ㅤ門を開け下界へと舞い戻る。浮遊大陸より地上へ、帰還先は少女の元ではなかったようだ。知り合ったばかりの黒猫娘の下腹部より生み出された自分の姿があった。死んでからどれだけ時間が経過しただろう。一般人やら普通の人達、肉体の再生成には数日を要する。黒猫娘が分身とはいえ蘇生しているのだから状況は把握できそうなものだ。
ㅤ音信不通からポートカプールの面々、少女や黄金騎士の心配する顔が思い浮かぶ。死ななくても紛失して行方不明など、小人にとっては困ることがいっぱいあるのだ。

「にゃーは盗賊ギルドから逃げたほうがいいと思うにゃ。死人に口なしと証拠隠滅しようとしてきた奴らにとって不穏分子は潰しにくるはずにゃん」

ㅤこちらでは20倍の黒猫娘と相談する。現在、ダルフィの宿屋にいた。蘇生地点で近かった建物、下手にうろついて追っ手を差し向けられる前に作戦を考えなくてはならない。まだ気付かれていないはず……ただ、不在期間に何らかの内部工作をされていた可能性がある。黒猫娘が稀代の怪盗の裏切りや混沌への関与を指摘したところで証拠がない。そもそも混沌を歓迎している節すらダルフィにはあるかもしれない。
ㅤ混沌は弱者すら受け入れてくれる。一体化することで苦しみも喜びも等しくわけあえる。邪教への信仰が芽吹かないことのほうがおかしいぐらいだ。心を闇に染めている弱者達、社会から弾かれた存在。呪うなら世界の破滅、祝うなら自分達への恩寵……身勝手で自己中心的で愚かだと否定するべきだろうか。今まで人と見られず散々傷つけられてきた連中だ。多少は同情しないでもないが、代案としての権利や利益を提供しなければ解決は見込めない。
ㅤ救いだ。心への助けとなる何かが必要だった。答えがでない。自分には与えられるものがないからだ。等しく弱者なのだ。ただ死なないというだけ、女の子の紐としてくっつくだけ……強くて様々なものを持ち合わせている子から与えてもらっているだけだった。好意から生かされてるだけの存在でもあって、それもせいぜい転生者という特典に過ぎない。自分のものといえる何かがない、この惨めさを理解できる人はいるだろうか。強者は様々なものを弱者から奪える。命だってアイテムだって殺せば地面に転がり落ちる。

「定命ちゃん、あんまり悲しいことを考えたらダメにゃ。寂しいことは無意識にでも伝わってきちゃうにゃん」

ㅤどこかおどけた様子で黒猫娘に慰められた。肉球の手でなでなでされる。少し雑な感じで痛かったけれど潰されるほどではない。200レベルから20レベルに変化していれば触れれる程度に弱くなっている。みんな等しく弱者になってくれれば格差なんてそれほど生まれないのになと思う。神様だけが唯一無二の存在になって、世界を書き換える感じだ。すべてを取り込んだ巨大すぎる神様の体の上に微生物のように住人達は住むのだ。誰も大きすぎて認識はできないけれど確かに存在はしていて、不思議な力でどうにかしてくれるのだ。悪い子はお仕置であんなことやこんなことをされるだろうし、良い子は大事に大事にされるといい。おっきくて優しくて安心できる拠り所みたいなものがあれば、この世界みたく争わずに済むだろう。

「浮遊大陸の神々ですら結局は古の民に過ぎないから高望みにゃ。力を持った古の民、人々の争いや醜い感情を信仰とし神力に変える術を利用したのにゃー」

ㅤ神々が純粋さや美徳を失った理由。古き民の変質、裏の権能という大罪を吸い上げ力を望んだ。暴力で奪い支配するという世界のあり方と成り立ち。神様と信仰される割にはイルヴァは俗っぽかった。ある意味では人に近いから魅力的なのかもしれない。極端に崇高な概念は現実的ではないと理解されない。少女が唯一神として降臨したら何か変わるかなと不届きなことも考える。無邪気で可愛らしくて悪気がなく純粋さを極めている。ときおり見せる意地悪さすらアクセントのようなもので本心ではないのだろうから。惚れてる弱みだろうか、一挙一動が美しいのだ。可愛らしさの魅了が万民に届けばいいと願う。争うぐらいならそちらのほうが幸せだろう。

「惚気はいいから、作戦会議にゃん。意識の共有とかそんな感じのを遠くに飛ばせないかにゃ?」

ㅤつい話が脱線していた。目の前のことや現状のほうが大事だ。分体化の意識チャンネル、切り替えを試みようとするも届かない。港町ポートカプールからダルフィは結構な距離だ。そう都合良く長距離への通信機のような機能を有しているわけではなかった。少女側から糸により探知をするにしても同様に射程範囲外だろう。今の能力では同じ街中やダンジョンぐらいでしか効果がないようだ。
ㅤエヘカトルの裏の権能は色欲、ならこの場で行為に及んだら神力とかよくわからない力で解決してくれないだろうか。エッチになればなるほど強くなる、自分にとっては役得なのだ。細かいことはどうでもよかろう、難しい話ばかりで女の子とイチャイチャできない。

「じゃあどんなシチュエーションでいくかにゃ?」

ㅤ危機感が足りないかもしれないが平常運転だ。どのみちやれることはたいしてないのだから、少し遊んでおこう。ドジっ娘で三つ編みおさげの黒猫娘、少女と猫耳属性で似ているもののレオタードできわどい衣装になっている。もっとこう心をくすぐるような属性が欲しくもある。そうだ、妹猫という種族がいるぐらいなのだ……お兄ちゃんと呼ばせてみたかった。
ㅤ一瞬、ドン引きされたような気がした。宿屋のベッドの上に乱暴に投げ捨てられた。クッション越しに何度か体が跳ねてバウンドする。生身の体にも近く、平面化に慣れきっていた自分には結構痛かった。

「定命……お、お兄ちゃん。恥ずかしすぎるにゃ、この変態。にゃーのことを見下してるつもりかにゃん」

ㅤ赤面しながら黒猫娘は自分をお兄ちゃんと呼ぶ。ベッドの上に膝立ちで乗っかってきた。地面が軋み大きく傾く、小人よりも8000倍は重いわけで何気ない動作で引き寄せられる。思わず黒猫娘に重いんじゃないのと禁句を吐いてしまった。

「は?ㅤお兄ちゃんが、チビなだけにゃ。上からのしかかって妹の重さでも確かめてみるにゃん!」

ㅤどうしてか黒猫娘をいじりたかった。怒ってプンプンしている妹の姿のようで可愛いのだ。膝立ちで近づいてくる。レオタードのお股が天井のようになってるが8cm相当の小人には手が届かない。それどころか膝やふとももで何度も蹴られた。猫がネズミをいたぶっていじめるのにも似ている。体が悲鳴をあげていく、寒気がして心臓がドキドキする。身体中の骨にヒビが入るのは久々だったかもしれない。一思いにグシャッと潰す気がないのだ。ベッドに横たわって上しか見れなくなった。もう動けない。

「雑魚お兄ちゃんが妹の脚に轢かれて死にかけててうけるにゃー。そのままお股でのしかかっちゃっても、かよわい妹のすることだから許すにゃん!」

ㅤ焦らすように見せつけるように位置取りをする黒猫娘。お股の天井がプラネタリウムのように視界を占有する。ふとももの柱から連なるそれは濡れていた。猫可愛がりで小人をいじめるのが気持ちよかったのだろう。

ㅤギュウウウウ……ミチミチミチミチ、プチッ!

「潰れるのが早すぎるにゃ。腰をちょっと乗っけただけなのにペラペラの真っ平らにゃん」

ㅤ黒猫娘は腰を上げるごとに復活の魔法で自分をげんきげんきにする。紙切れを潰しても感触が薄いのだ。肉厚の小人が好みのようだった。黒猫娘のお股でエッチな判子を押されてしまう。ちっちゃい雑魚お兄ちゃんとおっきい巨人妹、アブノーマルな殺人プレイがお互いを滾らせていく。

「いつかお兄ちゃんの好きなお洋服を着て気持ちいいことしてあげよっかにゃー。どんな服が好きにゃん?」

ㅤ黒猫娘は女の子らしくオシャレでもあるらしい。少女もオシャレをしたいと言っていたなと思い出す。どこか猫繋がりといい二人は似ている。少女は黒猫娘のお姉ちゃんになるのかな……姉妹丼は美味しそうだ。ボディラインの出るチャイナ服とか黒猫娘や少女には似合うだろう。レオタードもえちえちだがコスプレをさせるのも悪くない。水着越しにむっちりお尻を堪能してみたくもある。ああ、夢が広がる。

「お股で潰れちゃう雑魚お兄ちゃんなのに生意気にゃ。偉そうなお兄ちゃんにはお仕置きが必要かにゃー」

ㅤ黒猫娘は荷物から何かを取り出した。網目状の虫かごだろうか、透明なフタがついている。中に布きれのようなものが入っている。黒猫娘のパンツだ。サービスをして自分の劣等感を煽ってくれるらしい。

「よわっちいお兄ちゃんは潰れちゃわないように妹が飼ってあげるにゃ。おパンツの寝床も用意してあげたにゃん」

ㅤ恍惚とした表情の黒猫娘の手に捕まる。虫かごの檻に投げ込まれた。ほのかにいい香りがする、パンツの寝床とは趣味をわかっている出来た妹だ。自分のエッチな気持ちを察して食らってくれる。同じエヘカトル信仰でも少女と黒猫娘は違う趣きを提供してくれて素晴らしい。うっかり蹂躙系の少女は意図せず魅了しご主人様を振り回す。ドジっ娘可愛がり系の黒猫娘は意図して願望を叶えるために振り回す。ガサゴソと乱暴に揺らされる、その度にビクッとして妹の顔色を伺う。虫かごで振り回される雑魚お兄ちゃん、たまらなくゾクゾクしてしまった。
ㅤそろそろ気持ちいいことは終わりだ。エネルギーを補給した黒猫娘が何かを始めるのだろう。集中した面持ちで誰かに語りかけている。力が……集まってくるような気がした。これは神力だろうか。エッチなエネルギータンクとなった黒猫娘は自分に能力を注いでくれるらしい。
ㅤ黒猫娘の習得フィートは何なのだろう。忘れていた便利魔法こと分析を試しに唱えてみた。巻物があるのなら魔法もあるはずだったのだ。全くもって失念していた。とりあえずいつものように仲間の能力確認をする。

ㅤあなたは乱数を支配する。レベル依存のあらゆる判定強化。
ㅤあなたは体術の資質がある。レベル依存の体術強化、閃き。
ㅤあなたは神力を共有する。好感度依存の特殊能力共有。

ㅤほんとにざっくりと必要な部分だけ述べることにする。エヘカトル信仰の権能と一般フィートと固有フィートだ。体術特化型らしく閃きか……複合詠唱による上級魔法のように攻撃が変化するのだろう。鍛え抜かれた通常攻撃が新たな技として派生するようなもの。魔法も物理も極めれば新たな境地へと向かうようだ。
ㅤ神力の共有はサポート向きだろう。黒天使は流れだったが神の下僕は固有スキルが共有系統になるのだろうか。まあ効果の程は想像がつく。ある種の奇跡的な力を他人に注いで能力のブーストなど幅広く活用できそうだ。
ㅤ再び意識の共有を少女に飛ばしてみる。ほんの一瞬だけ繋がった気がした。ダルフィ、宿屋、黒猫。大事な単語だけ伝えれば後は大丈夫なはず。しばらく迎えが来るまで宿屋で待機をしよう。あんまり時間がかかると宿代とか追っ手に居場所をバレたりとか気にはなる。超距離感通話があまりにも早く途切れたせいで、居場所を聞かれ受け答えをしただけで終わってしまったのだ。万が一という悪手ばかりとっている。最近綱渡りが多すぎないだろうか。
ㅤダルフィの住人のほとんどが盗賊ギルドの構成員で、擬態し街に溶け込んでいると大事なことを遅れて黒猫娘から聞かされる。幸い宿屋の店主は猫派閥らしく自分達を混沌派閥に差し出すことはないだろう。だがガサ入れされ強引に取り調べられれば安全の保証はない。黒猫娘は顔が割れている。周辺の見張りは自分が隠密しながらやるしかなかった。いつもの平面化に戻してもらう。手と手を合わせてぺったんこ。生身形態から平面形態へ移行する時が一番痛い。肉が潰れる感覚が直に伝わってくる。平面化なら薄いので折れたり潰されたりしてもまだマシなほうなのだ。遊びや戯れで笑っていられる程度から察せることだ。

「逃げるつもりが予定変更になるだなんてお兄ちゃんのせいだにゃー。妹はすれ違わないように待機しとくけど、お兄ちゃんはとりわけ雑魚なんだから無茶しないでにゃ」

ㅤ黒猫娘は妹とお兄ちゃんの関係が気に入ったらしい。モジモジしながら薄っぺらくなったお兄ちゃんを心配してくれている。扱える魔法ならたくさんある。下級もとい冒険者が扱えるであろう全て。基礎魔法としても全部の把握はなかなかに大変なものだ。試しにテレポートの魔法に意識を集中する。妹の手から抜け出しベッドの上に転移した。もう一度今度は戻るように意識を集中する、手の中を注視し時間をかけて魔法を唱えた。

ㅤテレポート、特定の座標への転移はターン消費をする。

ㅤ帰還や脱出が一定ターンの経過を要するのに似ていた。座標固定化の処理は世界に負荷でもかかるのだろうか。転移先をランダムにするならばすぐに発動することだろう。逃げるのに扱うのであればそれでもいいのだが、使い分けが大事そうだ。
ㅤ念には念を入れよ、小人は弱いのだから準備段階で生存が決まる。黒猫娘に手持ちの魔法書を確認する。インコグニート、テレポート、鑑定、契約、復活……やたらと窃盗関連に偏っている。むしろインコグニートという変装の魔法があるのならすべてが解決しそうにも思える。黒猫娘にそのことを指摘してみたが、魔法の熟練度が足りてないから長時間は維持できないとのこと。スキルレベルにも類する熟練度は魔法強度という大事な要素に直結する。変装もよっぽど鍛えていなければ常用できないわけだ。
ㅤもしものことだが、自分が変装の魔法であるインコグニートを唱えたらどうなるだろう。体の密度を操り骨格単位で変化させるらしい。そのおまけで身にまとっている衣服を形状変化させるのは造作もない。幻を周囲に見せているのだという諸説もある。あるいはどちらも魔法の効果として含まれているのかもしれない。幻惑への耐性が高い相手にはきっと看破されることだろう。
ㅤ試しに実験をしてみた。ほんの一瞬でも一般市民ぐらいの大きさまで骨格変化をしてみたい。大きさを取り戻せるかどうかのテストだ。
ㅤインコグニート、薄い者を引き伸ばしあるいは気体のように膨らませ膨張させる変化をイメージする。例えるならば風船、魔力を空気として入れれば見かけ上は大きくなる。密度を操るといってもないものを増やそうとするのは負荷がかかることだろう。ならば変装の名のごとく形状変化を補佐すればいい。
ㅤ肉風船化、黒猫娘と同じ目線になれた。いいや、お兄ちゃんのほうが視点が高かった。この子も背が低いらしい。分析で見落としていたがいくつだろう。たぶん妹らしい背丈なのだろう、手を伸ばして背伸びしてやっとこちらに手が届くぐらいか。

「チビお兄ちゃんに背丈で負けて悔しいにゃ。生意気にゃー、生意気にゃー、ツンツンしてやるにゃん」

ㅤ黒猫娘が少し爪を立てて突っついてきた。イヤな予感がするよりも早く違和感が訪れる。体に穴が空いた。

ㅤプシュウウウウ……

ㅤ妹よ、お兄ちゃんは少し旅に出かけてくる。情けなく空気が抜ける風船のように自分は飛んでいった。窓ガラスを突き破る破壊力ぐらいはあったようで無駄に騒ぎを増やしてしまった。たぶん黒猫娘が悪い、後始末は任せよう。

ㅤそーらをじゆうにとーびたいなー、はいミンチミンチ。

ㅤ似たようなパターンをどこかで見たような気がした。宿屋の向かいにお店があるようだ。ダイナミック入店、雑貨屋だろうか。杖から巻物から食料まで、とにかく色々と並んでいる。性的な玩具……とてもとても卑猥なグッズも見受けられる。ダルフィはエッチで気持ちいい街なのだろう。売れ筋がいい商品が目立つ場所に陳列されている。皮モノの見た目を変えてエッチなことをする道具、着ぐるみのような全身を覆う形状、無駄なことに無駄な労力を使い高度な道具を生み出してしまっている。萌えや可愛さやエッチさを特産物にでもできそうなぐらいの熱心さだ。
ㅤインコグニートの魔法はまだ切れていなかった。落ちている自分が店主の女性に拾われた。一般人かつモブみたいな相手だ。それでもやはりトラウマが蘇る。パン屋の主人にアツアツのスティックパンを全身にご馳走してもらったのだ。
ㅤ早く魔法の効果が切れてくれと祈った。動こうにも動けない。物に擬態するしかない。商品棚から落ちたものか、それとも不良品なのかと店主に念入りに触られ確認をされる。入荷していない商品が床に落ちていれば不審がるだろう。ペタペタととりわけ股間を弄ばれた気がする。空気の抜けた肉風船だ。どれだけいじろうが立つはずもない。あまりの反応のなさに飽きたのだろうか彼女は店の奥へと消えたようだ。
ㅤようやく解放された。後はインコグニートが終わり次第逃げるだけだ。そう考えていたが甘かった。なんと店主が梱包用の箱を持って戻ってきたのだ。ああ、そりゃそうだ。商品ならば梱包もされていよう。魔法の道具ならば高価であろう、包装もしよう。よくわからないがとりあえず売り物になりそうだから売るという魂胆らしい。まずいと焦って動揺していた。いっそこの姿のままさっさとランダムテレポートでもしておけばよかったのだ。
ㅤ箱に入れられようとしている、店主の手で折りたたまれ値札をつけられようとしている。目立ってもいいからこのままテレポートをしたかった、そう決断し詠唱を試みようとした瞬間。インコグニートの効果が切れた。折りたたまれ箱の中に入るはずの商品が縮んでいく、店主と目があった。不審な目で睨まれている。怖い……イタズラだと思われたのだろうか。それとも窃盗犯だと疑われているのだろうか。ダルフィの街は治安が悪そうでもある。ならば不審者にとる店主の行動はわかりきっていた。
ㅤ短剣を躊躇なく箱ごと自分の胸元に突き刺された。肺を潰されて魔法を詠唱できなくされた。店主は箱から短剣を引き抜くものの、自分を串刺しにしたまま連行する。店の奥、さらに小さな小箱を手に取っている。台紙のような何かと標本用の針らしきものがある。全身を滅多刺しにされる……残酷な光景が目に浮かぶ。懇願すら声に出せない。泣いても気付いてくれないだろう。小人として弱者だから売られても仕方ないよねと店主は嘲笑っていた。
ㅤグサリ、まずは手足を針で台紙に止められた。身動きできなくされてもがくことさえ許されない。どうせすぐ死ぬだろうと店主は思っていたに違いない。動けなくなっただけなのだが昆虫の標本か何かと勘違いされているようだ。
ㅤ短剣を引き抜かれる。傷跡がくっつき蘇生しているのがバレる。店主は目ざとかった。本当に蘇生能力があるのか実験し始めた。短剣で大穴を開けては治るのを待つ。蘇生能力を動揺していて制御しきれなかったのかもしれない。死んだ振りで仮死状態になっておけば事態がこれ以上悪くならなかっただろうに。
ㅤある種の確信をした店主、魔法陣が描かれた台紙を取り出してきた。自分はそちらに移されるようだ。生贄のように針の山が立ち始める。丁重に心臓と胸部分を突き刺してくれる。完全に呼吸を封じられ頭すら回らなくなってきた。死なないおかげでなかなか意識を失って楽になることができない。あるいは激痛で目覚めていただけかもしれない。
ㅤ保険としてさらに分身の予備でも作っておくべきだったか。ダメになった体をトカゲの尻尾のように切り捨てて意識を移すのだ。そこまで器用に都合良く能力を扱えそうにないか。体を完全に潰されなければ動ける体の切り替えは無理かもしれない。意識のチャンネルを切り替えし黒猫娘に移っても体の主導権は相手にあるだろう。状況を伝えるぐらいはできても、そもそも宿屋から動けないのはわかっていよう。
ㅤ自分は商品として完成したらしい。台紙は箱の中に収められ、上から透明なラッピングをされる。いくらの値段になるのだろうか。自分にはどれだけの価値があるのだろうかと気になった。蘇生能力のある小人だ。魔法の品としては貴重なのではないか。すっかり尊厳をへし折られて物程度の認識になっていた。
ㅤ店の商品棚に並べられる。隅っこの方、在庫処分のような場所に投げ込まれた。価値があると思い込みたかったがそれすら無駄らしい。物としてすらゴミなのか。この世界はどうしても自分を貶めたいようだ。いいや、むしろこれが常識か。あくまで好意的な仲間が特例であって、慣れ親しんでいて当然だと勘違いしていただけなのだから。ヴェルニースでの看板娘もパン屋もおかしくはないのだ。ならばダルフィの雑貨屋も不審な小人へ窃盗犯の疑いから然るべき処置をしたまで。
ㅤそんなに店主達が窃盗の疑いをかけるのならば……本気で犯罪者にでもなってやろうかと心が闇に染まりかける。あくまで少女の顔に泥を塗りたくないからなりふり構わない容赦のない行いを自重していたのだ。本気になれば一般人だろうと巨人だろうと報復できるし殺せる。それが強がりだったかは定かではない。証明しなければ信じてくれる相手もいないものだ。誰も見ていない場所でいつか悪行をする日が来るかもしれないが、その日まで自分の我慢が続くのを祈ろう。どうせ気付いてくれないのなら、それを多いに利用してやるのだ。
ㅤ世界を呪いつつ時間は流れていく。雑貨屋への往来はそこそこ、話の盗み聞きもたまにできるぐらい。まあ盗賊ギルドの関係者が大事な話を表でするわけもない。せいぜい流れの冒険者ぐらいだ。杖の買い占めにも近い行いでお得意さんらしい。冒険者は不特定の人物かと思っていたがもしかすると……店主が防衛者と呼んでいたかもしれない。名前がなくても呼ぶための概念は必要だ。その防衛者らしき存在は中性的であるものの男のようだ。何か店の中を探している様子。商品や掘り出し物を見落とさないように時間をかける丁寧な性格なのだろう。滅多に並ばない貴重品、重さを操る巻物や素材を操る巻物なんかを買い損ねたくないものだ。
ㅤふと目があってしまった。几帳面な性格が隅っこの小人を探り当てたのだ。心当たりはないが明確な敵意と軽蔑の目で見下ろされていた。初対面のはずだ。印象が最初から悪いのは小人で弱いからか。それにしてもおかしいぐらいの睨みつけ方、宿敵かのような仇かのような扱い。

「お前には荷が重すぎたのだ。そのままもう何もするな……虫けらが世界の不純物が」

ㅤ何やら事情を知っていそうな防衛者だったが呟くだけ呟いて店を出ていった。神の下僕だったかまでは確認できない。もしそうだったとしたら、主神達は一枚岩ではないことを示している。機械神マニの反逆、防衛者と呼ばれる下僕らしき者の態度。不穏な空気が強まっていく。まあ上がどうこうしていようがそもそも……下の下にいる自分は動けないわけで誰かに助けてもらうしかなかった。

「すみませーん。このお店で小人さんとか売ってませんか?」

ㅤどれだけ待っていたかはわからない。いよいよ少女が迎えにきてくれた。雑貨屋の店主と話しているようだ。小人さんが欲しいとか変わっているねと用途を聞かれる。動揺しながら少女は答える。気持ちいいことに使って使い潰す予定です。店主は笑っていたかもしれない、新鮮な小人なら是非ともうちをご贔屓に。弱者の中でも失敗すればさらなる弱者として奴隷になり売られる。奴隷商人の眼鏡に適わなかった場合、物扱いだ。人ですらない分類の小人はダルフィなら雑貨屋の商品として扱うのもおかしくはないか。物なら物で値段がいくらかだけが気になった。答え合わせの時間だ。

「ご……えっ、たったの100ゴルド!?」

ㅤ店主から少女の手へ渡されるご主人様、お代はなんと100ゴルド、そこらの子供でも買えそうな額だった。雑貨屋から出られる。少女の手ですぐに解放される。慌てていたのか乱暴に針を引き抜かれる。やっと自由の身だ。助かった、助かったのだ。小人は巨人がいなければまともな行動すら難しい。不慮の事故でこんな目にあう。

「ご主人様、ご主人様……会いたかったよぅ。いくらわたしがダメな奴隷だからってこんな仕打ちはしちゃいけないんだからね!」

ㅤ大泣きしていた。少女は人目をはばからず泣き叫んでいた。目は少し赤くなっていて毎日泣いていたのかもしれない。顔は真っ赤で泣いているのか怒っているのかすらわからない。精神的な未熟さと嬉しさや悲しみや怒り。ご主人様が小人であることを忘れていた。惚けているのもあるが数日かしばらくぶりだ。まったくもって壊れ物への手加減はなかったようだ。全力の抱擁をされたのかもしれない。胸と腕が最後に見えたのだけは覚えている。体が砕ける限界を超えて赤い染みになるのはあっという間だった。

「ご主人様がまたいなくなっちゃった。ねぇ、どこなの……答えてよ。この赤いのがご主人様なわけないよね」

ㅤ少女は物忘れが激しい。視界を共有するなり意識を通じてわかるはずなのに、血涙を流していてもはや正気じゃない。発狂していた。ご主人様とひたすら叫びながら転がり回っていた。その度にミンチは地面と服とで擦れていく。この身体が完全に抹消される、本当の意味で少女の元へと戻れるようだ。
ㅤここにいるよ。少女に語りかけるのが先か、ミンチの痕跡が消えるのが先か。動ける体の消滅によってようやく気付いてもらえるのであった。

「あ、ご主人様そんなところにいたんだ」

ㅤ遅れて正気に戻る少女。体がないから生み出してと頼む。いつもならすぐに承諾してくれただろう。反応に少し時間がかかったようだ。

「ずっと一体化して一緒にいるのじゃダメ?ㅤお外は危ないよ、さっきだってうっかり加減なしですり潰しちゃってたもん。巨人っての想像以上に怖いんだよー」

ㅤでも、自分はご主人様という体で動きたいし少女達と触れ合えなくなるのは悲しいと伝える。最後には絶対に戻ってくると約束する。少女も絶対にご主人様を追いかけると約束する。どんな場所であっても、あの世だろうが危険なダンジョンだろうが……可能性があるなら異世界だろうが。意味のない約束ばかりしていることだろう。約束なんかしなくたって自分にとって少女は神様のようなものなのだから。信仰や神秘は信じなくても少女だけは信じよう。それが祈りだ。ある種の下僕と呼ばれようとも褒め言葉と受け取ろう。狂信者であり殉教者だ。殺されても愛おしいぐらいに少女に魅了されていた。
ㅤ血涙が自分として形を得る。どこであってもご主人様は少女からいつも生まれる。血肉すらお互いのものだと愛おしかった。食べられて血肉になりたい衝動が込み上げるのが自分の意思だったかまでは不明だ。ただ魅了と称していつも吸い寄せられているのは確かだ。

「よわっちいご主人様、わたしのお尻に敷かれちゃえ!」

ㅤえいっとばかりにご主人様を地面に落とししゃがみこむ少女。お尻が小人をターゲットする。ドロワーズが襲おうとしている。あっけなく尻に敷かれるのはある意味ふたりの間柄を表していたかもしれない。大好きな少女にミンチにされへばりつき安心した。ここで意識は途絶えている。