「あつーい!科学の結晶たるクーラーが導入されるまで
 私はてこでもこのひんやり冷たい廊下から動かないぞー!」

といった博霊神社の小人による、
夏への反逆心はアイスによって無事鎮められた。

「わーい!こんなにアイスが貰えるなんて!
 お椀に盛られているの全部、私のものでいいんだよね!
 あー。物欲しそうな顔してもあげないぞー。これは小人族の特権だからねー」


幻想郷、夏、人里離れた博霊神社。
巫女と、人間と、小人一匹。
そんな中でバニラたっぷりのアイスにありつけたというのは幸福で…。
しみじみと運の良い場所へ辿り着けたと頭に染みる冷気で実感する。

あぁ…ここに拾われて良かったなぁ…と。


自分は元々日本に住んでいて、この場所には迷い込んで来た形となる。

日本の夏特有の殺人的な日光と高湿多温、
アスファルトから立ち昇る陽炎(かげろう)に意識を持って行かれていたら…。
いつの間にか、迷い込んでいたというやつだ。
そして、妖怪としては好都合なこの状況を、
運良く博霊の巫女に発見され、小間使いとして任を負い現状に至る。

初めは慣れない土地、妖怪、文化と困惑していたが…。
文化圏が日本と似たり寄ったりであったりしている為か、
軒先の風鈴の音に風流を感じる程度には余裕を持てて来た。

博霊神社は妖怪が絶えず出入りし跋扈する伏魔殿だが、
住めば都と言うべきか、
そもそもこのアイスも管理者たる八雲紫のお膝元故の恩恵というべきか。

帰りたい想いも多少はあるが、
自分は徐々に幻想郷へと適応していった。

だが、そんな安寧も束(つか)の間。


「ぎぃあっ!」と、細く小さい声が
午睡香る縁側から聞こえてきて状況は一変した。

なんだなんだ、と見に行くとそこには…。

蟻にたかられた、
少名針妙丸(すくなしんみょうまる)の最近お気に入りのお椀があった。

哀れにも、蟻に包囲され、たかられたその椀の底には、
点々が食べ残しのバニラアイスにピチピチと浮かびなかなか気色が悪い。

小人目線からしたらかなりの衝撃だったであろう。
何が起きたかぱっと見で分かるほど衣服が乱れ、
パクパクと開けた口から嗚咽交じりの、
鳥肌が立っているであろう顔があまりにも痛ましく、
駆け寄って来たその姿を持ち上げ、下界から引き離すしか慰める方法は無い。

「ね、ねぇ。付いてない?付いてない?」

おそらくは…針妙丸自身もたかられはしていたのだろう。
昼寝か何かでだらだらしているうちに…虫に這い寄られて…
というのは想像するだけで人間の自分にもなかなか精神的に危うい。

パタパタと着物をはたき、ぐるっとひと回り、
紙で扇ぎ…清涼感を与えて不快感を吹き飛ばし、これが自分のせい一杯。

「きっちり見て回ったけど、付いてなかったよ」

「あ、あぁー。よかったー…
 これ以上付いていたらどうしてやろうかと」

やっと気持ちが落ち着いたようだ。
息の乱れもそこそこ、服の乱れも整え、
万全状態で小人としての威厳を取り戻す。

「あはは。ありがとう。
 貴方が居なかったらどうなっていたことか」

そんな騒動の顛末を窺っていたのか、のっこりと博麗霊夢が庭からやって来た。
面倒そうに、説教そうに、伝統的な博霊スタイルといった顔で。

「あーあ。これ、あんたが片付けておきなさいよ。
 アリは一匹残らず出す、洗い物は洗う、生活の常識でしょ?」

「えっ…えぇ―…。
 せめて、せめて…アリだけは人間様に退治して貰うと嬉しいのだけど」

「自業自得、痛くないと覚えない。
 あと、あんたもそんなに甘やかさない。
 妖怪に貸し作ったらその種族の価値観で借りを返されるから大変よ」

「私は妖怪じゃなくて小人族なんだけど!」

はいはい、と。
言うだけ言って博麗霊夢は掃除に戻ってしまった…。

さぁ…どうしようか。
巫女から忠告を受けた手前、甘やかすというのははばかられる。

かといってこの惨状、
小人であれば格闘必至だがそれは小人の尺度。
自分であれば子帚(こぼうき)でサッと掃いて一発だが…。

「ね…ねぇ。
 貴方って特に何の力を持たない人間だよね…?
 なら、私の味方で…この私の窮地も分かるでしょ?
 すぐに解決できる存在が、すぐ近くに居るのに、手も差し出して貰えない。
 そういうの…外から来た貴方なら見過ごせない道徳観だと思うんだけど…」

う、うーん…?
なんだか大きい話になってきたぞ?

だが、乗り掛かった舟だ。こちらにとっても労力は無い。
いやしかし…巫女の助言は聞いていた方がいいかと、悩みに悩み。

『まぁいいか』と。結論を出した。

縁側の蟻を潰さないようにしながら手帚でサッと一掃。
お椀もペッと裏返して中身をそのまま庭に放つ。

それだけ、それだけの一瞬の出来事だったが…。

「わー!ありがとう!
 やっぱり貴方って頼りになるね!」

と、感謝されるのは少し嬉しい。
なんだ、素直な子じゃないかとその時は思っていたが…。

「どうなっても知らないわよー」

あきれ混じりに吐き捨てられた博霊の巫女の言葉に、
もうちょっと注意を払っておくべきだったと後悔する事になる。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

お椀を洗い場で洗い、ようやく片付けが済んだといったところだ。

どうせなら、洗剤使って全体を少々磨き、布巾で拭い綺麗に。
すると、表面の漆(うるし)がピカピカ光り本来の光沢さが戻って来た。

「ねー。あれもしてあれ。
 貴方が作ってくれたプシュッて掃除するやつ」

あれ…というと、柑橘系の霧吹きだろうか。
ちょうど盲点だったのだが、幻想郷には霧吹きには馴染みが無いらしい。

博霊の巫女的には、
キャップ、取り付け口を外すだけで「おー」と驚かれ、
障子に吹き付けピンと張っても「おー」と続き、
ボトルの水を取り替えただけでも「おー」と驚かれる。

市販品を使いこなすだけで褒められるとはなんたる優越感。
もっとも…単に面倒臭がって、
おだてる事でいいように扱っているだけかもしれないが。


けれども、針妙丸的には違うようだ。

自分が外の道具を使いこなすたび、
博霊の巫女の知り得ぬ技術で驚愕?させるたび…。
なにやら羨望の目で見られている事に気付いた。

いわゆる、『下剋上』の素質アリと。

それからというもの、
人懐っこく何処からか外の道具を持って来ては、これがどういった物か説明する日々。

外の道具に興味があるというのなら、
人妖の営む古道具屋にでも足を運べばいいのではとも思うたが、

察するに文化資本がある外の人間が面白いのだろう。
最強といわんとす博霊の巫女が外の道具に面食らうという、
ジャイアントキリングを見たいが為にねだっているような気もする。

つまりは、同族意識を向けられているのだ、私は。


『ぷしゅーっ』と、霧吹きを撒いて軽く拭う。
卓に置いて、現状やれることは全部済んだ。
すると、ここから針妙丸は張り切りだす。今から私の仕事だと言わんばかりに。

「よーし、がんばるぞ!」

着物ほどある布巾を器用に掴み、お椀を磨き始めた。
まるで職人の様に擦り上げ、『はーっ』と吐息を吐いてキュッキュッと磨く。

なにやらこの小人には『こだわり』というものがあるらしく、
仕上げは自ずから手を加えるというのが通例だった。

自分ならゴシゴシやって済ませられるのだが…。
しかし、針妙丸は首を横に振る。

曰く、力技で済ませるのは王道でもあるが、薄皮剥けば外道のひとこと。
零れた些事は見て見ぬふりか、いや、私はそうしない。
と、小人族にしか見えないものもあるらしい。と力説する。

へー、そんなもんかね…。
まぁ…小さい目線で見れば小さな汚れも見付けられるか…。

なんて…
いそいそお椀磨きに励む小さい背をなんとなく見つめ、
どのくらい磨けるかな?と、鏡のように反射する表面を眺めていると…
『あっ』と、針妙丸と目が合った。

元々同族意識を持ち始めた針妙丸だ、アイコンタクトとして友好の念を感じたらしい。
お椀をくいっと傾け振り返り…そこには人懐っこい笑みが見えた。
何かを期待しているような、そんな笑顔。

「ねぇ…これだけ見てくれてるっていうことは…貴方も興味あるの?」

「う…うーん?まぁちょっと…」

「そうなのね!いやー。私もそんな気がしてたんだ!
 なんだか貴方には私と同じ気配を感じていたの!」

そ、そうなのかな。
まぁ…魑魅魍魎蔓延る幻想郷。ただの人でしかない自分は…。
人外の、会話が通じる、仲間が出来たというのは喜ばしい事で…。
小人から同族意識を向けられるというのは、やぶさかではないが…。


するとどこに隠していたのか針妙丸は…小槌を取り出して来た。

あれは…噂に聞く、
一寸法師伝説にもある『打ち出の小槌』ではないか。

普段は代償やら、エネルギー不足やらで、
見かけることはあれど、使っている姿を見ていなかったが…。

まさか、なにか披露してくれるのだろうか…!

「よーし!逆はした事は無いけど…。
 鬼が出るか蛇が出るか…やってみよう!」

そして、意を決したかのように打ち出の小槌を振り上げ…。

「ちいさくなーれ!」

ぽこんと、小槌で叩かれた。


えっ…と思う間も無く効果が表れる。
叩かれた部分は押し付けられた程度だったが…。
それでも、じわじわと叩かれた部分から、
鳥肌が登り立つように身体を駆け巡ってくすぐったい。

『ちいさくなーれ』と言ったからには、
きっと恐らく絶対に自分はこれから小さくなるのだろう。

頭では分かっている…が、小さくなるという
その覚悟も出来ていなかった焦燥感で心臓がどくんと跳ねる!

そんな頭と心の帳尻の合わなさで不安になった顔を…
針妙丸は満足そうに見つめていた。

「えっ…!えっと…これは…なんで…!?」
と言っても、気にもされない。

『不安にならなくていいよ』とか『小さくなれるよ』みたいな…。
これから起きる異変を知っていそうなそんな満足そうな顔。

その顔が…近付いて来た。

身体が小さくなり軽くなったからだろうか、
座っていた座布団の綿を押し返せず体勢を崩し…、
『おっと』、卓に手を付いてしまった。針妙丸が居るのに。

だけども針妙丸は気にしない、揺れたとてお構いなし。
あるいは…ただ自分が卓を揺らすほどの力が無くなってしまったというべきか。

今はもう、卓は立ってみぞおちの辺りまで大きくなってきている。
付いたと思った手の平が、ちょうど跳び箱を飛ぶ時の様な位置までに。
ついには両手使ってぶら下がらなければ落ちてしまうという高さまでになって来た…!

手を離すタイミングを逃してしまったせいで…。
縮小するスピードが速過ぎたせいで…。

なんとなしに支えにしていた卓から手を離せない。
足も、もう座布団から離れプラプラと宙を舞って、地が恋しい。

座布団だし…いっそ離して…と思った時に出てきたのが針妙丸だ。
「大丈夫?今から引き上げるからねー」と、差し伸べてくる細い腕。

その小人の細い腕が…いつの間にか、自分の腕と同等で…。
遠近感の狂い無く、手を握れば掴めるという一対一の相違無い大きさで…。

自分は、小人になっていた。

ここに来て…『なぜ小さくしてきたか』にも合点がいった。

常日頃の同族意識…、
あれが『下剋上』による同族意識ではなく…
種族的な同族意識として持たれていたとしたら…?

としたら、この手を取るのは危うい気がする。
『この小人族は、人間を小人にして』仲間に受け入れようとしているのだ。
仲間にしたからにはもう、二度と戻してくれないかもしれない。

最悪、博霊の巫女に言えば解決するが…。
想像するに…巨大な巫女にとりあっても…まずは一蹴。

自業自得と放置され…
縁側で茶をすする余裕たっぷりの巨体に
泣き付いて情けない姿をしている自分の姿が容易に想像できる。

けれども、そんな躊躇なぞ針妙丸にとって関係無し。
小人にとってただの人間なんぞ、同じ身長になってしまえば軽いものだ。

優柔不断な手をがっしり掴まれ見事に引き上げ、
行儀悪いながらも食卓の上に乗り上げた。

「ふー。小人の世界にようこそ!
 どう?突然の事だからビックリしちゃってるかもしれないけど」

「う…うん。やっぱり大きいですね…」

もっと…気の利いた感想を言えなかったのかと我ながら思うが、
やはり心構えも無く小さくなってしまったので言葉が見付からない。

何か言おうとするならば、針妙丸の事だろうか。
偏見の目で視てはいなかったのだが…
等身大の姿を見るとやっぱり自分はこの小人の事を、
女性の一人ではなく、ペットか何かで見ていた気持ちにもなって来る。

着物から伸びる、やわく細く伸びる腕。
言ったら怒られそうなおさな顔の残る、あどけなくゆるい顔。
にっこりとした表情は…まさに同調を求めていて…。
少々危険な雰囲気を感じるが、
好意を向けられているモノと何ら変わりなく、なんだか恥ずかしい。

「ねぇ、どうしたの?」
と、針妙丸はまじまじみる目線に気付いてしまったようだ。

「ええと…突然の事だったからビックリしてしまって…。
 でも…初めてちゃんと顔を見た気がするから…
 小さくなって良かった…かも?」

「わぁー!それは私も一緒!
 今まで大きな顔しか見た事なかったし…。
 それに最近では私と同じくらいの顔を見るのは久しぶり!」

「ははは…いつも見上げてましたからね」

「そうなのー。
 もう…みんな私より大きいから見上げなきゃいけなくて…。
 でも、貴方が小さくなってくれた事で話しやすくなって良かったわ!」

う、うーん…。
過程はどうであれ…同族意識もあるだろうが…
なんだか…同じ視点の仲間が居ない寂しさから『小さくした』にも思えて来た。

まぁ…時間はあるし、付き合ってあげるのも…。

「ほら、打ち出の小槌とか使ってみない?
 身長的に小人族なんだし使えるかも!なにか『大きく』してみない?」

あれ?もしかして、輝針城の一件同様、
代償として、小さくさせようとしていないだろうか?

と、作戦だか無邪気の結果か分からない提案に
ぬるい目線を向けていると、ふとお椀が気がかりになった。

「あ!そういえば貴方もこのお椀に入ってみたかったんでしょ?
 せっかく小さくなったんだから入ってみようよ!」

いや…お椀に入りたいが為に小さくなりたいという人間は…。
とは思ったけど、
小さくなってみると分かる『小物の中に入ってみたい』と思う帰巣本能。
ことに、それが針妙丸の物であるというのならさらに興味が湧くわけで…。

「いいわ!私が先輩としてお椀の入り方を教えてあげる!
 ほら、こうやって…傾けてねぇー…ぴょーんと乗るんだよ!」

傾け、軸を作って、それを足掛かりとして飛び乗る、か…。
なんだかスケボーみたいな乗り方だ。
でも自分は人間なわけで…針妙丸抜きだとしてもお椀が…重過ぎる!

「あ、そうか…。
 貴方は小さくなっただけだから…。じゃあ私が手伝ってあげよう!」

お椀に手をかけ、ぐいっと手を伸ばし、誘う針妙丸。
もはやここまで来たら躊躇するのも無粋な話、ここは素直に従い手を伸ばす。

ぎゅっと握った手が、
女子供特有の湿っぽさを持つ手の平で少し恥ずかしい。
思えば登られたり抱き着かれたりもしたけど、
そんなに意識しなかっただけに…肉質を感じられるとより生々しく針妙丸が感じられてしまう。
すると、ぐいっと引っ張り上げられ、
針妙丸の身体にもつれ込んだ時、女の部分に触れてしまった。

小人だからか…。
ある程度、身体が接触する事は慣れているのだろう。
いつものように、
甘えるように、泣きつくように、着物に張り付き登る時のように、

狭いお椀の中央に胡坐をかき、
バランスを崩さぬよう背を床に、
入って来た者を逃さんと抱き着こうとしている針妙丸が見えた。

驚いたのは、自分だった。
まさかお椀一枚隔てた向こう側に、蟻地獄の様に待ち構える小人が居るとは。
けれどもお椀に乗り上げた手前、もう前に倒れ込む事しか出来ぬ。

転びそうになる身体をぎゅっと受け止められて、
否が応でも種族差というものを思い知らされてしまった。

「うわっ…あ!」
「どう?お椀の中は、安心するでしょ」

「え…?えっと…」

やはりか、接触に慣れている針妙丸は
この、男女二人抱き着くように狭い空間に居ることを
あまり特別には思っていないらしい。

それより、小人の世界を知って貰いたいのだろう。
口早にお椀の寝心地であったり…安心感だったりを伝えてくる。

「こうやって…天井を寝ながら見上げるとね、
 まるで人間になったように天井に手が届きそうになるのよ」

と、ぐでーと仰向けに寝転び、横にぺちぺちやって誘ってきた。
お椀の曲線で、当然身体がくっつき合う形になってしまうが…。
ここは針妙丸の価値観に合わせようと次いで寝転ぶ。

「それじゃあ…お邪魔します」
「はい、どーぞ!」

………。

確かに、なんだか奇妙な感覚だ。

見上げただけで妙に狂う遠近感。

あれだけ巨大に見えた神社の居間が…。
天井一点だけを見ると…手を伸ばせば届くかのような錯覚を覚える。

元々の、住んでいた感覚がそうさせるのだろう。
朝起きたら、目を開けてなくても、ここに目覚ましがあって…
ここに枕があるから、これをクッションに立ち上がって…戸を開けて朝日を浴びて、
やっと部屋の全体像を目で確かめるみたいなそんな距離感の感覚。

そんな距離感が…天井を見続けるほど湧いてきて…。

ふと、横に目をそらし、
部屋の物をちらりと見るとその錯覚が剥がされ愕然とする。

こんなに世界が大きかったのかと。

ぶるっと鳥肌が立つ、その姿が伝わったのだろう。
針妙丸に…まるで雷を恐れる子供をあやすように頭を撫でられた。
「はいはーい、怖くない。怖くない。小人族は世界を恐れない」

もう、子供じゃないのに。撫でられているだけなのに。気持ち良い。
もしかすると、針妙丸も昔このように親族にあやされた事があるのかもしれない。
全てが巨大なこの世界で、同じ境遇の者が居た時の安心感たるや。

ここに、針妙丸の同族意識の根源があるのかもしれないと思った。
としたら、時たま小さくなって針妙丸と遊んであげるのも…。


「あんたたち、なにやってるの?」

突然ぐわっと現れた巨大な顔に身体が飛び跳ねた。
掃除を終えて帰って来た博霊の巫女が帰って来たのだ。

天井に巨人が出て来た衝撃と、博霊の巫女に見付かった衝撃で、
二重に情けなく叫びそうになったが、間一髪呑み込み済む。

「え、えーと…小人一日体験的な?」
「へー。で、あんたは?もしかして…逢引のつもり?」

怪訝そうに見つめる顔は、何の気無しに尋ねて来るが…。

何か言おうにも、言葉が出て来ない。
博霊の巫女は針妙丸で慣れているのだろうが…
自分は巨人を前に話したことも無かったので、羞恥やら恐怖やらでいっぱいいっぱい。
元に戻って…対等な身長になったら…何か言おうと、
頭の片隅においときながら、口をパクパクさせるしかなかったのだ。

「はーぁ…まぁいいか。
 でも、今のうちに元に戻っておきなさいよ。
 こういう手合いはお願いするのが得意なんだから」

それじゃ、買い物に行ってくるわね。
と、財布を取り出し飛び出した。博霊の巫女。

突然の訪問であったからか、今もまだ心臓がバクバクする。

そんな様子に、針妙丸も気付いたようだ。

「大丈夫?」と、頭をさすり、背中をさすり…。
「でもまぁ、慣れていくから」と、言葉を繋げる。


残暑の汗もまだ残る夏の居間。
まだ鳴り止まぬ巨大な蝉の声。
まだ耳の奥で反響しているような、巨人の唸り声。

実際、博霊の巫女だったわけだが…空から身体全体に投げかけられた声は、
トラウマを想起させるのに十分であった。


ここに来て、少し…元に戻りたくなってきた…気がする。
流石に、交流とはいえ少々度が過ぎたか。

後日…安全な時間と場所で…準備して…。


「なぁに?元に戻る事考えているの?」


察しが良いのが針妙丸だった。

「貴方…優しいから、隠そうとしてるけど…戻りたいんでしょ」

「ま、まぁ…。」

「そう、それなら…最後に…
 この身長でしかできない事…やってみないかしら?」

え…?と、思う間も無く…針妙丸は…腰の帯をゆるめ…。

「ま、待って!それが…え!?」
「一度でも、私の身体を味わって貰えば、小人族になりたくなってくるでしょ?」
「そんな簡単に…!」

しゅるっと胸をはだけさせ、もはや針妙丸は臨戦態勢。
前から思っていたのだが…針妙丸は小さいながらも一部分、デカい所がある。

それを知ってか知らずか、
身体によじ登る時や、朝に這って起こして来る時につんつんと押し付けてきて…
その時ばかりは呼吸に専念して気取られないようにしている。
ぶどうやビワほどの胸に興奮するとは何事か、と言われないために。

そんな、胸が、等身大の胸が…今、目の前にある。
圧倒的な暴力を持つそれが蟻地獄の中央に鎮座しているのだ。
それは…触ったら、二度とは元の世界に戻れぬヨモツヘグイ。
一度でも触ったら、また小人になって触らなきゃ満足できない代物だ!

これ以上は精神がもたない。脱出しなければ、と。
お椀の縁を掴むも、腰をがっつり掴まれ、むざむざとズボンを取られてしまう。
ならばと、お椀を蹴り飛ばし転がそうとはかるが、小人の力ではビクともしない!

最終手段として力勝負で針妙丸に挑みジタバタと暴れても、
「離さない―!」と力によるマウントを取られる始末。

そんな、手押しごっこは
針妙丸のどぷんと揺れる胸に押さえつけられ…負けてしまった…。

「外の人って奥手って聞いてたけど、本当にそうだったのね」

「突然こんな事されたから、抵抗しているだけだよ…!」

「あら、私は前からアピールしてたわけだけど。
 ほら、こうやって…。いつもしてたのにあなたは本当に気付かなかったの?」

ぐにーっと…そう、いつものように、着物に押し当てて…。
いつもの小ぶりの果実の様な重量ではなく、肉質のある脂肪の塊が乗っけられたので声が漏れる。

「どう?貴方っていつも気付かないふりしてたわね。
 等身大の大きさ、柔らかさ…夢にまで見ていたのではないかしら。
 この身長のまま小人族になればいつでも触らせてあげる。だから、一緒に小人になりましょ?」

ぐにぐに…と、揺さぶってくる誘惑に意識が混濁し目が回りそう。

まさか針妙丸からそんな言葉が出るとは、とか。
もしかして今まで好意をもたれていたのか、とか。

今までペットかなにかと思っていた自分の常識が壊されるようで眩暈がする。


まるで…針妙丸が大きくなっているかのようだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

プレッシャーか何かで…大きく見えるような…。
重さが今までよりも重くなっているような…。

いや待て、これは本当に大きくなっているのではないか?

「針妙丸…なんで…大きく…!?」
ガッチリと握られた手が、今では握る事も叶わないくらい倍々と大きく…。
手を伸ばせば縁に手が届きそうだったお椀から、外の世界が見えなくなって…!

景色が全て、針妙丸に覆い隠されてしまった。

「あはは!あなたが小さくなっているだけよ!」

え…?と、周りを見てもあまり実感できる事はあまりない。
元々、お椀の閉じた世界だったから…でも…そのお椀の中で針妙丸が大きくなって…
それでもはみ出てないとしたら…やはり自分が小さくなっただけだろう。

「2段階で効果を出すにはコツがあるのよ?こう、息を整えて…」

「で、でもなんで…?」

「え…?それはもう…
 あなたに小人族として生きるため、巨人と触れ合うのに慣れて貰おうと思って」

「最初から計画していたのか…?」

「そうそう、小人一日体験だから。
 でも、さっき霊夢に見付かったのは誤算だったわー。やっぱり貴方、怯えちゃうし。
 人間を小人をするにはね、やっぱり小人のスペシャリストから優しく慣らして…」

まじまじ、自分の計画が成功している様子を、
うんうん、と。確認する針妙丸が体の大きさと相まって末恐ろしい。
どこかで小人族は知力に長けた種族と聞いた事もあってか…印象が変わりそうだ。

でも流石にこれは…。あまりにも強引で…。

「こんなの、小人族が強き者に圧政を強いられているのと同じじゃないか!」と言ってみた。

あくまで揺さぶりで、これで少しは心が揺らげばとも思ったが…。
表情も崩さず…つらつらと言葉が並ぶ。

「ええそうよ、だって貴方は私と同じ小人族になるんだから。
 現実としてこうされる事も覚悟して知っておかないといけない。
 貴方って…人がよすぎるから…
 小人族になっても他の妖怪からこんな事されると思うの、だから…。
 いわば練習よ、練習。幸運にも私は加減を知っているのだし幸せでしょ?私が最初で良かったわね!」

「………!」

針妙丸の中では、自分が小人族になる事は確定だった…!
確定した上で、あまりにも現実的、リアリティ溢れる練習法。
つまりは『巨人に弄ばれる経験』を今、小人よりも小さい小人に成そうとしていた…!

その考えが読まれたか、わきわきと
いたずらっ子ぽい笑みを浮かべ意地悪そうな笑みを浮かべる針妙丸。


逃げよう…!と思っても、もはやつるつると磨いたお椀からは逃れられぬ。
壁に手をつけ、急斜面を回るように針妙丸から逃げるが…。もはやお椀の中の事。
水が下に流れ溜まるように、逃げても逃げても、ころころ転げて…。

お椀の底の汗だまりに転げ落ちてしまった。

椀を洗っても水垢が残るその場所、黒が最も濃い場所。針妙丸の住み家の中心。
もはや自分のよりも針妙丸の汗の方が溜まっているであろうその場所に頭から飛び込んでしまった。

洗剤の香りと、霧吹きで香り付けした柑橘系。
加えて、針妙丸の汗と…はーっと磨いた時のアイスの匂い。
そんな甘じょっぱさが香りに飛び込んだせいでもう気力がなくなり…。

「ねぇ!外の人っておっぱいでこうされるのが好きなんでしょ?」と。

汗だまりから胸ですくわれ、つるつるのお椀の壁面に押し当てられる。
「なんだその聞きかじった知識は」とも言おうともしたが…。

事実、胸につぶされて喜ばぬものは居ない。
つん、と。小人ながらも蓄え育てたおっぱいでぎゅーっと潰され…。

「どーう?貴方が見てこなかったおっぱいは。柔らかいでしょ。
 この大きさにもなったら流石に無視できないわね」

ぎゅっぎゅっと…こぼれそうな胸とお椀に挟まれながら…。

脳裏に走馬灯とも言えない何かが思い起こされてきた。
幻想郷に来て間もない頃の居心地の無さと…。
ペットのように慕って来た針妙丸。
そしていつの間にか…外の世界を膝に乗せながら語っていて…。

今思い返せば…多少、性的にアピールして来た気がしなくもない時があった。
着物に這い上がる時わざと胸を押し付けていたり、懐に潜り込んだり、
それに気付きながらも気付かぬふりをしていたというのなら、
今の、小人の小人という境遇も当然の結果か。


同族になーれ。と、まじないの声が天から降ってきたかと思うと…。
ひと際大きいぶるんっとした乳圧が身体を包み…。
果てると同時に、針妙丸の服の中へと誘われてしまった。


お椀はもう一回、洗うことになった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「あら、いいじゃないそのままで。食事代浮くし」

見慣れた博霊の巫女のお茶飲みスタイル、
ダメ元で、異変も無いのんびりしたその姿に、
針妙丸に元に戻すよう言って欲しいと嘆願しても、
取り繕って貰えない事は初めから分かっていた事だった。

ならばと、恥もかなぐり捨てた泣き落とし。
太ももを駆け上がり膝上で必死に頭を擦り付け頼むと…

「なに?あんたそんな趣味あったの?」と怪訝な顔をされ、
ピンッと『その気』があるか確かめられるように太ももまで指ではじく。

あわやその谷間に落ちかけようとなったのだから、これはもう諦めるしかあるまい。
これ以上プライドを打ち壊されるのは避けねばならぬのだ。

命からがら太ももを滑り…
いざ地上へと落ちようとしたその先に待ち構えていたものは針妙丸だった。

「あー!人間にいじめられてる!」
「いじめているのはあんたでしょー」
「よーしよし、怖かったねぇ…デカ人間はこれだから…」
「その人間に戻りたいとか言ってたわよー」
「えー?。何か悪い事とかあった?今の暮らしに悩みがあるなら相談に乗るけど」

後日談にはなるが、自分は元の姿には戻れなかった。
身長はせいぜい針妙丸の倍率分。

戻りたいと思っても、
針妙丸はせっかくできた仲間を失いたくないとごねて、
博霊の巫女は自業自得の一点張り。

しかし、自分でも分かっているのだが…。
元に戻りたいといっても、心の底から望んでいるような声が出て来ないのだ。
『元の姿が普通の人間だった』からみたいなそんな理由でふわふわしてる。
そんな気持ちを察せられているのか博霊の巫女も針妙丸に強く追及する事は無い。

針妙丸は…というと、
人間大ほどの大きさになりたがっているが…自分はどうだろうか?
食料は少量でよく、仕事は知識人程度、たまに身長を活かして河童の精密機械も手伝う。
針妙丸の助けもあり、巨人恐怖症は克服できたし…小人だからと簡単に他人の家に潜り事も出来る。

もしかしたらこのままの生活が馴染むかもしれない。

でも…いざ、針妙丸が人間ほどの大きさになれたら?
と、考えてあの一日を思い出しそうになったので頭をぶんぶん回し気持ちを晴らす。

もはや、生活の一部分になりかけようとしているのだから。

「そっか…!なんでもないならいいわね!」
「あんまり圧出すんじゃないわよー」

「なにを言いなさる、私達は小人族という熱い絆で結ばれているのよ!
 ほら、今日だって知識を活かして協力して塩と氷で貴重なアイスを作るって!」

「へー…楽しそう。外の寺小屋って面白い事教えてんのねー」
「寺小屋じゃなくて高等学校!」
「おー。外の世界に詳しくなったわね」

と、自信満々に材料を取りに行く針妙丸。
出会った時から今まで甘えてたのは何だったのやら、最近では自発的に行動するようになってきた。

すると、こちらをちらりと見降ろし語る博霊の巫女。

「あんたがどうしてそうなったかは聞かないけど…。
 あの子、後輩が出来て嬉しくなったのか、いつもより張り切ってるみたい。
 個人的には…元に戻るかなんてどっちでもいいけど、
 あの子に仲間が出来るのは自立に繋がるし…頑張ってね」

それはどーも…、と答えて少し恥ずかしい。
あぁ…小人族の、針妙丸の、仲間になっちゃったんだなぁ…という感じがして、
しみじみとこの小さい身体と向き合わなくてはならない気が湧いて来る。

しかし、そんな覚悟も揺れるほどの物量が台所からやって来た…!

「やぁやぁ!博霊の巫女よ!我ら小人族が他の種族と見合う資源を持っていないと思うてか!
 敵に塩を送るとは言うまいが、巫女にも甘味を食らわせてやろうぞ!」

見栄を張ったか針妙丸。
用意して貰いたいといったアイスの材料を、人間ひとり分の量を持って来たのだ…!
おそらく霊夢にふるまう分量だろうが…小人二人で作るには骨が折れるぞ!

「あー…手伝いましょうか?」
「いえ……針妙丸がしたい事ですので」

思わず腕まくりをしてこれからの仕事量を計算する。
使うのは、お椀から金属のボウル。あの空間の数倍か。

せいぜい落ちて雪だるまの様にならないようにと固く心に誓い、
誘う針妙丸の手を取って、台に乗り上げたのだった。