不注意だったことは認める。

不注意に不注意を重ね、
帰るまでが冒険だというのに、それを怠ってしまった。

しかし…あそこまで、性癖をぶっ壊す事は無いだろうに。


ダンジョン帰りで体力も尽きかけだったからというのもある。
ギルドからの依頼を果たし、少し買ってから帰るかと油断していたのもある。

近道になるからと、ひょいっと路地を横切った時、
今までの自分のステータスを揺るがすほどのイベントが始まったのだ。


脳裏にくっきりはっきり覚えている。
背が自分よりひと回り、ふた回りも背が小さいのに…小さいのに…。
ただひと目、見ただけで分かるような巨大な胸を持つ牛の子(牛娘)が居た。

巨乳を物怖じとせず、布一枚で抑え、はち切れんほど揺らす絶対的亜人種。
黒髪をショートで散らし、角が先端に向け丸く整えられていて、
いかにも牛娘特有の力自慢のような、力を込めやすい薄く布の少ない軽装備。
その露出が多い布の隙間から、少し健康的な小麦色が見え隠れ…活発的な子という印象を受ける。


そんな…。

そんな子と、ぶつかってしまった…。


路地の交差点でひょいっと身を乗り出した所で牛の子にぶつかってしまった。
どちらが過失だったかは今さら重要ではない。ケガも無かった。
ただ…そう、
ただ…自分がケガで済んだとしたら…そっちの方がよかったかもしれない。

ごっつん…!と
ぶつかったらよかったものの、むにゅん…と自分はぶつかってしまったのだ。

そう、その時、
確かに自分は…身体の自由を奪われ…おっぱいに乗せられた。


亜人種ゆえの胆力(たんりょく)、体幹(たいかん)、包容力。
背が低くとも、いや、背が低いばかりに、
その質量の塊に突貫した自分は乳に乗り上げてしまった。

一瞬ぐわっと地から足が離れ、何がなんだか状況判断できず、
下半身にかかるハズの重力が無くなり、足が宙に放り出され、
バランスを崩し、
上半身がそれに対して重力に呑まれるように横転しようとして…。

牛の子の胸に支えられて助けられる。
むにゅんと…重力が受け止められて…。大事には至らなかった。

牛の子も衝突には驚いたようで、咄嗟に支えようとはしてくれた。
細腕で、しかし亜人種の持つ怪力でこちらの腰を抱え…。
自分の胸に自信があるかのようにクッション代わりに差しだして…。

その結果、自分は胸の谷間の中へと落ちる体験を人生初めてしてしまった。


情けなく、足をばたつかせ、
それでもかのむっちりとした胸から離れられない。
スライムと正面衝突したことがあるが…それ以上の吸着力で…。

最初自分は転移魔法や巨人種にでも出くわしたかと思ったが、
牛の子の心配した問いかけでやっとこの哀れな状況を理解できた。
羞恥と、申し訳なさと、得も言えぬ魅了から、逃れるべく…!
胸に手押しで、逃げようとしても、牛娘の胸など触った事のない自分は…!

触った瞬間からずぶずぶと力の入れ様も無いほどに手が呑まれ………。
されども内に潜む弾力で谷間の中にぼいんっと押し戻され……。

もがき…、苦しみ…。


抵抗しても…。


でれなくて…。…まけてしまった。


無力感がじわじわと湧いて来て、やっと呼吸の仕方を思い出す。

「あ、大丈夫かな?
 今から取り出すからじっとしててねー!」

そんな、自分の奮闘もよそに牛の子は肩をガッチリ掴んで取り出してくれた。

ぬるっと…谷間から取り出され、薄暗い空間からの脱出を果たし…。
やっと足が地を着き、けれども脱力感が拭えずだらりと崩れ落ちる。
力が抜けて今起こってしまった事がなんなのか理解が出来ない。

頭が『陶酔』に至るほど劇薬を盛られたようなそんな気分。
魔物の娘である彼女達は、種族差もあるが、どんな種族も何らかの魅了属性を持つという。
ハーピーなら羽、ラミアなら鱗、カエル娘なら舌、牛娘なら…巨大な胸。
それを喰らってしまったのだろう、心臓が鷲掴みされたかのようにどきどきと高鳴り動けない。

「んー?どこも怪我してないよね?じゃあワタシ急ぐから元気でね!」

あ…っと、声も出せず…心の整理をしているうちに走り去っていってしまった…。
牛の子にとっては…大した出来事ではなかったのだろう、
『ぶつかって、受け止めて、出れなかったから出してあげただけ…。』

だけど自分は…。

あれから、宿のベッドに戻るまでの記憶が無い。
なんにしてもあの柔らかさと弾力を思い出すばかり。

ふかふかといっても、ベッドのスプリングを押した所で、
そんな感触を得られるわけもなく…。

サキュバス街でそのような牛娘の嬢を探せば良いのかもしれないが、
エッチをしたい気持ちというものではなく…。

もっとなんというか…。

未知に挑む探求心というか…人間の挑戦というか…。
あの無力感に苛まれた瞬間、
『他にも何かできたんじゃないか』という気持ちでいっぱいになった。

上手いこと最初の時点でバランスを取れていたら…。
多分今頃、『今日あった良い事』として気持ち良く眠れていた事だろう、
巨乳を少し堪能して、良い気分で、もしかしたらそのあとサキュバス街にも出向いたかも。

しかし、遺伝子にも刻み込まれるほどの敗北をした今では…。
性欲と共に執着心が湧いて来た。あの『山の様な胸を揉みたかった』と…。

いや…違う!もしかしたらこれは魔物娘特有の『マーキング』かもしれない。
魅了した人間が物理的に逃げても…
精神的に逃げられないように執着させるという魔物娘が元々持っているという…あの。

いや、いや、自分の歪んだ執着心のツケを、種族差で払うつもりか!?
もっとシャキッとしろ自分!今日の出来事は今日で終わり!

だが…。だが忘れられないのは事実なわけで…!
完璧に…コンプレックスとして、刻まれてしまったんだ…!

と、悶々した一夜を過ごしたのだが、
明日にもなるとその悩みの種も意外な形で解消される事となった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

「おや?昨日ぶつかってしまった人かな?」

あ…。
と、もしかしたら声が漏れ出ていたのかもしれない。

仕事をしたら忘れると振り切るようにギルドに顔を出し、
頂戴した協力型の依頼の相手は昨日の牛の子だった。

「いやぁ…昨日会ったのも、
 今日あったのも何かの縁!今日は一日頑張ろう!」

胸を張って自己紹介する牛の子に少し…たじたじとしながらも
自分も自己紹介をして、役割を話して、依頼の話。
そして、作戦と話しているうちになんだか気が楽になって来た。

もちろん、視界の端に映る巨大な胸が目の毒だが…
負けじとこちらは目をまっすぐ見つめ返して会話に務める。


「へぇ…やっぱり慣れているんだね!
 私、時間が空いたから来ただけなんだけどやっぱり本職は違うね!」

「そ、それはどーも。今日は1階の妖精の討伐だけだから、
 効率良くいけば午前中だけで、昼食までには帰れると思うので頑張りましょう!」

「よし、一緒に頑張ろうね!」

ん…なんとかいつものテンポが戻ってきたようにも思える。
未だに執着心が燃えるものもあるが…
良い子じゃないか、昨日の事は置いといて今日は仕事を頑張ろう!

「ところで…昨日ってあれから大丈夫だった?
 なんだか今日の話し方と違って…呆然としてたけど…」

昨日という言葉だけであの瞬間を思い出すようになってしまって…。
『少し、驚いただけですよ』と嘯(うそぶ)きダンジョンに潜る事にする。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

やはり…魔物娘が1人でも居るとダンジョンが回りやすい。
そもそもの冒険者のネックである魅了効果が効かないのだ。
状態異常が効かない魔物娘が居るだけでパーティーの質が一段上がる。

要は、魔物娘同士の一対一、タイマン勝負。
前衛は牛の子に任せて、自分は後衛でスパイダーボウガンの遠隔攻撃。

今回はさらに状態異常で人間を困らせる手の平ほどの妖精なので単純に相性勝ち。
肉体をぶつけ合う様子を観戦し、弱った相手をネットで捕獲する簡単な仕事である。

もっとも…
牛の子は戦闘慣れしているというより、
種族の本能で戦っているという雰囲気で…
格闘の合間に胸をぶつけて跳ね飛ばすというなかなか個性的な技を繰り出している。

「これが私の戦い方だよ!」

まるで自分の武器であるかのように振り回し、
妖精をぱちーんと跳ね飛ばして、弱ったところを捕まえるという離れ技。

妖精も流石にこれには面食らいながら、精神ダメージも喰らうようで…。
「私たちの方がそんな巨乳より大きくなれるんだからなー!」と、
捨て台詞を吐き、元の階層へと帰って行って…今回の依頼は無事完了。

自分は当然ながら体力消耗無し。
牛の子は妖精との戦闘で降りかかった粉をパッパッと胸に擦り付け払い、
横着だなぁ…と思いながらも、まぁ完全勝利といった余裕具合で安心できる。

「よし!今日の依頼終わり!簡単だったね!
 ワタシってやっぱり格闘の才能あるのかも?」
「そ…そうでしたね!凄かったです…色々と…」

やはり…今回の仕事は相性差が大きかった気がする…上に…。
胸の暴力が一方的であり…なんだか昨日の自分も重ね合わせてしまって…。
あんなダメージを喰らっていたんだなとしみじみ客観視できるようになって来た。
ばるんばるん…と、揺れる胸はやっぱり見ている分にも恥ずかしく…しかし執着心が湧き…。
自分も妖精みたいにあんな巨大な胸を…。と、いけない。早く仕事を終わらせなければ。

散らばった羽の結晶や装飾品、
捕獲した妖精を下層まで送って後片付けをしなくては…。
良い戦利品があればいいのだけれど…。

「あ!もしかしてこれってちょっとレアな物じゃないかな!?」

「え…何か見付けましたか…!?」

思わず後ずさって待てのポーズを全身で取る。
あれは…ピクシーの鱗粉だ…!
手にこんもりと盛って…握って…!
獲物を主人まで持ち帰り褒めて貰おうとしている犬娘みたく、
危険アイテムを笑顔で輸送してきているではないか…!

「それは…人間に有害ですので止まってください!」

緊迫感のある張り詰めた声を出せたおかげか、
ビクっと一瞬立ち止まったので少なくとも最悪の危機は去った。

「え、もしかして…毒なの?」
「そうではないですけど…危険アイテムです」

カバンから採取用のビンを取り出して地面に置き、また後退る。

それは…人間を小人に縮小させる妖精の奥の手のアイテムで…。
魔物娘が採取する分には特に問題は無いが、
鱗粉である以上拡散しやすく、流石に人間では採取にリスクが必要な事を話した。

「そ、そっかー…それじゃあワタシが居て良かった感じ?」
「そうですね、採取してくれるととても助かります」

一応採取用の道具は持って来たが、やはり魔物娘が居るとこんな時強い。

「あははっ…ていうことは…
 ワタシ、ちょっと…いや、かなり危ない事してたって…感じ?」

「ま、まぁ…ここら辺は最初に言っておかなきゃいけない事だったので…」

「でも、人間さんが小さくなっても
 ワタシが責任持って教会に連れて帰るから大丈夫だからね!」

『…それが、ちょっと今コンプレックスを刺激しそうなんだ』と言おうにも
むんす、と胸を張り、得意げに一丁上がり!
と、手をぱんぱん払う彼女には何も言えなかったのだ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

昼頃には帰れるとは思ったが、
ギルドに報告しアイテムを売却し、悠々と酒場で戦果報告できるとは思わなかった。

やはり…魔物娘が居ると効率良くダンジョンを周りやすく…。
これはモノにしておきたい。

そうと決まれば、席に座って、料理を並べ、祝勝会。
初っ端からご馳走を与えて、具体的な報酬を出し、
今後もまたよろしくと新参冒険者を勧誘するのは冒険者の務め。

飴を与え、センスを誉めて、
『冒険者として何が出来る』と自覚させる所から勧誘は始まるのだ。

「えへへー…こんなにお酒とご馳走貰って良いのかな~?」
「今日はあなたが初めて戦って勝った祝勝会ですから豪華に行きましょう!」
「初めて…ねぇ…次も誘いたいって言うなら…ため口がいいなぁ~」
「おっ…、おう!よし…今日は勝った!次も勝つぞ!かんぱい!」
「かんぱ~い!」

…む!なかなか良い反応かもしれない!
これは…また一緒にダンジョン行けるかもしれない!

まぁ…もっとも、魔物娘が積極的にダンジョンに挑まない理由として…
『魔物娘同士が争ってもどちらにも利が無い』と
本能的に知覚してやる気が無くなるかららしいが…。

しかし、それでもこうして冒険者として育てて行けば…!

「ねぇ~こうしてため口きける仲になったんだしさぁ…
 もっと楽な格好になってもいいかな?」

「えっ…いいけど…」

いっても酒場の席だし、今さら…なにを…。
と、口を開く前にそれは起こった。

腕を組むように床の方から、何かが…。
どすんとテーブルの下から持ち上げて…。
今までぶら下げていたそれをは~っ…疲れた~と、

巨大な胸を食卓の上に乗せたのだ。

一瞬にしてテーブルの上の3分の1が占拠された。
酒を片手に、料理を片手に、戦果の金貨袋は…
もう手を使えないので横着するように胸でガチャガチャと押しのける。
自分の領域は侵害されてはいないが…
料理の前に巨大な肉の壁があって必要以上に委縮する。

「あ~やっと背が伸ばせる…ん~?
 もしかして君、こういうのダメな人だった?」

「い、いや…ちょっとビックリして…」

「そっか~大きいでしょ?触ってみる?」
「えーと…」

触りたい…とは、思っても、
やっぱりおいそれと簡単に触れるわけもない。

ははっ…冗談はやめてよ…と、あいまいな顔をしていると
するとそんな日和見な態度を戒めてか初めて不満気な顔を作ってみせた。

「ワタシだって魔物娘だよ~そこら辺、興味持って欲しいな~」

…うっ。

そうだ…今まで天真爛漫な姿を見て忘れていたが、彼女も立派な魔物娘であって…
人間を性的に襲いたくなる魔物である。
今後活動していく以上、やっぱり『そういう関係』を求めていたりするのだろうか。

たじ…たじ…と、
煮え切らない表情は確かに拒否の意思を示してしまって…。
さらに牛の子の表情がどんどん曇る。

友好的な人懐っこさを含んだ表情と、多少の期待を含んだ眼、
そしていつまでも握手しようとした手を掴まれないかのような落胆とした表情。

人間は魔物娘と価値観は変わっているから…と言おうにも、
流石にこんな悲しい顔をされると申し訳ない気分になって来る。

すると、悩みを相談するようにこんな事を話し始めた。

「むっ~…やっぱりワタシの胸に魅力が無いからかな~?
 ワタシさ、陥没乳首なんだよね~…」

「へ、へぇ~…」と、受け流す事しかできない人間の感想が出た。
これは…どう答えたらいいのだろうか。
なにか気の利いた言葉を…と、
思案するにも次の言葉を待つしか他無い。

「人間さんってさ、おっぱい好きだよね?知ってるよ~?
 だからワタシもいつも手入れしているんだけど…
 陥没乳首だけは治らなくてさ~…。
 やっぱり陥没乳首だと魅力無いってふうに見えるのかな?
 ねぇ、キミはどう思う?」

ミルク飲み辛いから~、ぷっくりしてないから~と、
本人は持論を話し始めたがおそらく違うだろう。

「うーん…自分的には…」

今まで感じていた事だが…、
やはり巨乳は魅力的だが…圧がある。

魔物娘としての圧もあるだけに、人間は気負ってしまうのではないかとも。

そんな回答をしても「え~でも、大きいのは事実だし~」と…。
『まぁ、それはそうだ』と、昼間から答えの無い議論ばかりが重なって行く。

ぐるぐる…ぐるぐる…と、
あーでもない、こーでもないと話し込んでいると酒も進むものだ。

元々酒をかっ込んで、さらに議論をツマミに飲んでいた牛の子は、
頭から湯気をぷしゅーっとアルコールが立ち昇るかのように、ついに潰(つぶ)れた。

「えへへっ…ワタシ達ってさ…おっぱい大きいから…
 乳首まで手を上手く回せないってコト結構あって…
 陥没乳首の子が他の種族より大きい気がするんだよね~…
 あーあ…!乳首触ってくれる優しい人が居たらな~!」

いやいやいや、流石に酔い過ぎだろ!と、
思わず周囲を見渡して様子を見る…が、
元々昼の酒場に居る客は少なく…居たとしても魔物娘ばかりで反応は無く、
おそらくあちら側からしたらこういった話は、
人間でいうところの肌やスキンケア感覚なのかも知れない。

「ね、ね、手でさわるのに尻込みするのならさ、
 指先でツンってどこでもいいからさわって貰えない?それが妥協点!」

「いや、妥協点って…」

「だってさわる部分が小さければ小さいほど、尻込みしないでしょ?
 ほら、もにゅもにゅ~って出来なくても、つんっくらいならできる気がしてこない?」

…一理ある。

影響が小さければ…小さいほど…、

逆に

受ける側が大きければ…大きいほど…、

胸が大きければ大きいほど…。
なんだか心理的に『興味本位でそれをしても良い』ような気がしてくる。


水の中に石を投げるようなものだ。
池に石を投げれば波紋が大きくなるが、
それが海だったら…誰も気に留めもしないだろう。自分自身も。

それなら、自分は…自分は…!





「昨日はあんなに胸の中でもがいてくれたのにさ~…」

ぶつくさと…話相手というより、周りに聞こえるように牛の子は話す。
もしかしたら、こちらのワガママで人目を気にして、
しょうがないなぁ…と宿までお持ち帰りされて発散してくれるように期待しながら。

けれども、一面胸で埋まったテーブルのせいか、
ぐだぐだ酒で茹だった頭のせいか…、その話相手の存在を失念していて…。

「あ、あれ…?」

気付いた時には、酒場にその人間の姿は無かったのだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


昨日の恥ずかしいエピソードを聞かされ、思い出し、
恥ずかしさのあまりに逃げの一手として『ピクシーの鱗粉』を使ってしまった…。
人間を…妖精のいいように、弄べるほどまでに小さくする禁断のアイテムだ。

テーブルに手を付き、ビンから湧く砂塵を舐めて。
一瞬、砂糖菓子の様な甘さを痛烈に感じ、清涼感と共に空気が軽くなってくすぐったい。

身体が浮くように軽くなるとともに、
今までテーブルに置いていた料理が自分の隣りまで近付く感覚。

食材から匂い立つ香辛料が空気より重く、湯気や芳香を伴って、
テーブル一面に漂っている事が認知できるようにまでなると…。

皿より小さく、
ついに食卓の食べかすほどにちいさくなった身体が影に覆われた。

テーブルの大部分を占める、
先ほどまで耐え難くそれでも手を出せず見つめていたそれだ。

「あれ~どこ行ったの~?」

もはやサイズは昨日みたくこの小さき身体を乗っけるなどわけなく、
やろうと思えば住まわせてしまうほどの面積を有している。

乳だけで街や国相当、
たっぷり脂肪をため込んだ褐色の肉壁は
酒の体温上昇で蒸れ、呼吸と共に収縮、膨張。
もはや乳ばかりで顔を見ることも叶わない。

これが…ピクシーの鱗粉の効果だ。
人を小さく、扱えるほどまでに小さくする劇薬。
今さらになって使ってしまった事を後悔してしまいそうになっていた。


ピクシーの鱗粉は…。

普段は…これを妖精から喰らった人間は確実に敗北…いや、投降する事になる。
手の平サイズでもないミリ単位となったからには…。
日常全てがリスクとなって返って来る事を人間に諭し…
人間に恐怖感を与え、心を挫(くじ)く。

魔物娘も人間に危害を与えようと思っているわけではない。

ピクシーの鱗粉には人間を小さくする他に『肉体を強化する』という効果もある。
サイズに合わせて肉体強化で潰される事は無く、
胃液などの環境に対応できるという状態異常の耐性も得られ…。

安全の保障はされているが…。

妖精はここを突き、
もし野生生物に丸呑みされたら?と、
もし他の冒険者に踏まれて靴に張り付いたら?と、
今ならまだ私が見付けてあげられるけど、他の人に見付けて貰えるかな?と、

『自分に依存しなければどうなるのか』を連ね、心をジワジワ追い込んで屈服を目指す。


そして…その、
『妖精に保護されなかった結果』が今まさに立ちはだかった。

テーブルの上に立つこの足はもう、テーブルから逃れる事はできず…。
勇気を出せば床に降りられもするが…人の行き交う地面が危険であることは言うまでもない。


もし、このまま気付かれずにテーブルに残ってしまって…
ウェイトレスに拭かれでもして、布巾に取り込まれてしまったら…?

もし、何かの拍子で料理の中に入ってしまって…
牛の子に丸呑みにされてしまったら…?

体内に居る限り効果は切れないと聞いた事はあるが…
それによって発生した事件は、
どれも『人間目線』では心に一生の穴が出来るとも聞いた事がある。


だったら…逃げた手前…歯痒いが、
すぐに助けて貰うように、声を張るが…
こんな小さい声では気付いて貰えるわけもない…!

「おーい!」と呼んでも乳の山は全て音を吸収し、
奥にそびえる巨大な顔にちっとも届くわけもない…!

見えるのはただ胸に手を置き、
たぷたぷとクッションとして眠ろうとしている姿だけだった…!

探しても見つからぬのなら、
酔って良い気分のままに寝て待つ事に決めたのかもしれない。
うつ伏せに、胸の谷間に頭を突っ込み、
テーブル一面にアルコールを纏った重い吐息を放つ。
牛娘特有の酒場で見る横着(おうちゃく)が過ぎる寝方だ。

これには自分もたまらない。
『効果が切れる時間が来るまで待つ』という選択肢も取れたが…。
こうも香って来るアルコールでふらふらとなっては…
コップひとつでもリスクとなるこの巨大な世界に呑まれてしまうかもしれない。

としても、
自分が登れるほどの…逃げられる場所といえば…
料理皿は縁に背が届かないほど巨大化し、乗ったとしても被食のリスクがあり、
それなら入れそうな金貨袋は胸の向こうに移されて、巨大な胸を乗り越えないと難しい。

としたら…。

頼れる居場所は、眼前に広がる巨大な牛の子のおっぱいのみ。


…やるか?
と、少し思案してみる。
あの巨大な胸に足をかけて…柔肉を掴み、安全な場所までクライミング。
あまりに特殊な感情が湧き起こり…そうだが…。背に腹は代えられない。

そうだ、言ってたじゃないか。
『さわる部分が小さければ小さいほど、尻込みしないでしょ?』と。

だからこれは…
ただ小さいほこりが胸の布地の間に少しの時間だけ居るだけ。

それだけ…それだけだからと…。

多少、胸の柔らかさに魅了されている事に気付きながらも、
自覚をもって…意思が乳に負けないように…。

テーブルと汗で接着(せっちゃく)している下乳に巻き込まれないよう、
褐色の肌と布地の隙間から身体を潜り込ませたのだった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

目指すは乳の上の方、足場があって最も安全な場所。

困難に思われた乳への登山は、
酒で火照ってふやけた肌のせいか、わりとすんなり登る事が出来た。

汗による吸着もあるのだろう。
甘く、ふとミルクの匂いを感じる体液は粘度をぬめぬめと持っており、

手をピタリと乳に合わせ、離すと、
粘液は接着剤のように糸を引き、
全身で張り付けばそれだけで落ちる事は無い。

もっとも…虫取り紙のように張り付くわけだから、
ハタから観たらこっ恥ずかしい姿をしてそうで…。
あまり人間の尊厳的にするべき行為ではない気がする。

そう、登山をするにあたり問題は精神的なものだった。

肉体的には大丈夫、いつでもどこでも休めて落ちる心配もない。

けれども…
『ちょっと疲れた…』と、
休み始めた途端、牛の子の呼吸に合わせて揺れ動く肉の壁が…。

意思をもって包み込もうとしてくる気がするのだ。

布地と乳の間にギュッと挟まれて、
柔らかなおっぱいに押し付けられると…。

『この場所でも十分安全だから、このままでもいいんじゃないか?』
という、気持ちになって来る。

実際、落ちる心配も無いし…。と、乳に顔をうずめていると…。

薄暗さもあいまってだんだんとねむくなっていく。

指先から、四肢からジワジワと粘液が張り付いて、
粘液の吸着だけで身体が支えられ、重力を感じなくなると、まるで繭(まゆ)のよう。

首筋からつつーっと粘液が垂れ落ち、
背中まで回るとなんだか布団の様に身体が固定されて起き上がる事すら億劫になる。

このまま寝てしまおうか………。
と、危険を忘れ寝ぼけた頭を回すのは、
皮肉にも酔いから逃げていたはずのアルコールだった。

「あははっ…人間さん捕まえた~…」と、
牛の子が気持ちよさそうに谷間に顔をうずめ、眠る、その口から、
アルコールがふわっと空気に乗って香って来るたびに頭が冴える!

「の、登らないと…」

ぬらっと溜まりに溜まった粘液を取り払い、
食虫植物の様に堕落で絡めて捕食せんとす乳肉からもがいて出る!

ずぶずぶと乳肉と一体化しそうになっている腕を持ち上げ…!
身体全体を振り子のように打ち付け!
弾力と反作用を利用して粘液から引き剥がす!


だが…。
もがけばもがくほど…
おっぱいの柔らかさ…弾力が身にまとい…精神を刻み…。

「あっ…」と、やっとのことで抜け出せても…。
今まで温もっていた分、おっぱいから離れた瞬間、肌寒さが全身に効き回った。

包容されていた分の重力が身体にのしかかり、
粘液を拭って捨てた腕は冷気で乾燥を感じられ、
牛の子の呼吸と共に鼓動していた心臓は、元のリズムを思い出せない。

やっとのことで出られても…完全に心が呑まれてしまった。


頭がぽやーっとして…眠気がカフェインに勝った時の様に、
覚醒してても心ここにあらずといったこの気持ち。

手で…触れば、ぎゅむっと腕まで埋まり。
そこには全ての母に通ずる飲み物…ミルクが感じられて…。


…。

ひとまずの休憩は終了…。

さっきまでと同様に、肌を掴み、足場を蹴って、登って行く。

だけど…、気になる。
なにがとは分からない、だけども…。
もっと…もっと…なにかを最も感じられる場所があるのだと。

もはや無我夢中に、手をずぶずぶと埋めて、むにっと引き抜き、
この耐えきれない感情を発露するように登らなきゃ気が済まない!

ここからはもう意地だった。


だけど…いくら手をあくせく働かせ、登ろうにも…。
一向に出口が見えてこず…乳の山の中腹になってようやく気付く。

おかしいと…あれほど登ったのにまだ出口も見えない。

外から見た時、確かに大きかったが…
それでも時間をかければある程度までは行けたはずだ。

何故だろうとようやく気付き、周りを見渡すと…。

『なんで今まで気付かなかったのだろう?』と、頭が一瞬にして、冷静になるほど…。
大きい…大きくなった…布の繊維が遥か後方に見えていた。

そうだ…確か、牛の子は妖精を胸で跳ね飛ばしていたんだった…!
状態異常の恩恵を思う存分振るい、妖精を骨抜きにして来た胸の間。

人を小さくする鱗粉がアイテムとして見付かったのなら…
それが胸の間に降りかかっているのも当然の事だった…!

もはや登頂不可能で退路無し、
出来る事といったら乳にうずくまって待つ事ぐらい。

それもいいかもしれない…が何やら口惜しい。
なにか…手に入れられるような目的意識が宙ぶらりんに浮かび…。

浮かび…。

なにかを捉えた。

汗に混じっていた甘い香りの正体、その原液。
少し頑張って登って伸びたところに、その製造所があった。


牛の子の乳首だ…。

聞いていた通りに、
ぷっくりと丸まったその先端には…頭が無い。埋まっているのだ。
乳頭が…埋まり…その口から…とくとく…ミルクの香りが流れて来る。

乳輪は…繊維の木漏れ日から見るにピンク色に淡く染まり、
乳肉と違って…一段と張っていて…、
手を埋めると肉質的な触感が張り詰め、手をピンと弾く。

けれども登れない弾力ではない。

あとちょっと…あとちょっと…登るだけでいいのだ。

この身体なら…
陥没乳首のくぼみで寝転べるだろうし、埋まっているからこそ安全でもある。
それに牛の子は陥没乳首を触ってみない?とも聞いてきた…気がする。
なら、それに従う事にしようと…。
今まで登って来た労力を取り返す様に…登り始めた。

乳肉とは違った、
ぷにっとした乳輪を蹴って、跳ね跳ぶように登って行く。
かなり危険な気もするが、
もうこの時にはあのミルクが流れる乳首の事しか頭に無い。

今ここで牛の子が目覚めてこの姿を見たらなんていうのだろう…。
『触りたいなら触ればよかったのに―』とか、
『人の胸でアスレチックしてるの~?』とか、魔物娘的な返答が帰って来るのだろうか。

いや、そもそも、なんでこんなに執着しているか?と、
問われるんじゃないか…自分で今思った。

そういえば…始まりは昨日の乳の谷間に頭から呑まれた事件が発端だった。
身体が飛んで、谷間にすっぽり入って…
もがいて…もがいて…出られないからと…全身を預けるように放り投げてしまった。

そうだ…、
あれで…あれで…、
おっぱいに身を任せることに目覚めてしまったのかもしれない。

だから…自分は…こんなに小さくなって…。
陥没乳首の隙間に潜る事で…楽になろうとしている。

あぁ…なんて情けない姿だ…。
だけど…その姿を想像するだけで…息を呑む。

もぞもぞと…乳首と乳輪との間に挟まり…
陥没乳首に守られるように…その中で眠る。
体温を感じながら…鼓動を感じながら…。


ふっと、手がようやく掴み所を発見し、
それに合わせて身体に力を入れて這い上がる。

やっと…夢に見た牛の子の陥没乳首の中だ。

乳輪である外界とのくぼみは丸みを帯び、奥底はささやかに光を感じるだけで、
『一度この中に足を踏み入れたら』脱出に骨が折れるぞと…感じながら…、
洞窟との間に流れる空気が肌寒く、躊躇せずに足を踏み外した。

一転、二転、ぼいんと跳ねながら…奥底へと落ち…着いた。
ここから見る外の景色はもう、別世界のように遠く見える。

外の無機質な繊維の景色とは違って、陥没乳首の中は肉質的。
体温と湿度が洞窟内を覆い、甘ったるい堕落の監獄空間。
一筋の光がほの暗く照らすだけで…もう、身体が寝に入りそう。

もう、ここで暮らせる。

やっと…肩の荷が下りたようだ。
あとはこのまま身体にかかった効果が消えるまで待つのみ。

身体を大に、ぐでーっと…疲れた身体をほぐし…。
睡眠を決め込もうと柔らかな胸に頭を添わして目を閉じる。

おやすみ、と。
ちょっと許しを乞うように牛の子へとつぶやいて…。


ざりっ…。

なにかが髪に絡まった気がした。

触るに…砂利があるようだ…。
手探りで…何かと探すと…じゃりじゃりとしたものがあって…
なんだ…?と、顔を近付けると甘い…甘い匂いがあって…舐めると…
『ミルクが結晶化したもの』と、頭が瞬時に理解した。
そうだ、牛娘は幼少期から母乳を出せるのだと。

その時、びくんっと身体が跳ねた。牛の子だ。
恐らくそれは寝ている時の無意識の痙攣だったのだろう。

けれども、そんな小さい動きでも、
陥没乳首の中では天変地異ほどになりうる。

身体はさらに陥没乳首の隅へと転がり流れて、
光が遠く、状況を少しでも理解しようと顔を上げようとしたその時、見た。

どぷっ…と、
乳首から…牛娘の母乳が流れ出て来る瞬間を。

それは…大した量ではなかったが…
隅に追いやられていたために、母乳が流れ込んで…もろに呑んでしまった。

ごくん…と、赤ん坊が反射で母の乳を飲むように。
舌に張り付いた母乳はもう、理性より先に本能で飲んでしまった。

今まで…飲んだ事のないような独特の風味、
人間とも牛ともつかない、
獣臭さより人外性が先んずる魔物の魅了を含んだ風味と、ほんのり少しのアルコール。

覚悟のなっていない人間が飲んでいいものではなかった。
頭が…もっと…もっと…飲みたいと吸い寄せられるように…乳首まで行けと指示を出し…。
危険と分かっていながらも…乳首へと手をかけて…登り切った。

むにゅむにゅと…
母乳によって膜が張った乳口をパチンと開けて、のぞき込む。
それは一切の光が届かない、母乳の製造所。
ぐつぐつと煮えるそれは…まるで誘っているかのように甘い香りを放っているかのよう。

ここの中に落ちたら…どうなるか分からない。
乳腺で張り付いて生きていくか、ポロっと出て来てめでたしめでたしか。

…どうしよう。

個人的には…
『いつかは出られるのだし、
 一回入ってみてもいいんじゃないか?』と、思い始めて来た。

だが…。

恐らくここは牛の子にとってのコンプレックスの奥の底。
ぷっくり乳首を出したいと言っていた…それである。

そこに裸足で踏み込み…
自分だけ母乳を飲んで楽観的に過ごすのは…一人よがりではないだろうか?


だが、不注意だった。
既に昨日体験したのに、不注意だったと認めたのに。

そんな答えなど求めていないかのように、
牛の子が「んっ…」と、寝心地の調整だけで動いた衝撃により

身体が跳ね飛んで…。

飛んで…。

叫ぶ間も無く、乳腺の闇に放り出された。

速度がある分、甘い空気が身を染めて、
べちっべちっと、母乳まみれの肉壁にピンボールの様に跳ね当たり…。

どこかでとっかかりを掴むものの、
母乳で滑って…足蹴にしようにも絡み付き、
そのうち…漏れ出る母乳からぼたっと包まれ…奥へ…奥へ…!

終点は…どこなんだ…!?
自分がどこに流れたか把握しようにも、あれほどの巨乳を見ると…絶望感しかなくて…。

ずるっ…ズルッ…と、全てを包み込もうとする母乳に、
五本の指を立て、抗いながらも…その深淵に身を任せるしかなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

「ふあっ…」

仲間が居なくなった酒場にて、牛の子は目を覚ました。
その仲間の事はやはり知覚できなかったのだろう。
よだれが垂れた胸をむにゅむにゅと触って…
違和感にも気付かず、寝ぼけまなこで辺りを見渡す。

だけれど覚醒してもいない頭と目では…何も感じずまた寝に入る。

けれども…その顔はじんわりとした温もりにより火照っていて…。

乳の中に消えて行った仲間共々、
満足いっぱい、全てを包んであげるといったように…。

おっぱいを抱え、幸せそうに谷間に顔をうずめたのだった。