エンパイア・シリーズ
セカンド・オーナー
5・
 ダレンは、牢獄の外部からの雷鳴のような騒音が、増大していったからといって、とく
に驚くということはありませんでした。しかし、つぎつぎと入ってくる報告は、彼の神経
を逆撫でしていったのです。頭のヘッドセットは、立て続けに信号の入電を告げるチャイ
ムを、鳴り響かせていました。

「ゲイタ−1。ゲイター1。ポジション3。新参者のスレットが、何かの装置を携帯して
いる」

「武器の種類を確認せよ!」

「未知の武器だ!特定できない」

「スレット1と2は、現在、何をしている?」
 彼は、送話器に唾を飛ばしていました。

 通信は、しばらくの間、沈黙していました。そして、いきなり何かを引き裂くような恐
ろしい轟音が、空から降ってきたのです。コンクリートの厚い壁を、まるでそれが薄い紙
であるかのように、楽々と透過して来ていました。ダレンも、部下からの返信の声を、か
ろうじて聞き取ることができるぐらいでした。

「バリアー切断!繰り返す!バリアー切断!」

 事態の深刻さに比して、声の冷静さが妙に際立つ報告が入っていました。

「ポジション1。確認。スレット3が、バリアーを新型の武器で切断している!」

「確認!確認!バリアーは、一分以内に、突破される!ゲイター1!なんてこった!彼女
たちが、侵入してくるぞ!」

 一人一人、部下たちは、隠れ場所の地下シャルターに飛び降りていきました。別な一団
は侵入を阻止しようと、バリケードの方向に走っていきました。

「助けてくれ!ゲイター1!彼女たちが入ってきた!彼女たちぐわあああああああ!」

 ダレンは、口の中が乾いていることを意識していました。終末の日の幕が、彼の眼前で、
ついに上がってしまったのです。外界の男たちからの報告は、象の大群の進行に踏み潰さ
れていく者達のような悲惨なものでした。


 ある男の通信機のスイッチは、オンの状態のままになっていました。断末魔の苦悶を、
長いこと送信し続けていました。ダレンでさえも、このような声を、今までの戦争にあけ
くれた生涯で、聞いたことがないような種類のものでした。ついに、恐れを知らないはず
の彼の鋼鉄の神経も、ヘッドセットの通信機のスイッチを切らなければならないところま
で、追い詰められていたのです。

6・

「見てよ!彼らって、ちっちゃくてかわいいじゃない?」

 ジャニエルの娘のテレサは、大喜びでした。よく蟻がするように、一人の男が、彼女の
指をはい上がろうとしていているのです。大きさも、小さな虫にそっくりでした。人間と
見分けることができたのは、彼が緑色の衣服に身を包んでいたからです。四本の手足が、
目立ったからです。もし彼女が、さらに目を近付けて、気をつけて観察したならば、彼の
顔までが、カモフラージュのために、緑色に染まっていることがわかったことでしょう。

 彼は異様な場所から逃げ出そうとして、悪戦苦闘していました。しかし、本当は女の子
の指先の先端を、円弧を描いて走っているだけだったのです。彼女が手を回転させて、彼
がどこにも逃げ出せないようにと、自由自在に動かしていたからです。

「こっちも、見てちょうだいな!」

 ヒザーは、ペンシル型の消しゴムの先端を、口の中に入れて唾で濡らしていました。ペ
ンシルの先を、穴の中に差し入れていました。点のような人間達は、必死にコロシアムの
中に、逃げこもうとしていました。彼女は、彼らのいる辺りを、消しゴムの先端で、かき
回す用にしていました。二人が彼女のしかけた罠に貼りついてくれたことに、気が付いた
のです。

「やった!捕まえたわ!」

 彼女は大口を開いて、笑っていました。個人用のポータサイザーを取り出していました。
可愛いちっぽけな存在を、一インチぐらいになるまで巨大化していました。三人の女たち
は彼の様子を、それ以前よりも、はっきりと見てとることができたのです。

 ジャンは、新聞を膝の上に下ろしていました。あのヒュイーンという「歯の浮くような」
嫌なノイズを耳にしたからです。

「おい、いったい何をしてるんだ?」

 彼は片方の眉を上げていました。眉間にしわをよせていました。

 突然でした。妻がキッチンから飛び出して来たのです。彼の隣りのカウチの肘掛に、大
きなカットオフのお尻を落として座っていました。

「何でもないわ。あなた。ヒザーが気を効かして、あの素敵な機械を、持ってきてくれた
のよ。おかげで、あなたの可愛い娘も、わたしも、あの敵どもを、ちょっとだけ大きくし
て、彼らがどんな存在なのかを観察して……」

 彼女は夫に対して、自分が出せるもっとも優しい声音を、使っていました。しかし、日
頃は温厚なはずの夫の激怒に、窮地に追い詰められていたのです。

「君だって、ぼくが、あいつが大嫌いだってことは、知ってるだろ?ともあれ、ぼくの家
や、その回りで、使うことには反対だ。君の友達だったジェニファーが、あれを買った直
後に行方不明になった事件について、あれほど話したじゃないか?」

 ジャニエルは、ため息をついただけでした。両手を夫の腕にかけていました。

「ねえ、あなた。テレサは、この都市の一部分を、学校に持っていって、使う計画を立て
ているのよ。クラスの討論会で、発表をするの。あなただって、それが良いアイデアだっ
て、賛成してくれたじゃない?」 

「ぼくは、君達が、あのくそったれで何をしようと、反対はしないさ。ただヒザーが、あ
の道具を、家の中で使うことが、許せないだけなんだ!それだけは、絶対に反対だ!」

 彼は、両手を振り回して怒っていました。
 ジャニエルは、彼の腕を辛抱強くたたいていました。

「テレサが学校の発表会に使う分を切り取ったら、私がバッテリーを預かっておくわ。あ
なたが、私たちの安全を心配して、気遣っているってことぐらいは、わかってるのよ……」

「ああ、わかったとも。君が、ヒザーの銃口が向かっている先を、注意して見ていてくれ
るっていうのならば、心配はないさ。テレサに良い成績を取らせるためならば、どんな苦
労も惜しまない。そうだろ?」

 着痩せする方ではありましたけれども、実は十分に、女らしいスタイルを保った妻の身
体が、自分に密着して体重をかけてくれているうちに、彼は、気分を、やや持ち直してい
ました。彼は今でも、彼女を他の誰よりも愛していました。そのせいで、自分のあの性悪
な姉が手に入れた、ポータサイザーという悪魔の道具で、妻と娘たちの精神がどうにかな
ってしまうのではないかと、不安で仕様がなかったのです。

「ありがとう。お父さん!」

 キッチンの方角から、娘のテレサの声がしました。彼女にも、大声の彼の言葉が聞こえ
ていたのです。

 それだけの思わぬり贈物のせいで、彼の精神は「よい子」に戻っていました。ため息を
ついていました。

「わかったよ、テス。お父さんの負けだ。その代わり、十分に、気をつけるんだぞ!」

 彼は気分がリラックスしていました。いつものコメディ・ゾーン(夕方の軽いお笑い番
組の集中する時間帯)の番組を見ていました。ジャニエルが彼の手に、缶ビールを握らせ
てくれていました。ポテト・チップの袋がありました。こっちは、もうすぐ空になるぐら
いの、薄っぺらなものでした。

「ありがとう。あなた」

 彼女は、彼の頭をポンポンと叩いていきました。そして、見ているだけで、女の敏感な
あそこの部分が自然に濡れてくるような、刺激的な光景に戻っていったのです。

 ジャンは、テレビのくだらないコマーシャルというものが、大嫌いでした。その間に、
ポテト・チップを、もう一袋、探しに行こうと思いました。最近のお気にいりは、新製品
のチーズ味のものでした。妻が隠している場所を、よく知っていたのです。

 キッチンに入っていきました。彼が見たのは三人の女たちの、それぞれに大きなお尻だ
けでした。新しいオモチャに、夢中になっているような様子でした。彼は、あえて大きな
咳払いをしていました。

「ペンキ塗りを見ているぐらいには、おもしろいものなのかい?」

 食器棚のところにまで、歩いていきました。鋭い視線を背中に感じながら、めったに使
うこともない、パウダー・ミルクの箱の裏側から、チーズ味のポテト・チップの袋を取り
出していました。

「見てよ。お母さん。なんて素敵なデザインの車なのかしら!これを乗れるぐらいに大き
くして、あたりを走り回ってみたいぐらいだわ」

 テレサは、小さくてかわいいスポーツ・カーに、すっかり熱を上げているという状態で
した。
 
「そうね、大きくして、あげないこともないわよ。あなたの、ものにしていいわ。お安く
しとくから!」

 ヒザーも、冗談を言っていました。

「ヒュイイイイウイインン!!」

 ポータサイザーが、金切り声を上げていました。

「ああ、その音が嫌なんだ!」

 ジャンは、部屋の中に反響する、歯医者の治療用のモーターのような高音の悲鳴に、襟
足の毛が、逆立つような感じを覚えていました。首をすくめていました。食器棚のドアを、
荒々しく音を立てて、閉めていました。

「ちょっと!静かにしてくださらない!」

 ジャニエルが、夫に注意していました。

「そのくだらないオモチャを、僕の家から出して、くださいませんかねエ!」
 彼は、姉の顔を睨み付けていました。その生涯で、数千回目のことでした。彼女は冷た
い表情で、振り向いていました。何も、いいませんでした。背中に、どうぞ取り上げてく
ださいというように、ポータサイザーを回したのです。テレサは、ただあの『ピース』の
探索に集中していました。

 ただ沈黙。

 お手上げの状態でした。

 ジャンは、リヴィング・ルームに戻っていました。すっかり「悪い子」のモードに入っ
ていました。

7・
 ジャンは、ジャニエルとテレサが買ってくれた「エイヴォン−マイクロソフト社」の宝
石の指輪を外して、床に投げ落としていました。カウチに腰を下ろしていました。いきな
り。背中を悪寒が走りました。妻と娘は、前庭に出ていました。姉だけが彼のカウチの、
すぐ前に立っていることに気が付いたからです。

 見上げていました。

「いったい。なんだって……?」

 彼が言えたのは、これだけでした。座っているシートのクッションが、奇妙に振動して
いました。

「ヒザー?何のまねだ!!ヒザー!!」

 彼の声は、あまりにも小さくて、ヒザーには何かキイキイという、ネズミの泣き声のよ
うなものにしか、聞こえませんでした。彼女が、彼のことを見下ろしていました。

「今まで。さんざんに、あたしのことを、ののしってくれたわね。この身体ばかりでかく
なった、うすのろの弟が!とうとう。あたしは。ポータサイザーを、この家の中に持ち込
むことに、成功したのよ。もう二度と、こんなことはしないって、約束してあげるわ」

 ヒザーは、ちょっとばかり、何を言おうか考えていました。口から出たのは、これだけ
でした。

「これで、終わりよ」

 いきなり巨人の手が、彼の胴体を鷲掴みにしていました。彼にできたのは、そこから逃
れようと身をもがくことと、何回も無駄だとは知りつつ、妻の名前を連呼することだけで
した。
  
「ジャニエル!ジャニエル!」

 手の拘束から解放されていました。公園のような場所に、今度は自分自身が巨人になっ
て、立ち尽くしていることに気が付きました。

「なんだっていうんだ?」

 周囲の木々の高さは、辛うじて彼の足首に届くぐらいでした。姉の巨大な手の指が、一
メートルの向こうにありました。地面についていました。腕の線に沿って、上を見上げて
いきました。遥か空中に顔がありました。背景には、途方も無く広大になった、彼の家の
キッチンがありました!

 彼は、また叫びだしていました。

「ヒザー、なんてことをするんだ!?やめてくれ!」

 絶叫していました。しかし、ポータサイザーの甲高い悲鳴が、彼がかつて聞いたことも
ないような、巨大な怪物の咆哮にまで高まっていきました。彼に、狙いをさだめていたの
です。姉と目と目を見交わしていました。

 ポータサオイザーは、彼を再び目眩のような状態にしていきました。彼女の身体は、大
きく、より大きく、さらに大きくなっていきました。指先だけでも、今では家の一軒分よ
りも、遥かに巨大な物体でした。そして、あそこまでの距離も、優に一キロはあることで
しょう。
 
 草も木も、彼と同じサイズに変化していました。彼は姉にとっては、一点の染みのよう
な物にしか見えないことでしょう。彼女の声は、重低音の振動でしかありませんでした。
彼には、理解することもできなかったのです。たぶん彼女は、彼を罠にはめたことを、得
意そうに自慢しているのでしょう。しかし、彼には、別に言うべきこともありませんでし
た。絶望的な気分でした。ただ彼女の指の方向に、全力でダッシュしていました。

 この状況下で、自分にどのような脱出の方法があるのか、皆目、見当もつきませんでし
た。しかし、飛行機のようなスピードで、ボーイング747サイズの指が上昇していって
しまいました。元の大きさに巨大化できるという、すべての希望も、消えていったのです。

 ともあれ全力で走り続けていました。しかし、すぐに息を切らしていました。地面に両
膝をついていました。ヒザーは、あのような超巨大な存在にして、初めて可能な驚異的な
スピードで、歩み去って行きました。彼を島流しにしていったのです。完璧に。

 一羽の鳥が、木の枝から飛び立っていました。空に開いた穴から飛んでいきました。ジ
ャンは、声を上げて泣きだしていました。空が、再び暗黒に閉ざされていったのです。プ
ラスティックのカバーが掛けられたのでしょう。彼の目は涙に濡れていました。
 
8・
 「ジャニエル!ジャニエル!」

 彼の声は、完全に枯れはてていました。生涯で、これだけの大声で叫び続けたことなど、
一度もありませんでした。


 まもなくして、美しくて可愛らしい妻が、箱の中を覗き込んでいたのです。眼球の直径
だけでも、ちょっとしたオフィス街のビルディングの高さがありました。彼女は彼の指輪
を、不思議そうに手に持っていました。その内部に、サーカスのテントが一個、楽に張れ
ることでしょう。それから、自分の指に填めていました。

 彼は声を限りに叫んでいました。しかし、すぐにまったく声が出なくなっていました。
彼女は、彼のいる場所に視点を定めることすら、できなかったのです。
エンパイア・シリーズ
セカンド・オーナー
5〜8