ちっちゃくたって防衛戦



『チャンピオン』・・・。最強を示す称号。
そこまで登りつめる大変さからか、色々な面で優遇される。
ボクシングなんかでは、チャンピオンへの挑戦権をランカーたちが競ったりする。
トーナメント方式の大会で、いきなり決勝や準決勝から登場というのも、珍しくない話だ。

そういうことから俺が今、優勝決定戦で、ここまで勝ち抜いてきた彼女と対峙しているのは仕方ない。

優遇されるが故にチャンピオンには縛りも多い。
戦いを避け続けることはできないし、戦わずして引退というのも非難の的にされる。

この点で俺は、去年チャンピオンになったことを激しく後悔していた。
単なる学校行事なのに、チャンピオンには棄権する権利がないなんて・・・。


そして俺は今、広大な緑の大地の上にランダムにばら撒かれた札を睨んでいる。
札の大きさは縦も横も俺の背丈を越えている。厚みは俺の膝のあたりまである。
書かれているのは暗号のような平仮名たち。
遥か向こうには、正座したことで、紺色のスカートから顔を出している膝頭。
なんでこんなことになってしまったのか・・・。



一番のきっかけは3歳年上の姉の存在だろう。
俺が小学生の高学年になって、姉との喧嘩に勝てるようになった頃、泣きながら言われたのだ。
「もともと男の方が力が強くなるのに、力で勝って満足?違う方法で勝負しなさいよ」
それで、頭が良いと評判の姉に、知識で勝とうとした。
普通に勉強では惨敗続きだったが、暗記モノの中で唯一、姉に負けないのがこれだった。
そして去年、一年生なのでもちろん初参加のその大会で俺は優勝した。

「校内百人一首大会」
男子生徒の4割程は、かったるいという理由で棄権。
出場しても歌など覚えておらず、早い段階で敗退していく。
勝ち進むにつれ、女子生徒との対戦ばかりになっていく。
目の前の彼女、去年までチャンピオンだった彼女も含め、みんな強敵ばかりだった。
上位進出者は歌を覚えてるのは当然だったし、最後の最後まで諦めない姿勢には、尊敬の念さえ抱いた。
そんな中、彼女たちよりわずかに優れた、運動神経と反射神経で優勝することができた。
今思えば、上位進出の彼女たちの真ん中で、照れた笑いを浮かべた写真を撮影した、あの瞬間が俺の人生の絶頂だった。

その大会の数日後、俺は謎の病に冒された。
1ヶ月後、病院のベッドで意識を取り戻すと、俺の体は5cm強という信じられない状況になっていた。
正直、生きる希望さえ失っていた俺に、担当医は真顔で普通に学校に行けるようになると言った。
それからの訓練の日々は、涙なしでは語れない。
男は、そう簡単に涙など流してはいけないから、ここでは訓練については語らないことにしよう。
ひとつだけ疑問だったのは、どう考えてもこのサイズのまま日常生活を送る訓練ばかりだったことだが、
原因不明の病気なのだ、治る保障などないということだろう。
このサイズでの生活に慣れた今思うのは、やっぱり医師や看護師というのはすごい人たちだなということだ。

そしておよそ半年後、様々な検査も受けて、生活に問題なし、伝染の可能性もないという診断結果が出た。
ちょうど区切りということで、2年の2学期から、俺の学校生活は再開した。
学校側も全面支援を約束してくれたおかげで、全く問題なく過ごしている。

冬のある日のことだった。
この状態での学校生活も4ヶ月近くが過ぎ、慣れ始めた頃、担任教師が俺を掌の上に乗せて言った。
「あのね、百人一首大会なんだけど、去年の優勝者だし、出てもらわなきゃいけないんだけど」
正直、彼女以外に言われたのなら、ノーと即答していただろう。
しかし、初めての担任だと言うのに、厄介者を押しつけられて、それでも色々助けてくれた彼女には感謝している。
「どうしても出なきゃダメですか?勝負にならないと思いますけど」
彼女の眼鏡の赤いフレームがピクピク動く。眉間に少し皺が寄っている気がする。
「私も無理だろうとは言ったのよ。でも決まりだし」
思いっきり渋い顔。美人が台無しですよとは言わないでおく。
と、次の瞬間先生の顔がパッと明るくなる。
「去年の上位進出者のみんながね、あなたならそのぐらいのハンデ、何でもないって」
何だそれ。あのたった一日の出来事で、俺の株はそんなに上がっていたのか?
しかし、無理なものは無理だ。きっぱり断るはずだった。
「今回の責任者私なの。お願い、無事に終わらせたいの」
あぁ、もうこの人は。
やろうと思えば指一本で脅迫できる相手に、こうして頭を下げる。
この人が担任で良かったなぁ。美人だし。



「準備はいい?」
先生の声が俺を現実に引き戻す。
責任者ってことで、優勝決定戦の読み手も務めるらしい。
「噂には聞いていたけど、本当に小さくなっちゃったのね。」
対戦相手の女子生徒が、無遠慮に俺を見下ろしている。
眼鏡の奥の瞳には、純粋な興味だけがあった。
慣れているし、興味だけなら悪い気はしない。
「でも手加減はしないわ。私は今年が最後だし、この一年あなたに勝つために特訓してきたんだから」
何というか、一年も特訓するほどのことなのかと思ってしまう。
しかし、彼女の真剣な眼差しに、こっちもふざけてはいけないなと、気を引き締める。
でも、当然俺はここで負ける。勝ち目なんかないから。
そしたら来年はチャンピオン不在になるな。どうなるんだろう?
「ちなみに、チャンピオンが卒業したら、翌年は準決勝まで残った4人で総当たり戦をやってチャンピオンを決めるのよ」
エスパーか?俺は疑問に思ったことを、顔にも出していないはずだ。

「それじゃ。始めるわね」
いよいよ始まってしまう。
ルールは至ってシンプル。一般に散らし取りと呼ばれるものだ。
100枚使うと時間がかかるので、使われるのは50枚。
それらがバラバラに置かれ、読み手が歌を読む。校内のイベントだし、下の句まで読まれる。
そして、50枚全て終わった時点で、取った札の枚数が多い方が勝ち。

先生が一句目を読む。
最初の5文字で俺は探すべき札を理解する。
しかし、全力で走りながら探しても、なかなか見つからない。
下の句まですべて読み上げられた数分後、俺はようやく目当ての札を見つけた。
必死になっていたので、時間の感覚なんてなかったし、異変に気づくはずもなかった。
つまり、歌をほぼ完璧に覚えている彼女が、下の句を読み終えても札を取っていないことに。
目当ての札まであと数歩、ヘッドスライディングなどすれば、届くかもしれない距離まできたところで、俺を爆発が襲った。
バシイィィン!!
いや、今の俺には、ドゴオォォオォォォン!!とでも表現するべきか。
強烈な振動と突風に、俺の身体は飛び上り数秒間の空中遊泳の後、床に叩きつけられた。
全身が痛みで痺れる。数秒間、息をすることもできなかった。
飛び上がる前、肌色が一瞬視界を掠めたことから、何が起きたか、頭では理解している。
ゆっくり立ち上がり、深呼吸をする。
何とか動けそうだ。
「大丈夫みたいね。次いくわよ」
先生の事務的な声に、俺は普通ではなくなったんだと改めて痛感する。
普通の人には、俺が今どんな状態かなんて理解できないんだ。
向かい合っている女の子が札を取っただけのこと。
普通の人にはそれだけのことなんだから。

次の句も、俺は必死で札を探した。
やはりあと一歩というところで、爆発に襲われる。
また数分中断し、立ち上がった俺は、さすがに目の前の彼女を疑った。
もしかして俺、遊ばれてる?
しかし彼女の目は真剣そのもの。
その目に気圧されて、何も言えないうちに、次の句が読まれる。
札を探し走りながら、ふと視線を上に向ける。
彼女の笑顔が頭上を覆っている。
俺の視線に気づいたのか、真面目な目つきに戻るが、俺は確信してしまった。
馬鹿馬鹿しくなって、札が置かれている場所から少し離れた場所に座りこんだ。
遊ばれてると気づいた上で、わざわざ遊ばれてやる必要もないだろう。
あとはこのまま一人で札を取り続けて、チャンピオンにでも何でもなればいい。
しかし俺の考えは甘かった。

少し離れた場所で爆発音が轟く。
さっきまで感じたほどではないが、音も衝撃も風も、俺の身体に響き、軽々と俺を浮かせる。
そしてさっきまでとは違う、横からの物理的な衝撃が俺を吹っ飛ばした。
これはさすがに予想外。何が起きたのかさっぱりわからない。
肋骨が折れたんじゃないかというぐらい痛い。
「う、ぐぐ」
言葉も発せず蹲る。
動けない。そのまま無様に倒れてしまう。

「先生、これじゃもう勝負になりませんし、特別ルールを提案します」
「そうね、今から4人総当たりをやる時間もないし、4人一度に勝負するってことでいいかしら」
俺は頭上で交わされる、ごく普通の会話に愕然とする。
そんなことどうでもいいから、医者を呼んでくれ。


「彼もまぁ、一応優勝決定戦に出る資格があるし、このまま札の近くに寝かせておきましょう」
「起きた時、まだ参加できるようなら、そこから参加ということでいいわね」
「はい」
数十分後、俺はさっき自分で座った位置、札から少し離れた場所に、ガーゼに包まれて仰向けに寝かされた。
いつの間にか3人の女子生徒が呼ばれていて、俺を囲むように、実際には札を囲むように座っていた。
4つの眼鏡、その奥の8つの瞳が俺を(札を)睨んでいる。
正直、それだけで泣き出してしまいそうだった。
身体はさっきよりはましだが、まだ動けない。
そんな俺を余所に、本当の真剣勝負が始まった。
誰かが札を取る度に、音と振動が俺を襲うが、ガーゼのおかげでダメージはほとんどなかった。
見ていて気付いたのは、さっき俺を吹き飛ばしたモノの正体だ。
テレビで百人一首の大会の模様などを見たことがある人ならわかるだろうが、
札を真上からではなく、斜め上ぐらいから叩くというより弾く。そうすると札は畳の上を滑るように飛んでいくのだ。
よく生きてたな俺。
いや、だって考えても見てほしい。普通のサイズで考えれば、厚さ20~30cmの壁。
それが高速で直撃したのだ。避ける間も、身構える間もなく。
死んでいても不思議ではない。て言うか普通死ぬ。
ここはもう命があることに感謝して、このまま勝負が終わるまで寝ていよう。
体育の授業だって、普通の人と一緒に受けるわけにはいかないから、別に受けている。
学校生活を送る上で、命の危険に晒されることなどないように、周りが細心の注意を払ってくれている。
なのに、こんなことで死ぬわけにはいかないじゃないか。
それでいい。このまま寝ていよう。


頭上では真剣勝負が続いている。
札が直撃することはもうなかったが、俺の横を何度か掠めていった。
意図的にではなく、勝負に集中して、俺のことなどかまっていられなくなっているのだろう。
改めて驚くべきは、俺を殺せる程のスピードで札を弾いているのは、スポーツ選手でも何でもなく、
むしろ運動はちょっと苦手という文学少女たちということだ。
全ての面において、普通の人の足元にも及ばないというのは、もう何度も思い知らされてきたが、
こんなところでも痛感するなんて。

いや、待てよ。全ての面でなんて嘘だ。
事実、俺には学校を休んでいた時期があったのに、中間試験は50位以内に入ったじゃないか。
小さくなったからって、歌は一首たりとも忘れていないじゃないか。
負けず嫌いな性格が、俺を立ち上がらせていた。
ヨロヨロと札の方へ歩いていく。
「あれ、大丈夫なの?勝負は続ける?」
誰がそう聞いてきたのかはわからない。
俺はまだ残っている札を見渡す。
札は10枚。俺が全部取れたとしても、負けは決まっている。
「俺こんなだし、ハンデをください」
先生に向って、今出せる最大の声を振り絞る。
先生は他の生徒たちの顔を見る。
誰も口を開かなかったが、拒絶の意思を示す生徒はいなかった。
それを確認して、先生は笑顔で頷いた。
「俺が一枚でも取れたら、俺の勝ちにして下さい」
生徒たちが顔を見合わせる。
さすがに俺に有利すぎる条件だったか。
しかし、生徒たちの口から出たのは意外な言葉だった。
「面白い」「さらに真剣さが増す」
全員一致でハンデは認められた。
俺はゆっくり歩いて行き、4枚の札の真ん中に立つ。
4枚に書かれている下の句は完全に暗記した。

「いくわよ」
勝負が再開された。
1句目、違う。
俺は衝撃に備えてしゃがみこんで身を固くした。
2句目、また違う。
同じように衝撃に備える。
3句目、これだ!!
たった2文字読まれたところで、俺は反応した。
向かって右後ろに倒れこむ。仰向けに。
勝利を確信した瞬間、目の前を巨大な掌が覆う。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁ、死ぬううぅぅ」
・・・もっと他に言うことはなかったのだろうか。とっさのことだったし、仕方ない。
掌は目と鼻の先で停止した。
堅く閉じた目を開いて、その状況を確認した時、全身の力が抜けた。
小便を漏らさなかったのは奇跡としか言いようがない。
札の上で全く動けない俺を、先生が摘みあげた。
俺の下の札を確認して笑った。
「合ってる。チャンピオン防衛ね」
うおお、やったあ。
俺は喜びを爆発させた。先生の掌の上で。
「さすがね」「すごい」「やられたぁ」
俺を称えるみんなの声。俺はもう一度自分の人生の頂点に上った気がした。
前チャンピオンのたった一言で地獄に落とされるのだけれど。

「私はもうあなたに挑戦できないけど、来年も頑張ってね」

あ・・・、来年のことなんか全く考えてなかった。



でもまぁ、悪くはない気分だ。
彼女たちが並んで、顔の前で重ね合わせた掌の上で、複雑な笑顔の俺が写っている写真は、俺の宝物になった。