ㅤ聞き覚えのある声がする。それはいつも足下から聞こえていたとおもう。だが、今回に限っては上から聞こえてきた。可愛らしい女の子の声、歌のように透き通る可憐さ。思い出した、おそらく奴隷にしていた少女の声だ。
ㅤにしても、何故か違和感を感じる。どうやってあの難破から生き残ったのか。それにどうして上から声が聞こえてくるのか。まさかレベルが上がって巨大化でもしたのだろうか。でもそれならそれでもっと声は大きいはずだし、歩く足で地響きぐらいはするはずだろう。
ㅤなぜなら自分はレベル1になってしまったのだから。自らの感覚と記憶がそう告げている。ヤカテクトとかいう富の神様による転生は、いくら神秘や不思議など信じないといっても信じざるを得なかったのだ。その身に起こった不幸なのか仕組まれていたことなのか知る由もない。現在の状況確認と打開を優先したほうがいいだろうと考えを切り替え這い上がる。

「ご主人様、目を覚まして!ㅤ早く起きないと悪い緑髪のエレアにいじわるされちゃうぞー」

ㅤ見知らぬ天井もといあまりにも距離感が逸脱した洞窟であろう岩壁。自分はたぶん少女に見下ろされていた。たぶんというのはあれだ、あまりにも少女と思われる女の子が異形の姿をしていて信じられなかったからだと思う。
ㅤまずどこから少女を形容したものか。見た目でわかるのは首に羽飾りのようなヒレとエラがあり、指には水かきがついていて、頭には猫耳が生えていて猫目であり、手には肉球と爪が、背中には天使のような羽が生えていて、頭上に光の輪っかが浮かんでいる。輝くほどに美しい金髪のロングヘアーは魅力的に見え、声すらも媚薬のように甘く官能的だった。

「意識が戻ったのか?ㅤ驚いたな。レベル1になって復活の見込みは絶望的かと思われたのだが。ああ、細かい話は君の奴隷の少女だったかな……よく聞かせてもらったとも。君はこういう趣味を持ち合わせているのだと」

ㅤ続けて見知らぬ巨人、緑髪の男に話しかけられる。縮尺がだんだんとわからなくなってくるが、空を飛んでいる少女との対比で20倍ぐらいの差があると思う。相手からするとこっちは中指程度しかない存在か。
ㅤ連れに青色の髪の女性がいるようだ。同じくこちらから見ると巨人なのだが、レベル1の20倍ならばこの二人組はレベル20相当でそこそこの使い手なのだろう。
ㅤさらに詳しく観察して気付く。緑髪と青髪、長身に特徴的な耳……美しい雰囲気からしてエレアの種族を連想させる。エレアならばエーテルの風のことといいあまり良い気分にはなりそうもない。
ㅤ世間的にはエレアがエーテルの風を起こしているとまで疑われていたはずだ。エレアはエーテルの風に比較的耐性を持つが、他の種族では対策しようがない致命的な毒となる。奴隷の少女が猫天使歌姫と形容すべき変化を遂げてしまったのもエーテル病による変異の仕業だとしか思えなかった。いちおうエーテル病にも良性の変異などメリットがないわけでもないのだが……いささか都合が良すぎるのも引っかかった。思わず考え込み沈黙する。

「大丈夫?ㅤどこか痛いところはない?」

ㅤ青髪のエレアの女性がしゃがみこみ、なるべく目線を合わせようとして覗き込んできた。腰を下ろしただけに過ぎない。しかしその巨大すぎる体の威圧感から、そのまま降ってくるお尻の下敷きにでもされるのかと錯覚した。
ㅤ思わず情けない悲鳴をあげてしまう。思考は強制的に中断されてしまう。エレアに対する偏見などしていられる立場ではなかったのだ。生殺与奪は相手にあるとたかが身動ぎだけで悟らされた。

「青髪のエレアさん、足下にいるご主人様を驚かしちゃダメだよ。わたしは飛んでるからいいけど、踏まれそうでびっくりしちゃったかも」

ㅤ少女も自分と同じくレベル1相当なはずだが、肝が座っているという。エレアのことを何も知らなければ助けてもらった恩人だと思えるのだろうが。
ㅤ自分の敵意と疑惑の念を青髪のエレアは見抜いたのだろう。やましいことがなければ、大袈裟に驚く必要はなかったのだから。
ㅤ美しい巨体に畏怖を感じると同時に、また別の感情も湧きつつあるのだろうか。優しい慈愛に満ちた瞳で見つめられ、少なくとも理由なしで殺される心配はそもそもないのではと思い直す。
ㅤ一瞬だけ、下から見上げる太ももとお尻のラインに目移りしてしまう。あんまりにも美人だったから、顔を合わせたままだと恥ずかしかったからではない。存在の格の違いを意識すると、吸い込まれそうな感覚に陥って直視できなかったのだ。

「ほほう、奴隷の少女だけに飽き足らず私の連れもそんな目で見るのかね?ㅤっと、冗談はともかくとしてせっかく助けた命だ。簡単に死んでしまっては後味が悪い、少しばかり旅の心得を教えてあげよう」

ㅤ緑髪のエレアの皮肉は身に刺さる。断じてそんな趣味などないのに、小さくなってしまっただけでこう見られてしまうのか。それでもこんな矮小な存在への親切としては破格の待遇ともいえよう。ほっとけばあっけなく死んでしまうような相手を見返りもなしに助けてくれたのだから。
ㅤ少女が親しそうにしている様子から察するべきだったのだろう。喜んで緑髪のエレアの申し出を受ける。

「わたしも一緒に旅の心得を受けるー」

ㅤ少女も乗り気なようだ。地面に降り、ご主人の隣に場所を移す。少女の身長は……やはり自分と同じくらいか。どうやってエーテルの風や船の難破から生き残ったのか、良性であろうエーテル変異を引き当てたのか。行動を共にして探ることにする。

「おや、少女はさっきご主人が気絶している間に受けていたはずだが……気配りが上手ないい従者をお持ちのようだ」

ㅤこの緑髪のエレアは皮肉を交えないと会話ができないのだろう。少女がわざわざ気を使って一緒に受けてくれるというのも、僅かに肩身が狭い気持ちになる。もっとも緑髪のエレアが余計なことを言わなければ気にもとめなかったのだが。
ㅤなお青髪のエレアはその間見守っていてくれるようだ。変態扱いされて距離を取られたわけではないと思いたい。とにかく話が脱線したり不本意なことが多いが、緑髪のエレアから冒険の手ほどきを受けるとする。

「まずは腹ごしらえからだ。ちょうど新鮮な肉を与えるので食べるといい」

ㅤ緑髪のエレアは冷蔵庫から何かを取り出した後、こちらの目の前に新鮮な肉らしきものを投げ落としてきた。ぐしゃっとイヤな音がした……それは人らしき形をしている。まだ完全に死にきっているわけでもなく、うめき声をあげながらもがくように動いている。

「あれ、緑髪のエレアさん?ㅤわたしの時と違うよ」

ㅤ自分がエレアに感じていた敵意は緑髪のエレアも察していたのだろうか。それとも少女に対してだけはエーテル病への同情か、あるいは適応している親近感からか優しかっただけとも考えられる。
ㅤどちらにせよ人肉を嗜む趣味などない。だが、緑髪のエレアにこれを食えと冷たい目で見下ろされている気がした。人肉らしきこの食料はレベル1の存在の成れの果てである。世界はとても残酷だ。
ㅤお前達も一歩間違えればこうなるぞという脅しにも近いが、教訓として受け取れという意味なのだろう。さすがに生きたまま食べるわけにもいかず、どうにかしてとどめを刺してから処理しようと考える。武器として獲物になるものなどはない。気の毒ではあるがまだ息のある人肉を蹴ったり叩いたりして苦労して片付けていく。

「おっといけない、足が滑ってしまったよ」

ㅤ緑髪のエレアがわざとらしく足を近くに踏み下ろしてきた。こちらまで踏み潰さないように加減をしたうえで、人肉をミンチに加工する。たぶん自分があまりにひ弱すぎて遅すぎて痺れを切らしたのだろう。人がただの足で、靴底で雪でも踏むかのようにミンチになる光景。人肉を食べるまでもなく発狂しそうだった。巨人の足が靴底が怖い、この何気ない殺意がいつ無意識にこちらに向けられるかわからなくて恐怖しかない。足が震えて立っていられなかった。その場で思わず吐いてしまった。

「ちなみに嘔吐すると満腹度が下がってしまうぞ。餓死状態で嘔吐を重ねると人はあっけなく死んでしまうおまけつきだ。さあ、早く満腹度を回復しないとな」

ㅤ緑髪のエレアはにやりと笑っていた。あまりの意地悪さにそうとしか思えなかった。巨人には逆らえない……言うことを聞かないと自分も同じように靴底でミンチにされる。踏み潰されて原型を失った肉塊を手に取る。覚悟を決めて口に運ぼうとする。

「ご主人様……代わりにわたしが食べますから無理しないで大丈夫ですよ」

ㅤついに自分は少女に憐れまれてしまった。手に運んだ肉塊を素早くひったくられる。少女の動きが異様に早かった気がするが……自分が遅すぎるだけなのか。かたつむりがのろのろと食事をする光景を見ていたら、イライラしない人は少ないだろう。自分はそれと同程度になってしまっている。

「ごほん……気を取り直して次は武器の使い方を教えてやろう。武器は装備しないと効果がないから気をつけたまえ」

ㅤ緑髪のエレアは人肉を食べている少女を後目に話を進める。武器といっても小人用の武器などそうあるのだろうか。金属製の銃などもってのほか、剣から何まで重すぎて持つことができない。しかしながら彼は巨人としての傲慢さをいかんなく発揮し、小人用の武器をあっさり作ってくれたようだ。
ㅤそこらへんに落ちていた小枝に、何やらポーションのようなものをかけている。しばらくして完成品が目の前に降ってきた。小枝が降ってきただけでも驚くのだが……他にも異臭がしたりイヤな予感はする。装備しないという拒否権はもちろんなかった。小枝を手に取ると背筋に寒気が走る。糞尿のような臭いで全身を包まれた。

「おおっと、これはこれはうっかりしていた。装備をする前にちゃんと調べるということを教え忘れていたよ。試しに鑑定の巻物を渡すから読んでみたまえ」

ㅤ緑髪のエレアは確信犯である。鑑定の巻物というのは装備の詳細について調べる魔法のアイテムのようなものだ。魔法というのは便利である反面、悪く作用することだってある。それが呪いと呼ばれ、悪性の効果などが当てはまるというわけで……降ってきた鑑定の巻物を使う。
ㅤ糞尿にまみれた小枝は呪われていた。うんち棒か何かかよというツッコミすら通り越して乾いた笑いが込み上げる。武器としては混沌属性の追加ダメージがついているようだ。ははは、何が武器だコノヤロウ。

「冒険者にとって調べるという行為が、情報がどれだけ大事かわかっただろう。アイテムを調べるには鑑定となるが、人や意思ある生物を調べるのには向かない。そこでまた別の巻物が必要になるのだが……」

ㅤ緑髪のエレアは何食わぬ顔で話を続けていた。どうやら装備の呪いを解く気はないようだ。しかも呪いについてのデメリットすら伝える気がないらしい。呪われた装備というのはまず手にくっついて外すことができない。その上、不規則に色々な悪いことが起こったりもする。とてもとても大事なことなのだが、これはひどい虐めだ。
ㅤ必死になって抗議しようとするも、彼はにやにやしながら巻物が欲しいかと上空でチラつかせてくる。ちなみに呪いを解くには解呪の巻物が必要となりそこそこ貴重だったり手間がかかるというわけだ。

「ご主人様、この巻物が必要なの?」

ㅤ食事を終えた少女が背中に生えている羽で飛んできた。緑髪のエレアから不意をついて巻物を奪ったようだ。そのまま解呪の巻物を使ってくれるのかと思ったのだが、反応がない。涙目でこちらを見つめている。

「なんて書いてあるのか難しくて読めない」

ㅤおかしい、魔法の巻物は誰でも扱えるように文字さえ読めれば発動できるようになっている。自分は傍に駆け寄って改めて巻物を読んでみる。それにはこう書かれていた。

ㅤ分析と……

「人などの情報を調べたい時に不便だと先人達は思ったのだろう。なんと分析という魔法や巻物が新たに発明されていたのはご存知かな?」

ㅤ緑髪のエレアの手ほどきは妙に親切な部分もあるなと少しばかり感心しないでもなかった。分析の巻物が発動した対象は人である少女のはず。少女の情報が頭の中に読み込まれていく。

ㅤ忘れた……

ㅤ頭の中に異様な狂気が流れ込んできた。少女に対して名前や信仰や身長体重など、レベルから能力からスキルまでのまとまった情報をキャラシートという概念で把握できるはずだったのだ。それなのに手に入った情報は一面の忘れたという文字列ばかりだった。頭がどうにかなりそうだ。
ㅤ少女、少女と呼んでいるが本名は何なのだ。身長や体重は恥ずかしいから秘匿したかったのだろう。能力も値踏みされたくなくて無意識に抵抗した可能性もある。スキルや魔法の熟練度すら忘れたで埋め尽くされている。
ㅤ何かの間違いではと自分の頭の中の情報を整理し直す。レベルは忘れたではなく1だったはずだ。後ろの方のページらしき情報にはエーテル病について載っていたように思われる。知りたかった情報を以下にまとめてみる。

ㅤあなたの首にはヒレとエラがある。首装備不可、水中地形でも行動できるという旨の記載。
ㅤあなたの指には大きな水かきがついている。指装備不可、水中地形での速度倍増という旨の記載。
ㅤあなたの頭には猫耳が生えている。頭装備不可、レベル依存の感覚上昇という旨の記載。
ㅤあなたの手は猫の肉球だ。手装備不可、レベル依存の出血格闘付与という旨の記載。
ㅤあなたは猫目である。暗視付与という旨の記載。
ㅤあなたの背中には羽が生えている。背中装備不可、レベル依存の速度上昇と浮遊付与という旨の記載。
ㅤあなたの頭には不思議な光輪がある。レベル依存の自動リジェネレーションという旨の記載。

ㅤ肉体的特徴は見た目でもわかりやすいだろう。運が良すぎるぐらいに良性の変異ばかりだ。これでも十分すぎるぐらい異形になっているが、精神的にも変異している様子。

ㅤあなたは忘却の徒だ。痴呆症と魔力が強制的に1になるデメリット、忘却への耐性。
ㅤあなたは文盲で難しいことがわからない。文字を読めず習得が強制的に1になる。狂気への耐性。
ㅤあなたの精力は異常だ。気持ちいいこと中毒、レベル依存でスタミナ上昇。
ㅤあなたはポーション中毒だ。喉が渇くと勝手にポーションを飲む。
ㅤあなたは自我を失うと暴走する。精神的状態異常時に激怒し見境がなくなる。
ㅤあなたのマナは周囲から魔力を吸収する。マナバッテリーで杖から魔法の力を得る。

ㅤ精神的特徴的は壊滅的だった。知らないエーテル病の変異まで混ざっているのではないだろうか。精神疾患を患っているのは可哀想なばかりだが、アホの子ほど可愛いと前向きに思うとする。

ㅤあなたの体はとてつもなく輝いている。常時挑発、魅了効果。レベル依存で魅力上昇。3段階変異。
ㅤあなたの声はとてつもなく祝福されている。レベル依存の自動プラチナソング、3段階変異。
ㅤあなたは幸運の女神の寵愛によりエーテル病に適応した。エーテル病にかからなくなるが治らなくなる。

ㅤすべてのエーテル病を数えると20段階はあった。一般的に普通はこれだけ症状が進むと死ぬ。異形として醜い姿となり精神崩壊し魔物と等しくなる。幸運の女神の寵愛か……少女も自分と同じ転生者であることは想像に難くない。幸運のエヘカトルの権能は乱数支配、狙ったエーテル病の厳選ぐらいできてもおかしくはないだろう。
ㅤ一方的に自分は少女のことを知りすぎてしまったかもしれない。自分も転生者であることを明かすべきだろうか。それとも隠して秘密にしておくべきだろうか。
ㅤお互いの関係性が壊れてしまいそうで怖かった。ずっとレベル1から変われない自分と、これから強くなっていくであろう少女。名前すら知らずに少女のことを奴隷として扱ってきたのが当然だった。それが逆の目に遭うとしたら……しかもどれだけ乱暴に扱っても壊れない玩具だとバレたら……とても正直に話せそうになかった。
ㅤまあ、エーテル病の変異のおかげで少女が助かっていたのは幸いなのだろう。多少なりとも味方になってくれそうな相手がいるといないのとでは大違いなのだから。

「さて、最後の仕上げとして君達のどちらか片方にはレベルアップしてもらう。そうだな、軽く手合わせなんかはどうだろう」

ㅤ緑髪のエレアは淡々と残酷なことを告げる。自分にとって味方であろう少女と手合わせするだなんて考えてもいなかった。お互いにレベル1ということは、もしも死んでしまえば基本的に消滅するということだ。それをわかったうえで彼は手合わせを強制するつもりなのか。

「えー、わたしが倒しちゃったぷちとかはもういないの?」

ㅤ少女は事態を飲み込めていないらしい。あまり頭が回らないのか、手合わせのリスクを把握できないようだ。それともレベル1だろうがエーテル病のおかげで肉体が超強化されていて手合わせぐらいと考えているのか。守るべきご主人があまりにも弱くなってるとは思いもしないのだろう。

「ぷちはもういないぞ。経験値を得るということは何かを踏み潰した犠牲のうえで成り立つともいう」

ㅤ緑髪のエレアの話を少女は興味なさそうに聞いている。そろそろ手ほどきが長くて飽きてきたかのように、さっさと手合わせでもなんでもして終わらせたがっている。

「まさかご主人様が奴隷の少女より弱いだなんてありえないだろうからな。心してかかるようにしたまえ」

ㅤ緑髪のエレアに焚き付けられ少女は戦闘態勢に入る。武器は持っていない、素手だ。地上で身構えてくれている。本気で戦うつもりならば上空から一方的に蹂躙もできたであろう。ある程度は手合わせとして察してくれているのは幸いか。
ㅤそれにしても自分の獲物がうんち棒だなんて、女の子に対して最低だった。混沌属性の追加ダメージの強度はかなりのものだったとは思う。当たりさえすれば少女を倒してしまえるほどにだ。もっとも倒してしまうということは殺してしまうということなのだろうか。こんな馬鹿げたことで少女を失いたくはない。

「ご、ご主人様……その汚い棒は女の子に対してあんまりだと思います。手放さないのであれば、ちょびっとだけ怒りますよ?」

ㅤおお少女よ、怒りたいのは自分のほうなのだ。手放したくても手放せない、何故ならこのうんち棒は呪われている。慌てて呪いだと説明するも聞く耳持たずだった。少女の顔から微笑みが消えて顔が若干引きつっている。
ㅤそこからは一瞬だった。自分がかたつむり程度の速度しかないのを忘れていた。そして少女は2倍か3倍かは早かった。少女の鋭い爪の一閃。相手が格下であることを忘れている、何気ないジャブ程度の感覚だったのだろう。それでも自分は身動きひとつとれずに首筋に深く爪が食い込むのを感じた。血が吹き出る、熱さと痛みで倒れる。

「ご主人様、手加減してくれなくてもいいんですからね」

ㅤ少女はすでにご主人を倒してしまっていることにも気づかない。このまま出血死するとは思いもよらないだろう。薄れゆく意識の中で少女の体がひとまわり大きくなっていくように見えた。おめでとう、ご主人様を殺してレベルアップだ。
ㅤなお薄れゆく意識からすぐに叩き起される模様。まいどありという邪神ヤカテクトの声とともに即時復活、瞬間蘇生。まるでギャグキャラが酷い目にあっても、次のコマでは何事もなかったかのように顔を出しているようなものだ。死んだことすら気づかせない邪神の早業、自分が恩恵に預かるチートも大概だったか。

「ご主人様ってばよわいー。わたしをレベルアップさせるために気を使ってくれたんですか?」

ㅤ少女に気取られないようにする。ご主人を手にかけたとは思っていないであろう満面の笑みを浮かべていたからだ。どうしてかこの美しい少女の顔を曇らせたくはなかった。仮にも仕えているご主人を少女自身が傷つけてしまったとわかれば複雑な気持ちになるだろう。
ㅤ恐怖を押し隠すために、そう思うので必死だった。今の段階ですらあっけなく殺された。そんな少女の存在がレベルアップしてレベル2になっていたのだ。自分はもう少女の腰元ぐらいの身長しかなかった。

「ロミアス、流石にやりすぎよ。もうこのぐらいでいいでしょう」

ㅤ青髪のエレアの女性が割って入る。解呪の巻物を自分に読んでくれたようで呪われたうんち棒から解放される。この女性が女神に見えた。これから先、何があってもこの恩は忘れまい。

「てっきりあの犬のようにフンとかジョロジョロが好きな類かと思ってだな。けっして虐めようとか悪意はないのだよ、ラーネイレ」

ㅤ緑髪のエレアことロミアスはそう弁明する。木の枝に汚水をかけただけで他意はなかったと言う。緑髪のエレアは殺せ、誰かがそういう名言を生み出しそうなぐらいの悪態だった。
ㅤともあれこのエレアの二人組はラーネイレとロミアスという名前か。ノースティリスにて冒険者の洗礼、初めての出会いでもあり忘れることはないだろう。
ㅤ自分がしみじみと感慨にふけっている間にラーネイレと少女は打ち解けた様子でお話をしているようだ。ラーネイレの好きな童話、かたつむりに変えられた王子の童話。

ㅤあるところに、魔法によって小さなかたつむりに変えられた王子がいた……彼は自分の姿に絶望し、国を捨て森の中の洞窟で暮らしたの。
ㅤある日、エーテルの風に襲われ傷ついた女が、洞窟に駆け込み倒れこんだ。王子は迷いながらも女を介抱した。彼女はもちろん男の姿にとまどい悩んだわ。
ㅤでも、何日もたち彼女は男の優しさに気付いた。彼の誠実さに、抱える葛藤に、心を打たれたの。エーテルの癒えない傷、同じような異形である女は、男のささえとなり共に暮らすことを決心した。
ㅤ二人は様々な困難を力を合わせ乗り越えて、最後には王子にかけられた呪いがとけ、二人が結婚して幸せな結末を迎えるの。

「どこにでもある物語ね。わたしは、小さい頃聞かされたこのおとぎ話が、どうしても好きになれなかった。きっと、弱い姿の男に対する愛が、どこかに置き去りにされた気がしたのね」

ㅤラーネイレは少女に問いかける。あなたはどう思うと。

「わたしなら……その男がかたつむりのままだとしてもずっと愛し続けようと思うな」

ㅤかたつむりでも愛してるもらえるか……こんな弱者が踏みにじられる世界では幻想に過ぎない。しょせんおとぎ話だとどこか自分は毒づいていた。その想いがいずれ少女を傷つけるとも知らずに。