夢を見た。
朝焼けの湿度が布団に籠もるほどの
一日は後を引きそうな重く苦しい一瞬の夢。

街が巨大な粘土の壁に押し潰され、
連なった家々が土石流の如く押し迫って来るのだ。
全て巻き込んで、天災以上の"どうしようもなさ"を以って。

自分もそれに巻き込まれて…。
全てが白く光り輝いて…。
目が覚めた…。

なんとも嫌な夢だ。
窓を開け、換気してようやく目が覚める。
街が押し潰されるなんて、そんなバカな…。さっさと忘れて、一日を始めよう。

世界樹がある限り、日常なんてそうそう壊されるものではない。
と、己を苦しめる悪夢を振り払ったのだった。

それに自分にはあったのだ、予定が、計画が。

――――――――――――――――――――

いつの日からだろうか、
罰当たりな事だが世界樹には剣が突き刺さっていた。

それは、町はずれの木こりの自分にも明白に分かる。
決まった時間になると日光の反射で窓の外がキラリと一筋の光を反射する、
冒険心を掻き立てられるような世界樹のアクセサリーにも見えるもの。

もちろん、生活基盤を支える世界樹に
そんなものが刺さっていて、良い顔をする人は少ないだろう。

誰が刺したのか、どうやって刺したのか、
という噂はこの町でよくされる話だ。

しかし、その犯人はまだ見つかっていない。
なんせ人の身の丈、数千、数万倍、いや、それ以上もあるかもしれない世界樹だ。

『世界樹の根』を登るだけでも民家よりも大きいそれは専用の装備が無ければ、
木肌に取っ掛かりを見出す事も出来はしないほど厚くなめらかで…。
要は、クライミングの技術が無ければ登る事さえ出来ないのだ。

高さの問題もある。
通常の人間が誰にも気付かれずに、
登れる高さに刺さっていないのだ、あれは。

世界樹の葉が見えるほど、雲よりもっと上の世界に刺さった得物。
おそらく剣でなければただの枝の一節の見間違いで終わっていたはずのその異物。
それが遥か高く、木漏れ日流るる正午に
キラリと光ったせいで注目を浴びる事になってしまって…。

それに、心を奪われたのが自分だったわけである…。

だから自分は世界樹に突き刺さった、
罰当たりなその剣を引き抜くため、教会に世界樹の登攀許可を…。


「やめとけ、やめとけ。あの剣なんてどうでもいいんだよ、お前は」

世界樹への登攀前に、
しばらくは帰れなくなるなと立ち寄った酒場にて、飲み仲間にそう言われた。

「でも、あのままじゃなんか気になるだろ?みんなも邪魔に思ってるし…」

「違う、違う。お前、あの剣が欲しいか?価値持ってると思うか?
 きっと違うだろ?あの剣までたどり着きたいだけなんだよ、お前は」

――――――――――――――――――――

…。
……。
………。
ただ一本の剣を目印に、ただただ登るたびに思い出す、あの言葉。
今思えば、図星だった。

世界樹の幹、中腹、
手が悴(かじか)み、喉が渇くたびに、今まさに言われたかのように思い出す。

あのまま、登らずにいればよかったと。
こんなのはただの意地で、登れば登るほど帰りが疲れるぞ、と。

ただ、それにしても、諦めるには登りすぎてしまった面もある。

ちらりと木肌に身体を寄せ、
登ってきた過程を見ると、街一面全てが見える。

起伏少ない平地に、塗られたような街の色。
教会、村役場、噴水広場に、自分の家はとても遠く小さくて…。

湧いて来るのは達成感というより…郷愁感。

あぁ…早く帰りたいな…。
このまま滑空して帰りたい…との夢見がちな感情ばかり湧いて来る。

もう少し、登れば世界樹の葉が見え隠れする目的の場所だ。
けど少し、このまま登っても変化はもう無いのではと思えてくる。

あの突き刺さった剣を持ち帰ったら、
武勇伝として街の少しのお祝い事にでもなるのかどうか。

そうだったら嬉しいけど、
元より刺さっていた邪魔者が取り外されただけで、
役場仕事の手続きで終わりとか、十分ありうる。

ふーっ。

休憩混じりに、息を整えながら空を見る。
そういえば…最近、空を見ていなかったな…と。

さも当然のように、あると思っていた青空を最近は見た事が無い。
ああ…いや、そう考えても、見た事が無いような気がする、青空を。

…なんか変な気分だ。

確かに世界樹のお膝元だからか…
葉の呼吸による水蒸気が多いためか…。

この街では、
天気は雨や曇りばかりで…いつも何かに覆われている気がする。

いや、やっぱり違うな…この感覚。
まるで一度も見た事が無いような錯覚が湧いて来る。

なにかを思い出そうとしても、思い出せず…。
それどころか、先日見た悪い夢を思い出す。

あの…自分達の街が…押し潰されて行く重い夢。

なんとも悪い気分だ。
身体を動かせば少しでも忘れられるのではないか。
休憩したので頭の霧は晴れなくても、身体は十分漲っている。

そうだ、あの剣まで辿り着けば、きっと晴れた空が見えるはずだと、
無理矢理心に言い聞かせ再びグッと登り始めた。

世界樹も葉の部分が見え隠れすると、
霧にも似た雲が木肌を濡らし、登り辛くなってくる。

ここからは地上からしても認知の範囲外。

少々罰当たりだが、
ためらわずピッケルを突き刺し、ずんずん登る。
ただただ…頭上高くに突き刺さった剣を目標に。

ここを登れば、どんな景色が待っているのだろう。
青空が、見えるのか。
日光が、降り注いでいるのか。
他の世界樹も見えるかもしれない。

そういえば、
山を越えた先に巨大な鉱石の構造物も見えた気がする。
ちょど煉瓦か瓦礫のような幾何学的な巨大構造物。
他にもあるのなら…自分が第一発見者だ!

想像するだけでさっきまでの悪夢が振り払われ、
ぐんぐん登る気持ちが湧いて来る!

服も、汗か霧の水蒸気でびしょびしょだが…。
もはやそんな不快感なんて問題が無い、
ドキドキと高鳴る心臓も血流が廻るようで力が湧き…。

ついに雲の上に登り切った…!

脳に溢れる興奮物質を
びゅうっと押し吹かれた風が冷まして心地良い。

突き刺さった剣も、目と鼻の先。

けれども…
まずは、景色を見ながら息を整えようと。

くるりと背を向いた。

雲の上の世界にピントを合わせ…。
ぼんやりと…全景が見えてくる。

ぼんやりと…。

ぼんやりと…見るが、夜でもなく。
かといって…朝でもない。

言うなれば日が反射した空間。

膜が張ったような透明な壁が、
その向こうにある物質を屈折しているように見えて…。

茶色に塗られた机が見えた。

それは遠く、
あまりにも遠く、
普段見ている机よりも遠く、
手を伸ばしても届かないほど遠くの世界。

息が伸びて、
震えるために硬く…ギュッと喉がすぼむ。

正気が、理性が、これ以上理解したら
後には戻れないぞと警鐘を鳴らしても目に届く光の方が早かった。

見えるのは、山の向こうに見えた構造物。
けれどもそれは明らかに人の手が加えられていたもの…。
だが、明らかに人が産み出せる規模を越えていて…。
まるで、なにかを模したように"よく知るレンガ"としてそこにあった。

しかし、それすら小さく見えるほどの…。
この世界を覆い包む、薄いガラス一枚越しに見える巨大な世界。

机があり、椅子があり、ベッドもある。
一般的なものだが…ただただ、それが桁を外れていて…。

あまりの現実にガチガチと指が震えて来る。
近くにあった洞(うろ)を手探りに触って、探し…。

あれだけ目標としていた剣を何の感慨も無く抜いた。

こんな状況だからか、
心の拠り所にしようとしたのか、
もはや抜いた後だから分からないが、ただ抜いた。
けれども身体を寄せられるだけの穴を探すだけで精一杯。
そうして…ちょうど人ひとり分入れる洞窟にやっとたどり着けた。

でも、この震えは止まらない。

逃げるように、体を丸め…うずくまる。
みんなにどう言ったらいいんだ…?と頭に浮かぶ。
このまま素知らぬふりで帰ってもいい、それで解決。

けれども知ってしまった…この外の世界。
あまりに巨大で…嫌々頭を振るっても…忘れる事なんてできはしない。


管理されているのだ。


何らかの容器に入れられて、この世界は。


見てもいない巨人を想像して、全身に鳥肌が立つ。
そもそも自分達と同じ姿かすら怪しい。

何のために?
と、第一の疑問が湧いたすぐ後に…。

自分達は…なんなんだ?
と、今まで気付かぬように抱えて来た疑問が溢れ出した。


産まれた記憶はないのが当たり前、
だと思っていた。

過ごした記憶は情報として頭に入っているが、
全てに現実感が無い。

まるで朝起きた瞬間から生が始まったようにも感じられ…。
自分達は…自分は…。

ずんっ…。

と、どこかで鳴り響く音がした。
発狂もしそうな頭だったがそれでも生に執着しようとしたその身体で身を乗り出す。

あれだけ落とさなかった世界樹の葉が、
揺れ散り、ヒュウッと雲の果てへと流れて雲が切れて…。
心の奥で否定しそうになっていた存在が顔を覗かせる。

今までこの世界を管理していたその人、巨人が現れた。

どこから出て来たのだろうか、
山を一つ越える長い足は空から突然のびて土を踏み抜いた。

『街がすぐ近くにあるのに』
轟音と共に潰され跳ねた山の破片が降りかけられて行く。

あまりにも一瞬、ただの一歩。
巨体故の遅鈍(ちどん)さも無く、
"なんてことない普通の人"のような一挙一動によって山が蹴飛ばされた。

そんな数秒の天災に逃れられる人などいるものか。
あの山には、人が居たかもしれない。
あの道には、人が居たかもしれない。
あの街には、人が居るというのに。

容赦無く当たって飛び散った。

現実を超越したその惨状に、
これが夢だと手をぶるぶるゆすり助けを乞う。

けれどもあるのは、目の前の現実。
巨人の指が見えて、半開きのブーツが伸び遠近感を理解させて、
世界樹階下の街が土に塗(まみ)れ、川と混ざって土石流へと濁る。

「登ったのがいけなかったのか…?」

人類では対処不能な天変地異に、それしか言葉が出て来ない。
後悔と懺悔が混じった神への問い掛け。
巨人が管理者だとして、今回出向いたのは罰のため…?

神聖な世界樹へと登った自分への天罰なのだろうか。


けれど…。
もし、本当に自分のせいだったら…?
自分のせいだとしたら…街のみんなはどう思う?

遠く…ぺったりと草原の緑に塗られたパレットに、
白カビの様な薄く節々が伸びている街を見てそう思う。

突然の土石流の発生に誰も彼も驚愕している事だろう。
天災と割り切れぬほど、経験した事の無い天変地異。
不信人者でさえ、これには神の存在を信じずにいられない。

そんな中に世界樹に登った自分が戻ったら…?

考えただけで、
もう戻れる場所なんてないのだと、酸素不足の頭にじーんと響く。

あぁ…だから…いっその事…。
全て潰してくれないかと、その足指に願ったのだ。


すると、動いた。
いや、もう動き始めていたのだ。

ずずずっ…と山を地ならしながらブーツは滑った。
サンダルの様な半開きのブーツから見える足指には、
固定するためにか、指輪のリングらしきものが通っている。
それがキラキラと輝き…反射し、街を照り付ける様は畏敬の念を起こすほど。

すると靴の足首が見えてくる、長い長い靴のようだ。
雲を押しのけ伸びた脚は、
巨人の足というには伝承の様な無骨さは無く、
むしろ知った人間の脚…子供として大きく、男ほどの凹凸も無い。

けれども、
その靴が苦しいほど押し付けていた太ももが、
どぷんと密着するように山を押し潰した時、ようやく理解した。これは女の巨人の脚だと。

普段から酷使されているのだろう、
ブーツの淵からはみ出る肉の壁はぎゅうぎゅうに圧迫されたまま出て来て隙間も無いほど。
たとえ小さい自分があの淵に居ようとも、
柔肉がブーツの隙間という隙間を埋め尽くし、侵入する事もできないだろう。

そんな、零れるほどの太ももが…街にそびえ立った。
気が付けば両の脚が現れ、座るようなポーズを取っている。

圧倒的な質量を持つ臀部(でんぶ)が、
パンパンに張ったホットパンツを伸ばしに伸ばし、
山を丁度の良い段差のように…乗り潰し、大きな谷を作った。
きっと…もう、この世界が生き残っても…。
あの…人の尻のように窪んだ穴を見たら、どんな人間でさえ、
世界が仮初のモノだと気付き、巨人への無力さに打ちひしがれて正気を失う事だろう。

国ひとつ、ふたつ分。
足で雲を薙ぎ払い、尻で山を潰し、
全体重を腰かけクレーターを作るそんな大きさだ。

もう、この世界では
あの巨人の痕跡から目を逸らして生きていく事は出来ない。

一種の信仰すら生まれるほど、
そんな…女神の顔が見えてしまった。


最初は眩暈の産物かと思った。

どんな巨人か、女神か。
はたまた破壊神そのものか。

しかし…薄遠く暗い、ガラスの天井から見えた顔は…。
自分よりも一回りは幼い大人になる一歩手前の少女の姿。

髪は栗色、瞳も同系色。
あどけなさは抜けず、垢抜けもせず、
少々発育が過ぎるところも見受けられるが、
好奇心を携えた、言わばなんてことない農家の娘。

巨人は見るからに、自分と同じような人間だった。

すると…そうすると。
ただただ自分の矮小さが勝ってくる。

神性を帯びた存在なら、諦めも出よう。
物語の結末のように、
審判の日か、裁きか、救済か。
それならばとただ運命を受け入れる事は出来た。

けれども、それはただの少女。
ただの少女の一挙一動で、
ただただ泥の山が崩れるように街が崩れていく。


しかも、それにすら少女は気付いていない。


あの巨体からすれば、
街の事なんてただの砂の集まりとしか見えていないのだろう。
まるでこちらを、人間を認知しないかのように世界樹をただ見つめている。


世界樹の洞に居る自分と目線があった…と思っても、
絶対にそれは杞憂と思えるほど、桁の違った大きさの差。

興味があるようだ…。
としたら、次に行われる行為はただひとつ。

世界樹が…掴まれた。
引き抜こうとしているのだ…巨人が世界樹を!

重力が身体全体に引っかかり、
立っていられないと足がへたる。

洞の外では今まで降った事も無かった世界樹の葉が、
一枚、二枚、それ以上に!
乱暴な掴みで散り落ちて行く!

根が街を取り囲み、
葉が気候を一定に保ち、
樹液で恵みを与えていたほどの世界樹だ。

葉も一枚降るだけで街に被害が降りかかる…!
家一軒、住居一区、ぽとりと落ちただけでそこは影一色。
それが何枚も、何枚も落ちて行く…!


あ…あぁ!
世界樹が…みんなの世界樹が!
取らないでくれよ…俺達のものなんだぞ…!

世界樹は…。
自分たちのただひとつの指標。
世界樹信仰とはいうが…それも必要なものだ。

古臭いとはいっても、みんな同じ気持ちだ。
天に日があり、それに光を見出すように。
自分達に必要なものに想入れが無いことなんてあるだろうか!?

自分達になきゃいけない、
あって当然のものが奪われようとしているんだ…今!

そんな…大事なものが…。
ただの手によって引き抜かれようとしている。


顔を見ると、なんの思入れも無い。
ただ、『なかなか根っ子が硬いな』
くらいのキッとしたふんばり顔が見えるだけ。

きっと採取するくらいの感覚なのだろう。

悲嘆に打ちひしがれても、意味も無し。
きっと根が引き抜かれると同時に、心にもポッカリ穴が空くだろう。

けれども、心動かされずにはいられなかった。

世界樹階下の街が見える。

いっそ滅びてしまえばとも思ったけど、
世界樹が取られそうになって初めて『街の一部』としての感情が出て来た。

街の住人はどうしているのだろうか。
この天災に、恐れているのか、抵抗しようとしているのか。
もはや、
ここからでは窺い知る事も出来ない。

けれども、その街が…じわじわと太ももに侵食されて行く。

少女の巨人が…
力を入れれば、入れるほど…。
足が、太ももがグッと大地を張って被害が出る。

全体重を足にのっけ、
太ももがむちむちと柔く平べったく押し当てるほど…。
街が…街が、敷き潰されて行く。

もはや街も半壊状態。
逃げ場は無い、
左右の太ももに挟まれ、眼前には巨人のホットパンツ。

巨大な胸が日を隠し、
胸元から垂れた汗がヘソを伝い、
ポタッと落ちた汗だけで街の一区画が浸水する。


もはや、恐怖よりも、
どうしようもなさ、無力さが身体を覆い…。

ずんずんゆらゆらと…揺れる胸で街が隠された。

その時、自分でもよくは分からないが、
危険に瀕した際、種を残さなければいけないという生存本能からか、
それとも男の性(さが)か…。その山より大きい胸から目が離せなくなった。

ゆさゆさと…世界樹が抜かれようとしているのに…。
目下に、飛び降りればすぐに、到達できるであろう巨乳に目が奪われた。

狂おしいほどの、やるせなさ。
世界を壊そうとしている巨人なのに、
もう、諦めの境地からか自分はその巨人を少女として見ようとしていた。

ギチッ…!と音がした、
根が悲鳴をあげてちぎれた音だ。

それからはもう、あっさりと全てが終わった。

草を引き抜くように、ぷっつりと、
大地から引き抜かれた世界樹はもはや少女の手の内に。
そこから余分な土を手で払い、綺麗にすると、もはや大地には興味無し。

「はーっ…やっと抜けたー…」と。

つまんだ世界樹をじーっと物色する少女の姿がそこにあった。

もちろん、街など眼中に無し。
振り落ちた土の行方など知る由もないだろう。
もっとも、街はもはや砂塵に見舞われ、
土色と同化して、あるのかすら分からないくらいだ。

ここで帰ってくれたら街の人間も助かった事だろう。
だけど、何があるのかと好奇心に満ちたその目は輝きを失わない。

そして…。
足癖が悪いのか、ぺったり大地に貼り付いた太ももが、
また、ぺったんと跳ね始めた。

あぐらをかくようにズッ…と、足を組み…。
巨人から逃げる唯一の出口と思われた、向かい側の道がブーツで固められる。

少女にとってはただのあぐら、
だが、街の人間には四方八方を固められ…
むちむちとした太ももが街を取り囲んで逃げられない。

自分は、そんな景色をただ見る事しかできなかった。
感情は出て来る、やるせなさから吐き捨てる、そんな感情。

頭では分かっているんだ、

や、やめてくれよ…!
もう、目的は果たしただろ…!?
あんたが…足を伸ばしたり、 
ぶらぶら足を動かしただけで…みんなが…潰れるんだ…!

と。

でも、もう、自分の感情が分からない。
思いが魂だとすれば、もう、魂は少女の方に引き寄せられており…。
世界樹を引き抜いた相手だというのに、情欲が湧いて来る。

『ライザ―!良いの出来てたの?』

「あ、ごめーんクラウディア!今帰るから!」

それは、第二の天の声か。外側の巨人か。
尻もちをついていた巨人は、ホットパンツに付いた山をパタパタと振り払い、
魔法陣を展開してその世界から姿を消した。

人の身では余るほどの、
ブーツで地ならしされた土砂と、尻の形のクレーターを残して。

――――――――――――――――――――――――――――――

目を覚ました場所は…木の上だった。

そうとしか言えない…。
あれが夢ならと思えたならよかったが…
空を見ると遠近感がズレるほどの巨人の構造物を観て、諦める。

本物の巨人の部屋だ。

周りを見ると…世界樹の他に…
雲の上に到達した時に見た、煉瓦が見えた。

それだけじゃない、目を凝らして遠くを見ると、
巨人が採取したと思える素材が見えた。
青緑の獣の皮、骨、樫の塊に、ゼリー状の物体。

そのどれもが…巨大で…。
散らばったペンから、ここが机の上だと気付いた。

身の丈数百倍もある小物に肝がきゅーっと冷えて…
へたって尻もちをつくと、見慣れた木星の天井が見えてはいるが…。

だけど…それが…霞を挟むほど遠い…。
けれど…もう、戻れない身であったのだ…。
この巨大な世界で生きるしかないだろう…?

そう、どう生きるか宙に視線を投げていると
ふいに、人影が辺りを覆った。

あの、巨人だ。

「それで?採取はどうだったの?」

「うーん…まずまずというか…質は良いんだけどねー…」

「そうなの?素敵な素材に見えるけど…」

「それが錬金術といっても…そこは運によるといいますか…」

するとライザと呼ばれた巨人は
世界樹をむんずと掴み、しげしげと眺める。

まるで自分の物のように…
いや…もう既に世界樹はライザの持つ数ある素材の中の一つなのだ。

「とりあえず作ってみるかー!」

だんだん話が見えて来た…。
作ろうとしているのだ、なにかを。世界樹を使って。

待ってくれ…!
と、手を伸ばしても…
もう、巨人に掴まれた世界樹に届きはしない。

ホットパンツがゆさゆさと張り詰め揺れる、
その後ろ姿を見るしか出来なかったのだ。

話し合えば分かりあうかもしれないと思っても、
同じ目線に立つには相手が大きすぎて自分はその席に立つ事も出来ない。

ライザと言われた巨人からしたら…
そんな存在なのだ、世界樹というものは。

あの街の信仰・心の支えすら知らず、認知せず、
世界樹の素材性にだけだけ目に付けて…鍋へと放り込む。
小さい人々が分け合い、感謝を捧げていた恵みが一瞬にして消費される。

それを見ているだけしかできない喪失感。
あれだけ大きかった世界樹も、
遠近感を狂わされてか自分でもただの草木にしか見えない。

ライザが、あまりにも大きすぎたのだ。
世界樹でさえ片手で持たれ、ぞんざいに扱われては、
神性も薄れ、逆に、ライザに神性を見出してしまうほど。

そんな女神が楽しそうに鍋を煮詰めている姿が神々しく見えて来た。
なにを作っているのだろう、せっかくの世界樹だ。
せめてもの救いとして何か良い物として作ってくれたら救済にも…。

「どう?錬金の調子は?」

「ん~、やっぱり駄目かも。
 これならもっと良いアイテムが作れそうだし…。これは消耗品かなー」

これを聞いた時、頭の中で保っていたアイデンティティーがぷつんと切れ、
自分の人生全てを否定されたかのような気持ちがした。
あの、世界樹を…材料に使って…あまつさえ、無駄にするなんて…!

ボンッと鍋から煙がひとつ吹き上がり、錬金が終わった。
出て来たのは破砕物で威力を高める爆弾で、材料の面影なんてとっくに無い。

世界を一つ犠牲にして出てきた結果がそれなのか…?
そんな、そんなことがあっていいものか…?
あの世界の宝物が単なる爆薬になるなんて…あっていいものか!?

あまりの無情に潰れた街の無念が脳裏から溢れ、
咳を伴って涙として出て…泣いた。
大きな声で、恐怖感を振り払うように…。

泣き続けた。

けれどもこの声でも、巨人には届かない。

ライザはというと、やはりか微妙な顔をしている。
しかし割り切ったようにカゴへと放り込み…
やっぱりこれじゃあなーと、フラスコの様な実験器具を弄っている…。

いや、あれは…自分が住んでいた世界だ…!
まだあの世界から奪うというのか…!

「ねえ、クラウディアって
 このトラベルボトル使ってなかったよね?」

「うん、使ってないけど…ピクニックのお誘い?」

「ううん、そうじゃなくてこのボトル、
 狭かったし…素材も良くなかったから空にしちゃおうかなって」

「みんなは使ってないんでしょ?
 予備のボトルは無いし、ライザが消しちゃってもいいんじゃない?」

「そっか…そうだよね、まだジェム残ってるけど空にしちゃおっか」

手慣れた動きでライザがトラベルボトルを弄ると
ボトルの景色が霞んで…、パッ…と消えた。

「やっぱり便利だね、トラベルボトル」

「うんうん、使い方教えてくれたアンペルさんには感謝しなくっちゃ!」

「そうだ!ライザ、私…前から気に入ってるお花があるのだけど…。
 今度それを使って世界を作ってみない?」

「わぁ!お花いっぱいの世界作れそう!」


そんな、少女達の会話。
でも、自分にとっては人智を越えた巨人たちの会話である。


え………。
き、消えたぞ…自分の住んでいた街が、世界が。

ものの数秒、覚悟して看取る事も出来ず、
ただ一回し、二回しの操作で簡単に少女の手によって…。

世界が消えた。

いや、それよりも世界を作ると聞こえた。
それはつまり…つまり…自分達が住んでいた世界は…。

作り物だったってことか…?

手慣れた様子でボトルを弄る、
ライザという巨人の姿が思い起こされる。

きっと…彼女は、何度か世界を作ったりしたのだろう。
材料を元に、世界を創造し、出来た世界で採取する。

としたら、自分はこの少女から作られた…?

頭にかかった霧が空虚に霧散する感覚がした。

虚実の記憶が植え付けられた街での生活、実感が無いと思っていたのはそのためか。
自分は朝に生まれ、過去など無い。

そうだ、あの世界樹に剣を刺した人間は存在せず、
ただ世界樹にあったと思えば説明もつく。

しかし今まで生きて来た人生が仮初だったと気付いた時、
人間はなにをしたらいいのだろう?

気付けばライザはこちらの机と身を寄せて、
クラウディアと呼ばれる巨人と談笑をしていた。


どうしたら…どうしたらいいのか。
目的を失い、ふらふらと巨人たちに歩み始めた。

こんな事になるなら、
あのまま他の人達と一緒に消えればよかったかもしれない。

知らず知らずのうちに一日を生きて、感情を持たずに光って還る。
フラスコの人間として生きなかったから、こんな異物として生き残ってしまった。

故郷を失い、もう帰る場所など無く、
けれどもこの巨人の世界で生きていくにはあまりに孤独。

庇護を求めようにも、まず認知もされない大きさで。
部屋に生きる虫として生活しなければいけないのかもしれない。

けれど、それではあまりにむごい。

ふらふらと…もう、なにかを支えにでもしなければ
気力が無くて歩けもしない時、とぷんとなにかに辿り着いた。


あのライザという巨人の太ももだ…。
行儀悪く…足を机の上に乗せている…。

街を踏み潰したあの太もも…
世界ひとつを踏み潰したとしても、
その肌ツヤは砂利の研磨に負けることなく漲り張って、
土も付かず、潰した痕跡を残さず、湿度を伴いそり立っている。

自分にはもはや何もない…。

ならば…復讐でもしようか?
幸い、剣はあるし、目の前にはあの巨人の肉がある。

この太ももを見れば見るほど…。
あの時の、街が破壊された時を思い出す。
太ももが街を覆い、ホットパンツが街に押し当てられ、
街が、家が、人々が太ももにむっちりと呑まれて行くのに、
なにも出来なかったあの思い出が。

なにかを成すには…今しかない。

復讐するには…今しかない。

………。

いや…もう力が出ない。


ボトルの中の世界が作られた世界と知った今、
もう、自分がどこに感情を向けていいのか分からないんだ…。

世界の破壊者への復讐心を湧き立たせるか、
創造主への反逆を果敢に志すか、
それとも仮初の世界から救ってくれた神に対して感謝をするか。

世界樹に刺さった剣は、
自分にとって日常を打破する標(しるべ)だった。

植え付けられた退屈な日常から逃れる標。
別の景色へと連れてってくれるような標。
破壊神かと思われた巨人を見た時、恐怖と共に少しの興奮をしていた事を覚えている。

なら、その世界から拾い上げてくれた巨人に対して、何か思う事は無いのか?
と言われれば…あるとしか言えない。
けれど、認知もしてくれない相手に何をしたらいいのか…。


剣を手放した。
今まで見ていただけの太ももに触ってみる。

…触れば、巨人ながらもただの少女の柔肌だとすぐに分かった。
サイズの比率が過度に違いながらも、
むちむちとした肉の壁は押せば押すほど凹んで行く。

全身を投げ出してみてはどうだろうか。
すると、太ももが柔くむにゅっと変形し、
皮膚一枚越しの血流の熱を感じる事が出来て…。


気付けば興奮していた。

いわば自分はフラスコ底に生まれた微生物。
自然発生しては、一定のコロニーを作り、
管理者の意思も問わずにあるだけの資源で繁殖された微生物。

それならば、恨みを持つのはお門違いではないか。
かといって、生存の欲を止めるわけにもいかず、今なお繁殖欲求に抗えない。

もう、本能に従うしかなかった。

むちむちとした太ももは、
呼吸のたびに汗が混じって、湿度を保ち、
抱き着いた身体全身をなみなみ包んで濡らしていく。

成長度合いとしては上である自分なのに、
ライザという少女の太ももという性的部分から離れられない。
粘着よく、吸着よく、
たっぷり肉をため込んだ太ももは同年代を考えても大き過ぎた。

そんな太ももにすり寄って、押し当て、
自分の下半身が性欲に抗えなくなった。

けれども押し当てるだけでは満足できず、ブーツと靴下の中に入り込もうとする。
あの時見た、ブーツの淵だ。

ブーツを酷使するように溢れる、
ぎゅうぎゅうにはみ出た肉の壁を押しのけ、その中に入ろうとする。

ブーツの淵に立つと、
むわっと蒸気が立ち込めて…まるで火口の前に立っているかのよう。
熱を持つ蒸気が服を濡らしたそれだけで、中が過酷であると容易に思わせる事が出来た。

けれど…行く。
さらなる刺激を求めて、太ももに挟まれるために潜って…。
パンパンに張った太ももとブーツの中で、巨人の少女たちの会話を聞きながら…。
微生物らしく、ありもしない繁殖のために…腰を打ち付けてついには果てた。

ライザとクラウディアはそんな極小の人間なんて知りもしない。
あったとしても、かゆいな、くらいだろう。

ライザは何気なく、蒸したブーツの淵を広げて蒸気を出し、
次のトラベルボトルの事について話し合っていた。

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あれから、ライザにはあるひとつのトラベルボトルがお気に入りになった。
幾多の世界を創造し、採取し、還しながら見付けたお気に入りのボトル。

ライザからして手の平サイズの精霊が住まう、
なにかと使い勝手の良い第二の拠点にも使えそうなそんなボトルだ。

ライザもクラウディアも女の子なのだろう。
小さい精霊を可愛い可愛いと採取しながらたびたび訪れていた。

自分はそんな世界に、ライザに引っ付いて渡って来た。
生き残るために…少しでも生活といえる営みをするために。

ネズミのように住居に侵入し、暮らしていた。

いつかバレるかもしれない、
知らせなきゃいけない時も来るかもしれないが、まだバレてはいない。
とりあえずはトラベルボトル固有の資源を食べて生きている。

時おりライザが遊びに来て、精霊と戯れている姿を見る。
あの太ももには、機会があった時だけ触れるようにしている。

もしかしたら、このトラベルボトルもジェルに還る時が来るかもしれない。
けれども、ライザお気に入りのトラベルボトルで、
彼女に所有され管理されると分かっただけで、微生物として生きていくには十分だった。