古代錬金術師が用いたトラベルボトルには不可解な部分があった。

素材を投入し、ジェムとして紐解き、
その情報から世界を構成するという世界創造のアイテムだ。
不測の事態が起こっても何の不思議もないだろう。

高品質・希少価値のあるアイテムであればそれはなおさら。

そこら辺の石や木々よりも高純度の内部はジェムに満ち足り、
時おり飛び出すモンスターも、それ相応に強いとされている。
また、世界そのものがこちらの世界と違う物理法則をしているとも。

そしてそんなトラベルボトルも時代を経て持ち主が移り変わり、
『リスクなんて百も承知』だと、
錬金術師のライザは今日も今日とて世界を創造していた。

――――――――――――――――――――――――――――

「ふー…取ってきた素材はこんなもんでいいかな」

やっとアトリエに帰って来て、ひと息付いた。

今回の探索はなかなか上々、
塔の中を一通り採取して回って、より高品質の素材も手に入れたみたい。

詳しくは分からないが、パッと見で分かる。
この素材たちは何か良い特性を持っていると。

骨にしたって、皮にしたって一級品。
クラウディア達…仲間達の反応を見ればそれは一目瞭然。
素材を見分ける鑑識眼を持っていなくても、分かるほど。

とはいえ、
素材の特性を見分けられるのは私だけなので…。
「今日も一人で採取品を鑑定しますか!」と、気合を入れた。

バスケットの中を逆さにするくらいひっくり返し、
アトリエに並べてみれば出るわ出るわの高品質。

「わぁ…!やっぱりすごいなぁ…!
 あ、あれなんか…どうだろう!」

巨獣の骨や化石もそうだが、
ひと際目立つものは通常の獣とは
見た目だけでも一線を画すほど、幻想的な緑色をしている幻獣の毛皮。

今回は、それを結構大量に採ってきた。

一区画、クッション溜まりになるくらい採ってきて…。
少し獣臭くなってしまう気もしているが…。
それを考えてもお釣りがくるくらいに特性が良い。

その中から、一枚。気になるものがあった。

品質としては合格点。
特性もまぁまぁで…使いやすい部類。
けれども、その幻獣の皮にはなんともいえない魅力があって…。

確かめるように、毛皮をすぅーっと吸ってみた。

「うぐっ…!」

とはいえ、吸って得られるものは芳しい獣臭。
犬や猫にするものと似ている、クセになる匂いというやつだ。

けれども、やっぱり歴戦の名残りが香ってきて…少し臭い。
ので、顔を離そうとしたら…。

「うわっ、絡まっちゃった…!」

グイッと毛皮を引っ張っても
何本か挟まってしまったようで少し痛い。
毛皮の方を切ろうとも思ったけれど、それで品質が変わったらイヤだし…。

なんとか、どうにか、
ぎっちりぎっちり何度も何度も
頭をぶつけてほどき…悪戦苦闘の末にやっと外せた…。

「あーあー…髪くしゃくしゃだよ~…」

なんて毛皮だ…だけど質感見た感じ悪くない。
そこでふと…アトリエの机横に置いてあるトラベルボトルが目に入った。

『この毛皮で世界を作ったらなにが生成されるのだろうか』
そう考えるに至るまで時間は要らず、
好奇心のままに材料を投入してみる事にする!

「どんな世界が出来上がるんだろ~」

最初こそトラベルボトルに
そこら辺で採れた石や貝殻を入れていたが、
最近では慣れたものでレアな素材を入れるようになってきた。

良い素材が手に入るというのもそうだが、
レアな素材によって形作られる世界を探索する事がただ楽しい。

アトリエに籠もって錬金術をしていると出無精になりやすいから、
すぐに行き来できる空間があるだけで活力にもなってくる。

ジェムの少ない素材なら普段見るような世界になりやすいけど…。
このジェムが豊富そうな素材ならどうなるかな…と!

幻獣の皮を素材にトラベルボトルに使い込み、
一点集中、錬金術師の勘を使って、本能のままに力を注ぐ…!
パシュッとボトルが内部発光するように煌めき、世界が誕生した…!

「よーし!できたー!」

ボトルを見ると、幻獣の皮のような緑白の発光色。
見ているだけでも綺麗でうっとりするけれども…目的はその内部の素材。

いったい…なにがあるのだろう?
仲間は帰って居ないけれど、少しだけなら…いいよね?

なにより、湧いた好奇心は止められるわけがない。
とりあえずモンスターと交戦しなければそれでいい。
装備は一番強いやつで、アイテムも強いものを持って行く。

採取だけ…そう思いながら
トラベルボトルの中に踏み入った…!

――――――――――――――――――――――――――――――――

トラベルボトルの世界には…。

木々が茂り植物採取し易い自然型や、
古代の技術やパーツが散らばっている遺跡型、
海沿いの砂浜で魚や貝などの海の幸が取れる海面型など、
ある程度パターンが決まっていて、
採取できるものもそれに基づいたものになっているけど…。

今回、投入した素材から出来たものは住居型だった。

紙やロープ、布地など、
人工的に作り出されるものが
そこら辺に落ちているようなそんな世界。

私達の世界と似たようでありながら、
本がそのまま山のように積んであるので…。
なじみ深いけれど、どこか違う印象を受けるそんな世界だ。

ただ、この世界は床が整地されている場合が多くて、多少探索しやすい。
この世界だって、木の床が一面に敷き詰められていて…その上に私が立っていた。

「よーし!着いたぞー!」

ピカッ!と光って目を開けてみればそこは住居型のボトル世界。
あの幻獣の皮から出来たとはちょっと意外だけど、まぁそんなこともあるよね!

見渡せばどこまでも広大な木の床地が続き、見渡しが良い…
これなら魔物に不意を打たれることはなさそうだ。
なので、採取を開始した…!

とりあえず、最初の獲物は~っと、
意気揚々と歩いて探索していると見付けたのは
茶色よりかは栗色…の、ロープ状のモノだった。



わりとありふれているような…。
ただのロープとは思うけれど…。
編み込んでなくて…一本だけで成り立っている。
どちらかというと樹皮のように段々と連なっているそんな印象…。

『ぐい~っ』と伸ばしても
千切れることはなく、弾力もあり、しなやかで、使いやすそう…?
匂いを嗅いでみると…どこかで嗅いだことのあるような匂いがして…?

うーむ…なかなか興味深い。
とりあえず採取しておいて、あとで確認しよう。

そしてひとしきり歩いたのち、
続いて出て来たのはなにやら甘い香りのする砂の塊。
いや、砂と決めつけるには少々繊維質で、
『ぐしゃっ』と割ってみると層が重なる化合物ととれる。

いや…どちらかというと、
パンやクッキーで見るような小麦粉の層に近い!

思えば、いつも食べているようなお菓子のような匂いだ、
小麦粉とバターと砂糖を混ぜたごくごく一般的なモノと似ていて…。

少々心配にはなるけれど、パクっとかじってみる事にする。
するとどうだろう、食べれる味というより、
いつも食べる菓子のような味ではないか…!

錬金で鍋をグルグルとかき混ぜている時に
軽食まぎれに齧るくらいのいつものクッキー。

ついつい手が出てしまってすぐに無くなったり、
ポロっとこぼして床に落ちちゃうので満足できなかったけど…!

この世界ならクッキーが塊となり、山のようにあって…
いつでも気が向いたらつまみに来る事ができる…!

…。

……。

いや、どうなんだろ…
この自然発生しているクッキーは。

地面から生えている…
というわけではないけど、明らかに床に面している。

上辺だけ取ったから、汚いものではないだろうが…。
こうもぞんざいにクッキーの塊があると、
他のモンスターに口を付けられていないか心配になる。

それに最近…。
太ももとホットパンツがギチギチとしていて…。
ダイエットも考慮しないといけないような…。

ま、まぁ…資源には違いない!
とりあえず確保して、あとは帰ってから考えよう!


それから、一通り探索をしてみた。

やっぱり住居型であるからか、採取できる物は加工品。
大きな紙があったり、パイ生地の欠片があったり…。

自然発生しているというよりは散らかっている印象で、
トラベルボトルの中だというより妙な生活感があるような…。

まるで巨人の家に居るような錯覚に陥って、少し…奇妙だ。
怖さもあるけれど、どこか心地良さを感じて危機感が湧きにくい…。


これは、ちょっと危ないかもしれない。

仲間と一緒ならまだ相互に正常か確認できるけど、
こうも一人で探索しているといつの間にか
取り返しのつかないところまで行ってしまうという危険もあり得る。

「いっかい、帰ろう」

採取はあらかた採り終えた。
どれも質のいい品で錬金が楽しみだ。
トラベルボトルにはいつでも来れるわけだし…。
さぁ帰ろうと元来た道に引き返し、ワープゲートを踏んで…。


ん………おかしい…。
いつもならこれで帰れるはずなのに全くワープが起動しない。

何度かコツンコツンと踏んでみても関係無し、
ただ魔法陣がグルグル動くだけで起動しない。

初めてのことだから、息を飲んで冷静になろうとしても、
ドクンドクンと心臓が高鳴って、意識しないと呼吸が乱れる。

だが…それ以上の事が起こってしまった。

最初は心臓が高鳴り、動悸となって
どすんどすんと頭の中に響く音だと思っていた。

けれどもその響きは
頭だけではなく、身体に響き、
その音がこれまで以上に大きくなってようやく知る。

巨大な存在が地響きを立てながらこちらに来ると。

心待たず、隠れる時間も無しに
背景だと思っていた世界の向こう側からそれは来る。

そこで、ようやく遠い場所にあった壁面が、
巨大なドアであるということが認知でき…。
それを『ギギィ』っと開き…巨人が出てきた。

まず全てを覆い隠すかのように足が出る。

皮地に近い、茶色のサンダルだ。
こちらが小さいからだろうか、
そのサンダルからむわっと蒸気が湧き出て身体を浸す。

汗混じりの塩気が香ってひどくむせる。
しかもその上、
人間とは違うのか独特の獣臭が濃く漂い、意識が薄まる。

どんな顔か見ようにも、
横にそんなサンダルが振り下ろされたのだから、
床に伝わった衝撃で身体がぽてっと転んでしまう。

「な、なんなのこれ…!」

巨人で…あるということはなんとなくわかった。
相手からしたら、手の平ほどの差があるほどの身長差。
問題はこちらに気付いているかどうかということ…!

けれども…顔を見ようにも…。
あまりに巨大過ぎるせいか、
首が疲れるほど見上げても、顔まで辿り着かず…。
巨人の太ももばかりが視界に伸びに伸びて、視界が太ももで埋まってしまう!

いや、太ももがデカ過ぎたのだ。
見た感じ…この巨人は女性なのだろう。

肌はキメ細かく、しっとりしており…。
脂肪を含んでいるのかむっちりしている。
尻から足先にかけてまで、それは大きく巨大に、
ホットパンツからはち切れんほどまで肥大した太ももは
布地に悲鳴を上げさせながら、太く大きく曲線を描き…?

あれ…?
あの赤地のホットパンツは見たことがある…?
いや、それどころかこの肌の色や太さ的には…!

ハッと、気付いて上空を見る。
太ももに続き、巨大過ぎる胸が邪魔するが、
ちらりと顔を視認できたかと思うと、息を飲む。

これは…私だ!
トラベルボトル世界の中に
巨大なライザリン・シュタウトが居た…!

「や~っと帰ってこれた。採取大変だったな~」

そう、私の声で反響のついた声で、辺り一面が鳴り響く。

けれども、容姿は似ていても細部で違っているようで、
見上げた顔の髪の先、その頭から獣耳が生えている。

…太ももも、ああまで大きいことはない気がする。たぶん。

いやいや、そんなことよりなんで私が?
と思ったその時、思い出した。

この世界を作った材料。
『幻獣の皮』を吸った時に、髪を絡ませてしまった事を。
もしかしたらあの時に髪がくっ付いて、それで私の分身ができちゃった…?

アンペルさんから聞いた事がある、
『髪には人間の遺伝子情報が残る』と。
そんなまさかと半信半疑でその時は思っていたのだけど…。
こんな巨大な私の姿を見てしまったら、疑えるわけがない。

いやでもまさか、あんなに太ももは…。
と思っていたら次に現れた巨人に驚愕した。

「疲れたのなら、一緒にお茶にしましょうライザ」

その声の透き通りはよく知っていても、
音の響きの大きさで明確に違うといえる、そんな…そんな…。

クラウディアの巨人も現れた…!

姿形はほぼ同様に瓜二つ。
私の分身と似たように、獣の耳が頭についていて可愛らしい。
清楚を形に描いたような、巨人のクラウディアがそこに居た!

そこで、私はようやく理解した。
この世界は…私のアトリエが巨大になった世界だと。
そうも思うと、このバスケットの中に入った素材に心当たりがある。

栗色の樹皮にも似たロープは…私の髪。
どうりで嗅いだことのある匂いと思ったわけだ。
改めて嗅いでみると、いつも使っているシャンプーの匂いがしたのだから。

そしてクッキーっぽいものも、
私が錬金中に食べこぼしているいつものクッキー。
ただほんの少しの欠片のようなものだが、小人ほどの私にとっては巨大過ぎた。

…とはいえ、集めた素材は
ゴミのようなものであろうとも素材としては一級品。
なんとか無事に持ち帰りたいけれど…どう帰ったらいいんだろう?

トラベルボトルの住人だけれども、私の分身。
言葉は分かるし、コミュニケーションを取れれば
解決法見つけ出して、元の世界に帰れる気もするけれど…。

どすん、どすん、と鳴り響く足音の大きさから少し緊張する。
はたして、対格差があまりにも違う者同士、会話になるのかと。

だが、そんなことお構いなしに
巨大ライザ達はその大きなサンダルやブーツでアトリエ内を駆け歩く!

彼女達にとってはなんてことない一歩かもしれない。
だけど、私にとっては…その一歩こそが命取りだった。

ヒッ…と、驚く間もなく私の横に巨大なサンダルが降ってきた。
私の事ながら恥ずかしいが、汗臭い、獣臭いサンダルだ。

大質量の肉を支えるその足先は普段意識しないのか、
床板を沈下させるほど大きく足跡を付け、近くに居るものを震わせる。

それに耐えきれるわけもなく、私は尻もちをついてしまった。
どすん…!と、ひと鳴り。尻から伝わって…。

こうも巨大な私を客観視してしまうと、
私も普段あんなくらい床や虫を
脅かしてしまっているのではと思って恥ずかしい。

だけど…そんな悠長なこと考えている場合ではなかった。
だって今まさにその巨大な私によって発見されてしまっていたのだから…!

「あー!小人が入ってきてるー!」

彼女たち…この世界の常識なのか、
この姿を見られても特に驚きも無くそう言われた。

私と同じ姿形をしているのに、
まるで虫やネズミが入ってきたその反応で…逆に驚いた。
だが、そんな反応をされた結果、どうなるか想像に難くない。
駆除か、追い出されるか、そんな考えが頭に浮かび冷や汗が出て止まらない。

「ね、ねー!聞いてほしいの!」

言ったところで、伝わっていないようで…。
ピーピーとうるさい小鼠のように見られるだけ。
邪魔者と思われれば、おとなしく出て行けるのだけれど………!

どうやら巨人の私は私同様、好奇心があり余っているらしい…!

興味津々といった、
くりっとした丸い目が私を捉え、離さない…!

ズシン…!と、また床が鳴き軋んだ。
床上に居る私を屈んでもっと見ようとしたのだ。

その迫力は今までのどんな脅威よりも幾十倍。
ただ、大きいだけの人間が屈んだ、それだけで恐ろしい。

私の…巨大な太ももはそれこそホットパンツの繊維を伸ばし、
帰ったら反省しようというくらいにただ巨大で太い。

あんなのに挟まれてしまったらどうなってしまうのだろう…。
というくらい、むちむちでドプンと鳴るくらい震えているのだ。
そんな驚異的なモノを見てしまったので、身体は硬直し、腰が抜けてしまい…。

呆気(あっけ)無く、巨人から伸びる手に捕まった。

「ちっさ~い!手の平で包めちゃう!
 アトリエで見かけるなんて珍しいね~!」

「この辺に巣でもできたのかしら…?」

どうやら私という存在はこの世界において、
数あるうちの一人…ではなく一匹という認識らしい…!

これはマズイ、かなりマズイ。
数居ればそれだけ個の価値は減少するわけで…。
私自身、数を集めて厳選をよくしている経験から、
分身の私から、なにをされるものかたまったものではない…!


「それじゃあ、その子でお茶会にしましょうか」

『そらきた!』とばかりに
獣のクラウディアからそんな提案が言い放たれた。

やっぱり私を食べる気なんだ…!
とはいえ、ここで終わる私ではない…!
一人で十分に戦える性能のアイテムは持ってきている…!

手で握り閉められ苦しいが、もがいて回り、
バスケットから持参した爆弾を着火して投げ放つ……!
私の顔に投げるのはちょっと抵抗はあるが、これも生きる為…!

口と鼻の息を止め、目を閉じて閃光が鳴り響いた。
『パチパチッ』と火花が弾け、『ボワンッ』と煙が辺りを包む。

破壊力は無い、逃走用の煙幕だ。

閃光で目くらまし、動きを鈍らせ、
催涙系の物質で追おうにも目が潤むという、
一瞬のスキを突き、長く遠くまで逃げれるという優れモノ!

「わっ…!なにこれ…!」

「気を付けてライザ!
 この子、私達のアイテム持ち出してる…!」

これは私のなんですけど…!
けれどもこれで、腕の拘束が解けた!

巨人のライザは催涙の効果で目を潤ませ、もうこちらが見えていない!
巨人のクラウディアも煙に巻かれた私よりライザを優先しているようだ!

こうなったらもう私のターン!

手の掴みから抜け出し、太ももを蹴って、アトリエ内を駆け回る。
小人の身からすると巨大なアトリエだ、あまりにも世界が大きい。
だが、この使い勝手は私自身も分かっている…!

巨人のライザが私と同じ思考回路なら…あの場所が隠れ場所となるはず!

アトリエ内の私のテリトリーたる錬金窯の隅にそれはある。
鍋をグルグル回すお玉や薬品、バケツなどの
雑多な物が無造作に置かれた一時置きの溜まり場だ。

『ここに置いとくと使いやすいから』
と、ついつい置きまくった結果
片付いていないごちゃっとした場所となってしまったが…これが幸いした。

どうやら獣の巨人の私も同じく、片付けていない!
そうと分かれば雑多に集まった道具に身を寄せ、影に隠れる。
相も変わらず汚い場所で…私以上に抜け毛が絡まっているのが少し気になる。

けれどもこうなったらもう一安心。
気付けば緊迫感から高鳴っていた心臓に手を当て、
息を整え、次に冷静に動けるよう、注力する事にした…!

すーっ…ふーっ…と、
小人である利点を生かし、か細く声を潜ませ深呼吸。
きっと聞こえないだろうあの二人は、小さな私の呼吸など。

息も整い、緊張感も和らぎ、冷静になった頭で影から覗けば…。
巨大な私とクラウディアは未だ、煙に巻かれた影響かぺたんと床に座っている。

まぁ、あれだけ直撃したのだから仕方が無い。
私だって催涙爆弾を使われたら
号泣してうずくまると思うので、まるで自分のようにも感じてしまう。
けれども、あっちは食べようとしてくる相手なのでどうにも微妙な顔になる。

あぁ…早く帰りたいなぁ…。
遠目で見えるクラウディアは巨大で獣耳はあるが、
『本当にこの世界のクラウディアなのだろうな』というくらい
巨大な私を気遣って、ハンカチも渡して、介抱するほど優しくて…。

それがより一層、私の世界のクラウディアを思い出して、苦しくなる。

「ありがとう~クラウディア~
 ごめんね、私のせいで逃がしちゃって~…」

「あ~あ~もう、ライザ…泣いちゃって。
 小人がアイテム使ってきたから仕方ないじゃない。
 ほら、ライザは悪くない。悪くないから泣き止んで」

そんな光景が大迫力で目に映り、
なかなか微笑ましくも映るが、状況が状況。
ここで諦めてくれたらいいけれど…どうだろうか?

巨大なライザもクラウディアも一様に床にぺたんと座り、動かない。

獣の耳がピコピコ動いているだけで…
感情に反応しているらしく、しおれたり、へたったりしている。

聞こえてないよね…?
と、様子を見ても耳の穴は明後日の方向に。
そのまま、頭はうずくまり顔が見えないほど、うつむいたら…。

巨大なライザもクラウディアも四つん這いとなっていた。

耳だけに集中していたから、気付くのが遅れた。
手足を器用に床に伏せ、頭を床に付けてすんすんと嗅ぐ。

人間のそれではない、獣のようなそんな体勢で…。
こっちの匂いを確認するように、
床を嗅ぎまわり…見付かった、痕跡が。

人間の匂い、小人の匂いを気取られた。
今まで私と同じ人間と思っていたのが間違っていた、
彼女達はこのトラベルボトルは獣の毛から作られた獣の住人。
もとより私達の常識で考えていい相手ではなかったのだ。

私の髪の毛が混じっていても、
皆一様に獣の特性を持ち合わせ、野性の勘で追い詰める。

ぎゅるりと2人の巨人がこちらを見た。
見付けたというくらいに確信を持った目で見つめ、
隠れていても心臓が飛び出るほどバクバク鳴り響く。

そのままのっしのっしと4足歩行の体勢で近付かれ、
雑多な道具を前にしても、知っているかのように
的確に障害物を避けられて、隠れ場所が取り除かれた。

そしてこの私の小さな身体は…巨体の下にさらされた。

私の分身たるライザは今までの知性はどこへやら。
四つん這いの姿勢で、舌なめずりをし、獣の眼光でこちらを見下ろす。

その姿は私自身知らないほどの巨体で、
腕は私の胴回り何倍もあり、
脚で囲まれれば決してそこから出られないハリと太さを有している。

そのまま、こちらの味を知るかのように、
確認するようにスンスンと鼻を鳴らして鼻息がくすぐったい。

眼前に迫る、巨乳に包まれたらどんなに良かったか。
我ながら大きな胸だ、床に手を付き、背を低くするだけで
その巨大な胸は床にぼよんと乗り、床を軋ませる。
けれども入ってしまったらもう二度とは戻れぬ蠱惑の牢屋。

そんなものに何も知らずに入れればどんなに幸せだったか、
私自身の身体ながらそう思うが、
今はもうこれは人喰い巨人のものとしかそう見えない…!


生き残るために次の手を───
と思う間も無く、視界が真っ暗に埋まった。
カポッと、バケツで一息。虫を捕まえるみたいに。

暗く、暗い、闇の世界にはもう希望が何も映らない。
光が見えてもやって来るのは巨人の腕だけだ。
うぞうぞと暗闇で這いまわるその手にどんな悲鳴をあげてしまったか。

今度は決して逃がさないように、今度は強く握りしめられ…。
もがく事も許されず、アイテムにも手が届かない。
足も腕も同じなのに大きさが違うだけで…力量差を思い知らされた。

「も~う、勝手に私のアトリエ漁っちゃダメでしょ?
 危険なモノだっていっぱいあるんだから」

私の…アトリエなんだよ?
この世界も、トラベルボトルも、
私のアトリエ内の所有物のはずだった。

けれどもう…この小さな身体ではこの世界はあまりにも大き過ぎて、
手に収めるものではないと理解してしまった。

こんなことになるなら、あそこでああしておけば、
と思っても、何の解決にもならないと分かっていて、目頭が熱くなる。

なんでもするから、命だけは…たべないでくれれば…。

「う~ん、食べるのはやめとこっか?この子、頭良いみたいだし」

そう、私は言い切った。
ああ…そうだ、この子は私…私自身なら
小人が居たとしても嫌がっているなら食べないだろう。

私の善性にここまで感謝したことはない、
良いことは、優しい心は持っておくものだと、
帰ったらこれまで以上に人に優しくしようと決めていたら…。

「だから…素材に使ってみようよ!」

そう、私は言い切った。
ああ、そうだ、この子は私自身だった。

興味本位、好奇心で動く私が錬金窯まで向かい、もう猶予はなかった。

この後に起きることは分かっている。
私自身、何回も何回もやってきたことだ。

作りたい錬金物のレシピを持ってイメージを思い浮かび、
それに則した素材を投入し、釜でグルグルと煮込んで作る。

今回は私がそれに入る。

ふと気になって、レシピを見れば私も作った事のあるアイテムだった。
扱いやすい液体状の混合物。よくある繋ぎのアイテムというやつだ。

そんなアイテムに
私がなってしまったらどうなってしまうのだろう。
そのまま死んでしまうのだろうか?意思は?魂は?

だが、そんな疑問もする間も意味も無く…。

「強いアイテムになったらいいよね~」
「それ終わったらお茶会にしましょう?」

最早、錬金で使う素材のひとつとしてしか見られず…。
他の色々な素材と共に鍋に放り投げられた。

ドボンと入ってしまえばもう粘着力で逃げられない。
玉虫色の液体が服に染みわたり、髪をぬるっと濡らす。

足でもがいてもズブズブ沈み、追い打ちをかけるかのように
ライザが鍋をかき回して素材を埋める…!

我ながら、なんて巨体だ。
鍋から見る素材はこんな視点に立っていたのか。
胸をぶるんぶるんと揺らすくらい、
大きく、鍋に円をかくようにかき混ぜてて恥ずかしい。
手を伸ばせば触れない事もなさそうだけど、小人の手では届かない。

けれどももう私にとっては悲鳴も恐怖心も湧き上がらないほど、
鍋の中は嗅ぎ慣れた匂いで…懐かしくとも思えてきて…。

液体に埋まり、別のものになり行く身体で…。
うつらうつらと眠るように、意識を失ってしまっていた…。

――――――――――――――――――――――――――――――――

汗ばむ空気に不快感を抱き、ベッドから飛び起きた。

はぁはぁと息を吐き出し、
肩で息をしないまでに落ち着いてからやっと気付く。
今まで見ていたものが………夢であったということを。

夢であったとようやく頭が理解し、一安心。
んーっと伸びて辺りを見渡すと…アトリエのベッドの中だった。

ん…?なんでこんなところに居るんだっけ?
そういえば…恐ろしい夢を見たという気ではいるが、
なんだかもやがかかったように、その恐ろしい夢が思い出せない。

よくあること、等と一蹴してもいいが気がかりだ。

悪夢の記憶がなくて、いや~な感じが付きまとうこの感じ…
とてもいい気持ちのものではない。

汗ばむベッドから降りてもそれはいっしょ、
アトリエ内では空気が籠もり、湿度が高まっていて、
流石にここは外に出て日光にでも当たろうかと歩きだすが…。

アトリエ内に見かけないものがあった。

栗色をしているロープ状のものだ。
砂のブロックの様に固まっている甘い香りのする物体がある。

それを見た瞬間、ドクンと心臓が高鳴った。
アレは…私が採取したものだっただろうか…!?
何故かは分からないが、焦燥感が沸き出して止まらない!

見慣れているアトリエに異物があるから?
けれどもこれは…そんな初めて見たものじゃなくて…!

その時、天変地異が起きたように
『ドスン!』と床が震え、身体が飛び跳ねた。

地震だろうか?
しかし、それにしては断続的で…まだ起こる!
考える間にドスンドスンと、アトリエが鳴り響き…!
いったい何が起きているのかと窓を開けたその先には…。

よく見慣れた海岸線が見えるアトリエ前の風景───。
に、巨人が2人、海の方から向かってきていた。

漂って来るのは森や潮の香りではなく、
人体から発せられるような汗や皮脂…獣のような生の体臭。

「ボトル世界でピクニック楽しみだねー」

辺りをその巨体で包み込む彼女達は、
キョロキョロと楽しそうに見物するが、地上に目を向ける事なんて特にない。

「それにしてもなんにもない世界だね」

彼女達はこの地上の光景など苔のようにしか見ておらず、海を割り、大波を起こして上陸し…。
ひらりと舞った髪の毛は弧を描きながら、一本地上にざくっと突き刺さり…。

その髪の毛は、アトリエにあるものより10倍は大きかった。