それから、毎日彼女とおしゃべりするのが日課になった。
指の揺れには未だに慣れないが、最初の頃、足が引き起こす地震で失神していたことを思えばまだマシだろう。
『じゃあこびとさんの家って木でできてるの?』
「全部が木造じゃないけどー! 木で作ってる家も多いねー!」
『あのすぐ吹き飛んじゃう緑色のもこもこで本当に家なんて作れるの?』
「……木を下から見上げればわかるけどー!
木って中心に茶色い芯みたいなのがあるんだー!
そこは結構堅いからそこを使うんだよー!」
『こびとさんって木を見上げられるんだ?
私も見てみたいなあ。
きっとすごく不思議な光景なんだろうなあ』
彼女との会話はお互いに驚きの連続で、毎日彼女と会うのが楽しみだ。
まあそれでも、あの草原を毎日歩くのはかなりしんどいのだが……
『そっかあ、一くんの町の人には悪いことしちゃったなあ……。
何かお詫びができればいいんだけど……。
あと、一くん、毎日町まで往復6時間って言ったよね?
さすがに私のためだけにそんな大変なことさせたくないよ。
私の家に泊まったらどう?』
「う……、実を言うとー! 巨人の町に行くのが怖いー!」
こうして千佳ちゃんと触れ合っているだけでも、自分が果てしなく矮小な存在であるように思えてくるのに、周囲全てが巨大な空間になんて行ってしまえば、自分の価値観が崩壊してしまいそうな気がする。
まだ巨人の町に行くだけの勇気は出なかった。
『一くんがそう言うなら仕方ないけど……。
気が変わったらいつでも言ってね。
一くん用の部屋……部屋? とか、うん、用意しておくから』
実際、僕のサイズに合わせたプライベートな空間を作ることが難しいことは千佳ちゃんも分かっているようだった。
そうした日々が何日か続いた後のことだった。
千佳ちゃんがあの質問をしてきたのは。
『今まで怖くて聞けなかったんだけど……。
やっぱり、一くんからは、私って怪獣みたいに見えるよね?
一くん、私のこと、怖い?』
本人は気付いていないようだが、怪獣どころではない。
月のように、柱のように、洞窟のように見えるのだ。
それも体の一部だけで。
とはいえ、そのおかげで、雄大な自然の風景を見たときのような感慨が先に来るので、今では恐怖は思ったほどはない。
……これを彼女に正直に言っていいものかは、悩みどころだ。
『何を言われても受け止める覚悟はできてるから……正直に言ってほしいの』
千佳ちゃんがこれだけ覚悟しているのなら、正直に言わないのは裏切りのようなものだろう。
僕はありのままを伝える。
「大きすぎて自然の風景にしか見えないよー!
だからそこまで怖くはないよー!
耳の入り口とかは産毛がキラキラ光ってて綺麗だよー!」
『風景……? えぇ……?
……確かに、一くんのサイズからだと、そうなのかも。
ねえ、私の体がどんな風に見えるのか、もっと詳しく教えてもらえないかな』
右目のこと、指紋のこと、鼓膜のこと、いろいろと話してみる。
『私の体ってそんなにすごい世界が広がってたんだ……。
知らなかった……』
僕も千佳ちゃんと会うまで、汗腺の周辺が盛り上がって指紋ができているなんて知らなかったし、産毛や鼓膜が透明だということも知らなかった。
そうした事実を一気に知らされた千佳ちゃんの衝撃はいかばかりだろうか。
『……ねえ』
なんだか、嫌な予感がする。
『一くん、私の体の上、探検してみない?』
千佳ちゃんの好奇心が暴走してしまった。
一応考え直すよう言ってみる。
「女の子なんだからー!
自分の体を安売りするような真似はよくないよー!」
『は、恥ずかしいところはまだ決心がつかないけど、顔とか、足とか、どんな風に見えるのか気になるんだもん』
恥ずかしいところも探検させるつもりなのか。
『私がいいって言ってるんだから私の方の問題は無いんだよ。
あとは一くんさえ嫌じゃなければ』
嫌では、ない。
「……お願いしまーす!」
『うん、素直でいいね。
じゃあ私の顔を一通り回ってきてもらえるかな。
……あ。
こんなことお願いしておいて矛盾する物言いかもしれないけど、安全第一でね。
今気付いたけど、私の顔には呼吸器っていう超危険スポットがあるからね』
そう、呼吸に巻き込まれて死ぬという、普通なら起こりえないことが起こりうるのがこのサイズ差なのだ。
『うーん、やっぱりやめようかなあ?
1000分の1サイズから見た私の顔がどういう世界なのか、すごく気になるけど、私のわがままで一くんを殺しかねないのはちょっと』
「大丈夫だよー!
それに……」
『それに?』
「う……、それに、僕も千佳ちゃんの体、探検してみたいと思ってたからー!」
あー、言ってしまった。
引かれないだろうか。
『……そっかあ、一くんもそう思ってるなら仕方ないよね。
うんうん、これは一くんの希望もあるんだから仕方ない。
なら、これから遠慮なく、私の体を探検してもらうからね。
もちろん、私もできるだけ一くんを危険に晒さないようサポートするから』
墓穴を掘ったかもしれない。
『で、最初に顔の探検なんだけども。
まず横にならないといけないんだよね。
できるだけゆっくり動くけど……それでもすごく揺れるだろうから気を付けて』
数秒してから天変地異が起こった。
天井が壁になり、壁が床になる。
僕はそこら中を吹っ飛ばされていた。
体が辺りを跳ね回る。
ズズーン!
どうやら天変地異は収まったようだ。
『大丈夫? 生きてるよね?』
「……なんとかねー!」
既に満身創痍なのだが大丈夫なのだろうか。
『うーん、ここからどうしようか。
一くん、私の顔を回るのに何分かかりそう?』
何から類推していけばいいのか分からない難しい質問だ。
鼻から下は呼吸が危険なので侵入不可。
顔は基本的に左右対称なので反対側を探検する意味はほぼ0。
となると、観光順路は右頬→右目→右眉→鼻登山→鼻下山→右頬、といった具合か。
途中で髪の毛の森に寄るのもいいかもしれない。
頭の大きさは20cm、いや200mちょっとだろうから、そうなると……。
「20分、いや30分くらいかなー!?」
『じゃあ頬まで指を動かすから、1分以内に爪の上に乗って。
一くんを頬に乗せたら、30分間指を頬から離すよ。
さすがにずっと指を頬に付けっ放しっていうのも疲れるからね。
30分したらまた指を頬に付けて、耳まで移動させるよ。
一くんはその30分の間に私の顔の上を回ってきて』
ズーンという音がする。
「りょうかーい!」
耳の穴の中を少し早めに歩いて抜ける。
もうこの光景も慣れたものだ。
入口に辿り着くと、50cm近くある段差が待ち構えている。
なんとか登り切って、爪の奥に転がり込み少し待つと、強力なGがかかった。
普段よりも短い時間で爪がいずこかに着陸すると、そこに見えたのは、肌色の荒野と、中央にそびえる独特な形状をした山だった。
ズオォォォォォォォ……!
ゴォォォォォォォォォウ……!
山の盛り上がっている部分からは、大きな風の音が周期的に聞こえてくる。
耳栓をしていてこの音量なのだから、元の音量からして相当なものだろう。
この大きな風の音は、この大地のどこにいたとしても聞こえるはずだ。
探索中ずっとこの風音を聞いていることになると思うと、耳栓をしていて良かったと言える。
耳栓無しではそのうち鼓膜がおかしくなるだろう。
それにしても、そんな音量を発生させているこの風がいったいどれほど強力なものなのか、想像せずにはいられない。
『もう降りた? 5秒したら指を離すよ』
周囲に広がる異世界に面食らっていた。
慌てて段差を飛び降りる。
突風。
指が離れていくときはいつも、指が存在していた広大な空間に空気が流れ込むので風が吹くのだ。
ともかく、これで、僕は千佳ちゃんの顔の上に一人取り残されたことになる。
『いってらっしゃい、一くん』
本格的な探検の始まりだ。
まずは周囲を観察してみよう。
今僕がいるのは、彼女の右頬だ。
サッカーも余裕でできそうなくらい広いが、サッカーに適していると言えそうなのはその広さだけなようだ。
ここで本当にサッカーをするとしたら、いくつもの悪条件が重なっていてまともにプレイをするのは無理だろう。
傾斜はボールを安定させてくれないだろうし、地面を三角形のタイル状に区切っている無数の溝にはいつ躓いてもおかしくない。
産毛が何百本何千本と生えていて遠くを見るには邪魔になるし、皮脂のせいか地面はぺたぺたしていて走りにくい。
地面からは2〜30cmもあるような丸い膨らみがいくつも突き出ているので、それらについては避けてプレイしなければいけないだろう。
気温は35℃近くもあり、激しい運動をしていたら体力を奪われそうだ。
あの尋常でなく大きな風音で、指示もきっとうまく伝わらない。
つまり、この世界は、人間が遊ぶために作られた場所ではないということだ。
やはり、この世界を最も非日常的なものに見せているのは、頬の荒野の向こうにそびえ立っているあの高さ25mくらいの山だろう。
2〜30cmほどの膨らみはあの山に近付くにつれ増えていき、山の表面で密度が最大になる。
つやつやと輝く山の表面は、例えあの膨らみが無かったとしても山の斜面がとても歩きにくいものであろうことを予想させる。
あの山を登ろうとするならば、横から登るのは絶対に無理だろう。
一度、目の方向から回り込んで登る必要がある。
それでも傾斜はかなりきつそうだが……。
そもそも自分のような人間があの山に登ることなど、本当に許されることなのだろうか。
途方も無いサイズの一人の女の子を生かすために、絶大な量の空気をすさまじい速度で出入りさせるあの山。
人間ごときでは不可知のエネルギーを内包したその山は、山としては遥かに小ぶりな大きさながら、神聖にして不可侵な霊山の様相を呈していた。
つんつん。
足を突っつく感覚がする。
僕は今大自然の驚異に感嘆しているのだ。
子供のいたずらなら後にしてほしい。
……いや、こんなところに子供がいるはずがない。
何だというのか。
足元を見る。
すると、体長30cmほどの、のぺーっと細長い体をした謎の動物がいた。
(……!?)
よく見ると、その動物は、体の前方2割ほどに顔や脚が集中して配置されている奇妙な形状をしている。
残りの8割ほどの部分は、蛇腹模様が体表に刻まれているほかには特徴的な器官もなく、単に太く長い尻尾であるように見えなくもない。
脚は、幼虫の脚のようなずんぐりとした小さなものが4対付いていた。
全体的に、その大きさに反してだいぶ原始的な生物であるような印象を受ける。
大きさ……まさか、この生物も1000倍サイズの生物なのだろうか?
そうだとしたら、この生物の元の大きさは0.3mmほどとなる。
おそらく肉眼では見えず、そして人間の顔に棲む生物といえば……一つ、その条件に該当する生物がいた。
顔ダニだ。
人間の顔には顔ダニという生物が棲んでいる。
これは、健康な人間だったとしても例外無くそうなのだ。
そうなると、巨人の顔には皆、巨大顔ダニが棲んでいるということになるのだろうか?
確かに、今目の前にいる生物は、見れば見るほど、前に図鑑で見たことのある顔ダニの写真にそっくりだった。
巨大顔ダニはなおも僕を突っつき続けている。
この大地では見慣れない、僕という異物の存在が珍しいのだろうか。
突っつかれても多分害は無いだろうが、いい気分がするものではない。
早めに逃げてしまおう。
速度を出せるような環境ではないので、産毛をつかみつつできるだけ早歩きで目の方へ向かう。
先ほどの巨大顔ダニはなんとか撒けたようだった。
だが、途中で別の巨大顔ダニに遭遇したり、毛穴から顔ダニの幼虫が何匹も吹き出している光景に遭遇したりと、いくらかショッキングな体験をした。
まさに、ここは異世界だった。
そして、この異世界は、同時にあの可愛らしい顔でもあるのだった。
そのうち、地面をタイル状に区切っている溝が深いものになってきていることに気付いた。
前を見ると、産毛より何倍も太い、黒い木々が生えていた。
手前側の木々は長さ5mくらい、奥側の木々は長さ8mくらいだろうか。
木々が生えている面積や形状などからして、そこは荒野に現れたオアシスといった感じだ。
この木々が目の周りに生えているまつ毛であるということは、今自分が巨人の顔の上にいるという事前知識無しでは分からないだろう。
さっそく目をもっと近くから見てみようかと思った、が、それは不可能であることに気付いた。
そう、あの木々と周辺の地面は数秒ごとに高速で移動しているのだ。
巨人のまばたきである。
木々が風を切る音が聞こえる。
多分新幹線並みの速度が出ているだろう。
あの周辺に立ち入るのは危険極まりない。
僕は目に近付くことは諦め、目を右側から回り込んで眉毛の方へ行くことにした。
だが、すぐに、眉毛に近付くのも難しそうであることが分かった。
目の上側まで回り込むと、辺りには直径8cmほどの、独特の光沢をした黒い丸太が、何千本も積み重ねられ散らばっている光景が広がっていた。
丸太といっても、普通の丸太とは違い、全て何十mもの長さを持っている。
この道を進むのは予想以上に大変そうだった。
無理に進めば、最悪、30分以内に頬に帰れないどころか迷子になるかもしれない。
僕は仕方なく今来た道を引き返して、鼻の根元の方へ向かうことにした。
巨人の顔の上は予想以上に危険がいっぱいだった。
結局鼻登山くらいしかすることはできなさそうだ。
もっとも、その鼻登山も、本当にできるかどうかは怪しいところだが……。
今、僕の目の前には、何mも続く、45°はありそうな厳しい傾斜が行く手を阻んでいた。
おでこを経由する一番楽な登山コースは髪の毛で覆われていて進めないため、目の横から鼻筋に乗るルートを通らないといけないのだ。
結局主要スポットはどこも見れませんでしたでは千佳ちゃんもつまらないだろう。
この山だけは何としても制覇しなければ。
産毛をつかみ、斜面を押さえ、四つん這いになって進もうとする。
ぺとー
手足が滑ってなかなかうまく進めない。
しかしせいぜい数m、根性でいけるはずだ。
ところで、こうして斜面を間近で見てみると、この地面は面白い構造になっていることに気付く。
この地面は、2cmくらいの、概ね六角形型をした小さなシール状のものが無数にぺたぺたと貼り付けられて構成されているのであった。
シールらしく剥がれかけている部分も多く、その下からはさらに別のシールが覗く。
地下までこのシール構造は続いているようだった。
このシールは何だろうと思ったが……ここが巨人の肌の上であるということを考えると、一つの可能性が思い浮かんだ。
角質細胞だ。
皮膚は無数の細胞で構成されており、その一番表面には、活動を停止した細胞である角質細胞がある。
この角質細胞が剥がれたものが垢になるわけである。
……ということは、僕は巨人の細胞を肉眼で見れるくらい小さいというわけだ。
やはり、千佳ちゃんはものすごく大きい。
斜面を間近で見ると、もう一つ気になるものがあった。
そこかしこで1mmくらいの小さな球体が何十個も群れて蠢いているのだった。
こちらは何なのかすぐには分からない。
鼻筋まではもう少しだし、今はとりあえず無視しておこう。
息をつく。
ようやく鼻筋に登れた。
辺りには産毛と、でこぼこした地面と、頬よりもなお分泌量が多くなった皮脂がある。
風の音は強く、山頂まではまだまだきつい傾斜が続いている。
よし、頑張って登ろう。
そのとき、手にピリピリとした感覚があることに気付いた。
手を見ると、斜面に触れていた部分が少し赤くなっている気がした。
これは何だろう。
そういえば、肌は雑菌を殺すために弱酸性に保たれているということを聞いたことがある。
肌が弱酸性になるのは、表皮ブドウ球菌という善玉の細菌が皮脂を分解して脂肪酸と呼ばれる酸を作るからだ。
ということはつまり。
あの1mmほどの球体は巨大な表皮ブドウ球菌で。
僕は雑菌扱いされて、脂肪酸に溶かされかけていたのだった。
……できるだけ生身で皮脂に触れるのはやめておこう。
産毛に体重を支えてもらいながら慎重に鼻筋を登る。
地面が不安定なので転げ落ちかねず、慎重にならざるを得ない。
風の音はますます強くなっていき、終点が近いことを予感させる。
傾斜が緩やかになると、山の下を一望できる風景が広がった。
肌色の大地に走る薄紅色のクレバス。
遥か向こうには紺色の高原が広がる。
高さ25mとはいえ、僕は一つの山を制覇したのだ。
感慨深いのは、彼女の呼吸の音をこの世で最も近くで聞ける場所に辿り着けたからだろうか。
ズゴオォォォォォォォォオ……!!!
ズゴオォォォォォォォォォオウ!!!
もっと彼女の生を実感したくて。
耳栓を外してみる。
ズゴオォォォォォォォォォォォォオオオ!!!!!
ズゴオォォォォォォォォォォォォォオウ!!!!!
この大地が生きていて、激しく活動していることを感じる。
大きな大きな巨人の雄大さと、ちっぽけな僕の矮小さを感じる。
そして、こんなに大きな体の持ち主は、大倉千佳という一人のかわいらしい女の子で。
好奇心が強くて周りを振り回してしまうことがあるけど人一倍心優しいところがある女の子で。
ああ、神様はどうして僕と千佳ちゃんとの間にこんな大きさの差を設けたのだろうか?
ぐらり。
地面が揺れ、とっさに産毛をつかむ。
上空を見ると、今までに見たことのないくらい巨大な腕時計が、大きな大きな左腕に巻き付いて浮かんでいた。
『あと15分くらいだよ。
今、一くんがどこにいるかは全然わかんないけど、遅れないようにね。
……これ、結構暇だし、首も動かせないのはきついね』
ズゴオォォォォォォォォォォォォオオオ!!!!!
ズゴオォォォォォォォォォォォォォオウ!!!!!
産毛をつかんでいなかったら、今頃崖の下だったかもしれない。
ひとたび崖の下に落ちれば、塵ほどの大きさしかない僕など、千佳ちゃんの生命活動に巻き込まれて一瞬で消し飛んでいただろう。
言うなれば、僕にとってここはこの世とあの世の境界で、崖の下はあの世だ。
僕は、千佳ちゃんが待っているこの世に戻らなければならない。
……帰ろう。
------
それから、耳栓を付け直し、千佳ちゃんの鼻を下山して、しばらく待ってから爪に乗せてもらい、耳まで帰ってきた。
結局鼻以外の場所にはほぼ行っていないので、時間は割と余った。
途中、顔ダニにもまた何回か遭遇したが、あの不気味さにはなかなか慣れない。
『……で、どうだった?』
あったことを逐一報告する。
顔ダニと表皮ブドウ球菌のことは話すか迷ったが、隠した方が後で気付いたときのショックが大きいだろうから、この場で話しておくことにした。
『うわっ、そんな生き物が私の顔に棲んでたなんて結構ショック』
「どんな人間にもいるんだから気にすることはないよー!」
『いや、ええと、一くんにそんな気持ち悪いのを見せちゃったんだって思うと……。
幻滅した? よね?』
「いいや、幻滅なんてしてないよー!
千佳ちゃんのことは今でもずっと好きだよー!」
『……あ、う、ん、ありがと』
やっぱり、叫んでいると普段言えないことも言えてしまう。
言った後で恥ずかしくなってしまう。
『……はあ、それにしてもすごいんだね、私の体って。
今の話、謎の惑星に不時着した少年の一大冒険記! って感じだったよ。
でも、私から見た私の体は、何の変哲もない普通の人間の体でしかないんだよね。
そう思うと、私と一くんって、ほんと、大きさが全然違うんだなあって』
そうなのだ。
お互いの見える世界を全く変えてしまうのが、このサイズ差という壁だ。
最初はこんな壁乗り越えてやると息巻いていたが、文字通りのその壁の大きさに最近は圧され気味だ。
『これだけ大きさが違うと、その……あれやこれやも、するとしたら大変だよね。
いや、ごめん、今の忘れて』
何の話だろうか。
周囲の気温がまた上がっている気がする。
『……うん。ねえ、聞きたいんだけど。
一くんはどうして私のことを好きでいてくれているのかな?
一くんから見た私ってただの風景みたいなんでしょ?
風景に恋する人なんて……いるかもしれないけどきっとすごく少ないだろうし、そもそもそれって本当の恋愛感情なのかなって。
こびとさんはこびとさんに恋をして、にん……巨人は巨人に恋をする、それが普通だと思わない?』
千佳ちゃんが急に、どこか感傷的な問いを発した。
僕は、自分の考えを答える。
「それが普通かもしれないけどー! みんながみんなそうである必要は無いと思うよー!
こびとから巨人への恋愛感情だってー! あってもいいはずだよー!」
『うん、そうだよね……。
……なんでこんなことを聞いたかっていうとね、私、一くんに普通じゃない感情を抱いてるみたいなんだ。
いつも私のわがままに付き合ってくれて。
私のことを好きだって言ってくれて。
それはすごく、嬉しくて……気付いたら、一くんのことを思うと何か心がざわつくようになってたんだけど……。
でも、私が一くんに対して持ってるこの感情が恋愛感情なのか……私にはよくわからないんだ。
だって、一くんは目を近付けないと見えないくらい小さいし、そんな存在に対して成立する恋愛感情なんてあるのかなって。
これがもし、愛玩の感情だとしたら、真剣に私のことを思ってくれてる一くんに失礼だよねって、悩んでたんだ』
千佳ちゃんがそんなことで悩んでいたとは。
だが、僕は僕の考えを伝えるだけだ。
「千佳ちゃんがー! 恋愛感情だと思えばー! それはー! 恋愛感情だと思うよー!」
『私がそう思えば……そっか。
私、一くんのことが好きなのかな?』
千佳ちゃんが、千佳ちゃん自身に問う。
その答えは……。
『一くんといっぱいおしゃべりしたい。
一くんと一緒にいろんな所を探検したい。
一くんと一緒にいろんなことで驚きたい。
うん、私は私が恋してるって信じるよ』
結論は出たようだった。
『ねえ、あれ、一緒に言い合おうよ。
まだちょっと、一人で言うのが恥ずかしいから』
「うん、わかったー!」
『じゃあいくよ。私はね、一くん、君のことが……』
「僕はー! 千佳ちゃーん! 君のことがー!」
『「っせーの、好きです!」』
『「……ふふっ!」』
僕たちはここで初めて両想いになれた。