かつて、人が巨人と争った時代があった。
力の限りに暴れ回る巨人。人は竜や獣人と同盟を結んで迎え撃つ。
幾つもの戦いが繰り広げられ、幾つもの文明が滅ぼされた。
辛うじて生き残った人の大王は、巨人の女王と停戦の誓いを交わす。
その名を『人巨盟約』という。

1つ目の盟約。人と巨人は、基本的に住処(すみか)を巡って争わない。
2つ目の盟約。巨人がどれほど暴れても、人は逆ってはならない。
3つ目の盟約。例外として、巨人と争いたい人は、代理人として別の巨人を立てるべし。

巨人たちは盟約の内容に満足し、人里から引き上げていったと伝えられている。

それから数百年、巨人は一度たりとも人の前に姿を現さなかった。
その間に、幾つもの人の国が生まれ、拡がり、戦い、滅んでいった。
巨人の存在は、長い時を経て、半ば伝説と化していった。
そう、新興のダイナモア帝国が『巨人部隊』を創るまでは。

ここはシンノウ王国。
四方を山に囲まれ、農業と鉱業で生計を立てる小国である。
人と、異種族の獣人たちとが暮らす多民族国家でもあり、主に4つの地方に分かれている。
その真ん中に、山道を塞いだ交易で栄える商都ショボンがあった。
ショボンは、王国への納税を10年間も滞らせている。
国王はそれが許せず、懐刀の宰相アル=ヒコを交渉に向かわせていた。
長年の対立を解消すべく、地元商会の迎賓館で会談に備える人族出身の宰相。
「ショボンの財はロングフィールドを上回る。それは事実だが、税が滞っていてはな」
重々しく呟くアル=ヒコ。
と、そこに荒々しく伝令の戦士が駆け込んできた。半人半馬のケンタウロスである。
「ヒヒン、大変です宰相閣下! ダイナモア帝国の軍勢が、国境を越え始めました!」
「何だと!?」
時に王国歴210年、秋。帝国軍は、シンノウへ侵攻した。
王都から駆けて来たであろう伝令の戦士は続ける。
「オサダ忍群からの報告では、ハイデン峡谷に1日で鉄道が通されたとのことです!」
「我らが橋一つ築くのに5年かかった、あの谷にか! それにしても、誰が鉄道を?」
「それが・・・・・・身の丈が小山ほどもある巨人たちが、山野を均し、鉄路を敷いていたと」
「噂に聞く巨人部隊だな」
「このままでは、帝国の大軍が鉄道に乗ってやって来ます! 国王から緊急招集が」
「分かった。すぐに王都ロングフィールドへ戻る」
ケンタウロス戦士はアル=ヒコに一礼すると、次なる伝令先に向かい跳び出していった。
その緊迫したやり取りを、傍で聞いていた青年がいた。
アル=ヒコの長男、テル=ヒコである。
「父上、大変なことになりましたね。商都の人々に軍事要請をしてみては?」
「お前は黙っていろ、テル。政務もせず本ばかり集めている散財家の出る幕ではない」
アル=ヒコは頼りにならない放蕩息子に冷徹な言葉を浴びせた。
「大体、お前を商都の大学に通わせたのは失敗だった。商都の連中とは距離を置け」
「この期に及んで、またその話を・・・・・・。私は、私なりに動かせて頂きますから!」
テルは怒って、迎賓館を出て行った。

「父上はいつもそうだ! 私と大学を馬鹿にして!」
興奮したテルの足は、書店に向いていた。
雑誌。魔術書。戦記。伝記。詩文。古文書。春画。
山国とは思えぬ品揃えの店が、商都ショボンには溢れていた。
テルは6年に渡る大学生活でそれに魅了されており、次々に書店を渡り歩いていく。
「『未然に防ごう父子の確執』、『商都の錬金術師』、『美獣乱舞 秋号』」
自然、目に付いた本も買ってしまう、というわけだ。
「『兵法に見る危機対応術』に、『ハイランド巨人族の伝説』か。これは役立ちそうだな」
書名を見て値札を見ないのは、彼の悪い癖である。
気が付けば、冊数は10冊。
彼が父から与えられている1ヶ月分の給料を上回る額になっていた。
「ううっ、重いなぁ。ご店主、本代をツケにしてもらえませんか?」
おずおずと尋ねるテルに、
「そのお言葉は先々月にも聞きましたよ、坊ちゃん。困るんですよね、未払いは」
嫌味たっぷりに応じる店主。
「王国への税だって未払いじゃないですか。貴店の帳簿は調べましたよ?」
テルが詰め寄ると、店主は「はいはい、王国万歳」と不満げに言い、本を紙袋に包んだ。
本の入った紙袋を幾つも馬車に詰め込むテル。
馬は「またか」と言わんばかりの疲れた眼をしたが、テルの鞭を受けて渋々走り出す。
ショボンの街は、まだ平和だった。

その後も書店巡りを続けたテル。気が付けば、夜になってしまった。
迎賓館に戻って来た彼を大声で手厳しく迎えたのは、弟のアツ=ヒコであった。
「こんの馬鹿兄貴! 夜遅くまで本と戯れて、さぞやご満悦だろうな!」
「わ、悪いなアツ。父上はどうした?」
「王国鉄道の特別急行で王都に向かわれた! 緊急招集だそうだ」
アツは兄と違って文武に秀でた逸材で、王国軍第6騎士団の騎士を務めている。
父アルにも頼りにされ、周囲の人々は愚兄賢弟の見本だと称えていた。
「父上の命でここにいたが、俺もそろそろ王城に昇るからな! 長男の務めを果たせ!」
アツはそう言うと、騎馬に跨り、松明で彩られた夜の街角に消えていった。
「ふん、長男か」
自嘲気味に呟くテル。彼は幼少期からいつも、優秀な弟と比べられて生きてきた。
「長男の務めなんぞ、ここにいて、父の代役をするぐらいじゃないか。ふん!」
テルは迎賓館の中に設けられた書斎へ、紙袋の一部を運び込んだ。
そして、おもむろに紙袋を空け、本を読み始める。
「まずは『ハイランド巨人族の伝説』からにしよう。巨人について知っておかないと」
テルは本のページをめくった。それは、古文書の写本だった。

遥かなる昔、ハイランドに巨人の娘がやって来た。
ハイランドは巨大な湖で、一匹の水竜によって治められていた。
「わあ、なんて広いプール。私、長旅で汗だくだから、一泳ぎしようかしら」
巨人の娘はそう言うと、衣を脱ぎ捨てて湖に飛び込んだ。
余りにも激しい水飛沫が巻き起こり、山から水が溢れ出す。
驚いた水竜は、山より長い蛇と化して、巨人の娘に噛み付いた。
「きゃは、蛇もいるんだ。可愛いわね♪」
巨人の娘は笑顔のまま水竜を弄び、肢体に巻きつかせ、仕舞いには殴り殺した。
そして。
「蛇、死んじゃったぁ。水の量が多過ぎるせいかしら。ちょっと水抜きが必要ね」
娘の巨大な拳によって8つの山が砕かれ、水が轟々と流れ出した。
こうして、シンノウを初めとする4つの平原が出来上がったのである。

「・・・・・・古文書にしては妙に表現が現代的だな。意訳が入っているのか?」
テルはいったん本を閉じた。そして、表紙を見て苦笑する。
著者名、孔雀=ディスペル=風牙。
大学まで出ているテルには、そのネーミングが余りに稚拙に感じられた。
だが。
ガタガタガタ。ドズン!
書斎の扉が、突如として開かれた。否、正しくは強引に蹴倒された。
次の瞬間、ローブに身を包んだ長身の人影が、どすんと書斎に乗り込んで来た。
盗賊か? だとすれば、テルの命は風前の灯だ。
義賊や怪盗でもない限り、盗みに入った先の住人を殺さないという保証は全くない。
なけなしの勇気を振り絞り、大声を出す。衛兵たちの耳にさえ届けば・・・・・・。
「な、何者だ! この迎賓館には誰が逗留しているのか、知ってのことか!」
「知っている。アル=ヒコの息子、テル=ヒコだな。貴様に聞きたいことがある」
そう言われて、テルは焦った。
こちらの素性を知っているならば、父の政敵が放った暗殺者という可能性が高い。
「ち、父ならいないぞ! 弟もだ!」
まずは事実を話して様子を窺い、未整理の本の山の中から魔術書を探す。
「(氷、雷、眠りの魔術書、出て来てくれ! でも炎だけは勘弁な! 本が燃える!)」
「貴様ら親子にも用はない。あの本はどこにある?」
「・・・・・・あの本?」
テルの中にある、好奇心の回路が動き出す。
「な、何の本だ? ここには、古今東西の様々な本が集められているぞ」
「それは・・・・・・その、秘伝書だ」
賊は何故か言いよどんだ。
秘伝書。読めば特定の能力が身に付く類の、奥義が記された本のことである。
そんな貴重な本は、テルも数冊しか所持していない。
テルは魔術書にこっそり手を伸ばしながら、賊を凝視して話を続ける。
「お前が欲しいのは、身長が伸びて小男と馬鹿にされなくなる『総帥の書』か?」
「違う。我は見ての通り、小男ではない」
「では、書いた人族を即死させると伝えられる『死神の書』か?」
「違う。我は死神の存在など恐れない」
「では、まさか・・・・・・禁断の魅了魔術が記された、女性にモテまくる『魔中の書』?」
「そんなムフフな本ではない! 我は女だ!」
そう言うなり、賊はローブを脱ぎ捨てた。
深い緑色の髪に、刺す様な碧い瞳。突き出た胸、くびれた腰、そしてまた大きな尻。
スタイル抜群の大女である。思わず、見惚れてしまった。
彼女は髪を揺らしながらつかつかと歩み寄り、テルの身体を軽々と抱え上げた。
「うお!? はっ、放せ! 放さないと」
「お前の手の中の魔術書を使う、か?」
テルの手に握られているのは、何の因果か『炎』の魔術書。
「うう・・・・・・(この魔術書だけは使いたくなかった!)」
魔術師が使う専門書だが、素人が棒読みしても精霊が暴走し、火災を起こせる。
放火に使われることから表向きは禁書に指定されているが、軍隊には必須の書である。
彼はそれを、父のコネで密かに手に入れていた。
「こうなれば一か八かだ! 炎の精霊よ、定めの声を聞き届け、高らかに舞え!」
序章の起動呪文を唱えるテル。
だが、賊の大女は静かに告げた。
「炎の精霊よ、巨人族のメイデンが命ずる。定めの声に惑わされず、虚空に散れ」
対抗呪文。一旦発動した呪文をより高位の呪文で止める、上級魔術だ。
相手には魔術師としての心得もあるらしい。テルの生存確率は絶望的となった。
「これで分かったか? 貴様にはいよいよ勝ち目がない。とっとと秘伝書を出せ」
「・・・・・・今、巨人族のメイデンと」
「そんなことはどうでもいい。秘伝書を出さねば、貴様の胴を真っ二つに裂く」
ゆさゆさとテルの身体を振る大女。彼女の剛腕ならば、本当にやりかねない。
「分かった、分かったから、下ろしてくれ! 本が探せないだろう?」
「む、そうだな。許せ」
王族の様な物言いで、大女はすとんとテルの身体を書斎の床に下ろした。
テルは慌てて、本を探し始めた。確か、逃げ足を速くする本がどこかにあった筈である。
彼女はそんなテルを見限り、勝手にガサゴソと紙袋を空け始める。
出て来たのは『美獣乱舞 秋号』。
季刊の獣人専門エロ本で、狼娘と猫娘が裸で絡み合っている。
「こっ、これは!? な、なんとイヤラシイ」
「(エロには抵抗がないみたいだな・・・・・・)」
「こんな性表現があるとは。やはり獣人族の匠は未来に生きているな」
「(なんか感動してる!)」
大女は『美獣乱舞 秋号』を紙袋の中へ丁寧に丁寧に戻した。
テルには、エロ本を前にした彼女の清々しい振る舞いがとても恥ずかしかった。
彼女は思わぬことを口にする。
「さて、と。他にも同類の書はないか?」
「え? ・・・・・・さっき秘伝書がどうとか言ってなかったっけ」
「あ。そうそうそう、秘伝書だ。孔雀=ディスペル=風牙が書いた、古文書の写し!」
「あれ、秘伝書なの?」
「書いた作家本人が秘伝書だと言っているだろうが! とにかく、寄こせ!」
書いた、作家本人?
もしかして、孔雀=ディスペル=風牙という恥ずかしいペンネームは、彼女の・・・・・・。
「なっ、何だその眼は? 厨二病乙とか思っているんだろう!」
わけの分からないことを言いながら、頬を赤らめる大女。
テルは興味なさそうに振る舞うことにした。
「別に、何も。あの本なら、ソファーの下に隠してある」
嘘である。だが、彼女は信じた。
「ソファーの下? よぉし!」
書斎の奥、本の積み上がったソファーを、持ち前の怪力でどっさりと捲り上げる大女。
その下からは・・・・・・おびただしい量のエロ本が見付かった。
「ほほう、これは素晴らしい春画の数々。っておい、秘伝書がどこにもないぞ!?」
大女はテルを咎めたが、彼は既に書斎の出入口から猛然と逃げ出していた。
「おのれ、騙したな! 待てーッ!」
「賊に待てと言われる筋合いはない!」
テルは妙に気の利いた台詞を吐きながら、大女から逃げる。
足の速さに自信は全くない。駆けっこで弟に勝てたことが一度もないテルである。
だからこそ、情けないくらいかすれた声を上げて走り回るしかない。
「誰かいないか? 衛兵! メイドでもいい! 侵入者だぞー!?」
しかし、反応はなかった。
衛兵の休憩部屋に転がり込んだテルは絶望する。
衛兵たちは床に倒れ、ウンウンとうなっていた。
恐らく、彼女に倒されたのだろう。
部屋にある銀製の槍は、全て折られていた。
テルは顔をしかめ、馬車に向かって駆け出した。
邸内の従者たちに死人が出ていないことを祈りながら。
どす、どす、どす。大女の足音が続く。

馬車に乗り込み、手綱を握るテル。
馬は驚いた様子だったが、テルがお構い無しに鞭を振るったので、急いで駆け出した。
だが、しかし。
「逃がさんよ」
大女が前に立ち塞がり、その巨体で馬を抱き上げた。それも、ひょいっと。
軍馬並に鍛えられたテルの愛馬の突進を止めるとは、並みの力ではない。
「(くそっ、ここまでされたら逃げられない!)」
「さあ、秘伝書をよこせ。秘伝書が手に入れば、我はとっとと帰る」
「(聞くな、悪魔の誘惑だ!)」
「聞き分けのない奴だな。秘伝書さえ渡せば、我は帰ると言っているのだ」
「・・・・・・」
テルにとって、これは思いがけないチャンスだった。相手は帰ると言っている。
だが、テルにはどうしても不可解なことがあった。
彼の手には、彼女が秘伝書と呼ぶ『ハイランド巨人族の伝説』がある。
馬を止める程の力を持ちながら、何故、テルを殴ってでも本を奪い去らないのか?
その答えは、彼の目の前にあった。
抱えた馬を、慣れない手付きで撫でて無理やり落ち着かせる大女。
彼女は多分、優しいのだ。それも底抜けに。
テルにはその気持ちがよく分かった。
自分が、そうであるから。自分が唯一誇れる長所が、無償の優しさだから。
「一つ、教えてくれ。この本に、君は何を求める?」
「何を唐突に。作者が直したい箇所がある。ただそれだけだ」
テルはそれを聞いて顔を綻ばせ、本を差し出した。
大女は、本を受け取った。そして、地響きを立てて去っていく。
テルは我が目を疑った。
彼女の後姿がみるみる大きくなり、伝説に残る巨人の姿を取ったからだ。
小山ほどもある肢体が躍動し、夜の闇に消えていく。
彼女が歩く先には、ショボンの西、ハイランドと呼ばれる聖域が広がっていた。

それは、テルが帝国を倒す巨人集めの為にハイランドへと旅立つ3日前の出来事。