短小物語集
花嫁ごっこ
笛地静恵

黒い小説家さまに捧げます。


不可能実香には、ささやかな悪癖がありました。彼女は、
魔女だったのです。その男達を引き付けて止まない、永遠の
若さが輝くような美貌は、悪魔と取引したために、可能とな
ったことでした。

彼女は大輪の花で、男はミツバチでした。甘い蜂蜜の匂い
に抵抗できるような、意志力のある人間は、政治家にも軍人
にも芸術家にも、平和ボケしたこの国の大人には、ひとりも
いませんでした。そのために、彼女は、大人を軽蔑していま
した。自分の玩具のようなものとしか、考えていませんでし
た。


でも、悪魔との取引には、それなりに、高い代償がありま
した。人間の男の魂を、夜毎に生贄として捧げなければなら
ないのです。実香としても、悪い遊びが、やめられないので
す。自分では「花嫁ごっこ」と名づけていました。彼女は、
遊びを思いつくことに関しては、天性の素質があると、厳し
いお姉さまにも、評価されていました。もういつから、この
遊びを始めたのか思い出せないぐらいに、毎夜の饗宴が続い
ていました。

パーティなどで、獲物として定めた男を、姉妹の自室に呼
び込みます。できるだけ、長身の体育会系の男を選びます。
逆三角形の筋肉質の大男が、彼女の好みでした。失敗したこ
とは、ほとんどありません。部屋でいきなり、その厚い胸板
に飛び込みます。最近の大人の女性と比較すれば、小柄な彼
女だからこそ、この芸当ができるのでした。


小さな花びらのような赤い唇を、男の大きく不細工な口で、
ほしいままに貪られる恥辱にも、腹部に無遠慮に、固い器官
を押し当てられる屈辱にも、耐えていきます。男の力に抵抗
できません。肉体的な弱者である若い女の、宿命の苦い酒を
あえて飲み干すのです。それも、これも、これから来るべき
快楽の時の中に、自分を没入させる免罪符を得るための、自
分なりの工夫でした。苦行によって解脱を得る宗教者と、同
じ道をあえて歩むのです。彼女自身の肉体が、悪魔の生贄の
ための美しい祭壇でした。


あの過程は、迅速に進むのです。男という生き物は、なん
て鈍感なのでしょうか!?事態の真相に気が着くのは、すで
にすべての好機が、通り過ぎた後になってからのことなので
す。

彼女の唇に、その口を届かすために、靴の爪先を持ち上げ
なければならなくなってから、始めて異常に気がつくのです。
しかし、その頃には、すでに少女の細腕にさえ、抵抗する力
は、かわいそうなことには、マッチョで力自慢のヘラクレス
男たちにも、ほとんど残されていないのでした。


それから、いよいよ、ゆっくりと地獄の花嫁が、抱擁を開
始するのです。巨漢の男の無遠慮な肉体は、骨格の繊細な細
身の少年のように感じられています。少しだけ両腕に力を入
れてあげます。

普通の男どもは、簡単に失神してくれます。嬉しいことに、
必死の抵抗をしてくれる場合には、彼の細い首を、鉛筆より
も重いものを持ったことがない、片手の細くてしなやかな指
先で、締めてあげます。彼女の指でも、片手に握り締めうる
ことができる、細さになっています。頚動脈に当たる指先に
そっと力をかけるだけで、簡単に締め落とせます。

その間に、床に横たわる生贄の男の、失神した無様な様子
を鑑賞しながら、このために用意した、純白な衣裳に着替え
るのです。婚礼の衣裳は、白に限ると思っています。男の真
紅の生き血を吸い込んで、世界でもっとも美しい、清浄なキ
ャンパスの色こそが、純白だと思っています。

男の足から、高価な洋物の革靴は、脱げていきます。靴下
は、ピエロの衣裳のように、よれよれになって垂れ下がって
います。著名なデザイナーの手になる一点物のパンツも、ベ
ルトも、シルクの下着も、ホテルの床に落ちています。衣服
は、紳士としての最低限度の節操を守る役目さえも、果たさ
なくなっています。

おもむろに、彼の片方の手首を持って、持ち上げてあげま
す。男は空中に、足をぶらぶらさせています。思うままに、
暴れさせてやります。強い性であるはずの男性が、彼女とい
う女性の代表者の前に、いかに無力であるかを、思い知らせ
てあげるのです。その時間を、たっぷりと取りたいのです。

人生観の、お姉さまの言葉を借りれば、何ていったでしょ
うか?そうそう「コペルニクス的転回」というものを果たし
てもらいたいのです。彼女の行為は、男性のおのれの迷妄を
悟らせるための、一種の高尚な「宗教的普及活動」でした。
すべてが、お姉さまからの受け売りでした。彼女は、勉強が、
あまり好きではありません。考えようとすると、眠くなって
きます。

いよいよ、儀式に取り掛かります。彼女は、男の全身の骨
を砕いていきます。びき。ぼき。その音は、爽快そのもので
す。森でバーベキュー・パーティのための薪を集めるために、
乾いた小枝を折り取るのと似ています。悲鳴や呪詛の言葉は、
耳に快い音楽なのです。小鳥のさえずりと同じです。最後ま
で、腕の力を弱めることは、してあげません。徹底的に愛し
てあげるのです。


断末魔の苦悶に、全身を身悶えさせる男の表情と、射精の
快感に耐える時の男の表情が、あまりにも酷似していること
は、彼女の赤い唇に、いつも微笑を浮かばせるのでした。

その年齢の割には豊満すぎる乳房の谷間で、赤子のように
暴れる男の空気を、奪ってあげてもよいでしょう。男の哀れ
な肺の中には、彼女の抱擁によって、もうほとんど空気は残
っていないのです。簡単なことでした。

あるいは、男の頭部を、フェラティオのように、そっくり
口に含んであげます。吸ったり、しゃぶったり、舐めたりし
ます。暴れても、出してあげません。唇を殴ったり、顎を蹴
飛ばしたりする様子が、面白いのです。甘いお菓子を味わう
ようなものです。

ゆっくりと、窒息死させてあげてもよいのです。すぐに始
末して、楽にしてあげたこともあります。ギロチンのように
白くて健康な上下の歯で、噛み切ってやったこともあります。
彼はギリシアの彫刻のように、美しい顔をしていました。食
べてみたいなと思ったのです。けっこう、おいしいと思いま
した。

暴れる手足の自由を、一本、一本、骨を折って奪ってあげ
るのも楽しいです。引きちぎって、あげることもあります。
スナック菓子のように食べます。食べることは大好きでした。

ぽりぽり。

お姉さまは、婚礼とは、男女の肉体が聖なる合一をするこ
とだとおっしゃっています。食べることも、立派な結婚の儀
式のように、実香には思えていました。男性を食べるたびに、
彼女は乳房が膨れていくような気がしていました。お姉さま
が、きれいよと、褒めてくれるのが嬉しかったのです。これ
からも、どんどん消化して吸収して、自分自身の肉と血にし
ていくつもりでした。

獲物との婚姻の方法は、様々あります。彼女は、豊かな乳
房とインスピレーションで、その都度の「花嫁ごっこ」を楽
しむつもりでした。このすべてを、姉が美しい唇に笑みを浮
かべながら、鑑賞していてくれることも、実香の快感を高め
てくれていました。

しかし。夢は、いつかは、醒めなければなりません。

「実香、おはよう。朝よ!」

「う〜ん。むにゃ、むにゃ。もう少し寝かせといて」

「だ〜め、遅刻するわよ!」

 小学三年生の実香ちゃんは、五年生の享子おねえちゃんと、
一緒に、私立の黒マリア女子学園に登校しなければならない
のです。それは、地上に生きるものの掟のようでした。

勉強は嫌いです。つまりませんでした。それに、昨日は夜
更かしをしてしまいました。眠りも浅かったのです。

ごろん。

包まっていた蒲団ごと、ベッドから落ちていました。床に、
転がされていました。おねえちゃんは、容赦がないのです。


白いシルクのパジャマ姿で、大きなあくびをしていました。


「実香、おべんとうつけて、どこいくの?」

おねえちゃんは、歌うような口調で、妹の口元によだれの
接着剤で張り付いていた、小人の足を摘むと、自分の口に放
り込んで、ぽりぽりと食べていました。

「ママには、秘密なんだからね!気をつけてちょうだい!
ほんとうに、実香は、いつまでたっても、ドジなんだか
ら!!」

叱られてしまいました。

でも、学園の黒いセーラー服を着たおねえちゃんは、とて
も、きれいなのです。いつもの白いブラウスに赤いリボンの
服装が、御姫様の正装のようでした。いっぱい食べるのに、
いつも、しなやかに痩せています。長い黒髪が、腰まで垂れ
ています。朝の陽光を、まるで愛撫されるように優雅に、滑
らせていました。黒い眉に黒い瞳が、絵に描いたようにきれ
いでした。ずるいと思いました。

いつも実香の憧れの的でした。何でも服従でした。おねえ
ちゃんも、実香のことを、自分の「作品」だと呼んでくれて
います。きれいな女の子にしてあげる。そう約束してくれて
いました。悪魔との約束も、お姉ちゃんに勧められてしたの
でした。

「はあ〜い」

悪い夢を見ていたような気がします。が、もう何も思い出
せませんでした。口元のよだれを、ずるずると啜っていまし
た。

白い花嫁衣裳だったシルクのパジャマを、脱ぎ捨てていま
した。白い桃のような、九歳としては大き過ぎる乳房を、ぷ
るんぷるんと揺らしていました。パンティ一枚のヌードです。
黒い陰毛が透けていました。大きなお尻を、左右に揺らして
いました。ふらふらと歩き出していました。あやつり人形の
ような動きでした。

姉の享子は、悪魔に自分の血と肉からこねてもらった妹の
実香が、大人びた体格はともかくとして、もう少し頭もよけ
れば良かったのにと、それだけは残念に思っていました。い
つかは、新しい「作品」に作り直すつもりでいました。

おしまい。