ある日を堺にあたしは一人じゃなくなった。
 あたしが意識を取り戻した時は、どうやってここへ来たのか全くわからなかった。前も後ろも右も左も真っ暗闇。
あたしはどこへ向かえばいいのだろう。自分がナニモノだったのか、記憶の糸を辿る。思い出したくもない
あの記憶、果たしてその記憶は本当のものだったのか。
 あの時、誰もあたしの事に気づかず沈んでいったのに。

 どうして私は生まれたのか。
 
 何故なのか?
 わからない。

 どうしてこうして再びこの世に戻ってきたのか、あたしはわからない。戻ってきてもあの頃の仲間はもういない。
また一人、孤独の中で生きて行かなければならないのか。あたしにはわからなかった。

 真っ暗闇の中に来て数日が経った。不思議と時間だけはわかった。暗闇の中でも今が朝、昼、そして夜と感じ
られるのはちゃんと生きているからなんだなと思った。思ったけど、誰もいない孤独の中ではそんなものに価値は
ない。

 誰でもいい、誰か助けて。

 気づけば私は真っ暗闇の孤独の中で助けを求め、何日も何日も祈り続けた。
 それからさらに数日が経った。そして諦めた。どうせあたしを助けに来るなんてないんだと思った時だった。
 
 ピシッ! っと。真っ暗闇の世界に真っ白の白線が亀裂の様に現れ、その亀裂が無数に広がり、真っ暗闇の世界に
無数の細長い線が何重にも束になって、バリーン! っと割れた。
 
 暗闇から溢れ出す光に、あたしは目を晦ました。外の光があまりにも強すぎて、目を開けられなかった。でも、
確かに感じる外の世界。体に吹き当たる懐かしい、潮風。ザザーッ、ザザーッと聞こえる波の音に遠くで鳴いている
海鳥の鳴き声。

 嗚呼、あたしはまたこの海に帰ってきたんだ。

 *

「うぅ…ん」
 意識を取り戻すと、あたしは仰向けにして眠っていたみたい。ふかふかのベッドに身を預け、誰かがあたしの手を
握っている。優しくて、温かい。海風姉、かわ・・・かぜ? が握ってくれているの?
 ・・・でも、皮膚が硬い感じがする。
「海風姉?」と自信なさげに手を握っている方に視界を向けると、知らない男性が椅子に座って付き添ってくれて
いた。
 だれ? と、すぐに手を振り払おうと思ったけど、この男性はあたしの手を両手で大事に握ってくれていた。
でも、不思議でそれがすごく心地よくて安心できる。寝てるけど。
 服装からして、おそらくここはどこかの鎮守府。そして、この男性はこの鎮守府の提督なのであろう。すると、
どうやらあたしはまた戦地へと連れ戻されたのかもしれない。
 また、誰かが沈んだりするのかな。
 また、私が沈む時は誰からも気が付かれずに沈んでいくのかな。
 そんな事を考えてしまったら握られている手に力が入ってしまったのか、男性を起こしてしまった。
「んぅ~・・・」
 まだ寝ぼけているみたい。
「・・・だれ?」
「・・・! 失礼、眠っていたようだ。はじめまして、私がここの鎮守府の提督だ。君の名は?」
 やっぱりそうだった。
「助けてくれて、ありがとう・・・。あの、あたし、白露型駆逐艦八番艦、改白露型、山風」
「そうか。山風って言うんだね。これからよろしく頼むよ山風」
 そう言って、提督はあたしの手を優しくギュッと握ってくれた。
「や、やめてよ。そういうの・・・」
「あ、ごめん。痛かった?」
 そう言うと提督は急いで手を離して謝った。別に嫌じゃなかったけど。
「ち、違うの・・・。そうじゃないの。ちょっと・・・びっくりしただけなの・・・」
「それなら良かったよ。見たところまだ本調子じゃないみたいだね。また来るよ。今はゆっくり休んでね」
 提督は安堵した表情から優しくそう言うとその場から立ち上がって部屋を出ようとした。
「山風?」
「ちがうの・・・その・・・あの・・・」
「大丈夫、ゆっくり。落ち着いて」
「あの・・・その・・・もう少し、もう少しだけ手を握って貰えると・・・嬉しい」
 一度拒んだのにあたしは何を言っているんだろうか。提督もきっとおかしい奴って思ったのに違いない。
「あぁ。お安い御用だ。優しく握ってるつもりだけど、痛かったら言ってね?」
「うん・・・ありがとう」
 提督の手、とっても温かい。なんか変な感じ。でも、今この時間は嫌いじゃない。
 ・・・まあ、いいか。

 *

 それからこの鎮守府に来て数日が経った。優しい提督のおかげでここでの生活は楽しいものになった。姉妹艦を
始めとするかつての仲間達が暖かくあたしを向かい受けてくれた。あたし達の存在、艦娘が何なのかを。久しぶりの
再開に嬉しかった。・・・江風はうるさかったけど。
 それもこれもあの提督のお陰と皆が口を揃えて言うからみんな提督の事を信頼している。とてもいい鎮守府にこれて
良かったと思う。

 そんなある日のことだ。
 この鎮守府に慣れてきたのが提督もわかったのか、あたしに初めて秘書艦を任命した。どんなことをするかというのは
提督とほぼ付ききっきり。出撃も演習、遠征もない。提督と二人っきりの時間を過ごせる。
 別に、提督の事を好き、意識しているわけではないけど、どこかドキドキする。嫌いって訳では訳は断じてない。
 大丈夫、いつもどおりに提督と接すればいい。大丈夫。

 深呼吸をし、執務室の扉にノックをする。そして、入る。
「・・・いる?」
 扉をそーっと開けて、執務室を覗き込む。提督は机にうつ伏せになっていた。寝ているの? あたしは扉を閉め、
提督のもとに近づく。すると提督も気づいた。
「山風か」
「来た・・・よ? 提督、大丈夫?」
 ぐったりと明らかに体調が悪そうにしている提督。そっと、提督の額に手を当てる。
「提督・・・凄い熱。本当に・・・大丈夫なの?」
「あぁ・・・大丈夫だ。それじゃ、今日一日よろしく頼む」
 ふらりと机から体を上げる提督。どうみても大丈夫じゃない。最近会議とかで忙しそうっていう話は聞いていたけど、
流石に無理をして体調を崩している。
「そんな・・・無理しないで。提督・・・だめぇ」
 椅子に座っていてもふらふら。誰かが支えていないとそのまま床に倒れてしまいそうな状態。何かの病気にでもかかってるん
じゃないかと胸が苦しく、鼻先も赤く、気づけばあたしは涙ぐんでいた。
「・・・わかった。山風、すまないが明石から風邪薬もらってきてくれないか?」
「・・・風邪? どこが悪いの? 熱だけじゃないでしょ。寒いの?」
「そうだな。たしかに寒気はするけど、節々が痛い訳じゃないから、きっと知恵熱が出過ぎたんだろ。たぶん、風邪の初期症状だ
 栄養ドリンクもあったらもらってきてくれ」
「・・・・」
「山風?」
「ほ、本当にそれで大丈夫なの? 本当にお医者さんに見てもらわなくても・・・大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
「嫌だからね! あたし・・・提督がいなくなったりしたら・・・嫌だから・・・あっ」
 あたしったら、いつの間にか泣いてた。だって、こんなに胸が苦しい、冷たいナイフが心臓を突き刺しているみたいに不安で
心配、どうしようもなくなるのに、あたしったら何をしてるの。
「山風は優しいな。でも、本当に大丈夫だから」
「本当に? 本当に大丈夫?」
「あぁ。なんなら俺に応急処理女神を持たせてくれても大丈夫だ」
 なんて冗談を抜かしているけど、普通の人間の命までも応急処理してくれる前例をあたしは知らない。もしかすると、明石さん、
夕張さんあたりは解るのかもしれないけど。でも、今は提督を信じよう。

 数分後、あたしは明石さんから頼まれた品を持って執務室に戻った。早速提督は薬を飲むと少し落ち着いたようで
「午前は休みにしよう」と冗談を言ってくれた。「布団・・・持ってこようか?」とあたしもさっきより顔色がよくなった提督に
言うと、「大淀に怒られるから勘弁してくれ」と言ってくれた。どうせ休みにするなら、しっかり休めばいいのに。
 でも、やはり横になりたかったようで提督は執務室に置いてあるソファに腰を下ろすとそのままごろんと体を倒した。その隣に
あたしも寄り添う。疲れも相当貯まっているようで、提督はすぐに寝息をたてて眠ってしまった。あたしは棚からタオルケットを
取り出し、提督にかけてあげた。その隣に座り、提督の書類を整理する。
 チラッチラッと次の書類に目を映す度にあたしは提督の姿を見る。すると、おもしろい事に提督は寝返りもうっているわけでも
ないのに体がどんどんタオルケットに飲み込まれていく様に潜っていく様子が面白かった。気づけば体を丸めずにすっぽり
タオルケットの中に収まっている。
「・・・収まっている?」
 何かが頭に刺さる。提督の方を見れば、提督はタオルケットの中にいる。あたしはタオルケットの先端をつまみゆっくり持ち上げ
て見る。
「うそ・・・」
 提督がいつの間にか定規ぐらいに小さくなっているではないか。タオルケットをどかし、提督をすくい取り、提督を起こす。
当然提督からすれば目の前に巨大なあたし・・・巨大な山風の姿を見れば驚くわけで状況判断するのに少し時間がかかった。

 そんなこんなしているとあっという間に午前は終了し、昼食の時刻になっていたけど、あたし達はそれどころじゃなかった。
「あの、提督・・・全然意味がわからないし」
「俺だってこんなの予想外だ。しかし、明石は午後から出張で鎮守府を出る。他の者に知られて大事にするのは避けたい。
 大淀に何言われるかわからないし」
「これから・・・どうするの?」
「うーーーん」
 提督も困り果てた様子。あたしは手のひらサイズにまで小さくなった提督を両手で持ち、指示を待つことしかできない。
「よし。山風」
「なに?」
「執務室の鍵を閉めて、場所を変えよう。これでは仕事にならん」
「移動・・・するの? かえって危なくなるんじゃないの?」
「執務室籠城は残念ながら不可能だ。誰かしら人が来るし」
「でも・・・あたし、今日秘書艦だし・・・秘書艦もいないのはマズイんじゃないの?」
「まぁ、そうなんだが・・・」
 困り果ててる提督。なんとか提督の力になってあげたい。そこであたしはとんでもないことを思いついてしまう。
「あっ! これならなんとかなる・・・かも」
「山風、何か閃いたのか?」
「うん・・・。あたしも“風邪貰った”事にすれば、あたしも部屋で休める。提督には自室で休んでると言えば・・・」
「有りだな。しかし、それを周りに知ったら一部過激派が黙ってないからな・・・。医者に行った事にするか。山風」
 あたしは無言で頷き、外出届の書類を記入する。提督の机の引き出しから判をとり、ポンと押せば完了。
「それじゃ、書類提出してくるけど、提督はどうする?机の引き出しの中に一旦隠れてる?」
「そんな冷たい事言わないでくれよ」
「ふふ、冗談。提督、体調の方は・・・大丈夫?」
「あぁ。おかげで元気だ。この縮小副作用さえなければ完璧だ。不思議と着ている服ごと小さくなったのは謎だが・・・」
「裸じゃ、また風邪・・・ひくよ?」
「なんだぁ? 山風は俺でお人形遊びでもしたいのか?」
「お人形・・・遊び。いいかも。江風のおもちゃ箱にたぶん、あるし。うん。ゴスロリ提督も・・・可愛いかも」
「悪い冗談よしてくれよぉ」
「それじゃ、提督・・・行くよ」
 なんだか不思議な気分だ。小さな提督を見ていると、少し、からかいたくなる。でも、執務室を出たらここからが本当の任務、
提督護衛任務の始まりなのだ。

 *

「・・・疲れた」
「・・・ご苦労様」
「うん。いいよ」
 なんとか無事自分の部屋までたどり着いた。書類提出までは良かったが、言い訳を言うのも少しもどかしかった。首の裏に
隠れていた提督の言葉がなかったら上手く乗り切れなかったと思うし、やはり提督はすごい人なんだなと。
 その後は、あたしも風邪をもらったみたいで自室で休むという流れだったんだけど、提督の姿が見えないと聞いてくる艦娘も。
秘書艦たるもの、最後まで面倒見てあげなきゃいけないんだけど移すと悪いという嘘の言い訳を言うのも大変、だった。
 ちゃんと提督の面倒見てるし・・・。
 後は部屋に戻るなり、ルームウェアに着替えて、ベッドに寝る。布団を拳1つ分ぐらい開けて、提督が下敷きにならない
スペースを確保する。
「これで一段落だな。ほんと、すまないな」
「ううん。平気・・・秘書艦だし、当然のことだし」
 しかし、気になることはある。提督はいつもとに戻れるんだろう。ずっとこのまま・・・って訳ないとは思うけど、やっぱり
心配。
「提督は・・・体、どこか痛くなったりない?」
「痛くは・・・ないな」
「本当に? 体の細胞が最後の抵抗とかして痛くなったりしてない?」
「それはわからないけど、今は大丈夫だよ。いざとなったら山風に助けてもらうからさ」
「あたしは・・・うん。その時は・・・がんばる」
 けど、流石に今日は疲れた。まだ日は沈んでないけど。・・・提督も疲れていたのか、いつの間にか眠ってしまっているみたい。
あたしも少し、休もう。間違えて寝返りを打って潰さないように両手で大事に包み込むようにして眠りについた。

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「おぉ~山風姉ったら大胆だね~」
 聞き慣れた声、江風の声に目を覚ます。が、江風の発言に一気に眠気が吹き飛ぶ。バレてしまった!?
「ちが、ちがうの江風話を・・・!」
 ベッドから体を起こして、江風に事情を説明しようとするも、体が動かない。何かに巻き込まれて・・・抱かれている。
 いつの間にか提督は元の姿に戻っていた。が、あたしを抱き枕の様に抱いて未だに眠っている。
「おーい山風姉が提督と夜戦してるでぇー」
 っといつの間にか江風は廊下で大声を出して皆に言いふらしている。
「江風! あなた・・・!!」
 『声が大きい』と言おうとしたけど、辞めた。間違いなく大変なことになるけど、今はこの大切な時間を独り占めできるのなら
ずっとこのままでもいいのかと思った。
「提督、皆が来たらきっと大変なことになりますよ」
 ふふっとこれから提督にくる予想できる受難に思わず笑っちゃう。可哀想だけど、仕方ないよね。

 あたしの大好きな、提督。口では決していないけど、ここに来てから孤独を全く感じなかったのは提督を初めとする、海風姉や
江風がいてくれたお陰ももちろんあるけど。
「「「提督ーーー!!」」」
 と、耳をすませばドタドタと聞こえる大勢の足音が迫り来ている。私はもう、ひとりじゃない。提督がいて、鎮守府の大切な
仲間達がいてくれている。ずっと孤独だった私にこんな幸せな事はない。

 ありがとう提督。