
「大学裏のボロだよ。あの訳ありの奴」
「え~、武藤さんって、あそこ大丈夫なんですね。私はちょっときついなぁ」
「背に腹は代えられないと言うか、まぁ俺はそういうの気にしないから」

 行方不明者が出たという部屋が俺の住処。訳ありなだけあって、家賃も格安だった。
 当時、是が非でもあの店に行ってやると意気込んでいた俺が、二つ返事で借りたこの部屋。
行方不明者は俺の通っている大学の学生で、五年前から未だに消息が掴めていないらしい。
部屋には賃貸解約の手続書と滞納していた家賃5ヶ月分だけが残されていたようで、まるでミステリー小説のような事件だったという。

「あそこって凄く汚いじゃないですか。足を踏み入れる場所も無いというか」
「そっちかよ。というか、神谷はあそこに入った事あるのか?」
「友達に呼ばれて一回だけ。ご多分に漏れず、汚かったです。虫とか平気で居ましたし」
「俺の所は出ないぞ。頑張って綺麗にしてるからな」
「いいな~。今度は武藤さんのお部屋にお邪魔しようかな~」
「何の面白みも無い場所で良ければどうぞ」
「はい、これ約束ですよ。破ったら怖いですよ」
「拒まないから勝手に来いよ」
「は~い。じゃあいつにしましょっか。来週とか……」
「はいはい。じゃあ仕事に戻るから、神谷も早く帰れ?」
「んー、今日は暇ですし、もうちょっとだけ居ようと思います。お気になさらず~」

 ここに居る時点で冷やかしを入れる気マンマンだろうと思いつつ、俺は商品の陳列を始める。そろそろ客も増える時間帯だ。
 まずは下の段に雑誌を入れていく。しゃがむ作業は一気にやるのがコツだ。

「…………」

 コツ、コツと後ろで音がした。それはやがて真横にやってきて、ピタリと止む。横を向くと、生足の柱が二本そびえ立っていた。見上げれば、雑誌を読みふける神谷の姿。

「お客様。失礼ですが、少し退いて頂けますか?」
「今ちょっと良い所なので、他の所お願いします」
「……はぁ」

 仕方ないが、この国では「お客様」は神に匹敵する存在なので、後回しにする事にした。

「…………」

 コツ、コツと音が接近してくる。さっきよりも近い。見上げてみると、また神谷。

「お客様、おみ足が当たってますが?」
「当ててるんです」
「何の為に」
「試す為です」
「何を試すんだ」
「色々です、えいっ」
「うぉっ」

 顔にソレが触れた途端、甘い香りがした。突然の出来事に頭が回っていないが、どうやら神谷が自分の股下を、俺の顔に押し付けたらしい。

「な、何をっ!?」
「驚きました?」
「お前っ、客が居ないからってこんな事……」
「ダメでした?」
「ダメに決まってるだろ!」

 今日の神谷は、やけに積極的だ。
 いつもならただ適当な話をするだけなのに、なんだってこんな事をするんだろう。そういう事をされると、俺だってその気になってしまう。
理性を保つのだって大なり小なり労力を使うんだから、止めて欲しい。

「……じゃあ、武藤さん」
「何だよ」
「ここなら……いいですかね?」

 頭上から振ってきた手には一枚のカード。それは普通の名刺だった。しかしそれを手に取り、中身を見てみると、驚愕の事実が書かれていた。

「神谷……これって」
「武藤さん、探してたんですよね? ウチの店」
「何で知って……」
「チラッとスマホの検索履歴見ちゃいました」
「おぅ……って神谷、ウチって言うのは……?」
「はい。私もそこの従業員……というか風俗嬢やってます」

 風雲急を告げるとはまさにこの事。三年間探し続けて全く手に入れられなかった物が、今目の前にある。
喜びと驚きと、信じられないという不安とが入り混じって、多分今の俺の表情は相当微妙な物になっていると思う。

「ここならいいですよね」
「そ、そりゃあそうなんだろうな。そういう店なんだからな」
「じゃ、待ってますから。バイト終わって、気が向いたら来てみて下さいね」
「お、おう……」
「あ、そうそう。誰にも言っちゃダメですよ。理由は……わかってますよね?」
「お、おう……」
「それだけ守ってくれれば、何もしませんから。では~」

 客の出入りを知らせるメロディーと、店内のBGMだけが鳴り響く中、俺の脳内では神谷の「風俗嬢やってます」という言葉が繰り返し再生されていた。



 バイトの時間をこんなにも長く感じたのは初めてだった。しかし、今までの三年間と比べてみれば大した事は無い。
 コンビニバイトは都合が良かった。というのも、あの神谷の体つきや香りが記憶に残りすぎて、ずっと前のめりになっていたからだ。
コンビニであればレジ台で隠すことが出来るが、居酒屋のホールだったらやばかった。
 いや、もうそんな事はどうでも良い。どうでも良いのだ。

「こんな近くにあったなんてな……灯台下暗しとはこの事か」

 バイトを終え、名刺に書かれた目的地へ足早に向かう。俺が食材を買いに行くスーパーの向かいにある雑居ビル、その最上階の一室が店の場所らしい。
 俺の家から徒歩10分程。散歩程度で着くその場所は、この世のものとは思えないサービスが展開される店とは似ても似つかないほど平凡な場所だ。

「まぁ普通は気づかないか……気づいたとしても、この名刺が無きゃ入れないけど」

 改めて名刺を見てみる。「神谷朱音」と、源氏名ではなく本名が書かれたその名刺。
名前と住所以外は、裏に10、100、1000という数字しか書かれておらず、奇妙さに拍車を欠けていた。ちなみに、10には赤く丸が付けられていた。これも謎。
 程なくして雑居ビルに到着。当たり前だが該当する部屋番号のポストには名前らしき物は無い。それどころか、どの部屋にも名前が無い。
また、エレベーターも無く、登る手段は階段のみ。最上階の6階まで、足早に駆け上がっていく。

「ゴクン……」

 遂に目的地の目の前まで来てしまった。人間、不思議なもので喉から手が出るほど欲しい物ほど、それが目の前に出されると慎重になるものだ。
俺は起爆スイッチを押すかの如く、恐る恐るインターホンのボタンに指を近づけ、そして着陸させた。
 かすかに聞こえる呼び出し音。そして次に聞こえてくるのは、玄関へ歩いてくる足音、ドアの鍵が開けられる音、ドアが開く音。そして……

「あ、やっぱり来てくれたんですね。歓迎しますよ」

 神谷の声。いつもと変わらぬ神谷の透き通った声だった。格好も何もかもがさっきまでと同じ。
そんな神谷の様子を見て、俺は非日常と日常を同時に投げつけられたような心地がした。

「一応確認しますけど、名刺持ってますよね」
「これか」
「はい、じゃあお預かりしますね」
「え? 回収するのか? これ」
「これ、実は引換券なんです。これが無いお客様はお引き取り願ってます」
「なるほど」
「それで、ここに書かれた子がお相手をすると……指名権も兼ねてますね」
「ふむふむ、ん?」
「ご指名、ありがとうございます~」
「いやいや、お前が渡したんだろ」
「はいはい、細かい事は気にしないでサッサと準備しましょう。武藤さんも早くしたいでしょ?」
「そ、そうだな」

 全くもってその通りだった。既に臨戦態勢、神谷を見たらさらに元気になっていた。

「じゃあまずここに入って、中で準備していて下さい。マニュアル置いてあるので、その通りに。わからなかったら、呼んでください」

 ドアが閉められると、神谷に手を引かれて奥の方へと迎え入れられる。何の変哲も無い玄関、部屋。全てが普通。
本当にここがそうなのか。そもそも、大きな女性というのだって嘘だ。神谷は決して大きくない。むしろ小さい方だ。
 ただ気になったのはマニュアルという言葉。ここは普通ではない。マニュアルが必要なサービスとは何だ。ここだけが引っかかる。

「じゃあお願いしますね~。あ、お代は初回無料でいいですから。私の奢りです」
「あっ、そっか……。わかった」
「もしかして忘れてました~? 次からは取りますよ。お金無かったら大変ですよ」
「わ、わかった。それじゃ」
「はい。お待ちしてます」

 今の神谷の目、声色。一瞬凄みを感じてしまった。本当に何かとんでもない事をされてしまうんじゃないかと思うような、そんな威圧感。

「……取り敢えずマニュアル読むか」

 部屋に入ると、机やクローゼットという普通の家具に混ざって、謎のテントのような物体があった。段々と普通で無い物が出てきて非日常感が出て来た。

「これか」

 マニュアルと思しきものは、机の上に置いてあった。そこに書いてあったのは

・今回のサービス内容や店の場所、スタッフの個人情報等の情報漏えいは厳禁。
 (判明した場合は然るべき対処を取ります)
・持ち物は下着も含めて全てクローゼットの中に入れ、持ち込まないようにお願いします。
・1時間制、交代なし。途中退出は認められません。
・不可抗力の事由によりお客様に発生する一切の不利益につき、当店は責任を持てません。
・以上を了承頂ける場合は、裸の状態で部屋の中にあるテントの奥へとお進み下さい。
 お戻りになっても構いませんが、今後のご紹介は無いものと思って下さい。

「ふむ……」

 怪しい。怪しすぎる。どの項目も不穏な事が書かれていた。しかし、最後に書かれている言葉が、その不安を全て握りつぶした。
三年も待ったこのチャンス、ここで逃したら一生手に入らない。もうそれだけで十分だった。
 俺が全ての服を脱ぎ、バックと共にクローゼットの中へ投げ込んだ。そしてテントの方へと向かう。
入り口の幕を開いて中を覗いてみると、そこには何故か真っ暗な空間が広がっていた。
すぐに壁がある筈なのに、そんな疑問さえも吹き飛んでいた俺は、その空間へ既に足を踏み入れていた。

「くっ……」

 テントの入り口が閉まり、視界全てが暗闇に包まれる。それと同時に耳鳴りがする。身体中にも倦怠感が走り、やがて立って居られなくなってしまう。
 しばらく蹲っていると、次第に苦痛が解消されていく。立つ事も出来るようになった。
一体何だったのだろうか。普通の感覚であれば当然湧いてくる疑問さえ無視して、俺はひたすら真っ直ぐに歩き続けた。

「はい、こちらも準備出来ましたので、ここから入って下さいね」

 広い空間の中にこだまする神谷の声。まるでホールの中でマイクを持って話しているような感覚だった。だがそれも気にならない。ただ指示に従うだけ。
 暗い空間に穴が空いた。おそらくそこが出口だろう。あそこを抜ければ、ようやく出会える。多分、掲示板にあった内容は嘘だったのだろう。
 しかし、サービスの質はおそらく本当だ。気恥ずかしさもあったが、神谷は大学の中でもトップクラスに可愛い、芸能人顔負けのレベルだった。
そんな子にサービスしてもらえるのだから、何も言う事は無い。
 いや、ゼミでこれからも顔を合わせるのだから、気まずさが尋常では無い気がするが、もはや関係ない。あっちだって織り込み済みだろう!

「…………? 何だここ?」

 暗い空間を出ると、そこはさらにだだっ広い空間が広がっていた。全面を白い壁で仕切られた、ある意味狂気を感じさせるような異空間。
その奥の方に、椅子に腰掛ける神谷の姿があった。遠近感が狂っているのか、神谷がとても遠くに居るように感じられた。
あの雑居ビルのどこにこんな広い空間があるというのか。後ろを振り返ってみれば、さっきの出口は忽然と姿を消しており、ただの白い壁になっている。
 首を傾げたその時だった。

ズン……。

 そんな重低音が俺の身体に響いていた。
 それだけではなく、鈍い微振動が脚から伝わってきている。何事かと思い、神谷の方を向いてみると、神谷はいつの間にか立ち上がってこちらへ向かってきているようだった。

ズン……ズン……ズン……。

 まるで、神谷が地面を踏みしめる度に鳴らされている効果音のようだ。
 それ程までに、この重低音は神谷の足踏みと同じタイミングで鳴り響いていた。

ズゥン…………ズゥン…………ズゥン…………。

 4歩、5歩、6歩……神谷がさらに接近してくる。次第に振動が大きくなってくる。重低音もその性質を変え、間隔が伸びていく。
 神谷の身体にも変化が生じていた。さっきまでは視界に収める事が出来ていた神谷の顔を見ていられなくなってきたのだ。
 一体、どういう事なのだろうか。
 上へ上へと上昇していく神谷の顔。俺の目線も、それに合わせて無意識の内に上の方へ向かっていった。
 下から見上げる神谷の表情は、どことなく優越感に満ちているように感じられた。

「お待たせしました」
「………………!」

 おそらく、少しの間思考が止まっていたのかもしれない。いつの間にか尻もちをついていた俺の眼前には、巨大な物体が鎮座していた。

「じゃあ簡単に説明しますので、じっとしてて下さいね。今から摘み上げますから」

 神谷の忠告が頭上から降り注いだかと思ったら、今度は別の巨大な何かが俺目がけて降りてきた。

 潰される。
 そう本能的に感じた俺の身体は、考えるよりも先に動いていた。

「じっとしてて下さいよぉ。何も取って食ったりする訳じゃあるまいし」

 呆れた声で神谷がボヤく。何を呑気に見ているのか。今、俺は生命の危機に瀕しているのであって、もうサービスだとか、それどころじゃない筈だ。
 神谷は頼りに出来ない。ここは逃げねば。しかし、逃げても逃げても、出口は見つからない。ただ白がいっぱいに広がっているだけ。
 しかも、後ろではさっきの規則正しい音が、俺を追い立てるように鳴っている。振動もあるので、思うように走れない。このままでは追いつかれてしまう。
 そう観念した時だった。

「はい、鬼ごっこは終わり。転んじゃえ~」

 相変わらず気の抜けた神谷の声の後に、凄まじい轟音と振動が俺を襲った。一瞬身体が浮いたのでは、と思うほどの衝撃に足をとられ、横転してしまう。
 顔面着陸は免れたものの、悪い打ち方をしたのか、全身に軽い痛みが走った。

「今度こそ大人しくしてて下さいね。初めての人はこの時に怪我するの、結構多いんですよ?」

 もう神谷の忠告を聞くまでもない。身体が言うことを聞かない。
 うつ伏せのままで居ると、俺の身体は巨大な何かに掬い取られてしまう。おそらく、先程俺を追いかけていた物だろう。
視界の全てを覆い隠され、また暗闇に逆戻りだ。人一人隠すくらいだから、それなりの大きさだ。
 ほんのり温かく、程よく弾力のあるそれは、しかし、かなりの居心地の良さだった。もうこのまま包まれたままでもいいと思える程だ。

「あ、急に静かになった。従順なのはいい事ですよ、武藤さん」

 俺を包んでいるそれは、しばらく空中を移動していた。その間も微振動は続いていた。
そして目的地に到着したのか、その覆いは一瞬にして払われ、俺の視界は再び回復した。
 そう思っていたのだが、俺の目が捉えた光景はその考えを覆さざるを得ない程、非常識的だった。

「こんばんは、武藤さん。ようこそ『縮小倶楽部』へ」
「あ、あ、あ……か、神谷が……何で……そんな……」
「ふふっ、良い反応ですね。最近はリピーターさんばかりでしたので、新鮮です」

 神谷のご満悦の顔が、視界を支配していた。だがそれは、神谷が顔を近づけているからではない。それがあまりにも大きすぎるからだ。

「改めまして、本日お相手させて頂く神谷朱音と申します。よろしくお願いしますね」

 浴びせかけられる大音量に耐えかねて、耳を塞いでもなお、神谷の声は脳髄にまで届いてきた。
そんな、嘘だ。何で神谷がこんな巨大化してしまっているだなんて。

「あ、声、大きいですよね……って、あらら……。結構錯乱しているようですが、続けますよ」

 巨大な神谷は俺の様子にようやく気づいたのか、小声でそう続けた。

「ここのコンセプトはですね、普通ではありえない大きさの女の子と、色々な事をしてしまおうというものです」
「ほら、見てください。武藤さんなんて片手で握れちゃうくらい大きいんですよ」

 そう言って、神谷は俺の身体に手を巻きつけ、力を込めた。多分、神谷にとってはほんの些細な力で。

「いっ……くっ……くるじ……」

 しかし、それは俺にとってプレス機に挟まれたような凄まじい力だ。肺を潰されている為、息をするのもきつい。

「これは夢じゃありません。握られたら痛いし、握り潰されたり、踏み潰されたりしたら、武藤さんはほぼ間違いなく死にます」

 死ぬ。シンプルにして、最も恐ろしいワードが出てきてしまった。もしかして俺はとんでもない所に来てしまったのではないか。

「まぁ、と言っても。私もプロですから、そんな事は起こしませんよ。武藤さんにはリピーターになってもらって、これから私に沢山貢いでもらわないと困りますから」
「ちょっと待て……まず、一番最初に説明する事があるだろ……」
「あぁ、私の大きさについてですか? や、どっちかと言うと武藤さんの大きさですかね」
「俺の?」
「あっちの部屋でテントに入りましたよね。あの中で武藤さんを10分の1サイズに小さくしたんです。だから私がこんなに大きく見えるってだけで、私自身は何も変わってないですよ」
「だから神谷にしても俺にしても、その『10分の1サイズに小さく』ってのがもう既にカオスだろ。これは夢なんだろ、そう言ってくれよ」
「はい。夢のような体験です。でも……えいっ」
「ぐあっ!!! げほっ、げほっ」

 スケールが違いすぎて一瞬よくわからなかったが、おそらく普通サイズで言う所の『デコピン』を食らったらしい。
だが、そんな子供騙しのような行為でさえ、俺の身体は数メートルほど飛ばされた。

「痛いですよね。良かったですね、夢じゃありません。現実です」
「わ、わかった……もう何も口答えしない……だからもう……」
「うわっ、もう反抗心が消えた。武藤さん、結構意気地なしですね」
「……」
「い、言う事聞いてくれれば、本当に乱暴はしませんから……そんなに睨まないでくださいよ……」

 ハッタリが効いたらしい。

「じゃあ改めて説明しますね」

 神谷の説明を要約すると、

・この店は、客側を指定の大きさまで縮小し、相対的に巨大化した女の子と遊ぶ場所
・大きさは引換券の裏に書いてある10、100、1,000の3つから選ぶ。初回は一番サイズ差の少ない10倍で固定
・サイズを変換する技術はトップシークレットの為、一切の質問には答えられない。というか、神谷でさえも詳細を知らない
・機密性が高い為、客側にも箝口令が敷かれている。情報を漏らした事が発覚した場合、然るべき処置が取られる。神谷曰く、絶対に逃げられない
・神谷が俺を選んだ理由は「自分に興味を持ってくれてそう」「なんか特殊なフェチを拗らせてそう」「割とお金を持ってそう」「近くに住んでいる」の4つ
・初回は無料だが、次回からは1時間20,000円。縮小による身体への負担を考慮して、延長は無し
・縮小時、身体能力・頑強さが強化される為、ある程度の衝撃であれば耐えられるが、無理は禁物。全体重をかけられたら、10倍の時でもミンチになる
・特に1,000倍の場合はサイズ差が尋常ではなく、ほんの些細な行動でも死亡する危険性が高い為、同意書の記入が必須になる

「こんな感じですね。どうです?」
「もう細かいことは聞かない事にした。だが一つだけ言わせてくれ。特殊なフェチを拗らせてそうってなんだよ」
「だって武藤さん、講義の時、隣に居た私の脚ばっかり見てたじゃないですか。寝たふりして。あぁ、この人はここが好きなんだなぁって、凄く分かりやすかったですよ」

 全て見抜かれていた。それがわかった瞬間、俺はもはや一切の抵抗を諦めた。

「そんな武藤さんには特別な場所へご招待してあげますよ」

 神谷は俺の全身を軽々と持ち上げると、そのまま腰を下ろし、脚を前へ投げ飛ばして床に座り込んだ。
そして、神谷の両脚で形作られたデルタ地帯のど真ん中に俺を降ろした。
ショートパンツの裾の隙間から、微かに下着が見えている。
 だが、神谷はそんな事を全く気にする気配も無く、俺を得意げに見下ろしていた。

「まずは太ももマッサージです。たっぷり気持ちよくしてあげますよ」
「マッサージって……うわっ」

 左右から神谷の脚が迫る。咄嗟に逃げようとしても、俺の身長よりも高い神谷の太ももを飛び越えられる訳も無く、間にガッシリと固定されてしまった。

「これで動けませんね。どうです? 自分よりも非力な女の子に対してどうする事も出来ないどころか、脚に挟まれて動けないなんて」

 全身を覆われているので、声を出しても全部太ももに吸収されてしまう。

「聞こえませんよ~? そんな小虫が鳴くような声じゃ私には届きませんよ~?」

 ダメだ。いくら叫んでも声が外に出ていかない。
小さくなったのもあるが、さっきまで神谷から逃げる為に走っていた事も相まって、ロクに大声も出ない。
今の俺には、ただ神谷の嗜虐的な表情と言葉を甘んじて受け入れる他無かった。

「やっぱり聞こえませんね……ちょっと顔出しましょうか」

 神谷が脚を開き、太ももから解放されたかと思ったら、すぐさま手で頭を掴まれて少し持ち上げられ、また太ももに囚われてしまった。
ちょうど頭だけが出ているような状態だ。

「あ、かわいいですね。どうも~」

 笑顔で手を振っていた。それは。人間に、というよりも小動物に向ける類の物だった。神谷はとっくに俺の事を人間扱いなどしてないのだ。

「じゃあ行きますね。んっ、んしょ……っと」

 俺を挟んでいる太ももが互いを擦り始める。動かす度に、神谷の口から色っぽい声が零れていた。

「気持ちいいですか……? んっ……ふぅ……」

 もみくちゃにされている俺の身体。抗うことは出来ない。というよりも、段々と抗う気力が失われていた。
このまま神谷に身を任せてしまいたい、そう思うようになっていた。
人形のように縮められ、神谷の脚に挟まれ、全身を揉みしだかれているという非日常が、俺の思考を蕩けさせている。
このままでは本当に果ててしまいそうだ。こんな女の子の脚の間で俺は、射精をしてしまうというのか。
 普通であれば屈辱以外の何物でも無いその事実。でも今の俺には何もする事は出来ない。ただ本能のままに、俺は欲望をぶちまけた。

「あら。出ちゃいましたね~。そんなに私の脚が気持ち良かったんですか? 変態さん」

 嗜虐的な声が降り注ぐ。それさえも俺を興奮させ、射精はさらに勢いを増した。
自分でもびっくりするほどの勢いだった。まるで「自分はマゾヒストです」と無理矢理宣言させられているかのような錯覚に陥った。
しかし間違いないだろう。ここまでやりたい放題されて、痛い思いもして、それなのに逆に興奮してしまうのだから。
神谷は、自分自身ですら気づかなかったそれを見越していたのかもしれない。何という悪魔的な観察力だ。

「もう、返事が無いですね……失礼しちゃいます」

 神谷は「マッサージ」を終えると、感想を聞きたいのか、俺の上半身を耳で覆ってきた。
耳より少しだけ大きいだけの矮小な存在なのだと、改めて感じさせられる。これも神谷の術中なのだろう。
その効果は絶大だった。果てた後だという事もあり、俺は声一つ出せなくなっていた。
代わりに出たのは「手」だった。神谷の柔らかそうな耳たぶに、自然とその手を伸ばしていた。確かに柔らかかった。

「ちょ、くすぐったいですよ。このままバランス崩して潰しちゃったらどうするんですか?」

 自分でも何をやっているんだろう、と思った。それ程までに倒錯したか。

「あ、それとも、潰して欲しかったりします? うーん。じゃあ、次はこれですかね」

 一人で勝手に納得した神谷は、その巨大な耳を持ち上げ元の姿勢に戻ると、轟音をたてて立ち上がり始めた。
スケールの違いに遠近感が狂ってくる。4、5階建てのビルでも見上げているようだ。
しかしそれはビルでは無く、一人の何の変哲もない人間。腰に手を当てて勝ち誇った顔をしているその人間は、次の行動へ移ろうとしていた。

「じゃあ踏みますからね。絶対に、絶対に余計な動きしないで下さいね。マジで死にますからね」

 言われずとも、もはや動く事など出来ない状態だった。ただ仰向けになり、神谷のなすがままにされるだけの状態。
だがそれ故に、神谷の動きの一部始終を眺める事が出来た。神谷の脚が持ち上がり、ゆっくりと俺の真上にセットされる。
その時点で既に神谷の顔は見えなくなってしまう。何せ神谷の足は俺の身体よりも大きいのだから。
そして、その足裏は徐々に俺との距離をつめていく。
空が落ちてくるという表現がしっくり来るような、荘厳な光景だった。

 視界が埋まる。
 神谷の体重が少しずつかかっていく。
 女性特有の香りが鼻孔に飛び込んできた。

今、俺は全身で神谷の足を受け止めている。いや、神谷の足に飲み込まれていると言った方が正しいか。

「もうちょっと体重かけますよ。痛かったら全力で叩いて下さいね」

 痛さは無かった。倒錯と倦怠感と興奮が織り交ざった精神状態である今、俺の身体は麻痺しているのかもしれない。
もっとこの感覚を味わいたい、もっと……もっと……

「虐めて欲しい……ですか?」

 そう言うと、神谷は足の体重のかけ方を変え、俺の全身をくまなく踏みしだき始めた。
 そのあまりのタイミングの良さから、足ごしに感情を読まれたかとさえ思ってしまう。
そう、俺は確かにそう考えた。こんな矮小な自分を、もっと痛めつけて欲しい。ひどい目に遭わせて欲しい。
それを神谷なら喜んでやってくれる、そう確信したからだ。
 神谷の直感は正しかった。俺は何らかの特殊なフェチを拗らせているようだった。
いや、正確には神谷の奉仕により、新たな扉を開かされた、という感じだった。これは単なるSMプレイの類ではない。この体躯の違いがあってこそ生まれる、全く新しい感覚だ。

 全身を足裏で揉まれる事などありえるだろうか。
 全身を鷲掴みにされた事が、未だかつてあっただろうか。
 全身を太ももに挟まれる事など現実に存在し得るのか。

 そう、ここならそれが体感出来る。全身で、神谷を感じる事が出来るのだ。

「あはは……武藤さんって結構ポエマーなんですねぇ……あ、そろそろ……」

 密着させられていた神谷の足がどかされると、外界の情報が一気に五感を通してなだれ込んでくる。一番に光、そして二番に終了を知らせるアラームだった。

「楽しかったですか? って、聞くまでもないか」
「それじゃ、あっちから帰って下さいね~! またのご来店をお待ちしております」

 あっちと指された方を見ると、さっきまでただの白い壁だった所に空洞が出来ている。
おそらく、ここに入った時に通った場所だろう。もとの大きさならば何てことはない距離でも、今では遥か遠くに見える。
トボトボと歩いていると、俺の身体はおろか、行く先に至るまで巨大な影で覆われてしまう。

「あ、そうそう。もう一回言いますけど、この事は絶対に秘密ですからね? ネットとかに書き込んじゃダメですよ? もしそうなったら……」

 背筋が凍ったかと思った。ただでさえ巨大で威圧感のある今の神谷が、凄まじく冷たい口調でそう言ったのだ。俺は怖くなって、足早に空洞の奥へと足を踏み入れた。
 中はやはり先程と同じ場所だった。ただ暗闇だけが広がる謎の空間、そしてある程度歩いた所で頭痛・耳鳴り、ここも同じだ。
おそらく、これが身体の大きさを変える技術なのだろう。もはや理解の範疇を越えた代物だ。なぜこれを神谷が……そんな疑問はやはり尽きない。

「戻った……のか」

 そう、戻った。戻ってしまった。俺は先程居た部屋に戻ってきたのだ。
 おそらく神谷がやったのだろう、俺の服は綺麗に折りたたまれた状態で部屋の真ん中に置いてあった。
無言で持ち上げ、気持ち早めに着替えを済ませる。部屋を出ると、満面の笑みの神谷が俺を迎えてくれた。

「武藤さんの新たなフェチの扉開いちゃった感じですかね?」
「…………凄かった」
「うわぁ、こいつは相当開いちゃってますね……これは、次回来店は明日かも?」
「……正直言うと延長したいくらいだ」
「ごめんなさい~、それは出来ないんです。明日の夕方ならいいので、また来て下さいよ。勿論、一人で静かに……ね?」

 わざとらしくウィンクする神谷。この子が、さっきまでは巨人だったのだ。
信じられない。だって今の神谷は、俺より頭一つ分小さい、普通の大学生なのだから。

「それじゃまた明日、大学で!」

 明日から、俺は神谷を普通の目で見られるのだろうか。
 家に帰ってからも、頭の中では今日の不思議な体験がひたすら反芻されていたのであった。