借金があった。母親がオカルトに狂ってくだらないガラクタを買い漁ったツケを、全部俺に押し付け消えたからだ。父親はいない。そんな母に愛想を尽かして、俺を見捨てて出て行った。
 だが偽物だらけのゴミ同然のガラクタの山の中に、ひとつだけ本物があった。体を小さくする薬、縮小薬だ。
 高校に行けるはずもなく、中学を卒業してからバイトで食いつないでいた俺にとって、金を稼いでも借金の返済に消えてしまう俺にとって、倫理観を捨てさせるほどの代物だった。この薬さえあれば盗みに入ってもバレやしない、そんなことを思う程度には追い詰められていたのだ。
 我がボロアパートからそれなりに歩いて行くと、高級住宅街にたどり着く。怪しまれないためにいつも来ているよれよれの服ではなく、中学の時に着ていた制服で向かう。卒業から二年も経っているため少しサイズがきついが、栄養失調ぎみの俺の体は痩せ細っているため、不自然さが出ない程度ではあった。
 朝から登校中の学生のフリをしてどの家に入るか観察する。と、ある豪邸から二人の男女が家から出てきた。顔を見るに三十代後半くらいのようで、二人ともスーツを着ていた。
 しめたと思った。どうやら共働きのようだ。これならば縮小状態で盗みに入れば、痕跡を残さずに物色することが出来る。夕方までならば、小さい体でも容易に金目のものを見つけることが出来るだろう。夫婦が見えなくなるまで見送ったあと、俺はその豪邸の侵入経路を探すことにした。
 家の前で縮小薬を飲む。数回分はあるそれと、解毒用の小指の爪ほどの瓶をしっかりと握りしめる。小さくなった後にこれが無ければ、俺は虫と同じ大きさのまま戻れない。
 少しすれば目眩で立ちくらみを起こす。小さくなる兆候だ。今のうちに縮小薬の瓶を庭の草むらに隠しておく。縮小薬はどういうわけか服も一緒に縮むが、この瓶は小さくならない。落として割れてしまってはもったいない。
 そうこうしているうちに、すごい勢いで目線が下がっていく、ずっと小さい頃一度だけ乗ったジェットコースターのような感覚に酔いながら、気づけば5センチほどの身長になっていた。
 まるで庭の草むらが、南米かどこかのジャングルのようだ。こんなところでぼーっと突っ立っていて、虫に襲われたら堪らない。人間サイズの時に見つけていた通気ダクトから侵入する。
今の大きさではダクトはまるで洞窟のようで、なまぬるい風が吹いていた。でかい家なだけあってダクトも相応にでかいらしい。簡単に入ることが出来た。
 俺が盗みに入った家は、ボロアパートに住んでいた俺からすれば、絵本に出てくる白亜の城のようだった。ぴかぴかのフローリングに、高そうな家具、これならば通帳や金くらいタンスに入っているだろう。ワクワクしながら廊下を進めば、後ろからギシリと床を重いものが踏んだ音がした。

 嫌な予感どころではなかった。恐る恐る後ろを振り向けば、興味津々といったふうに俺のことを見つめている、小学生くらいの童女が立っていた。目を輝かせているその少女は、髪をツインテールにしている元気そうな子供だった。今は平日で、もう10時は過ぎているはずだ。なぜ子供が、見つかってしまった、今の俺の大きさではこんなに小さな女の子ですら勝てやしない、そんな思考が嵐のように俺の頭を駆け回った。それほどまでに目の前にいる少女は巨大で、怖かった。怖かったのだ、可愛らしい、活発そうなただの少女が、首が痛くなるほどに見上げなければ、顔すら見えないほどの大きさで、それは今の自分の小ささを思い知らせるには充分すぎるほどだった。真っ白なタイツに包まれたその足が、一歩踏み出すだけで、俺は惨めに、虫のように死んでしまうのだ。
 驚きと、恐怖による硬直が解け、もはや盗みのことも忘れポケットの中の解毒薬に手を伸ばした。だが、それは失敗だった。

「わーっ!なにこれー!動いてたよね!人形じゃないよね!うわー!すごーい!お姉ちゃーん!」

 顔だけ残して掴まれた。捕まった。首から下は手でがっしり拘束されている。興奮した様子の少女の声は、鼓膜が破れそうなほどの爆音で、腕ごと掴まれているため耳を塞ぐことすら出来ない。それより何より最悪なのは、手に持っていた解毒薬を、思い切り横から掻っ攫われた衝撃で、落としてしまったことだ。少女の胸の高さは、ガラス製の瓶を割るには容易すぎるほどの高さだった。何せビルほどの高さもある少女だ。小さな俺より遥かに小さな瓶は、床に落ちて割れたことにすら少女は気付かない。泣きそうだった。もう俺の体は人間には戻れない。このまま虫のままだ。だけど俺の今までの生活なんて、虫と変わらなかったかもなと逃避気味に自嘲する。

「見て!お姉ちゃん!これ、すごくない!?」

「どうしたの真白ちゃん、そんな興奮して…え、なに、これ」

 これ呼ばわりされて、この子の姉という少女に向かって突き出される。活発そうな妹と違って姉はお淑やかそうな女の子だった。落ち着いた雰囲気のその子は、驚いた表情をして俺を見ている。

「廊下に落ちてたの!ねえ、小人って私初めて見た!絵本だけじゃなかったんだね!」

「いや、そんなわけ…こ、小人さん?あなたの着ている服って、うちの近所の中学のですよね?なんでそんな小さく、というかありえるの…?しゃ、喋ることは出来ます?」

 少し考えた後、決心して俺は嘘八丁を並べることにした。今馬鹿正直に、自分から小さくなって、窃盗未遂だということを話せば、何をされるか分からないからだ。罪悪感などはかけらも無く、子供に見つかったのは、騙しやすくてラッキーだったと思ったくらいだ。

「実は…学校に行く途中に急にこんな体になってたんだ。どうしたらいいか分からなくて、とりあえず近くの家に助けを求めて入らせて貰ったんだよ、物音がしたから誰か居ると思ってさ」

「かわいそう!ねえお姉ちゃん、ここで飼ってあげようよ!飼ってたハムスター死んじゃったし、寂しかったの!」

「………」

こんな子供に、ハムスター扱いペット扱いで飼われるというのは、だいぶ俺のプライドを刺激したが、これからの心配が無くなったというのはでかい。おそらく今までの俺の生活よりは、金持ちの家のペットの方がマシだろう、そう思った。
 …ただ、姉の方の怪訝そうな顔が、少し気になった。

そこから先の生活は、まぁ概ね予想通りだった。ハムスター用のケージに入れられ、飯を与えられる。ハムスターより小さい俺にとっては、小さくなる前は簡単に持ち上げることのできたケージも大豪邸だ。少なくとも今まで住んでいたボロアパートのボロ布団なんかよりおがくずが敷き詰められ、毛布代わりに渡されたハンカチの方がよっぽど寝心地は良く、まともに食えていなかった頃よりもたくさん食えて、しかも美味い飯を貰っていた。
 この通り住環境に不満はない。ハムスターのケージに放り込まれて不満がないというのは少しアレだが、確かに快適に過ごせている。問題は、妹の方のスキンシップだ。

「ただいまー!元気してた?」

「うん、おかえり真白ちゃん」

 俺はおがくずに埋まっていた体をむくりと起こす。返事をしなければ怒られるからだ。叱られると言った方が正しいかもしれない。
 前に面倒くさくて無視をして寝たふりをした時には、むすっとした表情をしながらデコピンを食らった。たかが小学生のデコピンが、今の俺にとっては軽い交通事故だ。本当に、二度と変な気は起こすまいと、激痛にもだえながら誓ったものだ。

「えへへー、キミと遊ぶの楽しみにしてたんだー!」

「そ、そうなの?嬉しいな…」

 俺を床におろすと、楽しくて仕方ないのかぴょんぴょんとその場で跳ね始める。だが俺の目の前で起こっているそれはもはやぴょんぴょんなどという可愛らしい擬音で済ませられるものではなく、ビルの倒壊もかくやというほどの大衝撃が目の前で何度も何度も起こっているのだ。床が揺れるたびに俺の体はふわりと浮いて床に打ち付けられた。元気が良すぎてこちらの体がもたない。

「あのね!学校の男子はみんなイジワルなの!ヒトの物盗って隠したりするんだよ!でもキミは優しくてかわいいから好き!」

 盗むという単語にビクッとなってしまったが、そもそも未遂だしバレてはいない。バレたら何をされるか分からない。俺のことを好きだと言っている今でさえ、真白の遊びだけで体が壊れそうなほどなのだ。

「ほんとかわいいー!うちに来てくれてよかったなーっ!」

 急にがしりと捕まれ頬ずりをされる。とんでもない力でぷにぷにとした幼女特有の柔らかさのほっぺにむりむりと押し付けられ、全身が柔肉に包まれてしまう。
 本来なら嬉しいはずのそれは、サイズの違いからとんでもない馬鹿力になって俺を襲った。苦しくて、それなのに相手はただの子供で、しかも痛めつけようとしてではなく、ただペットにやるように頬ずりをしているだけなのだ。俺の心は、実際の苦しさと、小さくなったことによるギャップと屈辱に染まってしまった。


 妹の真白は、俺にこうして懐いてくるが、姉の方、名前を小夜というが、小夜は全くと言っていいほど俺に絡んでは来なかった。妹が俺と遊んでいる時も、横で静かに本を読んでいるか、なんとも言えないような目線をこちらに向けてくるだけだ。怪訝に思っていたが、真白のようなやつが二人に増えればそれこそ死の危険すらあるだろう。俺は姉の不干渉を、むしろ好都合だと思っていた。
 なぜ今まで、小夜が俺とあまり関わらなかったのかは、俺がこの家のペットになってから、ある程度日数が経った夜だった。

 真白は昼間元気な分、夜になればすぐに寝てしまう。ぐーぐーと寝息が聞こえる中ケージの中で寝転がっていれば、小夜がこちらにやってきた。

「あの、聞きたいことがあるんです」

 俺は怪訝な表情をしながら、何を聞きたいの?といつも通り猫をかぶって返答した。

「最初に言ってた…急に小さくなって、助けを求めに私の家に入り込んだって、嘘ですよね?」

 体が震えた。まさかバレていたとは、だからあんな、疑うような目つきを俺に向けていたのか。驚いたが本当のことを言うわけにはいかない。俺は誤魔化そうと嘘をついた。

「そ、そんなことないよ。急に小さくなって、もうどうしようかって…」

「あなたの制服の中学校は、絶対に私の家の前を通らないんです。ここはそもそも学区域外ですから。公立の中学校ですよね?」

「そ、それは……そう、学校に行く前にランニングして…ぎゃっ!」

 手を伸ばした小夜は、俺の腕を人差し指と親指でぐっとつまんだ。小学生女子の指は、今の俺の腕の何倍も太く、強かった。万力のごとく締め上げられ、悲鳴を上げて引っこ抜こうと腕を引っ張るも、そこまで力を入れてる様子もないのにびくともしない。あと少し力を入れればもう骨が折れてしまうというところでふっとつままれていた力が抜け、激痛からの解放と安堵感からへたりこんでしまう。

「わたし、嘘は嫌いなんです。あなたが本当のこと言わないなら、今から本当のこと言うまでもっと痛め続けます。嘘をつくのは悪い子ですから」

 もっと、という言葉が俺には怖くてたまらなかった。今の拷問じみた激痛でさえ小夜はほとんど力をこめていないのだ。もっと痛くするというのが本気というのと、それが容易であるという事実が、俺は怖くて涙を流しながら本当のことを話し始めた。

「ふーん、そうですか……小学生の女の子のペットだなんて、かわいそうかと思ったけれど…むしろ甘かったみたいですね」

 冷たい目が俺のことを突き刺してくる。超大上段から見下ろされ、蔑むような目線を向けられるのは、恐ろしくて仕方なかった。この子は、相手が悪いと分かったら容赦などしてくれないのだ。俺は自分のこれからに、軽く絶望しかけてしまう。

「真白ちゃんにも伝えますね、もうペットじゃありません。甘やかしてあげません。『反省』してもらいますから」

 そこから先は地獄だった。俺のことを不法侵入の犯罪者だと知ったロリ姉妹は、ありとあらゆる方法で俺を痛めつけ、反省を促した。

「お姉ちゃんに聞いたよ!嘘ついてたんだってね!優しくて良い人だって思ってたのに…!」

 ぎゅううと握りしめられ、息ができなくなってしまう。最初の頃にもこんなことがあったが、今はその比ではないほどの力だった。柔らかいはずの女の子の手は、俺には想像もつかないほどの力が込められ硬質なゴムのような硬さと弾力で俺を苛んだ。
 呼吸が続かなくなり、もう死ぬ、と思った時、パッと手は開かれ床に落ちる。目の前には白いタイツを履いた真白の怪物のような足が鎮座していた。

「お母さんが言ってたの。悪いことしたらお仕置きなんだって!」

 ずおおと目の前の車よりもでかい足が持ち上がり、俺の上へとセットされた。逃げ出そうにも腰が抜けてまともに立つことすら出来ない。小学生女子の足という超巨大な落下物を甘んじて受け入れるほかなかった。

「踏んであげる!苦しくてくさいかもしれないけど、ちゃんと反省しなきゃいけないからね!」

 タイツに包まれた足が俺のことをしっかりと巻き込みながら床へと接地した。さすがに体重をかければぷちりと虫のように潰れるということは分かっていたのか、死ぬほど痛くて苦しいが即死してしまうようなことはなかった。
 問題は足の臭いだった。ぐっぐっと足で押されるたびに、俺の体の中の空気は絞り出され、必死で息を吸うことになる。だが、吸う空気は全て真白の足の臭いに汚染されている空気だ。学校で履いていたのだろうそのタイツは、毎日のように走り回って遊ぶ真白の汗をたっぷりと吸い、普通のサイズであっても顔を顰めるほどの悪臭がこびりついていた。人間でも臭いと思うほどの真白の足の臭いは、小人の俺にとってはもうそれだけで涙が止まらなくなり、発狂しそうになるほどの臭いだった。必死に顔を背けても意味はなく、口で呼吸しようにも足肉が顔を塞ぎ鼻で息するほかなくなる。俺は真白が満足するまで、こんな地獄を味わい続けるしかなかった。

「うわー、ぼろぼろー、え?泣いてるの?ダメだよ!泣いたって許してあげないんだから!」

足を上げ俺のことを確認した少女は、小学生女子に虐められ無様にも泣きじゃくる俺に無慈悲にそう言った。

「じゃあ今度は私の足に登ってみて!」

 無理だと思った。今のサイズでは真白の足は急斜面どころではない。たかが指ですらそりたつ壁だ。だがそう言っても…

「は?口答えしちゃダメでしょ?ホントに悪い子だね!やらないならお仕置きだよ!じゅーう…」
 
 カウントダウンを始められ、もはや俺の進退は極まった。必死でしがみついてよじ登るが、あまりの臭いにまともに息が出来ない。だが呼吸もせずに登ることの出来るわけがなく、涙を流しながら少女の足の臭いを嗅いで、その臭いの元にへばりついた。

「くさいの?そうだろうね、でもそうじゃなきゃ反省にならないから。ほら!サボらないの!」

 へばりついたまま動けない俺に向かって、真白はじっと動かずに我慢しているというのが耐えきれなかったのかぶんぶんと俺の乗っている足を振り回した。そんなことをされ足から簡単に落ちてしまい、高いところから落ちた衝撃でまともに動けなくなってしまう。

「ダメダメだね、出来なかったから、お仕置きね?今日はケージじゃなくて、私の靴の中で反省しなさい!くさくてじめじめしてるだろうけど、じごーじとくだから!」

 タイツだけでもあんなに臭かったのに、毎日洗うわけでもない、あの足を毎日入れている靴の中に半日も入れられたら死にかねない。だがまともに逃げることすら出来ず、簡単に指ニ本でつままれ俺は靴の中に落とされた。
 案の定の悪臭、いや、案の定どころではなく、俺の想像を絶するほどの臭いだった。何かを発酵させたまま腐らせたような臭いだった。真白の言っていた通り汗が染み込みじめじめとしていて、たかだか数分でもノックアウト寸前なほどのスリップダメージを受け続ける。
 小学生の女の子が好みそうなピンク色の靴は、俺の牢獄となって俺を苦しめた。出ようにも足にフィットさせるため歪曲した側面はねずみ返しのようになっていて、上まで登り切ることは出来ないだろう。俺は暑さと湿度と臭いに耐えながら、まともに眠ることなど出来ずにこの劣悪な環境下を一晩中徹夜で味わい続けるしかなかった。

 このように無邪気に責められる真白は、それこそ泣いてしまうほどに辛かったが、小夜ほどではなかった。小夜は本当に心の底から悪人を嫌っていた。悪である俺を、悪のままならこうなるぞ、と何度も何度も痛めつけた。

 ある日は紐で括り付けられ、水の入ったコップの中に落とされた。水の中に沈められ、呼吸が出来ない状態にして、ギリギリまで引き上げないのだ。引き上げられ、またあの冷たい視線に貫かれ、罵倒される。

「苦しいですか?呼吸出来ないのは苦しいでしょうね。でもあなたが反省するためです。ほら、もう一回」

 また呼吸が整っていないのに水に沈められる。苦しい、苦しい、こんな、自分より一回り小さいガキに、俺が、そんなようなことを最初はかんがえていたが、酸素が足りなくなるにつれ、まともな思考など出来なくなった。酸欠で顔が真っ青になってから俺はようやく許された。

「今日のところはこれくらいにしといてあげますね。明日からも、ひたすら痛めつけます。ひたすら苦しめます。ちゃんと、反省してくださいね?」

 次の日、宣言通りにまた拷問が始まった。今度は口の中らしい。

「今日はここで反省してください。今日はまだ歯を磨いてないからくさいかもしれませんが、これはお仕置きなのでちょうどいいでしょう?」

 ぽいっと軽く口の中に放り込まれ、閉ざされた口に向かって開けてくださいと叫ぶしか出来ない。だがこの赤黒くぬめぬめとした洞窟は声を反響させるだけで、おそらく小夜の耳になど届いていないだろう。真白の靴の中も凄まじい劣悪さだったが、小夜の口内もそれに負けず劣らずの辛さだった。口臭をダイレクトに、小さくなったゆえに敏感に食らい続け、絶え間なく溢れ出てくる唾液は体にまとわりつき水中にいるのと変わりないような息苦しさを感じる。
 そうこうしているうちに今日の拷問は始まったようだ。舌がぐぐぐと動き出し、俺のことを押さえつける。口の中も体のありとあらゆるところも、少女の舌で侵される。だが、これはまだ序の口だった。その舌で丹念に俺をなぶったあと、少女は舌で器用に俺を歯の近くへと追いやった。

「ふふ…」

 くぐもった囁くような笑い声が聞こえてきたかと思えば、ガチン!と嫌な轟音を立てながらすぐ近くの歯が勢いよく閉じた。俺はそれを見てゾッとする。俺が少しでもそちら側に寄っていれば、この歯という少女特製のギロチンで真っ二つになってしまっていたからだ。そして、そのギロチン台へと俺は抵抗むなしく運ばれてしまう。

「ちょっと痛いかもしれませんが、我慢してくださいね」

 小夜にとって、これは甘噛みなのだろう、歯型が少し付いてしまう程度の、他愛もない遊びのような力の入れ方だったのだろう。だが俺にとってはもはや何事にも変えがたいほどの痛みだった。

「ぎぃ、やああああ!!」

ごつごつとしていて、鋭くて、硬くて重いその歯に挟まれ、力を入れたり、弱めたり、緩急をつけることで慣れさせず、俺は新鮮な激痛を、何度も何度も経験することになる。必死で泣き叫ぶ。もう許してください、なんでもします、もう悪いことしません、喉が潰れそうなほど声を張り上げて、痛みから逃れるために許しを乞うた。

「ダメです。嘘をついてるかもしれませんから。もう何も悪いことなんてしたくなくなるまで、痛くて苦しい思いをすれば、もう悪い子じゃなくなります。そうなったらまた楽しくペットとして暮らしましょうね」

 また噛まれる。自分より巨大な歯に、歳が一回りも離れている童女に噛まれ、泣かされ、泣いて謝っても許してもらえない。
 この『反省』はいつまで続くのだろう。願わくば、俺の心が壊れるまでにペットでいいから前の関係に戻りたい。