エンパイア・シリーズ
セカンド・オーナー
9・
 テレサが見送っている玄関のドアの前で、ヒザー伯母さんが帰り支度をしていました。
手提げバッグに、ポータサイザーを、詰め込んでいました。

「ジャンは角の店まで、ポテト・チップを買いに出たんじゃないかしら?」

「あなたが気にしなくてもいいのよ。パパがヒザー伯母さんを、お気に召していないこと
ぐらい、先刻、ご承知のことだから」

「ごめんなさいね、伯母さん」

 ヒザーは、テレサの頭を叩いていました。

「それに、もう用事も済んだしね」

「用事って?」
 
「ああ、何でもないのよ。……さてと、あなたとお母さんは、これからあの『勝利のピー
ス』の味わいを、二人でたっぷりと楽しむつもりなんでしょ?」

「そうすると思うわ。スポーツ・カーを大きくしてくれて、ありがとう。わたし、自分の
宝石箱にしまって大切にするわ!」

 テレサは、弾んだ声で、そう宣言していました。

「それじゃ、またね」

「お父さんがどこに行ったのか、知らないかしら?」

 ジャニエルは、家の中で宝石のついたジャンの指輪を見付けたことて、娘にそう尋ねて
いました。

「ポテト・チップを探して、角の「サークルK」まで行っているらしいわよ」

 テレサは、彼女専用の「観察穴」に目を当てていました。もっと他に素敵な車はないも
のかと、箱の内部を探索していました。伯母さんから教わった、あの鉛筆型消しゴムの、
テクニックを活用していたのです。先端に唾を付けていました。

「ああ、そうなの。それじゃお父さんが出掛けている間に、あなた、学校で発表用の『ピ
ース』の一辺を、切り取っておいてちょうだい」

 ジャニエルは、冷蔵庫に冷たいソーダ水を取りに行きました。身体が熱くなっていたの
です。

「どうしてお父さんは、いなくなちゃったんだと思う?」

「わからないわ。気分次第の人だから。待っていれば、その内、戻ってくるわよ」

 ジャニエルは、娘がしている行為が、よく観察できるような位置のキッチンの椅子に、
座り込んでいました。

 テレサは、ピーナツ・バターの容器から、バター・ナイフを、取り出していました。そ
れを舐めて、きれいにしていました。コロシアムの箱に差し入れて、端の方を切り取るた
めの準備をしていたのです。

 ジャニエルは、そのナイフの脅威の下から、ちっぽけな人間達が、逃げ出す光景が、肉
眼でも見えるのかしらと考えていました。

10・

 ジャンは、走りに走っていました。ついに、この場所に倒れこんでいました。大崩壊す
る公園の駐車場で、偶然にしろ殺されなかったということが、奇跡的なことに思われてい
ました。

 彼の声は、完全に失われていました。さらに悪いことには、目眩がしていました。息が
切れて、嘔吐感もありました。肥満の原因となったカウチ・ポテト生活を、ついに反省し
ていました。あれほど妻に注意されていても、やめられなかった習慣でした。


 彼の両眼は、恐怖のあまり大きく見開かれていました。敵国の緑の服の兵士と、顔と顔
を見交わしていたのです。恐ろしげな緑の隈取りが、顔になされていました。

 彼らは、どこかと交信していました。その他に、どんな意味があったにしろ、ともあれ
「スレット4を捕虜にした」というような内容であることは、当事者である彼には、痛い
ほどにわかっていました。彼には、軍隊生活の経験は、一度もありませんでした。兵士と
いう職業であるということが、どんな意味を持っているのかも、見当がつきませんでした。
殺されるのでしょうか?彼は激しく咳き込んでいました。

 コロシアムの内部に、連行されていきました。その間にも、彼の娘の大破壊が生み出す、
鼓膜をつんざくような恐ろしい轟音が、響いていました。全員が、両手を耳に当てて塞い
でいました。

「わたし。蓋を、はずしちゃうわよ!」

 テレサは、嬉しそうに大きな声で宣言していました。透明なプラスティックの蓋を、キ
ッチンのテーブルの脇に、移動していました。箱の内部では、小さな照明の光が、無数に
きらめていました。少なくとも電気は供給されているようです。しかし、ちょっとみたと
ころでは、動いているものの姿はありませんでした。むしろ、しんと静まり返っていまし
た。

 テレサのTシャツから、少女らしいむちむちとした素肌が剥出しの腕のすぐ脇には、『ピ
ース』の本体から切り取ったばかりの一片が、ペーパータオルの上に、鎮座ましましてい
ました。

 そこでの唯一の生存者が、上空を見上げていました。彼らが隠れていた地下のシャルタ
ーのある公園の地下の場所全体が、巨人の少女にとっては、スタジアムの本体の部分から、
ナイフで切り取れる程度の、小さな三角形のケーキの一片ぐらいの面積に、すぎない場所
であることが、痛いほどによくわかりました。


 新しい自由な世界へ向かって、その上を走っていました。最後の生存者は、ペーパータ
オルの表面に向かって、荒々しく切断された大地の側面の崖を降下していました。しかし、
いきなり空が暗くなっていました。敵国の軍隊のヘリコプターの来襲かと疑ったのです。


 しかし、それは一匹の、どこの家庭にでもいる蝿に過ぎなかったのです。黒い悪魔のよ
うに飛来したのでした。粘着性のある吸引力の強い、腐臭のする肉のチューブを、にゅう
っと差し延ばしてきました。男の頭部に、ぴたりと吸い付いていました。それから、舞い
上がっていきました。絶叫していました。藻掻いていました。

 テレサは、自分専用の大事な新しい『ピース』の上に、一匹の蝿が飛んでいるのを見つ
けたのです。手を延ばして準備していました。端に止まった瞬間に、頭上から、空気ごと
蝿を掴むように手を動かしていました。計画通りでした。ちっぽけな蝿は、彼女のしかけ
た罠の中に入ってしまっていました。勝利の感触を感じながら、手の中を丸い形にしてい
ました。

「ねえ見てよ。お母さん。捕まえたわ!」

 ちっぽけな生きものが、少女の汗ばんだ手のひらの中で、ぶんぶんと動き回っているの
を感じているのでした。周囲の皮膚の壁に、ぶつかっているようでした。次にどうするか。
即座に決めていました。

 兵士は、蝿が彼を自由の身にしてくれたので、歓喜していました。暗い未知な世界の表
面に立っていました。巨大な生物が、この世界の壁に激しく衝突していました。兵士は、
地面に刻まれた深い溝の内部に、安全のためにと身を潜めていました。隠れていました。
いきなり空が割れていました。光が差し込んでいました。重力が、めちゃくちゃに変化し
ていました。自分の体重が加速度のために、何倍にも増大したような気がしました。それ
から、地面と空が逆さまになっていました。青い平原に向かって、急速に下降していまし
た。

12・
 テレサは、片手を太ももに振り下ろしていました。手を大きく開くと、目にも止まらぬ
早業で、蝿を青いブルージーンズの脚で叩き潰していたのです。ちょっと汚いということ
は、わかっていました。しかし、自分の手の中で、生きものを無慈悲に始末するという感
覚は、それはそれで悪くなかったのです。目にも止まらないような、つぶれた小さな物体
が、手を振ると、どこかに飛んでいきました。ジーパンの膝の上に手を擦り付けて、きれ
いにしていました。

 彼女の注意は、すみやかに残りの仕事の方に向いていました。もう蝿のことは、頭の中
からすっかりなくなっていました。

13・
 とうとうジョンは、大柄な筋骨逞しいブルドックのような顔をした男の前に、連行され
ていました。ちょっと見たところでは、ひどく不愉快な表情をしていました。

「一つだけ質問がある。スレット1の行為を止めさせるには、どうすれば良いかだ」

 彼は、いきなりジャンに質問を投げ掛けて来たのでした。

「はあ?」

「質問に答えろ!」

 大男は、ジョンの頭髪を鷲掴みにしていました。彼の両足は、かろうじて爪先だけが床
に付いている状況になっていました。

「僕だって、わからないんだ!」

 ひび割れて乾いた聞きにくい声で、かろうじて、そう答えていました。

「僕の姉が、僕をこんな風に縮小した。この場所に置いた。あなたたち全部と、一緒にだ!
僕だって、出られないんだ!」

 彼は、息を喘がせていました。

 乱暴な男は以前よりも、さらに怒りを増したような表情に変化していました。
「それでは、お前の姉が、「スレット」の一人なんだな?我々は、彼女たち全員にナンバー
を振っている。スレット・ナンバー・2は、戦争とは無関係な、多数の市民が潜んでいた
シェルターを、ふたつに分断していった!」

 彼はジャンの顔に、唾がかかるような剣幕で、詰め寄っていました。

「それは、…‥それは、おそらく僕の娘のことだろう‥‥」

 ジャンは、啜り泣いていました。

 いきなり、巨大な爆発音の連続のような騒音が、完全に止んでいました。その代わりに、
二人の声によって生み出される、重低音の雷鳴の轟きのようなものに席を譲っていました。

 全世界が、狂ったような大地震に襲われたのです。

 通信も、狂ったように入電していました。

「我々は「スレット・1」に運搬されている。繰り返す。「スレット・1」は、我々をどこ
かに運んでいこうとしている!」

 彼らは、ジャンに主導権を預けて、どうすれば良いかを尋ねるような、不可解な表情を
していました。

「僕の……僕の……僕の妻なんだ」

 ジャンにも、残りのナンバーが誰だったのか、ついに分かったのです。

14・
 ジャニエルには、これからの行為のためには、場所をキッチンから変える必要があるこ
とが分かっていました。

 いつもは、ないことでした。が、ジャンは気分転換に、いっぱい引っ掛けに酒場に出掛
けてくれているのかもしれません。彼女に十分な時間を与えてくれているのではないか?
かすかな望みを抱いていたのです。

 両手は、小さな正方形の箱を、地下室の裁縫室に運んでいる間にも、小刻みに震えてい
ました。

 テレサも、二階の自分のベッドルームに、引き上げているはずでした。一緒に箱から切
り取った一片を、肌身離さずに大事に持ちかえっていることでしょう。ですから、もうし
ばらくの間だけは、ジャニエルにも自分の感興のままに、振る舞える時間が与えられてい
るはずでした。

 背後でラウンドリー・ルームのドアの鍵を、しっかりと閉めていました。裁縫用のテー
ブルの上に、箱を静かに下ろしていました。ウオッシャーとドライヤーの隣りでした。

 振動を伴う、洗濯機と乾燥機のモーターの重低音のブーンというノイズが、この空間に
は、つねに響いていました。もしも、誰かが入ってきた場合に好都合な音でした。中のそ
の他の音が、聞こえないからです。条件は、完璧に揃っていました。ここは、この家の中
で、唯一の彼女自身の部屋なのです。オナニーをしては、オルガスムを得るという経験が、
もう何回もあったのです。

 高まる期待感から、上下の唇を、ゆっくりと舐めるように舌を動かしていました。無意
識の行為でした。いそいで「タンク・バナー」のTシャツを、頭から脱いでいました。カ
ットオフは、床に長い脚を滑らせて脱いでいました。靴は履いたままでいました。それと
いうのも、このラウンドリー・ルームの床は、いつでも埃がたまっているような状態であ
ったからです。部屋で唯一の明かりである、小さな電球の薄暗い黄色い光が、この場合に
はリラックスできる理由にもなっていました。

 ジャニエルは、ほんの一瞬ですが、あのOLが見せてくれた、黄色いオシッコでいっぱ
いの箱の情景を、思い出していました。しかし、今までの記憶のすべてが、どこかに吹き
飛んでいました。彼女には、彼女のやり方があるのです。

 ちょっと見ただけでは、死のように静かな箱の中の光景を、見下ろしていました。隠す
ことのできない興奮が、表情にも現われていました。すでにテレサの手が彼女に頼まれて、
この世界のカバーを取り外していました。ジャニエルの心の中に秘めた、ある破廉恥な欲
望を映し出す、四角い鏡のようでした。

 右手の指先を、真紅のシルクのパンティの中に滑らせていきました。すでに興奮のあま
り、クリトリスが、大きく発芽していました。前方に身体を倒していきました。異邦人の
大地に、キスをしようと思ったのです。

 木々が彼女の鼻を、毛糸の玉のような感触で擽っていました。地面は着古したコットン
のシャツの生地よりも、さらに何倍も柔らかかったのです。いくらかの草木と土が、彼女
の口紅を塗った表面に、張りついてきました。舌で舐め取っていました。


 口の中に土を含んだ時のような食感とは、全く異なっていることに気が付いたのです。
軽いパウダーの粉のようでした。何の味も感じられませんでした。

 上下の唇で、駐車場のビルの最上階のコンクリートの天井に、優しくタッチしていまし
た。しかし、唇が触れた部分だけが、その形の通りに下の階まで、穴を穿っていました。
陥没していました。天井のコンクリートは、彼女のつけている「エイヴォン−マイクロソ
フト社」の、『赤い天使』という名前の、口紅の色に染まっていました。

 上下の唇に張りついた何台もの自動車を、舌先で舐め取っていました。同時に指が、さ
らに割れ目の奥にまで、侵入していったのです。自分が、秘められていた情熱を爆発させ
るための、正しい道筋に入っていることが分かっていました。

 森のある公園の駐車場を、舌先で軽く舐めていました。彼女は小さな点がいくつも、コ
ロシアムの入り口に向かって、動いているのを見付けたのです。嬉しくてたまりませんで
した。裸の濡れた舌先は、パウダーのような柔らかい地面に届いていました。巨大なクレ
イターを穿っていったのです。

15・

「厳戒態勢を、第一種非常態勢に移行せよ!貴様は、あのスレットの行為を、今すぐに止
めさせるんだ!」

「そうしようと努力したんだ。彼女は、僕の言葉に、耳を傾けてはくれなかったんだ……」

 ジャンは抵抗していました。兵士の中でも、もっとも勇敢な男が、彼をコロシアムの外
に連れ出していました。半分以上が、倒壊した階段を上っていました。通路にも瓦礫が積
もっていました。コロシアムの最上階にある、バリケードにまで連れていったのです。  

「やめてくれ!彼女に殺される!僕の声が、彼女に聞こえるはずがないんだ!」

 ジョンのひび割れた耳障りな声の不快な調子が、男をさらに狂暴に駆り立てていました。
最上階の前線基地には、奇妙な静けさが支配していました。絶叫は、通信機の方から聞こ
えて来たのでした。
エンパイア・シリーズ
セカンド・オーナー
9〜15