その後、別れの挨拶をして彼女は帰っていった。
というのも、辺りが暗くなって、彼女の目からでは僕をほとんど認識できなくなったからだ。
さて、彼女は自分の足が引き起こす大災害について全く認識できていなかったし、僕からそれについて伝える手段も無かった。
当然、僕は彼女の帰り際にも失神した。

彼女の足が起こす大地震をはじめとして、彼女と普通に会話するためにはいくつも乗り越えなければならない障害がある。
そこで、今日の僕は昨日の反省を活かし、いくつかの装備を持参してきた。
耳栓は彼女の声に耐えられるように。
強力ライトは暗くなっても彼女から僕が見えるように。
意味は無いかもしれないが、拡声器も一応持ってきた。
最後にこのシャベルだが、何に使うかというと……地面に彼女へのメッセージを掘るために使う。

彼女が自覚していない以上、彼女にゆっくり歩いたり静かにしゃべったりしてもらうためには、こちらから能動的にメッセージを送る必要がある。
彼女と情報のやりとりをする手段は今のところ視覚を使ったものしか無いわけで、そうなると必然的に文字でメッセージを送るほかない。
彼女から見えるくらい大きい文字を作るために前回はマンションの明かりを使ったが、あの方法では複雑な文字は作れない。
そうなると、今回は地面を掘ってできる限り巨大な文字を作ることが有効だろう。
僕は早起きして長い長い草原を歩き、海峡に着いてからはひたすら地面を掘っていた。

カタ、カタ、カタ

そろそろ時間か。
シャベルをその辺りに置き、覚悟を決める。

彼女の姿が、揺れが、地鳴りが大きくなっていく。
今日の彼女はこれまでと違って、町ではなく僕がいる方を向きながら歩いてきてくれるが、別にゆっくり歩くような配慮は見せてくれない。
とにかく、このメッセージが完璧に伝わってくれれば僕が失神するのはこれで最後になるはずだ……。
超スピードで黒いオブジェが突っ込んでくる光景を見ながら、僕は意識を手放した。

――何か、巨大な物体が近くにあるような感覚がする。
空気が、音が、そんな感じなのだ。

『突っついてもいいのかなあ……。
 なんか潰れちゃいそうで怖いなあ』

不穏な声に急いで目を開けると、巨大な肌色の壁が目に入った。
壁の表面は平らではなく、横に長い平べったい出っ張りが溝を挟んで縦に延々連なっている構造だ。
出っ張りの凸部分の中央には小さな穴が開いており、その穴は間隔を空けて横一列に並んでいる。
壁はぐらぐらと揺れながら宙に浮いていて、不安定な印象を受ける。

これは……何だろう?
さっぱり見当がつかない。
立ち上がって壁を見上げると、壁の最上部からガラス質の物体が生えているのが見える。
さらに首を90°上に曲げると、空を覆う彼女の顔と目が合った。

『でも全然反応してくれない以上、突っついてみるしかないよね……
 どうしよう……』

壁が僕をロックオンし、今にも押し潰さんとしている気がする。
命の危機を感じた僕は、彼女に気付いてもらえるよう、慌てて壁から離れる方向にダッシュした。

『んー……?』

突然強い向かい風が吹き、反対向きにのけぞって転倒してしまう。
上を見ると、さっきの壁が浮き上がって離れていく様子が見えた。
すぐに、壁はどうやら巨大な柱の表面の一部だったらしいことが分かる。
周囲を見ると、その柱以外にも同じような太さの巨大な柱が四本あるのが見えた。
ただしそれらの四本の柱は、最初の柱と違って、まっすぐに伸びておらず丸まった形をしている。
柱が十分離れると、人差し指を伸ばした右手をアップで見ているような形に見えてきた。

(じゃああの壁の表面の出っ張りは人差し指の表面の指紋だったというわけだ。
 …………は?
 それなら中央に開いてた穴は何だ……?
 もしかして汗腺……?)

自分のあまりの小ささに恐怖していると、右手が海峡に突っ込まれ、すぐ後に顔という名の天が落ちてきた。
右目がずんずん拡大していく。
目が途中で停止し、まつ毛が超高速で何回も往復する様子が見えた。
このまま倒れていたら彼女に気付いてもらえない。
僕は体に鞭を打って走り出す。

『あっ、動いてる。
 よかったー、急な病気とかで倒れちゃったのかなと思ってすごい心配してたんだよ』

のんきな爆音が響く。
サイズ差など乗り越えてやるという僕の決意は若干揺らいだ。

『ところで、こびとさん、私のために何か文字?
 みたいなのを書いてくれたよね』

メッセージの存在は伝わったようだ。

『ごめんね、あれ、小さくてよくわかんなくて……。
 「レ」、「す」、「や」、縦棒の横にイコールっていう風に見えたんだけどどんな意味?』

全然違う。
この行き違いが生まれたのは、僕の視点からでは文字のバランスが分かり辛いせいか、彼女の視点からでは文字が小さすぎるせいか。
多分両方が原因だろう。

とりあえず一番致命的と思われる所を直しに行く。
「す」の右上の点をよりはっきりと見えるように、さらに深く広く掘る。

『……「レ」、「ず」、「や」、縦棒の横にイコール?
 んー……、あっ、「しずかに」!』

耳栓をしているのにさらに手で耳を塞いでしまう。

『あっ、あー……。
 ごめんね、静かにって言ったのにうるさくしちゃった。
 これくらいの声なら大丈夫?』

声質はささやき声のそれなのに、音量はささやき声のそれではない。
正直まだ相当うるさいが、これ以上声を小さくされると発音がはっきりしなくなりそうなので、これくらいが限界だろう。

『大丈夫なら私から見て左に、まだ小さくした方がよければ右に動いて』

鼻の方に歩いていく。

『私の足音も多分うるさかったんじゃないかな……?
 これからはゆっくり歩くから安心して』

足が起こす被害にも気付いてくれたようだ。
これで僕が失神することも無くなるだろう。

(しかし、あのメッセージだけでここまで気付いてくれるなんてすごいなあ。
 案外僕と千佳ちゃんは心がつながっているのかも)

やや浮かれる。

『ところで、私から一つ提案があるんだけど』

何だろう。

『やっぱり、こびとさんから私に向かって何か伝えたいことがあるときって多いと思うの。
 でも、今みたいにいちいち文字を書いてたらこびとさんにとっても大変だよね。
 だから、本当は声でやりとりした方がいい』

まあ、それが諦めきれないから一応拡声器を持ってきたのだけれども……。
全力で叫んでも何も聞こえなかったのだから、拡声器だけでは焼け石に水のような気もする。

『だから……本当に私がこびとさんの声を聞き取るのは絶対に無理なのか……チャレンジしてみない?
 つまり、私の耳の穴の中に入って、鼓膜のすぐ近くで叫んでみてほしいの』

なんと。
突拍子もない提案に驚く。
あの洞窟の中に入る?

『もちろん嫌ならそんなことしなくても大丈夫だよ。
 耳の中なんて変なニオイすると思うし……。
 ただ、こびとさんさえ嫌じゃなければ、チャレンジしてみる価値はあるんじゃないかなと思うの』

だが、なるほど、鼓膜の前で拡声器を使えば、もしかするかもしれない。
リターンの大きさを考えればやってみる価値はある提案だと思う。

『それに……この体勢、結構大変なんだよね……』

こんな提案をしてきたのにはそういう理由もあるわけだ。
確かに、手で体重を支えて地面ギリギリを見るのは辛い。
そう意識すると、なんだか上空の巨大な目が非常に不安定で恐ろしいものに見えてきた。
彼女の巨体が落ちてきて、周囲の大地ごと僕を地下深くまで圧縮し尽くす光景が脳裏に浮かぶ。

『大丈夫そうなら私から見て左に、無理そうなら右に動いてもらえるかな』

本人は意識していないだろうけれども、体勢が辛いという発言の後では脅迫にしか思えない。
まあ元々心は決まっていた。
僕は鼻の方へ歩いていく。

『さすが、それでこそこびとさん!
 じゃあ私の指に………………あー、無理かな?
 えーと、どうしよう、そうだ。
 爪に乗ってもらえるかな』

目が、顔が離れていく。
代わりに右手の人差し指が爪を下にして高速でこちらに近付いてきた。

指が模様の刻まれた肌色の壁にしか見えなくなると、指はゆっくりと減速し、慎重に僕の近くへ着陸しようとしてきた。
壁は、その大きさからは想像できない速さで細かく振動している。
これは無意識に起こる指の振動だろうか。

ズズーン

地震と、風と、重低音が巻き起こる。
目の前には、先ほど僕を押し潰そうとしていた肌色の壁が、先ほどとは上下逆向きにそびえ立っていた。
高さは10m以上はありそうに見える。
地面の方を見ると、巨大なガラス質の物体がめり込んでいて、1mほどの段差ができているようだった。

『どうぞ』

上空から声が聞こえてくる。
さっそく段差を飛び降りてガラス質の地面に着地する。

地面の表面はでこぼこしていた。
透明さも不均質で、透明に見える部分もあれば、やや白く濁って見える部分もあった。
ガラス職人の見習いが初めて作ったガラスはこんな感じになるのかなと根拠も無く思った。
もっとも、このガラスを作っているのは職人ではなく巨人の体であって、それも、無意識のうちに作られているものなのだが。

ガラス質の地面を歩き、出っ張りが連なる肌色の壁の前に立つ。
出っ張りの平べったくなっている凸部は縦幅25cmくらいで、出っ張りと出っ張りの間にある三角形型の溝は縦幅20cm、深さ10cmくらいだろうか。
壁に手で触れてみると暖かく、安心した気持ちになれる。

『乗った? 多分乗ったよね?
 じゃあ耳まで運ぶよ……できるだけ慎重に』

強力なGがかかり、地面に押さえつけられる。
それに耐えると、今度は上下左右に揺さぶられる。
大しけの日の船に乗っているかのような気持ち悪さだ。
加えて速度も相当出ているようで、強風のせいで周囲の状況を確認している余裕が無い。

しばらく耐えていると、突然強い浮遊感がして、揺れが若干ましになった。

『うん、ちゃんと乗ってるね。良かった』

声が聞こえた直後、今度は横向きに吹っ飛ばされそうになる。
何故こんなことになったのか。
とてもとても気持ち悪い。

また少しすると、ドーンという音がして、風は収まり、揺れは穏やかなものになった。

『耳の中までは指が入らないから……。
 ここから先はこびとさん自身で歩いて。
 指はこのまま耳を塞いだ状態にしておくけど……声が聞こえないまま10分経ったら指を離してこびとさんを地面に戻すから、遅れないよう気を付けてね』

耳に着いたらしい。
しかし僕はフラフラだ。
こんな状態で10分以内に戻ってこれるのだろうか?

ともかくやるしかない。
辺りは暗いので、まずは強力ライトで周囲の視界を確保する。
すると、大きな肌色の洞窟が奥深くまで続いているのが見えた。
指が入らないといっても彼女の指が巨大すぎるだけで、この洞窟も十分広大である。
洞窟の壁面は、胸くらいまでの背丈がありそうな、細長く透明な植物で覆われていた。
遠くにある植物は光が反射して白く見え、とても幻想的な光景を作り出している。
匂いについては……臭いという表現は合わないと思うが、独特の匂いがしているのは間違いなかった。

急がなければならない。
50cmほどの段差を慎重に降りて、爪から耳の中へ着地する。
辺りに生えている透明な植物は手で握れるくらいの太さなので、フラフラの体を支えながら進むにはちょうどよさそうだ。
密度もそこまで高くないので、町と海峡の間の草原に比べれば遥かに楽に通過できるだろう。

植物をつかみながら上り坂を登っていく。
しかし、僕が立っているこの地面も含めた四方全てが、千佳ちゃんという一人の女の子の耳の穴でしかないのだと思うと不思議な気持ちになる。
どこかから聞こえてくる呼吸のような音と血流のような音も、緩やかに揺れる大地も、この洞窟が生きている女の子の体の一部であることを雄弁に物語っていた。

多分15mくらい歩いたあたりで、辺りから透明な植物が消えてしまった。
この辺りは文字通りの不毛地帯ということだろうか。
坂も下り坂になっている。
前方には、何か巨大なものが道を塞いでいる雰囲気がするが、なんだか怖くて見る気になれない。

下り坂を下りきると、いよいよ行き止まりに辿り着いた。
勇気を持って、道を塞いでいる物体を見上げてみると、目の前に現れたのは直径10mほどの巨大なガラス質の円板だった。
あまり信じられないが、これが、鼓膜……なのだろうか?
一応脇道を探してみるが、通り抜けられそうな穴はどこにも無い。

これが鼓膜だという状況証拠ならば揃っている……が、いまいち信じ切れなかった。
こんな巨大なものが本当に振動するのだろうか。
そもそも鼓膜なんて見たことが無いんだから、本当にこれが鼓膜かどうかなんて確実には分からない。

ともかく、早く試して、ダメならばさっさと撤収しなければならない。
拡声器を取り出し、円板の中心に向かって叫ぶ。

「聞こえますかー!」

その瞬間、地面が大きく揺れ、転んでしまう。

『うん? 何か聞こえた気がする。
 集中して聞くからもう一回やって』

「えっと……聞こえますかー!」

『うん……集中すれば……分かるかも……。
 今、聞こえますかーって言ったよね?
 合ってる?』

おお。
今、僕は感動しているかもしれない。

「合ってるよー!
 やったねー! これで話ができるよー!」

『うん、私も嬉しい。
 ささやき声だからあんまり嬉しさを表現できないけど……』

これで彼女との意思疎通は一つの大きな壁を超えられたようだ。
もっとも、話がしたいときに毎回彼女の耳の穴の中に入るのもどうなのかという問題が残るが……。

『話ができたら一番に聞きたいことがあって。
 こびとさんの名前を教えてくれないかな。
 ずっとこびとさん呼びじゃ悪いかなって思ってたんだ』

千佳ちゃんから見れば僕は虫未満のサイズだろうに、そんな僕に対してこんな心配をしてくれていたとは。

「僕の名前は佐藤一だよー!」

『えっと……あとう、はじめ?
 ごめん、固有名詞はちょっと厳しい』

「さーとーうーはーじーめー!」

『佐藤一、合ってる?』

「合ってるよー!」

『うん、改めてこれからよろしくね、佐藤くん』

「一でいいよー!」

『じゃあ一くんって呼ぶね。
 一くんも、私のこと、千佳って呼んでいいよ』

なんだか急接近できたような気がする。
いや、もしかして、男として認識されていないから距離を急に詰めても違和感を持たれないのだろうか?
よく分からない。

「ところで、千佳ちゃんはなんで僕たちの大陸へ来たのー!?
 千佳ちゃんよりも前に来た巨人なんていなかったのにー!」

『きょじ……ああ、私たちのことかあ。
 うん、よくぞ聞いてくれました。
 私はね、こびとさんの世界についてもっともっと知りたかったの。
 この間、初めてこびとさんの話を聞いたときに衝撃を受けたんだ。
 町の外はなんにもないつまらない世界だと思ってたのに、そんな人たちがいるだなんてって。
 それから、こびとさんはどんな目線で世界を見て、どんな生活をしているんだろうってすごく気になって。
 実際にこびとさんとお話してこびとさんの世界について教えてもらおうと思ったの。
 それなのに他のみんなときたら、一緒にこびとさんに会いに行こうって誘っても興味ないとか肉眼で見えるのとか、理解できないよね』

つまり、この100年間巨人が来なかったのは、巨人がみんな僕たちに興味を持っていないせいで、千佳ちゃんが今になって来たのは、千佳ちゃんが例外的に、好奇心が非常に旺盛で行動力のある性格だったせいらしい。

(っていうか、本当に他の人も来てたらもっととんでもないことになってたな……)

お互いの種族がお互いに興味を持っていない状態が、きっと、お互いにとって最も良い状態なのだろう。
そうなると、僕と千佳ちゃんは二人ともイレギュラーな存在ということになる。
僕は、どうやら千佳ちゃんに恋?をしているようだし、千佳ちゃんは僕たちについてもっと深く知りたいと思っている。
理想的な状態から外れてしまった僕たち二人は、これからどうなってしまうのだろう?

思考がネガティブにふれたが、今はそんなことより彼女とのおしゃべりを楽しむべきだろう。
僕だって、彼女のことを、もっと知りたい。

『で、他にも聞きたいことはいろいろあるんだけど……。
 まず、一くんの身長と体重を教えてくれないかな?
 こびとさんがどれくらい小さいか、町の図書館で調べても大まかなサイズしかわからなかったから正確な値を知りたいんだ。
 あ、背が低いのを気にしてるとかだったら言わなくてもいいよ。
 私からはその差はよくわかんないけど……』

「特に気にしてないよー! 身長はー152ー! 体重はー44だよー!」

『ご、ごめん……。
 単位がないとわかんない……』

「あっ、身長152cmー! 体重44kgー!」

『cmかあ……あんまりピンと来ないなあ……。
 あと、kgって何の単位?』

「あー……、身長はー1.52mー! 体重はー0.044tー!」

『えーと、Mtの下がktで、ktの下がtだから……。
 あ、うん、とりあえず、すごく小さいってことは、わかったよ』

お互いの意思疎通にはまだまだ壁があるようだ。

『そうなると……だいたい1000分の1サイズなんだ。
 ほんとうに……すごくちっちゃい……』

そして、僕から見た彼女は、体の一部だけでも自然の一風景にしか見えないほどに大きい。
同じ姿形をしているのに、大きさが違うだけで全く住む世界が違ってしまう。
そんな別世界の住人同士がこうして会話できているのは奇跡的なことだ。

『ねえねえ、もっとこびとさんの世界について聞かせて。
 そうだ、あの町にあった光る小さな箱とその横にあったつぶつぶって何なの?
 教えてほしいな』

「光る箱はー! 7階建てのマンションでー! つぶつぶはー! 住宅地だよー!
 粒の一つ一つが一軒家なんだー!」

『えぇ? ええと、いろいろ聞きたいことがあるけど、7階建て?
 呼吸どうするの?』

質問の意味が分からない。
いや、相手の立場になって考えてみよう。
だいたい7階は地上18mくらいにあると思うが、巨人が7階建てのマンションを作るとしたら、巨人にとっての7階は地上18000mになる。
地上18000mの気圧は地上の約0.07倍。
なるほど。

「千佳ちゃんの町ってー! 2階建ての建物あるのー!?」

『2階がある家もあるけど、そういう家でも、2階は普通物置としてしか使わないよ。
 こびとさんは違うの?』

「違うよー! 7階でも地上18mにしかならないから呼吸の問題は起きないんだー!」

『うん? ああそっか、こびとさんは呼吸しやすい世界でしか生きてないから、建物をほとんど無限に上に伸ばせるんだ。
 確かに言われてみればそうだよね』

今度は強度の問題があって無限に伸ばせるわけではないのだが、ともかく認識のずれを一つ修正できたようなのでよかった。

「というかー! 巨人の家ってどんな材料で作ってるのー!?
 僕たちが知ってる材料でー! 3000m以上もある建物を作れるくらい頑丈な材料ってほとんど無いよー!」

『3kmくらいなら普通に……ああ、この星に元からある物ってすごく脆いからね。
 そういうことかな?
 宇宙船で産出した材料を使ってるから、家が崩れたりはしないよ』

巨人の宇宙船には、とても頑丈な材料を作る機能があるらしい。
いや、これは材料に限らず、巨人の体そのものにも当てはまるのでは?
人間の体をそのまま拡大した場合、骨や筋肉の強度が体重の増加に追いつかず、自重で崩壊してしまうという話を聞いたことがある。
しかし、実際の巨人はそうなっていない。
ということは、巨人の体は非常に頑丈になっているのだろう。
実際、自分の足元を見ると、体重がかかっているはずなのに、地面である皮膚は全く沈み込んでいない。
確か、彼女の指の指紋に触れたときも、壁は特にへこんでいなかった。

指……そういえば、彼女と話し終わったら、帰りもまたあの大しけの船のような爪に乗って帰らないといけないのか。
少し憂鬱な気分だ。
せめて、千佳ちゃんにもう少し指を安定させられないか聞いてみよう。

「そういえばー! 千佳ちゃーん! 耳まで爪で運んでくれたのはありがたいと思ってるんだけどー!
 結構揺れててー! 指をもう少し安定させられたら嬉しいんだけどできるかなー!?」

『うーん、あれでもかなり慎重に動かしたつもりなんだけど……一くんの感覚だとそうなっちゃうのかあ……。
 でもこれ以上遅くすると多分指が震えてもっとひどいことになると思う。
 だから今はこれ以上は無理かなあ……』

「いっそのこと速く動かせば逆に揺れが少なくなるかもねー!?」

『ダメだよ、あんまり速く動かしたら一くんが爆発しちゃうかも』

(……!?)

『あ、これも私と一くんの認識の違いの一つかな?
 ほら、腕や足を動かしてると、ある速さのときだけ急に抵抗が強くなるでしょ?
 この星に元からある物を、その速さを超えて動かすと、ソニックブームとか断熱圧縮っていう現象が起こってだいたい爆発するんだよ』

途中、何を言っているのか分からないところがあったが、ソニックブームについては僕も疑問に思っていたことがあった。
千佳ちゃんは音速を超えて歩いているのに、なぜソニックブームが起きていないのだろうということだ。
千佳ちゃんの言を信じるのならば、巨人の宇宙船由来の人や物は何故かソニックブームが起きないということらしい。

他の部分もだいたい何を言っているのか分かってきた。
確か、空気中を移動する物体は音速付近で空気抵抗が急増するという話があったはずだ。
これは音の壁と呼ばれていて、超音速の航空機が作られるのに時間がかかった原因の一つだ。
巨人の感覚ならば、僕たちの感覚でいう秒速34cmで音の壁にぶつかることになる。
これは手や足を軽く動かしていれば十分到達可能な速度だ。
さらに、断熱圧縮についても思い出した。
超高速で移動する物体によって圧縮された空気は熱を持つ。
特に音速を超えてマッハ2やマッハ3辺りになると、その熱は100℃近くにもなるという。

まとめると、巨人は手足を動かすだけで簡単に音速に達することができる。
そのとき、手の上などに人や物を乗せていると、その物体がよほど頑丈でない限り、ソニックブームの衝撃波や、断熱圧縮による高熱などで、その物体を爆発させてしまう。
ただし、巨人の宇宙船由来の人や物は例外。

『歩き始めたばかりの子なんかだと、抵抗の違いに慣れなくて、よく転んだりしてるよね。
 ああいう様子って結構かわいくて……。
 あ、話が脱線しちゃった』

ということは、爪に乗せてもらっていたとき、僕は相当危ない橋を渡っていたのではないだろうか。
彼女が指をもう少し速く動かす、ただそれだけの動作で、僕は爆発していたことになる。
いや、加速度で潰れるのが先だろうか?
それとも、強風で指から吹っ飛ばされるのが先だろうか?

『そういえば、一くん、このことを知らなかったってことは……。
 もしかすると、今すごく怖い思いさせちゃってる、よね?』

しかし冷静に考えればこのサイズ差なのだし、爪で運んでもらうとかは関係無しに、いつ彼女に潰されたり吹き飛ばされたりしても不思議ではない。
死ぬのは怖いが、元々別世界の存在である彼女とコミュニケーションをとる以上、いつ死んでもおかしくないという覚悟が必要だ。
今まで僕がそのことを認識し切れていなかっただけのこと。
こんなことで彼女に気を遣わせるのは違うだろう。

『そうだよね、よく考えたら、1000分の1サイズの人間なんて、私が無意識に何かしただけで殺しちゃうかもしれないってこと、忘れてた。
 ……どうしよう、私、こびとさんについて知りたいあまり、暴走して、一くんを危険に晒してたかもしれない。
 ……私、ほんとはここに来るべきじゃなかったのかなあ』

そんなことはない。
無意識のうちに言葉が口をついて出る。

「……それは違うよ!
 少なくとも! 僕は千佳ちゃんと会えて! こうして話ができて! すごく嬉しい!
 千佳ちゃんがここに来てくれなかったら! この時間も無かったんだ!」

『でも、いくら一くんが嬉しいと思ってくれていても、私の興味だけで一くんを命の危険に晒すのは……』

「それくらい! 覚悟してる!
 千佳ちゃんとおしゃべりできるなら!
 命のリスクなんて気にしてないよ!」

『そんなこと……』

「信じてほしい!
 だって!
 僕は!
 千佳ちゃんのことが好きだからー!!」

…………あ。
やってしまった。
勢いというか、流れで、告白してしまった。
叫んでいたからテンションが上がって、普段の僕なら言う前に思い留まるようなことを、つい普通に言ってしまった。

『……』

周囲の気温が上がっている気がする。
どうしようか。

『え、えっと、嬉しい、けど、私、一くんの顔も、よく知らないし、もうちょっと、一くんについて、知りたいかな、って。
 付き合ったり? とか、するのは、それからでも、遅くないんじゃ、ないかな』

微妙な答えが返ってきた。
まあ、会って2日目に告白したら、これでも上々の返答だと思う。

惜しむらくは、彼女の表情がここからでは全く分からないことだろうか。
軽くあしらわれただけなのか、真面目に付き合うことを考えてくれているのか、なかなか判断できない。
会話において、表情がコミュニケーションにどれほどの役割を果たしているのかよく分かる。

『……うん、一くんがそれだけ真面目に考えてくれてるのなら、私もそれに応えないとね。
 絶対、君を殺したりしないよ』

ささやき声でありながら、凛とした決意のこもる声が聞こえる。
勢いとはいえ、結果的には、告白してよかったのかもしれない。
僕も自分の気持ちに整理がつけられたし、千佳ちゃんも、サイズ差という壁を認識した上で覚悟を決めてくれた。
よし、仮に、僕が千佳ちゃんに無意識のうちに殺される運命だったとしても、その運命にできる限り抗ってやろう。
僕のためにも。
そして千佳ちゃんのためにも。

「うん! 僕も! 絶対! 君に! 殺されたりしないよ!」